塩崎 恭久(しおざき やすひさ、1950年〈昭和25年〉11… 塩崎 恭久(しおざき やすひさ、1950年〈昭和25年〉11月7日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)、衆議院法務委員長、外務副大臣(第3次小泉改造内閣)、内閣官房長官(第73代)、拉致問題担当大臣(初代)、厚生労働大臣(第17・18代)、自由民主党行政改革推進本部長、自由民主党党・政治制度改革実行本部長を歴任した。 当時大蔵官僚で後に衆議院議員となる塩崎潤の長男として愛媛県松山市に生まれる。東京都立新宿高等学校卒業後、東京大学に入学する。1975年、東京大学教養学部教養学科アメリカ科を卒業し、日本銀行へ入行。1982年にハーバード大学大学院(ケネディ・スクール)を修了し、行政学修士号を取得した 。
松沢 哲郎(まつざわ てつろう、1950年10月15日 - … 松沢 哲郎(まつざわ てつろう、1950年10月15日 - )は、日本の動物心理学者・霊長類学者。理学博士(京都大学)。元・京都大学高等研究院特別教授・京都大学霊長類研究所兼任教授。チンパンジーに人工言語を教えるプロジェクトを通じて霊長類の認知機能を研究し、「比較認知科学」と呼ばれる新領域の権威として世界的に知られる。 愛媛県生まれ。野外調査を重視する京都大学の伝統的な霊長類研究スタイルを受け継ぎ、数多い業績の中では、とくにチンパンジーが「じゃんけん」のルールを学習できることを証明し人間の4歳児並みの認知能力をもつとした論文などが高く評価されている。一般メディアへの出演や寄稿を積極的に行い、これらの研究を一般に分かりやすく解説する活動でも著名。
林家 源平(はやしや げんぺい、1950年9月3日 - )は… 林家 源平(はやしや げんぺい、1950年9月3日 - )は、日本の落語家・俳優・タレントである。本名∶富永 久三男。愛媛県宇和島市(旧:三間町地域)出身。出囃子∶「供奴」。紋∶「花菱」。落語協会所属の真打。 愛媛県立三間高等学校中退。かつて二所ノ関部屋に所属する力士であったが、同部屋の麒麟児和春に簡単に投げ飛ばされて相撲の道を諦め廃業した[要出典]。 1969年1月に初代林家三平に入門し、1972年に前座となる。前座名は「げん平」。1974年5月に二ツ目に昇進し「源平」と改名。それと並行して俳優としても活動する。1980年に三平が急死し、兄弟子の林家こん平の預かり弟子となる。 1983年9月に柳家小里ん、蝶花楼花蝶、林家正雀と共に真打昇進する。
村上 保(むらかみ たもつ、1950年7月7日 - )は、愛… 村上 保(むらかみ たもつ、1950年7月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の彫刻家・イラストレーター。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石橋 寛久(いしばし ひろひさ、1950年(昭和25年)6月… 石橋 寛久(いしばし ひろひさ、1950年(昭和25年)6月16日 - )は、日本の政治家。元愛媛県宇和島市長(新市と旧市あわせて5期)。元宇和島市議会議員(2期)。 弟は元愛媛FC総監督で愛光学園教諭の石橋智之。 愛媛県宇和島市栄町港出身。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、北海道大学農学部卒業。同年10月、兼松江商株式会社(現・兼松株式会社)に就職。 1995年(平成7年)、宇和島市議会議員選挙に出馬し、初当選。同市議は2期務める。 2001年(平成13年)1月、宇和島市長(旧市)選挙に出馬し、初当選。2005年(平成17年)1月の市長選で2期目の当選。同年2月、市長に就任。
三好 真一(みよし しんいち、1950年6月2日 - 198… 三好 真一(みよし しんいち、1950年6月2日 - 1989年5月22日)は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
宮内 淳(みやうち じゅん、本名:宮内 博史(みやうち ひろ… 宮内 淳(みやうち じゅん、本名:宮内 博史(みやうち ひろし)、1950年5月28日 - 2020年8月14日)は、日本の俳優。 愛媛県伊予郡松前町出身。小学生の時に大阪市内へ転居。大阪府立阿倍野高等学校卒業。高校の先輩に逸見政孝がいる。西南学院大学中退。 中学生、高校生の頃はバスケットボールをやっていた。幼少のころは航空機のパイロットに憧れ、航空大学校への入学を目指すが、皮肉にも勉強のし過ぎで視力が低下。航空大学校の身体検査基準を満たさなくなり、パイロットの夢を断念。芸能界に目を向けるようになった。ただ「元々メカには弱い」と話していたこともある。 いくつかの小劇団を渡り歩いた後、1974年、文学座附属演劇研究所に入所し、1975年卒業。
清水 雅文(しみず まさふみ、1950年5月25日 - )は… 清水 雅文(しみず まさふみ、1950年5月25日 - )は日本の政治家。勲等は旭日双光章。元愛媛県南宇和郡愛南町長(4期)。 無所属。家業は真珠母貝養殖業。趣味は柔道、空手など格闘技系スポーツ。
島田 一の介(しまだ いちのすけ、本名:楠 正泰〈くすのき … 島田 一の介(しまだ いちのすけ、本名:楠 正泰〈くすのき まさやす〉、1950年(昭和25年)5月8日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。吉本新喜劇の座員。愛媛県宇和島市出身。吉本興業所属。血液型AB型。 8人兄弟の末っ子。父は、野菜などの種を販売する仕事をしていた。幼少時から吉本新喜劇をテレビで見るうちにファンとなり、入団することにあこがれる。中学卒業時、吉本入りを母に相談するが反対され、地元の愛媛県立宇和島水産高等学校水産製造科に入学。卒業後、兵庫県尼崎市内の蒲鉾加工工場に就職。 工場勤務のかたわら花月に通い、1971年に京都花月に出演していた漫才の島田洋之介・今喜多代のもとに通いつめ、弟子入りを志願して許される。
掛川 雅夫(かけがわ まさお、1950年4月6日 ‐ )は、… 掛川 雅夫(かけがわ まさお、1950年4月6日 ‐ )は、NHKの元アナウンサー。 愛媛県伊予郡松前町出身。愛光高校、早稲田大学商学部を卒業。 1973年、NHKに入局。旭川を皮切りに津(1977 - 1980年)、大分、神戸、徳島、松山、大分、津、大津を経て2006年から再び松山で勤務。東京での勤務を一度も経験することなく松山放送局を最後に定年となった。 定年後も嘱託で勤務していたが、2015年からはシニアスタッフとしてラジオを中心に出演している。
大野 裕(おおの ゆたか、1950年3月11日 - )は、日… 大野 裕(おおの ゆたか、1950年3月11日 - )は、日本の医学者・精神科医。慶應義塾大学保健管理センター教授、国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター所長 を経て、現在は顧問。一般社団法人認知行動療法研修開発センター理事長。専門は、臨床精神医学・認知療法。皇后雅子の主治医。 愛媛県生まれ。愛光中学校・高等学校を経て1978年慶應義塾大学医学部卒、1982年助手、1989年医学博士の学位を取得、1994年同大学保健管理センター医師、1996年医学部専任講師、2002年保健管理センター教授。この間コーネル大学医学部、ペンシルベニア大学 医学大学院へ留学。2011年6月より国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター所長に就任し、2015年4月より顧問。
白石 隆(しらいし たかし、1950年2月22日 - )は、… 白石 隆(しらいし たかし、1950年2月22日 - )は、日本の国際政治学者。勲等は瑞宝重光章。文化功労者。熊本県立大学理事長、京都大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授・前学長、立命館大学特別招聘教授、内閣府総合科学技術会議議員、前アジア経済研究所所長。専門は、東南アジア地域研究、とくにインドネシア政治。 1950年、愛媛県生まれ。愛光高等学校を卒業し、東京大学教養学部で学んだ。1972年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1974年、同大学院修士課程修了。その後渡米し、1977年にコーネル大学大学院博士課程修了。 1975年から1979年まで東京大学東洋文化研究所助手。1979、同大学教養学部助教授に就任。
長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月… 長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月30日 - )は、日本の実業家、剣道家。パナソニック株式会社特別顧問、公益社団法人大阪府剣道連盟会長、小野薬品工業株式会社社外取締役。愛媛県松山市出身。京都府在住。学位は工学士(愛媛大学・1972年)。 松山市立三津浜小学校、松山市立三津浜中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て愛媛大学工学部電気工学科を卒業。1972年に松下電工に入社し、商品設計を担当する。1996年に施設照明事業部商品企画開発部部長に就任。2000年にインドネシア松下電工ゴーベル(現・パナソニック ゴーベル インドネシア)社長に就任。2003年に松下電工に戻り、照明デバイス開発事業部事業部長に就任。
井上 要(いのうえ かなめ、1950年または1951年 - … 井上 要(いのうえ かなめ、1950年または1951年 - )は、日本の地方公務員 (技術公務員)。愛媛県土木部長、同参与を歴任。瑞宝小綬章受章。 八幡浜市生まれ。1974年 (昭和49年) 3月 大阪工業大学工学部卒業。同年4月 愛媛県庁入庁。西条地方局建設部長、土木部道路都市局長、土木部長。東日本大震災の際には宇和海沿岸の水門や陸こうの閉鎖、宮城県仙台市や石巻市への先遣隊派遣を行い、同年9月には震災対応の補正予算70億円を計上した。JR西日本松山駅周辺整備については高架化や伊予鉄道延伸、バリアフリー化に取り組む。他、生名島に架かる生名橋や岩城橋の建設に携わった。2012年3月 井上眞三を後任に同職を退任、翌月 参与に就任。
幾島 賢治(いくしま けんじ、1950年 - )は愛媛県出身… 幾島 賢治(いくしま けんじ、1950年 - )は愛媛県出身のエンジニア、化学者。学位は工学博士(東京工業大学・1998年)。太陽石油㈱で石油製品に含まれる超微量水銀の高性能水銀除去装置を発明した(石油学会技術進歩賞)。経済産業省所管法人石油エネルギ-技術センタ-で欧米の研究機関及び国際石油企業の経営人との交流で水素エネルギ-、燃料電池及びGas to Liquid(合成石油)の未来図を提唱し、講演、出版を行っている。経済産業省所管法人国際石油・ガス協力機関でオマーン王国の石油大臣に油田随伴水の浄化のため水銀除去装置を紹介(オマーン王立スルタン・カブース大学功労賞)、更にアラブ首長国連邦(UAE)の教育大臣に国家の礎に役立つ日本の初等教育の教育制度を紹介した。
大政 謙次(おおまさ けんじ、1950年 - )は、日本の農… 大政 謙次(おおまさ けんじ、1950年 - )は、日本の農学者、環境学者。高崎健康福祉大学農学部長、東京大学名誉教授。学位は、工学博士(東京大学)。専門は、生物環境情報工学、環境植物学、農業工学。愛媛県伊予市出身。 細胞レベルから群落レベルまでを対象とした植物の機能や構造の2次元、3次元画像計測(バイオイメージングやリモートセンシング)と環境応答解析に関する研究のパイオニアとして、国際的に高く評価される多くの先駆的な研究成果をあげている。また、画像情報、情報通信技術(ICT)などを利用した生物環境研究施設や植物フェノミクスの研究、農業情報化や植物工場などの最先端農業技術の研究、地域資源や地域活性化、環境保全、再生可能エネルギーなどの関連研究、越境大気汚染や温暖化、砂漠化などを中心とした地球環境・空間情報研究など、幅広い分野で研究活動をしている。
高岡 凡太郎(たかおか ぼんたろう、1950年 - )は、日… 高岡 凡太郎(たかおか ぼんたろう、1950年 - )は、日本の漫画家。愛媛県出身。本名:高岡正夫。 1969年に愛媛県立野村高等学校を卒業後、上京し1971年『ガキすて山』で第2回手塚賞準入選、同作でデビュー(高岡正夫名義)。その後も1972年に『クーソー部落』で第3回手塚賞佳作入選している。 主に、日本プロ野球関係の4コマ漫画などを執筆。1980年代から日刊スポーツ大阪本社発行版(以下、日刊スポーツ大阪版)や週刊ベースボールで連載。日刊スポーツ大阪版については、発行所の関係から、阪神タイガースをはじめとした関西地方の球団をネタに扱っている。 1985年、阪神がリーグ優勝した時に発行された『別冊週刊ベースボール』秋季号「タイガース優勝」の取材で、自身は近鉄バファローズファンであるが、阪神を追っていくうちに阪神への愛着もわいてきたことを明らかにしている。
平岡 久(ひらおか ひさし、1950年 - )は、行政法学者… 平岡 久(ひらおか ひさし、1950年 - )は、行政法学者、大阪市立大学名誉教授、博士(法学)。 日本公法学会(一九九五年一〇月から一九九八年一〇月まで、二〇〇四年一〇月から二〇一三年一〇月まで、理事)、等 大阪市阿倍野市街地再開発審査会委員(工区により任期は異なる)、堺市屋外広告物審議会委員、大阪市屋外広告物審議会委員、大阪市消費者保護審議会委員・同部会委員、国・総務省「行政手続法検討会」委員、大阪府事業認定審議会委員、大阪弁護士会懲戒委員会委員、大阪市開発審査会委員、大阪市建築審査会委員、大阪市農政ビジョン推進協議会委員、高石市個人情報保護審議会委員、大阪市個人情報保護審議会委員、大阪市公文書公開審査会委員、大阪市農政ビジョン懇談会委員、神戸市都市計画道路整備懇談会委員、八尾市総合基本計画審議会委員、堺市情報公開懇話会委員、高石市個人情報保護対策委員会委員、大阪市情報公開懇談会委員、大阪府興信所・探偵社問題専門家懇談会委員(退任時期の新しい順)、等 大阪市立大学法学雑誌61巻1=2号 平岡久教授退任惜別記念号(二〇一四年)
岡部 徹(おかべ とおる、1950年 - )は、NHK解説委… 岡部 徹(おかべ とおる、1950年 - )は、NHK解説委員。担当分野は国際情勢(特にアメリカ政治)と国際連合。
金子 正次(かねこ しょうじ、1949年12月19日 - 1… 金子 正次(かねこ しょうじ、1949年12月19日 - 1983年11月6日)は、日本の脚本家、俳優。本名、金子松夫。脚本家としてのペンネームは鈴木明夫。愛媛県温泉郡中島町津和地島(現松山市)出身。 実家のある津和地島は、四国本土より山口県屋代島(周防大島)や広島県倉橋島に近い小島で、実家は漁業とミカンの栽培を営む。松山市内に下宿して松山聖陵高等学校自動車科に通う、かなりのツッパリで東映ヤクザ映画の熱心なファンで、ヤクザに憧れていた。 高校を2年で中退して1972年に上京する。新宿歌舞伎町でディスコの呼び込みなどをしてヤクザとも付き合ったが「俺はヤクザにもなれなかった」と語る。 その後に原宿学校(現・東京映像芸術学院)演技科に籍を置く。
宇都宮 真由美(眞由美、うつのみや まゆみ、1949年(昭和… 宇都宮 真由美(眞由美、うつのみや まゆみ、1949年(昭和24年)11月3日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。平成24年度日本弁護士連合会副会長。弁護士。 愛媛県内子町出身。1973年(昭和48年)に愛媛大学法文学部を卒業した。1980年(昭和55年)に司法試験に合格した。1983年(昭和58年)に弁護士登録をした。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で旧愛媛1区から日本社会党公認で立候補して初当選。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で落選した。 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙で民主党から比例四国ブロックに立候補するが落選。
辻本 雅史(つじもと まさし、1949年10月28日 - )… 辻本 雅史(つじもと まさし、1949年10月28日 - )は、日本の思想史家・教育学者。京都大学名誉教授、国立台湾大学教授。愛媛県出身。
玉井 信博(たまい のぶひろ、1949年9月7日 - )は、… 玉井 信博(たまい のぶひろ、1949年9月7日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ、西武ライオンズに所属した。
たきの えいじ(本名:滝野 英治(読み同じ)、1949年8月… たきの えいじ(本名:滝野 英治(読み同じ)、1949年8月31日 - )は、日本の作詞家・作曲家である。愛媛県大洲市出身。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事、日本作詩家協会(JLA)理事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は… 正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(内野手)。1971年までは村上(むらかみ)姓であった。 2014年まで中日ドラゴンズのスカウトを務めていた。 今治南高校では遊撃手、一番打者として1967年夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。玉井信博投手を主戦とする松山商を降し甲子園に出場。準々決勝に進むが、野上俊夫投手を擁する市和歌山商に延長10回の熱戦の末3-4xで敗れた。 高校球界ナンバーワンの遊撃手と評価され、1967年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。打撃に極端に難があり、二軍暮らしが長かった。 1973年に一軍に定着、華麗な守備で徐々に出場機会を増やすが、打撃面での弱さが克服できず、広瀬宰とのレギュラー遊撃手争いが続く。
玉置 泰(たまおき やすし、1949年7月17日 - )は、… 玉置 泰(たまおき やすし、1949年7月17日 - )は、日本の実業家(株式会社一六本舗代表取締役社長)、映画プロデューサー。 愛媛県松山市出身。父親は一六本舗の前社長・玉置一郎。1972年、慶應義塾大学卒業。電通入社。1977年、電通を退社。松山に戻り、家業の一六本舗に入社、宣伝担当となる。主力商品一六タルトのCMに出演する俳優を考えていたところ、リストにたまたま松山市と縁の深い伊丹十三の名があったため、伊丹を起用。これが機縁となり、2人の親交が始まる。伊丹の初監督作品となった『お葬式』製作の際、一六本舗として製作費を出資。映画は大ヒットし、玉置は自ら伊丹プロダクションの社長を兼任することになった。
飯尾 尊雄(いいお たかお、1949年6月22日 - )は、… 飯尾 尊雄(いいお たかお、1949年6月22日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 丹原高等学校から1967年ドラフト12位で読売ジャイアンツに入団。ドラフト指名時伊予銀行へ就職が内定していたが、「入りたくとも誰もが巨人に入団できるとは限らない」と入団を決意。 重いストレートと落差のあるカーブが武器。 1年目はイースタンリーグでも登板がなかったが、秋の教育リーグで1回1/3を3奪三振と好投。2年目は肩を故障し登板機会がなく、秋の教育リーグ大洋戦で先発するも連打され敗戦投手となる。一軍出場なく1969年シーズン終了後解雇され退団。 退団後は燃料・ガス・水道工事販売業。
浮川 和宣(うきがわ かずのり、1949年5月5日 - )は… 浮川 和宣(うきがわ かずのり、1949年5月5日 - )は、日本のプログラマ、実業家。ジャストシステムの創業者であり、一太郎の開発者としても知られる。愛媛県新居浜市生まれ。元日本パーソナルコンピューターソフトウェア協会会長。 父は機械系エンジニア、母は市役所勤めの地方公務員。新居浜市立東中学校、愛媛県立新居浜西高等学校、愛媛大学工学部電気工学科卒業。後の妻であり、元ジャストシステム代表取締役専務(のち副社長を務めたあと、2009年10月29日辞任)である橋本初子とは大学在学中に知り合う(彼女は同大学同学部電子工学科唯一の女子学生であった)。 1973年3月に大学を卒業後、初子は上京し高千穂バローズ(現 BIPROGY)の相模原研究所に、浮川は東京芝浦電気(現・東芝)のグループ企業である西芝電機に入社。
原 秀樹(はら ひでき、1949年4月5日 - )は、愛媛県… 原 秀樹(はら ひでき、1949年4月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 新居浜商業高校では3年生の時に四番打者、一塁手として1967年の春の選抜に出場。札幌光星高、平安高を降し3回戦に進出するが、報徳学園に延長11回の熱戦の末に敗退。この試合では大会第6号本塁打も放っている。同年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、松山商の玉井信博に完封を喫する。 1967年ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受け入団。右の長距離打者としての将来性を買われたが、出場機会に恵まれず1971年に引退した。
門田 新一(かどた しんいち、1949年3月26日 - )は… 門田 新一(かどた しんいち、1949年3月26日 - )は、日本の男性元プロボクサー。愛媛県伊予郡松前町出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。現在はファミリーフォーラムボクシングジム会長。1974年、リングネームを門田 恭明にした。 幼少期に両親と相次いで死別。新田高校ボクシング部在籍中、同郷である三迫仁志のスカウトを受け上京した。 1967年4月30日、竹之内徳美を1RKOで沈めプロデビューを飾る。 12月18日、沢口和広と東日本フェザー級新人王を争うが判定負けでデビュー戦以来の連勝も止まる。 1970年6月6日、元WBC世界ジュニアライト級王者のレネ・バリエントスと対戦するも判定負け。 10月17日、趙永喆が持つOBF東洋ライト級王座に挑戦。
横山 潤(よこやま じゅん、1949年3月13日 - 202… 横山 潤(よこやま じゅん、1949年3月13日 - 2020年9月30日)は、日本の法学者。専門は国際私法。一橋大学名誉教授。法務省法制審議会国際扶養条約部会長・法務省司法試験考査委員、国際スポーツ仲裁裁判所 (CAS) 仲裁人・国際私法学会理事・国際法学会評議員等を歴任。秌場準一門下。 この間慶應義塾大学法科大学院等でも非常勤講師として教鞭をとる。
三笠 優子(みかさ ゆうこ、1949年(昭和24年)3月10… 三笠 優子(みかさ ゆうこ、1949年(昭和24年)3月10日 - )は、演歌歌手・浪曲師。本名は山本 八重子(やまもと やえこ)。所属レコード会社はキングレコード。 愛媛県西宇和郡伊方町出身。中学2年から浪曲師松平国十郎に師事するが、ろく膜炎を患い浪曲を断念。博多のクラブ歌手時代に自主制作した「洞海湾の竜」が有線で話題となり、1977年にRVCレコード(後のBMGビクター)から「洞海湾の竜」でメジャーデビュー。 1979年「夫婦舟」がロング・ヒットを記録し、続く「夫婦川」「夫婦橋」の夫婦シリーズ3部作がヒット。デビュー前に結婚し3人の子供がいたが、当時の事務所社長から「旦那、子供がいることは口外しない」と約束させられていたため秘密にしていた。
黒川 博行(くろかわ ひろゆき、1949年3月4日 -)は、… 黒川 博行(くろかわ ひろゆき、1949年3月4日 -)は、日本の小説家・推理作家。愛媛県今治市生まれ。大阪府羽曳野市在住(2014年時点)。京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。妻は日本画家の黒川雅子。 1949年、愛媛県今治市に生まれる。6歳の頃 に大阪に移り住んだため、「大阪人」を自認している。中学校の後輩には柴崎友香がおり、後にそれぞれ直木賞と芥川賞を同日に受賞することとなる。大阪府立泉尾高等学校卒業後、京都市立芸術大学美術学部彫刻科に学び、同学部の日本画科に通っていた妻・雅子と23歳で学生結婚する。 大学卒業後、ダイエーに入社するが会社勤めは性に合わず、妻が中学教師になっていたこともあり教員免許を取得、1977年から大阪府立東淀川高等学校に美術教師として勤める。
高橋 幸平(たかはし こうへい、1949年3月2日 - )は… 高橋 幸平(たかはし こうへい、1949年3月2日 - )は、元テレビ西日本のアナウンサー。血液型A型。 愛媛県新居浜市出身。神奈川大学卒業後1972年テレビ西日本に入社。『TNCスーパータイム NEWS&SPORTS』など、夕方ローカルニュースのメインキャスターを務めた後、長く編成制作局アナウンス部長(2006年に組織再編が実施されて現在の肩書きに。再編前は解説委員室長の肩書きだった)として、局の報道番組プロデューサーやフジテレビ系列アナウンス用語委員も務めたが、定年により2008年度いっぱいで退職、その任を田久保尚英に譲った。 九州龍谷短期大学人間コミュニティ学科教授だったが、後に退職した。
大西 譲治(おおにし じょうじ、1949年2月20日 - )… 大西 譲治(おおにし じょうじ、1949年2月20日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 松山北高3年生の時、1966年のプロ野球第1次ドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名されたが、都合により取消となる。 高校卒業後、社会人野球の河合楽器に進むが、殆ど登板しなかった。 1967年にドラフト外で中日ドラゴンズに入団。 オープン戦では、スタルヒンに似た投手と騒がれ話題となり登板したが、球は速いが制球難なのが致命傷で、1970年に一軍公式戦に出場する事がないまま引退。 父親が米人。上手投げの本格派、直球とカーブ、フォークボールを武器とする。
加藤 敏幸(かとう としゆき、1949年2月16日 ‐ )は… 加藤 敏幸(かとう としゆき、1949年2月16日 ‐ )は、日本の政治家。 前参議院議員(2期)。民進党参議院国会対策委員長、参議院外交防衛委員長、国土交通委員長、外務大臣政務官(野田内閣)を歴任。 愛媛県新居浜市出身。 1969年、新居浜工業高等専門学校を卒業し、三菱電機に入社。同社労働組合支部委員長・委員長や全日本民間労働組合協議会事務局次長・日本労働組合総連合会組織局長などを歴任。 2004年の第20回参議院議員通常選挙で電機連合の支援を得て比例区から立候補し、初当選。 2010年に行われた第22回参議院議員通常選挙で再選。 2011年9月、野田内閣発足に伴い、外務大臣政務官に就任。その後、参議院外交防衛委員長に就任した。
仙波 敏郎(せんば としろう、1949年〈昭和24年〉2月1… 仙波 敏郎(せんば としろう、1949年〈昭和24年〉2月14日 - )は、日本の警察ジャーナリスト、内部告発者。愛媛県警察の元巡査部長。鹿児島県阿久根市の元副市長。「警察見張番・愛媛」代表。2005年、現職警察官として初めて警察の裏金問題を実名で内部告発した。 2025年6月4日、自動車レーススーパーフォーミュラに参加している野田樹潤選手の所属チームHAZAMA ANDO Triple Tree Racingで日本コンプライアンス公益通報委員会を設立したとチームの公式Xで発表した。
坂和 章平(さかわ しょうへい、1949年1月26日 - )… 坂和 章平(さかわ しょうへい、1949年1月26日 - )は、日本の弁護士。愛媛県松山市生まれ。映画評論家としても活動している。 愛光中学校・高等学校に学び、1971年に大阪大学法学部卒業。学生時代は、「「活動家」として、ガリ版のビラ作りとアジ演説に明け暮れた」という。同年、司法試験に合格し、司法修習26期を経て、1974年に大阪弁護士会弁護士登録。 大阪モノレール訴訟(1982年 - 1994年)、阿倍野再開発訴訟(1984年 - 1988年)、門真市一番柳田町北土地区画整理事業訴訟(1990年 - 1996年)、アルネ津山訴訟(2002年 - 2005年)など、都市開発に関わる訴訟を手がけた。
森貞 周治(もりさだ しゅうじ、1949年 - )は、日本の… 森貞 周治(もりさだ しゅうじ、1949年 - )は、日本の元アマチュア野球選手(内野手)。 松山北高校では、1966年秋季四国大会県予選準々決勝に進むが帝京五高に敗退。法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース横山晴久らを擁し、1969年秋季リーグから4季連続優勝。1970年秋季リーグでベストナイン(遊撃手)に選出される。他の大学同期には古賀正明、中村裕二、依田優一らがいた。 卒業後は熊谷組に入社、都市対抗などの常連として活躍する。1975年の東京スポニチ大会では小林秀一らが好投、決勝で三協精機を降し優勝。この大会の優秀選手賞を獲得、同年の社会人ベストナイン(遊撃手)に選出される。
矢野 達雄(やの たつお、1949年(昭和24年) - )は… 矢野 達雄(やの たつお、1949年(昭和24年) - )は、日本の法制史学者。愛媛大学名誉教授。広島修道大学教授を歴任。 愛媛県出身。1974年大阪大学法学部卒業。1980年大阪大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得。1980年愛媛大学法文学部助手。1982年愛媛大学法文学部講師。1985年愛媛大学法文学部助教授に昇任。1988年愛媛大学法文学部教授に昇任。2007年愛媛大学を定年退職。同名誉教授を経て、2007年広島修道大学法学部教授に就任。2019年に広島修道大学を退任。
桑原 一司(くわばら かずし、1949年 - )は、日本の民… 桑原 一司(くわばら かずし、1949年 - )は、日本の民間学者。新日本ガラパゴス協会会長。元広島市安佐動物公園副園長。JAZA種保存委員会爬虫両生類類別調整者。日本オオサンショウウオの会会長。瑞穂ハンザケ自然館館長。アンフィビアン・アーク日本代表理事。愛媛県松山市出身。 子供の頃より自然に親しんでおり、「愛媛県立博物館に育てられた」と後に綴っている。 愛媛大学理学部生物学科卒、熊本大学大学院理学研究科修士、広島大学大学院国際協力研究科博士。 1974年より広島市安佐動物公園に勤務。その傍ら、里山の動植物の観察や研究を続けてきた。 2009年より広島市安佐動物公園副園長。2024年7月より瑞穂ハンザケ自然館館長に就任。
田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美… 田窪 恭治(たくぼ きょうじ、1949年 - )は、日本の美術家。愛媛県今治市生まれ。1972年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。初期は個人による現代美術的な作品やパフォーマンスが多かったが、建築家や写真家と協力し領域的に広い活動を始め、過去の建造物を修復再生するような活動を行っている。1999年村野藤吾賞受賞。金刀比羅宮文化顧問。京都造形芸術大学客員教授。 学生時代に同級生の実家である金刀比羅宮の書院で伊藤若冲の壁画などを見たことが、美術家になる決意をしたきっかけであると語っている。
工藤 真由美(くどう まゆみ、1949年〈昭和24年〉 - … 工藤 真由美(くどう まゆみ、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の言語学者。専門は、日本語学、言語接触論。学位は、文学博士(大阪大学・1999年)(学位論文「アスペクト・テンス体系とテクスト」)。大阪大学名誉教授。特任教授。 愛媛県宇和島市生まれ。1972年津田塾大学学芸学部英文学科卒業 1979年東京大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。 横浜国立大学教育学部講師、同助教授を経て、1998年より大阪大学大学院文学研究科教授。1999年「アスペクト・テンス体系とテクスト」で大阪大学より文学博士の学位を取得。2015年定年退任。現代日本語の記述文法において幅広い研究分野を有する。
池尻清(いけじり きよし、1949年 - 2016年)は日本… 池尻清(いけじり きよし、1949年 - 2016年)は日本の写真家。日本写真家協会会員。愛媛県今治市出身。
池内 計司(いけうち けいし、1949年 - )は日本の実業… 池内 計司(いけうち けいし、1949年 - )は日本の実業家。IKEUCHI ORGANIC株式会社代表。 愛媛県今治市生まれ。愛光高等学校を経て、1971年一橋大学商学部を卒業し、松下電器産業(現パナソニック)に入社。同社ステレオ事業部、営業企画部勤務。1983年池内タオル(現IKEUCHI ORGANIC)に入社し、第二代代表取締役社長に就任。2000年四国タオル工業組合副理事長。 OEM中心だった池内タオルの事業を、オーガニックタオル「IKT」に集中。2002年ニューヨーク・ホームテキスタイルショー・2002年スプリングで、最優秀賞 (Best New Products Award) を受賞。
近藤 等則(こんどう としのり、1948年12月15日 - … 近藤 等則(こんどう としのり、1948年12月15日 - 2020年10月17日)は、日本のトランペッターで音楽プロデューサー。本名は俊則で、読みは同じ。愛媛県今治市出身。 愛媛県立今治西高等学校卒業。京都大学工学部から京都大学文学部英米文学科に転じて卒業。芸名は20代後半に占い師から「名前を変えた方がいい」と言われたことによるもの。 多くの著名なアーティストとセッションを重ね、ノイズ、アンビエント、トランス等のエレクトリックサウンド手法を取り入れたオリジナリティ溢れる演奏は、国外でも高く評価されている。演奏ライブに留まらず、画家とライブペインティングを行うなどプロジェクトなども精力的に進めた。
東 玲治(ひがし れいじ、1948年11月 - 2008年1… 東 玲治(ひがし れいじ、1948年11月 - 2008年10月21日)は、愛媛県出身のジャーナリスト。元サンケイ新聞(現産経新聞)記者。 愛媛県温泉郡南吉井村(後の重信町、現東温市)生まれ。愛媛県立松山東高等学校、松山商科大学(現松山大学)経済学部卒。 1971年、サンケイ新聞入社。高松、松山支局、大阪本社等で勤務。 1974年、甲山事件で逮捕された容疑者について、犯人であるとする警察・検察側の論拠が成立しないことをつかみ他社に先駆けスクープ。検察は証拠不十分で容疑者を釈放した。 1984年、愛媛県の県立高校新設に関し、県が地方財政法で禁止されている負担金を松山市に要求したとの疑惑を報道。同内容の記事を書き県から取材拒否された日刊新愛媛が県を相手取り提訴に踏み切ると、日刊新愛媛側の証人として法廷に立った。
西本 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - … 西本 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - )は、愛媛県松山市興居島出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。
高石 太(たかいし ふとし、1948年10月4日 - )は、… 高石 太(たかいし ふとし、1948年10月4日 - )は、元吉本新喜劇、松竹新喜劇の座員、元漫才師。本名は鈴木雄偉。愛媛県出身。貝塚高校普通科卒業。
本江 邦夫(もとえ くにお、1948年9月25日 - 201… 本江 邦夫(もとえ くにお、1948年9月25日 - 2019年6月3日)は、日本の美術史学者、多摩美術大学名誉教授、多摩美術大学美術館館長、美術愛住館館長。元府中市美術館館長。 愛媛県松山市生まれ。東京で小学校入学、中学2年の夏まで札幌と小樽で過ごす。 1973年東京大学文学部美術史学科卒業。1976年東京大学大学院人文科学研究科修士課程西洋美術史専攻修了。同年秋より東京国立近代美術館勤務。1986年同主任研究員、1992年同企画・資料課長、1994年同美術課長(~98年)。 1981年マチス、1983年ピカソ、1987年ゴーギャン、1989年ルドン、1994年木村忠太などの回顧展を手がける一方、1984年「メタファーとシンボル」、1990年手塚治虫、1992年「形象のはざまに」、1993年黒田アキ、1995年辰野登恵子などの現代的な企画に関与。