児玉 ひかる(こだま ひかる、1998年5月25日 - )は… 児玉 ひかる(こだま ひかる、1998年5月25日 - )は、日本の女子柔道選手。宮崎県出身。階級は78kg超級。身長175cm。体重110kg。組み手は左組み。得意技は内股、大内刈。 小学5年生から地元宮崎市の一成塾で柔道を始める。綾中学2年の時に全国中学校柔道大会70kg超級に出場するが、準々決勝で相原中学3年の冨田若春に旗判定で敗れて5位だった。 福岡県にある敬愛高校に進むと、1年の時には金鷲旗で2位、インターハイ団体戦では3位となった。2年の時には金鷲旗の決勝で大成高校と対戦すると、同級生である70kg級の新森涼とともにチームを優勝へ導く活躍を果たした。インターハイ個人戦78kg超級では準々決勝で埼玉栄高校3年の富田若春にGSに入ってから有効で敗れて5位だった。
磯田 範仁(いそだ のりひと、1995年8月6日 - )は、… 磯田 範仁(いそだ のりひと、1995年8月6日 - )は、日本の柔道家。宮崎県延岡市出身。階級は66kg級。身長173cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は小外刈。 柔道は5歳の時に芦塚道場で始めた。一つ上には橋口祐葵がいた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級で優勝した。6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で優勝すると、全国小学生学年別柔道大会の50kg級でも優勝して2連覇を達成した。 国士舘中学へ進むと、2年の時には近代柔道杯団体戦で優勝した。3年の時には全国中学校柔道大会の66kg級で優勝すると、団体戦でも田崎健祐や江畑丈夫などとともに活躍して優勝を飾り2冠を達成した。
高山 莉加(たかやま りか、1994年8月27日 - )は、… 高山 莉加(たかやま りか、1994年8月27日 - )は、宮崎県都城市出身の日本人の女子柔道家。階級は78kg級。身長169cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は払腰、寝技。2022年現在、三井住友海上に所属し、柔道弐段。 3歳の時、財部柔心館道場で柔道を始めた。道場の1年先輩には後に52㎏級の世界チャンピオンとなる志々目愛がいた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会の45kg超級に出場するも予選リーグで敗れた。都城市立沖水中学2年の時に全国中学校柔道大会の63kg級で5位となった。3年の時は2回戦で敗れた。鹿児島南高校に進むと、1年の時にはインターハイの70kg級に出場するも3回戦で敗れた。
橋口 祐葵(はしぐち ゆうき、1994年6月8日 - )は、… 橋口 祐葵(はしぐち ゆうき、1994年6月8日 - )は、日本の柔道家。宮崎県延岡市出身。階級は66kg級。身長168cm。組み手は右組み。血液型はA型。段位は二段。得意技は背負投、袖釣込腰。 柔道は6歳の時に芦塚柔道場で始めた。1つ下には磯田範仁がいた。小学校5年の時には全国少年柔道大会の個人戦で2位になった。中学からは上京して講道学舎所属となり、弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会66kg級で優勝を果たした。その後地元に戻って延岡学園高校に進むと、インターハイでは6試合のうち1試合は反則勝ちであったものの、オール一本勝ちして山下泰裕、高木海帆に次ぐ史上3人目の1年生チャンピオンとなった。
志々目 愛(ししめ あい、1994年1月25日 - )は、宮… 志々目 愛(ししめ あい、1994年1月25日 - )は、宮崎県都城市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は52 ㎏級。身長158 cm。血液型はB型。段位は四段。組み手は左組み。握力は右38 ㎏、左38 kg。得意技は内股。現在はSBC湘南美容クリニック所属。長兄は元柔道選手で元競艇選手(2019年引退)の志々目裕樹。次兄は2015年の世界選手権60 kg級で3位となった志々目徹。 柔道は4歳の時に兄の裕樹と徹の2人に続いて財部柔心館道場で始めた。練習は正月を除いて毎日あったという。道場から帰ると家でも父親と練習した。幼稚園の時は大柄な男子との対戦や、指導者に叱責されるのが嫌でトイレに隠れていたこともあった。
趙 睦熙(チョウ モッキ、1993年11月5日 - )は、韓… 趙 睦熙(チョウ モッキ、1993年11月5日 - )は、韓国の柔道選手。佐賀県出身の在日韓国人。階級は57kg級と63㎏級。 基山中学3年の時に全国中学校柔道大会52㎏級決勝で北辰中学3年の宮川拓美に背負投の技ありで敗れるも2位になった。宮崎日大高校に進むと、後に52㎏級の世界チャンピオンとなる志々目愛と同期になった。1年の時にはインターハイ57㎏級に準々決勝で埼玉栄高校2年の武村綾華に敗れて5位だった。全国高校選手権では3回戦で敗れた。2年の時にはインターハイの準々決勝で東大阪大敬愛高校2年の片岡志乃に有効で敗れて5位だった。3年の時にはインターハイの県予選に70㎏級で出場するも決勝で敗れて本戦には進めなかった。
黒木 美晴(くろき みはる、1993年9月3日 - )は、宮… 黒木 美晴(くろき みはる、1993年9月3日 - )は、宮崎県出身の日本人の女子柔道選手である。階級は52kg級。身長158cm。血液型はA型。組み手は右組み。段位は弐段。得意技は大外刈、背負投。 柔道は8歳の時に国分西柔道クラブ高橋道場で始めた。五十市中学1年の時には全国中学校柔道大会の52kg級に出場するが、3回戦で敗れた。2年の時には階級を57kg級に上げるが2回戦で敗れると、3年の時には3回戦で敗れた。宮崎商業高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権52kg級で決勝まで進むが、小松大谷高校1年の宮川拓美に内股で敗れて2位だった。2年の時には全日本ジュニアで3位に入った。ベルギー国際のジュニアの部では3位だったが、翌日のシニアの部では決勝で北京オリンピック48kg級銀メダリストで、階級を上げてきたキューバのヤネト・ベルモイを大外刈の有効で破って優勝した。
丸山 城志郎(まるやま じょうしろう、1993年8月11日 … 丸山 城志郎(まるやま じょうしろう、1993年8月11日 - )は、日本の柔道家。宮崎県宮崎市出身。階級は66kg級。身長167cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股、巴投、袖釣込腰。父親はバルセロナオリンピックの柔道65kg級で7位となった丸山顕志。兄は2011年の世界ジュニア81kg級チャンピオンの丸山剛毅。 5歳の時に父親の出身道場である静充館で柔道を始めた。その後、父親が開設した泰山学舎に所属になると、小学校5年の時に全国少年柔道大会の個人戦で3位、団体戦でも兄とともに活躍して3位になった。全国小学生学年別柔道大会には40kg級に出場するが、決勝で栃木県代表の髙藤直寿に上四方固で敗れた。
丸山 剛毅(まるやま ごうき、1992年4月5日 - )は、… 丸山 剛毅(まるやま ごうき、1992年4月5日 - )は、宮崎県宮崎市出身の、日本の柔道選手である。階級は81kg級。身長173cm。得意技は内股。現在はパーク24所属。父親はバルセロナオリンピックの柔道65kg級で7位となった丸山顕志。1つ年下の弟である丸山城志郎は2019年に世界選手権66㎏級で優勝した。 5歳の時に柔道を始めた。小学校6年の時に全国少年柔道大会の個人戦で5位、団体戦でも弟とともに活躍して3位になった。全日本選抜少年柔道大会小学生の部では個人戦で優勝すると、団体戦でも弟とともに活躍して優勝を飾った。相原中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦では3位だったものの個人戦90kg級では優勝を果たした。
志々目 徹(ししめ とおる、1992年3月8日 - )は、日… 志々目 徹(ししめ とおる、1992年3月8日 - )は、日本の柔道家。宮崎県都城市出身。階級は60kg級。身長161cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股。兄は柔道家で元競艇選手の志々目裕樹。妹は2017年の世界選手権52kg級で優勝した志々目愛。 柔道は4歳の時に財部柔心館で始めた。毎日練習があり、家に帰っても父親との稽古を積む日々であった。庄内中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級で2位となった。宮崎日大高校3年の時にはインターハイで優勝した。その後、世界ジュニアに新設された55kg級に出場して初代チャンピオンとなった。日本体育大学体育学部武道学科に進学後、全日本ジュニアの60kg級では3位に留まるが世界ジュニア代表に選出されて、世界ジュニアでは昨年に続いての優勝を果たして2階級制覇を達成した。
羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ、1991年4月28日 - … 羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ、1991年4月28日 - )は、宮崎県延岡市出身の日本の元柔道家。階級は100kg級。身長186cm。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は内股。現在は旭化成に所属している。父親は講道館杯などで優勝経験のある羽賀善夫。母親は国体やインターハイで活躍した元競泳選手。 幼少時に埼玉県に越すと、2歳年上の兄である善之介とともに5歳の時に柔道を始めた。当時は競泳も習っていて、自由形で県大会で2位になったこともあった。 小学校3年の時に横浜市に移ると、朝飛道場に所属して柔道に専念することになった。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。六角橋中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg級で3位になった。
大束 正彦(おおつか まさひこ、1986年2月26日 -)は… 大束 正彦(おおつか まさひこ、1986年2月26日 -)は、宮崎県出身の日本の柔道家。73kg級の選手。身長168cm。組み手は右組み。段位は参段。得意技は背負投。2011年には正彦を匡彦と改めた。 柔道は7歳の時に始めた。高原中学2年の時に全国中学校柔道大会65kg級で3位になると、3年の時には73kg級で優勝を飾った。2001年に東海大相模高校へ進学すると、1年の時に全国高校選手権団体戦で2位となった。2年の全国高校選手権では3位だった。3年の時にはインターハイで優勝を飾った。 2004年には東海大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアで優勝した。世界ジュニアでは準決勝で韓国の金宰範に指導1で敗れて3位にとどまった。
中谷 一馬(なかたに かずま、1983年〈昭和58年〉8月3… 中谷 一馬(なかたに かずま、1983年〈昭和58年〉8月30日 - )は、日本の政治家、実業家、柔道整復師。学位はデジタルコンテンツマネジメント修士(専門職)。 衆議院議員(3期)、神奈川県議会議員(1期)を歴任した。 宮崎県児湯郡川南町生まれ、神奈川県川崎市育ち。現住所は神奈川県横浜市港北区綱島西2丁目。貧困な母子家庭で育ち、11歳の時に両親が離婚。埼玉県、東京都、大阪府、神奈川県と転居を繰り返し、幼稚園2園、小学校4校、中学校2校に通学。 川崎市立日吉中学校卒業後、高校へ進まず、働くも、挫折し、不良の道へ進んだ。仲間と共に社会や政治に対して不平不満を漏らす中で、自分の手で世の中を変えようと政治家を目指すようになった。
七條 芳美(しちじょう よしみ、1982年9月20日 - )… 七條 芳美(しちじょう よしみ、1982年9月20日 - )は宮崎県出身の日本の柔道家。70kg級の選手。身長166cm。得意技は大内刈、足技。 宮崎市出身。柔道は8歳の時に井上康生も所属していた静充館で始めた。檍中学2年の時に全国中学校柔道大会の56kg超級で3位、3年の時には優勝を飾った。高校は福岡県にある福岡工大附属高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権70kg級で2位となった。3年の時には金鷲旗の決勝で淑徳高校と対戦すると、大将戦で中沢さえを横四方固で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦では市立柏高校に敗れて2位だった。全日本ジュニアで優勝を飾ると、世界ジュニアでは3位に入った。
宝 真由美(たから まゆみ、1982年5月18日 - )は、… 宝 真由美(たから まゆみ、1982年5月18日 - )は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長152cm。組み手は右組み。得意技は背負投。宝3姉妹の末妹。長女は52kg級で活躍していた宝寿栄。 柔道は9歳の時に井上康生も所属していたことで知られる静充館で始めた。東大宮中学3年の時には全国中学校柔道大会の48kg級で2位になった。宮崎日大高校2年の時には全国高校選手権の決勝で沖学園高校の松田邦恵に敗れて2位だった。3年の時には全日本ジュニアで3位になった。2001年に帝京大学へ進学すると、2年の学生体重別では優勝を飾り、初の日本一となった。全国女子体重別ではミキハウスの北田佳世に敗れて2位だった。
宝 寿栄(たから ひさえ、1979年8月14日 -)は、宮崎… 宝 寿栄(たから ひさえ、1979年8月14日 -)は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級と52kg級の選手。身長152cm。組み手は左組み。得意技は背負投。宝3姉妹の長女。末妹は48kg級で活躍していた宝真由美。 柔道は12歳の時に静充館で始めた。道場の1年先輩には井上康生がいた。東大宮中学から宮崎日大高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権48kg級の決勝で埼玉栄高校2年の山口静に敗れて2位だったが、2年の時には優勝を飾った。3年の時には全国女子体重別で3位になると、ドイツ国際では決勝でフランスのフレデリク・ジョシネに敗れるも2位に入った。その後横浜国立大学へ進むと、ひたすら柔道のみに取り組んだものの結果を出せなくなった。
井上 康生(いのうえ こうせい、1978年〈昭和53年〉5月… 井上 康生(いのうえ こうせい、1978年〈昭和53年〉5月15日 - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の柔道家(七段)、柔道指導者。東海大学教授。 妻はタレントの東原亜希。 2000年(平成12年)のシドニーオリンピックで金メダルを獲得。2001年(平成13年)の全日本選手権では絶対的エースであった篠原信一を決勝で破り初優勝。その後、大会3連覇を果たす。 2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは日本選手団の主将に選ばれた。周囲からはシドニー大会に次ぐ五輪二連覇を期待されたが、準々決勝でオランダのエルコ・ファンデルヘーストに背負投で一本負けを喫した。敗者復活戦に回るも、三回戦でアゼルバイジャンのモブルド・ミラリエフに大内刈を返されて一本負け。
坂本 大記(さかもと だいき、1976年3月12日 -)は、… 坂本 大記(さかもと だいき、1976年3月12日 -)は、宮崎県東臼杵郡門川町出身の日本の柔道家。95kg級の選手。身長170cm。得意技は小内刈。 柔道は小学校1年の時に兄の影響で始めた。門川中学から宮崎日大高校を経て、1994年には國學院大學へ進学すると、3年の時に正力杯95kg級の準決勝で繁昌久哲に体落で敗れるも3位となった。講道館杯では3回戦でアトランタオリンピック7位である旭化成の中村佳央をパワーで押し捲り、中村の右肘を脱臼させて棄権負けに追いやった。準決勝では世界選手権3位である新日鉄広畑の岡泉茂を小内刈の技ありで破ると、決勝でも正力杯で敗れた繁昌に小内巻込で一本勝ちするなどの活躍で優勝を飾った。
井上 智和(いのうえ ともかず、1975年10月31日 -)… 井上 智和(いのうえ ともかず、1975年10月31日 -)は宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長183cm。弟はシドニーオリンピック100kg級で優勝した井上康生。義妹はタレントの東原亜希。 柔道は小学校3年の時に始めた。小学校6年の時には当時小学校3年生だった弟に投げられたという。大宮中学から宮崎日大高校に進むと、3年の時にインターハイ軽重量級で決勝まで進むが、埼玉栄高校2年の中野尚信に注意で敗れた。明治大学に進学すると、3年の時に優勝大会決勝で東海大学に敗れるが2位になった。4年の時には正力杯95kg級を制して、この年東海大学に入学して95kg超級で優勝した弟とともに兄弟優勝を果たした。
有川 光誠(ありかわ こうせい、1974年2月27日 - )… 有川 光誠(ありかわ こうせい、1974年2月27日 - )は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級及び90kg級の選手。身長は174cm。得意技は背負投。 宮崎日大高校3年の時にはインターハイの軽中量級で決勝まで進むが、後にアトランタオリンピック71kg級で金メダルを獲得することになる東海大第五高校3年の中村兼三に判定で敗れた。 1992年には日本大学へ進学した。なお、大学の1年後輩には後にシドニーオリンピックの81kg級で金メダルを獲得することになる瀧本誠がいた。3年の時には優勝大会で3位となった。4年の時には階級をそれまでの78kg級から86kg級に上げると、正力杯で優勝を飾った。
丸山 顕志(まるやま けんじ、1965年8月21日 - )は… 丸山 顕志(まるやま けんじ、1965年8月21日 - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の柔道家。現役時代は65kg級の選手。身長169cm。得意技は丸山スペシャルと呼ばれていた変形の袖釣込腰。長男の丸山剛毅は2011年の世界ジュニア81kg級チャンピオン。次男の丸山城志郎は2019年に世界選手権66 kg級で優勝した。 長崎で生まれるがその後宮崎に移り、5歳の時に後に井上康生を輩出することになる「静充館柔道場」で柔道を始めた。 宮崎中学から国士舘高校に進み、3年の時には金鷲旗で2位となった。国士舘大学2年の時には新人体重別で優勝。3年の時には正力杯と正力国際の決勝で、長年のライバルとなる東海大学の大熊政彦をそれぞれ下して優勝を果たした。
大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - … 大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - )は、日本の柔道家。8段を取得。宮崎県西諸県郡野尻町(のちの小林市)出身。身長178cm。 1988年ソウルオリンピック(男子86kg級)銅メダリストで、のちに全日本柔道連盟強化コーチを務める。 宮崎県中央部に位置する西諸県郡野尻町で、 農林業を営む大迫家5人姉兄の末っ子として生まれる。柔道は、地元の紙屋中学校時代に始めた。中学時代は無名選手だったが、県立宮崎商業高校の藤井猪徳監督(当時)に誘われ、1976年に同校へ入学。高校時代は藤井の家に下宿しながら3年間を過ごし、高校3年次にはインターハイの団体戦でベスト8に入る。 1979年に天理大学へ進学すると、2年次よりレギュラーとして活躍し、この間に同大学は全日本学生優勝大会において、1980年3位、81年優勝、82年準優勝という好成績を収めている。
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
広瀬 巌(ひろせ いわお、1915年12月15日 - 198… 広瀬 巌(ひろせ いわお、1915年12月15日 - 1982年10月11日)は、日本の柔道家(講道館九段)。 身長170cmに満たない小柄な体格ながら、戦前の明治神宮競技大会、昭和天覧試合、日本選士権大会、全日本東西対抗大会、戦後の全日本選手権大会等の主要大会で永く活躍。後に大阪府警察の柔道師範として後進の指導に当たり、今日の府警柔道の礎を築いた。 宮崎県出身。身長150cm・体重70kgの小躯ながら支釣込足や巴投、肩車の名手として名を馳せた尾崎伊助8段に柔道の手ほどきを受け、旧制都城中学校(のちの県立都城泉ヶ丘高校)を経て武徳会武道専門学校に進学すると、磯貝一や田畑昇太郎ら範士、阿部謙四郎等の先輩に学び、終生の得意技となる払腰・釣込腰・一本背負投等に磨きをかけた。
磯貝 一(いそがい はじめ、1871年12月8日(明治4年1… 磯貝 一(いそがい はじめ、1871年12月8日(明治4年10月26日) - 1947年(昭和22年)4月19日)は、日本の柔道家。段位称号は講道館柔道十段、大日本武徳会柔道範士。講道館柔道殿堂。 延岡藩藩士で関口流柔術家にして柔道教士の磯貝恒久の長男として、現在の宮崎県延岡市に生まれる。 1891年(明治24年)上京し講道館に入門する。 1893年(明治26年)京都の第三高等学校の嘱託柔道教師となる。 1899年(明治32年)、大日本武徳会柔道教授に就任。 1913年(大正2年)4月、大日本武徳会柔道範士の称号を授与される。 1923年(大正12年)12月22日、永岡秀一と共に、当時の生存者としては初の十段に昇進した。