長岡 奨(ながおか すすむ、1957年〈昭和32年〉1月12… 長岡 奨(ながおか すすむ、1957年〈昭和32年〉1月12日 - )は、日本の経営者、銀行家。阿波銀行頭取、会長を務めた。徳島県小松島市出身。 1980年に関西学院大学法学部を卒業し、同年に阿波銀行に入行した。2008年6月に取締役に就任し、2012年6月に常務、2016年6月に専務を経て、2017年4月には頭取に就任。2023年4月には会長に就任。
徳島県:800人
長岡 奨(ながおか すすむ、1957年〈昭和32年〉1月12… 長岡 奨(ながおか すすむ、1957年〈昭和32年〉1月12日 - )は、日本の経営者、銀行家。阿波銀行頭取、会長を務めた。徳島県小松島市出身。 1980年に関西学院大学法学部を卒業し、同年に阿波銀行に入行した。2008年6月に取締役に就任し、2012年6月に常務、2016年6月に専務を経て、2017年4月には頭取に就任。2023年4月には会長に就任。
宮本 雅史(みやもと まさふみ、1957年 - )は、日本の… 宮本 雅史(みやもと まさふみ、1957年 - )は、日本の実業家・投資家。スマートコミュニティ代表取締役会長。かつて株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)初代社長として『ファイナルファンタジー』を世に出した。
大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年… 大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年〈昭和31年〉7月7日 - 2023年〈令和5年〉3月2日)は、日本の宗教家、思想家、作家。幸福の科学の創始者・総裁。 2022年12月時点、説法回数は3,500回、著作の公称の発刊点数は日本国内で3,100書、作詞・作曲を手がけた作品は450曲を超える。幸福の科学のほか幸福実現党、ニュースター・プロダクション、ARI Productionなど、幸福の科学グループの多くの企業・団体で会長や総裁職を勤めていた。 29歳年下の後妻(再婚)である大川紫央 (現総裁補佐)については、”坂本龍馬の生まれ変わり”であるとしている。 1956年7月、徳島県麻植郡川島町大字桑村(現在の吉野川市川島町桑村)に、日本共産党活動家で、畜産コンサルタントであった父・善川三朗(本名:中川 忠義、共産党名:中川只芳)と母・君子の次男として生まれた。
尾崎 直道(おざき なおみち、1956年5月18日 - )は… 尾崎 直道(おざき なおみち、1956年5月18日 - )は、徳島県出身のプロゴルファー。愛称はジョーまたはジョー尾崎。同じくプロゴルファーで兄の尾崎将司(ジャンボ)、尾崎健夫(ジェット)と3人で「尾崎3兄弟」と呼ばれる。 ジョー(JOE)の由来は長兄のジャンボ(JUMBO)、次兄のジェット(JET)と頭文字がJで始まるニックネームだった為、同じJで始まるニックネームを公募して付けられた。 千葉日本大学第一高等学校出身。 ゴルフを始めたのは15歳。3兄弟の仲では唯一野球経験がない。本人曰く「野球では、甲子園を沸かせた兄達にかなわないと思った」。1977年プロデビュー。 1984年に静岡オープンで初優勝。
小西 昌幸(こにし まさゆき、1956年3月30日 - )は… 小西 昌幸(こにし まさゆき、1956年3月30日 - )は、日本の文化プロデューサー。徳島県板野郡北島町出身。 徳島県の北島町立図書館・創世ホールでユニークな企画を開催するほか、ミニコミ発行や個人出版で知られる。海野十三の会副会長。日本推理作家協会、徳島アイルランド音楽愛好会会員。サラリーマン・パンク同盟代表。 1978年、中京大学文学部心理学科卒業。1979年、北島町役場に就職。税務課等を経て、1994年より北島町立図書館・創世ホールで企画広報を担当し、2012年3月まで同ホール館長。2000年には徳島謄写印刷研究会を結成、事務局長を務める。 創世ホールでは、独自性の高い講演や音楽などの文化企画が多数実施されている。
半井 真司(はんい しんじ、旧姓内田(うちだ)、1956年(… 半井 真司(はんい しんじ、旧姓内田(うちだ)、1956年(昭和31年)2月1日 - )は、日本の実業家。四国旅客鉄道株式会社(JR四国)の取締役会長。徳島県三好市(旧三好郡池田町)出身。香川県高松市在住。
住友 雄治(すみとも ゆうじ、1956年(昭和31年)1月1… 住友 雄治(すみとも ゆうじ、1956年(昭和31年)1月1日 - )は、日本の建築家。インテリアデザイナー。徳島県徳島市出身。 徳島県立徳島東工業高等学校インテリア科(現徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業。1985年に有限会社「マス・アソシエイティ」設立。1996年に「B社」本社・工場徳島県建築デザイン賞、ナショップライティングコンテスト奨励賞、1998年に「IDE LIGHT HOUSE」INAXデザインコンテスト銅賞などを受賞。
近藤 孝造(こんどう こうぞう、1955年(昭和30年)12… 近藤 孝造(こんどう こうぞう、1955年(昭和30年)12月28日 - )は、日本の社会学者。学校法人徳島城南学園理事長。元徳島工業短期大学教授。 早稲田大学政治経済学部卒業。鳴門教育大学大学院学校教育研究科修了。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市南昭和町出身。1985年(昭和60年)に早稲田大学政治経済学部を卒業。1990年(平成2年)に鳴門教育大学大学院学校教育研究科社会科を修了。大学卒業後は石油会社や県立高校教諭で勤務。 1994年(平成6年)に徳島工業短期大学の講師となり、同大学の教授と大学を運営する学校法人徳島城南学園の副理事長を経て2009年(平成21年)に理事長に就任。またこれまでに日本社会学会・家族社会学会などに所属した。
北岡 秀二(きたおか しゅうじ、1955年11月18日 - … 北岡 秀二(きたおか しゅうじ、1955年11月18日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。 徳島県美馬郡美馬町(現・美馬市)生まれ。徳島県立脇町高等学校卒業。1980年、明治大学政治経済学部卒業。その後は建設資材の製造会社を経営した。1987年、徳島県議会議員選挙に出馬し初当選を果たした。1991年、徳島県議会議員選挙で再選を果たした。1994年9月に県議を辞職した。1995年7月23日、第17回参議院議員通常選挙に徳島県選挙区から自民党公認で出馬し、民主改革連合の前職を破って初当選を果たした。1998年7月、小渕内閣の法務政務次官に就任した。2001年7月29日、第19回参議院議員通常選挙で再選を果たした。
西真田 佳典(にしまた よしのり、1955年11月5日 - … 西真田 佳典(にしまた よしのり、1955年11月5日 - )は、サッカー選手代理人。プロサッカー選手とクラブチーム側との交渉面を担当する。 父は徳島県サッカー協会名誉会長だった西真田英昭、弟は京都パープルサンガやヴィッセル神戸等でチーム強化部長職を務めた西真田光司。 徳島商業高等学校から中央大学へ進む。大学では早野宏史と同期だった。 1997年にFIFA代理人制度試験に合格し、ライセンスを取得。 日本人代理人の草分け的存在として活躍し、日本人で最も多くの選手、監督の契約、移籍交渉を手がけたといわれている。 また、「サッカーショップKAMO」で知られる加茂商事、及びJSP(ジャパン・スポーツ・プロモーション)の取締役を務めている。
遠藤 彰良(えんどう あきよし、1955年(昭和30年)10… 遠藤 彰良(えんどう あきよし、1955年(昭和30年)10月27日 - )は、日本の政治家。徳島県徳島市長(2期)。元四国放送アナウンサー・ラジオ局次長兼アナウンス部長。 徳島県名西郡石井町出身。石井町立高川原小学校卒業。石井町立石井中学校卒業。徳島県立城北高等学校卒業後、青山学院大学法学部へ進む。大学卒業後、1980年に四国放送へ入社。 大学在学中は落語研究会に所属。落語研究会の先輩に落語家の6代目三遊亭円楽、後輩にフリーアナウンサーで元読売テレビ放送執行役員待遇編成局エグゼクティブアナウンサーの森武史がいる。入社したその年に『あんたがたいしょう』がスタート、同番組のパーソナリティとなり、2008年の番組終了まで出演。
大門 匡(だいもん たすく、1955年10月19日 - )は… 大門 匡(だいもん たすく、1955年10月19日 - )は、日本の裁判官。東京家庭裁判所所長などを経て、広島高等裁判所長官を務めた。 大阪府生まれ。徳島市立富田中学校、徳島県立城南高校を卒業後、京都大学法学部に進学。1979年、司法試験合格。1989年 から1991年まで大蔵省へ出向。1995年4月1日、最高裁判所事務総局家庭局第二課長。1998年4月1日、同 第一課長・広報課付。2000年4月1日、東京家庭裁判所判事。2002年4月1日、東京地方裁判所判事。2003年4月1日、東京地方裁判所部総括判事。2014年10月2日、千葉家庭裁判所所長。2016年2月21日、横浜家庭裁判所所長。2017年9月22日 、東京家庭裁判所所長。
堀尾 和孝(ほりお かずたか、1955年(昭和30年)8月2… 堀尾 和孝(ほりお かずたか、1955年(昭和30年)8月20日 - )は、日本のギタリスト。徳島県小松島市出身。徳島県立城南高等学校卒業。東京電機大学中退。
原 秀樹(はら ひでき、1955年(昭和30年)6月9日 -… 原 秀樹(はら ひでき、1955年(昭和30年)6月9日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元徳島市長(3期)。 徳島県徳島市佐古町出身。徳島県立城北高等学校を経て、1981年に中央大学法学部を卒業。 1989年に徳島県議会議員に当選、4期務める。2000年に徳島県議会副議長就任。県議時代は自由民主党に所属した。徳島青年会議所理事長、日本青年会議所四国地区会長、徳島中央ライオンズクラブ会長、徳島県監査委員、徳島県議会土木委員長などを歴任。2001年より学校法人原学園・白うめ幼稚園理事長。 2004年に徳島市長に初当選。2008年3月、徳島市長選に2選を目指して出馬。民主党の加藤真志、共産党の十枝修らを破り、2期目の当選を果たす。
松浦 純生(まつうら すみお、1955年6月 - ) は、日… 松浦 純生(まつうら すみお、1955年6月 - ) は、日本の地すべり研究者。京都大学名誉教授。日本地すべり学会賞受賞。 徳島県生まれ。1974年徳島県立城南高等学校卒業。1979年名古屋大学農学部林学科卒業。名古屋大学ワンダーフォーゲル部出身。1981年筑波大学大学院環境科学研究科修士課程修了、学術修士。1984年筑波大学大学院農学研究科中退、農林水産省入省、林業試験場防災部研究員。1988年農林水産省森林総合研究所森林環境部主任研究官。2001年森林総合研究所水土保全研究領域チーム長、日本地すべり学会理事。2007年度日本地すべり学会賞受賞。2008年名古屋大学博士(農学)。2010年京都大学防災研究所傾斜地保全研究分野教授。
植上 健治(うえがみ けんじ、1955年5月20日 - 19… 植上 健治(うえがみ けんじ、1955年5月20日 - 1995年2月16日)は徳島県徳島市出身のプロ野球選手、打撃投手、スコアラー。
東原 敏昭(ひがしはら としあき、1955年〈昭和30年〉2… 東原 敏昭(ひがしはら としあき、1955年〈昭和30年〉2月16日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社日立製作所代表執行役会長、日立技術士会会長、日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長、一般社団法人日本機械工業連合会会長、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会会長、公益財団法人日独協会会長。徳島県小松島市出身。学位は工学士(徳島大学・1977年)、修士(ボストン大学・1990年)。 阿南工業高等専門学校第3年次中退を経て徳島大学工学部電気工学科を卒業。1977年に日立製作所入社。大みか工場に配属され、制御システムの開発に携わる。1990年にボストン大学大学院コンピュータサイエンス学科を修了。
浜内 千波(はまうち ちなみ、1955年1月1日 - )は、… 浜内 千波(はまうち ちなみ、1955年1月1日 - )は、日本の料理研究家。徳島県海部郡海陽町(旧海南町)出身。大阪成蹊女子短期大学(現・大阪成蹊短期大学)栄養科卒業。 徳島県の徳島県立海南高等学校を経て、大阪成蹊女子短期大学(現・大阪成蹊短期大学)栄養科を卒業。大阪の証券会社にて3年間勤務。1978年、23歳の時に単身、大阪から上京。岡松料理研究所へ入所し、岡松喜与子先生の弟子となる。1980年に東京都中野区中野坂上に「ファミリークッキングスクール」を開校する。1990年に株式会社ファミリークッキングスクールの社長に就任。2006年にキッチン用品「Chinami」のブランドを立ち上げる。現在ではテレビや雑誌などでも活躍している。
小西 英人(こにし ひでと、1954年11月27日 - )は… 小西 英人(こにし ひでと、1954年11月27日 - )は、随筆家、編集者。おもに釣りと魚の随筆を執筆したり、魚類図鑑の企画、製作、編集などを行ったりしている。 徳島県徳島市出身。1976年、桃山学院大学社会学部在学中に父の小西和人とともに株式会社週刊釣りサンデーを起こし、「週刊釣りサンデー」を創刊、カメラマンとして活躍。その後、写真部長、出版編集長、週刊釣りサンデー編集長、編集主幹、代表取締役社長などを歴任する。日本各地、世界各地を釣り歩き、写真や紀行文を発表。また数多くの書籍、雑誌などの製作や編集を行う。 2001年、インターネットで【WEB魚図鑑】【さかなBBS】などの活動を始め、読者投稿型のネット図鑑を成功させ、民生用としては最大のものに育てる。
岩浅 嘉仁(いわさ よしひと、1954年(昭和29年)11月… 岩浅 嘉仁(いわさ よしひと、1954年(昭和29年)11月3日 ‐ )は、日本の政治家。徳島県阿南市長(4期)。元衆議院議員(2期)。
北河 多香子(きたがわ たかこ、1954年8月24日[要出典… 北河 多香子(きたがわ たかこ、1954年8月24日[要出典] - )は、日本の女優である。徳島県徳島市出身。血液型はAB型。 日本大学商学部卒業。 学生時代、撮影所を来訪中にたまたま受けた映画出演のオーディションにて合格し、1974年、吉田由貴子名義にて日活映画『妹』(藤田敏八監督)でデビュー。芸名を北川たか子に変更し、1981年『太陽戦隊サンバルカン』に第1話から第22話まで出演。また同作で共演した根本由美とは古くからの友人である。 同作の降板後も映画・テレビにて活動を続け、のちに芸名の漢字表記を北河多香子に変更し、現在に至る。
富原 忠夫(とみはら ただお、1954年6月19日 - 20… 富原 忠夫(とみはら ただお、1954年6月19日 - 2014年7月29日)は、競輪選手・日本競輪選手会第11代理事長(徳島支部所属)、日本自転車競技連盟会長。徳島県徳島市出身。日本競輪学校第43期卒業。初出走は1979年4月7日の松山競輪場で初勝利も同日。師匠は武市寛(33期・引退)。愛称は『富さん』。 小学校時代より野球のキャッチャーとして活躍し、徳島工業高から社会人野球の大倉工業に進む。ここでは、JABAベーブルース杯争奪大会でベスト4に貢献した経験を持つ。しかし、後に肩を壊したことが原因で野球を続けられなくなったため引退する。同級生だった武市寛(競輪学校33期生)の勧めにより競輪選手への転身を決意し、1978年に日本競輪学校の適性試験に合格して第43期生として入学する。
武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )… 武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )は、将棋棋士。徳島県徳島市出身。丸田祐三九段門下。棋士番号152。2014年引退。 1981年11月11日に四段に昇段し、プロ入り。プロ入り後初参加の第22期十段戦(1982年-83年)予選で決勝まで勝ち進んだ。難関の十段リーグ出場まであと1勝と迫ったが、桐山清澄に敗れた。 第7回(1984年度)オールスター勝ち抜き戦の本戦に出場し、1戦目で中原誠に敗北した。第34回(1984年度)NHK杯の本戦に出場し、1回戦で石田和雄に敗北した。第24期十段戦(1984年-85年)予選で準決勝まで勝ち進むも、加藤一二三に敗れ、十段リーグ入りをまたも果たせなかった。
笑福亭 学光(しょうふくてい がっこ、1954年3月6日 -… 笑福亭 学光(しょうふくてい がっこ、1954年3月6日 - )は徳島県阿南市羽ノ浦町古毛出身の落語家・タレント。「お笑い福祉士」創設者。本来の表記は笑福亭 學光。本名は多田 政信(ただ まさのぶ)。現在は大阪府茨木市に在住。 上方落語協会会員で、阿波踊りの「はなしか連」連長も務める。 徳島県立富岡西高等学校を卒業。徳島相互銀行(現在の徳島大正銀行)に勤めたのち、1975年10月に内弟子として笑福亭鶴光に入門。高座名の「学光」は、鶴光と飲み友達だった漫画家のはらたいらが命名した。鶴光一門の筆頭弟子となった。 1976年に神戸「柳笑亭」にて初舞台。 『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』では、「鶴光の初弟子に何かレポートさせよう」というディレクターのアイディアで、「学光のドッキリマイク只今参上」のコーナーを担当。
大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )… 大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 海南高校では尾崎健夫とバッテリーを組み、2年次の1971年に春季徳島大会で優勝するが、代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れて四国大会には進めなかった。同年夏も県予選準々決勝で池田高に敗れ、甲子園には出場できなかった。他の高校同期に北川裕司、後にセ・リーグ審判となる谷博、同志社大学から日本生命に進んだ花野巧がいた。高校卒業後の1973年、当初志望していた関西大学が学生運動の影響で野球部員としての募集を行っておらず、日本生命からのオファーもあったものの大学進学を希望したため先輩のつてを頼って北川と共に神奈川大学へ進学。
尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )は、日… 尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )は、日本のプロゴルファーである。 ジャンボ尾崎こと尾崎将司は兄で、ジョー尾崎こと尾崎直道は弟である。徳島県海陽町出身で海南高校野球部のエースとして活躍した。ドライバーショットがジェット機のように強烈なことから、アメリカの下部ツアー転戦時に若手プロらが「ジェット」と称して以来、ジェット、あるいは姓を続けてジェット尾崎、と愛称されている。 1998年から事実婚関係にあった女優の坂口良子と2012年8月10日、宍喰温泉ホテルリビエラで挙式し、その模様はTBS「ぴったんこカン・カン」で放映されたが、坂口とは翌2013年3月27日に死別。坂口良子との間に子供はなく、坂口の連れ子(坂口杏里とその兄)とは養子縁組をしておらず法的な親子関係はない。
花野 巧(はなの たくみ、1953年9月21日 - )は、元… 花野 巧(はなの たくみ、1953年9月21日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手。 海南高校では尾崎健夫、大石友好のバッテリーを擁し、1971年春季四国大会県予選で優勝するが、県代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れ四国大会には進めなかった。同年夏も県予選準々決勝で池田高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 同志社大学商学部に入学。同期のエース田尾安志を擁し、関西六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1973年の全日本大学野球選手権大会は準決勝に進むが、中大の田村政雄に完封負けを喫する。同年の明治神宮野球大会は決勝で駒大に敗れ準優勝。1974年の明治神宮野球大会もベスト4に喰い込む。
厚木 進(あつき すすむ、1953年6月29日 - )は、日… 厚木 進(あつき すすむ、1953年6月29日 - )は、日本の財務官僚。財務省関東財務局長、経済産業省貿易経済協力局長を経て、日本郵政代表執行役副社長。 徳島県鳴門市撫養町出身。徳島県立城南高等学校を経て、一橋大学経済学部経済学科卒業。1977年4月 大蔵省入省(主計局総務課)。 パリでOECD政府代表部参事官を務めていた際に、韓国のOECD加盟に尽力。1997年から財務省国際局で課長を務めアジア通貨危機に対応した。2000年からは金融庁、証券取引等監視委員会で課長、担当審議官として検査に携わる。 2010年、日本国憲法下で初めて経済産業省と財務省との間(通産省、大蔵省時代含む)で局長交流人事が行われ、経済産業省貿易経済協力局長に就任。
谷 博(たに ひろし、1953年6月20日 - )は元プロ野… 谷 博(たに ひろし、1953年6月20日 - )は元プロ野球審判員。徳島県出身。審判員袖番号は19 (1988年初採用から。谷は関西審判部で袖番号が初採用された年度の中で最古参であった)。 徳島県立海南高等学校では野球部で尾崎健夫、大石友好と同期。京都産業大学を経て1976年にセントラル・リーグ審判部入局。井野修元審判とは同期入局である(井野は公募で合格、谷はアマ時代の経験を買われて入局)。入局1年目の4月25日の阪神-大洋戦(甲子園)での左翼外審で一軍試合出場を果たす。 バース・掛布雅之・岡田彰布の3人によるバックスクリーン3連発があった1985年の巨人対阪神戦では一塁塁審をしており、その18年後の平成の3連発では二塁塁審をしていた。
北川 裕司(きたがわ ゆうじ、1953年〈昭和28年〉6月1… 北川 裕司(きたがわ ゆうじ、1953年〈昭和28年〉6月14日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 海南高校では尾崎健夫、大石友好のバッテリーを擁し、甲子園には出場できなかったが強豪校として知られた。1971年(昭和46年)春季徳島大会で優勝するが、代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れ、四国大会には進めなかった。他の高校同期にセントラル・リーグ審判の谷博がいた。卒業後は大石とともに神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは在学中5度優勝。最優秀選手、ベストナイン1回。 1975年プロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名され入団。1年目の1976年から一軍に上がり、6月には遊撃手として2試合に先発出場を果たす。
喜多洲山(きた しゅうざん、旧名:喜多修司、1953年3月6… 喜多洲山(きた しゅうざん、旧名:喜多修司、1953年3月6日 - )は、日本の経営コンサルタント。株式会社喜望大地代表取締役会長。 徳島県吉野川市出身。関西大学商学部中退後、家業の小売業に従事する。年商1億円から50億円まで事業を拡大し、ベンチャー・キャピタル4社から出資を受けIPOを目指したが、負債30億を抱え経営危機に陥る。組織再編とM&Aにて事業を再生した後、経営責任を取り退任。2005年、喜望大地経営株式会社を創業、経営コンサルティングに従事する。経営・事業再生・M&A、ベンチャー育成などのコンサルティング活動や、東京・大阪を中心としたセミナーの開催、メールマガジン・著書の執筆などの活動をしている。
兼西 茂(かねにし しげる、1953年(昭和28年)3月5日… 兼西 茂(かねにし しげる、1953年(昭和28年)3月5日 - )は、日本の政治家。つるぎ町長。徳島県立三好高等学校卒業。徳島県つるぎ町出身。
米田 豊彦(よねだ とよひこ、1953年1月30日 - )は… 米田 豊彦(よねだ とよひこ、1953年1月30日 - )は、日本の実業家。一般社団法人徳島新聞理事社長。徳島ヴォルティス取締役ゼネラルマネジャー、日本新聞協会理事などを歴任。 徳島県鳴門市生まれ。1971年徳島県立鳴門高等学校、1975年駒澤大学経済学部経済学科卒業。 同年、徳島新聞社入社。総務局、広告局、東京支社を経て1994年に広告部副部長。2000年事業部長。サッカー未経験者だが、新聞社の事業部長として地元のスポーツ興行を手掛けてきた実績を買われ、徳島ヴォルティス取締役GMに抜擢。2004年徳島ヴォルティス株式会社へ出向し取締役ゼネラルマネジャー(局次長待遇)。2007年3月末、徳島ヴォルティス取締役GMを退任。
庄野 文章(しょうの ふみあき、1953年(昭和28年) -… 庄野 文章(しょうの ふみあき、1953年(昭和28年) - )は、日本の薬学者。元徳島文理大学薬学部教授。 徳島文理大学薬学部衛生薬学科卒業。徳島大学大学院薬学研究科修了。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。1976年(昭和51年)に徳島文理大学薬学部衛生薬学科を卒業。1990年(平成2年)に徳島大学大学院薬学研究科を修了。 2006年(平成18年)より徳島文理大学薬学部の教授に就任し、2019年(平成31年)まで務めた。 またこれまでに徳島県病院薬剤師会理事を務め、日本薬学会・日本医療薬学会・日本病院薬剤師会・日本環境感染学会などに所属した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
富山 誠(とみやま まこと、本名:中川 力(つとむ)、195… 富山 誠(とみやま まこと、本名:中川 力(つとむ)、1952年〈昭和27年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉6月29日)は、日本の宗教家。徳島県(吉野川市)出身。京都大学文学部哲学科卒業。種智院大学人文学部卒業。実弟は幸福の科学総裁である大川隆法。 徳島県麻植郡川島町(現:吉野川市)で畜産コンサルタントの中川忠義とその妻である中川君子の長男として生まれる。徳島県立城南高等学校を卒業し、1978年(昭和53年)に京都大学文学部哲学科を卒業。 その後、仏教研究のため種智院大学人文学部に学士入学し卒業。大手進学予備校で受験指導にあたる傍ら、哲学・宗教学の研究を続けた。 1983年(昭和58年)に父の忠義とともに徳島市の新町橋近くで進学塾「太陽学園」を設立・経営し塾長となるが、後に若年性高血圧症の脳溢血で入院することとなり進学塾は閉鎖となる。
村生 ミオ(むらお ミオ、本名:村井 幹生(むらい みきお)… 村生 ミオ(むらお ミオ、本名:村井 幹生(むらい みきお)、1952年4月28日 - 2022年4月16日)は、日本の漫画家。男性。徳島県徳島市出身。 遺作となった『奴隷先生』は作画担当の友野ヒロが原作も引き継いで執筆、『闇に抱かれる女』は連載開始前に20話近くの原稿を描き溜めていた。
笹本 信二(ささもと しんじ、1952年4月18日 - )は… 笹本 信二(ささもと しんじ、1952年4月18日 - )は、徳島県板野郡松茂町出身の元プロ野球選手(捕手)。
国岡 恵治(くにおか けいじ、1952年3月8日 - )は、… 国岡 恵治(くにおか けいじ、1952年3月8日 - )は、徳島県美馬郡脇町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 鴨島商業高校では1968年、2年生の時に四番打者、一塁手、控え投手として夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で盛岡一高に敗退。この試合でリリーフとして甲子園初登板を果たす。1969年夏はエースとして南四国大会決勝に進むが、高知商の中沢一彦(法大-三菱自動車川崎)と投げ合い敗退、甲子園には届かなかった。 1969年ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。左の本格派でカーブを武器とし、梶本二世と期待される。1970年には10試合に登板、10月23日にはロッテを相手に初先発を果たす。
堀淵 清治(ほりぶち せいじ、1952年1月18日 - )は… 堀淵 清治(ほりぶち せいじ、1952年1月18日 - )は、日本の実業家。NEW PEOPLE, Inc. 代表取締役社長、Dandelion Chocolate Japan(ダンデライオン・チョコレート・ジャパン)株式会社代表取締役CEO。徳島県小松島市出身。徳島県立城南高等学校、早稲田大学法学部卒業。カリフォルニア州立ヘイワード大学大学院(文化人類学専攻)退学。
高橋 成計(たかはし しげかず、1952年 - )は、日本の… 高橋 成計(たかはし しげかず、1952年 - )は、日本の城郭研究家。城郭談話会会員。 1952年、徳島県三好市生まれ。立正大学短期大学部社会科卒業。 会社勤務の傍ら、摂津・丹波の城郭調査に取り組む。1993年3月、中野卓郎・藤田達生と八上城研究会を結成し、八上城などの波多野氏関係の城郭や古文書の共同調査を開始する。同年12月、八上城の支城・法光寺城跡のある法光寺山で開発計画が策定されているとの報道がされると、八上城研究会として遺跡保存運動を行った。 2011年から2013年、京都府の中世城郭跡調査の調査員を務めた。その後、近畿・中国・東海を中心に中世城館を調査する。
橋本 圭一郎(はしもと けいいちろう、1951年(昭和26年… 橋本 圭一郎(はしもと けいいちろう、1951年(昭和26年)10月20日 - )は、日本の経営者。インフロニア・ホールディングス株式会社取締役会議長。元首都高速道路株式会社代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者、元経済同友会副代表幹事。 徳島県出身。一橋大学商学部卒業後、三菱銀行入行。国際畑を歩み在外勤務が長く、ニューヨーク支店長代理やドイツ三菱頭取、フランクフルト支店長等を歴任。 東京三菱銀行国際業務部長を経て、三菱リコール隠しなどの影響で経営難に陥っていた三菱自動車工業の副社長に就任し同社再建にあたる。 その後フィッチ・レーティングスの日本法人最高経営責任者を経て、2010年に首都高速道路の会長兼社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者に就任。
大杉 漣(おおすぎ れん、1951年〈昭和26年〉9月27日… 大杉 漣(おおすぎ れん、1951年〈昭和26年〉9月27日 - 2018年〈平成30年〉2月21日)は、日本の俳優、タレント。本名︰大杉 孝(おおすぎ たかし)。徳島県小松島市出身。明治大学中退。身長178cm、体重72kg。最終所属はザッコ。長男は写真家の大杉隼平。愛称は「れんれん」。異名は「300の顔を持つ男」「カメレオン俳優」。 1951年9月27日、徳島県小松島市にて、教育者の家庭で育つ。4人兄弟の末っ子。母は京都の銀閣寺の傍らにあった下宿屋の娘で、父より3歳年上の姉さん女房だった。父は京都大学に在学中に、その下宿屋で生活しており、その際に仲良くなり結ばれた。父は38歳で小松島市立小松島中学校の校長に抜擢され、徳島県立小松島西高等学校、徳島県立富岡東高等学校、徳島県立城東高等学校の校長を歴任した。
七条 明(七條 明、しちじょう あきら、1951年8月1日 … 七条 明(七條 明、しちじょう あきら、1951年8月1日 - )は、日本の政治家。 徳島県板野郡上板町長(1期)、内閣府副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、財務大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(5期)、徳島県議会議員(4期)を務めた。 徳島県板野郡上板町生まれ。徳島県立阿波高等学校、東京農業大学農学部醸造学科卒業。大学卒業後は酒造会社やその関連会社の役員を務める。 1981年、徳島県議会議員選挙に出馬し、初当選。県議を4期務め、県議時代の同僚議員に、後に徳島2区で議席を争う山口俊一がいた。1993年、県議を4期目の任期途中で辞職。第40回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から自由民主党公認で出馬し、地元である板野郡での大量得票により、日本社会党前職の仙谷由人を僅差で下して最下位で当選した(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・岸田文雄・塩崎恭久・根本匠・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)。
松村 憲章(まつむら のりあき、1951年5月3日 - )は… 松村 憲章(まつむら のりあき、1951年5月3日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
玉井 孝治(たまい こうじ、1951年4月3日 - )は、日… 玉井 孝治(たまい こうじ、1951年4月3日 - )は、日本の政治家。徳島県板野町長(4期)。 徳島県出身。1970年3月、徳島県立板野高等学校卒業。同年4月、板野町役場に入庁。その後、教育次長や総務課長などを歴任。2005年に前任者の辞職に伴う板野町長選挙に立候補したが落選。 2009年の板野町長選挙で現職の中島勝を破り当選。2013年の板野町長選挙では新人を破り再選を果たす。その後、2017年・2021年の板野町長選挙では無投票で再選し、現在は4期目を務める。
前田 恵(まえだ めぐむ、1951年3月28日 - )は、日… 前田 恵(まえだ めぐむ、1951年3月28日 - )は、日本の政治家。元徳島県海陽町長(1期)。 徳島県立海南高等学校卒業。1969年に旧海部町職員となり、教育次長・税務保険課長・住民福祉課長を歴任。1999年から2006年まで同町の教育長を務めた。 2014年4月23日の海陽町長選挙で無投票で当選した。 2018年の町長選で前町議の三浦茂貴との一騎打ちに敗れ、落選。
辻本 一英(つじもと かずひで、1951年 - )は、日本の… 辻本 一英(つじもと かずひで、1951年 - )は、日本の郷土史家。芝原生活文化研究所代表、NPO法人ヒューマンネットとくしま理事長。阿波木偶箱まわし保存会顧問、徳島県部落史研究会会長を歴任。 徳島市生まれ。駒澤大学文学部国文学科、佛教大学社会学部社会福祉学科卒業。県立高校講師を経て、財団法人徳島県同和対策推進会にて啓発業務などに従事。 1995年「阿波木偶箱まわし保存会」を組織。「三番叟まわし」「箱廻し」「えびすまわし」「大黒まわし」等の無形民俗文化財の伝承を手掛ける。同保存会は、徳島新聞賞文化賞(2006年)、ユネスコ「ACCU賞」(2009年)、阿波文化創造賞(2009年)などを受賞。阿波木偶の門付け用具(163点)は、2009年に国登録有形民俗文化財第12号となる(四国初)。
奥谷 仁(おくたに まさし、1951年 - )は日本の写真家… 奥谷 仁(おくたに まさし、1951年 - )は日本の写真家、エッセイスト。徳島市生まれ。 1973年にカメラマンとして女性誌『non-no』でデビュー。主に集英社、講談社、小学館、学研、宝島社、世界文化社等の女性誌を中心に「料理」「インテリア」「タレント」「作家」「旅」「宝石」などのページを担当する。特に学研では「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」シリーズの撮影を17年間担当した。 1993年より2年半にわたり『フランス料理大法典』全12巻の撮影のために渡欧。アラン・デュカス、ジュエル・ロビュション、フレデリック・ジラルデ、ミッシェル・トロアグロなど世界的なシェフと組んで撮影をする。 今までに撮影を担当した単行本、ムック本は200冊を越える。
稲岡 美千代(いなおか みちよ、1950年11月28日 - … 稲岡 美千代(いなおか みちよ、1950年11月28日 - )は、日本の陸上競技の選手である。 1972年ミュンヘンオリンピックに女子走高跳で出場した。徳島県上板町の出身で、後に町立歴史民俗資料館で昭和の上板を振り返る企画展が行われた際には、稲岡が出場時の記念品も展示された。
丸岡 修(まるおか おさむ、1950年〈昭和25年〉10月2… 丸岡 修(まるおか おさむ、1950年〈昭和25年〉10月20日 - 2011年〈平成23年〉5月29日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。日本赤軍の元メンバーで軍事部門の最高幹部だった。徳島県出身。ドバイ日航機ハイジャック事件、ダッカ日航機ハイジャック事件一味として国際手配され、1987年に東京で逮捕。 生家は徳島県の大地主で、父親は一家の当主かつ陸軍将校だったが、敗戦後の農地改革で没落し、一家は徳島を離れ、大阪で縫製業に就いていた。その生家の環境及び、小学6年の担任が戦後も軍国主義者であり続けた右翼教師であったため、その強い影響で中学3年まで熱狂的な右翼少年であった。五・一五事件や二・二六事件の青年将校に憧れ、自衛官を志望していたが、大阪府立清水谷高等学校入学後、ベトナム戦争に疑問を持ち、日本民主青年同盟やベ平連の会合に参加し、羽田闘争での京都大学の学生山崎博昭の死に衝撃を受け、高校を卒業後、1970年から大阪浪共闘に参加した。