伊藤 徳也(いとう のりや、1962年3月- )は、中国文学… 伊藤 徳也(いとう のりや、1962年3月- )は、中国文学者、東京大学教授。 三重県亀山市出身。私立高田高校卒、1984年東京大学文学部中国文学科卒、1989年同大学院博士課程中退、1987-89年北京大学に学ぶ。1989年東大文学部助手、1991年國學院大學文学部講師、1993年助教授、1995年東大総合文化研究科准教授(比較文学比較文化)、2012年教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、… 千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、日本の日仏比較文学者、日本近現代文学者、文芸評論家。大東文化大学教授。 三重県生まれ。三重県立桑名高等学校卒、1984年東京大学文学部仏文科卒、1986年同大学院比較文学比較文化修士課程修了、1990年東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。1992年東北芸術工科大学講師、1995年「文学の位置─森鷗外試論」で群像新人文学賞受賞。1996年東北芸術工科大学助教授、2005年拓殖大学商学部教授、2014年大東文化大学文学部教授。2015年『宮沢賢治』で島田謹二記念学藝賞受賞。
三浦 佑之(みうら すけゆき、1946年〈昭和21年〉8月2… 三浦 佑之(みうら すけゆき、1946年〈昭和21年〉8月21日 - )は、日本の日本文学者。専門は、古代文学・伝承文学。千葉大学名誉教授。 三重県美杉村(現津市)出身。三重県立津高等学校卒業、成城大学文芸学部卒業。同大学院博士後期課程単位取得退学。 共立女子短期大学、千葉大学教授を経て、立正大学文学部文学科(日本語日本文学専攻コース)教授。2013年4月より同大大学院文学研究科長。2017年3月に同大を定年退職。 もともとは近代文学を専攻しようと思っていたが、成城大学在学中、万葉学者中西進のヤマトタケルの講義を聞いて感銘を受け、中西進に師事し古代文学を専攻した。吉本隆明『共同幻想論』の影響もあり『古事記』や『遠野物語』の民俗学的研究にも関心をもつ。
池田 雅之(いけだ まさゆき、1946年 - )は、日本の英… 池田 雅之(いけだ まさゆき、1946年 - )は、日本の英文学者、比較文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。専門はT・S・エリオットや小泉八雲(Lafcadio Hearn)研究を通じた比較文学・比較文化研究。 早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授、早稲田大学国際言語文化研究所所長を歴任した。 三重県尾鷲市生まれ。1950年、両親とともに上京して葛飾で育った。1970年、早稲田大学文学部英文科卒業。在学中、詩誌『ペガサス』に参加して窪田般弥の目に留まり、自ら創刊した『Epicure』は吉野弘から高く評価された。1968年から1年間、ブダペスト大学へ留学している。1976年、明治大学大学院文学研究科博士課程後期課程満期退学。
柏木 隆雄(かしわぎ たかお、1944年8月10日 - )は… 柏木 隆雄(かしわぎ たかお、1944年8月10日 - )は、フランス文学者、大阪大学名誉教授、前大手前大学学長。オノレ・ド・バルザック、ジュール・ルナールの研究が専門だが、日本文学にも造詣が深い。 三重県生まれ。三重県立松阪工業高等学校工業化学科を卒業、住友金属工業に入社、中央研究所勤務の後、1969年大阪大学文学部仏文科卒、75年同大学院満期退学、神戸女学院大学専任講師、助教授、1983年大阪大学文学部助教授、91年教授、2004-06年大学院文学研究科長、文学部長。2008年定年退任、名誉教授。2008-11年放送大学大阪学習センター所長、2011年大手前大学副学長、12年-16年学長。 2001-05年日本フランス語フランス文学会副会長、06-09年同関西支部長、09-13年日本フランス語フランス文学会副会長、13年-15年同会長。
出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 201… 出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 2019年8月2日)は、日本の英文学者、英国文化研究家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 三重県松阪市生まれ。1953年早稲田大学教育学部英語英文科卒業、同副手。1955年早稲田大学大学院修了。1963年早大教育学部講師、1966年助教授、1971年教授、2000年に退職後、名誉教授。2009年春、瑞宝中綬章受勲。 1963年、大英博物館研究員として渡英。その後も、オックスフォード大学キャンピオン・ホール(Campion Hall)上級客員教授などとして、たびたびイギリスに滞在する。 ジョン・キーツをはじめとするイギリス・ロマン派についての研究業績や、『キーツ全詩集』などの訳業も多い。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1… 富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1月)は、日本の国文学者。 三重県津市生まれ。京都帝国大学文学部国文科卒。高野山大学教授、皇學館大學教授、四天王寺女子大学教授、四天王寺国際仏教大学教授、副学長。1971年「伊賀蕉門の研究と資料」で大谷大学文学博士。71年同著で芭蕉祭文部大臣賞受賞。1989年中村元東方学術賞・東方文化賞受賞。近世俳諧、特に芭蕉が専門。
小西 甚一(こにし じんいち、1915年〈大正4年〉8月22… 小西 甚一(こにし じんいち、1915年〈大正4年〉8月22日 - 2007年〈平成19年〉5月26日)は、日本の文学者(日本中世文学、比較文学)。文学博士(東京文理科大学・論文博士・1954年)。筑波大学名誉教授。 東京高等師範学校、東京文理科大学国語国文科、同研究科を卒業後、東京教育大学教授、筑波大学教授、筑波大学副学長を歴任。米国に長く滞在し、日本文学の国際化や学問の輸入に貢献した。『古文研究法』の執筆など、大学受験指導の啓蒙でも知られる。 1951年(昭和26年)、『文鏡秘府論考』により日本学士院賞を受賞。1987年(昭和62年)、勲二等瑞宝章。1999年(平成11年)、文化功労者。 三重県宇治山田市船江町(現・三重県伊勢市船江)に生まれる。
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 199… 駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授などを歴任した。 1914年1月14日、父の勤務地の大阪府大阪市に生まれる。本籍は三重県安濃郡多門村(現在は津市)で、家は明治23年(1890年)の名簿によると地価総額3036円余りの素封家だった。兄は父の姉の家を継いだ美術史家の谷信一。父の転勤で広島、金沢、東京と移動したのち、津で祖父母に育てられ、津中学校卒業、旧制山形高校を経て1940年東京帝国大学文学部支那文学科卒業。 1941年旧制松江高校教授となるが、1942年召集されて支那に出征、捕虜となり共産党の工作員と誤認されて死刑宣告を受けるが日本人と分かり釈放。
田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 200… 田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 2002年4月17日)は、日本の国文学者・国語学者・教育者。学位は、文学博士(國學院大学・1961年)。國學院大学名誉教授、元国学院女子短期大学初代学長。三重県亀山市生まれ。東京都育ち。田邊正男とも表記される。 国語学者として中学校・高等学校の多くの国語教科書・古文教科書・指導要領の策定に関わった この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
梅川 文男(うめかわ ふみお、1906年〈明治39年〉4月9… 梅川 文男(うめかわ ふみお、1906年〈明治39年〉4月9日 - 1968年〈昭和43年〉4月4日)は、日本の政治家・プロレタリア文学者・労農運動家。三重県松阪市の第6代市長を歴任。 田村元(元衆議院議長・自民党最高顧問)の先輩にあたり、小津安二郎(映画監督)の後輩にあたる。また「堀坂山行」の筆名で多くの詩やエッセイ本を発表している。 1906年(明治39年)4月9日、飯南郡松阪町大字新町(現・松阪市新町)に生まれる。その後、三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)を卒業する。 1924年(大正13年)、松阪第二尋常小学校代用教員となる。1926年(大正15年)、松阪第一尋常小学校に転勤し、準教員となる。
柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 19… 柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。
澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年〈明治23年〉7月… 澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年〈明治23年〉7月12日 - 1968年〈昭和43年〉10月14日)は、日本の国文学者、万葉学者。京都大学名誉教授。学位は、文学博士。 1890年(明治23年)、三重県度会郡宇治山田町(現:三重県伊勢市)で生まれた。三重県立第四中学校(現:三重県立宇治山田高等学校)・第三高等学校を経て、京都帝国大学文科大学に進学。文学科国文学専攻で学び、1915年に卒業。 第五高等学校教授を経て、1922年に京都帝国大学文学部助教授に就いた。1935年、学位論文『上代歌謡ノ作者及ビ時代考』を京都帝国大学に提出して文学博士の学位を取得。翌1936年に教授昇格。1951年、京都大学教授を辞職し、京都大学名誉教授となった。
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年… 佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位。勲六等。文学博士。日本学士院会員。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 一時は桂園派に連なる歌を詠んだが、和歌改良の風潮に接して革新の気風を抱き、1897年(明治30年)頃から独自の歌境をうち立て、有望な新星として注目された。「ひろく、ふかく、おのがじし」をモットーとし[要出典]、新詩社系、根岸短歌系双方との交流を深めた。 国文学者としての実績も豊富で、特に『万葉集』の研究で有名。 三重県鈴鹿郡石薬師村(現在の鈴鹿市石薬師町)で、国学者で歌人の佐々木弘綱の長男として生まれる。