岩谷昌樹(いわたに まさき、1973年12月8日 - )は、… 岩谷昌樹(いわたに まさき、1973年12月8日 - )は、日本の経営学者、詩人、東海大学経営学部経営学科教授。 岡山県倉敷市生まれ。1996年立命館大学経済学部卒、2001年同大学院経営学研究科博士後期課程修了、「日本商社制度の革新性と適合性」で博士(経営学)。1998-2001年立命館大学助手。2003年東海大学政治経済学部経営学科専任講師、2006年同助教授、2007年准教授を経て、2013年より教授となる。
小手鞠るい(こでまり るい、1956年3月17日 - )は、… 小手鞠るい(こでまり るい、1956年3月17日 - )は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。本名は川滝かおり。 1982年に刊行された詩集『愛する人にうたいたい』(川滝かおり名義)で、詩人として出発。1995年に刊行された『玉手箱』で、小説家として再出発。『欲しいのは、あなただけ』『エンキョリレンアイ』シリーズ三部作、『愛を海に還して』『空と海のであう場所』『別れのあと』『ロング・ウェイ』などの恋愛小説作品で人気を博する。 絵本の原作、エッセイ、児童書なども手がけている。代表作は『誰もいない』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『私たちの望むものは』『女性失格』『情事と事情』など。 岡山県和気郡備前町(現・同県備前市)浦伊部出身。
斎藤 恵子(さいとう けいこ、1950年2月20日 - )は… 斎藤 恵子(さいとう けいこ、1950年2月20日 - )は、日本の詩人・エッセイスト。詩誌「火片」「どぅるかまら」同人。 岡山県岡山市の生まれ。岡山県立岡山操山高校を経て、岡山大学法文学部史学科卒業。企業勤めを経て2008年から2014年まで私立高校講師。日本文藝家協会会員、日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ会員。岡山県詩人協会会員。 2009年、詩集『無月となのはな』(思潮社、2008年)にて第50回晩翠賞、第19回日本詩人クラブ新人賞を受賞。岡山市文化奨励賞、岡山芸術文化賞グランプリなど受賞。
堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日… 堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日本の作家・詩人。本名・浅野孝子、のち渋谷姓。 岡山市の貧家に生まれる。1946年就実高等女学校(現・就実中学校・高等学校)卒。終戦直後には岡山駅前で体を売った。自動車組合に就職後、『近代詩人』同人となる。1951年庭瀬駅売店店員となる。1954年結婚。1957年タムタム芸術集団(のち「総合芸術」)同人となり編集長・北田玲一郎のもとで詩を書く。1965年「石原慎太郎論」を書き話題となる。1967年、貧困と性にまみれた自伝的小説『わが闘争』を刊行、ベストセラーになり、佐久間良子主演・中村登監督で松竹で映画化もされ、岡山でロケも行われた。
飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2… 飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2013年10月14日)は、日本の詩人、小説家、翻訳家。日本芸術院会員、元明治大学法学部教授。長男は建築評論家の飯島洋一。 岡山市生まれ。旧制第六高等学校時代、シュペルヴィエルに傾倒。1946年、初めて買った詩集は村上菊一郎訳の『惡の華』だった。翌1947年12月に初めて日本の詩人の書いた詩集、朔太郎の『青猫』を買った。1948年10月、創元選書の大岡昇平編『中原中也詩集』を買ったが、ここにはソネットや、四行四連の「定型詩」が多かった。 1949年に東京大学文学部仏文学科入学、1952年同大学を卒業。在学中、栗田勇らと『カイエ』を創刊する一方、1950 - 51年と鈴木信太郎の講義に出て、ヴィヨンの『大遺言詩』、マラルメのソネット、ヴァレリーの『若きパルク』の演習を受ける。
吉行 エイスケ(よしゆき えいすけ、本名:栄助、1906年(… 吉行 エイスケ(よしゆき えいすけ、本名:栄助、1906年(明治39年)5月10日 - 1940年(昭和15年)7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。 アナキズムに傾倒し、旧制第一岡山中学校(現・県立岡山朝日高校)を4年時に退学し詩作に励む。その翌年当時まだ学生の吉行あぐり(旧姓、松本)と結婚し、長男の吉行淳之介が生まれるが暮らし向きは良くなかった。 上京後、詩人の辻潤、清沢清志、高橋新吉らと交友を通し、『ダダイスム』を発行、1926年『虚無思想』を新居格らと主宰し新興芸術派の旗手と目されるが、1933年には断筆した。1940年に狭心症のため34歳で急死した。前日まで元気であったが突然の事であったという。
永瀬 清子(ながせ きよこ、1906年(明治39年)2月17… 永瀬 清子(ながせ きよこ、1906年(明治39年)2月17日 - 1995年(平成7年)2月17日)は、日本の詩人。岡山県赤磐郡豊田村熊山(現赤磐市)出身。幼年期を石川県金沢市で過ごし、愛知県立第一高等女学校(現愛知県立明和高等学校)卒業。本名は永瀬清。 高等女学校在学中から佐藤惣之助に師事し『詩之家』同人となる。1930年、詩集『グレンデルの母親』を発表。1940年、その名声を得た詩集『諸国の天女』の序文は高村光太郎によるもので、生涯敬慕した宮沢賢治の追悼会での出会いが縁だった。またこの詩集によって、山内義雄や宮本百合子らに認められ、随一の女性文学者たちの仲間入りを果たした。1945年岡山県に帰り、農業に従事しながら詩作を行う。
赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1… 赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1997年8月5日)は、日本の詩人、曹洞宗僧侶。梅花流詠讃歌で知られる。岡山県浅口郡鴨方村(現・浅口市)出身。旧名は藤井卯七郎。 小学校卒業と同時に井原の善福寺の住職赤松仏海の養子となり、13歳で得度、1914年(大正3年)から新居浜の瑞応寺で修行、1916年から大本山永平寺で修行。1918年(大正7年)、僧籍を離れ上京して生田長江に師事。文学上の友人としては村井武生がいる。佐藤春夫、室生犀星らと知り文学活動を始め、『紀元』『文藝時代』などに参加。 1936年、岡山県に帰り、洞松寺(矢掛町)、善福寺の住職。1950年、曹洞宗特派布教師。1951年、正教師。
矢野 峰人(やの ほうじん、1893年3月11日 - 198… 矢野 峰人(やの ほうじん、1893年3月11日 - 1988年5月21日)は、日本の詩人、英文学者。本名は矢野禾積(かづみ)。 1893年、岡山県津山市で生まれた。久米北条郡大倭村(現・津山市西部)出身。幼時に父母と死別し、母方の祖母、叔父に育てられた。津山中学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)在学中、文学雑誌『文章世界』『秀才文壇』などに盛んに投稿。同級生に片岡鉄兵、中山巍、上級生に出隆らがいて親交があった。第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部に進学。英文科で上田敏、厨川白村の教えを受けた。 卒業後は、第三高等学校教授に就いた。1935年、学位論文『アーノルドの文学論』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。
有本 芳水(ありもと ほうすい、1886年(明治19年)3月… 有本 芳水(ありもと ほうすい、1886年(明治19年)3月3日 - 1976年(昭和51年)1月21日)は、日本の詩人・歌人である。 本名歓之助、1886年(明治19年)3月3日、兵庫県飾西郡津田村(現・姫路市)に生まれる。 岡山市の関西中学校に入学。在学中から詩作をし、同人雑誌「白虹」に参加する。上京し、早稲田大学高等師範部を卒業後、実業之日本社に入り、「日本少年」主筆として活躍した。1905年に車前草社に入り、若山牧水、正富汪洋らと作歌。薄田泣菫、与謝野鉄幹、晶子らの先進を敬慕しつつ、「日本少年」に毎号発表した少年詩は少年の読者に愛誦され、文学者に多くの影響を与えた。 1913年(大正2年)4月、岡山県上道郡浮田村北方の井尻龍五郎・林夫妻の長女、清子と結婚。
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年〈明治17年〉9月1… 竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年〈明治17年〉9月16日 - 1934年〈昭和9年〉9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けの一人ともいえる。
薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年〈明治10年〉5… 薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年〈明治10年〉5月19日 - 1945年〈昭和20年〉10月9日)は、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。 『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。大正以後は詩作を離れ、『茶話』『艸木虫魚』などの随筆集を書いた。 1877年5月13日、岡山県浅口郡大江連島村(現在の倉敷市連島町連島字大江)に、父・篤太郎、母・里津の長男として生まれた。父は村役場の書記で、俳諧を嗜んでいた。玉島高等小学校を経て、1893年に岡山県尋常中学校(後に第一岡山中学校。現在の県立岡山朝日高校)を中退。
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう 1876年〈明治9年〉8月2… 尾上 柴舟(おのえ さいしゅう 1876年〈明治9年〉8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人・歌人・書家・国文学者。文学博士。帝国芸術院会員。勲二等瑞宝章受章者。旧名は北郷八郎。 岡山県苫田郡津山町(現・津山市)出身。本名は尾上八郎。元津山藩士・北郷直衛の三男として生まれ、同藩士・尾上動の養子となった。津山小学校高等科を卒業の後、父の転勤で兵庫県龍野(現・たつの市)に移住する。東京府尋常中学、一高を経て、東京帝国大学文科大学に進み1901年に卒業。哲学館(現・東洋大学)講師、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)講師・教授(1905年–)、高等官6等に叙せられて「第6臨時教員養成所」の教授を兼ねる(1906年–1907年度)。
田辺 為三郎(田邊 爲三郎、たなべ ためさぶろう、1864年… 田辺 為三郎(田邊 爲三郎、たなべ ためさぶろう、1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1931年(昭和6年)4月18日)は、明治から昭和初期の実業家・政治家・漢詩人。衆議院議員。名・華、字・秋穀、号・碧堂。 備中国浅口郡長尾村(岡山県浅口郡長尾村、長尾町、玉島市を経て現倉敷市玉島長尾)で、庄屋・田辺新三の三男として生まれた。7歳で父を失い、母に養育され虚弱のため学校に通わず、独学で漢学、外国語学、政治経済学などを修めた。1879年(明治12年)3月、家督を相続した。 1888年(明治21年)玉島紡績会社に入社し、1896年(明治29年)同社取締役に就任。1890年(明治23年)児島郡味野村(現:倉敷市児島味野)の野﨑家の理事となり、当主野崎武吉郎の貴族院多額納税者議員としての活動を支え、同家の塩業事業の発展に寄与した。
楠 かつのり(くすのき かつのり)は、音声詩人、映像作家。「… 楠 かつのり(くすのき かつのり)は、音声詩人、映像作家。「詩のボクシング」の日本朗読ボクシング協会代表。ロボット&人工知能アート研究所所長。大学名誉教授。 1997年に自分のことばを声にして伝え合う競技「詩のボクシング」を始める。一般参加によるトーナメントの「詩のボクシング」大会は、これまでに43都道府県で行われ、2001年からは毎年全国大会も開催されている。中でも「詩のボクシング」については、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスメディアで紹介されている。また、コミュニケーション能力が高まるとされ、全国各地の小・中・高校の教育の場にも取り入れられている[要出典]。 1980年代に家庭用ビデオカメラを使った映像表現で注目を浴び、それ以降映像表現におけるさまざまな試みを重ねている。