吐合 明文(はきあい あきふみ、1982年5月11日 - )… 吐合 明文(はきあい あきふみ、1982年5月11日 - )は、愛媛県松山市出身で北の湖部屋に所属していた元大相撲力士。本名は同じ。現役時代の体格は身長174cm、体重121kg。得意手は突き、押し。最高位は東幕下2枚目(2012年3月場所)。 小学校3年生から地域のスポーツクラブ春日館が新設した松山道場の創設メンバーとして相撲の稽古を始め、同じ松山市出身で1学年先輩の武蔵海とはしばしば稽古相手を務め合っていた。道後中学から強豪の富山・高岡向陵高に進んだ。近畿大学時代は持ち前のスピードを生かした相撲で活躍し、全国学生相撲選手権大会で悲願の優勝を果たし学生横綱に輝き、幕下付出15枚目格の資格を得て大相撲入りした。
旭光 誓一(きょくひかり せいいち、1976年7月6日 - … 旭光 誓一(きょくひかり せいいち、1976年7月6日 - )は、愛媛県松山市出身で大島部屋(引退時は友綱部屋)に所属していた元大相撲力士。本名は本田 誓一(ほんだ せいいち)。身長179cm、体重198kg、血液型はB型。得意手は押し、なまくら四つ、寄り。最高位は東幕下35枚目(2001年5月場所)。 地元松山市の中学校に通っていた頃から既に体重130kgを超えていたことで大島部屋関係者の目に留まり、大島親方(元大関・旭國)が実家までスカウトに来たことを受けて大島部屋に入門、1992年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は本名と同じ「本田」。同場所では史上最多の新弟子検査受験者数(151名)を記録し、同期生は同部屋の旭天鵬、旭鷲山の他、若の里、隆乃若、智乃花、朝乃翔、隆の鶴、春ノ山、駿傑、出羽乃富士、舞風、一の谷らがいる。
玉春日 良二(たまかすが りょうじ、1972年1月7日 - … 玉春日 良二(たまかすが りょうじ、1972年1月7日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現在の西予市)出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は秋山 良二(あきやま りょうじ)、旧姓:松本(まつもと)。現役時代は身長183 cm、体重157 kgを公称していた。得意手は突き、押し、おっつけ、いなし。最高位は1997年7月場所の西関脇。現在は年寄・片男波。 農家の6人兄姉の三男坊である。松本の相撲との出会いは小学3年の時だった。彼の住んでいた野村町では、1852年に大火災で260棟を焼損したため、このような大火災が起こらぬよう愛宕神社に以後100年間にわたって毎年33番の相撲を奉納すると誓ったため、乙亥大相撲が開催され続けていった。
木村 健悟(きむら けんご、1953年9月4日 - )は、日… 木村 健悟(きむら けんご、1953年9月4日 - )は、日本の政治家、元男性プロレスラー、宮城野部屋所属の元大相撲力士、元歌手。品川区議会議員(4期)。現災害・環境対策特別委員長。区議会議員としては「木村けんご」名を使用。本名は、木村 聖裔(きむらせいえい)。愛媛県新居浜市出身。血液型B型。ニックネームは「稲妻戦士」。妻は東京都目黒区議会議員を6期務めた木村洋子。 1980年代の新日本プロレスにおいて、藤波辰巳の盟友および抗争相手として活躍した。2003年の引退後は実業家を経て、区議会議員であった夫人の影響で2011年に自らも政治家に転身した。 1969年、大相撲の宮城野部屋に入門、木村山(きむらやま)の四股名で同年7月場所初土俵。
宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 -… 宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 - 没年不明)は、愛媛県八幡浜市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮脇 邦義(みやわき くによし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭12枚目(1962年9月場所)。現役時代の体格は176cm、110kg。 中学校卒業後に二所ノ関部屋へ入門し、1953年5月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時の四股名は、本名と同じ「宮脇」。その後、「宮ノ花」→「八幡濱(故郷の地名に因んだ)」→「宮ノ花」と3度改名している。 左四つからの寄りという正攻法を得意としたが、立ち合いの鋭さに欠け、取り口は地味であった。 また、極度の近視であったため、速攻相撲の力士に対しては苦戦した。
愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - … 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。
時浪 春樹(ときなみ はるき、1935年11月20日 - 没… 時浪 春樹(ときなみ はるき、1935年11月20日 - 没年不明)は、時津風部屋に所属した元力士。本名は石丸 春樹(いしまる はるき)。現在の愛媛県新居浜市出身。178cm、97kg。最高位は東十両3枚目。得意技は右四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。1959年9月場所に十両昇進。21場所十両を務め、1963年5月場所に27歳で廃業。巡業では初っ切りや弓取りを務めており、大田山の後継候補に挙げられたことがある。
前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - … 前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - 1973年4月8日)は、愛媛県八幡浜市堀川町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は菊池 秀介(きくち ひですけ)。最高位は東前頭14枚目(1958年5月場所)。現役時代の体格は176cm、102kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 1931年、中国北東部の奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市、当時は満洲国の統治下にあった)附近で生まれ、第二次世界大戦の終結とともに愛媛県八幡浜市に引き揚げて来た。 15歳の時に高砂部屋へ入門し、1947年6月場所(※現在の5月場所に相当)で初土俵。翌11月場所、「前ノ川」の四股名で序ノ口に付いた。
鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没… 鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没年不明)は、愛媛県越智郡乃万村(現・同県今治市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は小沢 寅雄(おざわ とらお)。最高位は東前頭12枚目(1958年1月場所)。得意手は左四つ、押し、寄りなど。現役時代の体格は170cm、105kg。 19歳の時、元関脇・二瀬川が率いる朝日山部屋に入門し、1950年1月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序で共に好成績を残したため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「鯉ノ勢」の四股名を名乗り、一時「鯉ノ瀬」に改名するも、1場所で「鯉ノ勢」に戻している。 出世は早く、番付に付いてから4年半弱の1954年9月場所で十両に昇進。
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - … 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。
前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日… 前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日 - 没年不明)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は徳野 剛(とくの ごう)。愛媛県西宇和郡伊方町出身。173cm、92kg。最高位は西十両11枚目。得意技は小股掬い。 同郷の前田山英五郎(のちの第39代横綱)が所属する高砂部屋に入門、1938年1月場所に初土俵を踏んだ。1944年11月場所、前田山に倣い前ヶ汐英太郎と四股名を改めた場所に幕下優勝を果たし、1945年6月場所に十両に昇進する。新十両の場所は3勝4敗と負け越し、1場所で幕下陥落。翌1946年11月場所に再十両を果たすも5勝8敗と負け越したところで23歳で廃業。俊敏さを活かしたバリエーションが豊富な激しい取り口であり、特に小股救いを得意とした。
朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1… 朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1日 - 2001年12月)は、現在の愛媛県西予市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は水野 元幸。180cm、86kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 1940年5月場所初土俵、1946年11月場所十両昇進。以後3場所務める。1949年1月場所限りで廃業した。
朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1… 朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1969年11月25日)は、愛媛県松山市西垣生町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は中矢 悟(なかや さとし)。最高位は東前頭21枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は168cm、101kg。得意手は左四つ、寄り。 15歳の時に上京し、同郷の元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。 身長170cmに満たない短身で、体重も100kg前後と軽量であったが、そうした体のハンディを克服して順調に出世。 1946年11月場所で新十両に昇進し、以後、暫くはこの地位で一進一退を繰り返した。だが、次第に十両上位でも好成績を残せるようになり、1950年5月場所にて新入幕を果たした。
前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 … 前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 - 1971年8月17日)は、愛媛県西宇和郡喜須来村(現:愛媛県八幡浜市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。第39代横綱。本名は萩森 金松(はぎもり かねまつ)。 1914年5月4日に愛媛県西宇和郡喜須来村で生まれる。喜須木尋常高等小学校を卒業後、1928年に高砂一行が高知市へ巡業に来た際、体格の良い金松少年がいるのを見つけた高砂が自ら勧誘した。当時の金松少年は相撲に対して興味を示さなかったが徐々に気持ちが傾き、大工だった兄を頼って上京してその日の夜に高砂部屋へ入門、1929年1月場所で初土俵を踏んだ。金松は入門に関して自惚れのようなものがあり、自分より体の小さい力士がおり、それには勝てるだろうなどと思っていた。
射水川 成吉(いみずがわしげきち、1906年2月10日 - … 射水川 成吉(いみずがわしげきち、1906年2月10日 - 1945年3月10日)は、愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は八木 成吉(やぎ しげきち)。 1906年2月10日に愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)で生まれる。地元の土地相撲で大関を務め、その経歴を買われて高砂部屋へ入門し、1924年5月場所において幕下付け出しで初土俵を踏んだが、その場所を負け越してしまい、翌場所は一気に序二段まで降格された。1932年1月に勃発した春秋園事件の影響で十両を飛び越えて新入幕を果たすが、1938年5月場所において二度目となる十両降格を味わい、1939年1月場所を最後に現役を引退、年寄・大山を襲名した後、岩友・西岩の順に変更した。
愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日 -… 愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日 - 1944年11月11日)は、愛媛県宇和島市出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮川 初義。最高位は十両2枚目。 大阪相撲の押尾川部屋に入門。東西合併により、1927年5月三段目に付出され、その場所で三段目優勝を果たす。1931年5月十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、1932年1月場所の番付では幕下に落ちた。ところが、番付発表直後に起きた春秋園事件により、大量の幕内十両の脱退者が出たため、一転して十両残留となった。以後6場所連続十両の地位にあった。1934年1月に幕下に落ち、翌5月三段目まで陥落したところで廃業した。1944年死去。
朝響 信親(あさひびき のぶちか、1897年1月3日 - 1… 朝響 信親(あさひびき のぶちか、1897年1月3日 - 1960年2月22日)は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現西予市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は宮本 延近。身長173cm、体重90kg。最高位は東前頭2枚目(1927年5月場所)。引退後は年寄佐ノ山として後進の指導につとめた。 同郷の大関朝汐の佐ノ山部屋に入門し、1914年1月場所に初土俵を踏んだ。稽古熱心で順調に昇進し、1918年5月に、朝見藤と名乗って十両に昇進、1922年1月には朝見富士と改めて新入幕を果たした。その間、師匠が亡くなったので本家の高砂部屋に移籍した。また、入幕後に朝響と改名している。 1926年5月場所、1927年1月場所と連続して8勝3敗と好成績を収めたのがピークであった。
朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年〈明治12年〉4月1… 朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年〈明治12年〉4月19日 - 1961年〈昭和36年〉4月30日)は、愛媛県新居郡玉津村(現西条市)出身の大相撲力士。本名は薦田 長吉(後に坪井 長吉)。最高位は大関。身長176cm、体重113kg。高砂部屋→佐ノ山→高砂部屋に所属した。 20歳の時には、体重の3倍近い荷物を持ち上げる怪力であり、初代朝汐の8代目佐ノ山に勧誘された。しかし、父が反対しすぐには入門できなかった。 父が亡くなると1901年(明治34年)に入門、同年5月に新序出世、四股名は朝嵐長太郎を名乗った。1906年(明治39年)1月場所で新十両、翌1907年(明治40年)1月場所で新入幕を果たす。
鬼ヶ谷 才治(おにがたに さいじ、1855年4月19日(安政… 鬼ヶ谷 才治(おにがたに さいじ、1855年4月19日(安政2年3月3日) - 1931年(昭和6年)2月2日)は、伊予国宇摩郡(現:愛媛県四国中央市)出身の元大相撲力士。本名は鈴木 才治(すずき さいじ)。 1855年4月19日(旧暦3月3日)に伊予国宇摩郡(現:愛媛県四国中央市)で生まれた。当初は時津風部屋(大坂相撲)に入門し、本場所に登場するまでの巡業では愛媛潟と名乗った。1886年に梅ヶ谷藤太郎 (初代)から勧誘されて東京相撲に加入することが決まると、東京相撲では雷部屋に所属し、同年1月場所に二段目(現:幕下)格付出で東京相撲の初土俵を踏んだ。1887年1月場所で新入幕を果たすと、際立った好成績を残すことは無かったが地道な努力を重ね、1891年5月場所で小結昇進、この場所を5勝3敗1分で勝ち越して翌場所も小結を務めた。