伊東 恵司(いとう けいし、1967年 - )は、日本の合唱… 伊東 恵司(いとう けいし、1967年 - )は、日本の合唱指揮者、詩人、作詞家。作詩・作詞活動をする際は「みなづきみのり」のペンネームを使用している。京都府合唱連盟理事、日本合唱指揮者協会会員。アルティ声楽アンサンブルフェスティバル実行委員長、コーラスめっせ代表。 京都府京都市生まれ。父はろう者の権利獲得、手話通訳の普及に尽力した、ろう教育者の伊東雋祐。 京都府立嵯峨野高等学校を経て、同志社大学経済学部へ進学(専攻は「ポストモダン芸術論」)。同志社グリークラブに在団中、本番の直前に恩師とも言える指揮者福永陽一郎が急死。その跡を継ごうと決心し、指揮者の道を歩む。1990年に同志社大学を卒業後、母校に勤務する傍ら、関西を中心に合唱指揮者として活動することになる。
下出 祐太郎(しもで ゆうたろう、1955年3月17日 - … 下出 祐太郎(しもで ゆうたろう、1955年3月17日 - )は、日本の蒔絵師、詩人。学位は博士(学術)(京都工芸繊維大学・2010年)。下出蒔絵司所当主(3代目)。京都産業大学名誉教授。現代の名工・卓越技能章(2021年)、瑞宝単光章(2023年春の叙勲)、京都市芸術振興賞(2024年)。 京都伝統工芸専門校講師、京都伝統工芸大学校教授、京都美術工芸大学工芸学部教授、京都工芸繊維大学伝統みらい教育研究センター特任教授、京都産業大学文化学部・京都文化研究科教授などを歴任した。 京都府京都市出身の蒔絵師である。下出蒔絵司所3代目。同志社大学文学部卒業。在学中より家業の蒔絵の手ほどきを受け、大学卒業後、漆芸家の東端真筰や佐治賢使に師事する。
森 哲弥(もり てつや、1943年1月21日 - )は、京都… 森 哲弥(もり てつや、1943年1月21日 - )は、京都府京都市生まれの詩人。滋賀県湖南市在住。近江詩人会会員。滋賀文学会理事。 1967年、立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業後、社会福祉法人「びわこ学園」に2003年まで勤務。その傍ら「初猟」、「仕事場」、「少年」、「少年玩弄品博物館」など多くの詩集を発表し続け、1977年には「重症心身障害児の教育における教材教具についての研究」で第1回ほほえみ賞を受賞した。また、2001年に発表した詩集「幻想思考理科室」で第51回H氏賞を受賞した。
みずかみ かずよ(1935年4月1日 - 1988年10月3… みずかみ かずよ(1935年4月1日 - 1988年10月3日)は、日本の詩人。詩「あかいカーテン」が『こくご二上たんぽぽ(光村図書)』に掲載されるなど、児童文学に貢献した。少年詩集『みのむし行進(葦書房)』『みずかみかずよ少年詩集こえがする(理論社)』詩の絵本『きんのストロー(国土社)』など詩集を多数出版したほか、歌集『生かされて(石風社)』は死去直前、病床で詠まれた作品をまとめている。本名、水上多世(みずかみ かずよ)。 福岡県八幡市生まれ。福岡県八幡中央高校卒業後、私立尾倉幼稚園に勤務しながら月刊誌など投稿、作詩活動を続ける。 1958年、児童文学誌「小さい旗」に参加、同同人、水上平吉と結婚した。
岩成 達也(いわなり たつや、1933年(昭和8年)4月10… 岩成 達也(いわなり たつや、1933年(昭和8年)4月10日 - 2022年(令和4年)12月9日)は、日本の詩人。大和銀行常務取締役・同社常任監査役を歴任。 京都市生まれ。東京大学理学部数学科卒業。大和銀行に入行し、後に常務取締役や常任監査役を務めた。1958年、入沢康夫らと詩誌「あもるふ」を創刊。1981年、詩集『中型製氷機についての連続するメモ』で第19回藤村記念歴程賞受賞。1990年『フレベヴリィ・ヒツポポウタムスの唄』で第20回高見順賞受賞、2003年「(ひかり)、…擦過。』で第11回萩原朔太郎賞候補、2009年『みどり、その日々を過ぎて。』で第27回現代詩花椿賞受賞。宝塚市在住。 2022年12月9日、心不全のため死去。
有馬 敲(ありま たかし、1931年12月17日 - 202… 有馬 敲(ありま たかし、1931年12月17日 - 2022年9月24日)は、昭和・平成期の詩人、作家。本名は西田 綽宏(にしだ のぶひろ)。日本文藝家協会、日本ペンクラブ所属。 関西詩人協会代表。京都文学研究所代表。全国生活語詩の会代表。日本国際詩人協会理事。元日本モンゴル協会会長。 1931年12月17日生まれ。京都府亀岡市出身。同志社大学経済学部卒業。同志社大学経済学部在学中に「同志社文学」を発行、実存主義の影響を受ける。卒業後、京都銀行に勤めながら詩作を続け、詩誌「ノッポとチビ」「ゲリラ」などを発行する。昭和40年代に盛んになったフォークソング運動では、高石友也、岡林信康らと交流、創作わらべうたなどがフォークシンガーたちによって歌われ、〝オーラル派〝と呼ばれる。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 -… 薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 - )は、日本の英文学者、詩人、写真家。同志社大学名誉教授。 英国初期ロマン派が専門。詩誌『Ravine』編集・発行同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本翻訳家協会、日本写真協会、日本バイロン協会、関西詩人協会、京都現代詩協議会、京都写真芸術家協会、京都市芸術文化協会に所属。 京都市生まれ。1952年同志社大学文学部英文科卒、1954年同大学院修士課程修了。立命館大学専任講師、助教授、教授、同志社大学文学部教授、1999年名誉教授、東海学園大学経営学部教授。 1997年京都市芸術文化協会賞受賞。2010年瑞宝中綬章受章。
天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993… 天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993年10月28日)は、日本の詩人。 京都府京都市出身。京都第一商業学校卒。職を転々としつつ詩を書き、1935年5月に山前実治、北川桃雄、田中忠雄らと同人誌「リアル」を創刊。1937年8月に「リアル」同人の一部が治安維持法違反で検挙され、その後は逼塞。戦後は出版社勤務、古書店経営等を経て、奈良女子大学付属図書館に職を得る。コルボウ詩話会、近江詩人会等を拠点に活動、1954年の「重たい手」で注目される。1974年の『天野忠詩集』で無限賞、1982年には『私有地』で読売文学賞、1986年には『続天野忠詩集』で毎日出版文化賞を受賞した。1993年10月28日、京都の自宅において多臓器不全のため死去。
城米 彦造(じょうまい ひこぞう、1904年5月4日 - 2… 城米 彦造(じょうまい ひこぞう、1904年5月4日 - 2006年5月8日)は、日本の昭和時代に活動した画家、路上詩人。第二次大戦後の10年間、国鉄の有楽町駅前にて自作の詩集を手売りしていたことで知られる。 1904年、京都にて16代続いた老舗呉服・染物屋の長男に生まれる(京染め悉皆業の長男と表現する資料もある)。実母を亡くした後、継母との仲に悩んだ末、放浪を繰り返し、その後、18歳の時に上京する。小石川区の旧制私立豊山中学校(現日本大学豊山高校)定時制卒業。城米が文筆家の道を歩み始めたのは、神田区役所(現千代田区役所)に勤務していた1931年のこと。小説家の武者小路実篤のもとに税金の督促に赴き、そこで感化されたことによる。
南江治郎(なんえ じろう、1902年4月3日 - 1982年… 南江治郎(なんえ じろう、1902年4月3日 - 1982年5月26日、別名筆名、南江 二郎)は京都府亀岡市出身の、大正・昭和期の日本の詩人、人形劇研究家。1934年(昭和9年)NHKに入局、企画部長、編成局長、専務理事を歴任し、1953年(昭和28年)顧問となる。 元財団法人都民劇場理事。元CBC嘱託。元南海電鉄顧問。文部省芸術祭実行委員、文部省「芸術選奨」選衡委員、日本詩人クラブ常任理事、日本文芸家協会員。ITI国際演劇協会日本センター理事。 早稲田大学で坪内逍遙、小山内薫らに学び、中退。1921年(大正10年)に処女詩集「異端者の恋」を出版、1922年(大正13年)に詩誌「新詩潮」を主宰。
村山 槐多(むらやま かいた、1896年〈明治29年〉9月1… 村山 槐多(むらやま かいた、1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日)は、明治・大正時代の日本の洋画家で、詩人、作家でもある。愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市生まれ、京都市上京区育ち。母方の従兄に山本鼎(画家)と嶺田丘造(官僚)、はとこに黒柳朝(随筆家)がいる。 みなぎる生命力を退廃的・破滅的雰囲気を纏わせながら絵画に表した。ガランス(深い茜色、やや沈んだ赤色)を好んで使ったことでも知られる。 槐多は、愛知県額田郡岡崎町にて小学校教諭・村山谷助とその妻・たまの長男として生まれた。岡崎町はかつての岡崎城の城下町で、現在の岡崎市。従来の出生地の定説は、父親が教員を務めていたという神奈川県橘樹郡神奈川町(現在の横浜市神奈川区)であったが、岡崎市美術博物館の学芸員が親族への聞き取りと岡崎市役所に残された槐多の出生届資料を確認したうえで、2011年(平成23年)12月に正しい情報を公表した。
竹内 勝太郎(たけうち かつたろう、1894年〈明治27年〉… 竹内 勝太郎(たけうち かつたろう、1894年〈明治27年〉10月20日 - 1935年〈昭和10年〉6月25日)は日本の詩人。日本の象徴詩を確立したと評される。 京都府京都市生まれ。私立清和中学校(立命館中学の前身)を中退。東京へ出て、三木露風に師事。独学で自然科学、哲学などを学び、文学を一生の業と考える。フランスの象徴派詩人ステファヌ・マラルメに影響を受け象徴詩の世界へ。 1915年から京都基督教青年会の夜学でフランス語を学ぶ。その後、日出新聞社の市政記者、大正日日新聞社の市政・美術担当記者、大阪時事新報の記者となる。 1928年には知友の支援を受けフランスに渡る。ポール・ヴァレリーに傾倒し、その詩技法は「美を破壊する美」へと変化していく。
白川琴水(しらかわ きんすい)は明治時代の漢詩人。本名は幸(… 白川琴水(しらかわ きんすい)は明治時代の漢詩人。本名は幸(さち)、字は友之。飛騨国高山願生寺に生まれ、京都に出て菊池三渓に漢詩を学び、第一高等女学校で教師を務めた後、青木氏に嫁いで名古屋市で没した。 その詩は兪樾の『東瀛詩選』に採られるなど当時の清人に高く評価されたが、死後忘れ去られた。絵画も能くし、『本朝彤史列女伝』では自ら挿絵を描き、願生寺に絵画が残されている。 安政3年(1856年)8月10日、飛騨国大野郡灘郷下岡本村願生寺20世慈摂の子として生まれた。5歳で読書し、7歳で韻語を作ったという。 明治6年(1873年)、父慈摂に連れられ、京都東本願寺で翻訳局長を務めていた成島柳北に入門を請うたが、東京に移る予定だったため、代わりに菊池三渓を紹介された。