野中 晶史(のなか あきふみ、1985年 - )は、日本の男… 野中 晶史(のなか あきふみ、1985年 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ監督、映像作家、教育者。静岡県浜松市出身、愛知県在住。 名古屋市立大学芸術工学部を卒業後、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻に進学。在学時からNHK Eテレの番組『Eテレ0655&2355』内の「日めくりアニメ」などのアニメーション制作を手がける。2010年に同大学院を修了(修了制作作品は『CLIMBER』)。 大学院修了後は、フリーランスのアニメーターおよびアニメーションディレクターとして活動を開始。テレビアニメの監督、MV、CM、企業PR映像のアニメーション制作など幅広い分野で活動する傍ら、継続的に短編アニメーションの自主制作を行っている。
金澤 大将(かなざわ ひろまさ、1983年12月1日)は、静… 金澤 大将(かなざわ ひろまさ、1983年12月1日)は、静岡県榛原郡中川根町(現:川根本町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、教育者。ポジションはDF、MF。 大学4年次に2005年夏季ユニバーシアードのサッカー日本代表に選出され優勝に貢献。大学卒業後の2006年に横浜FCに入団。開幕戦で右サイドバックのスタメンに抜擢されたが出場はその1試合に終わった。2007年にら水戸ホーリーホックに期限付き移籍し、中盤のチャンスメーカーとして活躍した。2008年に水戸へ完全移籍した。2010年にSC相模原に完全移籍。2011年限りで現役を引退した。 2012年から菊川南陵高等学校のサッカー部監督に就任し、指導者へ転身、2014年4月より同校の校長に就任した。
伊藤 康英(いとう やすひで、1960年12月7日 - )は… 伊藤 康英(いとう やすひで、1960年12月7日 - )は、日本の作曲家、編曲家、教育者。主に、吹奏楽、室内楽、管弦楽、合唱の分野での活動で知られる。 静岡県浜松市出身。小学生のときからピアノを習い始める。静岡県立浜松北高等学校ではクラブ活動(吹奏楽部)で打楽器と指揮を担当する。1979年、東京藝術大学音楽学部作曲科に入学。作曲を野田暉行、ピアノを岩崎操に師事。大学1年のときに作曲した吹奏楽のための《プログレス》が1979年度笹川賞創作曲コンクール吹奏楽部門3位を受賞。1980年、静岡県音楽コンクールピアノ部門優勝。1983年、学内で安宅賞を受賞、同年、東京藝術大学大学院作曲専攻入学。1986年大学院修了。
法月 敏彦(のりづき としひこ、1951年 - )は、日本の… 法月 敏彦(のりづき としひこ、1951年 - )は、日本の演劇学者・演劇教育者。博士(芸術学)。静岡県静岡市出身。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻修了。 日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。
松岡 榮志(まつおか えいじ、1951年 - )は、日本の中… 松岡 榮志(まつおか えいじ、1951年 - )は、日本の中国古典文学者、中国語教育者。東京学芸大学名誉教授。日中翻訳文化教育協会会長。 専門は中国古典文学、中国語教育など。日本語、中国語辞書編纂に力を尽くし、漢字の情報処理(デジタル化)などにも貢献。アジアの漢字コード標準化や、コンピュータにおける多言語処理の先駆者としても知られる。また、長年中国語翻訳や漢方医学の古典訓読などにも携わり、多くの人材を育てている。 1951年、静岡県浜松市生まれる。 1971年東京教育大学(現筑波大学)文学部に入学、1975年東京大学大学院修士課程に進学、博士課程を経て、1979年より2016年まで東京学芸大学で教鞭を執り、一橋大学大学院で10年間兼任教授を務めた。
鈴木 望(すずき のぞむ、1949年〈昭和24年〉4月20日… 鈴木 望(すずき のぞむ、1949年〈昭和24年〉4月20日 - 2024年〈令和6年〉6月7日)は、日本の政治家、教育者、元厚生官僚。 静岡県磐田市長(3期)、衆議院議員(1期)、維新の党国会対策副委員長、市民団体「ネットワーク河村市長」代表などを務めた。 静岡県磐田郡豊田町(現磐田市)生まれ。静岡県立浜松北高等学校、一橋大学社会学部卒業。大学在学中の1972年、国家公務員試験上級職甲(法律職)に合格し、1973年4月に厚生省(現厚生労働省)に入省した。1981年4月外務省在サンパウロ日本総領事館領事。大臣官房人事課を経て、1984年8月臨時教育審議会事務局調査員。厚生省薬務局企画課を経て、1987年8月兵庫県高齢社会企画室長、1989年厚生省大臣官房企画官(保険医療局担当)、1992年6月厚生省生活衛生局指導課長。
柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本… 柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本の地方公務員、教育者。元静岡県副知事、元気象審議会委員、元学校法人三島学園理事等を務めた。 静岡県出身。静岡県立韮山高等学校卒業。1959年(昭和34年)3月、日本大学短期大学部卒業後は静岡県に奉職。県の企画部長・出納長などの職務を経験した後、同県副知事に就任。副知事に就任して以来、静岡県広報協会会長、気象審議会委員、静岡県日中友好協議会理事長などの要職に就いた。 副知事の任期満了に伴い、後任として鈴木雅近氏が選任された。退任後は、学校法人三島学園(知徳高等学校)理事を務めた。 2008年(平成20年)4月、瑞宝中綬章を受賞。
朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22… 朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22日 - 2003年(平成15年)2月14日)は、日本のグラフィックデザイナー、美術教育者。 日本、中国、台湾で大学教授を務めた。 静岡県立静岡中学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻を卒業後、グラフィックデザイナーとなる。1960年(昭和35年)、福島大学教育学部に採用されて以降、40年以上に亘り大学教員として歩む。京都学芸大学を経て筑波大学教授、1990年(平成2年)、文教大学教授、2001年(平成13年)、台湾・崑山科技大学視覚伝達設計系客座教授。デザイン学、構成学の発展に寄与した。広州美術学院名誉教授(中国)、山東工芸美術学院大学名誉教授(中国)、天津美術学院大学客座教授(中国)。
伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ き… 伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ きょう)、1927年(昭和2年)2月22日 - 2021年 (令和3年) 7月25日 )は、日本の声楽家(オペラ・ソプラノ歌手)、音楽教育者。国立音楽大学名誉教授、静岡文化芸術大学客員教授。 静岡県掛川市出身。1943年(昭和18年)4月、東京音楽学校甲種師範科に入学。1947年(昭和22年)に同校を卒業した、研究科を修了。城多又兵衛、酒井弘、浅野千鶴子、田中伸枝、原信子、フェルディナント・グロスマン、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ等に師事。 1949年(昭和24年)第18回日本音楽コンクール声楽部門で第1位を獲得。1950年(昭和25年)東宝交響樂團ベートーヴェン『フィデリオ』(指揮:近衛秀麿)でオペラデビュー。
浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003… 浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家、評論家、教育者。専攻は近代文学。中学、高校での教師を務めたのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事を歴任した。日本児童文学者協会理事、日本児童文芸家協会理事、日本文芸家協会会員。 静岡県御殿場市出身。早稲田大学第一文学部国文科を卒業後、都内の中学、高校教師を務め、立教大学大学院を修了(近代文学専攻)。 上野高等学校教頭を最後に高校教師を退職したのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事などを歴任。
森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の… 森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の教育者、生物学者、手芸家、詩人。 旧姓は萩原(はぎわら)。書籍などで森 れい子(もり れいこ)との名義を用いることもある。 静岡県森町高等女学校、静岡高等学校、文化服装学院での勤務を経て、ガブロム工房主宰などを歴任した。 静岡県出身の手芸家である。旧制高等女学校や旧制高等学校の教員を経て、結婚を機に手芸家として活動する。エドナ・マーチンに師事したのち、さまざまな技法を駆使して糸で絵を描く「ファブリックピクチャー」を確立し、日本における第一人者として知られている。ガブロム工房の主宰としても活動し、個展だけでなく工房展なども開催した。旧制の静岡県森町高等女学校や静岡高等学校で教鞭を執り、戦後は文化服装学院において後進を育てた。
堤 達男(つつみ たつお、1918年〈大正7年〉10月18日… 堤 達男(つつみ たつお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1988年〈昭和63年〉)は、日本の彫刻家、教育者。 構造社会友、静岡県立松崎高等学校講師、鳩巣会会長(初代)、社団法人日展会員などを歴任した。 静岡県出身の彫刻家である。日本美術展覧会での特選を機に評価を確立し、伊豆半島で制作に勤しんだ。また、高等学校にて教鞭を執り、後進の育成にも務めた。彫刻家集団である「鳩巣会」では会長に推戴された。 1918年(大正7年)10月18日、静岡県賀茂郡仁科村に生まれた。幼い頃より美術に関心を持ち、彫刻家になることを志した。静岡県立豆陽中学校を経て、1936年(昭和11年)に東京美術学校に進学、彫刻科で学んだ。
河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 … 河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 - 2005年〈平成17年〉9月6日)は、日本の実業家、教育者。河合塾理事長、山一證券副社長。 河合逸治の長男。東京商大を経て日本勧業銀行に入行し、経済安定本部や名古屋造船、山一證券にも出向した。後に実家の河合塾を継ぎ、弟の河合邦人と共に愛知県のローカル予備校から三大予備校の一角にまで育て上げた。1992年、フランス教育功労章オフィシエ受章。 静岡県生まれ。愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校、59回卒業)、名古屋高商(現・名古屋大学経済学部)を経て、1941年12月、東京商科大学(現・一橋大学)繰り上げ卒業(井藤半彌ゼミ)。卒業論文は「国際租税論の基本問題」。
市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1… 市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1月18日 - 1998年〈平成10年〉4月29日)は、日本の作曲家、音楽教育者。教育芸術社の創業者。静岡県浜松市出身。 音楽教育に力を入れ、多くの音楽教科書の著述、編集を務めたことで知られる。また、各地の学校で校歌の作曲を多く手がけている。 浜松市で生まれ、中学からは東京に移り住んだ。旧制市立ニ中(現・東京都立上野高等学校)では、福田恆存(英文学)、高橋義孝(独文学)と同期。作曲を志し、1935年に東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン科に入り、安藤幸子、ウィリー・フライに師事した。また課外でクラウス・プリングスハイムに作曲を学び、1937年本科卒業後は研究科に進んで、信時潔に半年間作曲を学ぶ。
田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 198… 田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 1984年8月25日)は、日本の教育家、新聞記者、水泳指導者。静岡県浜名郡浜松町成子(現・浜松市中央区成子町)出身。 長きに渡り日本水泳連盟会長を務めた他、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人として知られる。 田畑は1898年(明治31年)12月1日、浜名郡浜松町成子(現・浜松市中央区成子町)にて生まれた。実家は造り酒屋であった。 旧制静岡縣立浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)、第一高等学校(現・東京大学教養学部)を経て、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、1924年(大正13年)に朝日新聞社(東京朝日新聞)に入社する。
榊原 千代(さかきばら ちよ、1898年〈明治31年〉7月1… 榊原 千代(さかきばら ちよ、1898年〈明治31年〉7月15日 – 1987年〈昭和62年〉4月28日)は、日本の雑誌記者、教育者、政治家。衆議院議員(2期)、女性初の代議士の一人。旧姓は間野。 現在の静岡県三島市に生まれる。 1917年(大正6年)、フェリス和英女学校を卒業。1919年(大正8年)、青山女学院英文専門科本科卒業。同年、雑誌「婦人の友」の記者となる。自由学園教授などを経て、1927年(昭和2年)に経済学者の榊原巌と結婚。結婚後、夫とともにドイツとイギリスに留学する。マルブルグ大学(ドイツ)、セリオーク大学(イギリス)等で聴講する。 帰国後、夫・巌が福島経済専門学校(現福島大学経済経営学類)教授に就任したことにより福島県に移り、福島高等女学校で教鞭を執る。
天野 藤男(あまの ふじお、1887年(明治20年)9月25… 天野 藤男(あまの ふじお、1887年(明治20年)9月25日 - 1921年(大正10年)10月10日)は、日本の社会事業家、教育者。処女会創設者。 1887年(明治20年)、静岡県庵原郡庵原村(現・静岡市)に生まれる。1907年(明治40年)、静岡県立静岡中学校卒業。庵原小学校の代用教員を務める。宮内省に出仕していた漢詩人国府種徳(犀東)に才能を認められて内務省嘱託となり、同省の地方局に勤務。青年団や処女会の指導に当たり、1918年(大正7年)、処女会中央部を結成して雑誌「処女の友」や「青年団及び処女会」「大正新処女読本」などを発行・編集。 また、映画「都に憧れて」(監督:金森萬象)を製作し好評を博すなど、処女会の普及・発展に大きく貢献した。
斎藤 文蔵(さいとう ぶんぞう、1886年(明治19年)7月… 斎藤 文蔵(さいとう ぶんぞう、1886年(明治19年)7月23日 - 1930年(昭和5年)11月6日)は、日本の歴史学者・教育者。 静岡県沼津市出身。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)、東京帝国大学文科大学を卒業。維新史料編纂事務局に勤務の後、島津公爵家史料編輯所に勤務した。1922年(大正11年)、山形高等学校教授に就任し、1927年(昭和2年)に東京女子高等師範学校教授・附属高等女学校主事となり、第六臨時教員養成所講師も兼ねた。
奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉-… 奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉- 1947年11月20日)は、日本の英文学者、英語教育者、翻訳家。山口高等商業学校(現・山口大学)教授、立教学校(現・立教大学)英語教授。多くの編著があり、英語教科書や青年英文学叢書など広く読まれた。 1872年5月(明治5年4月)、静岡県伊豆生まれ。兄は静岡県人・奈倉新一郎。 伊豆学校で学んだ後、東京へ出て、東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)で修学する。英国人アーサー・ロイド(立教学院総理)、米国人ジエーキンボル両氏に就いて英語及び英文学を修める。 1890年(明治23年)、郷里に戻って伊豆学校の英語教師となる。その後、再び東京へ出て、1891年(明治24年)、私立錦城学校英語専攻科を卒業。
吉岡 彌生(よしおか やよい、新字体 : 吉岡 弥生、187… 吉岡 彌生(よしおか やよい、新字体 : 吉岡 弥生、1871年4月29日〈明治4年3月10日〉 - 1959年〈昭和34年〉5月22日)は、日本の教育者、医師。位階は正五位。勲等は勲二等。東京女医学校(現・東京女子医科大学)創立者。東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。旧姓は鷲山(わしやま)。 東京女子医科大学の前身である東京女医学校、東京女子医学専門学校を創設し、女性医師の養成や医学の教育・研究の振興に尽力した。津田梅子(津田塾大学創立者)、安井てつ(東京女子大学創立者)、鳩山春子(共立女子学園創立者)、跡見花蹊(跡見学園創立者)、下田歌子(実践女子学園創立者)、横井玉子(女子美術大学創立者)などと並ぶ、日本の女子教育の基盤づくりに活躍した女性教育者である。
松本 君平(まつもと くんぺい、明治3年4月10日(1870… 松本 君平(まつもと くんぺい、明治3年4月10日(1870年5月10日) - 昭和19年(1944年)7月28日)は、静岡県出身のジャーナリスト、政治家、教育者、思想家。文学博士、衆議院議員。 妻は旧土佐藩士・岡内重俊の娘「壽(ひさ)」。 遠江国小笠郡中内田村(現:静岡県菊川市)の初代村長・松本丑太郎の二男として中内田村213番地に生まれる。幼名は貞次郎。母は木佐森茂助の三女「幸(こう)」。長じて岡田淡山の私塾・冀北学舎で国学・漢学・英語を3年間学んだ後、東京に遊学した。 1887年(明治20年)8月31日、名を「君平」と改める。 1890年(明治23年)9月11日、兄・栄太郎が廃嫡し、同月17日、静岡県佐野郡西郷村の松浦五平治の養子となって家を出た為、君平が惣領息子となる。
秋鹿 見橘(あいか けんきつ、1869年11月20日(明治2… 秋鹿 見橘(あいか けんきつ、1869年11月20日(明治2年10月17日) - 1954年(昭和29年)12月8日)は、明治から昭和時代前期の教育者。師範学校校長を歴任した後、沼津精華学園を創設。「我が国教育の急務は女子教育にあり」として、女子教育に尽力した。 1869年、徳川家とともに静岡に移った幕臣・秋鹿見山の長男として、沼津城下の棟割長屋に生まれる。沼津兵学校ゆかりの集成舎(沼津小学校)に学び、江原素六が設立し米山梅吉が学んだ私立沼津中学校を経、県立静岡師範学校に進み、1887年年3月29日、静岡県尋常中学校卒業。 上京して1888年4月、高等師範学校文学科に入学、1891年卒業。新潟県師範学校、及び各地の師範学校に勤務。
塚本 ハマ(つかもと ハマ、1866年7月31日(慶応2年6… 塚本 ハマ(つかもと ハマ、1866年7月31日(慶応2年6月20日)- 1941年(昭和16年)6月30日)は、日本の女性教育者である。旧姓は小川。 江戸の本郷にてうまれる。幼少時に静岡県に移住し、女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に入学する。入学後両親を失った野口幽香と親交を持ち、欠席時の補佐として携わった。これにより幽香と共に1889年(明治22年)キリスト教に受洗し、卒業後は大阪女子師範学校(後の大阪第一師範学校、現在の大阪教育大学教育学部)にて教鞭を執り、その管理も務めた。後に同学校に勤務する傍ら、梅花女学校(現在の梅花女子大学)の教師も兼任した。 この頃に農学者の塚本道遠と結婚し、6人の子供を産む。
服部 綾雄(はっとり あやお、1863年1月30日(文久2年… 服部 綾雄(はっとり あやお、1863年1月30日(文久2年12月11日) - 1914年(大正3年)4月1日)は、日本の牧師、教育者、政治家である。 1863年(文久2年)駿河国沼津城下に生まれた。明治維新により、1868年(明治元年)沼津藩が上総国市原郡菊間に移封されたので、菊間に移住する。1873年(明治6年)、10歳の時に横浜で遊学し、J・C・ヘボンに書生として住み込み、ヘボン塾で英語を学んだ。 ヘボンより薫陶を受け、キリスト教信仰を持つ。1874年(明治7年)にヘンリー・ルーミス宣教師より洗礼を受ける。1880年(明治13年)築地大学校の創立時に転入する。1882年(明治19年)築地大学校卒業後に大学校の幹事になる。
石川 倉次(いしかわ くらじ、1859年2月28日〈安政6年… 石川 倉次(いしかわ くらじ、1859年2月28日〈安政6年1月26日〉 - 1944年〈昭和19年〉12月23日)は、日本の教育者。ルイ・ブライユが考案した6点点字を基に日本語に翻案して全国を回り点字を広める等、今日の日本語点字の基礎を築き、「日本点字の父」といわれている。 1859年(安政6年)、浜松藩士の父・専七と母・ゑしの子として名残組屋敷(現在の浜松市中央区鹿谷町)に生まれる。8歳から9歳の頃から手習いに通い、現在の高町にあった藩校・克明館に入学し、漢籍や西洋の砲術、英語を学んで、優秀な成績を修めていた。 当時、専七の勤める浜松藩は財政困窮や政局の行方に揺れており、妹ぎんを出産後は病気がちだった母ゑしの体調とともに、少年倉次の心配事となっていた。
間宮 喜十郎(まみや きじゅうろう、嘉永3年3月25日(18… 間宮 喜十郎(まみや きじゅうろう、嘉永3年3月25日(1850年5月6日) - 明治28年(1895年)3月2日)は、駿河国沼津出身の教育者。沼津尋常小学校(現・沼津市立第一小学校)校長。 間宮家は駿河国沼津宿の下本町で本陣を営んでいた家である。嘉永3年3月25日(1850年5月6日)、間宮喜十郎は間宮家の長男として生まれた。生まれ諱は格、通称は喜十郎、後の呼び名は烟雨。父親は間宮喜右衛門。幼少時より聡明だった間宮は、西間門村の實相院の院主である西尾麟角から書法を学び、水野藩士の五十川中に経書を学んだ。 元治元年(1864年)5月には14歳(数え年15)で江戸に出て、林大学頭の門で漢学を学んだ。