星野 勇二(ほしの ゆうじ、1975年8月7日 - )は、日… 星野 勇二(ほしの ゆうじ、1975年8月7日 - )は、日本の男性総合格闘家。東京都大田区出身。和術慧舟會GODS所属。元CAGE FORCEフェザー級王者。 タイガーマスクに憧れ小学3年生で伝統派空手を始め中学まで続け、高校入学と同時にレスリングを始め、 国士館大学卒業まで続けた。 2000年8月27日、パンクラス ネオブラッド・トーナメントでプロデビュー。決勝で渡辺大介を下し優勝した。 2001年6月26日、PANCRASE 2001 PROOF TOURで北岡悟と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2001年10月30日、PANCRASE 2001 PROOF TOURで行われたミドル級(-82kg)キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで王者のネイサン・マーコートに挑戦し、三角絞めで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。
渡辺 聡(わたなべ さとし、1975年8月1日 - )は、群… 渡辺 聡(わたなべ さとし、1975年8月1日 - )は、群馬県出身の元ビーチバレーボール選手。現在は湘南ベルマーレビーチバレーチームコーチ。 国士舘大学でビーチバレーボールを始め、1995年より全日本大学選手権で連覇。 1999年からは海外を転戦。アジアサーキット(現・アジアツアー)でタイトルを獲得し、ワールドツアーにも参戦。 2000年、ジャパンサーキット(後のJBVツアー)で優勝。 2001年には白鳥勝浩とペアを組み、2002年のアジア競技大会で金メダル獲得。この年からはビーチバレージャパン3連覇を果たす。この頃よりビーチウィンズと契約。 2004年、アテネオリンピック予選に出場するが、9位に終わり本大会切符を逃す。
佐々木 洋(ささき ひろし、1975年7月27日 - )は、… 佐々木 洋(ささき ひろし、1975年7月27日 - )は、日本の高等学校教諭、高校野球指導者。メジャーリーグで活動する菊池雄星や大谷翔平らを育成した。 農家の次男として生まれる。幼少期はプロ野球選手を目指して、野球に打ち込む。 岩手県立黒沢尻北高等学校時代には甲子園大会などの全国大会への出場はない。 高校卒業後は国士舘大学に進学。同期に古城茂幸がいた。教育実習は、大学の先輩でもある、水谷哲也が監督を務める、横浜隼人高等学校にて行っていた。 大学卒業後はその縁から横浜隼人高等学校にて、コーチを務める。 2000年に岩手県の花巻東高等学校の教員として赴任。当初はバドミントン部や女子ソフトボール部の顧問を務めていた。
吉田 輝幸(よしだ てるゆき、1975年〈昭和50年〉5月3… 吉田 輝幸(よしだ てるゆき、1975年〈昭和50年〉5月31日 - )は、埼玉県出身の日本の起業家、経営者。株式会社PCPの代表取締役社長(CEO)。LDH所属。 埼玉県出身。中学時代から陸上競技(短距離)に取り組み、100mで全国大会に出場。中学3年時には100mで10秒9を記録し、当時の全国中学生ランキング8位となった。埼玉栄高等学校に進学。3年時には全国高等学校総合体育大会(インターハイ)4×100mリレーで全国3位に入賞した。 国士舘大学体育学部に進学。日本選手権リレー4×100mで3位入賞。国民体育大会(国体)200m埼玉県代表としても出場を果たす。大学時代の目標はオリンピック出場であったが、4年時の怪我により競技生活を断念。
小野 浩二(おの こうじ、1975年4月25日 - )は日本… 小野 浩二(おの こうじ、1975年4月25日 - )は日本の実業家、エステティシャン。一般社団法人日本スキンケア協会代表理事。株式会社シードリーム代表取締役。新潟県村上市出身。 2008年日本エステティック協会 35周年記念エステティックコンテスト全国大会で優勝。
東村 里恵子(ひがしむら りえこ、1975年〈昭和50年〉3… 東村 里恵子(ひがしむら りえこ、1975年〈昭和50年〉3月19日 - )は、日本の政治家、新潟市議会議員(2期)。新潟県新潟市を拠点に活動するレポーター。AB型。 栃木県足利市生まれ。国士舘大学政経学部政治学科卒業。長野県のコミュニティテレビこもろアナウンサー、新潟県のエフエム新津アナウンサーを経て2007年(平成19年)、フリーアナウンサーとして独立。レポーター等でラジオに出演している。2010年(平成22年)結婚、その後離婚。 2019年(平成31年)4月7日の新潟市議会議員選挙では、秋葉区選挙区から無所属で出馬し5634票を獲得して候補者7名中2位で初当選。会派は翔政会に所属。2023年(令和5年)の市議選も同区から無所属で出馬し5405票を獲得して候補者7名中トップ当選を果たした。
佐藤 尽(さとう じん、1974年9月27日 - )は北海道… 佐藤 尽(さとう じん、1974年9月27日 - )は北海道室蘭市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。日本サッカー協会指導者ライセンス(公認S級)を保有している。 2016年より京都サンガF.C.のトップチームコーチに就任した。2020年には、JFA 公認S級コーチ資格を取得。 2021年よりモンテディオ山形トップチームコーチに就任、同年4月22日、成績不振により監督の石丸清隆が解任されたことを受け、後任決定までの間監督となることが発表された。2022年8月31日、前半11分から再開試合となるJ2・第8節の岡山戦の1試合限定で監督代行を務めた。
今野 章(こんの あきら、1974年9月12日 - )は、日… 今野 章(こんの あきら、1974年9月12日 - )は、日本の元プロサッカー選手、現指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。 高校は地元の大船渡高校に進学。大学は国士舘大学へ進学。2年次からレギュラーを獲得しチームの攻撃の中心として活躍した。1997年にジュビロ磐田へ入団。同じポジションには当時日本代表だった名波浩、藤田俊哉、奥大介などがいたために、控えに甘んじる日々が続き、右サイドバックなどにも挑戦したが、レギュラー獲得とまではいかなかった。 2000年に川崎フロンターレへ移籍。主にトップ下として出場機会も増え、2003年にはチームのゲームキャプテンを務めるなど長年にわたり中心選手としてチームを支えた。
斉木 テツ(さいき テツ、1974年9月11日 - )は、日… 斉木 テツ(さいき テツ、1974年9月11日 - )は、日本の俳優、声優。株式会社ジニアスが運営する芸能プロダクション「アンジー」に所属する。山梨県出身。 国士舘大学を卒業後、俳優になることを決める。2000年、映画『バトル・ロワイアル』で俳優デビュー。ドラマ、映画、舞台での俳優業だけでなく、MC、声優、ナレーションなどの活動もしている。また演劇チーム【斉伸堂】を結成し、脚本・演出も手がけ、後進の育成にも力を入れている。2022年よりYouTubeユニット【斉伸昇龍】を結成し、YouTubeにて【百鬼の宴】を配信している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
浦田 尚希(うらた なおき、1974年6月27日 - )は、… 浦田 尚希(うらた なおき、1974年6月27日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。現役時代はJリーグの川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府に所属した。ポジションはフォワード。
庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )… 庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )は、東京都生まれ静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学4年の時に野球を始める。静清工業高校では投手を務め、エースとして1992年の夏の静岡県予選でチームを準優勝に導いた。東都大学野球連盟の国士舘大学に進学後、2年次からは外野手に転向。1部リーグ通算2季で、11試合に出場、28打数5安打、打率.179、本塁打、打点はなし。 卒業後の1997年より河合楽器でプレー。主に4番として都市対抗野球大会に2度出場した。1999年には6月13日の都市対抗静岡代表決定戦で顎に死球を受け、意識を失い複雑骨折する重傷を負ったが医者を説得して早期復帰し、本大会にも出場している。
高山 啓義(たかやま ひろよし、1974年3月18日 - )… 高山 啓義(たかやま ひろよし、1974年3月18日 - )は、栃木県出身のサッカー審判員。宇都宮北高校、国士舘大学卒業。
前田 圭介(まえだ けいすけ、1974年 - )は、日本の建… 前田 圭介(まえだ けいすけ、1974年 - )は、日本の建築家. 株式会社UID 代表取締役. 故郷「広島県福山市」を拠点に国内外でインターローカルな設計活動を行う. 建築・庭・街といった内外の境界を一体的に捉え、伝統的な日本建築を現代的に再解釈した作風は常に高い評価を得ており、アジアで最も権威のある賞 ARCASIA Awards for Architecture ゴールドメダルを3作品受賞、イタリア建築協会(ALA)主催のDedalo Minosse 2007/2008 国際建築賞UNDER40 最優秀賞、イギリスを代表する建築雑誌「Architectural Review(AR)」主催のAR House 2016 Winner 最優秀賞、新進の建築家を表彰する日本建築家協会(JIA)主催のJIA新人賞の他、GOOD DESIGN AWARD 金賞等、国内外で受賞歴多数. この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
倉山 満(くらやま みつる、1973年〈昭和48年〉12月1… 倉山 満(くらやま みつる、1973年〈昭和48年〉12月18日 - )は、日本の皇室史学者、憲政史研究家。憲政史の専門研究は、憲政の常道。一般社団法人「救国シンクタンク」所長・理事長。 国士舘大学非常勤講師、国立公文書館アジア歴史資料センター非常勤職員、一般社団法人「新しい歴史教科書をつくる会」理事、希望日本研究所所長、次世代の党自主憲法起草委員会顧問を歴任。安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会発起人。昭和12年学会発起人・元事務局長。 香川県生まれ。香川県大手前高等学校(現・大手前丸亀高等学校)卒業。 1996年、中央大学文学部史学科国史学専攻卒業。中央大学大学院文学研究科国史学専攻博士前期課程修了、修士(文学)。
大柴 健二(おおしば けんじ、1973年11月19日 - )… 大柴 健二(おおしば けんじ、1973年11月19日 - )は、山梨県甲府市出身で浦和レッドダイヤモンズ等に所属した元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 1996年に国士舘大学から浦和レッドダイヤモンズに加入。俊足のフォワードで相手DFの裏へ抜け出してボールを受けると、そのまま一気にドリブルで駆け上がりゴールへ流し込むスタイル。浦和時代には、さらさらのロングヘアだったことから、同僚の岡野雅行との2トップの時には「野人コンビ」と呼ばれ、活躍した。1997年のオフに結婚。1998年には豊富な運動量を武器に、14得点でチームの得点王になった。 2001年セレッソ大阪に移籍したが古巣の浦和に非常に強く、2度の対戦で計3得点を挙げた。
田頭 弘毅(たがしら こうき、1973年9月25日 - )は… 田頭 弘毅(たがしら こうき、1973年9月25日 - )は、日本の重量挙げ選手、政治家。いわき市議会議員(3期)。 福島県いわき市小名浜出身。福島県立勿来工業高等学校、国士舘大学卒業。日栄薬品興業に所属した。 ウエイトリフティング56kg級 スナッチ115kg、トータル255kg 元日本記録保持者。 2000年シドニーオリンピック ウエイトリフティング男子56kg級日本代表 13位。 1999年アジア選手権4位、世界選手権12位。 全日本選手権大会優勝2回、国民体育大会優勝1回、全日本実業団優勝1回。 2016年9月11日、自由民主党公認で立候補したいわき市議会議員選挙で初当選を果たした。定数37に対して37番目の得票、つまり最少得票での当選者であり、落選した次点者との差は1票であった。
伊藤 淳(いとう じゅん、1973年8月19日 - )は、元… 伊藤 淳(いとう じゅん、1973年8月19日 - )は、元フットサル選手・フットサル指導者。ポジションはゴレイロ。Fリーグ通算69試合出場2得点。 室蘭大谷高等学校ではサッカー部に所属。高校卒業後は国士舘大学に進学。大学卒業後は神奈川県社会人サッカーリーグ所属チームのニチレイやエリースFC東京でプレー。その後フットサルに転向。 2009年、Fリーグのエスポラーダ北海道に入団。 2011年、エスポラーダ北海道を退団し、北海道フットサルリーグ所属のCorrida・de・Torosに移籍。その後ステラミーゴいわて花巻に移籍した。
鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は… 鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は、東京都東村山市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ、プロ野球解説者。 浦和学院高校時代は清水隆行と同学年であった。高校卒業後は、東都大学野球リーグの国士舘大学に進学。3年秋、4年春は1部でリーグ通算26試合に出場、94打数26安打、打率.277、4本塁打、10打点、3盗塁の記録を残し、ベストナイン1回(1994年秋)、4年春の入替戦では1敗の2戦目で本塁打を放つも延長15回で亜大に惜敗、2部通算は69試合、306打数90安打、打率.294、13本塁打。卒業後は日産自動車に入団。1998年は都市対抗野球で優勝に貢献。持ち前のパンチ力で全日本メンバーに選ばれ、シドニーオリンピックの予選を兼ねたアジア選手権ではプロアマ混成チームながら外野の一角を担った。
太田 雅之(おおた まさゆき、1973年6月17日 - )は… 太田 雅之(おおた まさゆき、1973年6月17日 - )はJリーグディビジョン2(J2)のモンテディオ山形に所属していた元プロサッカー選手。ポジションはDF。 モンテディオ山形に入団した初年度、開幕戦でいきなりスタメン出場し、0-0で迎えた後半ロスタイムに決勝ゴールを決めた。左右のサイドバックや3トップのウィングなど、タッチライン際を主にプレーした。試合中の接触プレーで脚の靭帯を損傷したり、鼻骨を骨折したりと、プレー続行不可能な状態にもかかわらず、退場することなくプレーし続けるその姿に、サポーターの間では「鉄人」と呼ばれるようになった。2006年シーズン終了後に現役を引退した。 引退後の2007年からは、モンテディオ山形ユース(U-18)のコーチを務めている。
中松 俊哉(なかまつ としや、1973年1月2日 - )は、… 中松 俊哉(なかまつ としや、1973年1月2日 - )は、鹿児島県出身の日本の俳優である。 高校時代には野球部に所属していた。国士舘大学在学中より俳優活動をしている。 2001年に公開されたキム・テグワン監督映画『息もできない長いKISS』で初主演。同作品がロッテルダム国際映画祭に出品された際には、監督と一緒にオランダへ行っている。 2007年に映像制作ユニット・東京ゲリラムービーズを結成。中松自らが代表を務め、東京ゲリラムービーズ第1回作品『HYPO』では自身が企画・脚本・主演・プロデュースを行った。この作品で、メキシコ国際映画祭ではブロンズパルムアワード、ルナティックショートムービーフェスティバルでは清水崇賞を受賞している。
安藤 戒牛(あんどう かいご、1973年 - )は、日本の剣… 安藤 戒牛(あんどう かいご、1973年 - )は、日本の剣道家(錬士七段)・元剣道日本代表、警察官。岐阜県出身。
武田 幸三(たけだ こうぞう、1972年12月27日 - )… 武田 幸三(たけだ こうぞう、1972年12月27日 - )は、日本の男性俳優。元キックボクサー。東京都足立区出身。新日本キックボクシング協会、治政館ジム所属。国際総合武道教育連盟顧問。空手五段。
あおき さやか(1972年10月19日 - )は、日本の女性… あおき さやか(1972年10月19日 - )は、日本の女性声優。 フリー。秋田県生まれ、茨城県古河市育ち。 1999年3月31日までは青木 静香(あおき しずか)の芸名で活動していた。 子供の頃から高くてか細い声で、当初は特段目立つ声ではなかったが、周囲が声変わりをしていくと共に嫌な言葉を浴びせられるようになり、声にコンプレックスを持つようになった。成人後もなお声をからかわれ続け、会社で電話対応を行った際には相手に子供と勘違いされることもあった。 そんな中、新聞で声優養成所の広告を発見し「こんなに声優っぽいと言われるくらいなら、本当になってやる!」と決意し、声優を目指し始める。 声の特性は基本的に一生変わらないと考え、自分の声を好きになろうと決意する。
原田17歳(はらだ じゅうななさい、1972年8月18日 -… 原田17歳(はらだ じゅうななさい、1972年8月18日 - )は、日本のお笑いタレント。本名、原田 尚紀(はらだ なおき)。神奈川県出身。プロデューサーハウスあ・うんを経て、WAHAHA商店所属。1991年デビュー。国士舘大学卒業。 1991年、大学生の頃からフリーで本名である『原田尚紀』として芝居・芸人活動を開始。ハチミツ二郎(東京ダイナマイト)が当時運営していた事務所トンパチプロのゴングショーなどライブに出演していた。 その後プロデューサーハウスあ・うんの所属となり、キャラ付けが必要と考え「バツイチ」と「16才」の2つから友人の意見で2001年に『原田16才』に改名し、爆笑問題のバク天!や笑いの金メダルなどの番組に出演。
厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )… 厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ。 2001年までの登録名表記は厚沢 和幸。 浦和市立上大久保中学校(現:さいたま市立上大久保中学校)で野球を始め、大宮工業高校では2年秋からエースとなる。3年夏の県大会は4回戦で敗退した。東都大学野球の国士舘大学に進み、1年春からベンチ入り。4年春に2部でMVPとなり、入替戦では初戦で西口文也と投げ合って勝利し、東都大学野球リーグ1部昇格の原動力となる。東都1部通算9試合に登板、3勝3敗、防御率1.88。また2部通算37試合に登板、10勝8敗、防御率2.85。
深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )… 深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )は、北海道室蘭市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代は主にフォワードを務めた。 室蘭市出身。小学校から中学校まで室蘭市で育ち、体格の良さなどサッカーにおいても数々の記録を残し、室蘭に深川ありと有名になる。しかし中学3年に大工だった父の仕事の都合で神奈川県に引っ越すが、その際北海道のサッカー強豪校、室蘭大谷高等学校の監督だった高橋正弘氏の計らいで当時室蘭大谷高校と親交のあった日産自動車サッカー部の監督だった加茂周氏を通じて日産FCジュニアユースに入る。中学卒業後単身で室蘭に戻り室蘭大谷高校へ入学し、サッカー部で1年時よりレギュラーをつかみ、1学年上の京谷和幸と道内敵無しの時代を築いた。
土橋 正樹(つちはし まさき、1972年7月23日 - )は… 土橋 正樹(つちはし まさき、1972年7月23日 - )は神奈川県横浜市出身で浦和レッドダイヤモンズに所属した元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー。 神奈川県出身であるが小学時代は静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で過ごし、6年生の時に清水FCの一員として山田隆裕らと共に全日本少年サッカー大会に出場。高校は宮城県の東北学院高校へ進学、3年次の1990年に高校総体でベスト4進出に貢献すると、日本ユース代表に選出され名波浩、藤田俊哉らと共にAFCユース選手権に出場した。 国士舘大学を経て1995年に浦和レッドダイヤモンズに入団。ホルガー・オジェック監督の下でボランチとしてレギュラーの座を掴むと、前年まで2年連続最下位に終わった浦和の1stステージ3位に貢献、翌1996年には日本代表にも選出された。
KEI山宮(ケイやまみや、1972年7月12日 - )は、日… KEI山宮(ケイやまみや、1972年7月12日 - )は、日本の男性総合格闘家。神奈川県茅ヶ崎市出身。初代ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシスト。神奈川県立茅ケ崎高等学校、国士舘大学卒業。 国士舘大学時代はレスリング部に所属。関東選手権82kg級2位の実績を残した。 大学卒業後、スポーツインストラクターとして地元で社会人生活を送っていたが、1995年にパンクラス入門。1997年のネオブラッド・トーナメントでは優勝を果たした。 1999年11月14日、UFC Japanでユージーン・ジャクソンと対戦し、左フックでKO負け。この試合よりリングネームを本名からKEI山宮に変更した。 2000年6月26日、PANCRASE 2000 TRANS TOURでライトヘビー級(-90kg)ランキングトーナメントに参戦。
安藤 正裕(あんどう まさひろ、1972年4月2日 - )は… 安藤 正裕(あんどう まさひろ、1972年4月2日 - )は、埼玉県坂戸市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー、ディフェンダー。元日本代表。 高校2年生までは無名の存在であったが、3年時の1990年に埼玉県選抜に選出され国民体育大会で優勝した経験を持つ。国士舘大学を経て、1995年に清水エスパルスに加入。2年目の1996年からレギュラーのポジションを射止める。日本代表にも選ばれ、1999年7月2日のコパ・アメリカのパラグアイ戦にフル出場した。同じポジションの市川大祐が台頭した1999年には出番が激減し、10月には同県内のライバル、ジュビロ磐田へと移籍。チャンピオンシップでは古巣の清水と対戦し、第一戦の中山雅史の先制ゴールをアシストすると、守備でも同年のJリーグMVPに輝いたアレックスを抑え込み、磐田に年間優勝のタイトルをもたらした。
せがわ きり(本名:瀬川 貴理、1971年12月9日 - )… せがわ きり(本名:瀬川 貴理、1971年12月9日 - )は、日本のタレント、児童文学作家。 東京都新宿区西新宿の飲食店(バー)の一人娘として生まれる。幼稚園の頃に長崎県での居住歴がある。新宿区立淀橋第六小学校、私立中高一貫校(女子高)を経て、国士舘大学在学中の1992年8月、少女時代(主として中学生・高校生時代)の思い出を綴ったエッセイ集『アジのひらきは栄養満点 - キリちゃんのトーキョー少女日記』を出版。その本の帯に野坂昭如が文を書いた事から、週刊誌「SPA!」1992年10月7日号の「中森文化新聞」(中森明夫が主宰していたコーナー。現在は終了)に取り上げられ、それを契機にタレント活動を開始。
五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - … 五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - )は北海道出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代の身長は173cm、体重95kg。 根室市立啓雲中学からとわの森三愛女子高校へ進学するが、この当時は柔道だけでなくバスケットボールにも取り組んでいた。1年の時には高校選手権72kg超級の決勝で、暫くライバル関係が続くことになる東海大仰星高校1年の松尾徳子に判定で敗れた。2年の時には決勝で松尾を裏投げで破って優勝を飾った。 1990年には国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本選手権の準決勝で世界選手権61kg級3位である筑波大学4年の小林貴子に合技で敗れるも3位入賞を果たした。
和田 貴広(わだ たかひろ、1971年11月16日 - )は… 和田 貴広(わだ たかひろ、1971年11月16日 - )は、日本のレスリング選手。鹿児島県出身。国士舘大学卒業。2001年から日本レスリング協会専任コーチに就任し、2008年、北京オリンピックレスリング全日本代表コーチ。北京オリンピック終了後、母校国士舘大学レスリング部コーチに就任した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
黒田 弘則(くろだ ひろのり、1971年9月11日 - )は… 黒田 弘則(くろだ ひろのり、1971年9月11日 - )は、日本のラグビー指導者。現在札幌山の手高校ラグビー部の監督を務めている。 釜石南高校、国士舘大学、国士舘大学のコーチを経て、札幌山の手高校ラグビー部のコーチに就任。 2022年、監督に昇格。
千葉 恵二(ちば けいじ、1971年6月19日 - )は、岩… 千葉 恵二(ちば けいじ、1971年6月19日 - )は、岩手県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。
阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は… 阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は、山口県阿武郡福栄村(現萩市)出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長170cm。2歳年下の妹は世界選手権56kg級代表の阿武美和。5歳年下の妹はアテネオリンピック78kg級で優勝した阿武教子。 荻スポーツ少年団に所属していた小学校5年の時に全国少年柔道大会の個人戦無差別で3位になった。6年の時は2位となった。柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。 世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で3位だった。2年の時にはインターハイ団体戦決勝で東海大学付属福岡高等学校|東海大第五高校と対戦すると、相手エースの中村佳央に後袈裟固で敗れるなどしてチームは2位にとどまった。
松井 薫(まつい かおる、1971年4月24日 - )は、国… 松井 薫(まつい かおる、1971年4月24日 - )は、国士舘大学体育学部出身のプロスポーツトレーナー、パーソナルトレーナー。柔道整復師(国家資格)。体育学士。 国士舘大学理工学部理工学科健康医工学系講師。国士舘大学理工学研究所特別研究員。陸上自衛隊体育教官。東京都渋谷区神宮前・表参道、港区南青山プロスポーツトレーナーチーム「ウェルネスガーディアンズ」創設者。乃木坂「M.PD.Lab.」主宰。パーソナルトレーナー専門の国際ライセンス・資格付与協会「NESTA」日本支部(NESTA JAPAN)設立参画理事。日本トレーニング科学会:正学会員。日本抗加齢医学会:正学会員。日本心臓リハビリテーション学会:正学会員。
伊達 宗信(だて むねのぶ、1971年〈昭和46年〉4月17… 伊達 宗信(だて むねのぶ、1971年〈昭和46年〉4月17日 - )は、東京都目黒区出身の日本の実業家。宇和島伊達家第13代当主。 公益財団法人宇和島伊達文化保存会理事長、公益財団法人南豫奨学会理事長、和宗起業株式会社代表取締役。 1971年に宇和島伊達家第12代当主・伊達宗禮の子として、東京都目黒区で生まれる。 国士舘大学政経学部経済学科を卒業後は、1997年に丸井に入社。支店などでの勤務を経て、2006年からは本社勤務となった。 2010年に父・宗禮の逝去に伴い同社を退社。公益財団法人宇和島伊達文化保存会理事長。公益財団法人南豫奨学会理事長に就任。また、宇和島市内などの不動産を管理する、「和宗起業株式会社」の代表取締役に就任。
永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、… 永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 元サッカー選手、サッカー指導者の永井篤志は実弟である。 三浦知良に抜かれるまでのJFL最年長得点記録を持っていた。 長崎県立国見高校を卒業後、国士舘大学に入学しバルセロナオリンピック最終予選に出場するも、本大会の出場権を取れなかったことで大学を中退し、1992年にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に入団。 1995年にジャパンフットボールリーグの福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)、1996年に清水エスパルスに期限付き移籍後、翌年にV川崎に復帰。その後翌1998年に横浜フリューゲルスに完全移籍。
山路 嘉人(やまじ よしひと、1971年1月13日 - )は… 山路 嘉人(やまじ よしひと、1971年1月13日 - )は、宮城県東松島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 石巻商業高校を経て、国士舘大学に入学。大学卒業後は東芝(現:北海道コンサドーレ札幌)に入団した。その後、ブランメル仙台およびベガルタ仙台に所属し、2000年に現役を引退した。 2001年より仙台の育成部コーチ、2005年から2006年まで仙台ユース監督を務め、2005年にはチーム史上初のJユースサハラカップ決勝トーナメント進出を果たし、2006年にはチームをJユースサハラカップベスト8へ導いた。2007年はスクールマスター兼ホームタウン担当、2008年は仙台ユース監督に復帰し、チームを史上初の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権に出場させた。
高橋 健二(たかはし けんじ、1970年6月5日 - )は、… 高橋 健二(たかはし けんじ、1970年6月5日 - )は、山形県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。13年間モンテディオ山形(1996年まではNEC山形)に所属し続け、「ミスター・モンテディオ」と呼ばれる。 日大山形高校時代の1987年度高校サッカー選手権では山形県勢初のベスト16入りを果たし、自身も大会優秀選手に選ばれた。 高校卒業後に国士舘大学へ進学。在学時に1年休学してアルゼンチン留学を経験した。 大学卒業後、複数のJリーグチームからオファーを受けるも、「自分にはそれだけの実力がない」といい、1994年に全国地域リーグ決勝大会を突破してジャパンフットボールリーグへの昇格を決めたばかりの地元チームNEC山形(1996年以降、モンテディオ山形)へプロ契約選手として入団した。
新村 泰彦(にいむら やすひこ、1970年5月11日 - )… 新村 泰彦(にいむら やすひこ、1970年5月11日 - )は日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。
橘川 佳彦(きつかわ よしひこ、1970年〈昭和45年〉5月… 橘川 佳彦(きつかわ よしひこ、1970年〈昭和45年〉5月8日 - )は、日本の政治家。神奈川県綾瀬市長(1期)。綾瀬市議会議員(4期)、綾瀬市議会議長を務めた。 神奈川県高座郡綾瀬町(現・綾瀬市)出身。綾瀬市立天台小学校、綾瀬市立綾北中学校卒業。アメリカテキサス州サースグランドペアリーハイスクール(英語版)留学を経て、1989年、神奈川県立綾瀬高等学校卒業。1994年、国士舘大学卒業。 大学卒業後はシステムエンジニアとしてソフト開発の民間企業に勤務。その後、家業の不動産賃貸会社に入社。 2011年、綾瀬市議会議員選挙に立候補し、初当選。以降4期連続当選。市議会では市民福祉常任委員会委員長(2013年)、議会報編集委員会委員長(2014年)、議会選出監査委員(2016年)、議会運営委員会委員長(2017年 - 2018年)、基地対策特別委員会委員長(2018年、2023年)、綾瀬市議会副議長(2019年)、綾瀬市議会議長(2021年 - 2022年)、神奈川県市議会議長会会長(2021年)を歴任した。
石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1970年2月12日 -… 石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1970年2月12日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 1993年に柏レイソルに入団。ボランチ、センターバック、サイドバックをこなす守備の名手として、Jリーグ昇格前から柏を支えた。
マキタスポーツ(1970年1月25日 - )は、日本のお笑い… マキタスポーツ(1970年1月25日 - )は、日本のお笑い芸人、ミュージシャン、俳優。ワタナベエンターテインメント所属。 芸名は実家のスポーツ用品店の屋号からとっている。また、芸名は苗字のみでは頭高型アクセントで「マキタ」と発音されるケースもあるが、フルネームでは中高型アクセントで「マキタスポーツ」と発音されることが多い。 本名は槙田 雄司(まきた ゆうじ)で、一部著書では本名名義で発表されているケースも存在する。既婚で4児(長女、次女、長男・次男=双子)の父親。 PASSPO☆の元メンバー、振付師、プロデューサーの槙田紗子は遠戚にあたる。 山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校、国士舘大学卒業。
中河 昌彦(なかがわ まさひこ、1969年8月26日 - )… 中河 昌彦(なかがわ まさひこ、1969年8月26日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。サッカー指導者。 現役生活の殆どを控えGKとして過ごし、数クラブを渡り歩いたが、横浜マリノス在籍時の1996年にはアトランタオリンピック予選や骨折のため欠場が多かった川口能活の代役を務め、京都パープルサンガ在籍時の2001年には全44節中29試合に出場し、京都のJ1昇格に貢献した。 引退後は京都ユースのGKコーチに就任し、ナショナルトレセンやU-15日本代表のGKコーチも兼任した。 2009年からは徳島ヴォルティスのGKコーチを務めた。2013年、湘南ベルマーレのGKコーチに就任。 2014年‐2015年は母校である国士舘大学GKコーチを務める傍ら、ビーチサッカー日本代表GKコーチも兼任。
酒井 新悟(さかい しんご、1969年8月20日 - )は、… 酒井 新悟(さかい しんご、1969年8月20日 - )は、日本のバレーボール指導者。 滋賀県大津市出身。京都市の花園高等学校・国士舘大学卒業後、地域リーグ日本電装の選手として、実業団リーグの昇格を目指したが、入れ替え戦で勝つことができず、活動休止。福島国体を進める福島県から声がかかり、教員採用試験を受け合格、同県の中学教諭を務めながら、代表チームの一員となる。 国体終了後、当時V1リーグ(2部リーグ)の象印タフボーイズ入り、バレーボール選手として復帰。しかし廃部となった。1999年に新日鉄ブレイザーズ(現・堺ブレイザーズ)に移籍、リベロを担当。引退後はチームに残り、2002年から2009年までコーチ、その間2008年には全日本ジュニアチームのコーチ、そして2009年から2014年まで監督を務め、チームは2010/11シーズンと2012/13シーズンにリーグ優勝を果たした。
林家 彦いち(はやしや ひこいち、1969年7月3日 - )… 林家 彦いち(はやしや ひこいち、1969年7月3日 - )は、落語協会・所属の落語家。鹿児島県出身。本名∶安田 修。出囃子は「毬と殿様」。紋は「光琳の蔦」。所属事務所はトヨタアートを経てオフィス・トゥー・ワン→アンダーパレス(業務提携)。 鹿児島県立加世田高等学校卒業。国士舘大学文学部地理学専攻中退。 1989年12月に初代林家木久蔵に入門、林家時蔵、林家きく姫に継ぐ3番弟子になる。前座名は、師匠木久蔵の昔のあだ名より「きく兵衛」。 1993年5月に柳家喬太郎、入船亭扇辰と共に二ツ目昇進、大師匠林家彦六の「彦」の一文字を取り「林家彦いち」に改名。2000年に北とぴあ落語大賞とNHK新人演芸大賞落語部門大賞を受賞。
増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は… 増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は増田 康栄(ますだ やすひで)。 印旛高では3年時捕手を務め、1学年上にプロでも同僚となる土橋勝征がいた。国士舘大学では東都大学2部リーグで通算12勝。 1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け入団。 1992年から一軍登板を果たした。 1996年には自己最多の22試合に登板する。 1998年以降は一軍登板がなかった。 1999年シーズン終了後に退団。 退団後は、社会人野球の鷺宮製作所に在籍した。
熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - … 熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東海大一高では、冬の選手権で優勝を経験。国士舘大学、NTT関東を経て、1995年に柏レイソルに加入、1996年にモンテディオ山形。現役引退後に町田FCコーチ、東京農業大学監督
野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海… 野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 室蘭市立向陽中学校、室蘭大谷高、国士舘大学(2年次には自身を除き自身と同い年北澤豪含めて全員本田技研工業フットボールクラブ所属選手たるフットサル日本代表に選出された。1989 FIFAフットサル世界選手権に出場)を経て、1990年に日本サッカーリーグ1部日産自動車(Jリーグ開幕以降は横浜マリノス)に加入。ボランチ、左WBとして活躍。日本代表経験こそないが、主力選手として1990年代の横浜Mの黄金時代を支えた。 1999年にアビスパ福岡に移籍し、2003年から2004年までヴォルカ鹿児島でコーチ兼選手としてプレーした。