山田 和宏(やまだ かずひろ、1978年 - )は、日本の画… 山田 和宏(やまだ かずひろ、1978年 - )は、日本の画家。サロン・ドートンヌ会員。大分県蒲江町(現佐伯市)出身。1903年に設立されたフランスの美術展覧会サロン・ドートンヌ展での発表をはじめ、欧州・ニューヨークで作品を発表。 2019年に6大陸世界73カ国4300点超えの作品を対象に開催された、アメリカ合衆国ARC財団(en:Art Renewal Center)が主催する写実絵画世界公募展『14th International ARC Salon Competition』において、日本人初のChairman's Choice Award(ARC財団会長賞)を受賞。 2025年に米国ARC財団が参加するグローバル文化遺産プロジェクト「Lunar Codex」に選出される。
池永 康晟(いけなが やすなり、 (1965-10-03) … 池永 康晟(いけなが やすなり、 (1965-10-03) 1965年10月3日(60歳) - )は、日本画家。大分県津久見市生まれ。 自身が染め上げた麻布に岩絵具で描く美人画が特徴。竹久夢二以来の天才美人画家、現代美人画の祖、と称される。 1984年、大分県立芸術短大付属緑丘高校(現、大分県立芸術緑丘高等学校)美術科を卒業する。高校卒業後、上京して独学で日本画を描き始める。2012年、〈うつふせて泣いたるきみは未だ夏果の微匂ひ・樹子(なつこ)〉で第8回菅楯彦大賞展佳作賞一席・百花堂賞受賞。 作品の発表は2005年からと遅かったが「自分の色を見つけるために、十数年色見本を作り続けたため」と説明している。
矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024… 矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024年7月14日)は、日本の児童文学作家、画家、漫画家、作詞家。日本児童出版美術家連盟(童美連)・日本文藝家協会会員。 大分県別府市に生まれる。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、商業デザイナーとしてサラリーマン生活の後、漫画家として独立する。週刊少年マガジンなどにナンセンス漫画を発表する。 しかしその後は児童文学に転向し、その第一歩として『おしいれの中のみこたん』を出版。1980年(昭和55年)には『はれときどきぶた』(岩崎書店刊)を発表。たちまち大ヒットとなった上、テレビアニメ化されたり各国語に翻訳されたりとさまざまな反響を呼び、現代を代表する児童文学の代表作ともなった。
佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 … 佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 - )は、大分県大分市出身の日本の洋画家。本名佐藤哲也。 1944年(昭和19年)1月27日、大分県大分市に生まれる。 1966年(昭和41年)、大分大学学芸学部美術科卒業。翌1967年(昭和42年)、江藤哲に師事。 1975年(昭和50年)日展初入選、同年東光展会友賞。1982年(昭和57年)「紫陽花の頃」が第14回日展特選を受賞、東光展会員賞。1991年(平成3年)ジャパンフェスティバル・イン・ベルリン展金賞。 2009年(平成21年)「ひととき」が第41回日展文部科学大臣賞受賞。2013年(平成25年)、「夏の終りに」が日本芸術院賞受賞。
中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2… 中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2024年9月24日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。日展元理事長 (現在は顧問)。白日会会長。福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。 9歳で大分県に疎開。1950年に15歳で県展に入選。 中津西高校(現・大分県立中津南高等学校)卒業後上京して伊藤清永に入門。アルバイトのかたわら三輪孝主宰の阿佐ヶ谷洋画研究所に学ぶ。1965年の結婚以来は、良江夫人をモデルにした美人画を描き続けた。結婚を機に1966年に市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居。1970年に市川市国府台に画室を新築して転居。
工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家… 工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家、洋画家。大分県大分市出身。漁師など海、働く人物をテーマに描く作品が多い。
岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11… 岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11月25日 - 2009年 <平成21年> 11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。旭日重光章。 大分県日田市出身。京都府京都市に在住していた。大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。
寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2… 寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2015年4月3日)は、大分県大分市出身の版画家。昭和36年棟方志功らの日本版画会創立に参加し、一貫して屋根瓦を題材とした作品を発表した。 以下、公式ウェブサイトによる。 大分県大分市三ケ田町の呉服店の次男として生まれる。大分県立大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)に進学するが、4年生だった1943年の2学期より大日本帝国海軍航空隊に志願入隊する。5ヶ所の航空隊勤務を経て特攻訓練中に入院した。終戦後の1945年9月に復員する。11月に大分経済専門学校(現:大分大学経済学部)1年に編入する。 1948年に大分経専を卒業後は家業の呉服商、銀行員、会社員、不動産業を経験する。
秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 201… 秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 2014年9月15日)は、日本の版画家。大分県竹田市出身。 1953年に太平洋美術学校卒業後、棟方志功、布施悌次郎、坂本繁二郎に師事。 その後、独学で民俗学・仏教学・俳詩・陶芸・彫刻・水墨画を学び、1966年より、駐日アメリカ合衆国大使館主催によるCWAJ現代版画展に招待され、作品を出品している。 フクロウをはじめとする動物や民話、種田山頭火の俳句などを題材とした木版画や肉筆画作品を多数発表した。日本美術家連盟会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月2… 高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月26日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本画家。文化勲章受章者。脚本家の高山由紀子は長女。
糸園 和三郎(いとぞの わさぶろう、1911年8月4日 - … 糸園 和三郎(いとぞの わさぶろう、1911年8月4日 - 2001年6月15日)は、昭和から平成にかけて活躍した日本の洋画家。シンガーソングライターの具島直子は孫。 呉服商の三男として、大分県中津市に生まれる。少年時代に骨髄炎を患うが、1927年、画家を志し上京し、川端画学校、前田写実研究所に学ぶ。その後前田寛治写実研究所に転じ、1930年、春陽会展に初入選。 1931年より独立展に出品。この頃からシュルレアリスムの影響を強く受け始め、1939年に福沢一郎、北脇昇、麻生三郎、寺田政明らとともに、美術文化協会の結成に参加。1943年には麻生、寺田、松本竣介、靉光、鶴岡政男、井上長三郎、大野五郎とともに、新人画会を結成。
伊藤 彦造(いとう ひこぞう、1904年(明治37年)2月1… 伊藤 彦造(いとう ひこぞう、1904年(明治37年)2月17日 - 2004年(平成16年)9月9日)は、日本の画家、イラストレーター。大正から昭和にかけて活動、主に挿絵を描き細密なペン画で一世を風靡した。享年100歳。 大分県大分市出身。剣豪、伊藤一刀斉の末裔に生まれ、自らも剣の師範であった。朝日新聞東京本社で勤務中に同社の専属挿絵画家右田年英からイラストを学び、英明と号して改めて画家を目指した。その後、結核を患い帰省、日本画家の橋本関雪に師事する。 1925年(大正14年)に、『大阪朝日新聞』掲載の番匠谷英一作『黎明』の挿絵でデビュー、同年の行友李風の小説『修羅八荒』の挿絵で好評を得た。若くして時代ものの挿絵画家として第一人者となった。
江藤 純平(えとう じゅんぺい、1898年3月25日 - 1… 江藤 純平(えとう じゅんぺい、1898年3月25日 - 1987年11月16日)は、日本の洋画家。 大分県臼杵市出身。1918年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に入学し、岡田三郎助や片多徳郎に師事した。1923年に東京美術学校を卒業した。 1923年の第5回帝展に出品した「アトリエにて」が初入選した。1928年の第9回帝展に出品した「S氏像」と1929年の第10回帝展に出品した「F君の像」は2年連続特選となった。1933年の第14回帝展に出品した「室内裸婦」も特選を受賞した。 1932年ロサンゼルスオリンピックの芸術競技に"The Rugger"(和題不明)を出品した。 1937年に光風会に会員として参加した。
福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 -… 福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。
吉田 ふじを(よしだ ふじを、1887年10月5日 - 19… 吉田 ふじを(よしだ ふじを、1887年10月5日 - 1987年5月1日)は、日本の洋画家。吉田博の妻であり、夫婦ともに洋画家である。 洋画家である吉田嘉三郎と、その妻の吉田るい(英語版)の三女。小学生の頃に上京し、11歳で小山正太郎の画塾不同舎に入門。当時はまだ義兄であった吉田博とともに1903年にアメリカへ渡り、ともに展覧会を開いたことでアメリカ各地で高評価を得た。1907年に文展に入選している。帰国後は、文展や太平洋画会、日本初の女性による洋画団体「朱葉会」などで活躍し、朱葉会では名誉会長を務めた。戦後には油彩画や木版画なども描き、花を題材とした作品などを生み出した。2002年、府中市美術館で「吉田ふじを展」が開催され、翌年には福岡市美術館でも同じ展覧会名の展覧会が開かれた。
吉田 嘉三郎(よしだ かさぶろう、1861年 - 1894年… 吉田 嘉三郎(よしだ かさぶろう、1861年 - 1894年9月6日)は、日本の洋画家、教育者。 豊前国下毛郡(現・大分県中津市)で、代々中津藩の御用絵師を務めた晴野家に生まれる。幼少の頃より日本画を学び、中津市学校卒業後、1877年に京都の田村宗立が主宰する明治画学館に入門。 1881年第2回内国勧業博覧会に大分県を代表する洋画家として出品し、同年帰郷して母校中津市学校の助教諭となる。これと時期を前後して吉田家の養子となる。1882年第1回内国絵画共進会、1884年第2回内国絵画共進会に出品。 中津市学校廃止により、1886年上京し、本多錦吉郎の西洋画塾彰技堂に入門するが、同年9月福岡県尋常師範学校の助教諭に着任。
長 冰(ちょう ひょう、弘化3年(1846年) – 明治16… 長 冰(ちょう ひょう、弘化3年(1846年) – 明治16年(1883年)11月26日)は、幕末から明治期にかけての勤皇の志士、官僚、漢詩人、画家。漢学者長三洲の弟。明治初期の学制起草に関与し、のち陸軍省御用掛を務めた人物である。諱は革。通称は綱吉・四郎・子金、号は士金・斉などを用いた。画家としては長古雪として知られる。 弘化3年(1846年)に長梅外の子として生まれる。安政3年(1856年)1月、兄・長三洲の紹介により、11歳で咸宜園に入学した。 慶應3年(1867年)には忠勇隊に属し、幕末動乱期の活動にも関与した。 明治維新後、兄・三洲とともに新政府の教育制度整備に深く関わり、明治5年(1872年)には学制起草委員の一人として『学制一覧』の編集を担当した。
田能村 直入(たのむら ちょくにゅう、文化11年2月15日(… 田能村 直入(たのむら ちょくにゅう、文化11年2月15日(1814年4月5日) - 明治40年(1907年)1月21日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家。日本最後期の文人画家として知られる。 田能村竹田の養継子。幼名は、はじめ松太、のち傳太。諱は、はじめ蓼、のち痴。字は、はじめ虚紅、のち顧絶。号は、はじめ小虎、のち直入。通称は小虎とした。別号に竹翁、忘斎、煌斎、芋仙、布袋庵、無声詩客などがある。豊後直入郡竹田町(現在の大分県竹田市)生まれ。 豊後国直入郡竹田町(現・大分県竹田市)において、岡藩士三宮伝右衛門の三男として生まれる。伯父渡辺蓬島が田能村竹田の幼児期の師であったことから紹介され、文政5年(1822年)9歳のときに竹田の画塾に入門。
田能村 竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(177… 田能村 竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(1777年7月14日) - 天保6年8月29日(1835年10月20日))は、江戸時代後期の南画(文人画)家。 幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。名は孝憲。字は君彜(くんい)。通称は行蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。更に斎号(居室の名)に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。 豊後国直入郡竹田村(今の竹田市)の岡藩儒医田能村碩庵の次男として生まれる。母は水島氏。禄高12人扶持であったがこれは武士の中ではかなり低く、更に藩の財政難で実際はこの6割程度しか俸禄を得られなかった。
保田 義孝(やすだ よしたか)は、日本の洋画家、色鉛筆画家、… 保田 義孝(やすだ よしたか)は、日本の洋画家、色鉛筆画家、イラストレーター。 その他、図鑑・読本の挿絵ほか多数 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。