東 正剛(ひがし せいごう、1949年 - )は、日本の生物… 東 正剛(ひがし せいごう、1949年 - )は、日本の生物学者。北海道大学名誉教授、放送大学客員教授。専門は動物生態学、分子生態学、進化学、環境科学。 1949年宮崎県高鍋町生まれ。奈良県立高田高等学校をへて奈良教育大学卒業、1980年北海道大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学、1980年理学博士(北海道大学)。1980年北海道大学大学院環境科学研究科助手、1993年教授、2005年同大学大学院地球環境科学研究院教授、2012年北海道大学名誉教授。 大学院ではハナバチの社会学研究で著名な坂上昭一に師事してアリ類の生態学研究に着手。その中で日本海に面した石狩浜で調査したエゾアカヤマアリのスーパーコロニーが、地球上で最も巨大なアリのコロニーであることを明らかにしたことは特筆される。
池田 研介(いけだ けんすけ、1949年(昭和24年) - … 池田 研介(いけだ けんすけ、1949年(昭和24年) - )は、奈良県吉野町出身の日本の物理学者。理学博士(京都大学・1979年)。京都大学基礎物理学研究所教授を経て、立命館大学教授から現在立命館大学名誉教授。 専門は非線形光学。複雑系物理学。光とそれに共鳴するレーザ媒質のような量子媒質の運動を記述するマックスウェル・ブロッホ(MB)方程式がカオス解を持つことを示し、光の乱流状態である光カオスの存在を世界で初めて理論的に予測し、実験的に検証された。この様子を記述する最も簡単な規則はIkeda map(池田写像)と呼ばれ、それが作る奇妙なアトラクターは Ikeda attractorと呼ばれている。
川西 繁子(かわにし しげこ、1948年〈昭和23年〉12月… 川西 繁子(かわにし しげこ、1948年〈昭和23年〉12月5日 - )は日本の競泳選手。種目は自由形。奈良県奈良市出身。奈良県立五條高等学校から日本女子体育大学に進学、オリンピックに2度出場している。 1968年のメキシコシティオリンピックの100m自由形で18位、小林美和子・西側よしみ・藤井康子との400mリレーで6位となった。1972年のミュンヘンオリンピックの100m自由形で28位、合志えい子・竹本ゆかり・西側よしみとの400mリレーで10位となった。 日本選手権水泳競技大会の100m自由形で1967年から1972年まで6年連続優勝、200m自由形で1969年から1972年まで4年連続優勝している。
磐石 博文(ばんじゃく ひろふみ、1948年10月21日 -… 磐石 博文(ばんじゃく ひろふみ、1948年10月21日 - 2001年8月22日)は、奈良県御所市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は辻川 博文(つじかわ ひろふみ)(旧姓・萩山)。177cm、150kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。 中学生の時に朝日山が訪ねて来て「夏休みに1度、東京へ遊びにおいで。ゆっくり東京見物させてあげるよ」と言われたので、相撲は嫌いだったが喜んで上京した。朝日山部屋の人達が親切に接してきたので、我慢して過ごしている内に入門を決意し、入門するにあたって墨田区立堅川中学校に転校した。1962年9月場所に初土俵。1969年9月場所に新十両昇進、翌11月場所に四股名を磐石に改める。
柳沢 保徳(やなぎさわ やすのり、1948年〈昭和23年〉1… 柳沢 保徳(やなぎさわ やすのり、1948年〈昭和23年〉10月5日 - )は、日本の物理学者。研究分野は文化財科学、応用物性、分離・精製・検出法。 大和国郡山藩柳沢家第9代当主。 柳沢斉徳(薩摩藩島津家第30代当主・島津忠重四男)と柳沢佐久子(大和国郡山藩柳沢家第8代当主・柳沢保承四女)の長男として誕生。 父の斉徳が1954年に養子縁組を解消し、島津家に復籍したことから祖父の跡を継ぎ、第9代当主となる。 奈良県立奈良高等学校、大阪大学理学部物理学科、大阪大学大学院基礎工学研究科物性工学専攻修士課程修了。 1987年度 - 1995年度:奈良教育大学教育学部助教授 2002年度 – 2003年度: 奈良教育大学教育学部教授 また、奈良教育大学学長や学校法人帝塚山学園学園長も務めた。
福田 進(ふくだ すすむ、1948年(昭和23年)8月26日… 福田 進(ふくだ すすむ、1948年(昭和23年)8月26日 - )は、日本の大蔵・財務官僚。奈良県吉野郡出身。 1971年に大蔵省入省。同期入省者に、藤井秀人(日本政策投資銀行副社長、財務事務次官)、寺澤辰麿(横浜銀行頭取、国税庁長官)、高木祥吉(ゆうちょ銀行社長、金融庁長官)、田村義雄(クロアチア大使、環境事務次官)、志賀櫻(弁護士)、吉永國光(東和銀行会長、同行頭取)、坂井隆憲(衆議院議員)、山本幸三(衆議院議員)などがいる。 主として主税畑でキャリアを積んだ。財務省退官後、損害保険協会副会長を務め、麻生内閣の内閣官房副長官補に就任。なお、右翼活動家(防共挺身隊に関係する)福田進とは別人物。
北岡 伸一(きたおか しんいち、1948年〈昭和23年〉4月… 北岡 伸一(きたおか しんいち、1948年〈昭和23年〉4月20日 - )は、日本の政治学者、歴史学者。奈良県立大学理事長、政策研究大学院大学客員教授、東京大学名誉教授、立教大学名誉教授。学位は法学博士(東京大学・1976年)。専門は日本政治外交史。 国連次席大使(2004年4月 - 2006年8月)、国際大学学長、国際協力機構(JICA)理事長を歴任。 奈良県吉野郡吉野町で造り酒屋の家に生まれる。祖父と父は共に吉野町長。大叔父は官僚・経済学者の北岡寿逸。東大寺学園中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、1976年博士課程修了、博士論文「日本陸軍と大陸政策 1906年 - 1918年」により、法学博士取得。
東 祥高(あずま よしたか、1948年4月12日 - 201… 東 祥高(あずま よしたか、1948年4月12日 - 2012年10月11日)は、日本の作曲家、シンセサイザー奏者。奈良県大宇陀町(現・宇陀市)出身。妻は、五つの赤い風船のリードボーカルであった藤原秀子。 あぷるぱみす(おおたぼう、村上律、東祥高)、五つの赤い風船の元メンバー。 アルバム『シンセサイザー組曲「エイシアン・ウインド」』から『シンセサイザー組曲「ファー・フロム・エイシア」』まではあずまよしたか名義、アルバム『AZUMA』から『THE WANDERER』まではAZUMA名義で活動していた。アメリカのプライベート・ミュージック(英語版)レーベルに最初に参加した日本人である。 1976年、大阪市淀川区に「TON STUDIO」を開設。
竹村 幸造(たけむら こうぞう、1948年2月10日 - )… 竹村 幸造(たけむら こうぞう、1948年2月10日 - )は、日本の実業家。株式会社アーバンリサーチ創業者・代表取締役会長。 奈良県御所市出身。1971年京都産業大学経営学部卒業。商社に4月入社したが9月に退職。父親のいとこが経営するジーンズカジュアルショップの三信衣料に入社。1974年大阪府門真市のダイエー古川橋店へ出店。1989年ジグ三信設立。1997年アメリカ村にアーバンリサーチを初出店。2001年アーバンリサーチに商号変更。2012年URホールディングス設立、同社社長就任。2013年からはファストファッション型SPAに参入。デジタル化なども進めた。2023年4月に同社会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
谷口 功(たにぐち いさお、1947年10月24日 - ) … 谷口 功(たにぐち いさお、1947年10月24日 - ) は、日本の化学者。専門は電気化学、生物電気化学。熊本大学学長、国立高等専門学校機構理事長、国際電気化学会日本代表、日本工学アカデミー副会長、日本化学会副会長、国立大学協会副会長などを歴任した。 奈良県奈良市出身。1963年奈良女子大学文学部附属中学校卒業。1966年奈良女子大学文学部附属高等学校卒業。1970年東京工業大学(のちの東京科学大学)理工学部応用化学課程卒業。1972年同大学大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程修了。1975年同博士課程修了、工学博士、東京工業大学大学院理工学研究科博士研究生、東京工業大学工学部附属工業高等学校専攻科非常勤講師。
佐々木 幹郎(ささき みきろう、1947年10月20日 - … 佐々木 幹郎(ささき みきろう、1947年10月20日 - )は、日本の詩人。 奈良県天理市で生まれ大阪府藤井寺市で育つ。ランドスケープアーキテクトの佐々木葉二は弟。美陵町立(現・藤井寺市立)藤井寺小学校、大阪市立阪南中学校、大阪府立大手前高等学校を経て、同志社大学文学部哲学科中退。 1967年、大手前高校卒業。高校時代は美術部と社会科学研究会に所属し、当時から詩作に励んでいた。羽田闘争で死亡した山崎博昭とは同期である。1970年、その死を追悼した第一詩集『死者の鞭』で詩壇にデビュー。大学時代は「同志社詩人」に所属。詩誌「白鯨」(1972年〜75年)創刊同人。 1976年、中原中也と小林秀雄の恋人であった長谷川泰子を主演にした映画「眠れ蜜」(監督・岩佐寿弥、撮影・田村正毅、脚本・佐々木幹郎)を独立プロダクション「シネマ・ネサンス」で製作。
都司 嘉宣(つじ よしのぶ、1947年9月21日 - )は、… 都司 嘉宣(つじ よしのぶ、1947年9月21日 - )は、日本の地震学者。公益財団法人深田地質研究所客員研究員、防災科学技術研究所客員研究員。元東京大学地震研究所地震火山災害部門准教授。
田中 星児(たなか せいじ、1947年〈昭和22年〉8月27… 田中 星児(たなか せいじ、1947年〈昭和22年〉8月27日 - )は、日本の歌手。奈良県御所市出身。名前は、星の綺麗な夜に生まれた事にちなむ。歌手のグッチ裕三は従弟である。法政大学卒業。 作曲家としてのペンネームに「中山 竜」がある。 音楽教師をしていた両親の赴任地である奈良県御所市で出生、小学校3年生の時大阪府大阪市へ転居。幼少から音楽的環境に恵まれていた。 大阪府立阪南高等学校[要出典]在学中からオーディション番組やのど自慢などに参加し、法政大学在学中の1966年にはTBS『ナショナル10人抜きのど自慢』優勝、1968年にはNHK『NHKのど自慢全国大会』(ポピュラーの部)優勝、シャンソンコンクールで入賞、といった実力を発揮する。
外山 義明(とやま よしあき、1947年7月30日 - 19… 外山 義明(とやま よしあき、1947年7月30日 - 1991年9月1日)は、奈良県出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。
白浜 一良(しらはま かずよし、1947年〈昭和22年〉7月… 白浜 一良(しらはま かずよし、1947年〈昭和22年〉7月6日 - )は、日本の政治家。公明党顧問。 参議院議員(4期)、黎明クラブ代表、公明党参議院幹事長、公明党幹事長代理、公明党参議院議員会長、公明党副代表などを歴任した。
太田 登(おおた のぼる、1947年(昭和22年)4月19日… 太田 登(おおた のぼる、1947年(昭和22年)4月19日 - )は、日本近代文学研究者。専門は『明星』を中心とした明治・大正期の短歌。天理大学名誉教授。 奈良県奈良市生まれ。1971年天理大学文学部国文学国語学科卒業。1977年立教大学大学院博士課程修了。1978年天理大学文学部専任講師、1983年助教授、1993年教授。2002年から1年間、中国文化大学(台湾)に交換教授として赴任。2005年「近代短歌史の研究」で立命館大学より文学博士の学位を取得。2008年停年退職、名誉教授。2009年国立台湾大学教授。
多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 -… 多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 - )は、日本の法相宗の僧侶で、現在、法相宗大本山興福寺寺務老院(責任役員)、同寺菩提院住職、帝塚山大学特別客員教授。 奈良県奈良市出身。帝塚山小学校、帝塚山中学校・高等学校を経て、1969年に立命館大学文学部哲学科心理学専攻を卒業。その後、入寺。執事や副住職を務め、1989年からは興福寺貫首(代表役員)に就任、2019年に退任した。貫首在任中は法相宗管長を務め、また中金堂再建など、伽藍の復興に精力的に取り組んだ。貫首退任後も責任役員を務め、引き続き境内整備や伽藍復興などの事業に取り組んでいる。 また、 法相宗の理論である唯識の研究や仏教文化論の研究を行い、執筆活動や講演活動なども積極的に行なっている。
西郷 隆文(さいごう たかふみ、1947年〈昭和22年〉 -… 西郷 隆文(さいごう たかふみ、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の陶芸家。日置南洲窯代表。鹿児島県陶業協同組合、及び鹿児島県薩摩焼協同組合・初代理事長。特定非営利活動法人西郷隆盛公奉賛会理事長。維新の三傑の一人・西郷隆盛の曾孫にあたる。2011年(平成23年)度・現代の名工、及び2012年(平成24年)度・黄綬褒章受賞。 1947年(昭和22年)、西郷隆泰の長男として奈良市に生れる。幼い頃は京都で暮らしており、父は京都大学でゼロ戦に代わる次世代航空機の研究、設計、製作などを行う技師で、ほとんど家にいなかった。雄弁に語ることはせず、剣道を極め、立ち居ふるまいに武人としての誇りを感じていた父親とは、日常会話も畳一枚離れ敬語で会話していた。
秋本 吉徳(あきもと よしのり、1947年 - 2022年4… 秋本 吉徳(あきもと よしのり、1947年 - 2022年4月21日)は、日本の国文学者。清泉女子大学名誉教授。元駿台予備学校古文科講師。元東大進学塾エミール古文科講師。
新家 靖之(しんか やすゆき、1946年11月25日 O型-… 新家 靖之(しんか やすゆき、1946年11月25日 O型- )は、日本の旅行作家・随筆家。日本旅行作家協会理事 地球の歩き方の旅の達人として知られ、定期的に旅の達人ブログに旅行ブログを投稿している。主に、海外の近現代美術を中心に絵画や建物に関する紀行文が多い。海外旅行のノウハウに関するセミナーを定期的に開催している。ファイナンスの専門家としての一面もあり、現在、ファイナンシャル・プランナーとして日本FP協会に所属している。現在、(社)日本旅行作家協会理事 学生時代は、演劇集団らくだの会に所属し活動を行う。大学時代の同期には、劇団アンゲルス主宰の演出家の岡井直道がいる。また、従兄弟には、オリックス・バファローズの元球団社長である松岡良伯がいる。
山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は… 山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は、奈良県出身の日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手(中堅手)。 御所工業高校ではエースとして2年次の1962年に春の選抜に出場。1回戦は松谷栄司を擁する北海高との乱打戦の末に打ち勝つ。2回戦では松山商と対戦、好投するが山下律夫投手を攻略できず1-2で敗退した。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たす。準々決勝に進み、この大会に優勝した下関商のエース池永正明と投げ合い2点をリードするが、9回に3点を失い逆転負けを喫した。同年の春季近畿大会では決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降して優勝。夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗した。
元田 昌義(もとだ まさよし、1946年1月5日 - )は、… 元田 昌義(もとだ まさよし、1946年1月5日 - )は、奈良県香芝市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 御所工では東田正義と同期で、2年次の1962年に春の選抜へ正捕手として出場。2回戦で松山商と対戦したが、山下律夫を攻略できず敗退。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たして準々決勝に進むが、この大会に優勝した下関商の池永正明に抑えられて敗退。同年の春季近畿大会ではエース・戸田善紀を擁するPL学園を降して優勝し、夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗。 卒業後の1964年に南海ホークスへ入団。強打の選手ではあったが、入団時期が野村克也の全盛期と重なったため、一軍での出場機会はほとんどなかった。
菅下 清廣(すがした きよひろ、1946年 - )は、日本の… 菅下 清廣(すがした きよひろ、1946年 - )は、日本の実業家、経済評論家。スガシタパートナーズ株式会社代表取締役社長、立命館アジア太平洋大学学長特別顧問。 和歌山県生まれ。奈良県立奈良高等学校を経て、1969年に立命館大学経済学部を卒業し、大和証券に入社。1974年にメリルリンチに転じ、1980年にはVice presidentに就任。1984年、キダー・ピーボディに転じ、事業法人担当最高責任者に就任。1989年にラザードジャパンアセットマネジメント株式会社に転じ、1991年には代表取締役社長に就任。1998年に同社を退き、顧問となる。その後は独立し、1998年3月にファイナンシャルサービス株式会社を設立。
薩摩 順吉(さつま じゅんきち、1946年 - )は、日本の… 薩摩 順吉(さつま じゅんきち、1946年 - )は、日本の工学者。数学教育者。東京大学名誉教授、武蔵野大学名誉教授。 1946年現在の奈良県大和郡山市に生まれる。1968年京都大学工学部数理工学科卒業。1973年京都大学大学院工学研究科博士課程数理工学専攻単位修得退学。京都大学工学部数理工学科助手、宮崎医科大学医学部一般教育助教授、東京大学工学部物理工学科助教授を経て、東京大学大学院数理科学研究科教授、青山学院大学理工学部物理・数理学科教授、桜美林大学ビジネスマネジメント学群数学科非常勤講師、武蔵野大学工学部数理工学科教授。 可積分系、非線形差分方程式の研究者として知られる。
北村 敬子(きたむら けいこ、1945年11月21日 - 2… 北村 敬子(きたむら けいこ、1945年11月21日 - 2023年6月13日)は、日本の会計学者。位階は正五位。 中央大学名誉教授。中央大学副学長、ヤマトホールディングス監査役、京王電鉄監査役、明治安田生命保険取締役、日野自動車監査役等を歴任。会計士補(公認会計士試験旧第二次試験合格)・税理士。旧姓米田。 奈良県出身。東京都立新宿高校卒業後、中央大学商学部会計学科に入学。学生時代、中央大学経理研究所に所属し、学部在学中に公認会計士第二次試験に合格した。1968年、同大学商学部会計学科卒業。1970年、同大学大学院商学研究科修士課程修了。1973年、同博士課程単位取得退学。同年、中央大学商学部助手に採用。
梅田 善久(うめだ よしひさ、1945年〈昭和20年〉10月… 梅田 善久(うめだ よしひさ、1945年〈昭和20年〉10月4日 - )は、日本の政治家。元奈良県香芝市長(1期)。旭日双光章受章。 奈良県北葛城郡下田村 (現香芝市)出身。香芝町役場に入る。香芝市市制施行後は副市長を務める。 2008年香芝市長選挙に立候補し、無投票で当選する。市長を1期務め、2012年に退任した。
東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 20… 東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 2016年1月2日)は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(外野手)。 御所工業では3年次の1963年に中堅手として春の選抜へ出場し、準々決勝に進むが、池永正明を擁する下関商業に敗退。同年の春季近畿大会では、決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降し優勝。夏の奈良大会でも決勝に進むが、高田高に惜敗。高校同期に捕手の元田昌義がいた。 高校卒業後は1964年に三重交通へ入社し、円子宏監督の指導を受ける。 1966年の産業対抗では日通浦和に補強され準々決勝に進出し、日本石油の平松政次から2安打を放つが先発の金田留広が6回に枝松道輝に同点本塁打を喫し、9回サヨナラ負けを喫した。
島田 康寛(しまだ やすひろ、1945年(昭和20年)4月2… 島田 康寛(しまだ やすひろ、1945年(昭和20年)4月2日 - )は、日本の美術史家。神戸市立小磯記念美術館館長。 奈良県橿原市生まれ。1968年関西学院大学文学部美学科卒、奈良県立文化会館学芸員、1972年奈良県立美術館開設事務所学芸員、1973年奈良県立美術館学芸員、1975年京都国立近代美術館研究員、1981年立命館大学文学部助教授、教授、同先端総合学術研究科教授、2013年定年退任。2012年神戸市立小磯記念美術館館長。江戸時代から昭和初期にかけての日本画コレクターとしての顔も持ち、好きな絵師である与謝蕪村の別号・謝春星から名を取った、春星館コレクション249点を所蔵している。
東樋口 護(とうひぐち まもる、1945年 - )は日本の工… 東樋口 護(とうひぐち まもる、1945年 - )は日本の工学者、公立鳥取環境大学教授。奈良県生駒郡平群町出身、京都市在住。
橋本 武徳(はしもと たけのり、1944年12月8日 - 2… 橋本 武徳(はしもと たけのり、1944年12月8日 - 2020年10月9日)は、奈良県天理市出身の日本の高校野球指導者。元天理高等学校硬式野球部監督。現役時代は外野手。 1944年、現在の天理市に生まれた橋本は、天理小学校から天理中学校を経て、1960年に天理高校に入学した。1962年、第44回全国高等学校野球選手権大会に8番・中堅手として出場したが、1回戦敗退した。法政大学に進学後は野球部に入部せず、卒業後は天理教教会本部に就職し、以後野球とは無縁の日々を送った。 1982年5月、天理高校野球部監督が辞任したことにより、後任監督を要請され受諾。1983年の第65回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、1回戦敗退した。
吉仲正和(よしなか まさかず、1944年11月18日 - 1… 吉仲正和(よしなか まさかず、1944年11月18日 - 1992年8月)は、日本の科学史学者。 奈良県北葛城郡河合町出身。1968年東京大学教養学部科学史科学哲学卒、1972年同大学院理学研究科科学史修士課程修了。1972年広島大学総合科学部講師、1978年助教授、1979年東北大学理学部助教授。47歳で死去。
中川 隆進(なかがわ たかのぶ、1944年8月2日 - )は… 中川 隆進(なかがわ たかのぶ、1944年8月2日 - )は、日本の大蔵官僚。日本銀行政策委員会大蔵省代表委員を最後に退官後、第二地方銀行協会副会長兼専務理事等を経て、トマト銀行代表取締役社長や、同社取締役会長を務めた。瑞宝中綬章受章。 奈良県大和郡山市出身、大和郡山市立郡山中学校、奈良県立奈良高等学校を経て、1968年に京都大学経済学部を卒業し、大蔵省に入省(銀行局総務課)。 証券局業務課課長補佐、証券局企業財務課長、証券局資本市場課長、大臣官房会計課長などを経て、1993年に神戸税関長に就任。 1994年から国税庁長官官房国税審議官、1995年に大蔵省大臣官房金融検査部長を務めた。1997年に日本銀行政策委員会大蔵省代表委員に就任。
中森 喜彦(なかもり よしひこ、1944年5月11日 - )… 中森 喜彦(なかもり よしひこ、1944年5月11日 - )は、日本の法学者。専門は刑法。京都大学名誉教授、近畿大学名誉教授。法科大学院協会副理事長。 奈良県奈良市出身。学説は行為無価値(京大の教授は伝統的に行為反価値と呼ぶ)の立場に立つ。 著書『刑法各論』は簡潔だが名著として広く読まれている。『刑法総論』については出版する気が乏しいことを講義中などに度々述べていた。
辻 良樹(つじ よしき、1944年3月25日 - )は、書家… 辻 良樹(つじ よしき、1944年3月25日 - )は、書家、日本の随筆家。 奈良県天理市生まれ。1962年に、奈良県立郡山高等学校普通科卒業。大井証券(株)本社電子計算課入社(和光証券、新光証券、現在は、みずほ証券)。 1970年に、円満退社(脱サラ)。1990年に、共同産業(株)専務取締役 円満退社。システムセイファ(株)設立。 その間、趣味が昂じて「ことば&書」活動を行う。個展、講演、講座などを精力的に行う。2002年に、長兄(上場会社トップ)の急逝を機に、「ことばは命」を出版。2008年に、システムセイファ(株)を後進に移譲。「ことば&書」活動に専念し現在に至る。 「ことば&書のふれあい展」を過去60回以上実施 一心寺南会所ギャラリー(大阪府)朝日新聞本社アサコムホール(大阪府)歯ART美術館(香川県)レストランTOKYO(ウクライナ キーウ)寿ファーマシー(兵庫県)常設コーナー サンケイ新聞/山陽新聞/伊勢新聞 他多数
奥野 信亮(おくの しんすけ、1944年3月5日 - )は、… 奥野 信亮(おくの しんすけ、1944年3月5日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、法務大臣政務官、法務副大臣、衆議院法務委員長、総務副大臣、自由民主党法務部会長、自由民主党奈良県連会長を歴任。父は衆議院議員の奥野誠亮、弟は経済学者の奥野正寛。 東京都出身。内務官僚だった奥野誠亮と母・宏子の間に長男として生まれる。1962年3月、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学工学部管理工学科2年生の1963年11月、父親が衆院選に立候補し初当選した。1966年3月、慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同年4月、日産自動車株式会社に入社。 1996年1月、日産自動車取締役に就任。1999年6月、日産グループの株式会社バンテックの代表取締役社長に就任。
中島 節男(なかじま せつお、1944年1月22日 - 20… 中島 節男(なかじま せつお、1944年1月22日 - 2022年4月24日[要出典])は、奈良県香芝市出身のプロ野球選手。右投右打。 高田高校から1962年に国鉄スワローズに入団。外野手から捕手、さらには一塁手とポジションを転々とした。1965年と翌1966年に一軍の試合に通算79試合に出場したが、この年限りで退団した。 その後は王寺町でカレー店を開店した。
松村 國隆(まつむら くにたか、1943年〈昭和18年〉11… 松村 國隆(まつむら くにたか、1943年〈昭和18年〉11月16日 - )は、日本のドイツ文学者、大阪市立大学名誉教授。奈良県龍田町生まれ。奈良県立奈良高等学校卒、1966年大阪市立大学文学部独文科卒、1970年同大学院修士課程修了、同助手、1972年講師、1981年助教授、1990年教授、2007年定年退官、名誉教授。1995年「中世オーストリアにおける歌謡の伝統と革新」で大阪市大博士(文学)。
田野瀬 良太郎(たのせ りょうたろう、1943年〈昭和18年… 田野瀬 良太郎(たのせ りょうたろう、1943年〈昭和18年〉10月31日 - )は、日本の政治家。 財務副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、自治政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院財務金融委員長、衆議院議員(6期)、奈良県議会議員(2期)、五條市議会議員(2期)、自由民主党総務会長(第48代)、自由民主党幹事長代行(初代)などを歴任。次男は衆議院議員の田野瀬太道。 奈良県五條市出身。名古屋工業大学工学部工業化学科卒業。1973年、五條市議会議員選挙に立候補し、初当選。五條市議を2期務めた後、奈良県議会議員選挙に立候補し、当選。県議も2期務める。 1981年、社会福祉法人愛誠会なかよし保育園を開園。
竹内 行夫(たけうち ゆきお、1943年7月20日 - )は… 竹内 行夫(たけうち ゆきお、1943年7月20日 - )は、日本の外交官、裁判官。駐インドネシア日本国大使館大使、外務事務次官、最高裁判所裁判官などを歴任。奈良県出身。 小泉政権において、いわゆる田中眞紀子騒動で前任の野上義二が更迭されたことにより、駐インドネシア大使から事務次官に就任。外務省内の語学派閥では「アメリカンスクール」に属し、日米同盟を固守する立場をとった。次官在任中には、イラク戦争を支持したほか、小泉純一郎首相の訪朝が実現している。しかし、田中均外務審議官による北朝鮮との独自ルートによる秘密外交問題に対して、当初は秘密外交を追認していたが、世論の批判が高まり、最終的に田中を退官させた。
野村 正雄(のむら まさお、1943年 5月2日‐)は、日本… 野村 正雄(のむら まさお、1943年 5月2日‐)は、日本の銀行家。 三栄相互銀行社長、および普通銀行(第二地方銀行)転換後の奈良銀行社長・頭取を、通算26年間にわたって務めた。 1943年5月2日、三栄相互銀行(1953年設立)の創業者で初代社長の野村万作(戦後、官選31代・公選初代奈良県知事)の長男として奈良県に生まれる。青々中学校(現東大寺学園)を経て、1968年に京都大学法学部を卒業後に大和銀行に入行し、4年間勤務した。1972年に三栄相互銀行に入社、1974年5月には取締役に就任し、業務部長としてコンピューター化の導入を推進した。 1978年12月6日、創業社長の野村万作の死去を受けて、翌12月7日に取締役であった野村正雄が第2代社長に就任した。
麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本… 麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。本名は大森 宏。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。
植村 家忠(うえむら いえただ、1943年(昭和18年)2月… 植村 家忠(うえむら いえただ、1943年(昭和18年)2月16日 - 2020年(令和2年)10月14日)は、日本の政治家。奈良県元高取町長(4期)。位階は従五位。旭日小綬章。 高取町出身。旧大和高取藩第15代当主・植村家治の三男として生まれる。日本生命保険元専務取締役の植村家隆は異母兄。 1965年(昭和40年)日本大学芸術学部卒。大手広告代理店、県議会議員を経て、2008年(平成20年)高取町長に就任。その後、計4回当選。2015年(平成27年)6月日本大学奈良県支部長に就任。 2020年(令和2年)10月14日、多臓器不全のため田原本町内の病院にて77歳で死去。死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈されたた。
森岡 正宏(もりおか まさひろ、1943年1月29日 - )… 森岡 正宏(もりおか まさひろ、1943年1月29日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員(2期)。厚生労働大臣政務官、衆議院厚生労働委員会委員などを歴任。日本の領土を守るため行動する議員連盟会長。学校法人奈良大学評議員。 奈良県立奈良高等学校を経て、1966年に同志社大学経済学部を卒業。浅沼組大阪本店に6年半勤務した後、1973年1月から、当時の衆議院議員奥野誠亮の秘書となる。1980年7月から翌年11月まで、法務大臣秘書官。1987年11月から翌年5月まで、国土庁長官秘書官。 1996年10月、自民党の新人候補として第41回衆議院議員総選挙に奈良1区から出馬したが、新進党現職だった高市早苗に敗北し、比例復活もならず、落選。
絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月2… 絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月24日 - 2025年〈令和7年〉8月1日)は、日本の洋画家。位階は従三位、勲等は文化勲章。独立美術協会会員、大阪芸術大学教授、東京芸術大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、一般社団法人日本美術家連盟理事などを歴任した。 長男は彫刻家の絹谷幸太、次女は画家の絹谷香菜子。 奈良県奈良市元林院町に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。 小学校一年生の頃から油絵を習い始めた。芸大卒業後の1971年にイタリアへ留学、目から鱗が落ちるほどの感銘を受け、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究した(「アフレスコ」(affresco) はイタリア語で「フレスコ」のこと)。
根本 貞夫 (1942年12月12日 -)は、日本の元大蔵官… 根本 貞夫 (1942年12月12日 -)は、日本の元大蔵官僚。内閣官房内閣審議官、理財局次長、岩手県副知事などを歴任した。 1961年 奈良高校卒業、1965年 京都大学法学部卒業後、同年大蔵省(現財務省)に入省。国民生活と関連深いキャリアとしては、関税局では海外旅行者の免税枠の引き上げ(5万円から20万円)、理財局では国営昭和記念公園への国有地の移管などを処理する。理財局次長になる。また、岩手県に出向し副知事に、内閣官房に出向し内閣審議官になる。2013年4月 瑞宝中綬章を受章。次男、根本隆二郎はNTTグローバルビジネス推進室担当部長、NTT本社理事。
十朱 幸代(とあけ ゆきよ、1942年〈昭和17年〉11月2… 十朱 幸代(とあけ ゆきよ、1942年〈昭和17年〉11月23日 - )は、日本の女優。東京市日本橋区(現:東京都中央区)出身。血液型はO型。父は俳優の十朱久雄。所属事務所は株式会社アクターズ・セブン。 ニッポン放送の朝のラジオ番組『いってらっしゃい』の初代パーソナリティ。「国民の恋人」と称された。文化学院英文科卒業。 父・十朱久雄は日本橋で江戸時代から続く、麻問屋「小倉貿易」の長男だったが、学生時代から芝居に熱中し、家業を継ぐ気が全くなかったことから、祖父が東京を離れれば芝居を辞めるだろうと、母との結婚を契機に自社の機械工場があった奈良県へ送り出した。父が江戸っ子であることに誇りを持っていたため、母をわざわざ東京に送り返し、十朱幸代を東京の病院で出産させた。
千本 倖生(せんもと さちお、1942年9月9日 - )は、… 千本 倖生(せんもと さちお、1942年9月9日 - )は、日本の連続起業家、実業家、教育者。 日本電信電話公社(現在のNTT)を経て、第二電電(DDI、現KDDI)を共同創業した。その後慶應義塾大学教授に転じた。イー・アクセス株式会社、続いてイー・モバイル(現Y!モバイル)を創業し、両社の代表取締役社長、会長を務めた後、同社取締役名誉会長を務めた。2014年3月に同社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任。2017年9月に公益財団法人千本財団を設立、代表理事を務める。 日本における通信事業開拓者として知られる人物である。京都大学卒業後、日本電信電話公社に入社。
菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 201… 菅谷 文則(すがや ふみのり、1942年9月7日 - 2019年6月18日)は、日本の考古学者。滋賀県立大学名誉教授、前奈良県立橿原考古学研究所所長。 1942年、奈良県宇陀郡榛原町(現・宇陀市)で生まれた。奈良県立畝傍高等学校を経て、関西大学文学部考古学科で学んだ。同大学院文学研究科に進学し、1967年に修士課程を修了。 同大学副手を経て、奈良県立橿原考古学研究所で古墳や寺院跡などの発掘に従事。北京大学に留学し、帰国後はシルクロード学研究センター研究主幹などを務めた。1995年、滋賀県立大学教授に就任。2008年に滋賀県立大学を定年退任し、名誉教授となった。2009年から橿原考古学研究所の第5代所長を務めた。
芳村 思風(よしむら しふう、1942年 - )は、日本の哲… 芳村 思風(よしむら しふう、1942年 - )は、日本の哲学者。思風庵哲学研究所所長 奈良県御所市出身。学習院大学文学部哲学科を卒業。下村寅太郎先生に「感性の研究」を認められ、大学院へ進学。28歳の時、下村先生の勇退により、同時期に学習院大学大学院博士課程を中退。「思風庵哲学研究所」を設立する。感性論哲学という感性が生命や人間の本質であり、宇宙の究極的実在であるとする哲学を体系化させた人物と言われている。 現在、全国で20数カ所、感性論哲学を学ぶ「思風塾」が、開催されている。
脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 - )は、日本の陶… 脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 - )は、日本の陶芸家。奈良教育大学名誉教授。放送大学客員教授。 奈良県立畝傍高等学校を経て、奈良学芸大学(現在の奈良教育大学)を1965年に卒業し、父祖の地・明日香村で飛鳥赫窯を開窯し、創作活動に入る。教育者、古代陶器研究家、陶芸作家の顔を併せ持つ。飛鳥・奈良時代の土器・須恵器・三彩など古代の陶芸技法の研究・復元における第一人者である。ライフワークとして「陶芸における古代の造形美を探求し、その美と情感を多元的に具現すること」と、「陶芸の各種技法を習得し、土から生まれる創造的表現の喜びを体感させることにより、文化財の意味と価値を会得すること」を掲げている。