加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本… 加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本の労働官僚。元労働事務次官。 愛知県出身。愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1950年に東京大学法学部に入学。1954年に卒業。卒業後に労働省に入省。1972年に職業安定局職業安定業務指導課長、1974年に新潟県商工労働部長、1977年に大臣官房会計課長、1979年に職業安定局失業対策部長、1982年に高齢者対応部長を経て、同年大臣官房長、1983年に職業安定局長、1986年に労働事務次官。 40年ぶりに労働基準法改正案が国会で成立した後の1989年9月に労働事務次官を退任。その後は同省顧問を経て、日本障害者雇用促進協会と全国民営職業紹介事業協会の会長を務めた。
中村 克巳(なかむら かつみ、1930年(昭和5年)3月2日… 中村 克巳(なかむら かつみ、1930年(昭和5年)3月2日 - 2000年(平成12年)2月5日)は、日本の政治家。愛知県常滑市長。業務上横領と受託収賄で逮捕され、2期で辞職した。 愛知県出身。愛知県商業学校(現・愛知県立愛知商業高等学校)卒業。1947年(昭和22年)、常滑町役場に奉職。同町は大野町、西浦町、鬼崎町、三和村と合併し1954年(昭和29年)4月に常滑市が誕生。常滑市役所にて市民病院事務局長、総務部長などを歴任。1979年(昭和54年)、助役に就任。 1987年(昭和62年)4月、常滑市長選挙に立候補し、現職の庭瀬健太郎を大差で破り初当選した。 1988年(昭和63年)3月、市の外郭団体「伊勢湾産業文化振興会」を設立。
大脇 照夫(おおわき てるお、1930年2月23日 - 20… 大脇 照夫(おおわき てるお、1930年2月23日 - 2013年4月28日)は、愛知県犬山市出身のプロ野球選手(投手)・監督。 滝実業高校、名古屋鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズへ入団。 1956年5月3日の中日戦第2試合(中日)で史上24人目のノーヒットノーランを達成するが、80球で奪三振0という珍記録での達成となった。 球団初の7連勝を達成した5月9日の巨人戦(後楽園)では先発しているが、8回一死の場面で初四球を出し、エースの金田正一に交代している。 引退後は古巣・名古屋鉄道管理局の監督となり、1979年にはチームを20年ぶりの都市対抗出場に導いたほか、地元・犬山に少年野球チーム「犬山リトルリーグ」を創設。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
三輪 秀彦(みわ ひでひこ、1930年2月10日 - 201… 三輪 秀彦(みわ ひでひこ、1930年2月10日 - 2018年12月15日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。元明治大学教授。 愛知県名古屋市生まれ。1953年東京大学文学部仏文科卒。國學院大學講師などを経て、1966年に明治大学講師となり、1973年以降助教授、のち教授を2001年まで務めた。 モーリス・ブランショ『死の宣告』、ナタリー・サロート『見知らぬ男の肖像』、マルグリット・デュラス『ジブラルタルの水夫』といった前衛フランス文学のほか、ジョルジュ・シムノン、ジュール・ヴェルヌ、ジェラール・ド・ヴィリエなどの娯楽小説も多く訳した。1963年『内面の都市』で文藝賞佳作となったこともある。日本近代文学などの文芸批評もある。
齊藤 喜幸(さいとう きこう、1930年1月30日 - 20… 齊藤 喜幸(さいとう きこう、1930年1月30日 - 2007年9月6日 )は、日本の経営者。松坂屋社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1951年に三重水産専門学校を卒業し、翌年に松坂屋に入社。1982年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年5月に副社長に就任し、1991年5月に社長に就任。1993年5月に会長に就任し、1997年までに務めた。 中京テレビ放送非常勤取締役も務めた。 2007年9月6日胃がんにより、死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加藤 延夫(かとう のぶお、1930年〈昭和15年〉1月25… 加藤 延夫(かとう のぶお、1930年〈昭和15年〉1月25日 - 2025年〈令和7年〉5月7日)は、日本の細菌学者。位階勲等は従三位瑞宝大綬章。医学博士。名古屋大学名誉教授、元総長。愛知県名古屋市出身。 衆議院議長、法務大臣を務めた国会議員加藤鐐五郎の孫婿。 その後、愛知医科大学学長、同理事長。
東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日… 東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。 戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。 1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。 1959年 - 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。
久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)… 久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)は、日本の哲学者。専攻は比較思想論。広島大学名誉教授。国際日本文化研究センター名誉教授。実父は久野朔郎。実弟は小笠原暁、久野暲。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、1952年京都大学文学部哲学科卒業。東洋大学、広島大学、国際日本文化研究センター各教授を歴任した。
都築 利夫(つづき としお、1930年 - )は、日本の農業… 都築 利夫(つづき としお、1930年 - )は、日本の農業経済学者。政治活動家。専門は農業経済学、農業政策。 愛知県常滑市出身。1953年岐阜大学農学部卒業。1961年ドイツ・クリスティアン・アルブレヒト大学キール大学院博士課程修了。1964年酪農学園大学酪農学部農業経済学科助教授。1968年札幌大学経済学部経済学科助教授。1976年第34回衆議院議員総選挙に北海道第5区 (中選挙区)から出馬するも落選。1979年札幌大学を退職し、第35回衆議院議員総選挙に地元の愛知県第2区 (中選挙区)から出馬するも落選。同年、北海学園北見大学商学部商学科教授。1987年北海道広尾郡大樹町の町長選挙に出馬するも落選。
西山 邦彦(にしやま くにひこ / ほうげん、1930年 -… 西山 邦彦(にしやま くにひこ / ほうげん、1930年 - )は、日本の哲学者。浄土真宗の僧。 名古屋市生まれ。京都大学文学部大学院博士課程(哲学専攻)満期退学。真宗大谷派教学研究所所員を経て、近畿大学短期大学部助教授、教授。真宗大谷派金沢教区第六組常徳寺住職、石川県河北郡内灘町に隠棲、親鸞学団―京都―を主宰する。曽我量深に師事した。
伊藤 博(いとう ひろし、1930年 - 2004年1月)は… 伊藤 博(いとう ひろし、1930年 - 2004年1月)は、日本のコーヒー研究家。 愛知県豊橋市生まれ。名古屋大学岡崎高等師範学校(現名古屋大学教育学部)卒業。専攻は植物生態学。 中学・高校の教師を勤めながら、約30年間、コーヒーを科学的視野から研究。日本コーヒー文化学会の設立に尽力し、同学会副会長。日本のコーヒー研究の第一人者と評される。
河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 200… 河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 2006年1月3日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、フリーライター。 筆名に、三田 海彦(ミタ ウミヒコ)、御岳 森彦(ミタケ モリヒコ)、河原 遊酔(かわはら・ゆうすい)。日本ペンクラブ、本の会、痛風友の会、各会員。現代デザイン研究所(旧 河原ゼミナール)を主催。 愛知県刈谷市出身。名古屋工業大学機械科中退。慶応義塾大学国文科中退。文化学院デザイン科卒。1950年代、雑誌「装苑」などでファッションイラストを手がけた。イラストレーター、文筆家として活躍し、傍らNHK文化センターや現代デザイン研究所で後輩プロを育成。 1961年に出版された「イラストレーション・技法とアイディア」に続き、30冊以上の本を出版した。
関山 和夫(せきやま かずお、1929年10月8日 - 20… 関山 和夫(せきやま かずお、1929年10月8日 - 2013年5月9日)は、日本の民俗学者、話芸(落語)研究者、佛教大学名誉教授、元京都西山短期大学学長。 愛知県に生まれる。生家は浄土宗西山派の寺であった。1946年に愛知県立一宮中学校(旧制、4年卒)、1952年に大谷大学国文学科を卒業。卒業後は愛知県で県立高校の教諭となった。教職に就く一方で著作活動も行い、1964年に『説教と話芸』で日本エッセイストクラブ賞受賞。同時期より東海学園女子短期大学助教授となり、後に教授昇進。佛教大学教授となった。1976年に学位論文『説教の歴史的研究』を大谷大学に提出して文学博士号を取得。2000年に佛教大学を定年退任し、名誉教授となった。
内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016… 内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016年12月11日)は、日本の外科医、ジャズ愛好家。愛知県岡崎市出身。名古屋大学医学部卒業。数多くのジャズミュージシャンを支援したことから親しみをこめて「Dr.U(ドクター・ユー)」「Dr.Jazz(ドクター・ジャズ)」と呼ばれる。その膨大なコレクションは、愛知県岡崎市に寄付された。「ジャズの街岡崎名誉顧問」。 1929年10月5日、愛知県岡崎市に産婦人科医院の二男として生まれる。1945年7月、岡崎空襲により家を失い、一家で額田郡岩津町(現・岡崎市岩津町)に疎開する。1947年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1950年、名古屋大学医学部に入学。
山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 20… 山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 2024年10月18日)は、愛知県西加茂郡小原村(現在の豊田市)出身の和紙工芸作家。戦後に小原村で和紙工芸を広めた藤井達吉に師事し、小原工芸紙(小原和紙)を代表する和紙工芸作家で小原和紙工芸の第一人者とされる。現・日工会名誉会長で、プロ野球選手の山内壮馬は親類。2004年には旧小原村(当時)の名誉村民となり、2017年12月に豊田市名誉市民に推挙された。名前の読みは「かずお」だが、作品を制作する際は一貫して「いっせい」を用いており、自身の工房も「山内いっせい(一生)工房」としている他、名誉市民推挙の際の豊田市の資料でも読みは「やまうち いっせい」となっている。
金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )… 金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長を務めた。 愛知県立刈谷高等学校を経て、1954年早稲田大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年トヨタ自動車工業取締役。1986年トヨタ自動車常務取締役。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年からトヨタ自動車取締役副社長を務め、プロジェクト「G21」を立ち上げて次世代自動車の在り方の検討を行うなどした。1994年自動車技術会会長。運輸省運輸技術審議会自動車部会委員等も務めた。
サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず〕、19… サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず〕、1929年9月11日 - 2021年7月31日)は、日本の漫画家。 「平凡なサラリーマンの生活」を描き、「サラリーマン漫画」の創始者と評されるほか、紀行文やエッセイの執筆もおこなった。 愛知県名古屋市生まれ。生家は時計製造販売会社「佐藤時計製作所(サトウクロック)」を営んでおり、サトウの父が大阪で新工場と事務所を手掛けることになったため、2歳から大阪府大阪市天王寺区で育つ。 幼少期は『タンクタンクロー』や『のらくろ』などの児童漫画に親しんだほか、自身でも絵を得意とし、大阪府の図画コンクールで入選したこともあったという。旧制生野中学校入学後は、学徒動員で陸軍造兵廠に徴用され、旋盤工として高射砲用の弾丸製作に従事した。
宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月… 宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月1日 - )は愛知県出身の日本の日本画家。本名は豊。社団法人日展会員を経て日展理事、日春展顧問。 1929年(昭和4年)9月1日、愛知県に生まれる。愛知県立松蔭高等学校卒業。始め川合玉堂、後に奥田元宋に師事。 1962年(昭和37年)「凪」が新日展に入選。以後1993年(平成5年)第25回日展にて日展会員賞、1997年(平成9年)第29回日展にて文部大臣賞。 2004年(平成16年)、2003年(平成15年)第35回改組日展出品作「暮れゆく函館」が平成15年度(第60回)日本芸術院賞。
仙田 左千夫(せんだ さちお、1929年8月16日 - )は… 仙田 左千夫(せんだ さちお、1929年8月16日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(京都大学・論文博士・1976年)(学位論文『イギリス公債制度発達論』)。滋賀大学名誉教授。 1929年8月愛知県に生まれる。1947年愛知県立一宮中学校(旧制)卒業、1949年3月彦根経済専門学校1年修了の後、同年4月滋賀大学経済学部に入学し、1953年3月経済学部経済学科卒業。その後京都大学大学院経済学研究科に進学、1958年3月同研究科博士課程単位取得退学。 1958年より2年間中京大学に勤務。1961年4月滋賀大学経済学部講師として母校に着任し、1964年2月に助教授、1976年4月に教授昇任。1988年4月からは経済学部長を務めた。
山田 克己(やまだ かつみ、1929年7月7日 – 200… 山田 克己(やまだ かつみ、1929年7月7日 – 2000年9月28日)は、日本の政治家、教諭。元愛知県津島市長(3期)。 愛知県津島市出身。生家は歯科医。愛知県立津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)卒業。1951年、岡崎高等師範学校卒業。愛知県立起工業高等学校教諭や愛知県立津島高等学校の教諭、教頭を務め、愛知県立美和高等学校校長などを歴任。 津島市長の井桁克の出納責任者が1987年4月の市長選で現金買収事件を起こし、1988年1月、有罪判決が確定。井桁は連座制の適用により当選が無効とされ、失職が決まる。しかし井桁は失職前に2月1日付で辞職し、すぐにやり直し選挙への出馬を表明した。井桁派の市議15人の多くは海部郡十四山村(現・弥富市)の吉川博参議院議員の家に頻繁に通い、指示を仰いだ。
豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、… 豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、日本の実業家。学位は経営学修士(ニューヨーク大学経営大学院)。トヨタ自動車株式会社相談役、公益財団法人トヨタ財団会長(第2代)、学校法人トヨタ学園理事長(第2代)。
大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月… 大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月10日 - 2001年(平成13年)4月12日)は日本の民族学者。東京大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。東京都生まれ、愛知県育ち。
友松 建吾(ともまつ けんご、1929年 <昭和4年> 5月… 友松 建吾(ともまつ けんご、1929年 <昭和4年> 5月5日 - 2003年 <平成15年> 4月3日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 愛知県名古屋市出身。1952年に東京大学法学部を卒業し、同年に古河電気工業に入社。1977年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、1999年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年4月3日呼吸不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
竹内 昭夫(たけうち あきお、1929年4月29日 - 19… 竹内 昭夫(たけうち あきお、1929年4月29日 - 1996年12月26日)は、日本の法学者。専門は商法・消費者法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「剰余金の資本組入」)。東京大学名誉教授。消費者法という法分野を創設した。1996年日本学士院会員、紺綬褒章・紫綬褒章・勲二等瑞宝章受章。鈴木竹雄門下。弟子に関俊彦、大塚龍児、岩原紳作、神田秀樹、宍戸善一、弥永真生、神作裕之、吉原和志など。 岳父(妻の父)は元東京銀行監査役の斎藤保義。義兄(妻の兄)は元毎日新聞社代表取締役社長・会長の斎藤明。義姉(妻の姉)は国際基督教大学名誉教授の斎藤美津子。 愛知県知多郡阿久比村(現阿久比町)出身。
尾関 清子(おぜき きよこ、1929年4月28日 - )は、… 尾関 清子(おぜき きよこ、1929年4月28日 - )は、縄文時代の布に関する研究を行う日本の考古学者。東海学園女子短期大学(現・東海学園大学)名誉教授。 縄文時代に編布が存在し、縄文人が毛皮ではなく布の服を着ていたらしいことを明らかにした。 愛知県江南市出身。古知野高等実践女学校を卒業後、大学に進学せず、手芸の学校を出た後に銀行員などをしていたが、手芸好きが高じて銀行を辞めて手芸教室を始め、作品展を開催したところ評判となり、1964年に東海学園女子短大の手芸の講師に採用される。後に東海学園女子短大助教授となり、生活文化史の研究などを行っていた。名古屋工業大学工業化学科に内地留学した。 1987年、縄文土器などを作るときに使われていた、縄文時代の編布(アンギン)に出会ったことがきっかけとなり、手芸の講師から考古学者に転じる。
藤本 淳雄(ふじもと あつお、1929年2月22日 - 20… 藤本 淳雄(ふじもと あつお、1929年2月22日 - 2021年8月10日)は、日本のドイツ・オーストリア文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校から、1951年東京大学独文科卒、東京大学大学院研究奨励学生前期修了。1961年東京大学教養学部講師、助教授、教授、1989年定年退官、成城大学教授、1999年退職。 2021年8月10日、心不全・腎不全のため死去。92歳没。死没日をもって従四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈される。
榊原 胖夫(さかきばら やすお、1929年1月23日 - 2… 榊原 胖夫(さかきばら やすお、1929年1月23日 - 2013年7月24日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。 名古屋市生まれ。1952年同志社大学経済学部卒、54年同大学院経済学研究科修士課程修了、同志社大学経済学部助手。1954年アマースト大学大学院、1956年ハーバード大学大学院に学ぶ。 1957年帰国、1958年同志社大学経済学部専任講師、1960年助教授、1966年教授。1993年定年、名誉教授、帝京平成大学情報学部教授。大阪商業大学商経学部教授。関西外国語大学教授。1988-90年日本アメリカ学会会長、のち名誉会員。交通経済学。
亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - 2021… 亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - 2021年10月)は、浄土真宗の在家信徒、仏教評論家。 名古屋市生まれ。愛知県立商業学校(現愛知県立愛知商業高等学校)卒業。税官吏、工場経営、会社役員。1957年からたばこ店を経営、千代田ショップ社長。 1950年代より名古屋市真宗大谷派珉光院同朋会で聞法を始め、1965年名古屋東別院刊行の『名古屋御坊』を編集。 1978年から2009年まで東本願寺『同朋新聞』編集委員。NHK教育テレビ「こころの時代」の司会者も務める。
後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 2020年9… 後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 2020年9月9日、後藤 秀美でも活動 )は昭和・平成時代のからくり人形師。 現在、日本で本格的な「からくり人形師」として活動しているのは、九代目玉屋庄兵衛ほか数名しかおらず、後藤大秀はその一人である。全国的に知られた大垣祭、大津祭といった祭りの、「山車からくり(だしからくり)」の完全復元や修復を多く手がける。(この場合の復元とは、昔の人形を基に全く同じ姿形の人形を新しく制作する事。修復とは、昔の人形の破損した箇所だけを作り直す事。)なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形はすでに紛失しており、古い写真一枚と古老の証言のみを基に制作をした。
鵜飼 一郎(うかい いちろう、1928年(昭和3年)12月2… 鵜飼 一郎(うかい いちろう、1928年(昭和3年)12月28日 - 2006年(平成18年)10月16日)は、日本の政治家。愛知県春日井市長(4期)。全国市長会副会長、東海市長会会長などを歴任。位階は正五位。旭日中綬章受章。 愛知県東春日井郡坂下町(現・春日井市)生まれ。愛知県明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)卒業。1944年(昭和19年)、旧坂下町役場に奉職。1958年(昭和33年)1月1日、春日井市は坂下町と高蔵寺町を編入。市長公室長、助役などを歴任。 1990年(平成2年)、春日井市長の鈴木義男が翌年の市長選不出馬を明らかにし、後継として鵜飼が立候補する意向を表明。同年10月、助役を辞任した。
福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月… 福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉11月19日)は、日本の童話作家。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立東白壁小学校、愛知県立明倫中学校、第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部国文科卒業。大学在学中は小説を1か月に原稿用紙千枚以上必ず[要出典](200枚程度)書いていたという。大学卒業後は文筆生活に入り、純文学、児童文学、ミステリなどジャンルを問わず様々な文学賞に応募をし続けた。1946年より静岡県熱海市に移住し、生涯在住した。 1956年に「赤い鴉」で、黒岩松次郎(後の団鬼六)らを抑えて文藝春秋の第9回オール新人杯を受賞。 代表作は、1964年に第5回講談社児童文学新人賞を受賞した『クレヨン王国の十二か月』。
加藤 正一(かとう まさいち、1928年(昭和3年)10月2… 加藤 正一(かとう まさいち、1928年(昭和3年)10月25日 - )は、日本の政治家。元愛知県豊田市長(3期)。 愛知県西加茂郡挙母町土橋(現・豊田市土橋町)に生まれる。父親は農業と大工を営んでいた。挙母尋常高等小学校(現・豊田市立童子山小学校)卒業。希望の予科練には入れず、農業の手伝いをしているときに終戦を迎える。挙母町立青年学校に入学。 土橋の区長に「役場で人が足りないから入らないか」と誘われ、学業のかわたら1947年(昭和22年)7月、挙母町役場に入所した。履歴書を持って行った翌日から農地委員会に配属された。課長以下5~6人で、地主の農地を小作人に払い下げる業務に当たった。「地主から単価いくらで買い取った覚えがない。
大澤 省三(おおさわ しょうぞう、1928年10月2日 - … 大澤 省三(おおさわ しょうぞう、1928年10月2日 - 2022年5月27日)は、日本の生物学者。専門は、分子遺伝学。学位は、理学博士(名古屋大学)。名古屋大学及び広島大学名誉教授。 1984年、バクテリアの1種のマイコプラズマが、変則的な遺伝暗号を使っていることを発見。この現象を説明する学説としてコドン捕獲説を提唱したことで知られる。2022年5月27日に病気のため死去したことが6月1日に報道された。
澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 201… 澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 2018年5月21日)は、日本の実業家。丸栄代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部百貨店協会会長などを務めた。 愛知県出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1949年名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業、東海銀行入行。東海銀行専務などを経て、1986年丸栄副社長。1989年丸栄社長。1996年キタン会会長。1998年丸栄会長。2001年退任。中部百貨店協会会長なども務めた。2018年肺炎のため死去。享年89。
村井 修(むらい おさむ 1928年(昭和3年)9月27日 … 村井 修(むらい おさむ 1928年(昭和3年)9月27日 - 2016年(平成28年)10月23日)は日本の写真家。 愛知県半田市出身。愛知県立第七中学校(現・愛知県立半田高等学校)を経て、1950年東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業。 建築や彫刻を被写体とした写真家活動を始め、東京で独立。小田仁二郎、瀬戸内晴美(寂聴)らによる同人誌「Z」の表紙(写真)を担当する。新旧東京都庁舎ほか一連の丹下健三の建築、白井晟一の作品など数多くの建築物を撮影し、1980年代には数年間に及ぶ京都迎賓館の撮影を手掛けた。シドニー・オペラハウス、関西国際空港、中部国際空港、東京駅などの写真を撮影・発表している。
鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日… 鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日本の医師、教育学者。青山学院大学名誉教授。 愛知県出身。1945年(昭和20年)旧制愛知県立津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)卒業。1953年(昭和28年)慶應義塾大学医学部卒業。 1954年(昭和2年)12月から1960年(昭和28年)3月まで慶応堂病院に在籍。この後、転出して東京医科歯科大学第二内科学講師。後に青山学院大学公衆衛生学教授、青山学院診療所長を務める。現在は青山学院大学名誉教授。
日比 賢昭(ひび よしあき、1928年9月15日 - 201… 日比 賢昭(ひび よしあき、1928年9月15日 - 2012年9月29日)は、日本の経営者。サンゲツ社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1947年に旧制名古屋中学校を卒業し、同年に家業の山月堂商店(のちのサンゲツ)に入社。1953年に常務に就任し、1963年に専務を経て、1965年に社長に就任。2012年9月に会長に就任。 2009年4月に旭日小綬章を受章 2012年9月29日心不全のために死去。84歳没。
杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 200… 杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 2008年3月11日)は、日本の数学者。理学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。1946年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。1953年、東京大学理学部数学科卒業。1961年、理学博士。東京大学教養学部助教授、教授、1989年、定年退官、名誉教授。1989年、津田塾大学学芸部教授。2003年より津田塾大学理事。2008年3月11日に死去。79歳没。 俳優杉浦直樹は従兄弟である。
後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 202… 後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 2024年1月15日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1968年)。神戸商科大学名誉教授・元学長。2006年瑞宝中綬章受章。 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学経済学部卒業。1954年同大学院修了、名古屋大学助手、1957年神戸商科大学講師、1959年助教授、1965年教授、1968年「企業の投資決定論」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1986年学長。1990年定年退任、名誉教授、追手門学院大学経営学部教授。2001年日本経営財務研究学会会長。2006年瑞宝中綬章受章。
森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 200… 森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 2005年5月29日)は、日本の数学者。専門は代数幾何。学位は、理学博士(名古屋大学・1957年)(学位論文「アーベル多様体について」)。名古屋大学名誉教授。 1928年愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校卒。1951年名古屋大学理学部数学科を卒業。1954年まで名古屋大学大学院に在学。1954年名古屋大学理学部助手。1957年名古屋大学講師。1959年名古屋大学助教授を経て、1964年名古屋大学理学部教授。1992年名古屋大学名誉教授。日本学術会議において数学研究連絡委員会を勤めた。1993年4月から1998年9月まで会津大学コンピュータ理工学部総合数理科学センター教授。
水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 201… 水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 2014年5月3日)は、日本の服飾デザイナー。愛知県名古屋市出身。
稲葉 郁三(いなば いくぞう、1928年7月12日 - )は… 稲葉 郁三(いなば いくぞう、1928年7月12日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
池原 謙一郎(いけはら けんいちろう、1928年7月6日 -… 池原 謙一郎(いけはら けんいちろう、1928年7月6日 - 2002年3月15日)は、日本の造園家。環境デザイナー。ランドスケープデザインの研究者。 筑波大学芸術専門学群で教壇にたちデザインを指導する一方で、公園等の作品を残す。造形美を追求したアート感覚の公園を設計、さらに同世代の造園・環境デザインを担う仲間と活動を積極的に展開し、戦後造園設計界の中心的存在となった。 また一方で、サッカー日本代表のサポーター組織「日本サッカー狂会」を立ち上げ、長く日本のサッカーを支援、現在はバレーボールの応援で有名なフレーズ「日本チャ、チャ、チャ」の応援スタイルを考案した。 愛知県名古屋市に生まれ、津島で育つ。
立川 洋三(たつかわ ようぞう、1928年7月5日 - 20… 立川 洋三(たつかわ ようぞう、1928年7月5日 - 2011年10月11日)は、日本のドイツ文学者。立教大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。東京大学文学部独文科卒業。立教大学文学部独文科にて助教授、教授を務めて1994年に退職し、名誉教授。 1964年には「ラッペル狂詩曲」で芥川賞(下期)候補に上った経歴を持ち、大学教授を引退した後に小説執筆を再開した。 2011年10月11日、胃癌のため神奈川県横浜市鶴見区の病院で死去。83歳没。
宇野 善康(うの よしやす、1928年6月8日-2015年3… 宇野 善康(うの よしやす、1928年6月8日-2015年3月11日)は、日本の社会心理学者。 愛知県豊田市出身。1958年慶應義塾大学大学院博士課程満期退学、慶大文学部助手、1962年講師、1964年助教授、1969年「革新的アイデアの開発普及過程に関する研究 コミュニケーション科学的観点からのアプローチ」で社会学博士。1971年教授、1972年同社会学研究科教授、1994年定年退任、名誉教授、愛知淑徳大学教授。2004年退職。普及学、イノベーション理論を研究した。宇野の「革新的アイデア」はイノベーションに対応する邦訳語であり、技術革新よりも広い原義を表している。
稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928… 稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928年〈昭和3年〉3月28日 - 2009年〈平成21年〉3月5日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、国務大臣北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官などを歴任。 愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市)の仕出し料理屋「新黒」に生まれる。愛知県立西尾実業学校(現・愛知県立鶴城丘高等学校)、愛知県岡崎中学校特設科(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に中垣国雄が旧愛知4区から立候補。このとき一色町出身の池田駒平県議から頼まれ、中垣の選挙を手伝う。「新生日本を築くのはこの人だ」と確信を深めた稲垣は1948年春に上京。
勝田 吉太郎(かつだ きちたろう、1928年2月5日 - 2… 勝田 吉太郎(かつだ きちたろう、1928年2月5日 - 2019年7月22日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授、奈良県立大学名誉教授、鈴鹿国際大学名誉学長。専門はロシア政治思想史、ロシア精神史、アナーキズム。法学博士(京都大学)。 愛知県名古屋市生まれ。刑法学の瀧川幸辰に師事した(政治思想史講座の前任は恒藤恭)。 1944年名古屋市立名古屋商業高等学校卒業、1947年大阪外事専門学校卒業。1951年京都大学法学部卒業、同助手。1953年京都大学法学部講師、1954年助教授。1962年3月、京都大学にて「近代ロシヤ政治思想史 西欧主義とスラブ主義」で法学博士の学位を取得。1964年7月教授、1962年コロンビア大学ロシア研究所客員教授、1977年北海道大学スラブ研究センター兼任教授、1981年金沢工業大学工学部客員教授。
白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日… 白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日 - 2024年〈令和6年〉10月29日)は、愛知県渥美郡田原町(現:田原市)出身の日本の新聞記者、実業家。株式会社中日新聞社顧問名誉会長。株式会社中日ドラゴンズ名誉オーナー。 株式会社中日新聞社代表取締役社長・会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長、東海テレビ放送取締役、名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事を歴任した。 愛知県成章中学校(現:愛知県立成章高等学校)、静岡高等学校(現:静岡大学)を卒業後、1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社する。
立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )… 立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )は、日本の経営者。井村屋社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1952年に名古屋大学法学部政治学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1977年に井村屋取締役に就任し、1979年に常務、1983年に専務、1985年に社長に就任。1991年に会長を経て、1997年6月に取締役相談役に就任。