遠藤 謙(えんどう けん、1978年〈昭和53年〉7月10日… 遠藤 謙(えんどう けん、1978年〈昭和53年〉7月10日- )は、ロボットや義足を専門とする日本の研究者、エンジニア。マサチューセッツ工科大学Ph.D。ソニーコンピュータサイエンス研究所アソシエイトリサーチャー、株式会社Xiborg代表取締役として、ロボット義足、途上国用義足、競技用義足(パラリンピック用)の研究開発に取り組む。子供にスポーツ義足を貸し出す「ギソクの図書館」を設立し、静岡県でも「Blade for All」を立ち上げた。乙武洋匡とは「OTOTAKE PROJECT」も推進している。D-legやSee-Dの代表、北海道科学大学や熊本大学の客員教授を歴任。2014年には世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダーズ」に選出されている。
花島 大義(はなじま ひろよし、Hiroyoshi Hana… 花島 大義(はなじま ひろよし、Hiroyoshi Hanajima、 (1974-08-28) 1974年8月28日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、レコーディング&ミキシングエンジニア。静岡県浜松市出身。音楽ユニット「doubleglass」のメンバー。 中学時代から、ボーカリスト、ギタリスト、ドラマーとしてバンド活動を長年行う。中央大学卒業後は、レコーディング・エンジニアとして都内の録音スタジオにて働く。 20代半ばにニューヨークに渡り、ニュースクール大学にて改めてオーディオ・エンジニアリングを専攻しながら、ブルックリン・マンハッタンの録音スタジオ、ヒップホップ・ミュージック・プロデューサーのもとで働く。
剣持 秀紀(けんもち ひでき、1967年 - )は、日本のエ… 剣持 秀紀(けんもち ひでき、1967年 - )は、日本のエンジニア。VOCALOIDの開発者の1人として知られる。 1967年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。1985年、静岡県立清水東高等学校卒業。1991年、京都大学工学部電子工学科卒業。大学在学中は京都大学交響楽団に所属し、ヴァイオリン奏者として演奏会に出演。1993年、京都大学大学院工学研究科電気工学第二専攻修士課程を修了し、ヤマハに入社。音響関係の研究開発に従事した後、1996年、L&Hジャパン(ベルギーのL&H(英語版)社とヤマハの合弁会社)に出向。テキスト音声合成技術の開発に従事する。1999年に復職。以降VOCALOIDを含む音楽・音声信号処理技術の開発に携わる。
羽下 晃生(はが あきお、1966年7月8日 - )は、日本… 羽下 晃生(はが あきお、1966年7月8日 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカー・デザイナー。静岡県静岡市出身。 主にフォーミュラ1カーの設計に携わり、F1チーム「ジョーダン」「MF1」「スパイカー」「フォース・インディア」「レーシング・ポイント」「アストンマーティンF1」の要職を歴任している。 幼少期のいわゆるスーパーカーブームがきっかけで車に興味を持ち出し、1976年のF1世界選手権イン・ジャパン(日本グランプリ)を契機にF1にも関心を抱く。高校生時代はオートバイレーサーを目指した時期もあったが、大きな事故に遭いその道を断念、技術者を目指すこととなる。 東京学芸大学機械工学科を卒業後、日本のモータースポーツ企業トムスに入社。
山口 聡(やまぐち さとし、1960年12月29日 - )は… 山口 聡(やまぐち さとし、1960年12月29日 - )は、日本の技術者、実業家。カゴメ代表取締役社長 。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜松北高等学校を経て、1983年東北大学農学部食糧化学科卒業、カゴメ入社。技術系で、品質管理や商品設計に携わり、2003年には業務用ビジネスユニット部長に就任。2010年執行役員業務用事業本部長。 2015年執行役員イノベーション本部長。2018年執行役員野菜事業本部長兼ベジタブル・ソリューション部長。2019年取締役常務執行役員に昇格。2020年から代表取締役社長を務め、収益力の強化を進めた。趣味はランニングで、東京マラソンに出場するなどした。
山村 明義(やまむら あきよし、1958年3月3日 - )は… 山村 明義(やまむら あきよし、1958年3月3日 - )は、日本の鉄道技術者、実業家。2017年6月 - 2025年6月にかけて東京地下鉄株式会社(東京メトロ)代表取締役社長を務めた。 茨城県新治郡八郷町(現・石岡市)生まれ。その後静岡県に転居。1976年静岡県立藤枝東高等学校卒業。1980年東北大学工学部土木工学科卒業。2007年筑波大学大学院ビジネス科学研究科(修士課程)修了。2019年千葉工業大学より博士(工学)の学位を取得。 東北大学工学部卒業後の1980年に、当時の帝都高速度交通営団に入団。元々土木技術が専門で、営団では地下鉄の土木工事・保線などを主に担当していた。後に技術畑を離れ、経営企画、秘書室などを経て、2004年に営団が民営化され東京地下鉄株式会社となった際に人事部に異動。
内山 義英(うちやま よしひで、1957年8月25日 - )… 内山 義英(うちやま よしひで、1957年8月25日 - )は、日本の構造技術者、研究開発コンサルタント。竹中工務店技術研究所チーフエンジニア、株式会社ハイテックのチーフエンジニア、静岡地震防災研究会代表、ブレイン代表などを歴任した。 1957年、静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を卒業後、京都大学工学部建築学科に進学した。建築を専攻し、さらに「明快で割り切れる」との動機から構造工学を志し、鉄骨構造系の研究室に進む。大学院進学後は、鉄骨構造形式や材料の研究開発に従事する。修士論文では、各種鋼構造柱梁溶接接合部の疲労特性に関する研究を発表した。 1982年に竹中工務店に入社し、建築構造、耐震防災についての技術研究に従事。
飯村 幸生(いいむら ゆきお、1956年6月17日 - )は… 飯村 幸生(いいむら ゆきお、1956年6月17日 - )は、日本の技術者、実業家。東芝機械代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長最高経営責任者、日本工作機械工業会会長。 静岡県沼津市生まれ。1980年同志社大学工学部機械工学科卒業、東芝機械入社。2000年射出成形機技術部長。2004年微細転写事業部長。2006年取締役。2008年取締役技術統括部長。2009年から代表取締役社長を務め、東芝グループからの離脱を行うなどした。2017年代表取締役会長最高経営責任者、日本工作機械工業会会長。2021年日本工作機械工業会相談役。日本産業機械工業会常任幹事なども務めた。
山川 理(やまかわ おさむ、1947年 - )は、日本の農業… 山川 理(やまかわ おさむ、1947年 - )は、日本の農業技術者。専門はさつまいもといちごの品種改良、育種。元九州沖縄農業研究センター所長。べにはるか開発。農学博士。静岡市出身。 1965年、静岡県立静岡高等学校卒業。1969年、京都大学農学部卒業(育種学)。1969年〜1982年、農林省九州農業試験場勤務。さつまいもの品種改良に従事。途中、26歳の時に名古屋大学に半年間留学(生化学 瓜谷郁三研究室)、生化学の理論と実験手法を学んだ。次いでノースカロライナ大学遺伝学部に留学、とうもろこしの研究室(チャールズ・スチューバー教授)に1年間。帰国後、およそ半年の後に、行政部門に異動。1982年〜1985年、農林水産省農林水産技術会議事務局で3年半、研究行政に携わる。
石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日… 石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日本の技術者、実業家。日本軽金属ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本アルミニウム協会会長、国立大学法人北海道大学総長選考会議議長などを務めた。 静岡県静岡市駿河区出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1967年北海道大学工学部卒業、日本軽金属入社。1997年取締役に昇格。2001年取締役兼常務執行役員。2003年取締役兼専務執行役員。2006年取締役兼副社長執行役員。 2007年から日本軽金属代表取締役社長を務め、日本軽金属ホールディングス設立にあたり、2012年日本軽金属ホールディングス代表取締役社長に就任。2014年日本アルミニウム協会会長。
見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の… 見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の工学者、精密小型モーター開発のエンジニア。ニデックモーター基礎研究所名誉所長。ニデック技術顧問。工学博士(東北大学)。 1940年、静岡市に生まれる。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東北大学大学院工学専攻科修士課程修了。同年、TEAC入社。磁気記録機器用精密小型モータの設計と研究を開始。1965年、職業訓練大学校常勤講師。1966年より学生の指導を始める。最初の学生の中に永守重信がいた。1970年、東北大学より交流モータの回転電気機械の電磁界理論で工学博士。1971年、職業訓練大学校助教授。1976年、ロンドンで開かれた世界最初の小型モータ学会に出席。
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
杉浦 睦夫(すぎうら むつお、1918年3月13日 - 19… 杉浦 睦夫(すぎうら むつお、1918年3月13日 - 1986年8月26日)は、日本で初めて胃カメラを開発した技術者である。 静岡県浜松市生まれ。1938年4月にオリンパス光学工業株式会社に入社。35ミリカメラの開発などに取り組む。 1949年7月、東京大学付属病院小石川分院の外科医、宇治達郎が勤務先のオリンパス光学工業に相談に来て、杉浦がその対応にあたった。胃の中の写真を撮る「胃カメラ」を開発したいが可能かどうか尋ねられたところ、「光があり、レンズがあり、フィルムがあればたとえカメラがどこにあっても撮影は出来る」という内容にて回答したという。当時は胃の病気の診断を、レントゲンか胃鏡で実施していたが、レントゲンでは胃の内壁まではわからず、胃鏡では診断できる者が少ない上、確認しづらい部分があることや患者に与える苦痛も大きかったという状況であった。
佐藤 公一(さとう こういち、1913年(大正2年) - 1… 佐藤 公一(さとう こういち、1913年(大正2年) - 1991年(平成3年))は、日本の農業技術者。元農林省技官。日本で初めて柑橘水耕栽培を行った。農学博士。静岡市出身。 安倍郡美和村(現在の静岡市)に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学卒業。農林省園芸試験場(興津)見習生終了後、1938年(昭和13年)、静岡県、山形県、山梨県農業試験場を経て、1946年(昭和21年)、米軍水耕農場の管理に雇用される。1947年(昭和22年)、農林省園芸試験場東海支場(興津)。1950年(昭和25年)、農業技術研究所園芸部(平塚)に転出、果樹部長を経て、1967年(昭和42年)、園芸試験場興津支場長。
河合 小市(かわい こいち、1886年1月5日 - 1955… 河合 小市(かわい こいち、1886年1月5日 - 1955年10月5日)は、日本の技術者、実業家。河合楽器製作所創設者・初代社長。ピアノ製造技師。 浜松市菅原町の車大工の河合谷吉(屋号は「するがや」)の子供に生まれた。幼少の頃から手先が器用で研究心があったという。 河合楽器製作所製グランドピアノの多くに刻まれているK.KAWAIというロゴタイプは小市の名に由来する。 河合楽器製作所2代目社長の河合滋は次女の婿。KAISERブランドのピアノ(製造元は日本楽器製造株式会社)で知られる河合楽器株式会社を経営していた河合晋は長女の婿。 この項目は、楽器に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/プロジェクト:楽器)。
太田 圓三 (おおた えんぞう、太田円三、1881年(明治1… 太田 圓三 (おおた えんぞう、太田円三、1881年(明治14年)3月10日 - 1926年(大正15年)3月21日)は明治・大正期の土木技術者・鉄道技師。詩人・木下杢太郎の実兄。動物学者である太田嘉四夫の叔父。 静岡県田方郡伊東町(現在の伊東市)出身。東京府立一中、一高を経て、1904年に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。大学では広井勇に師事。逓信省鉄道作業局(後の鉄道院→鉄道省)に入省。1910年から2年間、欧米に留学。1923年の関東大震災後、帝都復興院土木局長に抜擢される。 帝都復興院では、隅田川六大橋(下流から相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)をはじめとする「震災復興橋梁」の建設を、橋梁課長の田中豊と共に主導した。
青山 禄郎(あおやま ろくろう、1875年(明治8年)7月6… 青山 禄郎(あおやま ろくろう、1875年(明治8年)7月6日 - 1940年(昭和15年)1月6日)は、日本の技術者、実業家。日本信号創業者。電信・無線・信号・電気事業の分野で幾つもの国家的重責を担った。日産自動車のダットサン(DAT)のAは青山に由来する。 1875年(明治8年)7月6日に岡崎で父・鈴山巌と母・智恵の間に生まれる。愛知県額田郡高等小学校卒業。静岡中学校を中退し、1891年(明治24年)9月に上京して東京郵便電信学校に転校した。1892年(明治25年)に青山家に養嗣子として入籍した。1893年(明治26年)に東京郵便電信学校を首席で卒業し、逓信技手に任ぜられ逓信省電務局に勤務した。
原崎 源作(はらさき げんさく、1858年〈安政5年〉 - … 原崎 源作(はらさき げんさく、1858年〈安政5年〉 - 1946年〈昭和21年〉)は、日本の実業家、茶業家、製茶技術者。富士合資会社総支配人。静岡茶を中心とする日本茶の輸出事業に関わり、製茶再製機械の改良に取り組んだ人物として知られる。 1858年(安政5年)、駿河国榛原郡地頭方村(現在の静岡県牧之原市)に生まれた。のちに小笠郡西方村堀之内(現在の菊川市堀之内)を経て、静岡市に移った。 明治期、原崎は横浜の茶売込問屋に関わり、輸出茶の再製工程に携わった。当時、輸出向けの茶は品質を整えるために再製工程を経る必要があり、静岡県内には再製茶工場が発達していった。原崎はこの工程の効率化と品質向上を目指し、製茶再製機械の改良に取り組んだ。
加藤 寛之(かとう ひろゆき)は、日本の実業家、技術者、投資… 加藤 寛之(かとう ひろゆき)は、日本の実業家、技術者、投資家。Webサービスの受託開発等を業務とする株式会社イロドリの共同創業者、代表取締役。 静岡県浜松市出身。東京大学卒業後、2008年より株式会社アトランティス(2011年にグリーによって買収、子会社化)に取締役最高技術責任者として参画。2010年より株式会社ネットプライスドットコム(現BEENOS株式会社)シニアエンジニア。2014年3月に株式会社イロドリ設立、代表取締役就任。 2014年より株式会社Liquidの取締役就任。2015年2月より動画制作プラットフォームを運営する株式会社Viibarの技術顧問に就任。 ハッカーを自認している。