山城 京平(やましろ きょうへい、2003年9月20日 - … 山城 京平(やましろ きょうへい、2003年9月20日 - )は、沖縄県糸満市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 興南高等学校では同校OBでコーチ、同じ左投手の島袋洋奨から指導を受けた。高校時代は甲子園大会への出場はなく、3年夏は沖縄大会準々決勝で敗退した。2学年上に宮城大弥がいた。 高校卒業後は亜細亜大学へ進学。4年春のリーグ戦で最優秀防御率に輝き、日米大学野球選手権大会の日本代表にも選出された。 2025年10月23日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから3位指名を受けた。11月14日に契約金6000万円、年俸1000万円で仮契約した。背番号は36。 2026年、3月29日に行われた阪神タイガースとの開幕第3戦目でプロ初登板・初先発したが、2回0/3を3安打5四死球5失点で降板した。
草加 勝(くさか しょう、2001年11月21日 - )は、… 草加 勝(くさか しょう、2001年11月21日 - )は、岡山県和気郡和気町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 和気町立藤野小学校で1年生の時に野球を始める。和気町立和気中学校では軟式野球部に所属していた。 創志学園高等学校に進学し、2年春からベンチ入り。チームは同年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会に出場したが、自身の登板はなかった。3年夏は岡山大会準決勝で倉敷商業に敗れた。高校時代から最速146km/hを計測していたものの、同学年の西純矢が絶対的なエースとして活躍していたこともあり、3年間で夏の公式戦での登板は一度もなかった。 高校卒業後は亜細亜大学へ進学。
青山 美夏人(あおやま みなと、2000年7月19日 - )… 青山 美夏人(あおやま みなと、2000年7月19日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 横須賀市立城北小学校3年時に幼馴染の誘いで地元の少年野球チームに入り野球を始め、横須賀市立衣笠中学校在学時は硬式野球のクラブチームである横須賀シニアでプレーしていた。 横浜隼人高等学校に進学し、2年秋からエースを務めた。高校時代は甲子園大会への出場はなく、3年夏は南神奈川県大会初戦(2回戦)で横浜商業に敗れた。高校の1学年後輩に佐藤一磨、2学年後輩に加藤大がいる。 亜細亜大学に進学し、1年秋からベンチ入り。2年秋のリーグ戦では防御率1位を記録するなど活躍したが、3年時は右肩の炎症に悩まされた。
岡留 英貴(おかどめ ひでたか、1999年11月7日 - )… 岡留 英貴(おかどめ ひでたか、1999年11月7日 - )は、沖縄県糸満市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 糸満市立兼城小学校1年生の時から野球を始め、兼城パイレーツでプレーした。当初は一塁手であった。糸満市立兼城中学校では軟式野球部に所属し、捕手を務めると同時に投手としてもプレーを始めた。 その後沖縄尚学高等学校に進学。2年秋からは控え投手としてベンチ入りしたが、甲子園出場はなかった。高校の同期にリチャードがいる。 亜細亜大学入学後、生田勉監督の勧めでオーバースローからサイドスローに転向した。1年秋から中継ぎとしてリーグ戦に出場し、中央大学との2回戦で初勝利を挙げた。
加藤 竜馬(かとう りゅうま、1999年5月13日 - )は… 加藤 竜馬(かとう りゅうま、1999年5月13日 - )は、岡山県苫田郡加茂町(現:津山市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 大阪偕星学園高等学校に進学後、2年夏から投手に転向した。高校時代は甲子園大会出場はなく、3年夏は大阪大会4回戦で大冠に敗れた。2学年上に姫野優也がいた。 高校卒業後は亜細亜大学へ進学。2年時に腰痛の手術を受けるなど身体の不調に苦しみ、野球を辞めることも考えていたが、姉や小学校時代の恩師の激励もあり思いとどまった。4年春にリーグ戦初登板したが、大学時代を通して目立った実績はなかった。同学年に松本健吾、岡留英貴、1学年下に田中幹也、青山美夏人、松本晴、2学年下に草加勝がいる。
齋藤 尊志(さいとう たかし、1999年3月17日 - )は… 齋藤 尊志(さいとう たかし、1999年3月17日 - )は、長野県上田市出身の日本の元プロ野球選手(内野手)。 上田西高校では1年生の春からレギュラー。2年時には県大会で9盗塁する快足を武器に第97回全国高等学校野球選手権大会への出場に貢献。2番セカンドで出場し、熱闘甲子園にも取り上げられている。しかし最後の夏は甲子園出場を逃した。 高校卒業後、東都大学野球の亜細亜大学に進学。リーグ戦にもスタメン出場するが、大学を中退。 その後、2019年11月にベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の栃木ゴールデンブレーブスに特別合格した。初年度の2020年シーズンは打率.352を記録し、チームメイトのルーカス・ホジョとともに東地区の首位打者となった。
内間 拓馬(うちま たくま、1998年11月21日 - )は… 内間 拓馬(うちま たくま、1998年11月21日 - )は、沖縄県国頭郡本部町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 本部町立本部小学校時代は本部少年野球クラブでプレーし、本部町立本部中学校時代は軟式野球部に所属していた。 沖縄県立宜野座高等学校では、3年夏の県大会はリリーフ1試合、1イニングのみ出場であり、目立った活躍は見せられなかった。 亜細亜大学では、3年時に大学野球日本代表に選出されているほか、4年間で通算30試合に登板し、7勝6敗、防御率3.13を記録。大学の同期には平内龍太、矢野雅哉らがいる。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受け、11月30日に契約金4500万円、年俸820万円(推定)で仮契約した。
水野 貴士(みずの たかし、1997年11月3日 - )は、… 水野 貴士(みずの たかし、1997年11月3日 - )は、東京都豊島区出身のプロ野球選手(外野手)。 高校時代は岩倉高校でプレーした。 亜細亜大学法学部に進学し、準硬式野球部に入部する。4年次の2019年11月にはインドネシアとの「第4回日イ友好親善野球大会インドネシア遠征」の選抜メンバーに選ばれる。その後、2020年2月8日にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)のドラフト会議で、茨城アストロプラネッツに特別合格となった。同校の準硬式野球部の部員で卒業後も硬式野球を継続するのは水野が初めてである。駒澤大学準硬式野球部の長谷川陽祐選手とも共にプレーをした経験がある。[要出典]。
河村 説人(かわむら ときと、1997年6月18日 - )は… 河村 説人(かわむら ときと、1997年6月18日 - )は、北海道勇払郡鵡川町(現:むかわ町)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 愛称は「とっきー」。 むかわ町立鵡川中央小学校3年時に鵡川ジュニアファイターズで野球を始め、むかわ町立鵡川中学校を経て、白樺学園高校に進学。3年夏の第97回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場したが、初戦の下関商戦で敗退した。 高校卒業後は亜細亜大学に進学するも、環境を変えたいという理由で1年夏に中退した。また、右肩痛のため亜細亜大学時代は練習試合を含めて1試合も登板していない。その後北海道に戻り、翌年星槎道都大学に進学する。 硬式野球部に入部し、3年秋の札幌六大学リーグで3勝を挙げると、大学日本代表候補合宿の参加メンバーに選出される。
嘉陽 宗一郎(かよう しゅういちろう、1995年11月15日… 嘉陽 宗一郎(かよう しゅういちろう、1995年11月15日 - )は、沖縄県沖縄市出身の社会人野球選手(投手)。 沖縄市立宮里小学校2年時より「宮里スラッガーズ」で野球を始める。 沖縄市立宮里中学校時代には一塁手兼控え投手として軟式野球部に所属。 同じ沖縄出身の荷川取秀明監督が指揮を執る愛媛県の松山聖陵高等学校に進学。2年夏よりエースとなる。同年秋の県大会準決勝では、済美のエース・安樂智大と延長14回を投げ合いサヨナラ負けした。3年春は県大会決勝で今治西に敗退、3年夏は準決勝で同じく今治西に1失点完投も0-1で敗退。甲子園出場はなし。 2014年、東都大学野球リーグの亜細亜大学に進学。同期に髙橋遥人投手、北村拓己がいる。
髙橋 遥人(たかはし はると、1995年11月7日 - )は… 髙橋 遥人(たかはし はると、1995年11月7日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 小学校入学後に兄の影響でソフトボールを始め、小学3年時に「西奈少年野球スポーツ少年団」に入団した。常葉橘中学校時代は右翼手兼投手として、3年夏に第32回全国中学校軟式野球大会でチームを優勝へ導いた。 常葉学園橘高校に進学後、1年夏からのベンチ入り。2年夏には甲子園大会へ出場し、開幕戦となった福井工大福井戦に救援投手として登板を果たすも、打線が菅原秀の前に9回2得点に封じられ初戦敗退。3年秋には日本学生野球協会へプロ志望届を提出するも、ドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、亜細亜大学へ進学した。
郡司 真里(ぐんじ まさと、1995年7月18日 - )は、… 郡司 真里(ぐんじ まさと、1995年7月18日 - )は、千葉県成田市出身のプロ野球審判員。袖番号は8。 小学2年から橋賀台サンダーズで野球を始め、千葉ロッテマリーンズの選抜メンバーとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場。成田市立西中学校時代には佐倉リトルシニアで全国大会に出場。 習志野高校に進学し、外野手としてプレーしていたが、3年夏の千葉大会で、一塁へのヘッドスライディングの際に右肩を脱臼。決勝で木更津総合に敗れたあとも痛みが引かず、硬式野球の引退を決断した。しかし、高校時代に紅白戦で審判を経験し、選手として見てきたものとは異なる野球の見え方があることに気づき審判員に興味を抱くようになる。
吉川 尚輝(よしかわ なおき、1995年2月8日 - )は、… 吉川 尚輝(よしかわ なおき、1995年2月8日 - )は、岐阜県羽島市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 2026年シーズンから第22代選手会長を務める。妻はシンガーソングライターの足立佳奈。 小学生から軟式野球を始め、中学生になると父が監督を務める岐阜南ボーイズ(前・羽島フジクラブ)にて硬式野球を始める。中学時代は卓球部に所属。中京高校では1年夏から三塁手のレギュラーに定着し、秋からは遊撃手を守る。 吉川は、当初は亜細亜大学に進学する予定であったが、入学前に参加した野球部の練習が合わずに入部を取りやめ、地元の中京学院大学に進学した。1年春からリーグ戦に出場し、秋にベストナインを受賞。
宗接 唯人(むねつぐ ゆいと、1994年7月6日 - )は、… 宗接 唯人(むねつぐ ゆいと、1994年7月6日 - )は、兵庫県宍粟市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
山田 義貴(やまだ よしき、1994年6月26日 - )は、… 山田 義貴(やまだ よしき、1994年6月26日 - )は、沖縄県うるま市出身の社会人野球選手(投手)。 沖縄尚学高校から亜細亜大学に進学。 大学卒業後は社会人野球の西部ガスに入社。社会人野球の日本代表にも選出されている。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
木浪 聖也(きなみ せいや、1994年6月15日 - )は、… 木浪 聖也(きなみ せいや、1994年6月15日 - )は、青森県青森市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 青森市立篠田小学校1年時に、軟式野球チームの「安田ヤンヤン少年野球チーム」へ入団し野球を始めると、3年時まで主に二塁手、4年時以降は投手を務めた。青森山田中学校時代は同校の硬式野球部に所属。 青森山田高等学校では1年からベンチ入りし、主に二塁手と三塁手を務めた。甲子園出場はなし。1学年上に山崎晃大朗、同学年に京田陽太、1学年下に西村凌がいる。 亜細亜大学に進学すると、1年春からリーグ戦に出場し、3年春からは主力としてプレー。3年秋と4年春にはリーグ連覇を、1年時と3年時には明治神宮野球大会での優勝を経験した。
丸山 高明(まるやま たかあき、1993年9月30日 - )… 丸山 高明(まるやま たかあき、1993年9月30日 - )は、岡山県岡山市出身の元社会人野球選手(外野手)。 岡山市立福島小学校3年からソフトボールを始め、岡山市立福南中学校から「岡山メッツ」で投手兼外野手として硬式野球を始め、主将を務める。 高校は玉野光南高校に進み、2年の夏に7番レフトで出場し岡山大会準優勝、3年の夏は1番センターで出場し8強。副主将を務める。 その後、東都大学野球の亜細亜大学に進学、大学在学時には8シーズン中6度のリーグ優勝を経験。全日本大学選手権大会で2度の準優勝、明治神宮野球大会で2度の優勝をして日本一を経験し、4年生の明治神宮大会では3番ライトで出場し優勝に輝いた。
川本 祐輔(かわもと ゆうすけ、1993年9月30日 - )… 川本 祐輔(かわもと ゆうすけ、1993年9月30日 - )は、広島県尾道市出身の社会人野球選手 (投手)。 尾道市立高須小学校2年次より野球を始める。 尾道市立高西中学校在学時には尾道シニアに所属。 地元の尾道高等学校に進学。2年秋に広島県大会優勝、中国大会8強を達成。 高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学。リーグ戦には3年春より登板。全国大会には3年春の選手権大会、4年秋の明治神宮野球大会に出場し、神宮大会では優勝も経験している。 大学卒業後は社会人野球のJR東海に入社。それまでのスリークォーターからサイドに転向。3年目には都市対抗野球大会にも出場。
桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神… 桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神奈川県相模原市出身の元社会人野球選手。右投右打。 8歳の時に野球を始め、相模原市立淵野辺東小学校時代は中渕少年野球部に所属し、相模原市立共和中学校に進学後は硬式野球(シニアリーグ)の海老名リトルシニアに所属した。 高校は東京都八王子市の八王子学園八王子高校に進学。秋春ともにベスト4進出し、春は関東大会出場。夏は東日本大震災の影響で予選中止となったことから、全校ノーシードとなる。抽選の結果、東海大菅生と初戦で激突し、コールド負け。甲子園出場経験はない。 高校卒業後は亜細亜大学に進学。3年秋に初めて大学日本代表に召集され、4年時の2015年7月には第28回夏季ユニバーシアードに出場し優勝を果たした。
薮田 和樹(やぶた かずき、1992年8月7日 - )は、広… 薮田 和樹(やぶた かずき、1992年8月7日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。
九里 亜蓮(くり あれん、1991年9月1日 - )は、広島… 九里 亜蓮(くり あれん、1991年9月1日 - )は、広島東洋カープに所属する鳥取県米子市生まれのプロ野球選手(投手)。
嶺井 博希(みねい ひろき、1991年6月4日 - )は、沖… 嶺井 博希(みねい ひろき、1991年6月4日 - )は、沖縄県南城市出身のプロ野球選手(捕手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
飯田 哲矢(いいだ てつや、1991年3月28日 - )は、… 飯田 哲矢(いいだ てつや、1991年3月28日 - )は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は広島東洋カープに所属。
東浜 巨(ひがしはま なお、1990年6月20日 - )は、… 東浜 巨(ひがしはま なお、1990年6月20日 - )は、沖縄県与那城町(現:うるま市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵… 髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
大山 暁史(おおやま さとし、1988年10月6日 - )は… 大山 暁史(おおやま さとし、1988年10月6日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。
平田 ブルーノ マサキ(Masaki Bruno Hirat… 平田 ブルーノ マサキ(Masaki Bruno Hirata, 1988年3月13日 - )は、ブラジルのサンパウロ州サンパウロ出身の、元野球選手(捕手)。東芝野球部に所属していた。 日系ブラジル人3世。6歳で野球を始め、14歳でボーイズリーグ世界大会にブラジル代表として出場。高校から日本に留学し、八王子高校(現在の八王子学園八王子高校)から亜細亜大学を経て東芝に入社、同社野球部に所属。パンチ力のある打撃が売り物で、入社2年目の2012年に行われた第83回都市対抗野球大会の西関東予選では7回表に代打で登場して同点ホームランを打つなどの活躍を見せている。 2012年に第3回WBCのブラジル代表に選ばれた。
中田 亮二(なかた りょうじ、1987年11月3日 - )は… 中田 亮二(なかた りょうじ、1987年11月3日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。JR東海硬式野球部所属。
中原 恵司(なかはら けいじ、旧姓:下平(しもひら)、198… 中原 恵司(なかはら けいじ、旧姓:下平(しもひら)、1987年7月10日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 愛知県大府市出身。小学2年から投手兼捕手として野球をはじめ、中学時代は投手兼外野手。 武蔵工大二高(現:東京都市大塩尻高)では1年春からベンチ入り、秋にはエースとなるが2年秋には遊撃手に転向。強肩強打の大型遊撃手として注目された。2学年下には菊池涼介がいた。 2006年に進学した亜細亜大学でも1年春からベンチ入り。3年春(2008年)に外野手のレギュラーを掴むと、3季連続でベストナインに選出された。東都大学リーグ通算61試合出場、186打数42安打、打率.226、9本塁打、24打点。
岩見 優輝(いわみ ゆうき、1987年1月25日 - )は、… 岩見 優輝(いわみ ゆうき、1987年1月25日 - )は、大阪府門真市出身の元プロ野球選手(投手)。
宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )… 宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「タイソン」。
宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )… 宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )は、佐賀県唐津市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称は「タイソン」、「ゴリ」。 長崎日大高時代は捕手を務め、2年時の夏に1番捕手として第85回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たす。2安打1打点と活躍は見せたが1回戦で敗退。3年時の夏は長崎大会ベスト4で敗退。 亜細亜大学へ進学するも、度重なる故障に苦しみ1部リーグ通算11試合出場で僅か5打数1安打に終わる。同期の岩本貴裕や1年下の中田亮二らが早くから出場するなど層が厚かった。 大学卒業後は、セガサミーに入社。捕手としての入部だったが、同期に捕手が2名入部したこともあって外野手に転向すると、打力を買われて春から指名打者としてスタメン起用されるようになり、3番・センターとして定位置を確保した。
岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )… 岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手、外野手)。
白倉 キッサダー(しらくら キッサダー、1986年4月17日… 白倉 キッサダー(しらくら キッサダー、1986年4月17日 - )は、タイ王国出身の元社会人野球選手(投手)。Honda鈴鹿硬式野球部に所属していた。 日本人の父とタイ人の母を持つ。タイ名は、「ヒップトーン・キッサダー(Heebthong Krissada)」。 小学5年生で来日し、同時に野球を始める。 上田西高校在籍時にはエースとして活躍。2年春にはチームを長野県大会優勝に導いた。2年夏、3年夏の長野大会では主にリリーフとしてチームに貢献。しかし、それぞれ準優勝、ベスト4に終わり、甲子園出場はならなかった。その後は亜細亜大学に進学し活躍。2007年春には東都大学春季リーグで最優秀防御率のタイトルを獲得し、一時はドラフト候補にも名前が挙がった。
小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、… 小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、実業家。株式会社l'unique代表取締役。 東京都江東区出身(父は秋田県出身)。小学6年生まではバスケットボールをやっていたが、東陽フェニックスのキャプテンに誘われて野球を始める。深川第四中学校在籍は江東ライオンズに所属。二松学舎大附属高校に進学後は1年からベンチ入りし、2002年春の第74回選抜高等学校野球大会に出場するが当時は背番号11の控え投手で登板はなかった。 高校卒業後は亜細亜大学に入学し、硬式野球部に所属して1年春にリーグ戦デビューを果たすが部員の不祥事による活動停止、2部降格などもあり、3年生の進級直前に大学を退学した。
荒木 治丞(ファンモク チスン、황목치승、1985年6月21… 荒木 治丞(ファンモク チスン、황목치승、1985年6月21日 - )は、大韓民国の済州特別自治道出身のプロ野球選手(内野手)。LGツインズに所属している。祖父が日本人で「荒木」という姓になっている。
竹内 和也(たけうち かずや、1985年 - )は、元社会人… 竹内 和也(たけうち かずや、1985年 - )は、元社会人野球選手(三塁手、捕手)。右投右打。 高校時代は山梨県の日本航空高校で1、2年の夏に甲子園大会に出場[要出典]。 大学は東都大学野球の亜細亜大学に進学。大学3年時には神宮大会で優勝している。 大学卒業後は社会人野球強豪のJR東日本に入社。JR東日本では一貫して捕手登録であったが、実際には三塁手や指名打者での出場が中心だった。2012年の都市対抗では優勝を逃すも、竹内自身は三塁手として大会優秀選手に選出された。また、同年の関東選抜リーグを制し、最優秀選手賞と首位打者賞(18打数9安打、打率.500)を獲得。2015年をもって勇退した。
糸数 敬作(いとかず けいさく、1984年11月7日 - )… 糸数 敬作(いとかず けいさく、1984年11月7日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロ野球選手(投手)、実業家、野球解説者。右投右打。 中部商業高校3年夏、第84回全国高等学校野球選手権大会にエースとして同校初出場に導くが、初戦で高市俊が投げる帝京高に敗れた。亜細亜大学入学後は、部員の不祥事による出場停止、2部降格を経験する。4年春1部に復帰すると2006年秋季の東都大学野球リーグでは5勝を挙げ、防御率0.76の好成績で優勝の原動力となり、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。続く第37回明治神宮野球大会でも、決勝で早稲田大学の宮本賢に投げ勝つなど、亜大の4年ぶり3度目の優勝に貢献した。
大河原 正人(おおかわら まさと、1983年8月26日 - … 大河原 正人(おおかわら まさと、1983年8月26日 - )は神奈川県出身の社会人野球指導者・元選手(外野手)。 12歳から野球を始める。 横浜高校時代の2000年夏の甲子園大会に出場し、ベスト8まで進出した。翌年夏も出場し、ベスト4の成績を収める。 高校卒業後は東都大学野球の亜細亜大学に進学した。2002年の全日本大学野球選手権で優勝し、明治神宮野球大会でも優勝した。翌年の全日本大学野球選手権では準優勝に終わった。 大学卒業後は社会人野球の東芝に入社し、長らく選手としてプレーした。都市対抗野球大会には11年連続で出場した 。2013年には東アジア大会日本代表に選出された。 その後、現役を引退し、採用担当とアナライザーの役職を兼ねた。
松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は… 松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。プロ野球滋賀県人会会長。愛称は「マッチ」「熱男」など。
片山 純一(かたやま じゅんいち、1982年9月29日 - … 片山 純一(かたやま じゅんいち、1982年9月29日 - )は、広島県三原市出身の元社会人野球選手 (投手)。 三原市立南小学校在学時には軟式の三原ジュニアに所属し、三原市立第三中学校在学時には軟式野球部でプレーした[要出典]。 広島市の広島県瀬戸内高等学校では、3年時に4番外野手兼投手として第82回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学。3年春には第52回全日本大学野球選手権で準優勝を果たし、大会後には第32回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された。 大学卒業後の2005年に地元・広島のJR西日本に入社するが、6月に野球部が一時休部となった。
小田 大介(おだ だいすけ、1982年9月10日 - )は、… 小田 大介(おだ だいすけ、1982年9月10日 - )は、福岡県宮若市出身の高校野球指導者。神村学園高等部社会科教諭。現役時代のポジションは投手。 高校時代は福岡県の東筑紫学園高校でプレー。3年春の九州大会で優勝も甲子園出場はなし。 東都大学野球の亜細亜大学に進学。大学2年生時には全日本大学野球選手権で優勝し、明治神宮野球大会でも優勝した。3年時には全日本大学野球選手権で準優勝した。同期に川本良平、2学年上に木佐貫洋、永川勝浩、小山良男、1学年下に松田宣浩がいた。 2005年、鹿児島県の神村学園高等部でコーチに就任し、2006年からは神村学園リトルシニア(中等部)で監督となる。 2013年からは鹿児島県の神村学園高等部の監督に就任。
永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - … 永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。 3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。
小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、… 小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(捕手)。 川崎市立平間中学校では中本牧リトルシニアに所属(後に横浜高校、中日でもチームメイトとなる小池正晃も所属していた)、1995年全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで優勝。シニア日本代表に選抜される。この時のメンバーに松坂大輔がおり、小池ら他のチームメイトと共に松坂に一緒に横浜高校に行こうと誘う。横浜高校では上地雄輔に代わり正捕手となり、3年時は渡辺元智監督に主将に任命され、松坂とバッテリーを組み、小池や後藤武敏らと共に1998年の甲子園春夏連覇及びかながわ・ゆめ国体で優勝を果たした。中村順司前PL監督が指揮を執る第3回AAAアジア選手権大会日本代表では寺本四郎・杉内俊哉・久保康友・上重聡ら松坂以外の投手からも全幅の信頼を置かれ優勝に貢献。
木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は… 木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 川内市川内南中学校では軟式野球部に所属。川内高校では3年時の1998年、鹿児島県高等学校春季野球大会にて杉内俊哉を擁する鹿児島実業を破り優勝。夏の全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では鹿児島実業に1-3で惜敗。甲子園出場を逃した。卒業後は亜細亜大学に進学。2年時にはリーグ戦未勝利ながら大学選手権準決勝でドラフト有力候補だった山村路直(九州共立大)と延長10回を投げ合って完封勝利。決勝でも先発し3回1失点で交代するも優勝に貢献した。東都大学リーグ通算31試合登板、12勝8敗、防御率1.80、225奪三振。
山本 浩司(やまもと こうじ、1979年4月3日 - )は、… 山本 浩司(やまもと こうじ、1979年4月3日 - )は、元社会人野球選手 (投手)、野球指導者。JR東日本所属。181cm、77kg。右投げ右打ち。 小学校2年生から野球を始め、以降投手一筋。知立市立知立南中学校時代は「愛知衣浦シニア」に所属。大府高校から亜細亜大学に進学。3年時には大学野球選手権優勝を経験、4年時の2001年シーズンでは春秋通算で7勝をマークした。リーグ通算21試合に登板し7勝7敗。大学卒業後は社会人のJR東日本へ入社。1年上に吉川昌宏ら、1年下に木佐貫洋、永川勝浩、小山良男がいた。 JR東日本では入社1年目から先輩の松井光介と共に投手陣を支える存在となり、松井がプロ入り後はJR東日本のエースとして活躍した。
久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )… 久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )は、大阪府大東市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 柏原高校(現:東大阪大学柏原高校)では1年秋の府大会準決勝で福留孝介を擁するPL学園高に大敗。亜細亜大に進学。大学時代は1年上に左腕・佐藤宏志、松井光介、吉川昌宏が同期、2学年下に木佐貫洋がいて2試合登板したのみで登板機会に恵まれず、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率5.40を記録。2001年の第72回都市対抗野球大会で河合楽器が初優勝を果たした際、若獅子賞を受賞する働きを見せ一躍注目される。同年の野球部休部に伴い、特例措置で同僚の山井大介とともにドラフト4巡目指名で中日に入団。
松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は… 松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は、北海道札幌市豊平区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は、東京ヤクルトスワローズのスコアラーを務めている。 中学2年時に父の転勤で東京都江戸川区に転居。江戸川南シニアを経て、1994年に横浜高校に入学。シニアリーグ、高校を通じて松坂大輔の2年先輩にあたる。 シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため投手としては同学年内では2番手という存在だったが2年次より外野手としてプレーしている。同年の第76回全国高等学校野球選手権大会に横浜高は5年振りの出場を果たすが、那覇商に初戦で敗れている。翌1995年春夏も甲子園出場を目指したが、叶わなかった。
吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )… 吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )は、元プロ野球選手(投手)。高知県出身。
藤本 敦士(ふじもと あつし、 1977年10月4日 - )… 藤本 敦士(ふじもと あつし、 1977年10月4日 - )は、兵庫県明石市出身の元・プロ野球選手(内野手)。野球指導者。