岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 20… 岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 2020年5月31日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。國學院大學卒。趣味はスキー、水泳。 大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦。 北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊。加清純子とは恋仲であった。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊。
岡本 睦治(おかもと むつじ、1935年2月18日 - )は… 岡本 睦治(おかもと むつじ、1935年2月18日 - )は、日本の経営者。 宮崎県出身。1957年に中央大学法学部法律学科を卒業し、同年に興亜火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1992年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、1998年6月に社長に就任。2001年4月から2004年6月までに日本興亜損害保険会長を務めた。
浅野 裕司(あさの ゆうじ、1935年2月13日 - 200… 浅野 裕司(あさの ゆうじ、1935年2月13日 - 2007年3月8日)は、日本の法学者。東洋大学法学部名誉教授。研究分野は民法、商法、信託法、空法。水島廣雄が東洋大学を退職するに伴い、銀行法および信託法を、大学院においては民法と企業法を担当。 信託受益権が債権か物権かの議論に関しては、強いて大陸法的な表現を用いると、受益権は物権的な性質を有する場合もあれば、全くの債権に該当する場合もあって、何を対象として信託が設定されたのかという信託目的および信託財産の種類に応じて受益権の内容が決定される場合が多く、その性質も絶えず変動して必ずしも一定しないとする。 イギリスの秘密信託に関して、本質的には遺言者の生存中に意図した受託者に伝えられる衡平法上の義務であることから、衡平法が直接的には、1837年の遺言法9条の規定に矛盾すると考えがちであるが、秘密信託の原理の論拠は、その信託が遺言の外で作用するもので、遺言法と矛盾しないとする。
渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月2… 渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月20日 - 2014年〈平成26年〉1月30日)は、日本の法学者(刑事訴訟法)。法学博士(中央大学・1978年)。中央大学名誉教授、警察大学校名誉教授。京都産業大学客員教授、学校法人常磐大学理事、司法試験考査委員を務めた。 1935年、満洲国新京(現:長春市)で高官の家庭に生まれ幼少時代を過ごし、敗戦後、浜松市に戻る。静岡県立浜松北高等学校卒業後、1955年、中央大学法学部3年生の時、司法試験に首席で合格。翌年、国家公務員六級職試験(後の上級甲種試験、Ⅰ種試験)に8位で合格。中央大学法学部助手兼務で司法修習修了。 刑事訴訟法学において、英米法の影響を大きく受けた学説を主張し、その独自の展開ゆえ「渥美刑訴」と呼ばれた。
雨宮 眞也(あめみや まさや、1935年1月7日 - 202… 雨宮 眞也(あめみや まさや、1935年1月7日 - 2022年3月18日)は、日本の弁護士、法学者。駒澤大学名誉教授。同大学学長、中国遼寧大学名誉教授など歴任。 山梨市出身。1953年、山梨県立日川高等学校卒業。同年山梨中央銀行入行。1956年 中央大学法学部法律学科に入学。在学中の1959年に司法試験合格。1960年、中央大学卒業。1962年、弁護士登録(東京弁護士会14期)。 1969年、駒澤大学法学部講師。助教授を経て1974年、法学部教授に就任。 1983年、日本比較法研究所客員研究員。駒澤大学法学部長、1994より副学長。 1998年~2002年、駒澤大学学長。2001年から2009年まで日本ディスクロージャー研究学会会長。
土本 武司(つちもと たけし、1935年1月4日 - 202… 土本 武司(つちもと たけし、1935年1月4日 - 2024年5月6日)は、日本の法学者(刑事法)。元検察官。元白鷗大学法科大学院教授、同研究科長、白鷗大学名誉教授。筑波大学名誉教授。元中央大学法学部・大学院法学研究科講師、元早稲田大学法学部講師、元横浜国立大学講師。元財務省税関研修所講師(高等科・高等専科)。法学博士(中央大学・論文博士・1987年)(学位論文「過失犯の研究」)。牧野英一門下。 東京都出身。大学在学中に司法試験に合格したところ牧野英一から誘われ、1年間、茅ヶ崎の牧野邸に住み込み、師事した。実務に通じた綿密な刑事訴訟法理論で著名である。日本の刑事訴訟法学者としては、河上和雄と並び、もっとも職権主義的な立場を強くとっている(『捜査官のための証拠法の理論と実際』21頁)。
井戸垣 彰(いどがき あきら、1935年 - 1994年6月… 井戸垣 彰(いどがき あきら、1935年 - 1994年6月)は、日本の牧師、キリスト教の著作家。 鳥取県出身。労働省(現、厚生労働省)、大蔵省に勤務した。中央大学第2法学部、聖書神学舎(現、聖書宣教会)卒業。日本福音キリスト教会連合、岩井キリスト教会牧師(井戸垣没後は、夫人が同教会の伝道師 をしていたが、牧師と再婚した)。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )… 尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の実業家。グローリー名誉会長。姫路商工会議所顧問。父はグローリー工業社長の尾上壽作。祖父は国栄機械製作所(現グローリー)創業者の尾上作兵衛。 兵庫県姫路市出身。物心ついたのは4、5歳ころの1940年前後で、当時尾上家の家業である会社は国鉄姫路駅の南西にあり、自宅はその隣だった。家は割合裕福だった。父の壽作は乗馬が好きで、馬を飼っていた。父が家庭では「うるさいおやじ」だったため、親元を離れたくて地元の高校を卒業すると東京へ出た。中央大学理工学部へ進んだ。よく遊んだので成績は中ぐらいだった。 大学を卒業した1959年は就職難で、職が決まらなかった。
兼清 弘之(かねきよ ひろゆき、1935年 - )は、日本の… 兼清 弘之(かねきよ ひろゆき、1935年 - )は、日本の経済学者。明治大学名誉教授。専門は社会政策。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
佐藤 東九男(さとう とくお、1935年 - )は、東京工芸… 佐藤 東九男(さとう とくお、1935年 - )は、東京工芸大学名誉教授。 両親がそれぞれ東北・九州の出身ということで「東九男」と命名される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
住吉 博(すみよし ひろし、1935年〈昭和10年〉- )は… 住吉 博(すみよし ひろし、1935年〈昭和10年〉- )は、日本の法学者。専門は、民事手続法(民事訴訟法・民事執行法・民事保全法)、司法書士の地位向上に関する研究。中央大学名誉教授。大宮法科大学院大学元学長。弁護士。 大阪府大阪市生まれ。1954年麻生塾工業高等学校卒業。中央大学法学部通信教育課程入学。その後、法学部政治学科通学課程に転籍。1962年中央大学法学部政治学科卒業。1964年司法修習修了。中央大学法学部助手。 1968年同法学部助教授。1975年同法学部教授。その後、1987年から1992年まで旧司法試験第二次試験考査委員も務めた。2004年中央大学定年退職。同名誉教授。同年、大宮法科大学院大学初代学長。
船越隆司(ふなこし りゅうじ、1935年- )は、日本の法学… 船越隆司(ふなこし りゅうじ、1935年- )は、日本の法学者。専門は民法。中央大学名誉教授。兵庫県出身。片山金章門下 1960年中央大学法学部卒業。同法学部助手。 1965年中央大学大学院法学研究科民事法専攻修了。1965年ドイツ・アメリカに研究留学。1965年中央大学法学部助教授。1972年中央大学法学部教授。2006年中央大学定年退職。同名誉教授。国際学院埼玉短期大学健康栄養学科客員教授。2010年国際学院埼玉短期大学退職。 尚学社から出版されていた理論と実際の体系シリーズは、1990年代から2000年代初頭にかけて「船越民法」として国家資格受験者(特に、司法試験受験者)より受験参考書として愛読されていたことがある。
平井 一雄(ひらい かずお、1935年 - )は、日本の法学… 平井 一雄(ひらい かずお、1935年 - )は、日本の法学者・弁護士。民法学者。獨協大学名誉教授。東京出身。
小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 20… 小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 2024年12月10日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、映画プロデューサーである。監督としての別名に三川 和久(みかわ かずひさ)、小川 卓寛(おかわ たかひろ)、小川 和久(おかわ かずひさ)、上田 光生(うえだ みつお)があり、俳優としては姿 良三(すがた りょうぞう)、脚本家としては水谷 一二三(みずたに ひふみ)と名乗る。成人映画の黎明期からの映画作家として知られ、異分野で活躍する山本晋也を除けば、成人映画の世界で長く現役として作品を発表し続けた人物であった。監督作は400本を超える。 1934年(昭和9年)12月28日、京都府京都市下京区烏丸通綾小路下ルに生まれる。
中尾 嘉伸(なかお よしのぶ、1934年〈昭和9年〉12月2… 中尾 嘉伸(なかお よしのぶ、1934年〈昭和9年〉12月27日 - 2009年〈平成21年〉6月27日)は、日本の政治家、元岡山県津山市長(3期)。 岡山県英田郡美作町(現・美作市)出身。中央大学法学部卒。製紙会社を経営し、津山青年会議所理事長、津山商工会議所副会頭などを務める。1995年、津山市長に当選。3期務める。3期目の途中であった2006年(平成18年)1月、再開発ビル「アルネ・津山」への税金投入が批判を浴び、市長解職(リコール)成立で失職した。同年3月の津山市長選挙に立候補したが、元岡山県議会議長の桑山博之に敗れた。 2009年に胃癌で死去した。
菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1… 菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1994年3月22日)は、日本の俳優。本名は同じ。愛称はスガカン。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校卒業、中央大学中退。劇団俳優座出身。田村企画を経て、東映俳優センターに所属していた。 高校卒業後、中央大学に進むが中退。 1957年(昭和32年)に俳優座養成所に第9期生として入所。 1960年(昭和35年)に座員となり、「セチュアンの善人」で初舞台を踏む。 1971年(昭和46年)に菅孝行作の「はんらん狂騒曲」上演を禁じた俳優座幹部と対立、中村敦夫、原田芳雄、市原悦子らと共に、俳優座劇場で同作の造反公演劇団を行い、退団した。 劇団在籍中から、映画やテレビドラマにも出演。
鈴木 秀治(すずき ひではる、1934年12月1日 - )は… 鈴木 秀治(すずき ひではる、1934年12月1日 - )は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務めた。 福井県出身。1958年に中央大学法学部を卒業し、同年に共栄火災海上保険に入社した。1986年7月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1992年6月には社長に就任。1999年6月から2001年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岸本 マチ子(きしもと マチこ、1934年11月29日 - … 岸本 マチ子(きしもと マチこ、1934年11月29日 - 2023年7月29日)は、日本の俳人、詩人である。 1934年11月29日、群馬県伊勢崎市に生まれる。中央大学卒業。1958年、結婚を機に沖縄県に移住した。琉球放送のアナウンサーを経て、雑貨卸売会社に勤務した。 1978年に詩集『黒風』で第1回山之口貘賞、1984年に詩集『コザ中の町ブルース』で第17回小熊秀雄賞を受賞した。1989年に俳誌『WA』を創刊、主宰した。1994年に第44回現代俳句協会賞を受賞した。 2023年7月29日、肺炎のため沖縄県那覇市の病院で死去した。88歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡田 尚壮(おかだ なおつよ、1934年(昭和9年)11月1… 岡田 尚壮(おかだ なおつよ、1934年(昭和9年)11月19日 - 2020年(令和2年)3月23日)は、日本の実業家・新聞記者。北國新聞社代表取締役元会長。金沢学院大学元理事長。参議院議員の岡田直樹の父。北都鉄工取締役相談役の小池田康成は弟。 石川県出身。1959年(昭和34年)中央大学法学部を卒業し、同年北國新聞社に入社。1984年(昭和59年)7月常務、1986年(昭和61年)3月専務、同年12月副社長を経て、1987年(昭和62年)2月に社長に就任。1991年(平成3年)1月会長に就任。 趣味はゴルフ・ソフトテニス。
青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日… 青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日 - )は、日本の政治家。元東京都葛飾区長。旭日小綬章受章。 福岡市出身。1961年(昭和36年)中央大学法学部を卒業し、葛飾区役所に奉職。葛飾区第三出張所長、企画室副主幹、厚生部国民年金課長、教育委員会事務局学務課長、選挙管理委員会事務局長、企画部企画課長、企画部予算課長、企画部主幹、企画部長、総務部長を経て、1991年(平成3年)厚生部長および助役に就任。1993年(平成5年)葛飾区長に当選した。 2014年 春の叙勲で旭日小綬章を受章
江川 潤(えがわ じゅん、1934年11月3日 - 2012… 江川 潤(えがわ じゅん、1934年11月3日 - 2012年2月27日)は、日本の政治学者。専門は政治過程論。中央大学名誉教授。福島県須賀川市生まれ。 1957年、中央大学法学部卒業。1962年、同大学院法学研究科政治学専攻博士課程退学(指導教授:原田鋼)。同年、同法学部助手。1971年、東京都立商科短期大学商科専任講師。1973年、同商科助教授。1976年、中央大学法学部専任講師。1977年、同法学部教授。1994年、日本政治学会理事(~1996年)。2005年、中央大学定年退職。同名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日… 久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日本の俳優、声優。神奈川県出身。 中央大学卒業。馬場企画を経て、清野事務所所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 20… 北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 2006年)は、レスラー。ローマオリンピックライト級グレコローマン5位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。
桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月… 桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明)は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。 北海道留萌支庁増毛郡増毛町に生まれる。 北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。
金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 20… 金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 2023年8月20日)は、日本のスポーツアナウンサー・コメンテーター。元毎日放送(MBS)・テレビ東京(TX)アナウンサー。神奈川県横浜市生まれ。愛称「ネコさん」。 横浜中学校・高等学校→中央大学法学部卒業後、1957年、毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社。1958年アジア大会サッカー日本代表の加茂豊(京都パープルサンガ元監督・加茂周の実兄)は毎日放送の同期であり、金子が日本サッカー界の要人との人脈を作るきっかけを与えた人物である。この経緯で、サッカーとの接点はMBS時代からあったが、MBS時代にサッカー中継を担当する事は一度も無かった。
金田 昌司(かねだ まさし、1934年8月28日 - 201… 金田 昌司(かねだ まさし、1934年8月28日 - 2016年12月19日)は、日本の経済地理学者、中央大学名誉教授。専門は産業立地論を中心とした経済地理学であるが、第三セクター研究や、大学教育へのインターンシップの導入に関わる活動でも知られている。 中央大学に学び、村田喜代治ゼミの第1期生として、1958年に卒業した。 1960年、中央大学大学院経済学研究科博士課程在学中に経済学部助手に採用され、1963年に博士課程単位取得満期退学した後、1964年に専任講師、1966年に助教授、1972年に教授へと昇任した。1971年には、「経済立地と土地利用」により、中央大学から経済学博士を取得した。 中央大学では、大学院経済学研究科委員長(1989年 - 1991年)、図書館長(1996年 - 2000年)、評議員(1996年 - 2003年)などを歴任し、中央大学生活協同組合の理事長も務めた(1992年 - 1995年)。
清水 信人(しみず のぶひと、1934年8月11日 - )は… 清水 信人(しみず のぶひと、1934年8月11日 - )は、日本の経営者。 新潟県出身。1959年に中央大学経済学部を卒業し、同年に西武鉄道に入社。1989年から1994年までに西武ライオンズの球団代表も務め、土井正博コーチの不祥事の処理にあたった。 エフエム埼玉取締役、西武不動産顧問なども歴任した。
山内 鉄也(やまのうち てつや、1934年7月20日 - 2… 山内 鉄也(やまのうち てつや、1934年7月20日 - 2010年4月2日)は、映画監督、テレビ演出家、脚本家。広島県広島市生まれ。テレビ時代劇『水戸黄門』『大岡越前』のメイン監督。 叔父は時代小説作家の白井喬二。少年時代はずっと映画が大好きで、中学生の時から映画界に入りたいと思っていた。広島市立舟入高等学校から中央大学経済学部に進み1957年に卒業し、東映に入社。時代劇が好きだったことから京都行きを希望し、京都撮影所の助監督となり、内田吐夢監督作品『大菩薩峠』(1957年)を皮切りに、伊藤大輔、松田定次、マキノ雅弘、加藤泰、工藤栄一監督らの時代劇に就く。またマキノの東映版・次郎長三国志シリーズ4作品の共同脚本も手がけた。
小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日… 小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日 - )は、日本の政治家、元千葉県四街道市長(1期)。 東京都出身。中央大学法学部卒。四街道市でメダカを保護するNPO法人の理事となり、当時、四街道市が進めていた地域交流センターの建設や保育所民営化に反対する活動を行った。 2008年(平成20年)の市長選挙に立候補し。「ハコモノ行政」からの脱却などを訴えて、現職の高橋操を150票差で破って、初当選する。 2010年(平成22年)、脳梗塞を発症して市内の病院に入院。リハビリ治療に専念していたが、公務復帰の目途が立たない状況となり職務を続けることが困難となったため、任期半ばで辞職した。 また割り箸アートの作家としても知られており、これまでに数々の作品を発表している人物でもある。
佐野 正巳(さの まさみ、1934年6月20日 - 2002… 佐野 正巳(さの まさみ、1934年6月20日 - 2002年11月4日)は、日本の国文学者。 島根県松江市生まれ。中央大学大学院博士課程中退。静岡精華高等学校教諭、東京成徳短期大学専任講師、1970年神奈川大学外国語学部助教授、教授。上代文学(万葉集)および近世文学・国学を専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年〈昭和9年〉5月9… 大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年〈昭和9年〉5月9日 - )は、日本の法制史学者。井伊氏および彦根藩の研究者。駒澤大学名誉教授・武蔵野学院大学名誉学長。 1934年に東京都、小石川に生まれる。1947年に東京高等師範学校附属国民学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業。その後1953年には東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業する。1954年、学習院大学政経学部中退。1958年、中央大学法学部を卒業。1960年、中央大学大学院法学研究科修了。1962年、東京大学教育学部研究生を経て東京大学法学部研究員となる。 その他、上智大学、中央大学、創価大学、帝京大学、川村学園女子大学、国士舘大学、山梨学院大学、山梨大学、武蔵野短期大学等で非常勤講師を兼任した。
内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 201… 内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 2013年以前)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(インサイドライト)。 神奈川県立小田原高等学校を1953年に卒業。中央大学ではサッカー部に所属。卒業後は古河電工サッカー部に入団。1960年度天皇杯にて、実業団チームとして初となる天皇杯優勝に貢献した。翌1961年度、1964年度にも天皇杯優勝。 学生時代から日本代表に選出され、1956年のメルボルンオリンピック予選では韓国代表との1戦目で貴重な先制点を挙げた。2戦目は韓国に敗れたものの、抽選で本大会出場が決定。本大会でのオーストラリア代表戦にも出場した。
山田 晃睦(やまだ てるよし、1934年4月16日 - 20… 山田 晃睦(やまだ てるよし、1934年4月16日 - 2006年10月30日)は、元札幌テレビアナウンサー、元栗沢町の町長。
金 宰淑(김 재숙、キム・ジェスク、1934年4月9日 - … 金 宰淑(김 재숙、キム・ジェスク、1934年4月9日 - )は、元在日本大韓民国民団中央本部団長。 中央大学法学部、同大学専攻科(刑事法)。 2000年の民団中央団長選挙に出馬し、地方参政権の獲得、信用組合問題への取り組み、「21世紀委員会」の設置、「福祉問題推進委」などの設置、「組織功労者会」の設置を公約に掲げて、同年3月、中央団長に選出された。
布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2… 布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2023年6月25日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県山鹿市出身。中央大学卒業。 2年時の第30回箱根駅伝では9区を走る。2位の早稲田大学とは13秒差と首位で襷を受け、少しずつ差を離していたが、中継所から約300mにある戸塚踏切の警報器が鳴り始め、布上が通る直前に遮断機が降り始める。すると、遮断機をくぐるのにロスタイムがあってはいけないと、ムキになって駆け抜けた。しかし、このペースアップの影響で後半に失速し、早稲田大学に抜かれ、2位に後退。10区でも日本大学に抜かれて順位を一つ落とし、中央大学は総合優勝を逃した。この失敗が布上の選手、そして指導者としての原点になっているという。
菊間 崇祠(きくま たかし、旧名:卓、1934年3月20日 … 菊間 崇祠(きくま たかし、旧名:卓、1934年3月20日 - 2024年12月4日)は、八王子実践高等学校女子バレーボール部の元監督である。 東京府東京市池袋出身。 1956年中央大学法学部を卒業後、1958年から八王子実践高校に社会科の教員として赴任し、バレー部顧問をかって出る。 以来、女子バレー部監督歴50年余りとなる名将として知られる。指導のスタンスは「求めよ、されば与えん」。大林素子が「私はレシーブしなくてもいいのですか」と申し出て初めて猛烈な特訓をはじめたという。 これまで大林や三屋裕子、福田記代子、多治見麻子、狩野美雪・舞子姉妹ら、多くのプロバレーボール選手を育成してきた一方、その指導方針であるスパルタ指導に対しては賛否がある[要出典]。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
茂木 隆(もてぎ たかし、1934年1月26日 - 2003… 茂木 隆(もてぎ たかし、1934年1月26日 - 2003年9月20日)は、日本の経営者。バンダイ社長を務めた。 愛知県出身。1956年に中央大学経済学部を卒業し、1973年にバンダイに入社。1991年6月に常勤監査役を経て、1997年6月に社長に就任。1999年3月に取締役に退いた。 2003年9月20日直腸癌のために死去。69歳没。
武井 義明(たけい よしあき、1934年(昭和9年)1月24… 武井 義明(たけい よしあき、1934年(昭和9年)1月24日 - 1994年(平成6年)8月2日)は、日本のジャズシンガー。 高知県高知市出身、中央大学卒業。在学中にフランク武井の名でジャズののど自慢大会に優勝してプロ入りし疋田ブラザーズ楽団の専属歌手となる。ジョージ川口、与田輝雄らとコンボで歌い、その後ソロへ転向。 1959年12月31日、第10回NHK紅白歌合戦に初出場した(詳細は下記参照)。 戦後の第一次ジャズブームの中では最年少であった。 日清ちびっこのどじまん(フジテレビ)の審査員を務めた。
深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は… 深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は最高裁判所判事、弁護士。日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長、小田急電鉄監査役を歴任した。旭日大綬章を受章。学校法人中央大学元理事[要出典]。静岡県出身。 金のない依頼人の面倒を見ていた弁護士である父親を見て、自身も弁護士を目指す[要出典]。 1957年、中央大学法学部卒業。1961年、弁護士登録。 1993年、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2000年9月、最高裁判所判事に就任。2004年1月、定年退官、弁護士登録。同年6月小田急電鉄監査役。2005年11月、旭日大綬章を受章。 2014年5月、学校法人中央大学理事長に就任。
上澤昇(かみさわ のぼる、1934年(昭和9年) - )は、… 上澤昇(かみさわ のぼる、1934年(昭和9年) - )は、日本の実業家。オリエンタルランド副社長。静岡県出身。 ディズニーランドの日本誘致交渉に、高橋政知らと共に、初期から最終契約締結まで直接携わる。また、東京ディズニーランド開業から、オリエンタルランド常務取締役(最高運営責任者)、副社長を務め、日本における「テーマパーク」の基礎を確立した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )… 伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )は、静岡県浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜名区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 中学時代に野球を始めるが、肩が強く左投げだったため投手となる。興誠商業高校では2年生からエースとなり、3年次の1951年の夏の甲子園の静岡県予選の前には新聞に「ダークホース」と書かれたが、1回戦で静岡市立高校に0-1で敗れた。 1952年に中央大学へ進学すると、1年の春季から東都大学リーグで登板。2年次の1953年春季のリーグでは5勝を挙げて中央大学の全勝優勝に貢献する。同年の大学選手権でも勝ち上がるが、決勝で立大に敗れ準優勝となった。しかし、同年の夏場に背中の筋肉を痛める。
松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、… 松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、日本の検察官。元東京地検特捜部部長。 北海道函館市出身。北海道函館工業高等学校電気科を経て、苦学しながら1957年中央大学法学部を卒業。会社勤務の傍ら司法試験に挑み続け、1963年検事任官。山本清二郎の下で日通事件に関わった。ロッキード事件では児玉誉士夫の取調べ担当にあり、さらに1976年7月27日午前6時半、特捜部資料課事務官の4人らと共に、目白台の田中邸に出向き、田中角栄を逮捕、東京地検への同行を求めた。 1985年東京高検特別公判部長(政治家被告人のための公判担当)、1987年8月東京地検特捜部長、1989年最高検検事。以後、1990年大津地検検事正、1991年最高検検事、同年水戸地検検事正を経て、1993年7月法務省矯正局長に。
永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2… 永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2024年9月30日)は日本の漫画家、イラストレーター。永見 ハルオ、永美 はるお名義の作品もある。本名は堀ノ内史旺(ほりのうち・ふみお)。 東京生まれ。東京都立第一商業高等学校を経て、1957年、中央大学経済学部卒業。1966年に漫画家デビュー。日本漫画家協会会員。 講談社ブルーバックスなどのイラストで知られる。 2024年9月30日、死去。90歳没。
砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2… 砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2015年9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)を務めた。 兵庫県神戸市出身。おじの砂田重政、従兄の砂田重民も衆議院議員を務めている。 中央大学経済学部卒業後、議員秘書などを歴任し、第40回総選挙に砂田重民の後継候補として自民党公認で旧兵庫1区より出馬したが落選。次の第41回総選挙では兵庫1区で敗れたものの、比例近畿ブロックで自民党名簿1位で復活し初当選。 第42回総選挙においても同様に小選挙区では新進党→民主党の石井一に敗れての比例復活当選となる。中央省庁再編後の第2次森改造内閣で、財務大臣政務官に就任。 第1次小泉内閣で、財務大臣政務官に2度目の就任。
宮野 彬(みやの あきら、1933年10月25日 - 202… 宮野 彬(みやの あきら、1933年10月25日 - 2020年2月13日)は、日本の刑法学者。 東京府生まれ。1957年に中央大学法学部、1963年に東京大学大学院法学政治学研究科刑法専攻博士課程中退。鹿児島大学助教授を経て、明治学院大学教授。2003年定年、名誉教授。安楽死、裁判の報道などを論じた。
大川 義幸(おおかわ ぎこう、1933年10月3日 - )は… 大川 義幸(おおかわ ぎこう、1933年10月3日 - )は、日本の元俳優。 東京都出身。中央大学卒。山崎企画に所属していた。 身長165cm。体重60kg。 2011年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024… 鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024年5月31日)は、福島県田村郡三春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 田村高卒業後は中央大学に進学し、伊藤芳明・穴吹義雄と同期になり、投手と外野手の2役をこなす。東都大学リーグでは1953年春季に優勝を飾り、同年の大学全日本選手権は決勝で立大に敗れて準優勝に終わる。 大学卒業後は川崎トキコに入社し、チームメイトに久保吾一(国鉄)がいた。社会人時代から評判の左腕で、1956年から日本コロムビアの補強選手として都市対抗に2年連続出場。 1957年秋にデトロイトで行われた第3回アマチュア世界野球大会に日本代表として参加し、4試合連続リリーフで優勝に導くと共に大会MVPを獲得すると、メジャー球団のスカウトからも注目を浴びる。
五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月… 五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日)は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。
相馬 計二(そうま けいじ、1933年7月27日- )は、日… 相馬 計二(そうま けいじ、1933年7月27日- )は、日本の司法書士。元官僚。専門は、不動産登記法。紀尾井司法・調査士合同相馬司法事務所代表。秋田県出身 1958年法務省(東京法務局)行政職に任官。1960年3月中央大学法学部中退(後に、特別卒業者として卒業者に与えられる「学員」となり、学員会に所属)。1963年登記官に任官。1969年司法書士試験に合格。1970年東京司法書士会に登録、相馬司法事務所を開業。1974年全国青年司法書士連絡協議会2代会長。2001年特定非営利法人日本不動産登記決裁保証システム開発機構理事長に就任(2013年まで)。2003年より桐蔭横浜大学法学部客員教授(不動産登記法を担当)。