高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の… 高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の評論家、神道学者、歴史家、皇室研究者。
岡山県:23人
高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の… 高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の評論家、神道学者、歴史家、皇室研究者。
松岡 心平(まつおか しんぺい、1954年10月29日 - … 松岡 心平(まつおか しんぺい、1954年10月29日 - )は、日本の能楽研究者、東京大学名誉教授。 岡山県生まれ。父は山陽新聞社長・松岡良明(1918-1995)。父の意向で法学部進学を目指すが、20歳の時、観世寿夫による仕舞「藤戸」を見て、「地獄がせりあがってくるような」舞台に衝撃を受け、能楽研究の道に入る。また研究の一方で「橋の会」運営に参加し、廃曲となった能の復曲・上演などの実践的活動にも携わっている。 岡山操山高等学校卒、1978年東京大学文学部国文科卒業、1984年同大学院人文科学研究科国語国文学専門課程博士課程満期退学、1987年東京大学文学部国語学科専任講師、1988年東大教養学部専任講師、1990年助教授、2001年同総合文化研究科教授。
島谷 弘幸(しまたに ひろゆき、1953年(昭和28年)11… 島谷 弘幸(しまたに ひろゆき、1953年(昭和28年)11月26日- )は、日本の古美術研究者、文化人である。九州国立博物館館長を務めた後、国立文化財機構理事長。岡山県高梁市出身。 1953年(昭和28年)岡山県高梁市に生まれる。地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し、1972年(昭和47年)に同校を卒業する。同年東京教育大学(現・筑波大学)教育学部芸術学科に入学。古筆学を専攻し、小松茂美に師事した。1976年に同大学卒業を経て、1979年、山梨英和短期大学講師となり、1984年(昭和59年)に東京国立博物館学芸部美術課書跡室研究員となった。 1994年(平成6年)41歳の時に学芸部美術課書跡室長となり、その後、2001年に学芸部資料課長へ昇進した。
森田 潔(もりた きよし、1949年12月24日 - )は、… 森田 潔(もりた きよし、1949年12月24日 - )は、日本の研究者、教育者、医師(麻酔科医)、医学博士。2011年4月 - 2017年3月まで岡山大学第13代学長を務めた。岡山大学名誉教授。 専攻は医学(特に麻酔科学、蘇生学など)。岡山県倉敷市出身。
平井 一正(ひらい かずまさ、1949年11月21日 - )… 平井 一正(ひらい かずまさ、1949年11月21日 - )は、日本のスポーツ科学研究者、名古屋産業大学教授。1970年代には重量挙げ選手として活躍し、1976年モントリオールオリンピックでは男子フェザー級銅メダリストとなった。モスクワオリンピック代表にも選出されていたが、日本のボイコットにより不参加となった。 岡山県出身。岡山市の関西高等学校の2年生のときに重量挙げを始め、中京大学に進んだ。1972年、中京大学体育学部体育学科を卒業したが、重量挙げ選手を続けることを断念し、岡山県に戻って日本料理店で板前として働いた。しかし、三重県で重量挙げの指導者をしていた平岡一能に指導され、三重県へ移って高校の教員となり、競技に復帰した。
伊賀 章(いが あきら、1949年(昭和24年)1月5日- … 伊賀 章(いが あきら、1949年(昭和24年)1月5日- 2017年(平成29年))は、研究者、実業家である。ソニー入社後、非接触カード(FeliCa)フェリカを開発した。FeliCaは、iD決済やSuicaやPASMO等の交通系決済へ多く採用されている。入退場管理や公共交通機関のチケットをICカード化しデジタル化した。岡山県高梁市出身の技術者。 1949年(昭和24年)岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で出生する。1964年(昭和39年)に地元の岡山県立高梁高等学校へ入学する。同期には、東芝副社長を務めた田井一郎、岡山大学医学部教授になる三村哲重がいる。卒業後、1967年(昭和42年)関西大学工学部に入学し、1971年(昭和46年)同大学電子工学科を卒業、すぐに北辰電機製作所(現:横河電機)へ入社する。
吉田 悦志(よしだ えつし、1949年 - )は、日本近代文… 吉田 悦志(よしだ えつし、1949年 - )は、日本近代文学研究者、明治大学名誉教授。 岡山県美作市生まれ。1971年明治大学文学部日本文学科卒、80年同大学院文学研究科単位取得満期退学、1982年明治大学政治経済学部専任講師、85年助教授、90年教授、2008年同国際日本学部教授。2008年「近代日本文学地下水脈の諸相」で埼玉大学博士(学術)。2018年定年、名誉教授。
菅 滋正(すが しげまさ、1945年 - )は、日本の固体物… 菅 滋正(すが しげまさ、1945年 - )は、日本の固体物理学の研究者である。工学博士(東京大学)。大阪大学名誉教授。専門は放射光、高エネルギー分光、光電子分光、ナノ磁性。35年間にわたり日独の国際共同研究を推進した。岡山県岡山市出身。
赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日… 赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日 - )は、日本の東南アジア地域研究者。大阪外国語大学名誉教授、大阪外国語大学第9代学長、前大阪観光大学学長、元泉佐野市教育委員長。元アース製薬社外取締役、専門は、タイ政治・社会論。 1944年、岡山県阿哲郡草間村(現・新見市足見姫原)に生まれる。岡山県新見市立井倉中学校、岡山県立高梁高等学校を経て、1967年に大阪外国語大学外国語学部タイ語学科(現・大阪大学外国語学部)を卒業後、タイ王国立チュラーロンコーン大学文学部に留学した。 1969年から大阪外国語大学に助手として奉職する。1975年タイのチュラーロンコーン大学、タムマサート大学で客員講師を勤め、1985年には、在タイ日本国大使館の専門調査員となった。
塩尻 和子(しおじり かずこ、1944年4月 - )は、日本… 塩尻 和子(しおじり かずこ、1944年4月 - )は、日本のイスラーム研究者。筑波大学名誉教授。 岡山市生まれ。1967年大阪外国語大学アラビア語学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学(宗教学)、ハーヴァード大学準研究員、日本大学文理学部非常勤講師、1999年筑波大学助教授を経て教授。1998年「アブドゥル・ジャッバールの倫理思想」で東大博士(文学)。2008年定年退職し特任教授。2009年から2010年まで、筑波大学理事・副学長を務める。2011年より、東京国際大学国際交流研究所所長。夫は元駐リビア大使、元中東調査会副理事長塩尻宏。 全体として親イスラーム的な論調で発言することが多く、とりわけ9.11以降強くなったイスラーム教徒への偏見や差別に対して、イスラームに対する誤解があるとしてイスラームの平和性や寛容性を強く訴えている。
前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、… 前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家、歴史研究者。静岡県立大学名誉教授、立教大学社会学部講師。株式会社毎日新聞社情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。 慶應義塾大学経済学部に入学。1969年4月、毎日新聞社に入社。1993年4月に静岡県立大学国際関係学部教授に就任。1995年からは大学院国際関係学研究科教授兼務。2009年3月に定年退官。2009年、現在は首都圏を拠点に活動を行うジャーナリスト、ノンフィクション作家である。 1943年10月、岡山県岡山市生。1962年3月、岡山県立岡山操山高校卒、1963年4月、慶應義塾大学経済学部に入学 1969年(昭和44年)3月卒業後、毎日新聞社に入社。
深井 晃子(ふかい あきこ、1943年9月10日 - )は、… 深井 晃子(ふかい あきこ、1943年9月10日 - )は、日本の服装史研究者。京都服飾文化研究財団理事・名誉キュレーター。お茶の水女子大学名誉博士。神戸女子大学教授、静岡文化芸術大学教授を務めた。本名は、高橋晃子。岡山県高梁市出身。 1943年、岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)生まれ。1962年(昭和37年)岡山県立高梁高等学校卒業後、お茶の水女子大学家政学部被服学科入学。1968年9月、同大学院家政学研究科修士課程西洋服飾史専攻修了、家政学修士。1969年、帝人に入社。 建築家と結婚して渡仏。パリ第4大学ソルボンヌ芸術考古学部で美学・美術史を聴講。1979年より京都服飾文化研究財団に勤務。京都国立近代美術館をはじめ国内外の美術館において、「モードのジャポニスム」「身体の夢」「Future Beauty: 日本ファッションの30年」展などのキュレーションにより、美術館でのファッション展という新たな形式を確立した。
宇治郷 毅(うじごう つよし、1943年 - )は日本の図書… 宇治郷 毅(うじごう つよし、1943年 - )は日本の図書館員、国会職員、研究者。 第17代国立国会図書館副館長。元同志社大学社会学部教授。 岡山県倉敷市生まれ。1966年同志社大学法学部卒業、1968年同大学大学院法学研究科修士課程修了。同年国立国会図書館に入館し、2001年2月28日同館副館長(2003年2月28日まで)。 2006年同志社大学社会学部教授に就任、司書課程やアジア教育文化学の科目を担当し、2013年3月定年退職。 2024年3月時点では、国立国会図書館OB会の会長を務める。
宗政 五十緒(むねまさ いそお、1929年2月26日 - 2… 宗政 五十緒(むねまさ いそお、1929年2月26日 - 2003年1月27日)は、日本の日本近世文学研究者、書誌研究者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1980年)(学位論文「日本近世文苑の研究」)。龍谷大学名誉教授。 岡山市生まれ。1958年京都大学大学院文学研究科国文学博士課程満期退学。1980年「日本近世文苑の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。ハーバード大学研究員、龍谷大学教授、1997年定年、名誉教授。短歌あけぼの社主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 … 天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 - 1997年〈平成9年〉11月24日)は、日本の原子力研究者。日本原子力研究所副理事長、日本原子力学会副会長、CSK取締役も務めた。岡山県高梁市出身。 1924年(大正13年)に岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高校)へ進学し、1940年(昭和15年)に卒業。同年、旧制第六高等学校理科甲類へ入学し、1943年(昭和18年)卒業を経て、東京帝国大学へ入学、1945年(昭和20年)に日本が第二次世界大戦で敗北し、3年次で東京帝国大学工学部電気工学科を繰り上げ卒業となる。 卒業後、1939年に東京電気と芝浦製作所が合併して誕生した東京芝浦電気(現:東芝)へ1945年に入社。
柳井 深造(やない しんぞう、1911年(明治44年)7月1… 柳井 深造(やない しんぞう、1911年(明治44年)7月16日- 没年不詳)は、陸上選手であり研究者でもある。川崎重工業研究室長を務め、流体力学の研究で知られる。岡山県出身。 1911年(明治44年)岡山県に生れる。1925年(大正14年)、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。1930年(昭和5年)3月、同校を卒業し、旧制第六高等学校理科乙類へ進学する。1933年(昭和8年)同校を卒業し、京都帝国大学工学部へ進学する。 京大では、陸上部に所属し、1934年(昭和9年)柳井が大学2年生のとき、兵庫県にある甲子園南運動場で行われた第21回全日本陸上競技選手権大会の男子110mハードルでは、15.4秒で準優勝している。
日野西 義輝(ひのにし よしてる、1906年(明治39年)3… 日野西 義輝(ひのにし よしてる、1906年(明治39年)3月16日 - 1983年(昭和58年)6月15日)は、日本の蛍光体研究者・実業家であり、日本電気化学代表取締役の後、日立ランプ取締役。北海道出身。 北海道茅部郡石倉村(現・森町)濁川の広大な日野西牧場で農場を経営していた日野西長輝(日野西光善の三男)の長男として生まれた。日野西家は京都の堂上華族である。1916年に父親が日本統治下の朝鮮・慶尚南道の村井進永農場の農場長に就任したため、小学校6年より叔母の家があった岡山県成羽町(現・高梁市)で暮らす。その後、1919年(大正8年)旧制岡山県立高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に入学し同期に石川達三、金澤覚太郎、翁孝文(クラボウ常務)がいた。
香西 精(こうさい つとむ、1902年11月29日 - 19… 香西 精(こうさい つとむ、1902年11月29日 - 1979年1月12日)は、日本の英文学者・能楽研究者。 岡山県倉敷市出身。東京帝国大学文学部英文科卒業、甲南高等学校教授となるが病気のため辞職、1942年米穀会社に入り、兵庫米穀社長・会長。戦前から能楽研究を行い『謡曲界』などに多くの論文を発表。戦後、雑誌『宝生』に「とらうきやう考」を発表した後、表章との交流が始まり、世阿弥研究の基礎となる多くの功績を残した。1963年法政大学能楽研究所顧問。甲南高校時代の教え子に武智鉄二がいる。長男は元住友化学工業社長の香西昭夫。次男は日本経済研究センター理事長や政府税制調査会会長を務めたエコノミストの香西泰。
小山 富士夫(こやま ふじお、1900年3月24日 - 19… 小山 富士夫(こやま ふじお、1900年3月24日 - 1975年10月7日)は、日本の陶磁器研究者・陶芸家で、中国陶磁器研究の大家。
笠井 鎮夫(かさい しずお、1895年12月27日 - 19… 笠井 鎮夫(かさい しずお、1895年12月27日 - 1989年5月21日)は、日本の文学研究者、スペイン語学・文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。日本の怪異譚にも関心をもち、僖真 学人を名乗った。 岡山県岡山市出身。1919年東京外国語学校西語学科卒業。同年4月同校助教授。1929年同校教授。1949年東京外国語大学教授、同年7月から1951年まで同大学附属図書館長を兼任。1959年定年退官、名誉教授、南山大学教授、1972年退職。 日本とスペイン語圏文化の交流に尽力し、日本ボリビア協会理事、日本アルゼンチン協会評議員などを歴任。『西譯古今名句選』では、俳句のスペイン語訳を行った。 1965年6月、スペイン政府からイサベル・ラ・カトリカ勲章(スペイン語版、英語版)を受章。
板野 新夫(いたの あらお、1887年(明治20年)4月11… 板野 新夫(いたの あらお、1887年(明治20年)4月11日 - 1972年(昭和47年)4月12日)は、日本の農業研究者・教育者であり、日本の農業研究の第一人者である。岡山県総社市出身。 1887年(明治20年)に岡山県下道郡秦村(現・総社市)の農家の家庭に生まれる。その後、1900年(明治33年)旧制岡山県立高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に入学した。 高梁中在学中に米国に留学した新島襄に憧れ、また、新渡戸稲造の農業経営の理念に感化され、卒業後、1905年(明治38年)すぐに単身で渡米し農学の専攻を志した。 渡米後の板野は、最初に飲食店やホテルで働いて、学費を稼ぎながらドイツ語とラテン語を勉強した。
黒田 美保(くろだ みほ)は、日本の研究者。田園調布学園大学… 黒田 美保(くろだ みほ)は、日本の研究者。田園調布学園大学人間科学部心理学科教授。 主に自閉スペクトラム症の研究を行っている。また、自由ヶ丘こころの発達研究所LIBOの所長として、幼児の対人コミュニケーション支援にも取り組む。旧姓・樋原。 岡山県立岡山朝日高等学校、同志社大学文学部心理学科を卒業後、同大学院文学研究科に進学するが、関西電力病院勤務のため一年で中退。神経科で心理士として勤務した。その後結婚し、しばらく専業主婦をしていたが、1997年より東京都大田区立子ども発達センター「わかばの家」に公務員の心理士として復職。 その後、発達障害について学ぶため、東京学芸大学大学院に進学。自閉症研究で知られる太田昌孝の研究室に所属し、2年間で修士号(教育学)を取得。