竹元 勝雄(たけもと かつお、1927年7月25日 - 20… 竹元 勝雄(たけもと かつお、1927年7月25日 - 2006年5月8日)は、山口県徳山市(現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 山口県立徳山中学校在学時から投手としてプレー。戦後、社会人野球の藤山炭鉱に在籍。 1950年2月、大阪タイガースにテスト入団。1951年に一軍登録されたが、4月22日の大洋ホエールズ戦に敗戦処理として登板しただけでわずか1年で退団。 退団後は、社会人野球の篠崎倉庫に在籍していたが、1954年にセントラル・リーグが造った新日本リーグの審判となりこれを機に審判として再出発。1955年のシーズン途中に新日本リーグが解体され、関東の球団がセントラル・リーグが管理するイースタン・リーグに、愛知以西の球団がパシフィック・リーグが管理するウエスタン・リーグに転籍するとセントラル・リーグの関西審判部に入局(※ 入局は1956年)。
高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 20… 高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 2013年1月2日)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。1946年と1947年の登録名は諏訪 裕良。
江田 孝(えだ たかし、1923年3月18日 - 1978年… 江田 孝(えだ たかし、1923年3月18日 - 1978年2月11日)は、山口県玖珂郡本郷村出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 1948年から1955年までの登録名は江田 貢一 (えだ こういち)。 旧制伊丹中学校卒業後、1941年に阪急軍へ入団。同年8月2日の名古屋軍戦(西宮)で先発し7回2/3を投げて降板し、江田の2番手で1回1/3を投げた森弘太郎との継投でのノーヒットノーランを記録。 1943年に応召され、1946年にゴールドスターでプロ球界に復帰し、1947年に初の2桁勝利となる11勝を挙げる。篠崎倉庫を経て1948年に大陽ロビンスへ移籍し、1950年にはオーバースローからシュートやシンカー、カーブ、ナックルを武器に23勝を挙げ、2リーグ分立後初のリーグ優勝に大きく貢献。
大橋 智干(おおはし ともひさ、1921年6月25日 - 没… 大橋 智干(おおはし ともひさ、1921年6月25日 - 没年不明)は、山口県出身のプロ野球選手。
矢野 純一(やの じゅんいち、1919年1月23日 - 20… 矢野 純一(やの じゅんいち、1919年1月23日 - 2002年12月22日)はプロ野球選手(野手)、元横浜大洋ホエールズ取締役球団代表。山口県出身。
小林 吉雄(こばやし よしお、1919年 - 1997年3月… 小林 吉雄(こばやし よしお、1919年 - 1997年3月29日)は、山口県出身のプロ野球選手。晩年は佐々木姓を名乗った。 当初は親の意向や教員への憧れから、山口師範学校に通っていた。しかし同校には野球部がなく、また1933年の選抜に御園生崇男を擁する山口中学が出場したことに刺激を受け、山口師範学校附属高等小学校の卒業後、山口中学校に編入した。 1939年に大阪タイガースへ入団。同年にホームスチールを決めているが、プロ通算で得点は1のため、得点に占めるホームスチール率10割という珍記録を残している。 1941年に応召のため退団した。 戦後は宇部興産に入社。その際の縁で佐々木家の養子となり、同家が経営する佐々木モーターズの社長に就任した。
平山 菊二 (ひらやま きくじ、1918年9月23日 - 1… 平山 菊二 (ひらやま きくじ、1918年9月23日 - 1998年5月28日)は、日本のプロ野球選手(左翼手)。
藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 19… 藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 1997年4月26日)は、山口県下関市彦島(朝鮮・釜山生まれ)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
中部 新次郎(なかべ しんじろう、1917年10月9日 - … 中部 新次郎(なかべ しんじろう、1917年10月9日 - 没年不明)は、プロ野球チーム・横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の元オーナー。 山口県下関市出身。早稲田大学専門部商科を経て、1942年に水産講習所を卒業後、大洋漁業の前身である林兼商店に入社。大洋漁業下関支社営業部長、営業本部長などを歴任し、1973年から副社長を務めた。中部謙吉の死去に伴い、1977年から横浜大洋ホエールズのオーナーに就任した。 1987年に古葉竹識が監督に就任し、その披露パーティーでたけし軍団に因んで、「竹識軍団となってばく進せよ!」とスピーチした。 1990年のシーズンをもって、オーナーを退任。 同社の軟式野球部で投手、遊撃手としてプレーしたことがある。
御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1… 御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1965年7月10日)は、山口県防府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球史上2人目のシーズン無敗を達成した。 1916年1月16日に山口県防府市で生まれる。山口県立山口中学校在学時は1933年の第10回選抜中等学校野球大会に出場経験を持つ。進学先の関西大学体育会野球部では新人戦で完封勝利を記録するなど話題の投手となり1936年2月1日に設立されたばかりの大阪タイガースから誘われると僅か1年で大学を中退し、入団した。 入団当初から主戦投手として活躍し、同年5月27日の対阪急軍戦で初勝利を挙げると、1937年秋季には15試合に登板して11勝無敗、勝率1.000の大活躍でタイガースの初優勝に貢献した。
戸倉 勝城(とくら かつき、1914年11月3日 - 199… 戸倉 勝城(とくら かつき、1914年11月3日 - 1997年6月6日)は、山口県出身のプロ野球選手(外野手)・監督。 豊浦中学を経て、法政大学を卒業。卒業後は、大連満倶・林兼商店でプレーイングマネージャーを務めた。1950年に社会人野球大洋漁業から河内卓司らと引き抜かれ、この年創立された毎日に入団。 35歳という高齢でのプロ入りながら、同年3月11日のパ・リーグ開幕戦(西鉄戦)で4番を打ち、初打席で木下勇から本塁打を放って初打席初本塁打とパ・リーグ第1号本塁打を記録した。この年の7月5日の大映戦(後楽園球場)では、ナイターでの第1号本塁打を記録する。最終的には21本塁打、96打点でチームの初優勝に貢献した。