東 利夫(あずま としお、1960年4月6日 - )は、奈良… 東 利夫(あずま としお、1960年4月6日 - )は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手・プロ野球審判員。
奈良県:77人
東 利夫(あずま としお、1960年4月6日 - )は、奈良… 東 利夫(あずま としお、1960年4月6日 - )は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手・プロ野球審判員。
西口 裕治(にしぐち ゆうじ 1959年5月4日 - )は日… 西口 裕治(にしぐち ゆうじ 1959年5月4日 - )は日本の元プロ野球選手。奈良県出身。大和高田市立高田商業高等学校卒業。捕手。右投右打。
山口 哲治(やまぐち てつじ、1959年4月17日 - )は… 山口 哲治(やまぐち てつじ、1959年4月17日 - )は、奈良県五條市出身の元プロ野球選手(投手)・プロ野球コーチ。
米村 理(よねむら おさむ、1959年4月3日 - )は、奈… 米村 理(よねむら おさむ、1959年4月3日 - )は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
柳原 隆弘(やなぎはら たかひろ、1955年6月12日 - … 柳原 隆弘(やなぎはら たかひろ、1955年6月12日 - )は、奈良県吉野郡大淀町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
田中 昌宏(たなか まさひろ、1954年9月28日 - )は… 田中 昌宏(たなか まさひろ、1954年9月28日 - )は奈良県五條市出身の元プロ野球選手。
高代 延博(たかしろ のぶひろ、1954年5月27日 - )… 高代 延博(たかしろ のぶひろ、1954年5月27日 - )は、奈良県吉野郡下市町出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球コーチ・野球評論家。
福田 功(ふくだ いさお、1953年6月28日 - )は、奈… 福田 功(ふくだ いさお、1953年6月28日 - )は、奈良県天理市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスチーム統括本部スカウト&ディベロップメント部副部長を務める。
伊達 泰司(だて やすじ、1951年3月3日 - )は、奈良… 伊達 泰司(だて やすじ、1951年3月3日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。右投右打。息子は元プロ野球選手の伊達昌司。 名前の読みは、1973年から1976年5月13日までは「いだて やすじ」であった。 御所工業高校では、1968年春の第40回選抜大会に中堅手として出場。1回戦で杉山茂、町田公雄らのいた銚子商に敗れた。高校時代の同期には、同じ法大を経て近鉄入りする松村彰士がいる。 法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1学年上のエース横山晴久らを擁し1969年秋季リーグから4季連続優勝を経験。全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会とも準優勝1回。当時の法大外野陣には、同期に長崎慶一、1年上に依田優一(大昭和製紙)、鈴木士郎(住友金属)が揃っており、なかなかレギュラーには届かなかった。
松村 彰士(まつむら しょうじ、1950年7月20日 - )… 松村 彰士(まつむら しょうじ、1950年7月20日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(内野手)。 御所工業高では三塁手、控え投手として活躍。1968年の春の選抜に出場。1回戦で杉山茂、町田公雄らのいた銚子商に敗退。高校同期に伊達泰司がいる。 1968年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから5位指名されるが、これを拒否して伊達泰司とともに法政大学に進学。1969年秋季リーグから4季連続優勝を経験。全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会とも準優勝1回。1年上に藤村正美、高岡茂夫、森貞周治、1年下に山本功児がおり、なかなか活躍の機会はなかった。 大学卒業後は社会人野球のエアロマスターへ進むが1年目途中で会社倒産により辻和へ移籍するも、1974年オフにドラフト外で近鉄バファローズに入団。
上田 容三(うえだ ようぞう、1950年6月14日 - )は… 上田 容三(うえだ ようぞう、1950年6月14日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
忍 全功(しのぶ ぜんこう、1949年1月14日 - )は、… 忍 全功(しのぶ ぜんこう、1949年1月14日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。 御所工高では主将をつとめ、攻走守にバランスの取れた選手として知られる。2年秋の県大会決勝は延長12回引き分け再試合の末に敗退して準優勝すると近畿大会では優勝。三番打者・二塁手として1966年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で金沢高に敗退。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、郡山高の植村秀明投手に0-1で完封負け、紀和大会への出場権を獲得できなかった。 社会人野球の日立製作所への就職が決まっていたものの、1966年の第1次ドラフト2位で指名され、大洋ホエールズへ入団。守備は安定していたが打撃が課題でなかなか一軍へ上がれず、1971年限りで退団。
外山 義明(とやま よしあき、1947年7月30日 - 19… 外山 義明(とやま よしあき、1947年7月30日 - 1991年9月1日)は、奈良県出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。
山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は… 山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は、奈良県出身の日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手(中堅手)。 御所工業高校ではエースとして2年次の1962年に春の選抜に出場。1回戦は松谷栄司を擁する北海高との乱打戦の末に打ち勝つ。2回戦では松山商と対戦、好投するが山下律夫投手を攻略できず1-2で敗退した。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たす。準々決勝に進み、この大会に優勝した下関商のエース池永正明と投げ合い2点をリードするが、9回に3点を失い逆転負けを喫した。同年の春季近畿大会では決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降して優勝。夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗した。
元田 昌義(もとだ まさよし、1946年1月5日 - )は、… 元田 昌義(もとだ まさよし、1946年1月5日 - )は、奈良県香芝市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 御所工では東田正義と同期で、2年次の1962年に春の選抜へ正捕手として出場。2回戦で松山商と対戦したが、山下律夫を攻略できず敗退。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たして準々決勝に進むが、この大会に優勝した下関商の池永正明に抑えられて敗退。同年の春季近畿大会ではエース・戸田善紀を擁するPL学園を降して優勝し、夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗。 卒業後の1964年に南海ホークスへ入団。強打の選手ではあったが、入団時期が野村克也の全盛期と重なったため、一軍での出場機会はほとんどなかった。
東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 20… 東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 2016年1月2日)は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(外野手)。 御所工業では3年次の1963年に中堅手として春の選抜へ出場し、準々決勝に進むが、池永正明を擁する下関商業に敗退。同年の春季近畿大会では、決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降し優勝。夏の奈良大会でも決勝に進むが、高田高に惜敗。高校同期に捕手の元田昌義がいた。 高校卒業後は1964年に三重交通へ入社し、円子宏監督の指導を受ける。 1966年の産業対抗では日通浦和に補強され準々決勝に進出し、日本石油の平松政次から2安打を放つが先発の金田留広が6回に枝松道輝に同点本塁打を喫し、9回サヨナラ負けを喫した。
橋本 武徳(はしもと たけのり、1944年12月8日 - 2… 橋本 武徳(はしもと たけのり、1944年12月8日 - 2020年10月9日)は、奈良県天理市出身の日本の高校野球指導者。元天理高等学校硬式野球部監督。現役時代は外野手。 1944年、現在の天理市に生まれた橋本は、天理小学校から天理中学校を経て、1960年に天理高校に入学した。1962年、第44回全国高等学校野球選手権大会に8番・中堅手として出場したが、1回戦敗退した。法政大学に進学後は野球部に入部せず、卒業後は天理教教会本部に就職し、以後野球とは無縁の日々を送った。 1982年5月、天理高校野球部監督が辞任したことにより、後任監督を要請され受諾。1983年の第65回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、1回戦敗退した。
中島 節男(なかじま せつお、1944年1月22日 - 20… 中島 節男(なかじま せつお、1944年1月22日 - 2022年4月24日[要出典])は、奈良県香芝市出身のプロ野球選手。右投右打。 高田高校から1962年に国鉄スワローズに入団。外野手から捕手、さらには一塁手とポジションを転々とした。1965年と翌1966年に一軍の試合に通算79試合に出場したが、この年限りで退団した。 その後は王寺町でカレー店を開店した。
今村 正博(いまむら まさひろ、1941年8月22日 - )… 今村 正博(いまむら まさひろ、1941年8月22日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手。
森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - … 森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - 2008年4月14日)は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。1970年から1974年までの登録名は森中 通晴(もりなか みちはる)。 奈良商工では2年次の1956年にエースとして秋季近畿大会に出場したが、1回戦で寝屋川高に敗れたため選抜出場はならなかった。3年次の1957年は春季近畿大会県予選の準々決勝で郡山高に惜敗し、夏も県予選で敗れて甲子園には届かなかった。 卒業後の1958年に南海ホークスへテスト入団。入団当時は制球難で、1年目は選手登録すらしてもらえず、もっぱら打撃投手が主な役割であった。2年目の1959年にウエスタン・リーグで防御率0.90を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
村井 保雄(むらい やすお、1934年12月22日 - )は… 村井 保雄(むらい やすお、1934年12月22日 - )は、日本の元高等学校・大学野球選手、および高等学校・大学野球の指導者(監督)である。
森本 達幸(もりもと たつゆき、1934年11月6日 - )… 森本 達幸(もりもと たつゆき、1934年11月6日 - )は、日本の高校野球指導者。47年間(連続)、奈良県立郡山高等学校の野球部監督を務めたことで知られる。現役時代は投手。左利き。
久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3… 久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3月10日)は、奈良県出身のプロ野球選手。 母校の五條中学校で教諭を勤めていたが1950年に阪急ブレーブスへ入団。1952年退団。
植田 武彦(うえだ たけひこ、1927年4月13日 - )は… 植田 武彦(うえだ たけひこ、1927年4月13日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手。 奈良県立五條中学校から1950年に阪急ブレーブスへ入団。1954年は、この年に創設された高橋ユニオンズでプレーし、同年引退。
戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1… 戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1986年)は、奈良県出身のプロ野球選手(三塁手)、高校野球監督。 畝傍中学(現・奈良県立畝傍高等学校)卒業後、1939年3月10日に南海軍に入団。翌1940年に一軍出場を果たし、3月18日の巨人戦(西宮球場。トリプルヘッダーの3試合目だった)で初出場。しかし、自身の成績不振と戦局の悪化に伴い、一軍出場の期間は約1ヶ月と短く、4月20日の名古屋軍(鳴海球場)が最終出場となった。1940年シーズン終了後、軍に入営し、そのまま現役引退した。 戦後は、奈良県立高田高等学校の監督に就任。高田高校を1955年春の甲子園に導き、ベスト4に入る健闘をみせた(準決勝で稲川東一郎率いる桐生高〈この大会準優勝〉に3-6で惜敗)。
長谷川 治(はせがわ おさむ、1916年6月9日 - 199… 長谷川 治(はせがわ おさむ、1916年6月9日 - 1993年5月10日[1])は、和歌山県出身の元プロ野球選手、高校野球監督。ポジションは投手。
薮内 正彦(やぶうち まさひこ)は、日本の元アマチュア野球選… 薮内 正彦(やぶうち まさひこ)は、日本の元アマチュア野球選手。ポジションは内野手。 郡山高校では、3年生の時に1971年春の甲子園に三塁手として出場した。しかし、1回戦で深谷商業高校に敗れた。同年の夏の甲子園にも出場し、チームは準決勝に進んだが、その準決勝で磐城高校に敗れた。同年の8月~9月に実施されたハワイ遠征のメンバーにも選ばれた。同年の秋に開催された黒潮国体にも出場したが、準決勝で報徳学園高校に敗れた。 同年のドラフト会議で近鉄バファローズから8位指名されたが入団を拒否。 高校卒業後は早稲田大学に進学。大学卒業後は東芝に入社した。その後、東芝ソリューションの常務取締役を務めた。