緒方 憲吾(おがた けんご、1947年2月16日 - )は、… 緒方 憲吾(おがた けんご、1947年2月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元・毎日放送アナウンサー。 熊本県熊本市出身。同志社大学卒業後の1969年に、アナウンサーとして毎日放送に入社。同期入社のアナウンサーに、蜂谷薫がいた。 毎日放送への入社後は、スポーツアナウンサーとして活動するかたわら、『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)や『ヤングおー!おー!』『あどりぶランド』『真珠の小箱』(MBSテレビ)などの番組に出演。1992年5月にラジオ局編成部へ異動した後は、資料室担当部長兼広報部部長を経て、2007年2月に定年で退職した。 日本拳法6段で、2008年からは吹田市日本拳法連盟目俵道場代表・日本拳法会開発部長・全国連盟兵庫県代表理事・兵庫県体育協会競技力向上委員をそれぞれ歴任。
蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年〈昭和22年〉1月2… 蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年〈昭和22年〉1月28日 - )は、日本の政治家、政治学者。勲等は旭日大綬章。熊本県知事(公選第17・18・19・20代)、東京大学名誉教授、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)運営委員。専門は政治過程論、計量政治学。 熊本県鹿本郡稲田村(現・山鹿市鹿本町)生まれ。熊本県立鹿本高等学校卒業。高校時代は「220人中200位」の劣等生だったが、政治家、小説家、牧場主のいずれかになることを夢見ていた。高校卒業後、自動車販売会社に勤めたが3週間で辞め、地元・稲田村の農業協同組合(のちのJA鹿本)に就職した。1968年からアメリカ合衆国で農業研修に従事し、1971年にネブラスカ大学農学部に入学して畜産学を修めた(専攻は豚の精子の研究)。
今村 葦子(いまむら あしこ、1947年1月20日 - )は… 今村 葦子(いまむら あしこ、1947年1月20日 - )は、日本の児童文学作家、翻訳家。 熊本県球磨村生まれ。武蔵野美術短期大学卒。 1986年『ふたつの家のちえ子』で野間児童文芸推奨作品賞受賞、作家デビュー。同作で坪田譲治文学賞受賞、芸術選奨新人賞、1988年同作と『良夫とかな子』『あほうどり』で路傍の石幼少年文学賞、1991年『かがりちゃん』で野間児童文芸賞、『ぶな森のキッキ』で絵本にっぽん大賞、1993年『まつぼっくり公園のふるいブランコ』でひろすけ童話賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
何川 一幸(なにかわ かずゆき、1947年〈昭和22年〉1月… 何川 一幸(なにかわ かずゆき、1947年〈昭和22年〉1月13日 - 2025年〈令和7年〉10月21日)は、日本の政治家。元熊本県上天草市長(1期)。 熊本県出身。九州学院高等学校卒。大矢野町(現・上天草市)長を3期務める。2004年〈平成16年〉大矢野町は合併で上天草市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選する。上天草市長は1期務め、2007年〈平成19年〉の熊本県議会議員選挙に無所属で立候補したが、落選した。2014年〈平成26年〉の市長選挙に再び立候補したが、落選した。2025年〈令和7年〉10月21日死去。78歳没。
松永 榮治(まつなが えいじ、1947年 - )は、日本の検… 松永 榮治(まつなが えいじ、1947年 - )は、日本の検察官、弁護士、オンブズマン。法務省法務総合研究所長や、広島高等検察庁検事長、名古屋高等検察庁検事長を歴任した。 熊本県菊池郡旭志村(現菊池市旭志)出身。熊本県立菊池高等学校を経て、九州大学法学部卒業。1969年旧司法試験合格。1972年東京地方検察庁検事。東京地方検察庁特別捜査部副部長や、東京地方検察庁特別公判部長を務め、リクルート事件などに関与した。1998年名古屋地方検察庁次席検事。1999年富山地方検察庁検事正。千葉地方検察庁検事正、横浜地方検察庁検事正を経て、2006年法務省法務総合研究所長。2008年広島高等検察庁検事長。2009年名古屋高等検察庁検事長、2010年に定年退官後、熊本県弁護士会弁護士登録。
緒方 克也(おがた かつや、1947年 - )は、日本の歯科… 緒方 克也(おがた かつや、1947年 - )は、日本の歯科医師・歯学者・開業医。日本障害者歯科学会理事長。熊本県熊本市生まれ。 1971年神奈川歯科大学卒業。同大学助手を経て1979年に開業。2012年より日本障害者歯科学会理事長。
原 聰(原 聡、はら さとし、1947年(昭和22年) - … 原 聰(原 聡、はら さとし、1947年(昭和22年) - )は、日本の外交官。ブルネイ駐箚特命全権大使、ポルトガル駐箚特命全権大使、関西担当特命全権大使を歴任した。 熊本県大津町出身。熊本県立熊本高等学校を経て、京都大学法学部を卒業。1970年(昭和45年)外務省に入省。イギリスに留学し、オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジを修了。外務省本省では中国課首席事務官、安全保障政策室室長、西欧第二課課長などを歴任。在外公館では、マレーシア、英国、クウェート、カナダ、南アフリカ共和国の各日本大使館に勤務。
宇都宮 健児(うつのみや けんじ、1946年〈昭和21年〉1… 宇都宮 健児(うつのみや けんじ、1946年〈昭和21年〉12月1日 - )は、日本の弁護士、公益活動家、政治活動家。多重債務問題、消費者金融問題の専門家。 日本弁護士連合会会長(2010年 - 2011年度)、日弁連消費者問題対策委員会委員長、東京弁護士会副会長などを歴任。 現在は週刊金曜日編集委員、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長。TPP阻止国民会議副代表世話人、のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)共同代表。 愛媛県東宇和郡高山村(現:西予市明浜町)田之浜に傷痍軍人の長男として生まれる。
阿曽田 清(あそだ きよし、1946年10月20日 - )は… 阿曽田 清(あそだ きよし、1946年10月20日 - )は日本の政治家。元参議院議員、元熊本県宇城市長。
藤井 博行(ふじい ひろゆき、1946年9月11日 - )は… 藤井 博行(ふじい ひろゆき、1946年9月11日 - )は、日本の実業家。日立金属株式会社代表取締役会長兼社長や、一般社団法人日本鉄鋼連盟理事を務めた。 熊本県菊池市出身。1969年熊本大学工学部機械工学科卒業。1972年熊本大学大学院工学研究科修士課程修了、日立金属入社。1994年日立金属熊谷工場生産技術部長。2001年日立金属鳥取工場長。2007年日立金属事業役員常務情報部品カンパニープレジデント。2008年日立金属執行役常務技術センター長。2009年日立金属執行役専務技術センター長。2010年から日立金属代表執行役執行役社長を務め、グローバル化のために日立電線との合併にあたった。日本鉄鋼連盟理事も務めた。
河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 201… 河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日)は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。 宮柊二に師事。瑞々しい言葉で心情をのびやかに表現した。晩年は乳がんに苦しみ、生と死に対峙する歌を詠んだ。歌集に『ひるがほ』(1976年)、『桜森』(1981年)、『母系』(2008年)などがある。 熊本県上益城郡御船町に生まれ、滋賀県石部町(現湖南市)に育つ。京都女子高等学校を経て京都女子大学文学部国文科卒業。高校時代より作歌を始め、大学4回生(23歳)のときに角川短歌賞受賞。宮柊二に師事。みずみずしい青春の恋愛歌を収め、新鮮な言葉で女性の心をのびやかにうたった第1歌集『森のやうに獣のやうに』でデビュー。
葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、日… 葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、日本の絵本作家、画家、詩人。本名、葉山祥明。 熊本県熊本市出身。九州学院高等学校、立教大学経済学部、セツ・モードセミナー卒業後、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに留学、油絵を学ぶ。 多くの絵本の作者として知られ、2014年の時点で、絵本・詩集など書籍の出版数は300点に上る。 福建省福清県にルーツを持つ華僑2世で中華料理店「紅蘭亭」の創業者である葉菊華の子。7人兄弟の6番目、三男として育つ。長兄の葉山祥泰(しょうたい)は「紅蘭亭」グループ前代表、SWISS洋菓子店創業者。次兄の葉祥栄は建築家、実弟の葉山祥鼎(しょうてい)は童話作家・エッセイスト・写真家で"葉祥明 阿蘇高原絵本美術館"の館長。
三浦 真一郎(みうら しんいちろう、1946年7月4日 - … 三浦 真一郎(みうら しんいちろう、1946年7月4日 - 2000年11月20日)は、元日本プロ野球セントラル・リーグ審判。 熊本県宇城市(旧・宇土郡不知火町)出身。 日本大学鶴ヶ丘高等学校から日本大学在学中、神宮外苑の草野球場で審判をしていたところをパシフィック・リーグ審判の道仏訓にスカウトされ、1969年セ・リーグ審判部に入局。 1972年に一軍昇格を果たし、1983年の日本シリーズではベテラン審判ぞろいの中にあって当時としては異例の抜擢で日本シリーズ第4戦で球審もつとめた。 1985年8月、一身上の都合により突然引退(そのため袖番号をつけられないという事態になった)。通算試合出場数は17年(一軍実働14年)で1500を超える。
瀬口 和義(せぐち かずよし、1946年7月4日 - )は、… 瀬口 和義(せぐち かずよし、1946年7月4日 - )は、日本の理学者(専門は染色化学、有機光科学)。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校を経て、1974年3月、京都大学大学院理学研究科化学専攻博士課程満期退学。 理学博士(京都大学)。専門は有機化学。 1975年4月から武庫川女子大学講師、1992年4月、武庫川女子大学教授。生活環境学部生活環境学科長、生活環境学部長を経て2015年4月、武庫川女子大学副学長。 2018 年 4 月から学長を務めている。
池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2… 池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2005年5月17日)は、熊本県荒尾市出身のプロ野球選手(外野手)。1971年から1976年までは、池田 祥浩(いけだ よしひろ)という登録名を用いていた。 中学3年次の1961年までは右打者であったが、右肩を脱臼したことをきっかけに左打者へ転向した。 卒業後は1962年に八代東高校へ進学し、投手兼右翼手の4番打者として活躍。2年次の1963年の秋季九州大会では、同級生の沢村周二とのダブルエースで準々決勝にまで進んだが、打線が中津東の秋元肇に抑えられた末に敗退。3年次の1964年には夏の甲子園中九州大会決勝で佐伯鶴城の山中正竹に投げ勝ち、本大会では開幕試合で掛川西と対戦。
田端 謙二郎(たばた けんじろう、1946年5月8日 - )… 田端 謙二郎(たばた けんじろう、1946年5月8日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
春日 豊彦(かすが とよひこ、1946年(昭和21年)1月1… 春日 豊彦(かすが とよひこ、1946年(昭和21年)1月11日 - 2020年(令和2年)4月)は、日本の実業家。 御木本美隆と養子縁組をしていた間の姓は御木本(みきもと)で、ミキモトの社長、一般社団法人日本真珠振興会会長などを歴任した。 1946年(昭和21年)に生まれた。熊本県立熊本高等学校を経て、1968年(昭和43年)上智大学外国語学部英語学科卒業。学生時代には、カナダの証券会社でのインターンや、日本一周ヒッチハイク、世界一周バックパックの旅等を経験。大学卒業後は、商社に勤務。また、私生活においては、ミキモト社長本間利章の娘である本間香と結婚することになった。なお、香はミキモト創業者である御木本幸吉の曾孫であり、香の伯父はミキモト創業家当主の御木本美隆である。
大浜 啓吉(おおはま けいきち、1946年 - )は、日本の… 大浜 啓吉(おおはま けいきち、1946年 - )は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(学位論文「アメリカにおけるルールメイキングの研究」)。早稲田大学政治経済学術院教授を経て、早稲田大学名誉教授。高柳信一門下。 熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、早稲田大学第一法学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程修了(政治学修士)。その後、高柳信一東京大学名誉教授の知己を得て専修大学大学院に学び、「アメリカにおけるルールメイキングの研究」で法学博士の学位を取得。主査:高柳信一(東京大学名誉教授)、副査:小林直樹(東京大学名誉教授)、副査:石村善助(東京都立大学名誉教授)。 法学博士号取得後、専修大学専任講師、助教授を歴任し、1992年に早稲田大学政治経済学術院教授に就任。
小川 和久(おがわ かずひさ、昭和20年(1945年)12月… 小川 和久(おがわ かずひさ、昭和20年(1945年)12月16日 - )は、日本の軍事アナリスト。特定非営利活動法人国際変動研究所理事長。静岡県立大学グローバル地域センター特任教授。
上野 健爾(うえの けんじ、1945年12月11日 - )は… 上野 健爾(うえの けんじ、1945年12月11日 - )は、日本の数学者。専門は複素多様体論。京都大学名誉教授。四日市大学関孝和数学研究所長、法政大学大学院工学研究科教授。日本数学協会会長。学力低下問題を中心に数学教育の問題にも言及している。[要出典] 1945年熊本県生まれ。1964年熊本県立熊本高等学校、1968年東京大学理学部数学科卒業。[要出典] 1978年にヘルシンキで開催された国際数学者会議で招待講演を行った。 現在は洛北高等学校附属中学校などで講義を行なっている。
水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、本名:林田 民子、1945… 水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、本名:林田 民子、1945年10月9日 - )は、日本の女性演歌歌手、女優。
中島 葵(なかじま あおい、1945年〈昭和20年〉9月20… 中島 葵(なかじま あおい、1945年〈昭和20年〉9月20日 - 1991年〈平成3年〉5月16日)は、日本の女優。本名同じ。 俳優で文学座所属の森雅之(有島行光)と、元宝塚歌劇団娘役で1941年に宝塚歌劇団を退団後に文学座に転じた梅香ふみ子(1911年 - 2013年)との間に出生。官僚・実業家の有島武と陸軍大将・男爵の神尾光臣が曾祖父、小説家の有島武郎が祖父、画家の有島生馬と小説家の里見弴が大伯父に当たる。 森と梅香が不倫関係(森が既婚者)だった上、葵の出生と前後して2人の関係は終わったため、母一人子一人(森からは16歳の時まで認知されなかった)で育った。 母方の曾祖父は熊本出身で大阪で活躍した有名な米相場師で、1896年に熊本市二本木遊郭に西日本最大級の妓楼である東雲楼を開業した中島茂七である。
高嵜 哲哉(たかさき てつや、1945年(昭和20年)8月2… 高嵜 哲哉(たかさき てつや、1945年(昭和20年)8月24日 - )は、日本の政治家。熊本県玉名市長(新制、2期)、玉名市長(旧制、2期)、玉名市議会議員(4期)、熊本県市長会長などを歴任した。 現在の熊本県玉名市出身。1964年(昭和39年)3月、熊本県立玉名高等学校卒業。1970年(昭和45年)4月、玉名市青年団協議会会長に就任。1978年(昭和53年)、エンパイアソーイング社長に就任。1985年(昭和60年)1月、玉名青年会議所理事長に就任。 1986年(昭和61年)8月、玉名市議会議員選挙に初当選。以後市議を計4期務める。 1999年(平成11年)10月から旧制の玉名市長を2期務めた。
沖津武晴(おきつ たけはる、1945年8月5日 - )は日本… 沖津武晴(おきつ たけはる、1945年8月5日 - )は日本の大蔵官僚。 熊本県熊本市出身(父母も熊本県)。熊本県立熊本高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。1968年 大蔵省入省(国際金融局国際機構課)。入省同期に林正和(日本取引所グループ取締役取締役会議長、日本取引所自主規制法人理事長、財務事務次官、主計局長、大臣官房長、経済企画庁長官官房長)、溝口善兵衛(島根県知事、財務官、国際局長、大臣官房長、大臣官房総務審議官、主計局次長(次席))、尾原栄夫(国税庁長官、主税局長)、田谷廣明(東京税関長)、堀田隆夫(JT副社長、造幣局長、証券取引等監視委員会事務局長、国税庁次長)、村田吉隆(衆議院議員、国家公安委員長兼防災担当大臣、大蔵総括政務次官)らがいる。
岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は… 岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は、熊本県熊本市出身の元陸上競技選手・現指導者。専門は現役時・指導者ともに長距離走である。鎮西高等学校、亜細亜大学出身。 大学3年時には主将を務め、第43回箱根駅伝で母校を初出場に導く。同大会では9区を走り区間9位。チームは総合11位でシード権を逃した。4年時の第44回大会では3区を走り区間10位。チームは総合8位で初のシード権を獲得した。 1968年に地元食品メーカーのフンドーダイに就職。営業として社業に従事しながら陸上競技を継続。九州一周駅伝に10年連続出場し、33歳で現役を引退。 1986年から地元のスーパーマーケットチェーン・ニコニコドーに出向し女子陸上部を創設、監督に就任する。
岡本 武(おかもと たけし、1945年7月17日 - 198… 岡本 武(おかもと たけし、1945年7月17日 - 1988年?)は、よど号グループのメンバー。北朝鮮発表によると、1988年に死亡したとされている。テルアビブ空港乱射事件を起こした岡本公三は弟。 熊本県出身。父親は小学校校長。熊本県立熊本高等学校卒業。京都大学農学部中退。1968年に東大安田講堂事件に参加。1970年に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。平壌郊外の日本人村で他のよど号犯とともに暮らす。 1976年に結婚。当初、結婚相手は現地の朝鮮人女性と発表されていたが、後に高知県出身の福留貴美子であることが確認された。よど号メンバーの妻のほとんどが北朝鮮の思想に共感を持っていたことが考えられる中、福留のみ親北朝鮮思想が確認されておらず、一部には北朝鮮に拉致されたとする見方もある。
脇坂 隆志(わきさか たかし、1945年6月30日 - )は… 脇坂 隆志(わきさか たかし、1945年6月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。
金重 凱之(かねしげ よしゆき、1945年〈昭和20年〉4月… 金重 凱之(かねしげ よしゆき、1945年〈昭和20年〉4月5日 - )は、日本の経営コンサルタント、警察官僚。元警察庁警備局長。日本における危機管理の第一人者。 1945年4月5日、熊本県山鹿市生まれ。1964年3月福岡県立小倉高等学校卒業。1969年3月京都大学法学部卒業。1975年6月ジョンズ・ホプキンズ大学SAIS修了、国際関係学修士。 1969年4月、警察庁に入庁。入庁同期に漆間巌、林則清、中田好昭(関東管区警察局長)黒澤正和など。京都府警察本部、大阪府警察本部の課長を経て、警視庁に勤務。教育訓練、警備関連の課長職を経て、1988年3月より警視庁第一方面本部長。その後、人事・監察・制度調査関連の課長・参事官、警備部長、静岡県警察本部長を経て、1997年4月より警察庁長官官房総務審議官(現:総括審議官)。
松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月… 松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月25日 - 2007年〈平成19年〉5月28日)は、日本の農水官僚、政治家。農林水産大臣(第41代)、衆議院議員(6期、自由民主党)を歴任。 戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目(日本国憲法下では初)の現職閣僚として自殺により死去した人物である。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)に貧困にあった農家の長男として誕生した。 父は日中戦争(支那事変)中、満州(現在の中国東北部)で日本軍の憲兵を務めていた。日本に帰国してからは定職を持たず林業ブローカーのような仕事で糊口を凌ぎ、時には飲酒で泥酔して妻(松岡の母親)に手を上げることもあったという(家庭内暴力)。
細谷 英二(ほそや えいじ、1945年〈昭和20年〉2月24… 細谷 英二(ほそや えいじ、1945年〈昭和20年〉2月24日 - 2012年〈平成24年〉11月4日)は日本の実業家。りそなホールディングス会長、りそな銀行会長。東日本旅客鉄道(JR東日本)副社長、総合研究開発機構理事、経済同友会幹事などを歴任した。熊本県熊本市出身。正四位旭日重光章。 1945年(昭和20年)2月、熊本市で生まれる。東京大学法学部を卒業後、1968年、日本国有鉄道に入社する。経理局に勤務していたとき大蔵省への予算説明などを担当したことがあり自ら予算を作ったこともあった。そして井手正敬・松田昌士・葛西敬之ら国鉄改革三人組をサポートし、国鉄分割民営化という結論に達した。1985年3月に天王寺鉄道管理局への左遷も経験する が、同年7月に経営計画室計画主幹、1987年1月にJR東日本設立準備室次長を経て、1987年4月のJR東日本発足時には総合企画本部投資計画部長となる。
岡田 尚(おかだ ひさし、1945年1月24日 - )は、日… 岡田 尚(おかだ ひさし、1945年1月24日 - )は、日本の弁護士。 1945年、両親の疎開先である忠清南道天安郡成歓面にて、ともに教員だった両親のもとに生まれる。その後10か月で釜山から博多に引き揚げ、両親の故郷である熊本県玉名郡滑石村で育つ。熊本県立玉名高等学校在学中に法曹界を意識するようになり、1965年に早稲田大学法学部に進学し1969年に卒業。1971年には司法試験に合格した。 1974年に神奈川県横浜市で弁護士登録。1981年3月に理化電機工業が組合と争った事件では、自由法曹団横浜支部から弁護団に加わり、組合員5名の職場復帰に貢献した。また、横浜弁護士会の副会長、日刑連刑事弁護センター事務局長や神奈川労働弁護団会長、「9条神奈川の会」事務局長なども歴任した。
嶋津 忠裕(しまづ ただひろ、1945年 - )は、日本の実… 嶋津 忠裕(しまづ ただひろ、1945年 - )は、日本の実業家。えちごトキめき鉄道元代表取締役社長。 熊本県人吉市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。藤田観光で椿山荘企画室長を経て、2001年、同社執行役員椿山荘・太閤園事業部副事業部長。2002年、執行役員椿山荘総支配人。2003年、肥薩おれんじ鉄道代表取締役社長、2009年退任。新潟県交通政策局参与(並行在来線担当)を経て2011年よりえちごトキめき鉄道代表取締役社長、2019年退任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
中村 光良(なかむら みつや、1944年7月31日 - )は… 中村 光良(なかむら みつや、1944年7月31日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)・プロ野球指導者。
梅澤 喜夫(うめざわ よしお、1944年6月5日 - )は、… 梅澤 喜夫(うめざわ よしお、1944年6月5日 - )は、日本の化学者。東京大学名誉教授、武蔵野大学客員教授。理学博士。 専門は分析化学、電気化学。主に、生きた細胞内における情報伝達の分子過程を可視化計測する技術の開発・研究を行っている。
林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日… 林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。 熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年11月に死去しており、次々点の宮島大典は一旦当選人として告示を受けたが、既に1998年2月の衆議院長崎4区補欠選挙で当選しており、規定期間内に同職を辞職せず当選権利が喪失となったことから、さらなる次順位の林田が当選人の告示を受け、同年7月6日付で繰上当選となった。
岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 20… 岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 2011年1月27日)は、日本の柔道家。七段。身長182 cm、体重105 kg(全盛期)。熊本県出身。晩年、雑誌などでは岩釣 兼旺を名乗ることが多かった。 熊本県立鹿本高等学校時代、木村政彦にスカウトされ拓殖大学に入学。当時の木村の指導方法は、気が向いたら真夜中だろうと部員を叩き起こすというもので、1日のうち24時間が練習時間と言っても過言ではないくらい厳しいものであったとされる。 岩釣は師匠ゆずりの独特の大外刈や腕緘(キムラロック)を身につけて、1965年の大学4年時、キャプテンとして部を率い、全日本学生柔道優勝大会決勝でそれまで4連覇していた明治大学を破って拓殖大学を戦後団体戦初優勝に導く。
大野 勝彦(おおの かつひこ、1944年2月3日 - )は、… 大野 勝彦(おおの かつひこ、1944年2月3日 - )は、日本の詩人・画家。熊本県菊池郡菊陽町出身。 1989年、不慮の事故により両手を切断、それより詩人・画家となる。 普段の大野は、朝から絵画をスタートするときに両腕に義手をつけ、義手で絵画を行う。 絵画の内容は、地蔵、阿蘇山の自然、動植物など。 大野が主宰する「やまびこ塾」でははがきに絵を書く「はがき絵」の教室を行っている。 ※大野勝彦美術館は平成28年熊本地震で壊滅的な被害を受けるも、翌29年4月14日に復興し再オープンしている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
但馬 久美(たじま くみ、本名:林 久美子 <はやし … 但馬 久美(たじま くみ、本名:林 久美子 <はやし くみこ>、1944年1月12日 - )は 日本のタレントで宝塚歌劇団卒業生(元花組・星組・専科男役)、元参議院議員。
太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年… 太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の宗教家、政治活動家、日韓古代史研究家。全国大学連合原理研究会(J-CARP)の初代会長を務めた。国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界日報社取締役などを歴任。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「777双」の一人。 東京都に生まれる。直後に熊本県に疎開。熊本県立熊本高等学校卒業。1963年、京都大学工学部原子核工学科に入学。在学中は片山泰久教授に師事した。当初は日本共産党系の日本民主青年同盟(民青)で活動し、のちに反共主義に転向した。 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教理「統一原理」を研究する団体である全国大学連合原理研究会(J-CARP)が発足。
原 正文(はら まさふみ、1943年12月21日 - )は日… 原 正文(はら まさふみ、1943年12月21日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 新日本製鐵などに所属し、日本代表としても1970年のアジア競技大会など、国際Aマッチ5試合に出場した。 高校時代はFWを務めており、その経験を生かした果敢なオーバーラップを得意としていた。
白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 … 白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 - )は、熊本県八代郡鏡町(※現役当時、現・同県八代市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は白田 秀敏(しらた ひでとし)。現役時代の体格は187cm、105kg。最高位は東前頭4枚目(1971年5月場所)。得意手は左四つ、出し投げ、外掛け。 現役引退後は、年寄・谷川として後進の指導に努め、停年(定年)まで日本相撲協会に在籍した。 地元・鏡町の中学校を卒業後、進学した八代第一高校(現・秀岳館高校)を僅か3ヵ月で中退して上京し、高砂部屋に入門。1959年7月場所に於いて、15歳で初土俵を踏んだ。新弟子時代は17貫(約64㎏)の小さい体であり、2場所前に初土俵を踏んだ朝嵐に目をかけられて精進した。
宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - … 宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - )は、日本の政治家、教諭。元熊本県水俣市長(2期)。 熊本県熊本市出身。東洋大学文学部卒業。1967年(昭和42年)、中学校教諭として水俣市に赴任。小中学校の教諭、小中学校長を経て、2001年(平成13年)4月、市教育委員会教育長に就任した。 2003年(平成15年)、東亜道路工業の子会社のIWD東亜熊本が、市内山間部(同市長崎、同市湯出)に産業廃棄物処理施設建設を計画。同年5月11日に地元説明会を開催すると、これを契機として2004年(平成16年)6月、産廃反対の市民団体「水俣の命と水を守る市民の会」(以下、水の会)が発足。水の会は約2万人分の署名を集めて,反対運動を展開した。
米澤 和彦(よねざわ かずひこ、1943年12月3日 - )… 米澤 和彦(よねざわ かずひこ、1943年12月3日 - )は日本の文学博士。熊本県立大学名誉教授。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て九州大学大学院修了。 1976年4月に九州大学助手となる。その後、熊本商科大学講師を経て、1981年から熊本女子大学の助教授となる。1989年には教授に昇任した。 1991年には九州大学から文学博士号を授与されている。 1994年に熊本県立大学教授。また、総合管理学部長も兼務。2006年4月に熊本県立大学の学長となり、2010年まで務めた。 その他の公職として、熊本県教育委員会委員長なども歴任した。 熊本県立大学を退官後、名誉教授となった。
田中 昭洋(たなか あきひろ、1943年12月2日 - )は… 田中 昭洋(たなか あきひろ、1943年12月2日 - )は、日本の経営者。ウシオ電機社長を務めた。熊本県熊本市出身。 1966年に熊本商科大学商学部を卒業し、1968年2月にウシオ電機に入社。1989年6月に取締役に就任し、1990年3月に常務、1994年6月に専務を経て、1995年4月には社長に就任。2005年3月から2009年4月までに副会長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
与田 順欣(よだ よりのぶ、1943年10月3日 - )は、… 与田 順欣(よだ よりのぶ、1943年10月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
田村 浩章(たむら ひろあき、1943年〈昭和18年〉8月2… 田村 浩章(たむら ひろあき、1943年〈昭和18年〉8月24日 - )は、日本の経営者。やまぐち産業振興財団理事長、元宇部興産(現・UBE)取締役会長。 1943年(昭和18年)8月24日、東京都の目黒海軍病院で軍医の息子として産まれる。1歳より母方の故郷である熊本県八代市で育つ。熊本県立熊本高等学校、京都大学工学部機械工学科を経て、1966年(昭和41年)に宇部興産(現・UBE)へ入社。なお、同期の入社には、辻卓史(鴻池運輸会長)、前田高行(中東経済研究者)などがいる。1997年(平成9年)に同社取締役建設資材事業本部セメント生産統括部長に就任し、以降、同社常務取締役、同社専務執行役員建設資材カンパニープレジデント、同社取締役(専務待遇)、専務執行役員社長補佐を歴任する。
岩本 憲児(いわもと けんじ、1943年7月25日- )は、… 岩本 憲児(いわもと けんじ、1943年7月25日- )は、日本の映画史研究者、早稲田大学名誉教授。専攻は映画史、映像論。 熊本県八代市生まれ。飯島正に師事。1971年早稲田大学大学院博士課程満期退学、文学部助手、1977年専任講師、1980年助教授、1985年教授、2002-2006年に日本映像学会会長、2006年退職、2008年日本大学芸術学部教授。2014年退職。
渡辺 一徳(わたなべ かずのり、1943年7月5日 - 20… 渡辺 一徳(わたなべ かずのり、1943年7月5日 - 2022年1月24日)は、日本の地質学者。 専門は自然災害科学で、主に阿蘇山の研究を手がけた。 熊本県和水町出身。熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学教育学部卒業。農業高校の理科教諭をへて1972年に母校の熊本大学教育学部の講師、助教授、教授を歴任した。定年退官の際には名誉教授となっている。 その後は、阿蘇火山博物館の学術顧問を死去まで務めていた。
中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月… 中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月22日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、旧八代市長(1期)、熊本県議会議員(4期)、八代市議会議員(2期)を歴任した。
門垣 逸夫(かどがき いつお、1943年3月27日 - )は… 門垣 逸夫(かどがき いつお、1943年3月27日 - )は、熊本朝日放送株式会社(KAB)特別顧問。元社長、元取締役会長、元新聞記者。熊本県出身。熊本高校、九州大学法学部出身。 熊本市中央区坪井町生まれ、1967年朝日新聞社入社(同期は元鎌倉市市長の竹内謙)。新聞記者として秋田、佐賀、久留米、小倉、福岡支局を転々とした後、東京本社政治部、編集局次長、文化企画局、経営戦略室、役員を経て2004年6月熊本朝日放送代表取締役社長に就任。2009年より取締役会長に就任。