三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年… 三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年3月11日)は、日本の工学者。専門は、機械材料・材料力学。学位は、工学博士(京都大学・論文博士・1966年)(学位論文「Production of lattice defects by plastic deformation in FCC metals 」)。京都大学名誉教授。大阪府出身。
大阪府:6,116人
三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年… 三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年3月11日)は、日本の工学者。専門は、機械材料・材料力学。学位は、工学博士(京都大学・論文博士・1966年)(学位論文「Production of lattice defects by plastic deformation in FCC metals 」)。京都大学名誉教授。大阪府出身。
長山 泰久(ながやま やすひさ、1932年2月7日 - 20… 長山 泰久(ながやま やすひさ、1932年2月7日 - 2022年8月24日)は、日本の心理学者。専門は、交通心理学、交通教育学、産業心理学。大阪大学名誉教授。日本においてはじめて交通心理学を体系化し、心理学の中で独自の研究領域として確立する先導的役割を果たした。また、危険予測、防衛運転、暴走族研究、二輪車事故の研究等、さまざまな研究課題への取り組みを通じ、交通安全教育・交通安全対策の提言や実践を行ってきた。 大阪府枚方市生まれ。1955年大阪大学文学部卒業、1960年大阪大学大学院文学研究科博士課程を単位取得。 1960年大阪大学文学部助手、1967年追手門学院大学文学部講師、1968年同助教授を経て、1974年大阪大学人間科学部助教授、1984年同教授。
鈴木 正裕(すずき まさひろ、1932年1月31日 - 20… 鈴木 正裕(すずき まさひろ、1932年1月31日 - 2019年3月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、博士(法学)(京都大学・論文博士・2017年)(学位論文『近代民事訴訟法史・オーストリア』)。神戸大学名誉教授。第10代神戸大学学長。神戸大学退官後は弁護士登録(大阪弁護士会所属)。位階は従三位。2008年瑞宝重光章受章。 現在の大阪府東大阪市に生まれる。 大阪府立住吉高等学校から京都大学法学部に進学し、在学中の1954年に司法試験に合格した。1955年に卒業、同大学院法学研究科に進み、1957年修士課程を修了した。 1960年、京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、神戸大学法学部講師、同助教授(1962年)を経て 1970年に神戸大学法学部教授、1986年同法学部学部長、1991年第10代神戸大学学長に就任。
田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる… 田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる)、1932年1月31日 - 2019年11月13日)は、大阪府大阪市出身の日本の脚本家、構成作家。 早稲田大学卒業後大学院に進み、飯島正に師事。日本のテレビ放送黎明期に、外国テレビ映画の翻訳のアルバイトなどを務めたのち、脚本家デビュー。 1960年代半ばから特撮・テレビアニメ・テレビドラマ・時代劇など多くの作品を執筆し活躍する。またそれと共に戯曲も多く手掛けた。 脚本家の弟子に富田祐弘がいる。 2019年11月13日、肺がんにより東京都内の自邸にて死去。87歳没。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 20… 今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。
岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1… 岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1990年2月16日)は、日本のアニメーション作家。 持永只仁や川本喜八郎とともに日本のアニメーション黎明期の礎を築き、多大な功績と発展を遺した「アニメーションの神様」の一人として知られる。 妻は人形作家の森田さと子、長男はブックデザイナーの岡本洋平。義弟にイタリア美術研究で著名な森田義之がいる。 大阪府豊中市生まれ。大阪大学法学部卒業、一般会社に就職した後にチェコのアニメ作家イジー・トルンカを始めとしたチェコのアニメーションの作品に魅せられて退社し、日本大学芸術学部映画学科に編入学。 1961年に持永只仁のMOMプロダクションに入社し、アニメーション撮影の腕を磨く。
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5… 井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5日 - 2025年〈令和7年〉8月25日)は、日本の元政治家、元大学教授。位階は従三位、勲等は勲一等。大阪府摂津市長、衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。 大阪府三島郡鳥飼村(現在の摂津市鳥飼野々)で農家の長男として生まれる。1950年(昭和25年)に大阪府立茨木高等学校、1954年(昭和29年)に同志社大学経済学部卒業。 1968年(昭和43年)、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。
横井 久(よこい ひさし、1932年 - )は、日本の元ラグ… 横井 久(よこい ひさし、1932年 - )は、日本の元ラグビー選手及び元同監督。大阪府出身。 元ラグビー日本代表(以下、日本代表)選手の横井章は実弟。 旧制・大阪府立北野中学校(現 大阪府立北野高等学校)に入学し、新制・大阪府立大手前高等学校を卒業。その後、早稲田大学ラグビー部(以下、早大)に入部。ポジションは主にセンター(CTB)。3年時よりレギュラーの座を掴んだ。 大学卒業後、横河電機に進んだが、すぐに休職してニューヨーク大学に留学し、ニューヨークのラグビークラブ、マンハッタンクラブでプレーした。帰国後の1965年、早大監督に就任。矢部達三を主将に擁し、第2回全国大学ラグビーフットボール選手権大会を制して、早大初の大学選手権優勝をもたらした。
筧 久美子(かけひ くみこ、1932年 - )は、日本の中国… 筧 久美子(かけひ くみこ、1932年 - )は、日本の中国文学者、神戸大学名誉教授。
和氣 健二郎(わけ けんじろう、1932年〈昭和7年〉 - … 和氣 健二郎(わけ けんじろう、1932年〈昭和7年〉 - 2024年〈令和6年〉10月21日)は、日本の医学者。専門は組織学。東京医科歯科大学名誉教授。日本人として初めてヨーロッパ肝臓学会International Recognition Awardを受賞した。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。 1952年(昭和27年)大阪府立大手前高等学校を卒業。1958年(昭和33年)大阪市立大学医学部を卒業。大阪市立大学大学院医学研究科へ進学後、第一解剖学の鈴木清教授に師事し、1963年(昭和38年)に大阪市立大学で医学博士の学位を取得した。 卒業後は、母校である大阪市立大学解剖学助教授を経て、1976年(昭和51年)より東京医科歯科大学医学部解剖学教授。
三原 幸久(みはら ゆきひさ、1932年 - 2013年1月… 三原 幸久(みはら ゆきひさ、1932年 - 2013年1月18日)は、日本のスペイン文学者、民話研究者、翻訳家。大阪外国語大学名誉教授。 大阪市生まれ。1961年大阪外国語大学イスパニア語科卒、天理大学講師、大阪外国語大学講師、関西外国語大学助教授、教授、2003年定年退任、名誉教授。
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - … 山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159 cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である。 1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。 1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催し、700人近い応募者があった第一回ミス日本において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。
篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は… 篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は日本の現代音楽の作曲家。大阪府出身。主としてオランダのユトレヒト在住だが東京と京都にも住まいがある。
久保田 正躬(くぼた まさみ、1931年12月6日 - )は… 久保田 正躬(くぼた まさみ、1931年12月6日 - )は、日本の体操選手。元天理大学教授。大阪府出身。大阪府立八尾高等学校、東京教育大学体育学部(現在の筑波大学体育学群)卒業。 1954年、ローマ世界選手権に出場、団体総合で銀メダルを獲得。 1956年、メルボルンオリンピックで団体総合銀メダル、平行棒銀メダル、吊り輪銅メダルを獲得。 妻は体操選手でメルボルンオリンピック代表の沢村恭子。メルボルンオリンピックでは日本人としてはじめて夫婦そろってのオリンピック出場を果たした。 引退後は天理大学教授として指導にあたり、1956年に天理大学体操部監督に就任。1968年、天理大学体操部部長に就任した。
北田 玲一郎(きただ れいいちろう、1931年11月14日-… 北田 玲一郎(きただ れいいちろう、1931年11月14日- )は、日本の作家、司法書士。司法書士北田基司事務所を主宰。 大阪府豊中市生まれ。本名・北田基司。大阪府立旧制池田中学校卒。1952年司法書士。大阪司法書士会常任理事、副会長。 芸術集団タムタム、『総合芸術』編集長。新日本文学会所属。堤玲子がその下で編集していた。
山内 久司(やまうち ひさし、1931年〈昭和6年〉11月9… 山内 久司(やまうち ひさし、1931年〈昭和6年〉11月9日 - 2014年〈平成26年〉8月13日)はテレビプロデューサー、元・朝日放送 顧問。朝日放送ドラマ部門チーフプロデューサー担当を務めた他、松田 司の名義でドラマの脚本も執筆した。 大阪市西区出身。京都大学文学部文学科卒業。1955年4月、朝日放送に入社。同期に植草貞夫、澤田隆治、槇洋介がいる。1960年代には脚本家の佐々木守とのコンビによる『お荷物小荷物』を始めとする一連の“脱ドラマ”を、1970年代前半から1980年代にかけては必殺シリーズを世に送り出した。その後は制作部長、制作局長、取締役制作局長、取締役常務、代表取締役専務を歴任。
山田 康之(やまだ やすゆき、1931年〈昭和6年〉10月3… 山田 康之(やまだ やすゆき、1931年〈昭和6年〉10月31日 - 2021年〈令和3年〉8月15日)は、日本の農学者。京都大学名誉教授。植物分子細胞生物学の研究を行った。 大阪府生まれ。1957年、京都大学農学部卒業。同大学大学院農学研究科修士課程修了。1963年、京都大学農学博士。数十年にわたり、京都大学を研究の拠点とし活動。植物分子細胞生物学研究の権威。細胞を大量培養する実験系を確立。これらの培養細胞系を用いて、次々に新しい研究分野を開拓し、植物分子細胞生物学の基礎とその応用に大きく貢献。特にアルカロイドを高産生する培養細胞を用い、その生合成系の解析とその生合成系を遺伝子工学的に改変した分子育種学の新しい道を開く。
片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は… 片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 旧制四高を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に小松製作所に入社。 1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務、1988年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2001年6月から取締役相談役を務めた。 日本経済団体連合会副会長を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2010年4月に旭日大綬章を受章。
平木 隆三(ひらき りゅうぞう、1931年10月7日 - 2… 平木 隆三(ひらき りゅうぞう、1931年10月7日 - 2009年1月2日)は、大阪府堺市浜寺出身の元サッカー選手(DF)・コーチ・監督。 1993年Jリーグ開幕当時の名古屋グランパスエイト監督。 実家は浜寺で鉄工所を経営し、5人兄弟の三男として生まれる。岸和田高校入学時の1948年から本格的にサッカーを始め、1950年には全国高等学校サッカー選手権大会に大阪府代表として出場し、インサイドFWでベスト4進出に貢献。高校卒業後は1951年に関西学院大学へ進学し、9月には早稲田大学との定期戦でレギュラーDFとなる。秋の関西学生リーグと12月の東西学生王座決定戦では優勝を飾るが、この時のFWに長沼健がいた。
新開 陽一(しんかい よういち、1931年10月3日 - )… 新開 陽一(しんかい よういち、1931年10月3日 - )は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。専門はマクロ経済学と国際経済学。経済学博士(大阪大学、1960年)。大阪府堺市出身。
信多 純一(しのだ じゅんいち、1931年9月20日 - )… 信多 純一(しのだ じゅんいち、1931年9月20日 - )は日本の国文学者。専攻は日本近世文学。大阪大学名誉教授。号は「志水」。
片桐 洋一(かたぎり よういち、1931年9月5日 - )は… 片桐 洋一(かたぎり よういち、1931年9月5日 - )は、日本の日本文学研究者。大阪女子大学名誉教授。大阪女子大学学長、関西大学文学部教授などを歴任。瑞宝中綬章受章者。文化功労者。 博士(文学)(関西大学・1992年)(学位論文「古今和歌集の研究」)。 大阪市生まれ。1954年京都大学文学部国文科卒。1959年同大学院博士課程退学。 大阪女子大学助教授、1974年教授。1987-1991年学長。1992年「古今和歌集の研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。同年定年退官、名誉教授、関西大学教授、2002年退職。2008年春、瑞宝中綬章受勲。2011年文化功労者。
奥井 功(おくい いさお、1931年9月3日 - 2008年… 奥井 功(おくい いさお、1931年9月3日 - 2008年9月8日)は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法学部を卒業し、同年に積水化学工業に入社。 1970年に積水ハウスに転職し、経理部長、取締役、常務、専務を経て、1990年4月に副社長に就任した。1992年4月に社長に昇格し、1998年4月から2004年までに会長を務めた。 2002年から2003年までに日本経済団体連合会副会長も務め、関西経済連合会副会長、関西経営者協会会長も歴任した。 2003年11月に旭日大綬章を受章した。 2008年9月8日胃がんのために死去。77歳没。
高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 19… 高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 1971年5月3日)は、日本の小説家で中国文学者。夫人は小説家の高橋たか子。中国文学者として、中国古典を現代人に語る事に努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。左翼的な思想の持ち主ではあったが、三島由紀夫と交流するなどの人間的な幅の広さがあった。自然科学にも関心が深く、特に、相対性理論に関する造詣が深かった。
奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 -… 奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 - )は、日本の生物学者、生態学者。 大阪府大阪市生まれ。京都大学大学院理学研究科3年中退。神戸市立須磨水族館勤務後、金沢大学理学部生物学科助教授。1997年退職。
坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 20… 坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 2001年4月29日)は、日本の法学者。専門は、労働法・社会保障法。学位は、法学博士(旧東京都立大学)。静岡大学名誉教授。日本労働法学会代表理事、日本社会保障法学会代表理事等を歴任。大阪府大阪市出身。 1951年兵庫県立柏原高等学校卒業。1955年神戸大学法学部卒業。1958年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。吾妻光俊ゼミ出身。 1958年一橋大学法学部助手。1959年東京都立大学法経学部助手。1964年静岡大学文理学部助教授。1965年同人文学部助教授。1973年同人文学部教授。1979年静岡大学評議員(~1983年)。1983年同人文学部長(~1985年)。
上島 重二(うえしま しげじ、1931年8月25日 - )は… 上島 重二(うえしま しげじ、1931年8月25日 - )は、日本の実業家。第8代目三井物産社長。大阪府生まれ。
鹿野 政直(かの まさなお、1931年〈昭和6年〉8月20日… 鹿野 政直(かの まさなお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近代史、思想史。早稲田大学名誉教授。 1931年、大阪府生まれ。大阪府立岸和田高等学校を経て1953年、早稲田大学文学部を卒業。同大学院を経て、1958年より同大学に勤務する。1970年、早稲田大学文学部教授に就任。1999年、早稲田大学を退職。
山田 卓(やまだ たく、本名:山田卓〈やまだ たかし〉、19… 山田 卓(やまだ たく、本名:山田卓〈やまだ たかし〉、1931年8月16日 - 2007年11月2日)は、日本の振付家。その振付作品の多さは群を抜いている。日本振付家協会の創設者であり、会長を務めた。 1931年8月16日、大阪に生まれる。7人の子供の5番目。戦時中もあり、裕福ではない幼少時代を過ごす。1937年、吹田第一小学校に入学。茨木中学校へ進み、器械体操で国体2位を受賞した。3年で終了(この年新制に変わったため)し、鳥羽商船高等学校へ進むが1年半で辞める。理由は、自身の希望した航海科ではなく、さらには軍隊の名残があった校風が肌に合わなかったためと推測される。退学後、姉の勧めで江川バレエ団に入団する。
松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1… 松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1998年3月14日)は、大阪府出身の元フリーアナウンサー。 登校拒否・不登校問題全国協議会の代表者・松本弘義は実兄。 旧制天王寺中学時代には野球部に所属。強打の左翼手として活躍し、1947年の春の選抜に出場。学制改革後は夕陽丘高校を卒業。 関西学院大学進学後は母校で野球部の監督を務める傍ら、創設間もない放送研究会に在籍。大学野球の実況や様々なナレーションをやっているところを開局準備中であった神戸放送(現・ラジオ関西)のスタッフにスカウトされ、在学中の1952年にパーソナリティとしてデビュー。卒業後の1958年に開局したばかりの関西テレビ(KTV)へ第1期アナウンサーとして入社し、主にプロ野球や競馬といったスポーツ中継を担当。
山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2… 山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2014年8月6日)は、日本の俳人。本名・公夫。大阪府出身。 大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。卒業後は眼科医として勤務。1948年に「馬酔木」入会、水原秋櫻子に師事。また1949年より「南風」入会し山口草堂にも師事する。「馬酔木」「南風」同人、「南風」副主宰を経て、2004年に「南風」代表に就任。 句集に『眞竹』『白蔵』『山麓』『翠微』『四時抄』『晩翠』『春の顔』。1995年、『翠微』により第35回俳人協会賞、2003年『四時抄』により第3回山本健吉文学賞および第4回俳句四季大賞を受賞。ほかに馬酔木新人賞、南風賞などを受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。
小笠原 町子(おがさわら まちこ、1931年6月25日 - … 小笠原 町子(おがさわら まちこ、1931年6月25日 - )は、日本の女優。身長160 cm。体重62 kg。血液型はA型。大阪府東大阪市出身。 高知中学高等学校卒業。1955年に制作座に入座。『第三の証言』のサヨ子役が初舞台。1957年の劇団統合により関西芸術座の所属となる。
新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 -… 新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 - 2023年〈令和5年〉9月6日)は、日本の実業家。元大阪シティ信用金庫最高顧問。 大阪市出身。1950年(昭和25年)大阪府立四条畷高等学校(現・大阪府立四條畷高等学校)卒業、1955年大阪経済大学経済学部卒業。1967年大阪市信用金庫理事、1974年常務理事、1979年専務理事、1988年理事長。2010年(平成22年)代表理事会長就任。2013年より、市信金など3金庫の合併した大阪シティ信用金庫の名誉会長。 大阪府信用金庫協会・会長、近畿地区信用金庫協会・会長、全国信用金庫協会・副会長、信金中央金庫・理事などの要職に就き、特に大阪府下8金庫の合併を手がけ、当時経営不振問題に直面していた大阪府内の信用金庫再編を行い、金融不安の回避に尽力した。
杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 20… 杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 2022年2月20日)は、日本の地理学者・文化人類学者。専攻は文化地理学。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大学文学部文学研究科博士課程修了。国立民族学博物館教授・第5研究部長を経て、1992年3月末をもって定年退職、同名誉教授。その後は関西学院大学教授、大阪人間科学大学教授を務めた。 1968年、学位論文「日本における民家の地理学的研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。 2022年2月20日、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 20… 渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 2023年2月1日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学医学部薬学科を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1981年に取締役に就任し、1985年に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。 1999年6月に会長に就任。 2023年2月1日老衰のために死去。91歳没。
脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日… 脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。元大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。妻は歴史学者脇田晴子。大阪市生まれ。
岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )… 岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 次女に元プロテニスプレイヤーの岡本久美子がいる。 中学まではバスケットボールの選手だったが、京都市立第一工業学校時代に野球へ転向。野球部の同期に元阪神の桧山進次郎の実父がおり、当時岡本が遊撃手で桧山の父がエース投手であった。 高校卒業後の1949年に南海ホークスへテスト生として入団。高校時代のチームメイトに種田訓久(後に南海で共にプレー)がいる。 1951年はシーズン終盤の9試合に二塁手として先発出場、また南海土建に出向という形で社会人野球でもプレーした。 1952年には兼任監督の山本一人の後継と目され、7月からは二塁手の定位置を獲得。
黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000… 黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000年7月23日)は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。兄には関西六大学野球連盟理事長の黒田脩、神戸大学名誉教授の黒田健二郎がいる。 大阪府大阪市北区天満出身、天満橋北詰の天満市場前で、製粉工場を経営する父と母の9人兄弟の末っ子として生まれた。旧制大阪府立高津中学校卒業、旧制第四高等学校(現:金沢大学)、京都大学経済学部卒業。 1952年12月、大阪進出直後の大阪読売新聞社に新卒1期生として入社。遊軍記者からスタートし、社会畑を歩み、1976年に社会部部長就任。以後、この社会部チームの記者は在京のメディアから「新しい新聞記者集団」として「黒田軍団」と名付けられ注目を集めた。
藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、… 藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 20… 木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に三菱重工業に入社。1970年に分社独立した三菱自動車工業に転じ、1989年6月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1996年6月に社長に就任。1999年から会長を務めた。 2006年2月5日、胆管癌で死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 20… 古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 2014年10月21日)は、日本の医師・医学者。 大阪府堺市出身。大阪大学医学部卒、同大学院循環器内科博士課程修了、1960年医学博士。1961年阪大医学部助手、1972年講師、1975年東京大学医学部教授、1989年国立大阪病院院長。長崎県立大学学長・長崎県立公立大学法人副理事長を務めた。 1973年ベルツ賞2等賞受賞。
柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 20… 柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 2015年10月4日)は、日本の実業家。朝日放送の元社長・会長・相談役。 大阪府大阪市出身。旧制大阪高等学校を経て、1953年に京都大学文学部卒業後、朝日新聞社へ入社。深代惇郎とは同期。社会部員、外報部員、サイゴン、パリ各支局長、ヨーロッパ総局長、1976年東京本社外報部長、1983年大阪本社編集局長、1987年朝日放送取締役、1989年常務、1990年専務、1995年6月社長、2002年6月27日会長、2005年6月28日相談役。その他には大阪日伊協会会長、社団法人アジア協会アジア友の会会長などを歴任した。 ※この他宝塚歌劇で上演された「凱旋門」(2000年・雪組)や「琥珀色の雨にぬれて」(2002年・花組)の公演プログラムにも本人の執筆によるエッセイが掲載されている。
倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 202… 倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 2022年8月31日)は、日本の芸能史研究家。 大阪市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、NHKに勤務。1966年、根岸登喜子と結婚。1988年、NHKを退職。その後は芸能史研究に専念する。特に、端唄を収録した『江戸端唄集』の編纂で知られる。2022年8月31日、肺がんのため死去。91歳没。
八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年… 八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年〈令和元年〉10月24日)は、日本の女優。 大阪府大阪市出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。 聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団34期生として入団。入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した。
稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994… 稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994年2月24日)は、日本の小説家、放送作家。大阪府大阪市出身。 記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。テレビCF、記録映画のプロデューサを努める。 1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。 作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。
樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英… 樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英文学者、大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪市立大学人文学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、教授、名誉教授、関西大学教授、2000年退職。18-19世紀の英国文学を研究した。
橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12… 橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12月17日)は、日本の国語教育学者。 大阪市生まれ。1954年広島大学教育学部卒業。和歌山県立桐蔭高等学校、広島県下の高等学校に勤務。1969年広島県教育委員会指導課指導主事、高等学校教育係係長・指導課課長補佐。広島県立高等学校教頭、1980年大分大学助教授、教授。1989年鳴門教育大学教授、評議員、付属図書館長となり「大村はま文庫」を創設、1990年大村はま賞受賞。1997 - 2003年徳島文理大学教授。2002年「中等学校国語科教材史研究 現代文教材化の状況とその史的役割を中心に」で広島大学博士(教育学)。専攻は国語教育学、国語教育史研究。
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和… 開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。 大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。子供時代は、紙芝居と本が好きで、江戸川乱歩、山中峯太郎、海野十三などを読んでいた。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、勤労動員の合間に内外の文学作品を乱読した。
西辻 豊(にしつじ ゆたか、1930年(昭和5年)12月28… 西辻 豊(にしつじ ゆたか、1930年(昭和5年)12月28日 - )は、日本の政治家。大阪府八尾市市長(第4代)。NPO法人やお文化協会の理事長(2017年現在)。旭日双光章受章。 大阪府、現在の八尾市出身。大阪府立八尾中学校(旧制)卒業(50期。現大阪府立八尾高等学校)。1951年(昭和26年)大阪市立都島工業専門学校を卒業。 八尾市役所に就職し、第3代市長山脇悦司のもとで総務課長や、教育委員会管理部長、市総務部長、助役などを務めた。1995年(平成7年)4月23日の第13回統一地方選挙で、八尾市長選挙に出馬。元市議の田中誠太を破り、初当選した。 市職員時代の1950年(昭和25年)11月3日(文化の日)に「優良職員」として表彰された。