浅沼 智也(あさぬま ともや、1989年〈平成元年〉4月30… 浅沼 智也(あさぬま ともや、1989年〈平成元年〉4月30日 - )は、岡山県総社市出身の日本のトランスジェンダー活動家、看護師、映画監督。総社市男女共同参画推進委員メンバー。 性別不合(旧称は性同一性障害)当事者であることを公言しているFTM(Female To Male)。 映画「I AmHere〜私たちはともに生きている〜」東京ドキュメンタリー映画祭短編部門でグランプリ受賞、「チェンジマイノリティ」Shunyatam International Film Festivalショートフィルム部門受賞。日本で初となる東京トランスマーチを開催した。 1989年、岡山県総社市で長女として生まれる。
前野 朋哉(まえの ともや、1986年〈昭和61年〉1月14… 前野 朋哉(まえの ともや、1986年〈昭和61年〉1月14日 - )は、日本の俳優、映画監督。 岡山県倉敷市出身、ブレス・チャベス事業部所属。 岡山県立倉敷天城高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業。中央大学文学部哲学科卒業。 大学一回生の時に先輩石井裕也監督作品の『剥き出しにっぽん』に照明助手、役者で参加。 初の長編『ショッキングピンク』では主演、監督を務め、同じく監督した「GOGO まりこ」はハンブルク日本映画祭に正式招待され、京都国際学生映画祭では入選した。 監督、脚本、主演した『脚の生えたおたまじゃくし』は、2009年に第4回福井映画祭にて 観客賞と田中光敏監督賞を受賞し、2010年にはゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオフシアター・コンペティション部門で審査員特別賞とシネガーアワードを受賞した。
頃安 祐良(ころやす ゆうすけ、1984年12月24日 - … 頃安 祐良(ころやす ゆうすけ、1984年12月24日 - )は、日本の映画監督。岡山県津山市出身。岡山県立津山高等学校卒業。日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻博士前期課程修了。 大学時代から多くの自主映画を製作。卒業制作として発表した「穢れ多き、人に非ず」が第11回京都国際学生映画祭で準グランプリを受賞。代表作「シュナイダー」は東京学生映画祭グランプリをはじめ、第31回ぴあフィルムフェスティバルなどの様々な映画祭に入選した。「あの娘、早くババアになればいいのに」は第7回田辺・弁慶映画祭で弁慶グランプリと市民賞をW受賞。 また、映画を製作する一方で、アイドルネッサンスやトクマルシューゴ、埋火のミュージックビデオを製作。
沖津 賢一郎(おきつ けんいちろう、1977年7月29日 -… 沖津 賢一郎(おきつ けんいちろう、1977年7月29日 - )は、岡山県井原市出身で東京都在住の日本の映像作家、俳優、映画監督、演出家、ディレクター、カメラマン、映像編集者。 演技、映像制作以外のスキルは、剣道、書道、ピアノ、作詞・作曲・編曲。両利き。趣味は サイクリングと 耳かき。クリント・イーストウッド、馳星周、斎藤真由美、中垣内祐一などを尊敬している。 岡山県井原市立西江原小学校卒業。岡山県井原市立井原中学校卒業。岡山県立井原高等学校卒業。帝京大学中退。立教大学文学部卒業。 大学在学中、劇団員となる。その間、パーティの司会者などをつとめていたが、2000年、自分の映画を1本だけ作りたいと、長篇映画の脚本を執筆し、制作に入るも、紆余曲折を経て未完に終わる。
難波 望(なんば のぞむ、1976年10月28日 - )は、… 難波 望(なんば のぞむ、1976年10月28日 - )は、日本の脚本家、映画監督。日本シナリオ作家協会会員。 岡山県岡山市生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)映像科脚本コース卒業。在学中は、脚本家の桂千穂、髙山由紀子に師事。同期には、脚本家の高橋郁子、映画監督の新藤風などがいる。映像制作会社勤務、テレビ番組リサーチャー等を経て脚本作家として本格的に活動を始める。2015年に劇場公開された『かぐらめ』は、第39回モントリオール世界映画祭のファースト・フィルム・ワールド・コンペティションにノミネートされるなど国内外の映画祭でも上映された。 2012年より、よみうりカルチャー荻窪、目黒区社会教育指導員、芸能事務所主催のワークショップなどで指導に携わっている。
桑田 浩一(くわた こういち、1970年[要出典] ‐ )は… 桑田 浩一(くわた こういち、1970年[要出典] ‐ )は、日本の映画監督、美容師。「月曜日の映画監督」と呼ばれる。 2025/11/4 倉敷市文化連盟奨励賞 岡山県倉敷市児島地域で、建設業に携わる父、美容師の母の下に生まれる。 小学5年生のときに父親が100万円でビデオカメラを購入し、地域の子ども会でソフトボールをしている桑田やチームメイトなどを撮影し、映像として残すようになった。母親は地域の子ども会で「白虎隊」の演劇を公演した際に監督や衣装の制作などを担当し、父親がその劇を撮影したというようなこともあった。その当時、一般家庭にはビデオカメラが普及していたとは言えず、両親で劇を制作するなどといったことが身近にあった経験から、抵抗なく映画制作をすることができたのではないかと、桑田は語っている。
黒崎 博(くろさき ひろし、1969年 - )は、日本のテレ… 黒崎 博(くろさき ひろし、1969年 - )は、日本のテレビドラマの演出家、映画監督。元NHK職員。岡山県出身。 1988年、岡山県立岡山朝日高等学校卒業。京都大学文学部に入学し社会学を専攻。1992年、大学を卒業してNHKに入局。教育番組担当を経て、1996年にドラマ番組部に転ずる。 2010年、NHK広島放送局制作ドラマ『火の魚』の演出により、平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞放送部門、第36回放送文化基金賞演出賞、および東京ドラマアウォード2010演出賞を受賞。「大胆、簡潔でありながら同時に繊細で、二人の屈折した精神の奥深く踏み込んで描いている」と評される。 2011年、『冬の日』で初の映画監督を務め、『セカンドバージン』で長編映画に進出した。
平松 恵美子(ひらまつ えみこ、1967年4月5日 - )は… 平松 恵美子(ひらまつ えみこ、1967年4月5日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 岡山県倉敷市出身。岡山大学理学部卒業。山田洋次監督のもとで助監督・共同脚本家を務め、2012年公開の『ひまわりと子犬の7日間』で映画監督としてデビュー。 岡山大学理学部在学中、自主上映サークル岡山映画鑑賞会で活動。卒業後上京し、印刷工場等でOLを経験する。 『男はつらいよ』シリーズや小津安二郎監督作品などの松竹映画が好きで、新宿ピカデリーで見かけたポスターをきっかけに会社を辞め、1992年、24歳の時に松竹大船撮影所の映画人養成塾「鎌倉映画塾」に第1期生として入塾。2年間にわたって映画製作を学び、山田洋次監督の『学校』(1993年公開)で助監督見習いとして制作現場も初体験、続く『男はつらいよ 寅次郎の縁談』(1993年公開)の現場にも応援で加わる。
岩井 志麻子(いわい しまこ、1964年12月5日 - )は… 岩井 志麻子(いわい しまこ、1964年12月5日 - )は、日本の作家、タレント、AV監督。身長160cm。血液型はA型。2009年6月よりホリプロ所属。『5時に夢中!』(TOKYO MX)の木曜レギュラーコメンテーターを務める。 岡山県和気郡和気町生まれ。2歳下に誕生日が1日違いの妹がいる。岡山県立和気閑谷高等学校商業科卒業。 1982年、高校在学中に第3回小説ジュニア短編小説新人賞に佳作入選。1986年、少女小説『夢みるうさぎとポリスボーイ』で作家デビュー(この時は本名の竹内志麻子名義)。 1988年、岡山県にて最初の結婚。相手は熱心なファンだった、代々続く地元企業の社長。のちに娘と1993年に息子を出産。
中田 秀夫(なかた ひでお、1961年7月19日 - )は、… 中田 秀夫(なかた ひでお、1961年7月19日 - )は、日本の映画監督。
金田 龍(かねだ りゅう、1961年 - )は、日本の映画監… 金田 龍(かねだ りゅう、1961年 - )は、日本の映画監督、脚本家。
大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日… 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家、著述家。フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作した。 妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めた。美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟に当たる。妻は女優の小山明子、長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。 1932年(昭和7年)3月31日、岡山県児島郡(当時)で生まれた。父方は長崎県対馬の出で、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市出身。父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々とし、カニやエビの研究をしていた。
森谷 司郎(もりたに しろう、1931年(昭和6年)9月28… 森谷 司郎(もりたに しろう、1931年(昭和6年)9月28日 - 1984年(昭和59年)12月2日)は、日本の映画監督。 東京市四谷区番衆町(現・東京都新宿区新宿)出身。1937年に台湾に転居し、中学2年生の時に終戦とともに岡山県へ引き上げる。岡山県第一岡山中学校から岡山県立岡山朝日高等学校を経て、1955年に早稲田大学第一文学部仏文科卒業。卒業後はジャーナリストを志望していたが[要出典]、東宝の助監督試験に合格し入社する。同期には恩地日出夫、木下亮。成瀬巳喜男・黒澤明の作品で助監督を務める。監督昇進まで10年以上、助監督を経験し1966年に加山雄三主演『ゼロ・ファイター 大空戦』で、監督デビューを飾る。
水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日… 水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日 - 2008年〈平成20年〉6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNO(マイク・ミズノ)の名義を使っていた。出生時の本名は水野 和夫(みずの かずお)であったが、山下奉文陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じた『シベリア超特急』シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した。日本アカデミー賞の発案者。 1931年(昭和6年)7月誕生。戸籍では19日の生まれだが、両親が「17日だったよ」と言っていたような気がするとも述べている。
田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 20… 田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 2020年4月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、アニメーション監督、脚本家。脚本家としてのペンネームは山崎久、田口章一。岡山県津山市出身。シナリオ協会作家会員。日本映画監督協会会員。 日本大学芸術学部卒業後、東映へ入社。編集業務を経て、1年後に演出部へ異動。東映東京撮影所で1961年の『ファンキーハットの快男児シリーズ』である『ファンキーハットの快男児』、『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』の助監督を経て、東映東京制作所でテレビドラマの監督として活動。1966年に『悪魔くん』で監督としてデビューし、初期の「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」のローテーション監督として同シリーズを支えた。
内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 19… 内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 1994年3月27日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家、脚本家、演出家、映画監督。 岡山県出身。実家は岡山市内の古書店。鎌倉アカデミア中退。 若い頃には安部公房に師事。新日本文学会に入会して小説家としてデビューする。1974年には金子正次らとともに、劇団東京ザットマンを旗揚げするなど、アングラ演劇の活動も盛んに行っていた。 1930年(昭和5年)、岡山市に生まれる。生家は老舗の古書店。1945年、中学三年生のとき、高射砲の弾を作る工場に動員される。岡山大空襲で家を失い、愛媛県などに疎開。15歳の夏に終戦。戦後は、高校に通いながら、詩作と小説執筆に熱中。
小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日… 小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日本の映画監督・演出家。岡山県備前市出身。東映製作の作品を中心に、数多くの映像作品に携わった。 旧制岡山二中に在学中陸軍航空士官学校に合格、軍事教練では「秀」の好成績を収めていた。その後岡山空襲での被災を経て終戦を迎える。 1954年3月、1年間の留年(しかも大手広告代理店に一度就職する)を経て、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻を卒業。大学の同級生には、後に自身が演出する 『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』『Gメン'75』にレギュラー出演していた藤木悠がいた。 当初は新聞記者を志したが、映画好きもあって(きっかけは黒澤明監督作品『酔いどれ天使』だという)東映を受験し、1954年4月に東映に入社。
松野 宏軌(まつの こうき、まつの ひろき 1925年7月9… 松野 宏軌(まつの こうき、まつの ひろき 1925年7月9日 - 没年月日不明)は、日本の映画監督・テレビディレクターである。岡山県都窪郡清音村(現・総社市)の生まれ。本名は松野 博(まつの ひろし)。 1944年、浪速工業高等専門学校を卒業。学生時代から映画好きで、1950年、松竹京都撮影所に入社。演出部に配属され、助監督として伊藤大輔、成瀬巳喜男、野村芳太郎、大曽根辰保に師事。1964年、菊池靖と共同で『続道場破り・問答無用』で監督に昇格。その後『いも侍』シリーズを手がけたが、邦画の斜陽化もあり1973年にフリーに。それと前後してテレビ映画の演出も手がけ始め、『鞍馬天狗』(MBS)、『必殺シリーズ』(ABC)など、主に時代劇を手がけた。
内田 吐夢(うちだ とむ、1898年4月26日 - 1970… 内田 吐夢(うちだ とむ、1898年4月26日 - 1970年8月7日)は、日本の映画監督。本名:内田 常次郎。 内田作品は近年では海外でも2005年のロッテルダム映画祭で特集上映されるなど、再評価が始まっている。 妻芳子は新聞記者碧川企救男の三女、映画カメラマン碧川道夫の妹。映画監督の内田一作は長男、元東映生田スタジオ所長の内田有作は次男。浮世絵研究家の内田千鶴子は次男有作の妻である。翻訳家の松田銑は甥。
中川 紫郎(なかがわ しろう、明治25年(1892年)11月… 中川 紫郎(なかがわ しろう、明治25年(1892年)11月25日 - 昭和33年(1958年)11月13日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。帝国キネマ創立期の大監督であり、独立後は奈良に撮影所を開き、牧野省三、直木三十五、実川延松、阪東妻三郎、志波西果らと共闘し、自社製作のほか、同撮影所を「貸しスタジオ」として経営した。本名中川 四平(なかがわ しへい)。 1892年(明治25年)11月25日、岡山県川上郡東成羽村(現在の高梁市成羽町)に生まれる。戦国時代の武将・中川清秀の子孫であり、父・増治郎は川上郡落合村の村長、川上郡の郡長を歴任した。旧制岡山県立高梁中学(現在の岡山県立高梁高等学校)を1910年に卒業、旧制第六高等学校に進学、在学中に同校「北寮」の寮歌を作詞した。
尾上 松之助(おのえ まつのすけ、1875年(明治8年)9月… 尾上 松之助(おのえ まつのすけ、1875年(明治8年)9月12日 - 1926年(大正15年)9月11日)は、日本の歌舞伎役者、映画俳優、映画監督。本名は中村 鶴三(なかむら かくぞう)。 日本映画草創期に活躍した時代劇スターであり、日本初の映画スターといわれる。旅役者から牧野省三に認められて映画界に入り、『碁盤忠信 源氏礎』でデビュー。牧野とのコンビで横田商会、日活の2社で1,000本以上の映画に出演、大きな目玉を向いて見得を切る演技が評判を呼び「目玉の松ちゃん」の愛称で大衆に親しまれた。立川文庫や講談でおなじみの英雄・豪傑・義人・侠客のほとんどに扮しており、トリック撮影を駆使した忍術映画では年少ファンのアイドル的存在となった。