金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 20… 金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 2012年1月26日)は、日本の実業家、切手収集家。 繊維機器・不織布メーカーである金井重要工業の社長・会長。切手収集家としてはモーリシャスの切手コレクションで世界的に知られ、財団法人切手文化博物館理事長、有馬切手文化博物館(神戸市)館長を務めた。 1925年5月16日、兵庫県尼崎市生まれ。裕福な実業家を父に持ち、5歳の時にはじめて切手を収集した。13歳の時に趣味にのめりこみ、大学在学中に2つの切手収集クラブを設立した。金井は早稲田大学で政治経済学を学んだあと、日本大学で工学の学位を取得した。大学修了後、祖父が設立した繊維機械製造会社に勤務。
榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 19… 榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 1977年7月27日)は、日本の牧師。アシュラム運動の普及に貢献した。「ちいろば牧師」の愛称で知られる。三浦綾子の「ちいろば先生物語」で広く知られるようになった。 配偶者はアシュラムセンター主事の榎本和子(1925-2023)。榎本栄次牧師は実弟。後宮俊夫牧師は義弟。娘は実践神学者の榎本てる子(関西学院大学准教授、1962-2018)。 1925年、兵庫県三原郡神代村(現南あわじ市神代)に生まれる。1938年に旧制洲本中学校に入学する。少年時代は軍国少年だった。1944年に徴兵検査を受け、満州に出征する。1945年満州で敗戦を迎える。帰国後、敗戦の喪失の中で虚無感に陥っていた。
岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 200… 岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 2008年7月29日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。 北海道庁商工観光部部長、北海道室蘭市長(第19・20・21・22代)などを歴任した。 兵庫県姫路市出身。官立浜松工業専門学校(現・静岡大学工学部)を卒業する。北海道庁にて胆振支庁の支庁長や商工観光部の部長を経て、1979年に室蘭市長に当選した。 初当選以降、1995年まで4期16年を務め、白鳥大橋着工という実績を残している。当選当時、60億円を超える不良債務を抱えていた市政の財政赤字を解消するため、初めて外部に財政診断を依頼し、財政再建団体への転落を回避し自主再建の道を選択することで行財政改革を行った。
則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 20… 則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 2002年11月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授、元立正大学教授。専攻は国際金融論、金融論。神戸経済大学(現 神戸大学)に入り、新庄博のもとで金融論を専攻。門下生には、瀧口治元山口大学教授、有馬敏則大阪学院大学教授・元滋賀大学教授、藤原秀夫同志社大学教授、平島真一元専修大学教授、藤田誠一神戸大学教授、高屋定美関西大学教授などがいる。2002年、従三位勲三等旭日中綬章受章。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
片山 力夫(かたやま りきお、1925年〈大正14年〉2月2… 片山 力夫(かたやま りきお、1925年〈大正14年〉2月23日 - 1992年〈平成4年〉4月26日)は、日本の政治家。兵庫県相生市長(3期)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 現在の兵庫県相生市出身。兵庫師範学校卒業。相生市教育委員会学校教育課長、相生市立相生中学校校長、相生市教育長を経て、1981年相生市長に当選。3期務め、1992年脾臓リンパ腫により、在任中に死去した。死没日付をもって正六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 199… 山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 1993年8月27日)は、日本のヤクザ、暴力団・一和会会長、三代目山口組組長代行。通称は山広(やまひろ)。 兵庫県津名郡都志村(現:洲本市五色町都志)で出口千代吉の三男として生まれる。 2歳の時、姉の嫁ぎ先に養子に出て、以降「山本」姓を名乗る。 神戸市兵庫区の兵庫高等小学校を卒業後、一時工員として働いたが、1942年、海軍へ徴兵され、南方方面を転戦して海軍一等兵曹となって1947年に復員した。 復員後、尼崎市の土建業・白石組(白石幸吉)の若衆となり、暫く白石の下で土木業務や神戸港の港湾荷役業務などに従事し、次第に頭角を現し、実績を出していった。
濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10… 濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10日 - )は、日本の国文学者。甲南大学・姫路獨協大学名誉教授。 兵庫県尼崎市生まれ。甲陽中学校を経て、1948年京都帝国大学文学部国文学科卒業。1956年同大学院退学。甲南大学講師、助教授、教授、1989年名誉教授、姫路獨協大学教授、1996年名誉教授。
菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月… 菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月1日 - 2017年(平成29年)1月11日)は、日本の地方官僚、実業家。広島と長崎で相次いで原子爆弾の被害を受けた二重被爆者のひとり。 兵庫県阪神県民局長、コナミ工業株式会社名誉会長、株式会社G-7ホールディングス社外取締役を歴任した。 兵庫県明石市大蔵町で出生。父は兵庫県庁の職員、母は助産師(両親の略歴については後述)。両親はいずれも仕事で忙しかったので、菱川は祖母ために育てられた。 明石市立人丸小学校卒業後、旧制県立明石中学校(のちの兵庫県立明石高等学校)に進学。相撲が好きで、幼少時は強かったが、このときは周囲より体が小さかったので入部をあきらめ、吹奏楽部に入り大太鼓を担当した。
伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1… 伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1月18日 - 2006年 <平成18年> 2月18日)は、日本の経営者、工学博士。兵庫県神戸市出身。位階は正四位。 1948年に京都大学農学部農林化学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 1970年11月に田代茂樹会長の抜擢により、取締役に就任し、1973年11月に常務、1978年6月に副社長を経て、1981年1月に社長に就任した。1987年4月に会長に就任し、1995年6月から相談役に就任した。 日本化学会会長なども歴任。 2006年2月18日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
山崎 つる子(やまざき つるこ、1925年〈大正14年〉1月… 山崎 つる子(やまざき つるこ、1925年〈大正14年〉1月13日 - 2019年〈令和元年〉6月12日)は、日本の美術家。前衛美術グループ「具体美術協会」の創設メンバー17名のひとりとしても知られる。ブリキを用いた立体作品、パフォーマンス、絵画作品など多様な作品を手掛けた。兵庫県芦屋市出身。 1925年、兵庫県芦屋市に生まれる。家族構成は両親と兄と姉と妹。甲南高等女学校を経て、小林聖心女子学院に進む。 1946年夏、精道小学校で開催された芦屋市主催の市民講座に聴講に行った山崎は、講師として呼ばれた吉原治良に出会う。吉原はモンドリアンについて講演し、3日目の最終日の実習では教室の手洗い場を描かせる風変わりな講座であった。
園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 201… 園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 2012年1月20日)は、兵庫信用金庫の名誉会長。 1965年瀧川勝二(当時兵庫トヨタ自動車社長)などの推薦をうけ、1951年に誕生した神和信用金庫の、全国で一番若い理事長として30歳にて就任。1974年はりま信用金庫と神和信用金庫は合併し、兵庫信用金庫が誕生。理事長に就任。 兵庫県神戸市出身。雲中小学校、神戸一中、(現兵庫県立神戸高等学校)、同志社大学卒業。神戸市中央区熊内の財閥一家で当時は不動産や両替業を営む園田家の長男として誕生。(詳細:自費出版「奴雁の人」より)。
賀川 浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - 202… 賀川 浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - 2024年12月5日)は、兵庫県出身のスポーツライター、サッカー選手。賀川太郎(元サッカー日本代表)は実兄。 神戸一中2年にサッカー部にマネージャーとして入部、5年時にはFW選手として全国大会を制覇。その1ヶ月後に第二次世界大戦が始まった。戦争末期には特別攻撃隊に志願し、出撃数日前に終戦を迎えた。朝鮮北部の海州にいた賀川は上官であった川上晃良(社会人登山家で、戦後利尻岳の冬季初登頂を果たす)らと共に部隊の飛行機に乗って南側に脱出することが出来た。 復員後神戸商大、大阪サッカークラブなどの黄金時代に選手として活躍し、優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などを経験した。
道 志郎(みち しろう、本名:平岡 通博(ひらおか みちひろ… 道 志郎(みち しろう、本名:平岡 通博(ひらおか みちひろ)1924年12月18日 - 2016年11月11日)は日本のオルガン奏者。 兵庫県西宮市生まれ。学習院高等科を卒業し、東京大学に入学。大学卒業後に一時農林省(現・農林水産省)に在勤した。 電子オルガンを中心に、演奏、作編曲、指導面に活躍。 特に日本楽器(現・ヤマハ)製電子オルガン、エレクトーンの開発にあたっては、その初期段階から深く関わり、製品完成後はその普及に牽引役として国内外に活動を行った。 NHK、各民放で多くの番組にレギュラー出演し、ステージ活動では、全国的に多くのコンサート、また、サントリー大・小ホール等でリサイタルを数多く開催している。
藤井 佐知(ふじい さち、出生名:山口 幸子(やまぐち さち… 藤井 佐知(ふじい さち、出生名:山口 幸子(やまぐち さちこ)、本名:藤井 幸子(ふじい さちこ)、1924年(大正13年)12月6日 - 2015年(平成27年)10月21日)は、日本の淡路島にあった兵庫県三原郡阿那賀村(現在の南あわじ市)の陶芸家である。 栃木県益子町の益子焼の「中興の祖」である濱田庄司の「唯一の女性の弟子」であり、濱田庄司の教えを受けて、淡路島の土を用いて低火度釉薬であるガレナ釉:鉛釉を用いたスリップウェアを作陶し続け、濱田庄司からは「私にも出来ない、大らかな仕事をする人です」と評されていた。 寡作の陶芸家であったため、藤井が作陶し、世に出た作品の数は決して多く無かったが、その作品は現在もスリップウェア愛好家の中で高く評価されている。
経塚 幸夫(きょうづか ゆきお、1924年〈大正13年〉11… 経塚 幸夫(きょうづか ゆきお、1924年〈大正13年〉11月29日 - 1997年〈平成9年〉7月10日)は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。 兵庫県津名郡一宮町(現淡路市)出身。1941年に兵庫県立洲本商業高校(現兵庫県立洲本実業高等学校)を卒業後、布施市議、東大阪市議や大阪府議(3期)、東大阪医療生活協同組合(東大阪生協病院を運営)会長などを経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から三谷秀治の後継として出馬し初当選を果たす。1986年の第38回衆議院議員総選挙で再選。当選2回。1990年の第39回衆議院議員総選挙には出馬せず、地盤を吉井英勝に譲り引退を表明する。
黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2… 黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2010年5月20日)は、日本の経営者。住友製薬社長、会長を務めた。兵庫県尼崎市出身。 1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年に取締役に就任し、1980年に常務、1982年に専務を経て、1984年10月に住友製薬副社長に就任し、1986年3月から1989年3月までに社長を務めた。 2010年5月20日腎細胞がんのために死去。85歳没。
青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 199… 青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)は、兵庫県三木市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。2009年、野球殿堂入り。
賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月3… 賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月31日 - 2008年(平成20年)7月26日)は、日本の裁判官。元東京高等裁判所判事部総括。兵庫県神戸市出身。 福井地家裁所長や和歌山地家裁所長を歴任、東京高等裁判所判事部総括で退官。退官後は弁護士登録し、帝京大学法学部教授を務める一方、多方面の役職を歴任した。 民事裁判手続・司法制度分野の権威でもあった。 永年にわたる功労により1994年(平成6年)には勲二等瑞宝章を受章。死後、従三位に叙された。 1944年海軍経理学校卒業、1945年海軍主計中尉、1947年京都帝国大学法学部入学、1949年12月 司法試験第二次試験合格、1950年京都大学法学部卒業、司法修習生、1952年司法修習終了、名古屋地方裁判所・名古屋家庭裁判所判事補、1954年東京家庭裁判所判事補・最高裁判所事務総局民事局付、最高裁判所事務総局総務局付、1957年旭川地方裁判所・旭川家庭裁判所判事補、1958年札幌地方裁判所・札幌家庭裁判所判事補、1960年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、1962年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事、1963年司法研修所教官兼、1968年大阪高等裁判所判事、1971年東京地方裁判所判事、1972年同部総括、1973年東京高等検察庁検事・法務大臣官房参事官、1975年法務大臣官房司法法制調査部長兼、1978年東京高等裁判所判事、1980年福井地方裁判所・福井家庭裁判所長。
田中 千里(たなか ちさと、1924年9月11日 - 199… 田中 千里(たなか ちさと、1924年9月11日 - 1998年8月11日)は、日本のアヴェロエス(イブン・ルシュド)研究者。近畿大学教授。日本のイスラーム哲学研究のパイオニア世代の1人。[要出典] 1924年、兵庫県神戸市に生まれる。関西学院中学部(旧制)を卒業。山口県で教師となるが、1年で辞職。実兄がいた東京へ移住し、東京の大学予備校へ入学する。神戸高等商船学校(後に神戸商船大学、現在 神戸大学 海事科学部)へ入学。 終戦後、大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在 大阪大学 外国語学部)英米科へ編入し、卒業する。続いて京都大学文学部哲学専攻(旧制)に入学し、1951年 卒業(美学専攻で受験したが不合格であったため、1年浪人して入学した。
前田 優(まえだ まさる 、1924年(大正13年)8月26… 前田 優(まえだ まさる 、1924年(大正13年)8月26日 - 2011年(平成23年)2月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第14代海上幕僚長。 兵庫県出身。旧制加古川中学校を経て海軍兵学校に入校。太平洋戦争中は空母「鳳翔」などに乗組む。戦後は復員業務に従事したのち海上警備隊に入隊。海上自衛隊では第1術科学校長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、第14代海上幕僚長に就任。2年余の任期中、海自にとって永年の懸案だった補給実施要領や自衛艦乗員服務規則など各種の内規を整備して実施に移したほか、P-3C部隊の新編、シーレーン防衛議論への対応などに務めた。
富樫 淳(とがし じゅん、1924年8月22日 - 1986… 富樫 淳(とがし じゅん、1924年8月22日 - 1986年10月26日)は兵庫県武庫郡鳴尾村(現:西宮市)出身の元プロ野球選手。
北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013… 北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013年2月12日)は、日本の実業家。関西スーパーマーケットの創業者でもある。 大阪府出身。1941年に私立中外商業学校(現在の兵庫県立尼崎北高等学校)を卒業。大阪鉄道管理局での勤務を経て、1959年に関西スーパーマーケットを設立し、社長に就任。2002年4月には会長に就任。。 1985年4月に藍綬褒章を受章した。。 2013年2月12日、肺炎のために死去。88歳没。
品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 20… 品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 2013年8月29日)は、元・日本火災海上保険(現損害保険ジャパン)会長で、経済同友会終身幹事、財団法人国際開発センター会長。財界人としては珍しく、新自由主義的な経済政策への批判、平和主義・護憲の立場から発言や運動を行っていた。「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人。 兵庫県神戸市出身。第二次世界大戦中の1944年12月、旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒、旧制第三高等学校在学中に大日本帝国陸軍に召集され、中国戦線に出兵する。戦闘で負傷し、散弾の破片を体内に残していた。中国で二等兵のまま終戦を迎え、抑留の後、1946年に復員。
木崎 良平(きざき りょうへい、1924年7月25日 - 2… 木崎 良平(きざき りょうへい、1924年7月25日 - 2005年8月15日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 兵庫県神戸市出身。戦前に在学中に高等文官試験司法科に合格し、学徒動員で満洲に行くも、病気となり療養所で敗戦。ソ連に抑留されたが脱走して、苦労を重ねながら日本に帰還した。京都大学法学部卒業後の1951年に弁護士登録。大阪弁護士会会長、日弁連副会長、法制審議会委員などを歴任した。 1990年9月に最高裁判事に就任。1990年衆院選を一票の格差訴訟で「違憲状態」としつつ有効とした大法廷判決に対し、「2倍以上で違憲状態、1年以内に定数が是正されなければ選挙を無効にするべき」とする反対意見を述べた。
金山 明(かなやま あきら、1924年7月17日 - 200… 金山 明(かなやま あきら、1924年7月17日 - 2006年9月2日)は、日本の画家・現代美術家。 1924年7月17日、兵庫県尼崎市に生まれる。 具体美術協会の初期メンバーであった。妻は同じく美術家の田中敦子。1947年に多摩美術大学を中退し、大阪市立美術研究所で学んだ。グタイミニピナコテカ、ギャラリーHAM等で作品を発表した。 2006年9月2日、肺癌のため死去。82歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
阪田 清春(さかた きよはる、1924年6月17日 - 19… 阪田 清春(さかた きよはる、1924年6月17日 - 1987年11月4日)は、兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。弟の阪田正芳、阪田芳秀もプロ野球選手である。1950年の登録名は阪田清治。
好美 のぼる(よしみ のぼる、本名:尾原 三好、1924年4… 好美 のぼる(よしみ のぼる、本名:尾原 三好、1924年4月30日 - 1996年4月)は日本の漫画家。兵庫県神戸市出身。代表作は「にくしみ」「あっ!生命線が切れている」。 1924年、兵庫県神戸市に生まれる。日本大学卒業。広告会社勤務を経て、大阪に移り赤本漫画家としてデビュー、その後も貸本漫画を執筆する。その後は東京に再上京、曙出版の貸本漫画やB級劇画雑誌などで活躍した。 1969年に『週刊少女フレンド』に短期連載された復讐ホラー漫画「にくしみ」は「子供調査研究所マンガ嗜好調査」のベスト10に選出されたという。 晩年は立風書房で描きおろしのホラー漫画を執筆。また、趣味である折り紙やペーパークラフトの本を出版し、近所の子供に作り方を教えるなどしていた。
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月2… 伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった。 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
谷田 比呂美(たにだ ひろみ、1924年4月22日 - )は… 谷田 比呂美(たにだ ひろみ、1924年4月22日 - )は、昭和中期(1940年代後半~1950年代)に活躍したプロ野球選手。
城崎 進(じょうさき すすむ、1924年3月26日 - 20… 城崎 進(じょうさき すすむ、1924年3月26日 - 2017年8月1日)は、日本の神学者。専門は旧約聖書学。関西学院大学名誉教授、名誉神学博士。 兵庫県西宮市出身。1946年関西学院大学商経学部卒業。同大学院に在籍後、文学部神学科に編入学。相浦忠雄教授の下で、旧約聖書学を専攻した。1951年に文学部神学科助手に就任、その際神学部開設のための実務に当たった。1954年よりアメリカのユニオン神学校に留学。1963年に関西学院大学神学部教授。1969年の大学紛争時に学長代行代理として学内正常化に努力する。その後、院長代行代理、学長代理、院長代理などを歴任し、1977年に神学部長、1981年から学長を務めた。
高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - … 高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - 2015年1月9日)は、日本の天文学者(銀河天文学)。 学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 兵庫県西脇市出身。萩原雄祐、鏑木政岐、広瀬秀雄に師事。東京大学東京天文台附属木曽観測所の初代所長を務めたことで知られる。 のちに天文学者となった東京大学での学問的な弟子としては磯部琇三、岡村定矩、濱部勝などがいる。また、逗子市長・島根大学法文学部を経て龍谷大学法学部教授となった富野暉一郎(政治家・政治学者)も、高瀬の門下生である。 高瀬の業績を記念してその名前は小惑星に名付けられた。高瀬の名がつけられた小惑星については(2838) Takaseを参照。
柴田 俊一(しばた としかず、1924年3月6日 - 200… 柴田 俊一(しばた としかず、1924年3月6日 - 2009年4月26日)は、日本の原子炉工学者。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)長。元近畿大学原子力研究所長。文部省科学官、日本学術会議原子力特別委員長、同研究連絡委員長、原子力委員会参与等を歴任した。兵庫県出身。 1941年旧制神戸村野工業学校卒業。旧制神戸高等工業学校(現:神戸大学工学部)精密機械科を卒業した後、川崎航空機で軍用輸送機の設計に従事する。1944年軍隊に入隊。陸軍技術少尉。終戦後、陸軍航空技術将校として公職追放処分となったため家業を継ぐつもりだったものの、大学の再開に伴い大阪大学工学部電気工学科に入学する。
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18… 陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。台湾国籍同時保有。日本芸術院会員。長男は写真家の陳立人(1952年 - )。
河合 雅雄(かわい まさを、1924年(大正13年)1月2日… 河合 雅雄(かわい まさを、1924年(大正13年)1月2日 - )は、日本の霊長類学者、児童文学作家で理学博士。兵庫県立丹波の森公苑長、京都大学名誉教授、日本福祉大学生涯教育研究センター名誉所長、兵庫県立人と自然の博物館名誉館長。「雅雄」の「雄」は、現行の中学校の教科書(学校図書入学2年)をはじめとする各著書において、「を」という歴史的仮名遣いを用いている。一方、姓の「河合」は現代仮名遣いの「かわい」。なお、弟の「隼雄」は「はやお」という現代仮名遣いを用いている。
淡路 通子(あわじ みちこ、本名非公開、1924年 - 20… 淡路 通子(あわじ みちこ、本名非公開、1924年 - 2007年(平成19年))は宝塚歌劇団で演技講師を務めた人物。元宝塚歌劇団花組・星組組長。兵庫県宝塚市出身。宝塚歌劇団時代の愛称はおふくちゃん、おふくろさん。 芸名は小倉百人一首の第78番:源兼昌の 1936年、26期生として、宝塚歌劇団に入団。 1965年に花組組長就任。 1975年に花組組長を退任し、星組組長就任。 1979年、星組組長を退任。 1984年に宝塚歌劇団を退団。 退団後は宝塚歌劇団演技講師に転身した。 2014年、創設された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人のひとりとして殿堂入り。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
別府 岩雄(べっぷ いわお、1924年 - )は、兵庫県神戸… 別府 岩雄(べっぷ いわお、1924年 - )は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。
荒川 祐吉(あらかわ ゆうきち、1923年12月28日 - … 荒川 祐吉(あらかわ ゆうきち、1923年12月28日 - 2018年5月26日)は、日本の商学者・経営学者。学位は、商学博士。神戸大学名誉教授。福田敬太郎門下。兵庫県出身。 ゼミ出身者に亀井範雄元東邦テナックス社長などがいる。 2000年4月:勲二等瑞宝章受章。
日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> … 日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> 10月31日 - 2021年 <令和3年> 3月11日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県豊岡市出身。1946年に京都帝国大学工学部電気化学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社した。1972年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2021年3月11日、心不全のために死去。
赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2… 赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2000年4月16日)は、日本の政治学者。 兵庫県豊岡市出身。旧制姫路高等学校を経て、1950年東京大学法学部政治学科卒。1955年同大学院研究奨学生修了。旧・東京都立大学人文学部講師、助教授、1966年法学部教授。1987年定年退官、名誉教授、明治学院大学教授。1994年退職。 父は中筋村(現豊岡市)村長の赤木一雄、兄は画家の赤木蘇夫二(そぶじ)、叔父は農学博士・政治家で「砂防の父」と呼ばれる赤木正雄である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 章良(こばやし あきよし、1923年9月22日 - 2… 小林 章良(こばやし あきよし、1923年9月22日 - 2002年12月13日)は兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
福田 歓一(ふくだ かんいち、1923年7月14日 - 20… 福田 歓一(ふくだ かんいち、1923年7月14日 - 2007年1月7日)は、日本の政治学者。専門は、西欧政治思想史。東京大学名誉教授。
江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 … 江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 - 2015年〈平成27年〉1月13日)は、日本の画家。本名は荻野絹子。夫はフランス系アメリカ人の船乗り、長女は芥川賞受賞作家で慶應義塾大学名誉教授の荻野アンナ。 兵庫県明石市二見町生まれ。兵庫県立加古川高等女学校(現兵庫県立加古川西高等学校)卒業。女学校では絵画クラブに所属しており、油絵は男のすることと見なされた時代において、大反対する父を説き伏せ、卒業後に油絵の道へ進んだ。後に二紀会会員となる洋画家の伊川寛の個人教授を受けた後、戦後は神戸市立洋画研究所で学んだ。 神戸市立太田中学校の図画教師を経て、1949年(昭和24年)、第4回行動展(行動美術協会の公募展)に初入選、翌1950年(昭和25年)、第5回展で奨励賞を受賞、1952年(昭和27年)、第7回展で最高賞である行動美術賞を受賞、1953年(昭和28年)に行動美術協会で初の女性会員となった。
土居 晴夫(どい はるお、1923年(大正12年)5月6日 … 土居 晴夫(どい はるお、1923年(大正12年)5月6日 - 2018年(平成30年)2月16日)は、日本の歴史家、坂本龍馬研究家。龍馬の甥にあたる坂本直寛の孫。 兵庫県神戸市生まれ。報徳商業学校(現在の報徳学園)卒。神戸市職員、八代学院大学(現・神戸国際大学)講師。神戸史学会、土佐史談会、高知海南史学会に所属。龍馬研究会顧問・東京龍馬会顧問・愛媛龍馬会顧問を歴任した。
武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年… 武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年2月17日)は、日本の国文学者。 神戸市出身。1943年学徒出陣、中国戦線を転戦。1949年東京帝国大学文学部国文学科卒。51年同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て1973年群馬大学教育学部助教授。1975年大妻女子大学助教授、76年教授、84-88年文学部長、大妻学院理事、96年定年退任、名誉教授。1999年勲四等旭日小綬章受勲。解釈学会会長を務めた。
榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2… 榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2022年1月21日)は、日本の書家。本名は弘(ひろむ)。書道香瓔会を主宰。日展参事、日本書芸院名誉顧問。 兵庫県西脇市出身。兵庫師範学校卒。安東聖空にまなび、1956年日展初入選、1966年、1975年特選。1985年兵庫県文化賞受賞。1996年日展出品の「流翳」で日本芸術院賞受賞。古筆を研究して現代的な感覚で「かなの美」を追求した。若山牧水の短歌をモチーフにした書をライフワークとした。 2022年1月21日午前7時2分、肺炎のため兵庫県加東市の病院で死去。98歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 201… 尾上 久雄(おのえ ひさお、1923年3月20日 - 2014年10月23日)は日本の経済学者。兵庫県姫路市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2… 原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2003年)は、日本の詩人。マチネ・ポエティクに属し、押韻定型詩を試みた。芥川賞作家池澤夏樹の母。声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は孫。画家のSaya(摩耶の娘)は曽孫。 本名は山下澄。兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業後上京、日本女子大学に学ぶ。第2外国語として学んでいたフランス語の力をつけるためにアテネ・フランセに通い、福永武彦と知り合う。福永の誘いによって、マチネ・ポエティクの集まりに参加し、原條あき子の筆名を使用するようになる。1944年、女子大卒業直後に福永と結婚、1945年に長子夏樹をもうける。
谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2… 谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2007年8月19日)は、日本の編集者、文芸評論家。堀辰雄の研究で知られる。妻は詩人の牟礼慶子。 徳島県生まれ。兵庫県神戸市出身。大阪府立池田師範学校、東京高等師範学校を経て、京都大学文学部卒。在学中から堀辰雄研究を行い、大阪府立桜塚高等学校教諭時代に遠藤周作と知り合った縁から、「三田文学」に「堀辰雄年表」が掲載される。1954年に新潮社に入社。出版部時代、『武者小路実篤全集』を皮切りに、室生犀星『杏っ子』、幸田文『流れる』、安部公房『砂の女』、遠藤周作『沈黙』など、編集者として数々の話題作を手掛けた。1976年『新潮』編集長。町田に転居した遠藤に誘われて「町田会」にも参加し、多くの文豪たちと交友を持った。