岩田 奎(いわた けい、1999年7月26日 - )は、日本… 岩田 奎(いわた けい、1999年7月26日 - )は、日本の俳人。「群青」同人。 京都府京都市生まれ。祖父は哲学者の加藤尚武。 2015年、開成高校に入学し、俳句部で顧問の佐藤郁良のもと句作を開始する。第19回俳句甲子園に出場し、団体三位となる。 翌年、2016年の第20回俳句甲子園では団体優勝し、「旅いつも雲に抜かれて大花野」が最優秀句に選ばれる。東京大学に進学し、「群青」に入会。東大俳句会の共同幹事を務める。 2018年、第10回石田波郷新人賞受賞。 2019年、「百合山羽公の祝祭性-稚児とダンサーをめぐって」で第6回俳人協会新鋭評論賞受賞。 2020年には「赤い夢」50句で第66回角川俳句賞を受賞。
桑原 亮子(くわはら りょうこ、1980年 - )は、日本の… 桑原 亮子(くわはら りょうこ、1980年 - )は、日本の脚本家、歌人。 京都府京都市出身、在住。早稲田大学第一文学部卒業。シナリオ・センター大阪校出身(60期)。中途失聴による重度の聴覚障害を持つ。 小学6年生の頃よりだんだん耳が聞こえにくくなり、中学進学後に原因不明の感音性難聴と診断される。兵庫県西宮市の私立中学に進学し同市内の祖母宅に下宿して学校に通い、中学2年時には阪神・淡路大震災で被災している。 大学進学後はハンディキャップを補いたいとして弁護士資格の取得を目指すものの、難聴がさらに悪化して20歳を迎える頃には人の声が全く聞き取れなくなる。弁護士の夢を諦めかけた時に書店の店頭で一般の人が投稿した詩・童話を掲載する文芸雑誌に出会い、「もしかしたら、書けるのではないかな」と大学在学中より童話や詩を書いて出版社へ投稿を始め、童話が雑誌に掲載されたことで「書く仕事をしたい」と決心する。
千原 ジュニア(ちはら ジュニア、1974年〈昭和49年〉3… 千原 ジュニア(ちはら ジュニア、1974年〈昭和49年〉3月30日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、俳人、YouTuber、アーティスト。吉本興業所属。お笑いコンビ千原兄弟のボケを担当。相方は実兄の千原せいじ。本名および旧芸名は千原 浩史(ちはら こうじ)。京都府福知山市出身。既婚。3児の父。 1974年、生誕。兄(せいじ)と妹がいる二男として爆誕。京都共栄学園中学校卒業。京都共栄学園高等学校中退。大阪NSC8期生であるが、卒業には至っていない(卒業経歴がない)。 1990年、千原兄弟として活動開始。 1995年、急性肝炎で倒れて病院に運ばれ、一命はとりとめたが一時は意識不明となる。
奥田 亡羊(おくだ ぼうよう、1967年6月5日 - 202… 奥田 亡羊(おくだ ぼうよう、1967年6月5日 - 2025年4月11日)は、日本の歌人。歌誌『心の花』編集委員(2000年 - 2024年)。現代歌人協会理事(2017年 - 2021年)。相模女子大学、早稲田大学講師。朝日カルチャーセンター新宿校講師。篤志面接委員 。本名は奥田 尚良(おくだ たかよし)。 京都府京都市出身。祖父は俳誌『高原』を主宰した口語自由律俳人・俳画家の奥田雀草。 聖光学院中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部卒業。1991年、テレビ局に入社し、文化・教育番組を制作(2002年退社)。担当番組で佐佐木幸綱と出会ったことがきっかけで、1999年、歌誌『心の花』に入会。
林 和清(はやし かずきよ、1962年3月14日 - )は、… 林 和清(はやし かずきよ、1962年3月14日 - )は、日本の歌人。京都府京都市出身・在住。「玲瓏」選者、現代歌人集会理事長、現代歌人協会会員。 佛教大学文学部国文学科卒業。大学では中世和歌を専攻。また、京都大学短歌会に所属し、梅内美華子、吉川宏志、島田幸典らとともに活動。23歳で創刊まもない「玲瓏」に入会、塚本邦雄に師事。1989年、「未来歳時記」30首で第32回短歌研究新人賞次席。1991年、第一歌集『ゆるがるれ』で現代歌人集会賞受賞。NHK文化センター、毎日文化センター、よみうり文化センターなどのカルチャーセンターで、万葉集、源氏物語、枕草子などの講座を担当している。2024年、宮中歌会始に陪聴として参内する。
川本 千栄(かわもと ちえ、1962年 - )は、歌人。京都… 川本 千栄(かわもと ちえ、1962年 - )は、歌人。京都府京都市出身。同志社大学文学部英文学科卒業。「塔」編集委員。現代歌人協会会員。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
河野 美砂子(こうの みさこ、1956年 - )は、日本のピ… 河野 美砂子(こうの みさこ、1956年 - )は、日本のピアニスト、歌人。 1956年、京都府京都市に生まれる。5歳からピアノを始める。京都市立堀川高等学校音楽科を経て京都市立芸術大学音楽学部卒業後、ロサンゼルスやウィーンに留学。井上直幸、ピヒト=アクセンフェルトらに師事する。1988年、淡路島国際室内楽コンクール優秀賞を受賞。1992年「塔」入会。1995年から京都市立芸術大学音楽学部のピアノの非常勤講師を務める。1995年、「夢と数」で第41回角川短歌賞受賞。2004年、歌集『無言歌』により、第5回現代短歌新人賞。2016年、歌集『ゼクエンツ』により、第12回葛原妙子賞。
大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3… 大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3日 - 2023年(令和5年) 4月28日)は、日本の俳人。京都府出身。 舞鶴町(現舞鶴市)生まれ。1954年、府立西舞鶴高校に入学、「鶴」門の工藤雄仙が主宰する「飛翔」に誘われ句作を開始。1956年ごろ「鶴」に入会。石田波郷、石塚友二、星野麦丘人に師事する。1957年、和歌山大学に入学。学生サークルの俳句研究会に所属し、一時「天狼」にも投句した。子育てのために句作を一時中断後、1981年に鶴俳句賞を受賞、「鶴」同人。 1984年、「遊ぶ子の」50句により第30回角川俳句賞を受賞。1986年、句集『群萌』により第10回俳人協会新人賞を受賞。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - … 安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。
飯島 晴子(いいじま はるこ、1921年〈大正10年〉1月9… 飯島 晴子(いいじま はるこ、1921年〈大正10年〉1月9日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、俳人。 京都府出身、京都府立京都第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)、田中千代服装学院卒。卒業後は服飾関係の仕事に従事。1959年、夫の代理で『馬酔木』の俳句会に出席したことをきっかけに38歳から句作をはじめる。能村登四郎の指導を受け、1960年より『馬酔木』に投句。1964年、『鷹』創刊より同人、代表同人の藤田湘子(のち主宰)を補佐した。1966年、第1回鷹俳句賞を受賞、以後同結社の代表作家として活躍。1970年より現代俳句協会会員。1997年、第六句集『儚々』(ぼうぼう)により第31回蛇笏賞を受賞。
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 201… 加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。 京都府綾部市生まれ。旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。1938年、國學院大學卒業。 その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。戦後は浦和中学校の教諭に復帰。1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月2… 和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月16日)は、日本近代文学研究者、歌人。 京都府京都市生まれ。立命館大学法文学部国文学科卒。立命館中学校教諭、立命館大学予科教授、1949年(昭和24年)立命館大学助教授、1956年(昭和31年)同大学教授。1976年「近代文学創成期の研究 リアリズムの生成」で立命館大文学博士。1979年退任、名誉教授、大谷女子大学教授。1983年退職。1985年、勲三等瑞宝章受章。1999年、肝臓癌のため死去。 歌誌『ポトナム』同人。筆名・周三。小泉苳三に師事。門下に上田博など。
瀬野 修(せの おさむ、1908年 - 1995年)は、日本… 瀬野 修(せの おさむ、1908年 - 1995年)は、日本の教師、兵士、歌人、作家。択捉島に出征後、敗戦後シベリアにて抑留中に和歌集『白樺日誌』を書き、日本に持ち帰ったことで知られる。基本的に名前は「修」表記であるが、国立情報学研究所では「脩」表記である。 1908年、京都府舞鶴市に生まれる。その後、旧制舞鶴中学校(現・京都府立西舞鶴高等学校)の教師として働いたのち、太平洋戦争において択捉島に兵士として出征後、終戦を迎え抑留される。ソ連コムソモリスク近郊の収容所を転々としながらシラカバの木の皮を使い、ガラスをとがらせペンに、煙突のすすをインク代わりにし全200-300首の和歌を書いた。 1947年に引き揚げされた時に白樺日誌を持ち帰り、1988年に舞鶴引揚記念館に『白樺日誌』を寄贈した。
山口 誓子(やまぐち せいし、1901年(明治34年)11月… 山口 誓子(やまぐち せいし、1901年(明治34年)11月3日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、日本の俳人。京都府京都市出身。本名は山口新比古(やまぐち ちかひこ)。 高浜虚子に師事。昭和初期に水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」とされたが、のちに同誌を離反した秋桜子に従い「ホトトギス」を離脱。従来の俳句にはなかった都会的な素材、知的・即物的な句風、映画理論に基づく連作俳句の試みなどにより、秋桜子とともに新興俳句運動の指導的存在となる。戦後は「天狼」を主宰し現代俳句を牽引した。大正11年、初めて虚子に会い、俳号を「誓子(ちかひこ)」から「誓子(せいし)」と改めた。
中西 其十(なかにし きじゅう、1899年(明治32年)4月… 中西 其十(なかにし きじゅう、1899年(明治32年)4月21日 - 1922年(大正11年)1月18日)は、京都府出身の俳人。京大三高俳句会設立会員、「京鹿子」創刊同人。本名、喜重郎。 京都府船井郡檜山村(ひのきやまむら)字八田第三番戸(現・船井郡京丹波町八田)に生まれる。父母の名は現在のところ不明。 1916年(大正5年)、同志社中学3年に中途編入。中学では小西米太という親友を得、島崎藤村の詩や古人の俳句について語り合い、また、芝居や浄瑠璃へも共に行った。 1919年(大正8年)3月、同志社中学校卒業。米太と共に、本格的に俳句を書き始める。当初の俳号は喜郎や西郎、坡十など。三高入学後に其十と名乗った。
長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7… 長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。名の読みは「りこう」とも。