藤井 健志(ふじい たけし、1962年12月4日 - )は、… 藤井 健志(ふじい たけし、1962年12月4日 - )は、日本の大蔵・財務官僚。内閣官房内閣審議官、財務省主計局次長(次席)、国税庁次長を経て、国税庁長官、内閣官房副長官補を務めた。 島根県松江市出身。小学校4年まで松江で過ごした。開成高等学校から東京大学文科一類に入学。国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格。東京大学法学部卒業。1985年旧大蔵省入省。 『ロクマル』と呼ばれ、優秀な人間がそろっていると評判の期だった。他の24人は東大法学部14人、同大学経済学部4人、同大学教養学部2人、同大学工学部1人、京大経済学部1人、一橋大経済学部1人、東工大1名である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
由木 文彦(ゆき ふみひこ、1960年〈昭和35年〉10月8… 由木 文彦(ゆき ふみひこ、1960年〈昭和35年〉10月8日 - )は、日本の建設・国土交通・復興官僚。 島根県松江市出身。島根県立松江北高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用上級甲種試験(法律)に合格し、1983年4月に建設省に入省。 2015年7月31日から国土交通省住宅局長、2017年7月7日から総合政策局長、2018年7月31日から国土交通審議官を務め、2020年7月20日に復興庁事務次官に就任し、2021年7月1日退官。 2022年(令和4年)6月28日、東日本高速道路代表取締役社長に就任。
太田 充(おおた みつる、1960年4月17日 - )は、日… 太田 充(おおた みつる、1960年4月17日 - )は、日本の財務官僚。日本政策投資銀行代表取締役会長。元財務事務次官。 島根県松江市出身。1979年3月、島根県立松江南高等学校卒業。1983年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。同年4月、大蔵省入省(主計局総務課)。 2011年8月2日、財務省主計局次長に就任。同年9月2日、野田内閣が発足。野田佳彦の内閣総理大臣秘書官に就任。 2015年7月7日、財務省大臣官房総括審議官に就任。 2017年2月17日、安倍晋三首相は、学校法人森友学園に売却された豊中市の国有地をめぐる問題で、衆議院予算委員会で民進党の福島伸享から追及を受けると、「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した。
大庭 誠司(おおば せいじ、1959年6月23日 - )は、… 大庭 誠司(おおば せいじ、1959年6月23日 - )は、日本の総務官僚。さいたま市副市長や、内閣官房内閣審議官、消防庁次長等を歴任した。 島根県松江市生まれ。松江市立雑賀小学校、島根大学附属中学校、島根県立松江南高等学校を経て、東京大学工学部卒業、自治省入省。 1989年秋田県地方課長。1992年秋田県財政課長。1996年から福島県に企画調整部参事として出向。原子力政策の見直しに当たるなどした。1997年福島県生活環境部次長。1999年福島県企画調整部長。2002年内閣官房内閣参事官(安全保障・危機管理担当)。2005年総務省自治財政局財政課財政企画官。同年さいたま市副市長。2009年消防庁消防・救急課長。
毛利 信二(もうり しんじ、1957年6月1日 - )は、日… 毛利 信二(もうり しんじ、1957年6月1日 - )は、日本の国土交通官僚。京都市副市長、国土交通省土地・建設産業局長、国土交通省総合政策局長、国土交通審議官、国土交通事務次官等を歴任した。退官後、住宅金融支援機構理事長。 島根県松江市内中原町生まれ。島根県立松江北高等学校を経て、1981年 東京大学法学部卒業、建設省入省。1997年 建設大臣秘書官事務取扱。1999年 建設省大臣官房文書課企画官。2001年 国土交通省関東地方整備局建政部長。2002年 内閣府本府産業再生機構設立準備室参事官。2003年 国土交通省大臣官房地方課長。2004年 京都市副市長。2007年 国土交通省総合政策局不動産業課長。
実重重実(さねしげ しげざね、 1956年- )は、日本の元… 実重重実(さねしげ しげざね、 1956年- )は、日本の元農水官僚・生物学者。 島根県安来市出身。10代のとき「フジツボの研究」で科学技術庁長官賞を受賞。1979年東京大学卒業後、農林水産省に入省。微生物から植物、水生動物、哺乳類など幅広く動植物に係わった。発生生物学者・団まりなに師事し、階層生物学研究ラボに参加。農林水産省農村振興局長をへて2005年定年。全国山村振興連盟常務理事兼事務局長。
藤井 秀人(ふじい ひでと、1947年12月13日 - )は… 藤井 秀人(ふじい ひでと、1947年12月13日 - )は、日本の財務官僚。主計局長、財務事務次官等を歴任。2007年退官。 松江市立第四中学校、島根県立松江南高等学校卒業。高校の同期だった松浦正敬らと東京大学を受験するも不合格となり、翌年に親戚が京都にいるため京都大学法学部へ入学する。 好きな言葉は五省。趣味は囲碁、読書。好きなスポーツはゴルフ、水泳。家族は夫人と二男。東京都世田谷区代沢在住(いずれも1991年時)。 頭が切れすぎるのが欠点とされている同期の寺澤辰麿に対し、藤井は温厚な人柄からノンキャリア組の人気も高い。その一方で「出世よりギャンブル優先」と言う豪胆さもあり、あだ名は「ジャン助」である。
溝口 善兵衛(みぞぐち ぜんべえ、1946年(昭和21年)1… 溝口 善兵衛(みぞぐち ぜんべえ、1946年(昭和21年)1月20日 - 2024年(令和6年)8月20日)は、日本の大蔵・財務官僚、政治家。島根県知事(3期)。血液型はB型。 島根県益田市生まれ。島根県立益田高等学校、東京大学経済学部卒業。1968年4月、大蔵省に入省し、理財局総務課に配属された。鳥取税務署長などを務めた後、1977年より在ドイツ連邦共和国(西ドイツ)日本大使館に勤務(当初は二等書記官、のち一等書記官)。斎藤次郎は大使館時代の上司。1980年7月に大蔵省へ戻り、主計局主計官補佐(地方財政、補助金係主査)となる。溝口の主計官補佐(主査)への就任は斎藤の口添えがあったものだとされている。
細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年(昭和19年)4月5… 細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年(昭和19年)4月5日 - )は、日本の政治家、元通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第54代)、清和政策研究会会長。島根県松江市出身。
西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月… 西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月19日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従四位。 元出雲市長。島根県出雲市出身。 島根県立出雲高等学校卒業。東京外国語大学外国語学部英米科卒業。ウィスコンシン大学教育行政学修士課程修了。文部省入省。 1995年(平成7年)3月2日付で文部省を高等教育局主任視学官の役職で辞職した。その後、同年の出雲市長選挙に無所属で立候補して、自民党、社会党の推薦で初当選を果たした。2003年(平成15年)に3選を果たした。合併に伴う(新)出雲市発足に伴い、2005年(平成17年)3月21日に市長を退任した。翌月の(新)出雲市の市長選挙に立候補して、無投票で当選した。
松原 亘子(まつばら のぶこ、1941年1月9日 - )は、… 松原 亘子(まつばら のぶこ、1941年1月9日 - )は、日本の元労働官僚。1997年に女性初の事務次官に就任。労働事務次官を退官した後は、駐イタリア兼アルバニア兼サンマリノ特命全権大使等を歴任し、2006年から三井物産株式会社取締役、2008年から株式会社大和証券グループ本社取締役、2017年2月14日から株式会社電通社外取締役。
竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - … 竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - 2008年12月16日)は、日本の官僚・政治家。元広島県知事。島根県大田市出身。
山野 幸吉(やまの こうきち、1916年〈大正5年〉3月10… 山野 幸吉(やまの こうきち、1916年〈大正5年〉3月10日 - 1998年〈平成10年〉7月8日) は、日本の内務・自治官僚。初代沖縄・北方対策庁長官。位階は正四位。 島根県松江市出身。松江高等学校を卒業し、1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部を卒業。翌1942年、内務省に入省し神奈川県属となる。 短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月、同校を卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後、内務省に復帰し、静岡県商工課長、自治省公務員課長、千葉県総務部長、総理府特別地域連絡局長などを経て、1970年5月、沖縄・北方対策庁長官に就任した。
熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年(大正4年)11月… 熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年(大正4年)11月30日 - 1999年(平成11年)4月1日)は、日本の官僚。通商産業事務次官で退官後、住友金属工業社長・会長。位階は従三位。 島根県浜田市出身。浜田中学、六高を経て、1939年(昭和14年) 東京帝国大学法学部法科を卒業し住友本社に入社する。 翌年、商工省(後、通産省)入省。同期に、吉國一郎、小島慶三など。 戦後、通産省重工業局長、官房長、公益事業局長、企業局長を経て、1968年(昭和43年) 通産事務次官就任。八幡製鐵・富士製鐵の合併を推進した。 1969年(昭和44年)に退官し、1971年(昭和46年)住友金属工業に入社、常務に就任。
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治4… 細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之。 島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす。
大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月… 大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月24日 - 1981年〈昭和56年〉10月3日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員。運輸大臣、労働大臣、警察予備隊担当大臣、法務総裁を歴任。 島根県仁多郡三成町(現在の奥出雲町)出身。島根士族大橋只三郎の養子で陸軍少将常三郎の長男。母は代言人北田正董娘の酉。 内務省に入り岡山県警察部長のあと終戦直後の戦災復興院次長となる。1949年の衆議院選挙(島根県全県区)に初出馬当選、1976年の総選挙で落選、引退するまで連続10回当選。この間第3次吉田内閣で法務総裁、国務大臣(警察予備隊担当)、第2次及び第3次池田内閣で労働大臣、第1次及び第2次佐藤内閣で運輸大臣を歴任する。
小瀧 彬(小滝 彬、こだき あきら、明治37年(1904年)… 小瀧 彬(小滝 彬、こだき あきら、明治37年(1904年)7月1日 - 昭和33年(1958年)5月28日)は、日本の外務・商工官僚、政治家。参議院議員(2期)、防衛庁長官(第6代、第7代)。位階は正三位。 島根県雲南市(旧飯石郡三刀屋町)出身。東山中学、旧制松江高校文科甲類を経て、1927年東京帝国大学経済学部。 総領事、外務省情報部長、貿易庁輸出局長、通商産業省通商監、国際捕鯨委員会日本政府代表、終戦連絡大阪事務局局長。戦時中は陸軍司政官に任命された。 1950年に行われた第2回参議院議員通常選挙の島根県選挙区に自由党公認で立候補。国民民主党公認の櫻内義雄にわずか389票差で敗れた。しかし小瀧側は、櫻内の票の中に無効票(櫻内義雄の父櫻内幸雄の名を書いたものが義雄の有効票に数えられていた)が含まれているとの訴えを起こした。
近藤 英明(こんどう ひであき、1902年8月19日 - 1… 近藤 英明(こんどう ひであき、1902年8月19日 - 1991年10月27日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院草創期の1949年から1953年までの間、参議院事務総長を務めた。 島根県松江市出身。1927年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、内務省に入省。1931年12月に貴族院書記官に任ぜられ、以後、貴族院事務局で委員課長、議事課長、庶務課長を務めた。 この間、1935年の天皇機関説事件の際には、菊池武夫男爵による政府に対する緊急質問の通告を聞いた美濃部達吉から一身上の弁明のための発言通告を受け、近藤は恩師でもある美濃部に対し、一身上の弁明をせずに黙殺する方が賢明であり、菊池男爵のような右翼議員はいかによく説明しても納得するわけはなく、菊池が屈服したとしても背後の右翼勢力を刺激するだけである旨を伝えたが、美濃部は「お前の言うところは十分わかる。
数藤 鉄臣(すどう かねおみ、1896年(明治29年)9月8… 数藤 鉄臣(すどう かねおみ、1896年(明治29年)9月8日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、海軍司政長官。旧姓・村上。 本籍島根県。旧松江藩士・地方行政官、村上寿夫の二男として岡山県に生まれる。松江市北堀尋常小学校、松江中学校を卒業。海軍兵学校を志願したが、試験前の水泳で外耳炎となり身体検査で不合格となる。1915年2月、第一高等学校数学教授・数藤斧三郎の養子となる。第一高等学校第一部甲類を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年4月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年7月、内務省に入省し内務属となり警保局図書課に配属された。
岡田 文秀(おかだ ふみひで、1892年(明治25年)11月… 岡田 文秀(おかだ ふみひで、1892年(明治25年)11月25日 - 1989年(平成元年)11月19日)は、日本の内務・厚生官僚。官選県知事、厚生次官、海軍司政長官。旧姓・吉岡。 島根県出身。島根県官房主事・吉岡謙太郎の三男として生まれ、岡田宇之助の養子となる。島根県立松江中学校、第一高等学校を卒業。1916年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し東京府属となる。 1918年1月、東京府南葛飾郡長に就任。以後、岐阜県理事官・内務部地方課長、東京府理事官・視学官、内務書記官・都市計画局庶務課長、内務事務官・土木局勤務、土木局河川課長などを歴任。
大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5… 大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5日 - 1955年(昭和30年)9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。内務大臣(小磯内閣)、文部大臣(第5次吉田内閣)。参議院議員(1期)。 島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)に、酒造業・大達新作の次男として生まれる。浜田中学から一高に進み、1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、内務省に入る。宮城県属。 内務省では地方局財務課長を経て1932年(昭和7年)福井県知事となる。福井師範学校整理問題で県会と衝突し、それに対する内務省の扱いに不満を抱いて辞表を提出した。 1934年に満洲国に招かれて満洲国国務院総務庁法制処長、1936年同国務院総務庁長を歴任。
熊野 英(くまの えい、1889年〈明治22年〉8月3日 -… 熊野 英(くまの えい、1889年〈明治22年〉8月3日 - 1963年〈昭和38年〉2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。官選群馬県知事、松江市長。旧姓・石倉。 島根県出身。石倉家に生まれ、熊野家の養子となる。松江中学校を経て、第一高等学校を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1915年、内務省に入省し鹿児島県属となる。 以後、鹿児島県警視、同県日置郡長、同薩摩郡長、同県理事官、和歌山県理事官、同農林課長、同地方課長、帝都復興院書記官、復興局書記官・整地部庶務課長、同用地課長、愛知県書記官・学務部長、大阪府書記官・学務部長、岐阜県書記官・内務部長、三重県書記官・総務部長などを歴任。
井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 196… 井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 1965年7月20日)は、島根県出身の文部官僚。1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。 県立松江中学校、第一高等学校(同期に近衛文麿、山本有三、土屋文明)、東京帝国大学文科大学国文学科を卒業した。1921年、鹿児島県の第七高等学校造士館教授の時、大学の先輩である高木市之助に誘われ、文部省図書監修官となる。以後20年にわたって国定教科書の編集に関わる。 1925年から教科書研究のため1年間欧米に留学する。 1931年から『小学国語読本』の編纂に着手する。従来巻一の冒頭に単語から教えていたが井上は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」に象徴されるように文から習うように改めた。
伴 東(ばん あずま、1887年(明治20年)4月14日 -… 伴 東(ばん あずま、1887年(明治20年)4月14日 - 没年不明)は、日本の内務官僚。関東州官僚。 島根県海士郡海士村(現在の隠岐郡海士町)出身。大阪府立農学校獣医学科を経て、1910年(明治43年)に盛岡高等農林学校獣医学科を卒業した。のち法科に転じ法政大学に学んで1916年(大正5年)に高等文官試験に合格した。警視庁警視、愛知県額田郡長、同知多郡長、長崎県商工課長、同水産課長、同農林課長、福井県学務部長、岩手県警察部長、滋賀県警察部長、愛知県警察部長、大分県内務部長、関東局旅順民政署長を歴任した。 退官後、興中公司嘱託、天津電業公司総務科長、大連機械製作株式会社支配人・総務部長を経て、東亜生果株式会社社長を務めた。
岡 正雄(おか まさお、1882年〈明治15年〉12月27日… 岡 正雄(おか まさお、1882年〈明治15年〉12月27日 - 1948年〈昭和23年〉10月3日)は、日本の内務・警察官僚。憲政会系官選県知事、内務省警保局長。 島根県松江市出身。岡政徳の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年、内務省に入省し、北海道庁属となる。 以後、北海道庁事務官補、同理事官、佐賀県理事官、新潟県理事官、青森県警察部長、鳥取県内務部長、愛知県警察部長などを歴任。 1924年7月、富山県知事に就任。県営林造成、第二次伏木港築港工事、県営電力開発などに尽力。憲政会系と見られていたが、公正な県政運営により県民の信頼を得た。
間宮 龍真(まみや たつま、1882年(明治15年)4月2日… 間宮 龍真(まみや たつま、1882年(明治15年)4月2日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。東京市麻布区長。 島根県松江市出身。佐々木龍夫の五男として生まれ、間宮興孝の養子となった。1907年(明治40年)に東京外国語学校を卒業した後、長崎高等商業学校助教授を務めた。1914年(大正3年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、1917年(大正6年)内務省に入省して埼玉県属となり、同南埼玉郡長、島根県飯石郡長、同理事官、島根県学務部長、埼玉県学務部長を歴任し、1931年(昭和6年)に大分県警察部長に就任した。 退官後、東京市に入り、教育局庶務課長、同社会教育課長を務め、1937年(昭和12年)に麻布区長となった。
佐藤 信安(さとう のぶやす、1874年〈明治7年〉4月5日… 佐藤 信安(さとう のぶやす、1874年〈明治7年〉4月5日 - 1964年〈昭和39年〉8月1日)は、内務官僚、広島市長。 島根県松江市生まれ。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となった。その後、1900年(明治33年)に東京帝国大学大学院に入学し、同年には歩兵第21連隊に召集された。1902年(明治35年)、司法官試補を辞職して弁護士を開業した。1909年(明治42年)より検事となり、各地方の裁判所に勤務した。1913年(大正2年)、熊本県警察部長に転じ、翌年には山口県警察部長に就任した。さらに福島県内務部長を務めた。 1922年(大正11年)4月17日から1925年(大正14年)1月21日まで第14代広島市長を務めた。
俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日〈明治2年5… 俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日〈明治2年5月7日〉- 1944年〈昭和19年〉6月17日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員。商工大臣、立憲民政党幹事長などを歴任した。従二位勲一等。 1869年(明治2年)5月7日、石見国浜田(現:島根県浜田市)に俵家の3代目・三九郎、ミナの五男として生まれる。幼少の頃から家業の醤油醸造、ろうそくの製造販売等を手伝う。 浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)、泊園書院(現:関西大学)、共立学校(現:開成中学校)、第一高等学校を経て1895年(明治28年)帝国大学法科大学英法科(現:東京大学法学部)を卒業する。卒業後は内務官僚として官界に入り、1907年(明治40年)大韓帝国の学部次官、1910年(明治43年)同国の土地調査局副総裁(後の朝鮮総督府臨時土地調査局副総裁)に就任。
若槻 禮次郞(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(186… 若槻 禮次郞(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(1866年3月21日) - 昭和24年(1949年)11月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。栄典は正二位勲一等男爵。旧姓は奥村。幼名は源之丞。号は克堂。新字体にて若槻 礼次郎(わかつき れいじろう)と表記されることもある[注釈 1]。
高岡 直吉(たかおか ただよし、安政7年1月22日(1860… 高岡 直吉(たかおか ただよし、安政7年1月22日(1860年2月13日) - 昭和17年(1942年)9月1日)は、日本の内務省官僚・政治家。鹿児島県知事、島根県知事、宮崎県知事、初代札幌市長、錦鶏間祗候。勲二等瑞宝章。津和野藩出身。 北海道帝国大学総長である高岡熊雄は実弟にあたる。甥に高岡周夫がいる。 1860年、津和野藩士・高岡道敬、英の嫡男として石見国鹿足郡後田村(現・島根県鹿足郡津和野町後田)に生まれる。藩校養老館で学び、後に浜田県立英学所で学んだのち、官立東京英語学校から札幌農学校に進んだ。同校を卒業後の1882年(明治15年)山口県御用掛となり、1885年(明治18年)山口県立農学校の初代校長に就任する。
福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日… 福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日〈安政3年11月16日〉- 1921年〈大正10年〉5月19日)は、日本の造園家、園芸家、官僚、農学者。位階・勲等は正三位勲一等。爵位は子爵。宮内省で長く宮廷園芸技師として活躍、小豆島のオリーブや「福羽いちご」として知られるイチゴなど植物栽培、花弁果樹野菜等の品種改良など園芸分野で多く貢献をしたほか、新宿御苑をはじめとする宮内省管轄の庭園等の整備、武庫離宮(須磨離宮)の庭園設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計に当たった。 石見国津和野藩にて津和野藩士、佐々布利厚の三男として生まれる。父とは3歳のときに死別した。1872年(明治5年)、16歳のとき、国学者の同藩士・福羽美静の養子となる。
福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月… 福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は、日本の国学者・宮内官僚。通称は「文三郎」、号は「木園」、「硯堂」。 1831年(天保2年)、津和野藩士・福羽美質の長男として生まれた。幼少の頃に軽業(かるわざ、曲芸)師の真似をしようとして綱渡りをした際に誤って転落、腰部の関節を挫傷したために身長が伸びず、大人になっても5尺(約151.5cm)に満たなかったといわれる。父の友人から諭されて勉学に励み、1849年、19歳で藩校・養老館に入学して漢学や山鹿流兵学を学んだ。また荒木田守武の和歌に感銘を受け、歌道にも精進した。
西 周(、1829年3月7日〈文政12年2月3日〉- 189… 西 周(、1829年3月7日〈文政12年2月3日〉- 1897年〈明治30年〉1月31日) は、日本の啓蒙思想家・教育者、官僚。西 周助とも。爵位は男爵。 石見国津和野藩(現:島根県津和野町)の御典医の家柄。幼名、経太郎。父・西時義(旧名・森覚馬)は森高亮の次男で、川向いには西周の従甥(森高亮の曾孫)にあたる森鷗外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。 漢学の素養を身につける他、天保12年(1841年)に藩校・養老館で蘭学を学んだ。安政4年(1857年)には蕃書調所の教授並手伝となり津田真道と知り合い、哲学ほか西欧の学問を研究。文久2年(1862年)には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダに留学し、ライデン大学でシモン・フィッセリング(ドイツ語版)に法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。
原田 保夫(はらだ やすお)は、島根県邑智郡邑南町日貫出身の… 原田 保夫(はらだ やすお)は、島根県邑智郡邑南町日貫出身の日本の建設官僚。復興庁顧問。過去に、国土交通審議官、復興庁事務次官、民間都市開発推進機構理事長を歴任した。 島根県邑南町日貫出身で島根県立松江南高等学校を経て、1977年東京大学法学部卒業後、同年建設省(現国土交通省)入省。土地・水資源局長、内閣府政策統括官(防災担当)等を経て2013年8月から国土交通審議官となる。2014年の政府の閣議で人事が決まり、復興庁事務次官に充てられた。2015年3月、復興庁顧問に就任。2015年6月、民間都市開発推進機構理事長となる。2019年東日本建設業保証代表取締役社長。2021年東京都都市計画審議会会長。