檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与… 檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与平)は、日本の陸軍軍人。戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少佐。徳島県出身。
徳島県:12人
檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与… 檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与平)は、日本の陸軍軍人。戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少佐。徳島県出身。
酒巻 和男(さかまき かずお、1918年(大正7年)11月8… 酒巻 和男(さかまき かずお、1918年(大正7年)11月8日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、日本の海軍軍人、後にビジネスマン。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として参加。艇が座礁し、太平洋戦争における最初の日本人捕虜となる。最終階級は海軍少尉。 徳島県阿波郡林村(現:阿波市)で、8人きょうだいの次男に生まれた。徳島県脇町中学校を経て1940年(昭和15年)8月7日に海軍兵学校を卒業(第68期生)した。同期生に豊田穣、広尾彰がいる。その後、日本海軍に入隊した。 太平洋戦争(大東亜戦争)における第一撃として、日本海軍は日本時間の1941年(昭和16年)12月8日、米領ハワイのオアフ島真珠湾に停泊するアメリカ海軍太平洋艦隊や周辺の軍事基地に対する奇襲(真珠湾攻撃)を実施。
中瀬 正幸(なかせ まさゆき、1918年(大正7年)7月1日… 中瀬 正幸(なかせ まさゆき、1918年(大正7年)7月1日 - 1942年(昭和17年)2月9日)は、大日本帝国海軍の軍人、海軍航空隊戦闘機搭乗員。最終階級は一等飛行兵曹、2階級特進により、飛行特務少尉。いわゆるエース・パイロットと呼ばれる撃墜王(撃墜数18)。 1918年(大正7年)、徳島県徳島市生まれ。1934年(昭和9年)6月1日、「第5期飛行予科練習生」(乙飛)を志願し横須賀海軍航空隊に入隊。 1938年(昭和13年)3月、飛行練習生課程を修了し三空曹昇進、大村海軍航空隊に配属された。同年末、第14航空隊に配属。日中戦争(支那事変、日華事変)に出動するが空戦の機会はなかった。その後横須賀航空隊に移る。
鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 … 鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人、実業家、作家。最終階級は海軍少佐。『海軍第十六防空隊』など多数の日本軍関係本の著者。 徳島県生。旧制徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)卒業後、1934年(昭和9年)に海軍兵学校に入学した。 海兵65期として1938年(昭和13年)に卒業する。八雲・陸奥・剣埼・夕立・村雨・五月雨などの海軍軍艦および艦艇に乗船した。[要出典] 1940年(昭和15年)に舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊副官になる。1941年(昭和16年)に夕立と村雨の砲術長兼分隊長、1943年(昭和18年)に海軍第16防空隊長になる。1944年(昭和19年)海軍少佐に昇進し、1945年(昭和20年)に海軍兵学校教官兼海軍兵学校監事となる。
久住 忠男(くすみ ただお、1908年2月23日 - 199… 久住 忠男(くすみ ただお、1908年2月23日 - 1993年12月21日)は、日本の軍事評論家、海軍軍人。 海軍兵学校〔1928年〕・海軍大学校〔1944年〕を卒業した。海軍中佐となり、大本営参謀兼南方軍参謀として終戦を迎える。 戦後、1953年より軍事評論家として活躍。1968年には沖縄基地問題研究会の座長を務め、沖縄返還の基本政策の提言に関わった。 著書に『戦後世界軍事史』『核時代の軍縮問題』『平和問題の理解』『戦争・平和・ベトコン』など多数。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11… 高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。 徳島県出身。旧制徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)より海軍兵学校56期で入校。 あだ名は「親分」。妻マツエの妹の夫は真珠湾攻撃の第二次攻撃隊長嶋崎重和少佐(海軍兵学校57期)。海兵での同期に久住忠男、田辺弥八、前田実穂、唐島辰男、白相定男、橋口喬らがいる。 1931年(昭和6年)12月、第22期飛行学生となり1932年(昭和7年)11月に修了。
江本 茂夫 (えもと しげお、1888年(明治21年)12月… 江本 茂夫 (えもと しげお、1888年(明治21年)12月25日 - 1966年(昭和41年)1月29日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。 ※ 吉村和嘉著 『かかる師ありき 恩師・江本茂夫傳』、暮らしの手帖社、2008年(注:国立国会図書館の蔵書本) ※ 江利川春雄著 『英語と日本軍 知られざる外国語教育史』、NHKBOOKS1238 第2刷2016年 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1… 吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1945年9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
坂部 十寸穂(さかべ としお / とすお / ますお、187… 坂部 十寸穂(さかべ としお / とすお / ますお、1877年(明治10年)12月1日 - 1930年(昭和5年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・寺沢。 高知県板野郡、後の北灘村(現徳島県鳴門市北灘町)で、徳島藩士・寺沢男也の三男として生まれた。6歳で父を失い、母方の実家、元徳島市長・坂部広織の養子となる。徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を経て、1895年(明治28年)12月、士官候補生となり、翌年9月、陸軍士官学校に入学。1897年(明治30年)11月、陸士(9期)を卒業。翌1898年(明治31年)6月、砲兵少尉に任官し野砲兵第15連隊付となる。 1901年(明治34年)12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。
安芸 晋(あき すすむ、旧字体: 安藝 晉、1873年〈明治… 安芸 晋(あき すすむ、旧字体: 安藝 晉、1873年〈明治6年〉3月18日 - 1947年〈昭和22年〉12月15日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。 徳島県名東郡徳島出来島町(現徳島市)の水野静宜の二男として生まれる。1878年(明治11年)、先代の安芸弘栄の養子となり、1910年(明治43年)に家督を相続する。1896年(明治29年)、陸軍士官学校第7期卒業。のち1902年(明治35年)11月に陸軍大学校第16期卒業。 参謀本部部員、関東都督府陸軍参謀、歩兵第14連隊附、同大隊長、第17師団参謀、歩兵第66連隊附、朝鮮駐箚軍参謀。1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐・京都連隊区司令官。
上田 兵吉(うえだ へいきち、1869年3月22日(明治2年… 上田 兵吉(うえだ へいきち、1869年3月22日(明治2年2月10日) - 1931年(昭和6年)9月6日)は、明治から昭和初期の日本陸軍軍人、政治家、華族。旧姓は杉崎。 歩兵第24旅団長、第17師団参謀長を歴任し、最終階級は陸軍少将従三位勲二等功四級男爵。義父は朝鮮駐剳軍司令官・台湾守備軍司令官を務めた上田有沢陸軍大将。 名東郡加茂村で、杉崎組蔵の三男として生まれる。徳島中学校を卒業し、陸軍幼年学校を経て、1891年(明治24年)7月20日に第2期士官候補生として陸軍士官学校を卒業し、1892年(明治25年)3月21日、歩兵少尉に任官される。同期には菅野尚一大将・森岡守成大将・鈴木孝雄大将らがいる。
伊月 一郎(いづき いちろう、1848年(嘉永元年)11月7… 伊月 一郎(いづき いちろう、1848年(嘉永元年)11月7日 – 1891年(明治24年)6月3日)は、徳島藩出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍大佐。日本海軍が組織的に外国へ派遣した最初の留学生として知られ、イギリス海軍式の教育を導入し、のちの海軍兵学校創立にも貢献した人物である。 伊月一郎は嘉永元年11月、藩医・伊月柳安の長男として、江戸三田四国町の徳島藩中屋敷に生まれ、その後八丁堀の藩邸に移った。文久2年、江戸在勤の藩士全員が引き上げることになり帰郷した。 慶応元年、徳島巽浜に洋学校が開設されると、伊月は同校で蘭学を学んだ。さらに慶応2年には藩命により芳川顕正らとともに長崎へ国内留学したが、維新の動乱により全員が帰藩した。