品川 忠道(しながわ ただみち、天保11年12月19日〈18… 品川 忠道(しながわ ただみち、天保11年12月19日〈1841年1月11日〉 - 1891年〈明治24年〉2月18日)は、江戸時代のオランダ語通訳、幕臣。明治時代の官僚。通称・英輔。 肥前国長崎で品川権左衛門の子として生まれる。兄の品川九十九は大村藩の御用商人で、義理の兄弟に石鹸工場創業の吉村又作(現在のマリンフード創業者)、甥に平野富二がいる。同族のオランダ通詞の品川徳三郎の養子となる。オランダ語をはじめ英語も習得していたため、ペリーの浦賀来港により幕臣に抜擢され、横浜で通弁となる。安政6年(1859年)に幕府が各国と通商条約を締結する際通弁を務めた。また通弁のかたわら横浜で洋学教授を行った。
何 礼之(何 禮之、が のりゆき/れいし、天保11年7月13… 何 礼之(何 禮之、が のりゆき/れいし、天保11年7月13日(1840年8月10日) - 大正12年(1923年)3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した日本の翻訳家、幕臣、官僚、裁判官、教育者、唐通事。通称は礼之助。姓は「か」ではなく「が」と読む。 英語稽古所学頭を務めたほか、長崎で創設した塾は、塾生が300名を越え、維新後に活躍する多くの英才を輩出したが、その実績は幕末蘭学における緒方洪庵の適塾、伊東玄朴の象先堂、佐倉の順天堂と対比すべく、同じ英学においては福澤諭吉の慶應義塾に匹敵するものであった。開成所(現・東京大学)教授も務め、大阪洋学校(現・京都大学)の創設者でもある。
松田 源五郎(まつだ げんごろう、1840年5月9日(天保1… 松田 源五郎(まつだ げんごろう、1840年5月9日(天保11年4月8日)- 1901年(明治34年)3月1日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、長崎市会議長。 肥前国彼杵郡、のちの長崎県長崎区(現長崎市)酒屋町の鶴野家で生まれ、貿易業の叔父・松田勝五郎の養子となる。私塾で学び、家業を継承した。 1872年(明治5年)永見伝三郎と共同で金融業・永見松田商会(立誠会社に改称)を設立し、のちに十八銀行に発展させ頭取に就任。その他、小野組長崎支店支配人、東京築地活版製造所取締役、長崎商法会議所会頭、九州鉄道取締役、長崎電灯(のち長崎電気瓦斯)取締役、長崎製氷取締役、九州倉庫取締役、香港ローラ麦粉取締役、長崎貯蓄銀行頭取、石川島造船所(現IHI)監査役、東洋浚渫社長などを務めた。
籠手田 安定(こてだ やすさだ、1840年4月23日(天保1… 籠手田 安定(こてだ やすさだ、1840年4月23日(天保11年3月21日) - 1899年(明治32年)3月30日)は、平戸藩士、剣術家、政治家。旧名は桑田源之丞。 滋賀県知事、元老院議官、島根県知事、新潟県知事、貴族院議員を歴任した。心形刀流と一刀正伝無刀流の免許皆伝の腕前を持ち、山岡鉄舟から一刀流正統の証の朱引太刀を授けられた。 平戸藩家臣桑田安親の長男として肥前国松浦郡平戸村(現・長崎県平戸市)に生まれる。先祖に戦国武将の籠手田安昌、籠手田安経、籠手田安一がいる。 平戸藩(松浦静山)伝の心形刀流剣術を学び、免許皆伝を得る。幕末には藩探索方に任じられ京都で情報収集を行う。その傍ら直心影流戸田一心斎(栄之助)の道場に通い、師範代高山峰三郎と面識を持つ。
奥山 虎炳(おくやま とらあきら、天保11年(1840年)1… 奥山 虎炳(おくやま とらあきら、天保11年(1840年)1月8日 – 大正15年(1926年)10月13日)は、幕末から明治期にかけて活動した医師・海軍軍医。幕府の歩兵屯所附医師を経て、維新後に海軍医官として要職を歴任し、のち開業医として活動した。幼名は瓊太郎、のち省吾。幕末期には玄省(げんせい)を名乗り、明治初年に虎炳と改めた。 天保11年(1840年)1月8日、出羽国上山藩医・奥山玄仲(1809-1905)の長男として長崎に生まれる。父玄仲に従って江戸に出て、林復斎・安積艮斎・安井息軒らについて儒学を学び、語学面では当初父から、のち堀達之助から蘭語を学んだ。文久3年(1863年)9月、歩兵屯所附医師となり西丸下屯所に詰め、慶応元年(1865年)5月には歩兵屯所附御抱医師・富士見御宝蔵番格、慶応3年(1867年)5月には歩兵屯所附医師取締介に進んだ。
楠本 章三郎(くすもと しょうざぶろう、1839年(天保10… 楠本 章三郎(くすもと しょうざぶろう、1839年(天保10年) - 1906年(明治39年)12月30日)は、日本の剣術家(神道無念流)。楠本正隆実弟。 楠本章三郎は大村藩士である父楠本直右衛門と母フジの次男として天保10年(1839年)に生まれ。、実兄の正隆と共に文武の業を修めた。藩命で江戸に遊学。剣術は神道無念流練兵館に14歳で入門する。 練兵館では、若年であった章三郎はたいへん可愛がられた。齋藤篤信齋館長をはじめ、齋藤新太郎、章三郎より6歳年上の齋藤歓之助、そしてすでに塾長であった同郷の荘勇雄から大いに錬られていく。章三郎は、篤信齋館長から稲妻(突技)、軽強の霞返による変化躰数多種を伝授。
長與 專齋(新字体:長与 専斎、ながよ せんさい、天保9年8… 長與 專齋(新字体:長与 専斎、ながよ せんさい、天保9年8月28日〈1838年10月16日〉 - 明治35年〈1902年〉9月8日)は、日本の官僚、医師。本姓は藤原氏、号は松香、諱は秉継。 肥前国大村藩(現在の長崎県大村市)に代々仕える漢方医・長与中庵の子として生まれる。 大村藩の藩校である五教館(長崎県立大村高等学校の前身)で学んだ後、安政元年(1854年)、大坂にて緒方洪庵の適塾に入門し、やがて塾頭となる(福澤諭吉の後任)。のち大村藩の侍医となった。 文久元年(1861年)、長崎に赴き、医学伝習所にて、オランダ人医師ポンペのもとで西洋医学を修める。その後、ポンペの後任マンスフェルトに師事し、医学教育近代化の必要性を諭される。
上野 彦馬(うえの ひこま、1838年10月15日〈天保9年… 上野 彦馬(うえの ひこま、1838年10月15日〈天保9年8月27日〉 - 1904年〈明治37年〉5月22日)は、幕末期から明治時代にかけて活動した日本の写真家(写真師)。日本における最初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知られる。号は季渓。家紋は桔梗の二引。 天保9年(1838年)、長崎銀屋町で蘭学者・上野俊之丞(1790 - 1851)の次男として生まれる。広瀬淡窓の私塾、咸宜園で2年間学び、咸宜園を離れた後の安政5年(1858年)にはオランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトを教官とする医学伝習所の中に新設された舎密試験所に入り、舎密学(化学)を学んだ。
渡辺 昇(わたなべ のぼり 、天保9年4月8日〈1838年5… 渡辺 昇(わたなべ のぼり 、天保9年4月8日〈1838年5月1日〉 - 大正2年〈1913年〉11月10日)は、日本の官僚・政治家、また剣術家。元は諱を武常と名乗った。号は東民、其鳳。位階勲等は正三位勲一等。兄とともにほぼ同時期に華族に列したが、兄が男爵どまりであったのに対し子爵に叙された。剣道の称号は範士。 肥前国大村に生まれる。江戸の神道無念流剣術道場・練兵館に入門し、桂小五郎の後を受けて塾頭を務める。尊王攘夷、倒幕運動の志士として活動し、坂本龍馬の依頼で薩長同盟を周旋した。明治政府では、大阪府知事、元老院議官、会計検査院長、貴族院議員を歴任した。また、大日本武徳会商議員を務め近代剣道の発展に尽力し、最初の剣道範士号を授与された。
楠本 正隆(くすもと まさたか、1838年4月14日〈天保9… 楠本 正隆(くすもと まさたか、1838年4月14日〈天保9年3月20日〉- 1902年〈明治35年〉2月7日)は、肥前大村藩の武士、明治期の政治家。男爵。大久保利通の腹心として知られた。 肥前大村藩士・楠本直右衛門正式(60石)の長男として玖島城下の岩船に生まれる。藩校・五教館の監察、頭取を務めた。中老として尊攘倒幕運動で活躍し、渡辺昇ら「大村藩勤王三十七士」の一人として知られる。 1868年(明治元年)、徴士として新政府に出仕。長崎府判事兼九州鎮撫使参謀助役をつとめ、1870年(明治3年)8月)に外務権大丞、1872年(明治5年)5月に外務大丞を経て、同年5月24日に新潟県令として就任する。
西 成度(にし なりのり / なりたき / しげのり、183… 西 成度(にし なりのり / なりたき / しげのり、1835年7月17日(天保6年6月22日)- 1891年(明治24年)4月5日)は、幕末の阿蘭陀通詞・幕臣・静岡藩士、明治期の司法官。大審院長、東京控訴院長。通称・吉十郎、幼名・松十郎。 肥前国長崎平戸町(現長崎市江戸町)で西家第11代・阿蘭陀通詞の西吉兵衛成量、登美夫妻の長男として生まれる。天保10年8月7日(1839年9月14日)数え5歳で稽古通詞を申し付けられる。以後、小通詞末席、小通詞並、小通詞助、小通詞と昇進。嘉永3年9月(1850年10月)幕府より阿蘭陀通詞に英和辞典編纂の命が下され、『エゲレス語辞書和解』(未完)の編纂者の一人となる。
太田 資政(おおた すけまさ、1835年5月15日(天保6年… 太田 資政(おおた すけまさ、1835年5月15日(天保6年4月18日) - 1895年(明治28年)4月11日)は、幕末の通訳(長崎の唐通事)、外交官、武士(幕臣)。明治時代の官僚。通称は源三郎、諱は資政、号は耕煙。 肥前国(現在の長崎県)長崎で、代々唐通事の太田家に生まれる。その祖は徳川氏で、南洋各国を周遊していたが、長崎に落ち着いたという。いつからか太田氏を名乗る。幼少にして中国語を学び、通詞となる。安政6年(1859年)の横浜開港時に横浜に派遣され、30俵格の御家人となり通訳に従事した。万延元年(1860年)、新設された神奈川奉行所の役人として、唐通詞ほか2名、オランダ通詞6名とともに支配翻訳方となる。
渡辺 清(わたなべ きよし、天保6年3月15日(1835年4… 渡辺 清(わたなべ きよし、天保6年3月15日(1835年4月12日) - 明治37年(1904年)12月30日)は、日本の官僚、政治家。元は諱を武勝、通称を清左衛門と名乗った。号は東山。 福岡県令、元老院議官、貴族院議員、福島県知事を歴任した。また華族に列し、男爵に叙された。 肥前国大村に大村藩士・渡辺巌の長男として生まれる。早くから尊王倒幕を提唱。慶応3年には藩内の佐幕派の粛清を藩主に進めるなど弟の渡辺昇とともに明治維新の志士として活動した。 鳥羽・伏見の戦いの直前、大津から京都に侵攻する旧幕府軍を阻止するために大村藩兵50名を率いて大津に入るが、他藩は出兵を躊躇したために孤立してしまう。しかし、渡辺ら大村藩兵を大軍と誤認した旧幕府軍が大津への進撃を断念したため、京都を挟み撃ちにする旧幕府軍の戦略は挫折し、その事を知った新政府から大村藩は戦後に厚遇を受けることになった。
稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、183… 稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、1834年3月1日(天保5年1月21日)- 1910年(明治43年)3月3日)は、幕末の大村藩家老、明治期の政治家・銀行家。衆議院議員、長崎区長。諱・凞孚。通称・才八郎、東馬、又左衛門。 肥前国彼杵郡大村(現長崎県大村市)で、大村藩士の家に生まれ、19歳で同藩士・稲田中衛の養子となる。藩校五教館で学んだ。1854年(安政元年)中小姓に任じられた。以後、諸稽頭取、近習番頭、御用人、長崎御用懸、家老兼烈山隊参謀、吾往隊大隊長、大村藩権大参事などを歴任。藩主大村純熈を補佐した。 廃藩置県後、西彼杵郡大串村に転居した。第二中学大区取締、第十一大区区長、兼第十三大区区長を歴任。
十九 貞衛(つづ さだえ、1830年(文政13年)1月4日 … 十九 貞衛(つづ さだえ、1830年(文政13年)1月4日 - 1892年12月2日)は、江戸時代幕末から明治時代の武士、軍人、勤皇家。 肥前国大村藩士の稲垣主計の三男として大村に生まれる。通称は巳之助。諱は勝見。幼くして同藩の十九采記俊彬の養子となる。尊王を唱え、大村藩三十七士の1人として数えられ、藩の用人となり勤皇に導いた。戊辰戦争では東北に従軍し、参謀から大隊長となり、賞典禄八石を賜る。1871年、藩の歩兵中隊長に任じられ、熊本鎮台の副官となった。翌年官を退いた。東京に移り、小石川区小日向武島町の自宅で死去。享年63歳。1912年、従五位を追贈された。墓所は池上本門寺。
大浦 慶(おおうら けい、文政11年6月19日〈1828年7… 大浦 慶(おおうら けい、文政11年6月19日〈1828年7月30日〉 - 1884年〈明治17年〉4月13日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての女性商人。日本茶輸出貿易の先駆者。楠本イネ・道永栄(肥後天草出身)と並ぶ長崎三女傑のひとり。 文政11年(1828年)に長崎油屋町で油商・大浦太平次と佐恵の娘として生まれる。 大浦家は、賀古市郎右衛門の次男・大五郎(1818年 - 1837年)が婿養子として大浦家に入るが、慶が9歳のときに死去。大五郎の死後、大浦家の財政は傾き、それに追い打ちをかけるように、天保14年10月24日(1843年12月15日)の夜に出来鍛冶屋町より出火し、今籠町・今鍛冶屋町・油屋町・今石灰町・新石灰町・高野平郷など家屋526戸が焼ける大火が発生し、大浦家は大損害を受けた。
常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉… 常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉 - 1869年10月2日〈明治2年8月27日〉)は、現在の長崎県南島原市(旧・肥前国高来郡)出身の大相撲力士。本名、身長、体重は不明。最高位は西関脇。常盤山部屋及び玉垣部屋に所属した。鷲ヶ濱音右エ門の岳父に当たる。 1851年4月から1852年閏2月までは八戸藩、1852年11月以降は島原藩のお抱えだった。岳父が自殺して嫌疑を受けたので脱藩したが、途中で参勤行列と出合い、運良く同郷の者が居たので一行に加えてくれるように頼み、怪力を買われて駕籠担ぎとして加わった。江戸に出てからは仲間として働いていたが怪力を見出され、勧誘されて入門した。
本木 昌造(もとき しょうぞう/もとぎ しょうぞう、文政7年… 本木 昌造(もとき しょうぞう/もとぎ しょうぞう、文政7年6月9日〈1824年7月5日〉 - 1875年〈明治8年〉9月3日)は江戸幕府のオランダ(蘭)通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。諱は永久(ながひさ)、幼名作之助または元吉。異表記に昌三、笑三(あるいは号とも〈曲田(1894)〉)、咲三。 通詞の家系へ養子に入り、幕府の通詞をする傍ら、西洋への興味から操船、造船、製鉄、活字製造などに関わった。明治維新後、職をなくした武士への授産施設として私塾を開き、そこの一事業であった活字製造は、のちに独立して「新街活版所」となり、門下生らによって東京築地活版製造所などへとつながった。
高木 仙右衛門(たかぎ せんえもん、文政7年2月12日(18… 高木 仙右衛門(たかぎ せんえもん、文政7年2月12日(1824年3月12日) - 明治32年(1899年)4月13日)は江戸時代末期から明治時代における浦上キリシタンの中心人物。 肥前国西彼杵郡浦上山里村本原郷辻(現・長崎県長崎市辻町)に生まれた。慶応元年(1865年)の大浦における信徒発見後、自分の家を秘密聖堂(聖ヨゼフ堂)とし、浦上の伝道士を務めた。 慶応3年(1867年)の浦上四番崩れにおいて、信徒82人とともに捕縛され、投獄。拷問の末、仙右衛門を除き全員が転ぶことを誓った。浦上の庄屋の家に留め置かれた後、桜町の六番牢に入れられ、さらに小島の牢屋に移された。そして浦上や外海等に住む数千人の信徒が配流された際に、仙右衛門も津和野へ流された。
中山 愛子(なかやま あいこ、文化14年11月23日(181… 中山 愛子(なかやま あいこ、文化14年11月23日(1817年12月30日) - 明治39年(1906年)1月27日)は、江戸時代末期から明治時代の女性。明治天皇の外祖母。 肥前国平戸藩主松浦清の11女として平戸に生まれる。母は側室の森氏。初名は千代姫、後に愛姫と改める。姉・季子の夫である園基茂の養女として中山忠能に嫁し、3男2女(忠愛・忠光・公董・栄子・慶子)を産んだ。 娘・慶子が孝明天皇に仕え、やがて愛子の孫にあたる皇子・祐宮睦仁親王(のちの明治天皇)を産むと4歳時までその養育を任された。のちに、曾孫・明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)の養育にもあたっており、天皇2代の養育に関わったことになる。
玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) … 玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) - 1824年8月28日(文政7年8月5日))は、肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)出身の元大相撲力士。本名は田中 喜作(たなか きさく)(旧姓:岡田)。 最高位は西大関。 1784年(天明4年)に肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)で生まれる。当初は大坂相撲に加入していたが、後に江戸相撲・玉垣部屋へ移籍している。初土俵から間もない幕下二段目の時に徳島藩が抱え力士としようとするが、「阿波の稲は 島原の梁(よい米)に如かず」として拒否、これに感激した島原藩主・松平忠憑から1813年に徒士として召し抱えられた。 柏戸利助の良き好敵手で、当時の川柳には「(玉)垣と(柏)戸を 西と東の関に据え」「玉垣も 柏(戸)も地から 生えたよう」とあるように、東西の大関に玉垣と柏戸が並び、両者とも重い腰で熱戦を繰り広げ、なかなか土俵を割らない様子が歌われている。
コルネリア・ファン・ネイエンローデ(Cornelia van… コルネリア・ファン・ネイエンローデ(Cornelia van Nijenroode、1629年 - 1691年)は、バタヴィア(ジャカルタ)の実業家。 オランダ人と日本人の子供として平戸に生まれ、江戸時代の鎖国政策によってオランダ植民地のバタヴィアへ追放された。バタヴィアでは東インド会社で働く男性と結婚し、投資などの事業をおこなった。しかし再婚した相手が彼女の資産を求めたために争いとなり、バタヴィア社会やオランダ本土も巻き込んだ訴訟となった。彼女の生活や訴訟を通して、17世紀当時の植民地における混血女性の生活や、バタヴィアの社交界、日本との関係、夫婦財産契約の不平等をうかがえる記録となっている。
長崎のマグダレナ(ながさきのマグダレナ、1610年 - 16… 長崎のマグダレナ(ながさきのマグダレナ、1610年 - 1634年10月15日)は、江戸時代初期のキリシタン。ドミニコ会第三会の修道女であり、1987年に「聖トマス西と15殉教者」の一人として、大村のマリナと共に日本人女性として初めてカトリック教会の聖人に列せられた。 1610年(慶長15年)、マグダレナは長崎近郊の村にて誕生。両親は敬虔なキリシタン(カトリック信者)であり、後に殉教したといわれている。知られているのは生年、生誕地、洗礼名のみで、日本名は知られていない。はじめ聖アウグスチノ修道会の司祭の指導を受けたが、後にドミニコ会の司祭ジョルダーノ・アンサローネの指導を受けるようになる。彼女はその身を神にささげる決心をして第三会に入り、1632年(寛永9年)ごろ誓願を果たしたが、修練が終わらないうちに、アンサローネ神父は逮捕された。
金鍔次兵衛(きんつば じひょうえ、慶長5年(1600年) -… 金鍔次兵衛(きんつば じひょうえ、慶長5年(1600年) - 寛永14年9月20日(1637年11月6日))は17世紀日本の聖アウグスチノ修道会司祭、カトリック教会の福者ペトロ岐部と187殉教者の1人。 金鍔次兵衛は肥前大村のキリシタンの両親の下に生まれ、父はレオ小右衛門、母はクララおきやといい、後に殉教者となる。洗礼名は「トマス」で姓名ははっきりしない。なお、「金鍔」という名は彼が長崎奉行所で役人に成りすましていた際にさしていた刀の金具である金鍔(きんつば)に由来する。6歳のころ、司祭を志し、有馬のセミナリヨ(キリシタン時代の神学校)で神学を学んだが徳川幕府による禁教令により、マカオに追放され引き継き勉学に励んだ。
トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 -… トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 - 1634年11月17日(寛永11年9月17日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリスト教(カトリック)の司祭。1987年に「聖トマス西と15殉教者」の一人としてカトリック教会の聖人に列せられた。 1590年(天正18年)、ガスパル西の次男として肥前国松浦郡生月島(現在の長崎県平戸市)で誕生。母はウルスラ・トイ。両親は敬虔なキリシタンであり、自身もカトリックの幼児洗礼を受けた。幼少のころ有馬(現在の長崎県南島原市)のセミナリオで勉学に励み、同宿(教会や修道院で奉仕する人)になり、1620年にマニラに渡る。1624年、ドミニコ会に入り「ロザリオのトマス」の修道名を授かる。
中浦 ジュリアン(なかうら ジュリアン、Nakaura Ju… 中浦 ジュリアン(なかうら ジュリアン、Nakaura Julian, Nacaura Julian, Nacaura Juliaô, 中浦寿理安、 1568年2月8日ころ〈永禄11年正月〉 - 1633年10月21日〈寛永10年9月19日〉)は、肥前国彼杵郡中浦(現・長崎県西海市西海町中浦)の城主・小佐々兵部少輔甚五郎純吉(小佐々純吉、こざさ すみよし)の一人息子で、中浦は地名、ジュリアンは洗礼名で、幼名は小佐々甚吾(こざさ じんご)。安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタンで、天正遣欧少年使節の副使。イエズス会士でカトリック教会の司祭となり、殉教して福者となった。 中浦ジュリアンの出自については、宣教師の報告書などを所蔵するイエズス会ローマ文書館や天正遣欧少年使節が公式訪問したイタリア・スペイン各地の文書館に資料が残されている。
セバスチャン木村(セバスチャンきむら、1566年(永禄9年)… セバスチャン木村(セバスチャンきむら、1566年(永禄9年)ごろ - 1622年9月10日(元和8年8月5日))はカトリック教会の日本人最初の司祭、また日本人最初の殉教司祭である。イエズス会士。元和の大殉教のときに長崎・西坂で殉教した55人の中の一人であり、教皇ピウス9世により1867年7月7日に列福された。記念日は9月10日。 1566年(永禄9年)ごろ、平戸のキリシタン一家に生まれる。祖父は、フランシスコ・ザビエルが1550年秋、鹿児島からミヤコに向かう途中の平戸で宿泊した屋敷の主人で、同地でのザビエルからの最初の受洗者であった。1580年(天正8年)に開設された有馬のセミナリオに最初の生徒20人の一人として入学した。
高瀬 美子(たかせ よしこ、旧姓・森、12月12日 - )は… 高瀬 美子(たかせ よしこ、旧姓・森、12月12日 - )は、元栃木放送(CRT)のアナウンサー。長崎県諫早市出身で日本大学芸術学部放送学科卒業。「チャラ」の愛称で幅広い年齢層のリスナーに親しまれている。栃木放送退社後もフリーアナウンサーとして同局で活動しており、平日の生ワイド番組や若者向けの老舗アニラジ番組のパーソナリティーを担当しているほか、栃木放送の関連会社が制作するとちぎテレビ向けの番組・CMのナレーションもしている。 また、宇都宮アート&スポーツ専門学校および宇都宮ビジネス電子専門学校(UBDC)にて非常勤講師として指導も行っている。 「チャラのOH!マイ・アニメ」などの担当番組内で自称・24歳を公言しており、実年齢に触れてはいけないことがCRT内での暗黙の了解となっている。
小林 遥子(こばやし ようこ、5月22日 - )は、日本の女… 小林 遥子(こばやし ようこ、5月22日 - )は、日本の女性声優。長崎県長崎市出身。血液型はA型。文学座付属演劇研究所卒業。 以前は三木プロダクション、アクロス エンタテインメントに所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
マイケル・ティー・ヤマグチ(4月2日 - )は、日本、アメリ… マイケル・ティー・ヤマグチ(4月2日 - )は、日本、アメリカのお化け屋敷プロデューサー。ハロウィンプロデューサーやゾンビやホラーアクターを手掛ける。長崎県長崎市出身。 「ホラーで社会貢献」を使命に、恐怖をマインドフルネスや地域活性へと昇華させる株式会社ゾウンテッド CEO 遊園地やテーマパークのみならず、街中のあらゆる空間を「集客装置」に変えてきたパイオニア。30年以上のキャリアで、映画・舞台・アトラクション・ゲームなど国内外で手がけた実績は累計666件を超える。 自ら特殊メイクを駆使し、『渋谷怪談』『リアル鬼ごっこ』等の邦画のみならず、『バイオハザード』『ウォーキング・デッド』『死霊館』『呪怨』など、名だたるハリウッド作品のプレミア演出やレッドカーペット出演を歴任。
大山 和栄(おおやま かずえ、生年不詳2月16日 - 201… 大山 和栄(おおやま かずえ、生年不詳2月16日 - 2010年4月)は、日本の女性漫画家。長崎県平戸市出身。血液型はO型。 1973年、小学館の少女向け漫画雑誌『週刊少女コミック』にて「おむこさん志願」でデビュー。以降同誌や、同社の一般女性向けの漫画雑誌『プチセブン』などを中心に多数の連載作品を執筆していた。また講談社、秋田書店などの少女向け漫画誌でも主に短編作品を発表していた。 2002年、乳がんに罹患していることが分かり、摘出手術を受けた。以降、乳がんの撲滅運動であるピンクリボン運動にもかかわっていた。また、その闘病体験を生かした作品である『未来暦』やエッセイ作品『明日への伝言』、『乳がんと闘う!!ピンクのリボン』なども発行された。
川谷 絵音 は、日本のボーカリスト、ギタリスト、キーボーディ… 川谷 絵音 は、日本のボーカリスト、ギタリスト、キーボーディスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。長崎県出身。「indigo la End」「ゲスの極み乙女」「ジェニーハイ」「ichikoro」「礼賛」のバンド5グループを掛け持ちしながら、ソロプロジェクト「独特な人」「美的計画」、休日課長率いるバンドDADARAYのプロデュース、アーティストへの楽曲提供やドラマの劇伴などのプロジェクトを行っている。
五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(… 五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(こうふう)。栃木県宇都宮市在住。なお五島高資というのは本名ではなく俳人名。
中村 知大(なかむら ともひろ)は、日本の空道家。長崎県出身… 中村 知大(なかむら ともひろ)は、日本の空道家。長崎県出身。高校時代まで長崎県にて柔道をしていた。大学時代の2009年、第三回空道世界大会準優勝。その後、大学卒業後の2014年、第四回空道世界大会にて世界王者に輝いた。
津田 匠子 は、日本の声優、舞台女優。長崎県出身。本名:北沢… 津田 匠子 は、日本の声優、舞台女優。長崎県出身。本名:北沢 利佳。賢プロダクション所属。スクールデュオ基礎クラス講師でアテレコ実習を担当。
宝亀 克寿 は、日本の俳優、声優。長崎県佐世保市出身。青二プ… 宝亀 克寿 は、日本の俳優、声優。長崎県佐世保市出身。青二プロダクション所属。
山田 勝彦 は、日本の政治家。
カステラ一番(カステラ いちばん)は、フリーのものまねタレン… カステラ一番(カステラ いちばん)は、フリーのものまねタレント。以前は、本名の木原 恵一(きはら けいいち)という名前で活動していた。タレント業の傍ら、ショーや若手のプロデュースも手がけている。 この項目は、本人がラジオ・テレビ・ライブ等で発した言葉をそのまま表記しており、本人のネタである可能性を残している。
カミタミカ は、日本の女性歌手。長崎県平戸市出身。長崎県立猶… カミタミカ は、日本の女性歌手。長崎県平戸市出身。長崎県立猶興館高等学校卒業後、福岡市の音楽専門学校・C&S音楽学院に学ぶ。日本テレビのオーディション番組「歌スタ!!」を通じてデビューを果たした。所属レコード会社はポニーキャニオン。
伊藤 望 は、日本の元女子バレーボール選手である。
川副 華笑 は、日本の女子バレーボール選手。
小幡 真子 は、日本の元女子バレーボール選手。
田中 瑞稀 は、日本の女子バレーボール選手。
中島 未来 は、日本の女子バレーボール選手。
野村 明日香 は、日本の元女子バレーボール選手。
岩永 洋昭 は、日本の俳優、男性モデル、声優、歌手。長崎県東… 岩永 洋昭 は、日本の俳優、男性モデル、声優、歌手。長崎県東彼杵郡波佐見町出身。G-STAR.PRO所属。
カステラ一番( - いちばん)は、フリーのものまねタレント。… カステラ一番( - いちばん)は、フリーのものまねタレント。以前は、本名の木原 恵一という名前で活動していた。タレント業の傍ら、ショーや若手のプロデュースも手がけている。
大村のマリナ(おおむらのマリナ、生年不明 - 1634年10… 大村のマリナ(おおむらのマリナ、生年不明 - 1634年10月15日)は、江戸時代前期のドミニコ会第3会修道女。カトリック教会の聖人。1987年に「聖トマス西と15殉教者」の一人として、長崎のマグダレナと共に日本人女性として初めてカトリック教会の聖人に列せられた。 肥前国大村(現 長崎県大村市)にて誕生したといわれ、洗礼名がマリナである以外は不明である。宣教師の記録によれば、勇敢な女性であったといわれる。ドミニコ会第3会の修道女として誓願を立て、迫害を受けた信者を励まし宣教師たちを助けた。マリナは長崎奉行に捕らえられ裸にされ市中引き回しにされたが、彼女はそれに恐れることなく耐え抜き、1634年10月15日長崎西坂の丘で火刑に処され殉教した。
川口 春奈 は、日本の女優、ファッションモデル、YouTub… 川口 春奈 は、日本の女優、ファッションモデル、YouTuber。愛称は、ハルル、はーちゃん。長崎県五島市(旧・福江市)出身。研音所属。
榊 英雄 は、日本の俳優、映画監督。