今村 均(いまむら ひとし、1951年4月20日 - )は、… 今村 均(いまむら ひとし、1951年4月20日 - )は、福岡県福岡市出身の俳優。IxCに所属。身長176cm。特技は殺陣、ゴルフ、ハウスクリーニング、料理。 俳優の傍ら、殺陣講師・演技指導など講師活動も行う。
福岡県:3,612人
今村 均(いまむら ひとし、1951年4月20日 - )は、… 今村 均(いまむら ひとし、1951年4月20日 - )は、福岡県福岡市出身の俳優。IxCに所属。身長176cm。特技は殺陣、ゴルフ、ハウスクリーニング、料理。 俳優の傍ら、殺陣講師・演技指導など講師活動も行う。
井上 澄和(いのうえ すみかず、1951年〈昭和26年〉4月… 井上 澄和(いのうえ すみかず、1951年〈昭和26年〉4月10日 - )は、日本の政治家。福岡県春日市長(7期)。元福岡県議会議員(3期)。 福岡県筑紫郡春日村(後に春日町を経て現・春日市)に生まれる。春日町立春日中学校(現・春日市立春日中学校)、福岡大学附属大濠高等学校、西南学院大学経済学部卒業。 衆議院議員秘書を経て、1987年(昭和62年)に福岡県議会議員に初当選した。県議時代は自由民主党に所属した。 1999年(平成11年)、春日市長選挙に初当選。2019年(平成31年)、元市議の近藤幸恵を破り6選。2023年(令和5年)、新人の川崎英彦、近藤幸恵を破り7選され、全国の市長で最多と並ぶ7期目となる。
津田 慎吾(つだ しんご、1951年4月8日 - )は日本の… 津田 慎吾(つだ しんご、1951年4月8日 - )は日本の実業家、外交官。丸紅情報システムズ社長を経て、カタール駐箚特命全権大使。
田中 健(、1951年3月6日 - )は、日本の俳優、タレン… 田中 健(、1951年3月6日 - )は、日本の俳優、タレント、ケーナ奏者。本名は田中 研一()。所属事務所はオスカープロモーション。 福岡県筑後市生まれ。高校時代は、バンドを友人と組みベースギターを担当する。その後は、R&Bを博多のダンスホールで演奏していた。学校にばれて退学の可能性があったが、教員の助けで卒業。卒業後は博多のナイトクラブで3年ほど演奏していたという。その後、東京の事務所からスカウトされ上京、1972年に日本コロムビアから「あおい健」として歌手デビューする。キャッチフレーズは「さわやかなフィーリング・爆発するエネルギー」であった。その後、1年ほどで所属していた事務所が倒産。映画監督の斎藤耕一の妻が立ち上げたプロダクションに所属し、以降は田中健の名で俳優に転じる。
山田 和子(やまだ かずこ、1951年〈昭和26年〉3月6日… 山田 和子(やまだ かずこ、1951年〈昭和26年〉3月6日 - )は、日本のSF編集者、翻訳家、評論家。 福岡県北九州市生まれ。慶應義塾大学文学部独文学専攻中退。 『季刊NW-SF』誌の編集長としてJ・G・バラード等の紹介に努める。また、SF翻訳者、SFにおけるフェミニズムの論客としても活躍。長く科学技術関係の編集に携わり、この分野でも訳書がある。 上記NW-SF時代に、創刊者の山野浩一から将棋を教わったところ、たちどころに上達。1977年に、女流アマ名人戦で優勝。70年代は、将棋の女性アマチュア強豪としても有名であった。山野浩一が主宰したNW-SFワークショップでは、「囲碁・将棋部」の活動が盛んであり、山田は当時、松岡正剛と囲碁を打ったこともあるという。
児玉 孝一(こだま こういち、1951年2月21日 - )は… 児玉 孝一(こだま こういち、1951年2月21日 - )は、将棋棋士。2011年、引退。岡崎史明八段門下。棋士番号は141。福岡県北九州市出身。 玉の囲いを放棄し、左右の銀を中央に繰り出して攻勢をとる「カニカニ銀」の創案者。この戦法の独創性・優秀性が高く評価され、2003年将棋大賞の升田幸三賞を受賞。「カニカニ銀」と命名したのは森信雄である。森内俊之も実戦(1992年11月20日)で採用して勝ったことがある。 父から教わって将棋を覚えたのは12歳のときであり、将棋を(本格的に)始めたのは高校1年生のときである。福岡県立八幡中央高等学校卒業。北九州アマ王位戦でA級2位となった後、1968年、第4回高校選手権で団体優勝。
梅林 茂(うめばやし しげる、1951年2月19日 - )は… 梅林 茂(うめばやし しげる、1951年2月19日 - )は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。福岡県北九州市出身。 ニュー・ウェイヴ・ロック・バンド「EX(エックス)」のリーダー(ギターとボーカルを担当)として活動。1980年代初期のエリック・クラプトンの日本ツアーではバックバンドを務め、スネークマンショーなどにも参加した。 1985年のEX解散後は、映画音楽の道へ進み、日本映画のみならず、台湾や香港などアジア圏の映画にも音楽を提供している。近年は、ヨーロッパやハリウッド映画にも活動の場を広げる。現在に至るまで長年、御茶ノ水にある文化学院で講師を務めている。長男は『ユーリ!!! on ICE』や『スペース☆ダンディ』の音楽を担当している作曲家の梅林太郎。
津上 賢治(つがみ けんじ、1951年2月14日 - )は、… 津上 賢治(つがみ けんじ、1951年2月14日 - )は、日本の実業家。九州電力代表取締役副社長、福岡空港ビルディング代表取締役社長等を経て、学校法人中村産業学園(九州産業大学など)理事長、アクロス福岡代表理事等を務めている。 福岡県八女市出身。東京都立日比谷高等学校を経て、1973年一橋大学経済学部卒業、日本興業銀行入行。1977年スタンフォード大学経営大学院修了、経営学修士(MBA)。1993年ブリッジフォード・グループ副社長。1997年日本興業銀行ニューヨーク営業部長。1999年日本興業銀行営業第八部長。2000年九州電力入社。2002年九州電力海外事業部長。2007年九州電力執行役員福岡支店長。
重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は… 重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は福岡県福岡市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)及び86kg級。得意技は大外刈。 柔道は中学の時に父親と叔父の影響で始めた。父親が師範を務めていた福岡大学附属大濠高校に進学すると、3年の時には金鷲旗で優勝を飾った。インターハイ団体戦では3位だった。。明治大学に進むと、1970年に初開催となった全日本ジュニア中量級に出場するが、決勝で天理大学の藤猪省太に敗れた選抜体重別では3位となった。1971年の全日本学生柔道優勝大会では岩田久和、上村春樹らとともにチームの優勝に貢献した。選抜体重別では決勝で警視庁の関根忍に敗れた。続く世界選手権では、決勝で藤猪に優勢負けして2位にとどまった。
葉室 麟(はむろ りん、1951年〈昭和26年〉1月25日 … 葉室 麟(はむろ りん、1951年〈昭和26年〉1月25日 - 2017年〈平成29年〉12月23日)は、日本の小説家。福岡県北九州市小倉生まれ、本名は本畑雄士。 福岡県立明善高等学校、西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻をそれぞれ卒業し、地方紙記者やラジオニュース担当などを経て、2005年に江戸時代元禄期の絵師尾形光琳と陶工尾形乾山の兄弟を描いた『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞した。 50歳から創作を始めて4年後に文壇デビューした。2007年に『銀漢の賦』で第14回松本清張賞、2012年に『蜩ノ記』で第146回直木三十五賞、それぞれを受賞し、久留米市を拠点として敗者や弱者の視点を大切にした歴史時代小説を生み出した。
田嶋 文生(たじま ふみお、1951年 - )は、日本の生物… 田嶋 文生(たじま ふみお、1951年 - )は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。福岡県生まれ。
安部 司(あべ つかさ、1951年 - )は、日本の食品添加… 安部 司(あべ つかさ、1951年 - )は、日本の食品添加物評論家。 福岡県福岡市生まれ。特定非営利活動法人熊本県有機農業研究会メンバー(JAS判定員)。経済産業省国家資格水質第一種公害防止管理者。食品製造関係の特許4件取得。 山口大学文理学部化学科を卒業したのち総合商社の食品課に勤め、食品添加物の営業に従事していたが、ある日、自宅の食卓に自分が開発に関わったミートボールを発見し、自分の子供たちに食べさせたくないものを自分が作っていたということに初めて気がつき、愕然とした。ほどなく会社を退職。 2018年に一般社団法人加工食品診断士協会を設立した。 講演では、食品添加物やパウダー状の食品・香辛料を数十種類持ち込み、白い粉だけでできるインスタントラーメンのスープや、清涼飲料水の合成を実演して見せる。
野田 邦弘(のだ くにひろ、1951年 - )は、文化政策学… 野田 邦弘(のだ くにひろ、1951年 - )は、文化政策学者、横浜市立大学大学院都市社会文化研究科客員教授。 福岡市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。横浜市職員となり、コンテンポラリーダンスフェスティバル「ヨコハマアートウェーブ’89」の企画制作や「横浜みなとみらいホール」の開設準備など文化行政に携わる。2005年鳥取大学地域学部地域文化学科教授(文化政策、創造都市論)。文化庁文化芸術創造拠点形成事業審査委員文化経済学会(日本)理事(元理事長)、日本文化政策学会理事、NPO法人都市文化創造機構理事、鳥取県文化芸術振興審議会長、鳥取県地方自治研究センター理事長、あいちトリエンナーレ実行委員、茅ヶ崎市文化生涯学習推進委員長などを兼任。
野瀬 泰申(のせ やすのぶ、1951年 - )は、日本経済新… 野瀬 泰申(のせ やすのぶ、1951年 - )は、日本経済新聞特別編集委員、コラムニスト。福岡県久留米市出身。 福岡県立明善高等学校、東京都立大学法学部卒業。 1975年、日本経済新聞社入社。以降、社会部、金沢支局、西部支社、東京本社文化部と巡り、大阪本社文化担当部長、東京本社文化部編集委員、同生活情報部編集委員を歴任。 同一名称でも地域によって内容が違うこと(室蘭市、東松山市、今治市における「焼き鳥」等)、食べ物の地域性や独特な調理法・食べ方など、地域独特の食文化を「食の方言」と名づけ、それを題材にNIKKEI NETで読者との交流企画コラム「食べ物 新日本奇行」を2002年11月より2010年3月まで連載していた。
山下 清海(やました きよみ、1951年 - )は、日本の地… 山下 清海(やました きよみ、1951年 - )は、日本の地理学者で立正大学教授(地球環境科学部・地理学科)、日本華僑華人学会元会長。理学博士。世界各地のチャイナタウンをフィールドワークしている。福岡市出身。
楠城 徹(くすき とおる、1950年12月22日 - )は、… 楠城 徹(くすき とおる、1950年12月22日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。
江崎 英子(えざき えいこ、1950年12月12日 - )は… 江崎 英子(えざき えいこ、1950年12月12日 - )は、福岡県久留米市出身の日本の女優、歌手。別芸名・江崎 由梨。 宝塚音楽学校卒業。1960年代末に歌手としてデビュー。1969年に結成されたNHKのヤング101に第一期生として加入して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に第一回(1970年1月10日)から出演。江崎グリコに由来した「グリちゃん」の愛称で親しまれた。 1973年4月1日にヤング101を卒業した後は女優として活動し、テレビ東京系列の時代劇『大江戸捜査網』の不知火のお吉役、東宝映画『ルパン三世 念力珍作戦』の峰不二子役などで人気を博した。此の頃芸名を一時、江崎由梨に変えている。
竹本 純平(たけもと じゅんぺい、1950年12月8日 - … 竹本 純平(たけもと じゅんぺい、1950年12月8日 - )は、日本の俳優、声優。福岡県田川市出身。演劇集団 円会員(演技部)。 福岡県立田川高等学校卒業。 特技はアクアラング。
志波 芳則(しわ よしのり、1950年12月1日 - )は、… 志波 芳則(しわ よしのり、1950年12月1日 - )は、福岡県福岡市出身のサッカー指導者。東福岡高等学校サッカー部の監督、総監督を務めた。福岡商業高校(現福岡市立福翔高校)、日本体育大学卒(1972年)。 東福岡高等学校監督に就任すると、寺西忠成コーチ(八幡製鉄サッカー部を率いた名将)との二人三脚で1990年代を通じて高校サッカー界を代表する強豪校にまで育て上げた。1997年には高校総体、全日本ユース、高校選手権の三冠を達成、公式戦52戦無敗記録を達成した。 これまで小島宏美、山下芳輝、本山雅志、長友佑都らを日本代表やJリーグへと送り出している。 現在は総監督の肩書で、森重潤也監督と共に東福岡高等学校サッカー部の指導を行っている。
真木 ひでと(まき ひでと、1950年11月27日 - )は… 真木 ひでと(まき ひでと、1950年11月27日 - )は、日本の歌手。本名は野内 正行(のうち まさゆき)。GSバンド、「オックス」のヴォーカルを務めた後、演歌を中心とした歌手として活動。福岡県田川市出身。 漫画トリオとバックボーン」(木村幸弘とバックボーン)に参加し、プロとしてのキャリアをスタート。また、木村の「ロックを歌え」という指示で、ビートルズの「のっぽのサリー」をその年の6月から唄い、やがてローリング・ストーンズの「アウト・オブ・タイム」や「テル・ミー」を唄うようになり(ペンギン堂の店長からライブ盤のストーンズのLPを勧められたことが後の野口ヒデトのステージパフォーマンスに多大な影響を与える)、少しずつ関西での野口ヒデトの名前が知られるようになった。
平出 隆(ひらいで たかし、1950年11月21日 - )は… 平出 隆(ひらいで たかし、1950年11月21日 - )は、日本の詩人、散文家。芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。 「詩人、散文家として、数々の詩書を刊行。国際的ベストセラー小説『猫の客』の著者。みずからのデザインや写真による、極小の本 «via wwalnuts» 叢書を刊行中。多摩美術大学名誉教授、芸術人類学研究所所員。大江健三郎により「詩の中から新しい散文を生み出す詩人」とされる。」 福岡県門司市(現北九州市門司区)出身。福岡県立小倉高等学校を経て、一橋大学社会学部に入学。神田神保町の「美学校」にも通う。1976年に一橋大学を卒業。 1972年、大学在学中に連作詩篇「花嫁」を『ユリイカ』に発表。
舞野 健司(まいの けんじ、1950年11月16日 - )は… 舞野 健司(まいの けんじ、1950年11月16日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 飯塚商業高校では1968年、3年生の時に四番打者、捕手として夏の甲子園に出場。1回戦で磐城高を降すが、続く2回戦では、この大会に優勝した興国高の丸山朗(早大-大昭和製紙)に完封を喫する。この大会は2試合で6打数2安打を記録した。高校同期には左翼手の木下竜元(太平洋)がいる。 1968年ドラフト会議で東京オリオンズから12位指名を受け入団。下位指名ながら大型捕手として期待されるが、一軍での出場は偵察要員の2試合にとどまる。1971年限りで引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。
狩野 久宣(かのう ひさのり、1950年11月13日 - 2… 狩野 久宣(かのう ひさのり、1950年11月13日 - 2017年3月13日)は、日本の実業家。JFEメカニカル代表取締役社長や、JFEエンジニアリング代表取締役社長を務めた。 福岡県北九州市出身。1973年九州大学工学部電気工学科卒業、日本鋼管入社。1996年日本鋼管福山製鉄所プロセス制御部長。2000年日本鋼管福山製鉄所生産総括部長兼品質保証部長。2002年日本鋼管福山製鉄所企画部長兼品質保証部長。2003年JFEスチール常務執行役員東日本製鉄所副所長。 2006年JFEスチール専務執行役員東日本製鉄所副所長。2007年からJFEスチール専務執行役員東日本製鉄所長を務め、「制御技術の発展と製鉄所の効率運営」により日本鉄鋼協会平成21年度技術功績賞服部賞受賞。
米田 幸正(よねだ ゆきまさ、1950年10月22日- )は… 米田 幸正(よねだ ゆきまさ、1950年10月22日- )は、日本の実業家。サマンサタバサジャパンリミテッド代表取締役社長。CFSコーポレーション代表取締役社長、スギホールディングス代表取締役社長、エステー代表執行役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。 1976年、北九州市立大学外国語学部米英学科を卒業し、伊藤忠商事入社。ただし、実際に大学卒業後すぐに入社したのは安宅産業であり、後に破綻寸前であった安宅産業を伊藤忠商事が救済合併する際に安宅産業の一部社員の受け入れが行われ、米田もそのタイミングで伊藤忠商事へと移った。デトロイト駐在時代には、いすゞ自動車とゼネラル・モーターズの提携事業に携わった。
大庭 宗一(おおば そういち、1950年10月19日 - )… 大庭 宗一(おおば そういち、1950年10月19日 - )は、日本の福岡・博多を拠点に活動するエッセイスト、ラジオパーソナリティ、NPO法人「博多の風」理事長である。福岡県福岡市生まれ。福岡大学附属大濠高等学校を経て福岡大学を卒業。ニックネームは「博多のおいしゃん(博多のおじさんという意味)」。仲間からは大将と呼ばれ親しまれている。
宮本 隆治(みやもと りゅうじ、1950年10月8日 - )… 宮本 隆治(みやもと りゅうじ、1950年10月8日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者である。サイバー大学客員教授。元・日本放送協会(NHK)アナウンサー。ノースプロダクション(旧イースト・プロダクション)所属。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。母親は、初代ミス門司みなと祭(現:門司みなとアンバサダー)を務めていた。また、ボランティア活動に熱心であった。父親は、市長秘書でGHQの通訳も務めていた。多忙な両親のために、幼い頃から自分と弟の食事を作ることも多かった。この時に『きょうの料理』を視聴していたのが、NHKとの出会いであった。小学生時代には、ボーイスカウトに入団。
上田 雅利(うえだ まさとし、1950年10月2日 - )は… 上田 雅利(うえだ まさとし、1950年10月2日 - )は、チューリップのドラマー。福岡県福岡市出身。 アマチュア時代は海援隊他色々なバンドをかけもちして活動していたが、チューリップに誘われて、1972年にプロデビューする。ボーカルを担当した曲は「走れ!ムーン号」など。1980年にチューリップを脱退し、TONY、Hold、オールウェイズ、Piccadilly Circus、GAR-YIZなど様々なバンドを経験して、1997年、チューリップ再結成時にメンバーへ復帰する。2000年、ソロデビューを果たす。現在も様々なバンドをまたいで活動している。
秋富 由利夫(あきとみ ゆりお、1950年9月13日 - )… 秋富 由利夫(あきとみ ゆりお、1950年9月13日 - )は、佐賀県出身のプロゴルファー。 小学5年生の頃からゴルフのグラブを握り、中学時代は器械体操をやるが、その頃に鍛えた足腰の強さがロングドライブの糧になる。 麻生飯塚ゴルフ倶楽部で藤井義将に弟子入りし 、162cmと小柄ながら師匠の藤井ばりの広いスタンス、大きなスイングが特徴であった。同じ所属プロで藤井の弟子であった藤池昇や友利勝良とのラウンドで腕を磨き、友利は秋富から小技を盗もうとした。 1975年に6回目の挑戦でプロ入りし、1976年からはアジアサーキットに参戦 。 1976年の香港オープンでは初日に5バーディー、1ボギーでコースレコードタイの66をマークし、謝敏男( 中華民国)に2打差付けて首位に立つが、2日目には74を叩いて、通算140で2位へ後退。
小林 浩二(こばやし こうじ、1950年9月8日 - )は、… 小林 浩二(こばやし こうじ、1950年9月8日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 大牟田南高3年次の1968年にプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから8位指名を受けるが交渉権放棄により、社会人野球の電気化学へ入団。その後、九州産交へ移籍。都市対抗野球には2年連続で出場。 1971年、プロ野球ドラフト会議で大洋ホエールズから3位指名を受け入団。 1972年、プロ1年目から一軍初出場を果たす。 1974年秋季キャンプ中の12月5日深夜に熊本市内の宿舎を抜け出し、パンストで覆面して女性宅へ進入し相次いで2人の女性に暴行したとして住居侵入罪、婦女暴行の容疑で逮捕された。小林は無期限失格選手となり、その後野球界に関与していない。
山崎 八重子(やまざき やえこ、現姓:古後、1950年9月2… 山崎 八重子(やまざき やえこ、現姓:古後、1950年9月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール銀メダリスト。 福岡県大牟田市出身。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
金本 秀雄(かなもと ひでお、1950年8月24日 - )は… 金本 秀雄(かなもと ひでお、1950年8月24日 - )は、日本の工学者、実業家である。川岸工業株式会社の代表取締役社長。 福岡県北九州市出身。九州工業大学工学部を卒業後、昭和48年川岸工業株式会社に入社。同社取締役、常務、専務などを経て、平成28年川岸工業株式会社の代表取締役社長に就任した。 この項目は、企業に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 経済)。
古賀 信行(こが のぶゆき 1950年8月22日 - )は、… 古賀 信行(こが のぶゆき 1950年8月22日 - )は、日本の実業家。旭日大綬章受章。野村ホールディングス取締役執行役社長兼CEOを務めたほか、日本経済団体連合会審議員会議長、交通政策審議会会長などを歴任した。 福岡県大牟田市生まれ。 大牟田ルーテル幼稚園[要出典]、大牟田市立中友小学校、大牟田市立松原中学校、ラ・サール高等学校を経て、1970年に東京大学法学部へ入学し、1974年に卒業、野村證券株式会社(現、野村ホールディングス株式会社)へ入社した。 企画畑でMOF担などを務め、同郷福岡出身の自見庄三郎元金融担当大臣とのパイプなどを誇り、現場には疎いが、当局からの信頼が厚い優秀なMOF担とされた。
伊佐山 ひろ子(いさやま ひろこ、1950年〈昭和25年〉8… 伊佐山 ひろ子(いさやま ひろこ、1950年〈昭和25年〉8月18日 - )は、日本の女優、作家。本名:伊佐山 博子。 福岡県福岡市出身。福岡女学院高等学校卒業。植物園を経て、女優となる。 1971年、高校卒業後に上京。俳優小劇場付属養成所に入所する。 1972年、村川透監督の『白い指の戯れ』で映画初主演を果たし、神代辰巳監督の『一条さゆり 濡れた欲情』での演技と合わせて高く評価され、第46回(1972年度)キネマ旬報日本映画主演女優賞を受賞。 当初は日活ロマンポルノを中心に活動していたが、徐々に一般作品へも進出。 岡本喜八監督作品には昭和50年代に3本で助演し、遺作となった『助太刀屋助六』(2002年)にも出演した。
塩谷 安男(しおのや やすお、1950年8月15日 - 20… 塩谷 安男(しおのや やすお、1950年8月15日 - 2015年12月)は、日本の弁護士。
山縣 慎司(やまがた しんじ、1950年8月11日 - )は… 山縣 慎司(やまがた しんじ、1950年8月11日 - )は演出家。元フジテレビジョン社員、元同局ディレクター・プロデューサー。横澤彪班の1人。愛称は「ベースケ」。福岡県北九州市(旧小倉市)出身。大阪府立勝山高等学校・日本大学芸術学部卒業。
山本 茂(やまもと しげる、1950年(昭和25年)8月3日… 山本 茂(やまもと しげる、1950年(昭和25年)8月3日 - )は、日本の実業家。 2000年3月~2007年3月、ネクストコム株式会社(現三井情報株式会社)の代表取締役社長を務めた。 1969年、福岡県立小倉工業高等学校卒業後、機械メーカーでの勤務を経て、1985年、アンガマン・バス株式会社へ入社し、技術本部長を務める。その後、ネットワンシステムズ株式会社で技術本部長を務め、1990年、インテグレート代表取締役に就任する。そして、1991年、スリーコム株式会社(後のネクストコム株式会社、現三井情報㈱)取締役技術本部長に就任後、取締役副社長、代表取締役副社長を歴任し、2000年3月、代表取締役社長に就任した。
幸後 和壽(こうご かずひさ、1950年7月20日 - )は… 幸後 和壽(こうご かずひさ、1950年7月20日 - )は日本の実業家。トクヤマ代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。発明協会会長奨励賞実施功績賞受賞。 福岡県行橋市生まれ。父は日本国有鉄道職員。福岡県立門司高等学校を経て、1975年東京工業大学(現東京科学大学)工学部化学工学科卒業、徳山曹達(現トクヤマ)入社。電解製造部で技術課長や第二課長を務めるなどして工場現場で長く勤務したのち、1999年エレクトロニクス営業部長。同年ICケミカル部長。2002年シェイパル営業部長。2004年理事機能材料部門副部門長兼シェイパル営業部。2006年取締役機能材料部門長、鹿島工場管掌。2009年から代表取締役社長を務め、マレーシアでの多結晶シリコン事業への投資などを進めたが、市況の暴落により特別損失を計上し2015年に代表取締役会長に退いた。
古東 哲明(ことう てつあき、1950年7月 - )は、日本… 古東 哲明(ことう てつあき、1950年7月 - )は、日本の哲学者、広島大学大学院総合科学研究科名誉教授。NHK文化センター教員。専門は、哲学、現代哲学、比較思想史。 1950年7月13日、福岡県甘木市(現朝倉市)に生まれる。旧姓、権八。CMプランナー権八成裕は甥。俳人、古東古城は父である。甘木小学校、福岡教育大学附属久留米中学校、久留米大学附設高校を経て、1974年京都大学哲学科西洋哲学専攻卒業、琵琶湖東岸、能登川にて農業に従事。1980年同大学院博士課程単位取得満期退学。ハイデガー、メルロ=ポンティ、ニーチェ、バタイユ、ガダマーらの哲学を媒介に、死と沈黙と言葉と非知の問題に取り組む。辻村公一、梅原猛、上田閑照に師事。
服部 信治(はっとり しんじ、1950年6月29日 - )は… 服部 信治(はっとり しんじ、1950年6月29日 - )は、日本の実業家。株式会社アーバネットコーポレーション代表取締役会長。 福岡県大牟田市出身。1969年に福岡県立大牟田南高等学校(現福岡県立ありあけ新世高等学校)を卒業後、職業能力開発総合大学校に入学。1974年4月に北斗建設株式会社へ入社し、その後1976年8月に株式会社核建築設計事務所に入社。1978年9月には、カク建築設計事務所を設立し、代表に就任。1981年2月に名星建設株式会社(現株式会社イクス・アーク都市企画)に入社し、1997年7月に株式会社アーバネットコーポレーションを設立し、代表取締役に就任。2006年9月に代表取締役社長に就任する。
青木 裕子(あおき ゆうこ、旧姓:介川、1950年6月26日… 青木 裕子(あおき ゆうこ、旧姓:介川、1950年6月26日 - )は、日本のフリーアナウンサー、朗読者。元NHKチーフアナウンサー。 福岡県立修猷館高等学校を経て津田塾大学を卒業後、1973年(昭和48年)入局。 2010年6月30日、定年退職。朗読をライフワークとしており、退職に合わせ長野県軽井沢町に「軽井沢朗読館」を設立。2013年には同町立図書館館長に就任した。 現在も東京に自宅を置き、NHKでの仕事も継続している。
木村 秀雄(きむら ひでお、1950年6月20日 - 202… 木村 秀雄(きむら ひでお、1950年6月20日 - 2025年10月11日)は、日本の文化人類学者、東京大学名誉教授。ラテンアメリカを対象とする文化人類学専攻。青年海外協力協会理事。青年海外協力隊の経験者でもある(隊次:昭和53年度1次隊、派遣国:ボリビア、職種:文化人類学)。 福岡県出身。東京教育大学附属小・中・高校(現・筑波大学附属小学校、同附属中学校・高等学校)を経て、1975年に東京大学教養学部文化人類学専攻卒業。 1977年、東京大学大学院修士課程修了、1978年から1981年までボリビア国立人類学研究所研究員を務める。 1982年、東京大学大学院博士課程単位取得後満期退学、亜細亜大学経済学部助教授を経て1992年から東京大学教養学部に戻って助教授、教授を歴任。
今里 頼子(いまさと よりこ、1950年6月6日 – 199… 今里 頼子(いまさと よりこ、1950年6月6日 – 1996年1月19日)は、日本の編集者、ジャーナリスト。 福岡県立福岡高等学校、西南学院大学卒業後、「キャンパス福岡」編集長などを経て、1989年(平成元年)に西日本リビング新聞社入社。福岡都市圏の生活情報紙「リビング福岡」(西日本リビング新聞社)の編集長を務めた。 九州大学教授と結婚後は福岡国際ミズの会会員ともなり、女性の地位向上を目指して広く活動した。
川崎 隆生(かわさき たかお、1950年6月2日 - 202… 川崎 隆生(かわさき たかお、1950年6月2日 - 2021年4月19日)は、日本のジャーナリスト。西日本新聞社元社長。 1950年、福岡県福岡市出身。1969年、福岡県立修猷館高等学校卒業。1974年早稲田大学第一文学部卒業、西日本新聞社入社。2003年同社経営企画委員長、2006年同社広告局長、2007年同社取締役広告局長[要出典]、2008年同社代表取締役社長。2014年同社グループ経営会議議長[要出典]、2016年、同社取締役会長。2019年6月同社相談役。 社外では日本新聞協会副会長(2017年6月~2019年6月)をはじめ、九州文化協会会長や西日本新聞民生事業団理事長を歴任した。
末本 博(すえもと ひろし、1950年5月30日 - )は、… 末本 博(すえもと ひろし、1950年5月30日 - )は、日本の経営者。福岡県出身。にしけい常務取締役。 1950年福岡県行橋市出身。福岡県立京都高等学校卒業。1970年10月、福岡県警察採用、1998年北九州警察部総務課管理官、2000年九州管区警察局公安部交通課調査官、2002年、福岡県警察学校副校長、2003年福岡県警察本部総務部施設課長、2005年交通部運転免許試験課長、2006年交通部交通企画課長、2007年宗像警察署長、2008年警視正昇任、八幡西警察署長、2009年福岡県警察学校校長、2010年3月福岡県警察本部交通部長、2011年3月警視長昇任、退職。同年4月あいおいニッセイ同和損害保険株式会社入社、福岡企業営業部顧問、2013年3月退職、同年4月株式会社にしけい入社、空港保安事業本部長。
福山 庸治(ふくやま ようじ、1950年5月20日 - )は… 福山 庸治(ふくやま ようじ、1950年5月20日 - )は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。東京学芸大学教育学部卒業。 1970年、『漫画アクション』(双葉社)に掲載の『納屋の中』でデビューした。代表作は『マドモアゼル モーツァルト』。 1993年から『週刊ダイヤモンド』に連載された『F氏的日常』で2001年12月、第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞する。 2000年代には日本工学院専門学校のマンガ・アニメーション科マンガコースにて講師を勤めていた。
柏原 孝(かしはら たかし、1950年5月10日 - )は、… 柏原 孝(かしはら たかし、1950年5月10日 - )は、日本の経営者。福岡県北九州市出身。 1973年に熊本大学法学部を卒業し、同年に内田洋行に入社した。2003年に取締役に就任し、2007年に副社長を経て、2008年7月には社長に就任。2014年7月には会長に就任 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月… 船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月27日 - )は、消費者問題や環境問題を専門とするジャーナリスト、評論家。 化粧品や酒類の品質を問うシリーズ書でミリオンセラーを記録するほか、60冊以上の著書を持つ一方で、政治や医学の分野においては疑似科学・陰謀論者との批判もある。 福岡県田川郡添田町出身。福岡県立田川高等学校卒業、九州大学理学部中退、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。大学在学中より生協活動に携わる。 日本消費者連盟の編集者を経て、1986年に独立。 週刊誌『週刊金曜日』で1996年に連載が始まった『買ってはいけない』シリーズの共著者として知られている。同連載をまとめた書籍はベストセラーとなり、多くの類似書を生むなど社会現象となり、消費者意識を高めたと評価される一方、船瀬がマクドナルドの肉に食用ミミズが使われていると主張するなど、科学的妥当性には批判も多い(買ってはいけない#批判を参照)。
矢野 俊一(やの としかず、1950年4月21日 - )は、… 矢野 俊一(やの としかず、1950年4月21日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。1975年のみ登録名矢野 剛俊とした。 福岡・三池工高から三菱重工長崎を経て1972年ドラフト5位で大洋入団。1974年に一軍に定着、代打としての起用が多かったが、主に二塁手として7試合に先発出場を果たす。1976年にも外野手として12試合に先発。1978年11月無償トレードにてロッテに移籍。1979年も13試合に先発出場、一番打者としても3試合に起用されるが、1980年には出場機会がなく、同年限りで現役を引退。左投手にめっぽう強かった。引退後はジュウタン専門のクリーニング会社へ就職。
池内 博子(いけうち ひろこ、1950年4月8日 - )は、… 池内 博子(いけうち ひろこ、1950年4月8日 - )は、元・KRY山口放送の専属パーソナリティで、元社員アナウンサー。 福岡県北九州市門司区出身。アナウンサーは子供の頃からの夢で、アナウンサーでは下重暁子、宇田川清江(共にNHK)に憧れていたという。梅光女学院大学を卒業後、1973年入社。 入社以後は主にラジオを中心に活躍し、ラジオ番組のパートナーは和尚(下松市閼伽井坊の住職三池孝尚)や、日本語を話すドイツ人(山口大学教授のマルク・レール)、団塊の世代のフォークシンガー、など個性豊かなキャラクターが多い。2006年に井上雪彦が定年を目前にして急死した後は、KRY最年長アナウンサーとなり、アナウンス室のお母さん的存在として、勝津正男部長を支え、女性メンバーを引っ張った。
安部 慎一(あべ しんいち、1950年4月7日 - )は、日… 安部 慎一(あべ しんいち、1950年4月7日 - )は、日本の漫画家、小説家。福岡県田川市出身。作品によっては「愼一」「あ部愼一」との表記もあり。愛称は「アベシン」。 1970年代より『ガロ』『ヤングコミック』などを中心に活躍した漫画家。鈴木翁二、古川益三と並び、「ガロ三羽烏」や「一二三トリオ」と称される漫画家の一人。 高校時代はスポーツに精を出し、剣道、空手、陸上に打ち込む。高校3年生の頃に永島慎二の「青春裁判」に心を打たれ、三日間家出をして永島の元を訪れる。 高校卒業後に上京し、永島の家の近くの杉並区阿佐ヶ谷の富士荘2階に住む。本格的に漫画を描き始め、『ビッグコミック』新人賞に投稿する。最終審査まで残ったが、あまりにも永島の影響が出過ぎていたために、選考委員の石森章太郎 から「影響を受け過ぎてはいけない」と批評され落選。