井手 毛三(いで もうぞう、1850年2月21日(嘉永3年1… 井手 毛三(いで もうぞう、1850年2月21日(嘉永3年1月10日)- 1929年(昭和4年)9月15日)は、明治から昭和初期の政治家。衆議院議員、岡山県会議長、岡山県真庭郡落合町長。 美作国真島郡西河内村(岡山県真島郡瀬田河村大字西河内、真庭郡瀬田河村、落合町を経て現真庭市西河内)で、庄屋・井手勘三郎の長男として生れた。親族の山田方谷、その他、進祥山、三島中洲らに師事して漢学を修めた。 1874年(明治7年)副戸長に任じられ、戸長、久米北条郡区長などを歴任し、1877年(明治10年)父の出身地英田郡区務所長となる。1878年(明治11年)4月、共之社に加わり、1879年(明治12年)12月、国会開設建言書提出の作州総代に選出され元老院に提出した。
美澤 進(みさわ すすむ、1849年12月24日(嘉永2年1… 美澤 進(みさわ すすむ、1849年12月24日(嘉永2年11月10日) - 1923年(大正12年)9月16日)は日本の教育者。Y校の愛称で知られる横浜商法学校の初代校長であり、死没するその日まで同職を40年以上勤め続けた。字は業卿。 備中国三沢村(後の岡山県高梁市川上町三沢)の生まれ。遠祖は宇多源氏とされる。父・三村繁八郎、母・於美津の6人兄弟の長男で幼名を徳太郎という。実家は代々庄屋を務めて酒造りを行い、成羽藩藩外の豪士として名字帯刀を許された家柄であったが、家業の酒造りの失敗や父と叔父による鉱山投資の失敗で貧困に喘いでいた。美澤は学問での立身を志し、満12歳の1862年(文久2年)に興譲館へ入学。
金光萩雄(こんこう はぎお、嘉永2年4月25日(1849年5… 金光萩雄(こんこう はぎお、嘉永2年4月25日(1849年5月17日) - 大正8年(1919年)12月17日)は、金光教の初代管長。 嘉永2年(1849年)4月25日、今の岡山県浅口市金光町大谷に生まれる。赤沢文治(金光大神)登勢(とせ)の4男。幼名は、茂平(もへい)、後に石之丞(いしのじょう)と改められる。 慶応2年(1866年)10月11日、浅尾藩有志組に志願して名字帯刀を許され、明治元年(1868年)11月1日金光山神(こんこうさんじん)の神号を授けられた。 明治8年(1875年)古川参作の長女ゆきと結婚、三男二女をもうけた。 父、金光大神の布教を助けるため、教導職の資格を取り佐藤範雄らと共に金光教公認活動の中心となった。
福西志計子(ふくにし しげこ、弘化4年12月13日(1848… 福西志計子(ふくにし しげこ、弘化4年12月13日(1848年1月18日) - 明治31年(1898年)8月21日)は、日本の教育者、キリスト教信徒。幼名(本名)は福西繁(ふくにし しげ)であり、信仰者・教育者として職に携わるにあたっては名を読み替えて志計(しげ)ないしは志計子(しげこ)と名乗る。岡山県高梁市において岡山県初の女学校である順正女学校を設立した事により、同地において女子中等教育の実践を通し高等教育普及の礎を築いた人物。 幼少時、隣家の儒学者・山田方谷に漢学をはじめとした種々の教養を学び、17歳にて婿養子を迎えて結婚。のち29歳にて岡山裁縫伝習所において裁縫の伝習術を修め、高梁小学校附属裁縫所の教師となる。
立石 岐(たていし ちまた、1847年6月25日(弘化4年5… 立石 岐(たていし ちまた、1847年6月25日(弘化4年5月13日)- 1929年(昭和4年)4月4日)は、明治時代の政治家、養蚕家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。旧姓は小野。 備中国浅口郡船穂村(現・倉敷市船穂町船穂)の豪農・小野市太夫の4男として生まれる。幼少期に小野春発に学んだのち森田節斎の門に入り、さらに中原某に武術を学んだ。1866年(慶応2年)10月、19歳の時に美作国津山藩領西西条郡二宮村(苫田郡二宮村を経て、現在の津山市二宮)の大庄屋・立石正介の養嗣子となった。父の正介は大橋敬之助(立石孫一郎)とともに尊王攘夷に奔走し、遂には終身禁固に処され獄死した。 1878年(明治11年)4月、中島衛らと共に共之社を結成。
緒方 道平(おがた みちひら、1846年6月3日〈弘化3年5… 緒方 道平(おがた みちひら、1846年6月3日〈弘化3年5月10日〉 - 1925年〈大正14年〉7月23日)は、明治時代の日本の山林官僚。オーストリアで山林学を修めた。次男は医学者の緒方大象、三男はジャーナリスト・国会議員の緒方竹虎、四男は医師の緒方龍。 備中国下道郡矢田村(現・岡山県倉敷市)において郷士であった父妹尾康信の三男として生まれた。 1866年(慶応2年)、摂津国名塩村の蘭医伊藤慎蔵に師事し、次いで伊藤の師である大阪の緒方洪庵について蘭学を学んだ。ここで蘭学者緒方研堂から子弟を託され、研堂の養子となって緒方姓を名乗ることとなる。1872年(明治5年)、緒方は上京し、ドイツ語通訳としてウィーン万国博覧会で日本館を出展する田中芳男、津田仙、佐野常民らに随行してオーストリアに渡航した。
秋山 儀四郎(あきやま ぎしろう、1845年(弘化2年) -… 秋山 儀四郎(あきやま ぎしろう、1845年(弘化2年) - 1915年(大正4年)10月27日)は、岡山県倉敷市出身の実業家。 1845年、備中国倉敷で秋山文三郎の二男として生まれた。生家である天城屋は、代々米問屋と味噌糀の製造を兼業していた。 14歳で家業を手伝い、後に伯母の繁井屋を継ぎ、米問屋を経営した。 1865年(慶応元年)大坂堂島で仲買を始める。明治維新の際に一旦岡山へ帰り、「繁儀」の商号で米穀仲買を営む。 1870年(明治3年)再び堂島で開業する。1884年(明治17年)堂島で売買両派の対立があった際、売派の頭取の五代友厚一派の不正を摘発し、注目された。 1892年(明治25年)堂島より引退する。
馬越 恭平(まこし きょうへい、1844年11月21日(天保… 馬越 恭平(まこし きょうへい、1844年11月21日(天保15年10月12日) - 1933年(昭和8年)4月20日)は、日本の実業家。三井物産に勤務し、大日本麦酒(日本麦酒、朝日麦酒、札幌麦酒の合併会社)の社長を務めた人物。大日本麦酒の大合同合併を画策し、「日本のビール王」「東洋のビール王」とよばれた。衆議院議員(1期)、貴族院勅選議員。茶人・馬越化生としても知られた。 1844年(弘化元年)、備中国後月郡木之子村(現・岡山県井原市)で父の元泉と母の古尾子の2男として生まれる。馬越家は医者を生業としており兄の元育が医学で親と対立し東京に出たため、次期当主として期待されていた。幼少期は「負けずの恭弥やん」と呼ばれていた。
佐藤 兵八(さとう ひょうはち、1844年(弘化元年11月)… 佐藤 兵八(さとう ひょうはち、1844年(弘化元年11月)- 1900年(明治33年)6月22日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 備中国上房郡有漢村(岡山県上房郡有漢町を経て現高梁市有漢町有漢)で、酒造業の家に生まれる。幼少期は綱島某(名不詳)から漢学を学び、その後、進鴻渓に十余年師事し塾頭を務めた。 農業を営み、家業の酒造業に従事し、その後、醤油醸造業にも事業を拡大した。その他、高梁銀行頭取も務めた。公共のために私財を投じ、道路改修、官衙学校の建設、低所得者の救済に尽くした。 1890年(明治23年)岡山県会議員に選出され、学務委員、所得税調査委員、徴兵参事員なども務めた。
浅部 和七郎(あさべ わしちろう、1843年 - 1883年… 浅部 和七郎(あさべ わしちろう、1843年 - 1883年11月22日)は、岡山県窪屋郡子位庄(現・倉敷市)出身の実業家。 1843年、窪屋郡小位庄で生まれる。叔父である忠義と木綿栽培、材木業、漁業を営んでいたが成功しなかった。 1876年、開業資金を得て、廃坑となっていた中庄村の猿曳山銅山の再掘を始める。出費がかさむ事から、採掘事業は解散したが、和七郎一人踏みとどまり、新抗を試みていたところ鉱脈に接することに成功した。 また、早島村金田山廃坑の再掘を開始。多くの銅鉱を採掘し、巨額の富を得た。 巨額の利益を得たことから、数十町の田畑を買い、更に船舶を買い、海運業を始めた。 1883年11月22日、病で死去。
奥村 左近太(おくむら さこんた、1842年(天保13年)-… 奥村 左近太(おくむら さこんた、1842年(天保13年)- 1903年(明治36年)1月11日)は、幕末から明治の剣術家。流派は直心影流を学んだ後、奥村二刀流を創始した。称号は大日本武徳会精錬証。幼名は寅吉。 岡山藩士・奥村安心の子として生まれる。干支が壬寅であったことから寅吉と名付けられた。1855年(安政2年)、13歳で直心影流剣術の阿部右源次の道場に入門。同門に右源次の息子・阿部守衛がいた。剣術のほかに起倒流柔術や日置流印西派弓術、香取流槍術、砲術、馬術も学んだ。 1859年(安政6年)1月から回国修行の旅を繰り返す。この間に、伊予西条藩士・高橋筅次郎(田宮神剣流)が二刀を遣うのを見て、2年もの間、二刀を工夫し、左の大刀を横一文字に、右の小刀を大刀に交差し頭を庇いながら腰を引き、前かがみにする構えの奥村二刀流を編み出した。
堀 和平(ほり わへい、1841年2月16日(天保12年1月… 堀 和平(ほり わへい、1841年2月16日(天保12年1月25日) - 1892年(明治25年)5月16日)は、日本の洋画家・実業家である。岡山県洋画界の先駆者である。 氏は堀、名を和平安郷(やすさと)、杏邨(きょうそん)と称した。備中国賀陽郡八田部村(現岡山県総社市総社)西宮本町の豪商堀和助安忠の四男に生まれる。生家は備中国総社宮の神主のほか酒店、質屋、廻船問屋などを営み、屋号を「志保屋」(塩屋)と称し、備中松山藩の御用商人を務めた。二兄、三兄が早世し、長兄堀安道が病弱で学問の道に進んだため家業を継ぐ。1876年(明治9年)に玉島の西山武治や柚木金蔵ら有力者と共同で、浅口郡柏島村(現倉敷市玉島)の海面干潟に灰貝(モ貝)の養殖についての願書を県に提出したり、児島味野の足袋を作る材料でもある備中小倉織を売買するなど、実業家としての片鱗を見せている。
渡辺 磊三(わたなべ らいぞう、1841年(天保12年12月… 渡辺 磊三(わたなべ らいぞう、1841年(天保12年12月)- 1912年(明治45年)7月23日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。 備中国川上郡出身。成羽藩の藩校で漢籍を学んだのち郷里の戸長および区長となる。その後、郡長を経て1890年(明治23年)岡山県会議員に当選した。 同年7月の第1回衆議院議員総選挙では岡山県第5区から出馬し当選。第2回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた。
岡崎 惟素(おかざき これもと、1840年(天保11年) -… 岡崎 惟素(おかざき これもと、1840年(天保11年) - 1905年(明治38年)5月20日)は、日本の武士(岡山藩士)、実業家(三菱商会本社副支配人、日本郵船長崎支店長、日本逓業取締役、東京株式取引所理事)、茶人(織部流)。幼名は滝吉、のち滝之助。号は淵冲、谷神。 1840年(天保11年) 、備前国御野郡内田村(現・岡山市)生まれ。1870年(明治3年)、30歳の時は、岡山藩家老で金川領主の日置健太郎支配の下級藩士(陪臣)であった。廃藩置県後は東京に出て、官吏となるも、1877年(明治10年)36歳の時に岩崎弥太郎が創設した三菱商会に書記係として入社。のちに本社副支配人となる。1887年(明治20年)、三菱の荘田平五郎・内田耕作・浅田正文・岡本健三郎らと共に日本郵船(共同運輸と三菱汽船との合併会社)を創立した。
芳村 正秉(よしむら まさもち、天保10年9月19日(183… 芳村 正秉(よしむら まさもち、天保10年9月19日(1839年10月25日) - 大正4年(1915年)1月21日)は、美作国上福田(現在の岡山県真庭市蒜山上福田)出身の勤王の志士で神道家。号は「陽洲」(ようしゅう)。字は「均卿」(きんけい)。神習教初代管長。 医師芳村泰治の二男として美作国上福田に生まれる。母は新見藩士木山閑静の三女留乃。幼名は「謙輔(けんすけ)」。 弘化2年9月19日(1845年10月19日)、6歳の誕生日に祖母和記子に連れられて鎮守の御霊神社に参拝すると「芳村氏は大中臣の後裔にして、神道の家系に属し、異日千載不伝の神道を継ぎ、これを天下に明らかにすべし」との神託を祖母が受ける。
坂田 警軒(さかた けいけん、天保10年5月5日(1839年… 坂田 警軒(さかた けいけん、天保10年5月5日(1839年6月15日) - 明治32年(1899年)8月15日)は、明治期の漢学者、衆議院議員。名は丈、字は夫卿、初名は丈助、のち丈平。警軒または九邨と号した。 備中国川上郡九名村(現・岡山県井原市)に生まれる。阪谷朗廬の甥。嘉永6年(1853年)に藩校・興譲館で学び、都講まで進む。万延から肥後国に遊学し、木下犀潭に入門。井上毅・竹添進一郎と共に木門の三才と称されるようになった。慶応元年(1865年)に江戸に出て安井息軒に師事し、慶応3年(1867年)に帰郷して岡山藩家老池田氏の賓師から、明治元年(1868年)に阪谷朗廬の後をうけて第2代興譲館館長に就任。
戸塚 文海(とつか ぶんかい、天保6年9月3日(1835年1… 戸塚 文海(とつか ぶんかい、天保6年9月3日(1835年10月24日) - 明治34年(1901年)9月9日)は、日本海軍の軍人、医師。茶人。最終階級は海軍軍医総監。海軍軍医制度創設に貢献した。 備中国浅口郡玉島村(現在の倉敷市)出身。中桐幸右衛門の息子として生まれ、幕府奥医師・戸塚静海の養子となる。適塾、シーボルトに学び、将軍侍医となる。 明治維新後、静岡病院頭となる。明治5年(1872年)、海軍省5等出仕となり、軍医寮学舎長、海軍省医務局長兼本病院長、本病院長などを歴任し、明治9年(1876年)12月、海軍軍医総監(少将相当)に進級した。 明治10年(1877年)1月から同16年(1883年)10月まで医務局長に在任。
香川 真一(かがわ しんいち、天保6年4月6日(1835年5… 香川 真一(かがわ しんいち、天保6年4月6日(1835年5月3日) - 1920年(大正9年)3月8日)は、日本の官僚、実業家。元備前岡山藩士。岩倉具視に随行して、欧米を視察。大分県令(現在の知事に相当)。大分県令を退いてのち、実業界に転じ、岡山殖産協会会頭や岡山商業会議所会頭などを歴任。岡山地方の産業の発展に尽力。本姓は岡。通称は英太郎。別名は忠武。 1835年、現・岡山市北区船頭町に、岡山藩士の家に生まれ、西洋式砲術を学んだ。明治2年(1869年)、権大参事。明治4年(1871年)、岩倉使節団に先立つ半年前に第1回欧米視察団に選ばれ、津田弘道らとともに欧米を視察した。翌年に帰国した後は、伊万里県参事、ついで静岡県参事に任じられた。
大原 孝四郎(おおはら こうしろう、1833年12月12日(… 大原 孝四郎(おおはら こうしろう、1833年12月12日(天保4年11月2日) - 1910年(明治43年)7月6日)は、日本の実業家。大原孫三郎の父。 岡山藩士藤田傳吉の三男として生まれる。1858年(安政5年)に備中国窪屋郡倉敷村の庄屋・豪商大原壮平の養嗣子となり、幼名幸三郎を孝四郎と改名。儒学者森田節斎の簡塾、犬飼松窓の三餘塾に学んだ。呉服、繰綿、米、金融を手広く営むとともに大地主であり、学問、絵、書を好む文化人でもあった。 1888年(明治21年)に倉敷紡績所(クラボウ)の初代社長に就任すると、養父壮平が森田節斎から学んだ謙受説を社訓とした。これは「満は損を招き、謙は益を受く」という思想で、常にへり下った気持ちで、より高いものを求めて努力すべし、という内容であった。
正阿弥 勝義(しょうあみ かつよし、天保3年3月28日(18… 正阿弥 勝義(しょうあみ かつよし、天保3年3月28日(1832年4月28日) - 明治41年(1908年)12月19日)は、明治時代に活躍した金工家。 天保3年(1832年)津山二階町に住む津山藩お抱えの彫金師・中川五右衛門勝継の三男として生まれる。幼名は淳蔵、通称は淳蔵、勝義は工名。幼い頃から父に彫金を学ぶ。江戸出府の方便として津山藩先手鉄砲隊小山家の継嗣となり、江戸の彫金家に弟子入りしようとするが果たせず、江戸から帰郷後養子関係を解消。その後、18歳で岡山藩御抱え彫金職人の名家・正阿弥家の婿養子となって、正阿弥家の9代目を継ぐ。養子入り後は、江戸幕府お抱えの彫金家・後藤家の門人で、自身も江戸幕府及び朝廷の御用職人を務めていた実兄・中川一匠や、その師・後藤一乗から手紙で下絵や脂型、或いは相互に作品を遣り取りして指導を受ける。
川田 甕江(かわた/かわだ おうこう、文政13年6月13日〈… 川田 甕江(かわた/かわだ おうこう、文政13年6月13日〈1830年8月1日〉- 明治29年〈1896年〉2月2日)は、幕末・明治期の漢学者。本名は剛()であるが、これは師である山田方谷の命名であり、それ以前は竹次郎と名乗っていた。字は毅卿()。錦鶏間祗候。 備中国浅口郡玉島(現・倉敷市玉島中央町)の回船問屋「大国屋」に生まれる。幼いうちに両親に先立たれ伯父惟德の家で少年時代を過ごす。玉島で儒学者鎌田玄渓に学んだが、玄渓は甕江の才能に気付いて自ら「師に足らず」と述べて江戸への遊学を勧めた。江戸では古賀茶渓、大橋訥庵、佐藤一斎らの下で学びながら、学資のために蔵書を売り、家庭教師をするなどの苦学の末、近江大溝藩の藩儒として100石が与えられることとなった。
堀 安道(ほり やすみち、1829年4月11日(文政12年3… 堀 安道(ほり やすみち、1829年4月11日(文政12年3月8日) - 1875年(明治8年)9月26日)は、備中国の宗教家である。同国賀陽郡八田部村(現岡山県総社市総社)にある備中国総社宮の神主。江戸から明治へ政治が大きく変わる時期に、総社の歴史をまとめ、総社宮や総社のために大きな功績を残した。 四番目の弟は画人であり、実業家でもある堀和平である。 備中国賀陽郡八田部村(現・岡山県総社市総社)西宮本町の「志保屋」の堀和助安忠(総社市門田・満谷常観の子)の長男に生まれる。氏は堀、幼名を岩太郎、長じて清一郎また和助と改め、六友居と称した。 堀家はその家譜によると、賀陽臣の出自で、国府の西堀の地に住んでいたため、堀を姓とした。
四世 浜村 蔵六(よんせ はまむら ぞうろく、男性、文政9年… 四世 浜村 蔵六(よんせ はまむら ぞうろく、男性、文政9年(1826年) - 明治28年(1895年)2月24日)は、明治期の日本の篆刻家である。 正本氏、後に塩見氏を名乗る。名は観侯、字は大澥、蔵六を号し、別号に薇山・雨村。通称参蔵。備前岡山(岡山県瀬戸内市)の人。 20代の中頃に江戸に出て、万延元年(1860年)には断絶していた浜村家を継いだ。行政官記録係になるが讒言を受けて退職し、宇都宮で教育者となる。廃藩置県後、東京に戻り須崎村に住む。明治15年(1882年)の「日本書画價額表」によれば、この頃既に篆刻家として知られていた。 明治18年(1885年)、依田学海らと白鴎社を結ぶ。明治20年(1887年)、「墨堤植桜之碑」の碑文を書しているが、後にこの碑は墨田区登録文化財に登録された。
阪谷 朗廬(さかたに ろうろ、1822年12月29日(文政5… 阪谷 朗廬(さかたに ろうろ、1822年12月29日(文政5年11月17日) - 1881年(明治14年)1月15日)は、日本の漢学者、儒学者。江戸時代末期は教育者として、明治維新後は官吏としても活動した。東京学士会院議員。
荻野 独園(おぎの どくおん、文政2年〈1819年〉6月 -… 荻野 独園(おぎの どくおん、文政2年〈1819年〉6月 - 1895年〈明治28年〉8月10日)は、幕末・明治の臨済宗僧侶。諱は承珠(じょうじゅ)、字は独園、号は退耕庵。独園承珠とも。廃仏毀釈の際に相国寺住持として日本の禅宗を守るために奔走した。 備前国児島郡山坂村(現在の岡山県玉野市)出身。8歳の時に親族がいた同郡の掌善寺に入って13歳で出家し、18歳の時に豊後国の帆足万里の下で儒学を学び、特に『周易』に通じた。6年後、京都に上洛して相国寺の大拙承演に師事して厳しい修行を積む。師が病気で倒れると越渓守謙の指導を受けながら最後まで師に尽くした。師の没後、心華院(現在の大光明寺)に移って布教活動をした。
美泉 定山(みいずみ じょうざん、文化12年1月7日(181… 美泉 定山(みいずみ じょうざん、文化12年1月7日(1815年2月15日) - 明治10年(1877年)11月4日)は、備前国周匝村(現在の岡山県赤磐市)出身の僧侶である。のちに北海道に渡って広く布教活動を行った。札幌市南区の定山渓は、彼の名に由来する。「美泉」という苗字は明治初期の法律に従うため、定山があえて作った姓である。 文化12年(1815年)、備前国曹洞宗の名刹妙音寺の二男として生まれる。17歳の時に実家を出て、高野山の道場で修行を積んだ後に、北上して仙台、出羽三山、秋田の太平山三吉神社などに滞在し、布教活動を行う。 1853年(嘉永6年)に蝦夷地に渡り、1866年(慶応2年)に張碓(はりうす)から2人のアイヌ人の先導のもと内陸に入り温泉を発見した。
中桐 康介(なかぎり こうすけ、12月28日 - )は、西日… 中桐 康介(なかぎり こうすけ、12月28日 - )は、西日本放送の男性アナウンサー。
中島 千晶(なかしま ちあき、12月28日 - )は、岡山県… 中島 千晶(なかしま ちあき、12月28日 - )は、岡山県倉敷市出身のグループ トーキング・アイに所属するフリーアナウンサー。川崎医療福祉大学卒業。 歌手、モデル、女優の中島ちあきの本名(ただし、こちらは「なかじま」と読む)と一緒であるが、同姓同名の別人であり、まったく関係がない。 度々間違われるが中島の読みは「なかじま」ではなく、濁らずに「なかしま」である。この読み方を珍しがる人が多いが、彼女の出身地である岡山県を始め、中国地方・九州地方では多い姓である。同じく岡山県出身のテレビせとうちのアナウンサーの中島有香、鹿児島県出身の歌手の中島美嘉、福岡県出身のカンニングの中島忠幸、福岡県出身の野球選手の中島俊哉も同じく「なかしま」と読む。
まつもと ななみ(本名:松本 菜々美(読み同じ)、10月31… まつもと ななみ(本名:松本 菜々美(読み同じ)、10月31日 - )は、岡山県高梁市出身の日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家である。所属レコード会社はユニバーサルミュージック合同会社、所属事務所はメロネストである。 血液型はAB型、身長153cmである。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
英 かおと(はなぶさ かおと、10月28日 - )は、宝塚歌… 英 かおと(はなぶさ かおと、10月28日 - )は、宝塚歌劇団月組に所属する男役スター。 岡山県倉敷市、県立倉敷古城池高等学校出身。身長172cm。愛称は「うー」。 2011年、宝塚音楽学校入学。 2013年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に99期生として入団。入団時の成績は19番。雪組公演「ベルサイユのばら」で初舞台。 2014年、組まわりを経て月組に配属。 2019年の「I AM FROM AUSTRIA」で新人公演初主演。新人公演最終学年となる入団7年目のラストチャンスでの抜擢となった。 3歳からピアノ、中学3年からは声楽を習い、オペラ歌手志望だった。 高校1年の春に天海祐希ファンの母親の勧めで宝塚を初観劇。
福原 由莉奈(ふくはら ゆりな、8月21日 - )は、日本の… 福原 由莉奈(ふくはら ゆりな、8月21日 - )は、日本の声優。女性。岡山県津山市出身。以前はプロダクション・エースに預かり所属していた。プロダクション・エース演技研究所出身。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
かわはら なつみ(7月26日生)は、日本の漫画家。岡山県津山… かわはら なつみ(7月26日生)は、日本の漫画家。岡山県津山市出身。2005年、第56回小学館新人コミック大賞入選受賞作「FLY HIGH」(『ChuChu』夏号掲載)でデビュー。小学館発行の少女漫画雑誌『ChuChu』や『プチコミック』などで執筆している。既婚であり、娘がいる。 ちゅちゅコミックス(小学館)から刊行。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
月川 寛啓(つきかわ ともひろ、7月12日 - ) は、日本… 月川 寛啓(つきかわ ともひろ、7月12日 - ) は、日本の俳優。サンノーム所属。サンノームの系列のJESTERSの所属でもある。岡山県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
ろこ(中原みりん)(7月11日 - )は、日本のYouTub… ろこ(中原みりん)(7月11日 - )は、日本のYouTuber、女性アイドル。岡山県総社市出身。 チャンネル名を「ぴよちゃれ!」としており、ゲーム実況(フォートナイト、妖怪ウォッチ ぷにぷにほか)やベイブレードバーストの動画を中心に公開しているほか、撮影会モデルとしても活動。 アイドルグループ・ナト☆カンの元メンバーで、ナト☆カン時代のキャッチフレーズは「庶民派アイドル!ナト☆カンの隠し味!」。 2008年、みりん☆名義で大阪日本橋を中心とした同人音楽集団BirdTune(ばーどちゅーん)でKuKuDoDoを中心として楽曲を制作。電波ソング、エレポップ、テクノポップ、ニュー・ウェイヴ (音楽)などをアキシブ系音楽として制作していた。
天満 のどか(てんま のどか、6月7日 - )は、日本の元プ… 天満 のどか(てんま のどか、6月7日 - )は、日本の元プロレスラー。現役時代は東京女子プロレスに所属していた。岡山県津山市出身。実妹はプロレスラーの愛野ユキ。
木島 京子(きじま きょうこ、4月17日 - )は、岡山県真… 木島 京子(きじま きょうこ、4月17日 - )は、岡山県真庭市出身のフリーアナウンサー。 旧姓 井口 京子。岡山大学教育学部附属中学校卒、岡山県立岡山朝日高等学校卒。学習院大学文学部英米文学科卒業後、山陽放送にアナウンサーとして入社。結婚を機に退社後はフリーアナウンサーに転身し、木島 京子として圭三プロダクションに所属。 NHK BS1 国際報道2023 ナレーション
希良々 うみ(きらら うみ、1月11日 - )は、元宝塚歌劇… 希良々 うみ(きらら うみ、1月11日 - )は、元宝塚歌劇団雪組娘役。 岡山県倉敷市、県立倉敷天城高校出身身長162cm。愛称は「ともか」。妹は星組娘役の星咲希。 2012年4月、宝塚音楽学校入学。同期には元宙組・花組トップ娘役星風まどか、音くり寿、聖乃あすか、元花組トップ娘役華優希、風間柚乃らがいる。 2014年3月、宝塚歌劇団に100期生として入団。入団時の成績は14番。月組公演「宝塚をどり/明日への指針/TAKARAZUKA 花詩集100!!」で初舞台。 2015年2月、組廻りを経て雪組に配属。 2017年11月-2018年2月、『ひかりふる路〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜/SUPER VOYAGER!-希望の海へ-』を怪我のため、全日程休演。
杉浦 太陽 は、日本の俳優、タレント。岡山県玉野市出生、大阪… 杉浦 太陽 は、日本の俳優、タレント。岡山県玉野市出生、大阪府寝屋川市出身。スカイコーポレーションを経てツインプラネット所属。本名は杉浦 太陽。妻は歌手・タレントの辻希美。長女はインフルエンサーの希空。
山﨑 夕貴 は、フジテレビアナウンサー。
ハギノリザードマンは、日本のお笑い芸人。R-1グランプリ20… ハギノリザードマンは、日本のお笑い芸人。R-1グランプリ2025準優勝。 岡山県立玉島高等学校卒業。 中学時代、友人から一緒にお笑いをやろうと持ちかけられたのが芸人を志すきっかけ。その友人とは高校の進路が別々だったものの、3年ぶりに再会してみるとハギノ曰く「つまらないヤンキーに成り下がっていた」ようでその頃の友人はすっかりお笑いへの情熱が失せていたため腹が立ち、たとえ1人でもやってやろうとNSC大阪校へ26期生として入学した。在籍中の同期にはかまいたちなどがいたものの、かまいたちはハギノとは異なる成績優秀者のクラスだったため面識はなかったという。 プロデビュー後は1期上の先輩とコンビ「三日坊主」を結成し、約6年ほど活動の末に解散。
志智 真梨奈 は、日本の元女子バレーボール選手。
竹内 彩 は、日本の元女子バレーボール選手。
内田 稔 は、日本の俳優・声優。
土屋 南 は、岡山県倉敷市出身のボートレーサー。岡山県立玉野… 土屋 南 は、岡山県倉敷市出身のボートレーサー。岡山県立玉野光南高等学校卒業。登録第4964号。119期。夫はボートレーサーである佐藤翼。師匠は村岡賢人。同期には、孫崎百世、間庭菜摘、竹之内極、溝口海義也、西橋奈未、實森美祐、福岡泉水らがいる。
小川 愛里奈 は、日本の女子バレーボール選手である。
深澤 つぐみ は、日本の女子バレーボール選手である。
川畑 夏希 は、日本の元女子バレーボール選手。
渋野 日向子 は、岡山県岡山市出身の日本の女子プロゴルファー… 渋野 日向子 は、岡山県岡山市出身の日本の女子プロゴルファーである。所属はサントリー。マネジメントは株式会社ゾーン。
早瀬 友浦(はやせ ゆうほ)は、テレビ大分のリポーター。岡山… 早瀬 友浦(はやせ ゆうほ)は、テレビ大分のリポーター。岡山県津山市押入出身。身長156 cm。血液型はA型。 趣味は語学学習と映画鑑賞。特技はスプーン曲げ。愛称は「ゆうほりん」。
山田 直政(やまだ なおまさ)は、岡山県出身の元プロ野球投手… 山田 直政(やまだ なおまさ)は、岡山県出身の元プロ野球投手。左投左打。