古田 大輔(ふるた だいすけ、1977年 - )は、日本のジ… 古田 大輔(ふるた だいすけ、1977年 - )は、日本のジャーナリスト、メディアコンサルタント。 日本ファクトチェックセンター(JFC)創刊編集長(2022年 -)、株式会社メディアコラボ代表(2019年 -)、デジタル・ジャーナリスト育成機構(D-JEDI)事務局長、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)理事。元朝日新聞記者(2002 - 2015年)、BuzzFeed Japan創刊編集長(2015 - 2019年)、2020 - 2022年に「Google News Lab」ティーチングフェローとして、記者や学生にデジタル報道セミナーを実施した。 福岡市出身。福岡県立福岡高校を経て、2001年3月に早稲田大政治経済学部卒業。
今林 隆史(いまはやし たかふみ、1976年5月8日- )は… 今林 隆史(いまはやし たかふみ、1976年5月8日- )は、日本のジャーナリスト。RKB毎日放送報道制作センター報道部所属の記者で、同局の元アナウンサー。 福岡県福岡市出身。1999年に九州大学理学部地球惑星科学科を卒業し、2001年に同大学大学院理学府地球惑星科学専攻を修了。 大学院を修了後、2001年4月にRKBに入社。同局のアナウンサーを務めた後、現職。 ニュース取材のほか、防災・環境・考古学などをテーマにした様々なドキュメンタリー映像の制作にも携わっている。2016年からは、南極観測隊への4か月間同行取材を行った。 気象予報士、潜水士、防災士の資格を有する。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
坂本 信博(さかもと のぶひろ、1972年 - )は日本のジ… 坂本 信博(さかもと のぶひろ、1972年 - )は日本のジャーナリスト・西日本新聞記者。 福岡県福岡市出身。1995年、創価大学法学部卒業。在学中はマラヤ大学に2年間留学。また落語研究会では部長を務め、国連研究会の創設にも参加した。落語研究会の後輩にエレキコミック、ナイツがいる。マレーシアの邦字紙記者、商社勤務を経て、1999年に西日本新聞社入社。 社会部を経て、2000年から2003年まで長崎総局で警察・司法、長崎市政、原爆・平和、長崎県政を取材。2003年から2005年まで宗像支局長。社会部で医療、教育、原発問題などを担当。2010年3月から成人T細胞白血病(ATL)やHTLV-I関連脊髄症をめぐるキャンペーン報道「HTLV1制圧へ」を展開し、菅直人首相が2010年9月、HTLV-1関連疾患を九州などの”風土病”と捉えて対策を放置してきた政府の判断ミスを認めて患者団体に謝罪し、すべての妊婦を対象とした公費でのHTLV-1抗体検査の実施など総合対策を打ち出すことにつながった。
野嶋 剛(のじま つよし、1968年5月6日 - )は、日本… 野嶋 剛(のじま つよし、1968年5月6日 - )は、日本のジャーナリスト。 福岡市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。1992年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月よりフリーとなった。台湾、香港、中国問題などで活発にルポや評論を発表している。また、著書の多くが、台湾、中国で刊行されている。 2013年発刊の訳著『チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語』で、2014年に第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞、2016年には『台湾とは何か』で第11回樫山純三賞(一般書部門)を受賞した。
井出 留美(いで るみ、1967年 - )は、日本の食品ロス… 井出 留美(いで るみ、1967年 - )は、日本の食品ロスジャーナリスト。株式会社office 3.11代表。 東京都生まれ。母のカップケーキ作りの影響で5歳で食に目覚め、早い時期に食物栄養の分野に進学することを決める。 銀行員だった父の転勤に伴って全国各地で生活する中で、様々な方言を学んだ。福岡県立明善高等学校を経て、千葉県立薬園台高等学校を卒業。1989年、奈良女子大学家政学部食物学科卒業、ライオン株式会社家庭科学研究所勤務。1994年、青年海外協力隊隊員としてフィリピンに赴任し、現地の人とモロヘイヤの普及を試みる。1997年、日本ケロッグ株式会社広報室長。2006年、女子栄養大学大学院栄養学研究科栄養学専攻博士後期課程修了、博士(栄養学)の学位を取得。
元村 有希子(もとむら ゆきこ、1966年7月12日 - )… 元村 有希子(もとむら ゆきこ、1966年7月12日 - )は、日本の科学ジャーナリスト。同志社大学生命医科学部特別客員教授、毎日新聞社客員編集委員、高エネルギー加速器研究機構理事。科学ジャーナリスト賞選考委員長。元毎日新聞科学環境部長、論説副委員長。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校(高37期)、九州大学教育学部卒業(心理学専攻)。 1989年、毎日新聞社入社。西部本社報道部、社会部、下関支局。2001年より東京本社科学環境部。2002年1月から連載企画「理系白書」取材班キャップを務める。2006年5月、「理系白書」の報道で第1回科学ジャーナリスト賞を受賞。2007年9月より1年間、インペリアル・カレッジ・ロンドンに留学。
阿比留 瑠比(あびる るい、1966年〈昭和41年〉3月4日… 阿比留 瑠比(あびる るい、1966年〈昭和41年〉3月4日 - )は、日本の政治部記者、ジャーナリスト。産経新聞社論説委員兼政治部編集委員。 福岡県太宰府市出身。福岡県立筑紫丘高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1990年4月産経新聞社に入社。仙台総局、文化部(生活班)、社会部を経て政治部へ異動。政治部では内閣記者会(首相官邸担当、キャップ)、外務省兼遊軍担当を務めたのちに再び首相官邸担当に異動。 改憲論者であり自衛隊の存在が憲法に明記されるべきであると、更に改憲は安倍晋三政権下でないと不可能であると主張していた。ジャーナリストの役割は権力監視ではない、是々非々で行うべきだと主張している。
柳原滋雄(やなぎはら しげお、1965年1月 - )は、フリ… 柳原滋雄(やなぎはら しげお、1965年1月 - )は、フリーランスジャーナリスト。元・社会新報記者。 福岡県久留米市生まれ。佐賀県の鳥栖で過ごす。 父親は日本社会党(のち社会民主党)員で、少年時代は、社会党の機関紙「社会新報」の配達をして、活動を手伝う事もあった。 1983年早稲田大学法学部入学のため上京。在学中の1985年に、創価学会へ入会。 1987年同大学卒業後、本人曰く「"マスコミ底辺"を転々」[要出典]。 自民党・社会党・新党さきがけの連立によって、社会党の委員長であった村山富市が首相にもなっていた1993年11月~1996年12月まで、「社会新報」の記者として勤務(但し、村山内閣の発足は1994年6月30日。
笹栗 実根(ささぐり みね、1964年 - )は、日本福岡県… 笹栗 実根(ささぐり みね、1964年 - )は、日本福岡県出身のジャーナリスト・日英翻訳者である。フジテレビジョン報道局記者を経て、ワシントンD.C.を拠点に活動している。 日本女子大学文学部教育学科卒業後の1988年、一般職採用でフジテレビへ入社。当時の愛称は「ちゃちゃ」。フジテレビでは、長年にわたって報道局の記者として活動。1997年4月から1年間、笠井信輔とのコンビで『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』のメインキャスターを務めた。 同番組の終了後に、記者としての活動へ再び専念。ワシントンDC特派員を務めていた2001年、現地の検事デービッド・ボーリングと結婚した。これを機に退社すると、一時はアーカンソー州に居住。
井上 久男(いのうえ ひさお、1964年 - )は、日本の経… 井上 久男(いのうえ ひさお、1964年 - )は、日本の経済ジャーナリスト。福岡県出身。経営論を専門。政策アドバイザー。 1964年、福岡県出身。福岡県立京都高等学校を経て、1988年九州大学文学部哲学科卒業。NEC入社。1991年同社退社。1992年朝日新聞社中途入社。経済部で自動車や電機産業等を担当。2004年に同社退職。2005年、大阪市立大学(社会人大学院)創造都市研究科(ベンチャー論)修士課程修了。2010年、同大学院都市経営研究科(都市ビジネスコース)博士課程単位取得退学。2016年4月、福岡県豊前市政策アドバイザーに就く。 主に企業経営や農業経営を取材し、講談社や文藝春秋社、東洋経済新報社などで執筆するほか、講演活動も行う。
鈴木 哲夫(すずき てつお、1958年7月18日 - )は、… 鈴木 哲夫(すずき てつお、1958年7月18日 - )は、日本のジャーナリスト(政治、防災、事件、社会)。 福岡県出身。福岡県立小倉高等学校、早稲田大学法学部卒業後、1983年テレビ西日本入社。報道部記者として警察、自治体を担当。北九州市政、雲仙・普賢岳噴火などを取材。その後、フジテレビに出向し報道局政治部へ。経世会担当、梶山静六、小渕恵三、橋本龍太郎等の番記者を務めた。 1995年、テレビ西日本から東京メトロポリタンテレビジョンに移籍。『東京NEWS』ニュースキャスター、ニュースデスク、東京ニュースセンター編集長、報道制作部長を歴任。2001年、東京メトロポリタンテレビジョンから株式会社衛星チャンネルに移籍し、報道制作本部チームリーダー、報道制作局報道部長を務めた。
井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月… 井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月4日 - )は、日本の放送ジャーナリスト、実業家。NHK副会長を経て、第25代NHK会長に就任(2026年(令和8年)1月25日付)。福岡県久留米市出身。 副会長在任中の2023年、前体制の「BS番組ネット配信問題」について、国会で承認された予算を含む計画に対し「違法性」に言及したことが報じられた。この発言は同年4月の臨時役員会でなされ、組織内のコンプライアンスに対する厳しい姿勢が示されたとされる。
鎌田 靖(かまだ やすし、1957年5月5日 - )は、日本… 鎌田 靖(かまだ やすし、1957年5月5日 - )は、日本のジャーナリスト。ホリプロ所属。 福岡県旧嘉穂町(現嘉麻市)の出身で、福岡県立嘉穂高等学校・早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後の1981年4月に、記者としてNHKに入局。入局後は社会部に配属された。 NHK神戸放送局に勤務していた1995年には、当時家族と共に住んでいた神戸市東灘区で阪神・淡路大震災に遭遇。その後の関連報道でデスク業務に当たったことも相まって、阪神・淡路大震災の取材をライフワークに定めた。家族は震災後も神戸市内に住んでいるため、鎌田自身はNHK放送センターへの異動を機に、東京での単身赴任生活に入った。 NHK放送センターで解説委員に転じてからは、池上彰の後任として、2005年4月から『週刊こどもニュース』の「お父さん」役に起用。
黒田 伸(くろだ しん、1957年(昭和32年)4月14日 … 黒田 伸(くろだ しん、1957年(昭和32年)4月14日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 北海道教育大学非常勤講師。北海道スポーツ推進審議会委員。北広島FMメイプル・パーソナリティ。合同会社きたひろボールパークラジオ代表。NPO法人日本海外スポーツ交流協会理事、メルボルンマラソン日本事務局次長。 1957年(昭和32年)4月14日、福岡県久留米市生まれ。父親は日本統治下の台湾・花蓮港生まれのため、出身地は主として鹿児島県姶良郡湧水町としている。母親は久留米市生まれ。二人兄妹の長男。 妹は放送作家の順子。千葉大学教育学部附属中学校-千葉県立船橋高等学校-早稲田大学社会科学部卒。
今里 頼子(いまさと よりこ、1950年6月6日 – 199… 今里 頼子(いまさと よりこ、1950年6月6日 – 1996年1月19日)は、日本の編集者、ジャーナリスト。 福岡県立福岡高等学校、西南学院大学卒業後、「キャンパス福岡」編集長などを経て、1989年(平成元年)に西日本リビング新聞社入社。福岡都市圏の生活情報紙「リビング福岡」(西日本リビング新聞社)の編集長を務めた。 九州大学教授と結婚後は福岡国際ミズの会会員ともなり、女性の地位向上を目指して広く活動した。
川崎 隆生(かわさき たかお、1950年6月2日 - 202… 川崎 隆生(かわさき たかお、1950年6月2日 - 2021年4月19日)は、日本のジャーナリスト。西日本新聞社元社長。 1950年、福岡県福岡市出身。1969年、福岡県立修猷館高等学校卒業。1974年早稲田大学第一文学部卒業、西日本新聞社入社。2003年同社経営企画委員長、2006年同社広告局長、2007年同社取締役広告局長[要出典]、2008年同社代表取締役社長。2014年同社グループ経営会議議長[要出典]、2016年、同社取締役会長。2019年6月同社相談役。 社外では日本新聞協会副会長(2017年6月~2019年6月)をはじめ、九州文化協会会長や西日本新聞民生事業団理事長を歴任した。
船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月… 船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月27日 - )は、消費者問題や環境問題を専門とするジャーナリスト、評論家。 化粧品や酒類の品質を問うシリーズ書でミリオンセラーを記録するほか、60冊以上の著書を持つ一方で、政治や医学の分野においては疑似科学・陰謀論者との批判もある。 福岡県田川郡添田町出身。福岡県立田川高等学校卒業、九州大学理学部中退、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。大学在学中より生協活動に携わる。 日本消費者連盟の編集者を経て、1986年に独立。 週刊誌『週刊金曜日』で1996年に連載が始まった『買ってはいけない』シリーズの共著者として知られている。同連載をまとめた書籍はベストセラーとなり、多くの類似書を生むなど社会現象となり、消費者意識を高めたと評価される一方、船瀬がマクドナルドの肉に食用ミミズが使われていると主張するなど、科学的妥当性には批判も多い(買ってはいけない#批判を参照)。
立石 泰則(たていし やすのり、1950年(昭和25年) -… 立石 泰則(たていし やすのり、1950年(昭和25年) - )は、日本のノンフィクション作家、フリージャーナリスト。 福岡県北九州市生まれ。北九州大学商学部経済学科卒業、中央大学大学院法学研究科修士課程修了。経済誌編集者を経て『週刊文春』記者となり、白石一文、鈴木洋嗣(のち文藝春秋取締役)と机を並べた。 しかし、立石は30歳で急性胆嚢炎で入院して以来、ほとんど毎年のように急性胃炎や急性膵炎で入退院を繰り返していた。そんな健康状態を心配した白石が、不規則な生活をどうしても強いられる週刊誌記者を辞めて、自分で健康管理のできるフリーランスの生活を勧め、1988年に独立。 企業経営者が主な取材対象で、松下幸之助が決断したコンピュータ事業からの撤退をひとつのメルクマークとしながら、松下経営の問題点を論じた『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』(文藝春秋)が処女作。
田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、… 田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会職員。 1943年5月16日、福岡市生まれ。修猷館高等学校、慶應義塾大学卒。1968年NHK入局、青森局赴任。その後、東京社会部、九州沖縄報道統括、列島リレーニュース編集長、宮内庁キャップ、科学文化部長、水戸放送局長。退職後、NHK放送研修所教官。いのちを語り継ぐ美術館館長。特定非営利活動法人インファクト アドバイザー。 社会部記者としてロッキード事件の取材に従事。真山仁のノンフィクション書籍『ロッキード』の取材に応じ、1976年2月、チャーチ委員会証言の第一報を受けた直後に東京地検特捜部を取材した様子を回想している。
鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年… 鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年〉3月13日 - )は、日本のジャーナリスト。辺野古基金共同代表。 鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の曾孫で、歌手の鳥越さやかは次女。 1940年、福岡県浮羽郡吉井町(現:うきは市)出身。父親は俊雄といい、その俊の一字をとって俊太郎という名前がついた。父親は大学を卒業して企業に入り、現場で様々ないじめにあい神経症を発症、俊太郎が生まれたときは九州大学の精神科の病棟に入院していた。 1946年、小学校へ入学し、戦後教育の第一期生となる。久留米大学附設高等学校を経て、1965年、京都大学文学部(国史学専攻)を学生運動にのめり込んだため、二年留年した後に卒業。
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )… 箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社元社長。公益財団法人日本対がん協会顧問、一般社団法人日本外交協会理事。福岡県福岡市東区出身。
鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 20… 鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 2025年8月15日)は、日本のジャーナリスト。元帝京平成大学教授。元日本ジャーナリスト専門学校校長。 福岡県大牟田市出身。早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞西部本社管轄の福岡総局、大分支局勤務を経て東京本社勤務となり、社会部副部長、編集委員、『サンデー毎日』編集長を歴任。『サンデー毎日』時代の1980年には、同誌編集部員の鳥越俊太郎と共に、社会問題となっていた「イエスの方舟」への密着取材を敢行。主宰者の千石剛賢に単独インタビューを行うなど、当時他マスコミから全く無視されていた「イエスの方舟」側の主張を取り上げ、事態の沈静化へ導いた。
大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 … 大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日)は、日本のジャーナリスト、コメンテーター。 福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校、一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。 退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年、東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。 2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 199… 北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 1994年2月27日)は、日本の編集者、ジャーナリスト、小説家。フクニチ新聞社社長。 福岡県添田町出身。 1938年福岡県中学修猷館を経て、1943年西南学院高等部英文科を卒業。 北京日本大使館調査課報道班に勤務。応召によって北支派遣軍第63師団から久留米師団に転属、同地で終戦を迎えた。 復員後、福岡市の図書出版惇信堂に入社し、南風書房を設立。1946年6月、真鍋呉夫らと文芸誌「午前」を創刊。創刊号に掲載された小説「逃亡」が火野葦平に賞賛され、第1回九州小説賞を受賞。編集者として檀一雄、三島由紀夫らの寄稿を得るなど手腕を発揮する一方、新鋭作家として注目され東京の文芸誌「群像」などに作品を発表した。
孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916… 孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916年10月6日 - 1990年2月19日)は、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第3代韓国国会議員。 本貫は密陽孫氏(朝鮮語版)。号は民斉(ミンジェ、朝鮮語: 민제/民齊)。 日本統治時代の全羅北道完州郡出身。久留米の明善中学校卒。1954年の第3代総選挙では自由党の候補として国会議員に当選し、裵恩希の一級参謀を務めたが、裵の失脚後は自由党を離党し民主党に移籍した。他には太白新聞主幹、三南日報社社長、大韓独立促成国民会全羅北道支部宣伝部長、独立闘争委員会全羅北道団団長、大韓青年団全羅北道団団長、国民会全羅北道支部委員長、自由党完州乙区党委員長・全羅北道党副委員長を歴任した。
入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15… 入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、エッセイスト。朝日新聞社論説委員、JNNニュースコープキャスター。 福岡県遠賀郡芦屋町出身。福岡県立東筑中学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社に入社。 長野支局を振り出しに社会部記者一筋に活躍。ノモンハン事件では従軍記者として死線をさまよい、事件を描いた『ホロンバイルの荒鷲』で記者としての才能を認められ、戦後の著書『泣虫記者』は話題になった。 社会部次長、週刊朝日副編集長などを経て、1961年(昭和36年)に編集委員、63年に論説委員となり、同年5月から70年4月まで朝日新聞の1面コラム「天声人語」を担当した。
笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - … 笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹をつとめた。
大西 斎(おおにし いつき(ひとし、さい)、1887年12月… 大西 斎(おおにし いつき(ひとし、さい)、1887年12月16日 - 1947年12月20日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞副主筆。 福岡市鳥飼の大西百之の子として、福岡県柳川に生まれる。母方の叔父には、京都帝国大学総長を務めた松井元興、鐘紡社長、日本合成化学工業社長、民生産業(現・UDトラックス(旧:日産ディーゼル))社長を務めた城戸季吉がいる。1908年、福岡県立中学修猷館を卒業。修猷館在学中には、玄洋社の柔道道場「明道館」で柔道を学んでいる。1911年、東亜同文書院を卒業し(第8期生)、同年大阪朝日新聞に入社する。同期入社には、修猷館の2年上級である緒方竹虎がいる。 1917年、上海特派員、1919年、北京特派員となり、1924年に帰国後、東京朝日新聞に転じる。
中野 正剛(なかの せいごう、1886年(明治19年)2月1… 中野 正剛(なかの せいごう、1886年(明治19年)2月12日 - 1943年(昭和18年)10月27日)は日本のジャーナリスト、政治家。東方会総裁、衆議院議員。号は耕堂。
菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 -… 菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 - 1937年7月21日)は、福岡県出身のジャーナリスト。五・一五事件に際し、福岡日日新聞の紙上で軍部批判・憲政擁護の論陣を張ったことで知られる。六鼓(六皷)は号で、本名は淳(すなお)。兄に政治家の菊竹博之がいる。 菊竹六鼓の論説は、昭和初期に軍が議会制民主主義をないがしろにした日本近代政治史の転換点において、一貫してメディアを通して戦う姿勢を見せたものであった。その代表は、大正期から護憲運動の擁護者で軍備縮小を進めた犬養首相を暗殺した五・一五事件についての論説であり、全国の大手新聞社が軒並み軍部支持の記事を掲げ、世論を軍国主義へ誘導し、あるいは軍国主義世論に迎合する中でのものであった。
高原 操(たかはら みさお、1875年12月16日 - 19… 高原 操(たかはら みさお、1875年12月16日 - 1946年11月21日)は、日本のジャーナリスト。大阪朝日新聞主筆兼取締役編集局長。大正デモクラシーの第一線言論人。
毛里 保太郎(もうり やすたろう、文久4年2月6日(1864… 毛里 保太郎(もうり やすたろう、文久4年2月6日(1864年3月13日) - 昭和13年(1938年)5月13日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 豊前国築城郡角田村(現在の福岡県豊前市)出身。15歳で京都に遊学した後、中江兆民の門で学んだ。1888年(明治21年)より京都日報の記者となり、1891年(明治24年)には静岡大勢新聞の主筆となった。翌年、門司新報社を起こして社長・主筆を務めた。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で4期務めた。また門司市会議員、同参事会員も務めた。 革新官僚の毛里英於菟は次男。
末松 謙澄(すえまつ けんちょう、1855年9月30日〈安政… 末松 謙澄(すえまつ けんちょう、1855年9月30日〈安政2年8月20日〉- 1920年〈大正9年〉10月5日)は、日本の明治から大正期のジャーナリスト・政治家・歴史家。正二位勲一等子爵。帝国学士院会員。幼名は千松(または線松)、号は青萍。 豊前国京都郡前田村(現在の福岡県行橋市前田)に大庄屋役末松房澄と伸子の4男として生まれる。1865年(慶応元年)より地元の碩学村上仏山の私塾水哉園にて漢学・国学を学んだ。1866年(慶応2年)の第二次長州征討(小倉戦争)時には、末松家は戦火で焼け出された。 1871年(明治4年)に上京、佐々木高行宅の書生となり、佐々木の娘・静衛がグイド・フルベッキの娘に英語を教わっていた縁で、フルベッキ家に居候していた高橋是清と親交を結んだ。
上杉 隆 は、日本のジャーナリスト、実業家、政治活動家、作家… 上杉 隆 は、日本のジャーナリスト、実業家、政治活動家、作家、僧侶。 株式会社NOBORDER社主。NOBORDER NEWS TOKYO解説委員。
川口 雅代(かわぐち まさよ、6月7日 - )は、米国ニュー… 川口 雅代(かわぐち まさよ、6月7日 - )は、米国ニューヨーク市在住のフリージャーナリスト、レポーター、女優、シンガーソングライター、歌手、タレント、DJ、声優。福岡県福岡市出身。東京育ち。
大村 朋子(おおむら ともこ)は、フリーTVジャーナリスト・… 大村 朋子(おおむら ともこ)は、フリーTVジャーナリスト・バイリンガル(日英)司会者。NHKワールド 英語ラジオAsian View ニュースデスク(2021年〜 契約)。NHK文化センター英語講師 (2018年〜)。 福岡県北九州市出身。12才からマレーシア・クアラルンプール日本人学校小学部に通い、卒業。イラン・テヘラン日本人学校中学部卒業。現地のアメリカ系インターに通っていた高3の冬、イスラム革命(1979年2月)のため、パリに逃げたのち、帰国している。ASIJアメリカンスクールインジャパン(高校)卒業。上智大学外国語学部卒業。NHK昭和59年入局記者同期会幹事兼事務局。NHK旧友会会員。