新谷 要二(しんたに ようじ、1911年(明治44年)2月2… 新谷 要二(しんたに ようじ、1911年(明治44年)2月26日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。山口県議会副議長。千鳥水産代表取締役。旭洋造船取締役。山口県輸出スダレ協同組合理事長。山口県漁業生産組合長。下関漁港管理委員。下関水産振興協会・山口県遠洋底曳網漁業協会下関支部各理事。 山口県萩市出身。中央大学中退。1951年、山口県議会議員に当選。住所は山口県萩市唐樋町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小林 進(こばやし すすむ、1910年(明治43年)9月9日… 小林 進(こばやし すすむ、1910年(明治43年)9月9日 - 1997年(平成9年)8月6日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市)に生まれる。1928年(昭和3年)北海中学校卒業。1935年(昭和10年)中央大学法学部卒業。 中央大学卒業後、東京倉庫運輸株式会社入社。その後、幹部候補生の教育を受けて、陸軍主計大尉として終戦を迎えた。 第二次世界大戦敗戦のショックを経て「これからは余生だ」「人の役に立ちたい」と立候補を決意。1946年(昭和21年)平野力三の自宅を訪れ政治への熱意を語るが、当時新潟には戦前からの有力社会党派閥が既存しており、実績のない小林の入党は断わられる。
金 徳烈(キム・ドギョル、朝鮮語: 김덕열/金德烈、1910… 金 徳烈(キム・ドギョル、朝鮮語: 김덕열/金德烈、1910年9月2日 - 消息不明)は、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 京畿道楊州郡州内面維楊里(現・楊州市維楊洞)出身。中央高等普通学校(現・中央高等学校)を卒業した後、1930年に京城法学専門学校(現・ソウル大学校)、1933年に普成専門学校(現・高麗大学校)法科にそれぞれ入学した。1936年に卒業後、渡日し中央大学法学部に入学し、1940年に卒業した。光復後は米軍政庁で管財処の監察官、楊州郡の州内面長などを務めた。1948年5月の初代総選挙に無所属で楊州郡甲区より立候補して当選し、制憲国会議員となった。当選後の6月に無所属倶楽部に参加し、常任委員会の産業労農委員会に所属した。
山本 清二郎(やまもと せいじろう、1910年 <明治43年… 山本 清二郎(やまもと せいじろう、1910年 <明治43年> 7月30日 - 1995年 <平成7年> 12月12日)は、日本の検察官。最高検察庁次長検事、大阪高等検察庁検事長。位階は正三位。 愛知県出身。1933年、中央大学法学部卒業、銀行員を経て、1935年に検事任官。戦後の公職追放によって、塩野季彦らを大御所とする戦前からの主流であった思想検事系列の一掃と共に、東京地検特別捜査部長(1953年11月9日-1955年10月3日)に。東京地検次席検事に田中萬一、主任検事に河井信太郎と主だったポストには中央大学出身者が占めた。その後も河井らと昭和電工事件、造船疑獄、共和製糖事件、日通事件などの主だった政界汚職に従事した。
杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7… 杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7日 - 1965年(昭和40年)8月31日)は、日本の政治家。初代青森県むつ市長(2期)。 青森県下北郡田名部町(のち大湊田名部市、現在のむつ市)生まれ。旧制青森県立青森商業学校(現在の青森県立青森商業高等学校)を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部法学科卒。卒業後は、家業の製材、運輸業に従事した。1941年(昭和16年)田名部町会議員に当選。1947年(昭和22年)の青森県議会議員選挙に社会党公認で立候補したが、落選した。1948年(昭和23年)3月に町会議員を退任した。1951年(昭和26年)青森県議会議員に当選。1959年(昭和34年)4月まで2期務めた。
秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)… 秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)2月22日 - 2007年(平成19年)9月28日)は、日本の政治家。第13〜17代八戸市長。 湊村(現八戸市)で網元を営む秋山家の四男として生まれた。2歳で父與吉を亡くし、叔父秀之助に漁業の手解きを受けた。 湊尋常高等小学校、八戸中学校(現八戸高等学校)を経て、1936年(昭和11年)中央大学法学部卒業。合同油脂株式会社に入社後、二度召集を受ける。21年8月帰還を果たす。 1952年(昭和27年)に八戸市議会議員に当選し2期、さらに青森県議会議員を3期務めた。1969年(昭和44年)に中村拓道を破って八戸市長に当選し、5期務めて史上最長任期となった。
向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 19… 向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 1980年3月25日)は、元検察官、弁護士、刑事法学者である。自他共に認める司法試験の神様としてまた死刑廃止論者として著名。 1910年石川県羽咋市に生まれる。粟ノ保村立尋常小学校卒業後、大阪の薬局でぼんさん生活(いわゆる丁稚生活)を送る。薬局を辞め、パイプ工場に勤務しながら私立成器商業学校夜間部で学ぶ。その後、上宮中学校(旧制)に転学し4年で修了する。上京し専修大学予科に入学するも中央大学に転学。1934年有志で中央大学真法会を創設。1935年の高等文官試験司法科試験を2番で合格する。1936年3月・中央大学法学部卒業。司法官試補を経て検察官となり、思想検事系列に名を連ねる。
丁 明燮(チョン・ミョンソプ、朝鮮語: 정명섭、1910年2… 丁 明燮(チョン・ミョンソプ、朝鮮語: 정명섭、1910年2月12日または12月3日 - 1997年2月25日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の実業家、政治家。海南郡守、長興郡守、霊光郡守、和順郡守、第3・4・6代韓国国会議員などを歴任した。 本貫は羅州丁氏(朝鮮語版)。号は不輝(プルィ、불휘)。 中農の息子として全羅南道羅州郡出身。1929年、光州高等普通学校4年在学中に光州学生運動に参加し、1931年に卒業した。1938年中央大学法学部卒、1944年同大学院修了。しばらく同大学院で勤めた後、光復後に帰郷し、郷里で朝鮮建国準備委員会羅州郡委員長を務めたなど、各種社会団体で活動した。
大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)… 大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)2月5日 - 1988年(昭和63年)8月26日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長。京都府舞鶴市出身。 三高に入ったが、寮に門限をつけることに反対して、ストライキ実行委員長をしてストライキに入り、警察に拘束されて放校処分となり、1934年(昭和9年)に中央大学法科を卒業。1935年(昭和10年)9月に高等文官試験司法科に合格し、同年12月に弁護士登録。 堀江専一郎法律事務所に勤務後、1939年(昭和14年)に大塚法律事務所を開設する。1959年(昭和34年)4月に日弁連事務総長、1961年(昭和36年)3月に法学博士、司法研修所教官、1970年(昭和45年)4月に第一東京弁護士会会長に就任。
梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일、1910年1月… 梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일、1910年1月27日 - 1962年9月5日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第2・5代韓国国会議員。 本貫は南原梁氏(朝鮮語版)。 全羅南道康津郡出身。中央大学法学部卒。高等文官試験司法科に合格した後は東京で弁護士を務め、東京弁護士会に所属した。帰国後は光州弁護士会会長、朝鮮弁護士会全羅南道支部長、大同青年団光州支団部副団長、大韓青年団光州市団長、韓国青年団光州市団長、民主党全南道党委員長を歴任した。1950年の第2代総選挙に康津郡選挙区から民主国民党所属で出馬して当選し、1960年の第5代総選挙に同選挙区から民主党所属で出馬して当選した。 1962年9月5日に聖母病院にて脳溢血により死去。
佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 199… 佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 1992年9月26日)は、日本のスペイン語学者、東西交渉史学者。 東京出身。1938年中央大学法学部卒。1945年横浜市立経済専門学校講師、1949年横浜市立大学助教授、教授、1960年亜細亜大学教授、1962年清泉女子大学教授。80年定年。
山中 要作(やまなか ようさく、1909年 <明治42年> … 山中 要作(やまなか ようさく、1909年 <明治42年> 12月6日 - 2003年 <平成15年> 12月13日)は、日本の地方公務員、経営者。埼玉県副知事、テレビ埼玉初代社長を歴任。埼玉県出身。 1943年に中央大学法学部を卒業。 山形県地方課長を経て、埼玉県庁で商工部長、企業部長、総務部長を歴任し、1969年には副知事に就任。1973年に埼玉県住宅供給公社理事長を経て、1978年から1983年までにテレビ埼玉初代社長を務めた。 1980年に勲三等旭日中綬章を受章。 2003年12月13日老衰のために死去。94歳没。
浅川 純直(あさかわ すみなお、1909年(明治42年)11… 浅川 純直(あさかわ すみなお、1909年(明治42年)11月29日 - 1991年(平成3年)3月9日)は、昭和時代の政治家。宮城県角田市長。奥州浅川氏の末裔。位階は正五位。 宮城県角田市生まれ。1942年(昭和7年)中央大学法学部卒。東京都職員を経て帰郷、角田市議会議長(4・5・6・7代)、角田市長(8・9代)を歴任。1990年(平成2年)市長を引退した。 角田市幡守会(角田石川藩家中の子孫の会)の会長を務めた。1991年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
田嶋 好文(たしま こうぶん、1909年〈明治42年〉11月… 田嶋 好文(たしま こうぶん、1909年〈明治42年〉11月28日 - 1963年〈昭和38年〉3月5日)は、昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 高知県出身。1933年(昭和8年)中央大学法学部を卒業した。 弁護士として働く。神戸製鋼所名古屋工場法律顧問、林金属工業代表取締役、大同衛生材料常任監査役などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で愛知県第1区から諸派で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で旧愛知1区に国民協同党公認で出馬したが落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して初当選し、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明… 稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明治42年〉11月19日 - 1992年〈平成4年〉8月15日)は、日本の政治家、文部大臣(第94代)、法務大臣(第34代)、衆議院議員(14期)。法学博士。 兄の稲葉圭亮も政治家で衆議院議員だった。長男は元衆議院議員の稲葉大和。 1909年11月19日、現在の新潟県村上市に生まれる。村上中学、旧制山形高校といずれの学校でもいわば武勇伝(中学では生徒会長として祭りの日に学校を休みにしろと同盟休校を主導したため、高校ではカンニングが発覚したため)での中途退学を経て、1936年中央大学法学部独法学科を卒業。1940年中央大学大学院を修了。1945年中央大学教授に就任。
大津 正(おおつ まさし、1909年10月13日 - 199… 大津 正(おおつ まさし、1909年10月13日 - 1997年1月29日)は、日本の政治家秘書。共に内閣総理大臣となった岸信介・佐藤栄作兄弟の下で秘書を務めた。山口県熊毛郡田布施町生まれで、この二人とは同郷である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)。
佐賀 潜(さが せん、1909年〈明治42年〉3月21日 -… 佐賀 潜(さが せん、1909年〈明治42年〉3月21日 - 1970年〈昭和45年〉8月31日)は日本の小説家、推理作家、検察官、弁護士。本名は松下幸徳。 東京生まれ。筆名の由来は、父親を含め先祖代々佐賀鍋島藩の出身であることと、「探せん」の意味を懸けたもの。 中央大学法学部在学中、司法試験に合格。大学を卒業し司法修習を終え、各地の地方検察庁(当時は地方裁判所検事局)で検事を務める(1946年11月までの約10年間)。なお、著書である『刑法入門』の中で、検事時代の1944年に長崎刑務所浦上支所で死刑が執行された際に、担当でもないのに興味本位で立ち会った体験を明かしている。 その後は弁護士事務所を開業。
秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 198… 秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 1980年11月23日)は、日本のフランス文学者であり、中央大学名誉教授である。 長野県北佐久郡岩村田町(現在の長野県佐久市)に生まれた。旧制野沢中学校(現在の長野県野沢北高等学校)を経て、1933年に東京帝国大学仏文科を卒業した。卒業後は司法省調査課に勤務した。1941年には軍の命令により広州湾フランス租借地に出張した。1943年には一兵卒として北支に出兵した。戦後の1949年に中央大学教授に就任し、1980年に定年退任、名誉教授となった。 ボードレール、ランボーをはじめとするフランス文学の翻訳を多数手がけた。
李 判烈(イ・パニョル、朝鮮語: 이판열/李判烈、1908年… 李 判烈(イ・パニョル、朝鮮語: 이판열/李判烈、1908年 - 1950年12月9日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の中学校長、政治家。第2代韓国国会議員(任期中に死去)。 イ・パルリョル(漢字同、이판렬)とも表記される。 本籍は全羅南道光山郡。中央大学法学部卒。政界入り前は中学校長、精米業などを営んだ。政界では民主国民党求礼郡党委員長を務め、1950年の第2代総選挙に民主国民党の公認で求礼郡選挙区から出馬して当選し、国会議員を務めた。しかし、1950年12月に実地調査中に昇州郡(現・順天市)付近で北朝鮮側の敗残兵による奇襲を受け、同行していた警官11名とともに殺害された。任期中であったため1952年2月5日に補欠選挙が行われ、自由党所属の李漢昌が当選した。
葉 秋木(よう しゅうぼく、1908年 - 1947年3月8… 葉 秋木(よう しゅうぼく、1908年 - 1947年3月8日)は台湾の政治家。 日本の中央大学に留学、東京における台湾留学生の左翼運動に参加し台湾文化同好会を設立している。卒業後はコンクリートや原木の輸入事業を行っている。終戦後に台湾が国民政府により接収されると、三民主義青年団屏東分団により屏東に派遣され、1946年3月に屏東市参議会参議員に当選、副議長に推薦された。 1947年、二・二八事件が台北市で発生すると、混乱は屏東市に及び市民による暴動が発生した。市長の龔履端が逃亡すると3月初に屏東市に二・二八事件処理委員会屏東分会が成立し。参議会議長の張吉甫は病気を理由に事態収拾に参加することを拒否したことで葉秋木が臨時市長に推薦された。
永井 純一郎(ながい じゅんいちろう、1907年〈明治40年… 永井 純一郎(ながい じゅんいちろう、1907年〈明治40年〉12月1日 - 2003年〈平成15年〉9月29日)は、昭和期の官僚、政治家。参議院議員(1期)。 宮崎県宮崎郡田野村(田野町を経て現宮崎市)で、永井三郎の長男として生まれた。1931年(昭和6年)中央大学法科を卒業し、同年、農林省に入省した。 同省では、畜産局、山林局、蚕糸局、経済更生部、総務局で勤務。和歌山県庁に転じ、食料課長、農務課長、人事課長を経て、総務部長、食料部長、農林部長を歴任した。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に和歌山県選挙区から無所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。この間、日本社会党に入党し、同党政策審議会副会長、日本農民組合和歌山県連顧問などを務めた。
井上 達雄(いのうえ たつお、1907年11月22日-199… 井上 達雄(いのうえ たつお、1907年11月22日-1995年4月24日)は、日本の会計学者・商学者。公認会計士。専門は簿記・会計学。学位は、商学博士(中央大学・1961年)(学位論文「原価会計論」) 。恩師は、黒澤清・太田哲三。元中央大学学長。大分県津久見市出身。 1932年中央大学商学部卒業。1934年中央大学大学院商学研究科(旧制)修了。中央大学商学部専任講師。1944年海軍省経理局主計官。1945年復員。中央大学商学部教授。1949年公認会計士試験合格。1958年中央大学評議員。1959年中央大学商学部長(~1968年)。1961年中央大学大学院商学研究科長(~1965年)。1963年中央大学経理研究所所長(~1977年)。
池見 猛(いけみ たけし、1907年11月7日 - 2016… 池見 猛(いけみ たけし、1907年11月7日 - 2016年1月3日[要出典])は、日本の精神医学者、池見学園理事長・校長、文筆家。 妻は嵯峨実勝の次女池見啓子(あきこ)。大分県北海部郡丹生村(現大分市)出身。 大分県立三重農学校(現・大分県立三重農業高等学校)卒、東京医学専門学校(現・東京医科大学)卒、中央大学法学部卒、名古屋帝国大学附属医学専門部卒。 1939年「精神的傾向の遺伝学的研究」で名古屋帝国大学医学博士。1959年「精神障碍性犯罪の刑事学的研究」で中央大学法学博士。 民族科学研究所を主宰、『民族科学』を刊行。1952年東京品川簿記学校を開校、1956年池見経理学校、1968年学校法人池見学園を設立し、校長、理事長を務める。
谷口 武雄(やぐち たけお、1907年(明治40年)8月25… 谷口 武雄(やぐち たけお、1907年(明治40年)8月25日 - 1988年(昭和63年)10月24日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 茨城県真壁郡河間村(下館市を経て現筑西市)で、谷口健吉の三男として生まれた。1934年(昭和9年)中央大学法学部を卒業した。 1938年(昭和13年)8月、昭和機械工業社長に就任。その他、帝都高速度交通営団参与、昭和鉄工顧問、谷口ビルヂィング社長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で茨城県全県区に日本協同党公認で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で茨城県第3区に国民協同党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
太田 利雄(おおた としお、1907年(明治40年)8月21… 太田 利雄(おおた としお、1907年(明治40年)8月21日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 愛知県名古屋市に生まれる。名古屋商業学校、東京外国語学校専修科英語科に入学する。その後、同校を退学し中央大学専門部法律科に入学し、1937年(昭和12年)3月、卒業した。同年10月、高等試験行政科に合格し、1938年(昭和13年)4月、台湾総督府文教局社会課に奉職した。1939年(昭和14年)5月、台南州北門郡守に就任し、台南州警務部警務課長同社会教育官、文教局勤務などを経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政官に任じた。
権 泰郁(クォン・テウク、朝鮮語: 권태욱/權泰郁、1907… 権 泰郁(クォン・テウク、朝鮮語: 권태욱/權泰郁、1907年4月17日または1910年10月15日 - 1981年6月11日または6月12日)は、日本統治時代の朝鮮の実業家、大韓民国の政治家。制憲・第2代韓国国会議員。 本貫は安東権氏(朝鮮語版)。 慶尚北道安東郡出身。東京麻布中学校、中央大学予科・法学部卒。中央大学在学中に反日運動により収監されたことがある。卒業後は東京で歯科材料商を営んだほか、貧民救済事業を従事した。光復後は馬山工科学館長、馬山帰還同胞会長を務めた。1948年の初代総選挙で国会議員に初当選し、国会で米国へ渡航しようとした徐載弼を慰留した。第2代国会議員在任中に舌禍事件により30日間の出席停止処分を受けた。
清水 元(、1907年1月1日 - 1972年12月20日)… 清水 元(、1907年1月1日 - 1972年12月20日)は、日本の俳優。本名:清水 元義。父は清水新報社社長の清水平吉、長男はNHKディレクターの清水満、娘は『鉄腕アトム』のアトム役の声で知られる声優の清水マリ。 東京市神田区松永町出身。中央大学商学部卒業。 父の平吉が経営する広告代理店・清水新報社での勤務を経て、1937年に村瀬幸子・北村喜八夫妻が創立した芸術小劇場に入団し、新劇俳優として舞台を踏む。戦時中は移動演劇隊に入り、戦後は劇団炎座の舞台に立った。1953年以降は映画俳優に専念し、以降はテレビドラマにも出演した。 映画デビューは1940年に公開された『田園交響楽』。戦後も菅井一郎らの第一協団に参加する傍ら、各社の映画に出演。
李 錫基(イ・ソッキ、朝鮮語: 이석기、1907年または19… 李 錫基(イ・ソッキ、朝鮮語: 이석기、1907年または1908年1月2日 - 1974年6月25日または1975年6月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の公務員、政治家、実業家。牙山郡守、公州郡守、第4・5代大田府尹、ソウル特別市副市長、第2・3・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は洪川李氏。仏教徒。元国会議員の方一弘は娘婿。 忠清南道扶余郡出身。1931年京城法学専門学校卒、1939年中央大学法学部卒。弁護士試験、高等文官試験行政科合格。京畿道内務部を経て、1941年に牙山郡守、1945年に公州郡守、忠清南道地方課長、1946年に第4・5代大田府尹、1948年にソウル特別市副市長、1950年に文教部秘書室長、国会議員、1953年に国会内務委員長、以後弾劾裁判所審判官、民主党院内副総務・総務、1967年に新韓党常務委員を歴任した。
川合 彰武(かわい あきたけ、1906年(明治39年)9月3… 川合 彰武(かわい あきたけ、1906年(明治39年)9月30日 - 1987年(昭和62年)11月16日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 静岡県浜名郡、現在の浜松市出身。1927年(昭和2年)に中央大学法学部を卒業すると朝鮮銀行に入り、朝鮮機械工業統制協会常務理事や協同産業取締役社長などを歴任。 戦後復員して1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で静岡県第3区から日本社会党公認で出馬して当選。衆議院議員に1期在任し、社会党浜松支部書記長などを務めた。その後、第24回、第25回総選挙に立候補したがいずれも落選した。 その他、静岡地方裁判所調停委員、静岡家庭裁判所調停委員、躍進機械製作所会長などを務めた。
李 瑞漢(り ずいかん、1906年7月20日 - 1947年… 李 瑞漢(り ずいかん、1906年7月20日 - 1947年3月?)は、日本統治時代の台湾および中華民国の法律家。台湾苗栗県竹南鎮出身。二・二八事件で失踪している。 1926年、李瑞漢は台中一中卒業後、日本内地の中央大学法学部に留学し、在学中に弁理士試験に合格している。1929年に中央大学卒業後も大学に留まり研究を続け、翌年高等試験司法科に合格している。その後台湾に戻った李瑞漢は台北市永楽町で弁護士事務所を開業している。 1945年の日本の降伏により、台湾は国民党率いる中華民国に接収された。李瑞漢は台北市律師公会会長に選出された。1947年に二・二八事件が勃発すると、李瑞漢は3月初に台北市律師公会課会議を招集し、台湾行政長官であった陳儀に対し改革を具申し、同時に強烈な政府批判を行った。
小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年… 小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年2月20日)は、北海道白老郡白老町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 北海道庁立札幌第一中学校(現:北海道札幌南高等学校)を経て、1927年に中央大学法学部英法科に入学。在学中に札幌一中時代のチームメイトと共にサッカー部を創部した。 1933年に大学を卒業し、1935年より日本蹴球協会(現:日本サッカー協会、JFA)代議員に就任し、同年の第1回日満親善蹴球大会では選手団団長。1936年のベルリンオリンピックでは日本代表に帯同し総務全般を担当した。 1951年、JFA常務理事に就任し総務・財務といった実務を担当。1974年からはJFAの財団法人化に伴い専務理事に就任した。
鄭 甲柱(チョン・ガプチュ、朝鮮語: 정갑주、1906年6月… 鄭 甲柱(チョン・ガプチュ、朝鮮語: 정갑주、1906年6月26日または6月27日 - 1963年9月8日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の校長、警察署長、政治家。第3代韓国国会議員。 号は南荷(ナマ、남하)。 慶尚南道泗川郡(現・泗川市)出身。三千浦公立普通学校(現・三千浦初等学校(朝鮮語版))、普成専門学校法科、中央大学法学部卒。日本統治時代は朝鮮学生研究会幹部、新幹会学生部長、光州学生事件普専学生代表、国際学生友交会朝鮮学生代表、東京朝鮮キリスト教青年会理事、東京留学生英語会会長を歴任した。光復後は韓国民主党中央執行委員、東莱韓国キリスト教青年会理事、国際韓国反共会韓国代表、学校法人普興義塾傘下の三千浦中学校・三千浦高等学校・三千浦女子中学校・三千浦女子高等学校の校長、大田警察署長、清州警察署長、警察専門学校教授、泗川教育会会長、三千浦水利組合創立委員長、財団法人普興義塾初代校長・理事長・終身名誉校長、自由党所属の国会議員を務めた。
和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年… 和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年10月5日 男性)は、日本の小説家・文芸評論家。編集者の傍ら樋口一葉研究に没頭。多くの伝記・研究をまとめた。私小説作家としても知られ、晩年には老人の性愛を描いた短編で注目された。 北海道山越郡長万部町出身。北海中学(現北海高等学校)、中央大学法学部独法学科卒業。新潮社勤務のかたわら同人誌に小説を執筆。樋口一葉研究を行い、第二次世界大戦中に『樋口一葉研究』(1942年)などを刊行した。 1935年から1949年にかけて市川市八幡・市川地区在住であった。1952年に発表された「塵の中」には戦争前後の市川から八幡の様子が随所に描かれている。 戦後は大地書房に勤務、小説雑誌『日本小説』を創刊(「中間小説」を創始したと評される)。
矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2… 矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2001年2月22日)は、日本の社会政策学者。中央大学名誉教授。中央大学経済学部長や、社会政策学会代表幹事を務めた。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。井藤半彌ゼミ出身。1958年から1960年まで第5期社会政策学会代表幹事。1963年から1967年まで中央大学経済学部長。1970年から1972年まで第11期社会政策学会代表幹事。中央大学バドミントン部部長なども務めた。中央大学定年後、1986年まで亜細亜大学教授。2001年2月22日、急性肺炎のため死去。
山中 日露史(やまなか ひろし、1906年(明治39年)2月… 山中 日露史(やまなか ひろし、1906年(明治39年)2月14日 - 1971年(昭和46年)5月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、室蘭市市政功労者。 北海道室蘭郡室蘭町(室蘭区を経て現室蘭市)で生まれる。1927年(昭和2年)中央大学法律科を卒業し、弁護士を開業した。 室蘭市会議員(2期)、北海道会議員(2期)、同参事会員に在任した。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第4区から日本社会党所属で出馬して当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選した。第25回、第26回総選挙で当選。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙では次点で落選した。
菊池 揚二(きくち ようじ、1906年2月1日 - 1978… 菊池 揚二(きくち ようじ、1906年2月1日 - 1978年12月22日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 中央大学在学中に戦前の東京学生柔道界の花形として活躍し、東京学生連合と警視庁との対抗試合や満州との対抗試合で名を馳せた。このほか昭和天覧試合や全日本選士権大会でも活躍し、戦後は指導者として警視庁や母校・中央大学の師範を歴任して多くの後進を指導。実父は菊池謙二郎、義父は講道館10段永岡秀一で、存命中は“最も毛並みの良い柔道家”との評を得ていた。 旧制第二高校校長等を務め硬骨な教育家として知られる菊池謙二郎の二男として、茨城県の水戸市に生まれた。当時、父が中国の上海市にて東亜同文書院の教授(実際は教授の上の現地責任者の教頭)を務めており、市内を流れる大河・揚子江の“揚”の字と、二男の“二”の字を取って“揚二”と名付けられたという。
村社 講平(むらこそ こうへい、1905年8月29日 - 1… 村社 講平(むらこそ こうへい、1905年8月29日 - 1998年7月8日)は、日本の陸上競技選手、指導者、毎日新聞記者。ベルリン五輪代表。 宮崎県宮崎市出身。小柄ながらも力強い走法で選手として活躍、引退後も毎日マラソンの設立や後進の育成など陸上界の発展に尽力した。 旧制宮崎中学校テニス部時代にロードレース大会で優勝したことをきっかけに長距離走を本格的に始めた。 1925年(大正14年)中学卒業後、都城歩兵第23連隊に入隊。1927年(昭和2年)に除隊し宮崎県立図書館に勤務。仕事のかたわら陸上競技を続けているうちに素質を認められ、1932年、27歳のときに中央大学法学部法律学科に進学。 中央大学在学中の1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場。
松田昇(まつだ のぼる、1905年5月18日 - 1982年… 松田昇(まつだ のぼる、1905年5月18日 - 1982年11月20日)は、日本の高校野球指導者。高知県高等学校野球連盟初代理事長。高知商業高校、明徳高校野球部元監督。
秦 明友(はた めいゆう、1905年(明治38年)4月22日… 秦 明友(はた めいゆう、1905年(明治38年)4月22日 - 1983年(昭和58年)12月10日)は、日本の政治家。埼玉県大宮市(現・さいたま市)長(第8代 - 第12代)。旧姓・安藤。元埼玉県議の秦哲美は長男。さいたま市議の西山幸代は孫。 埼玉県北足立郡馬宮村(のち大宮市、現・さいたま市西区)に生まれる。のち、秦家の養子となる。1925年(大正14年)鉄道省大宮工場(現・大宮総合車両センター)に入る。1932年(昭和7年)中央大学法律学科卒。 戦後、日本社会党に入る。国鉄労働組合大宮工場支部書記長、社会党大宮支部長、同党埼玉県本部財務委員長などを経て、1951年(昭和26年)埼玉県議会議員に当選し、2期務める。
青山 正一(あおやま しょういち、1905年(明治38年)2… 青山 正一(あおやま しょういち、1905年(明治38年)2月9日 - 1972年(昭和47年)6月6日)は、昭和期の水産業関係者、実業家、政治家。参議院議員。 石川県出身。中央大学法学部を修了した。 農林省嘱託、京都水産業会長、京都漁業組合連合会長、京都商工会議所参与、全国漁村同盟委員長、財団法人水産研究会理事、京都水産 (株) 会長、大日本水産会理事、日本定置網漁業組合理事、日本旋網漁業協会副会長、日ソ漁業対策協議会副会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で立候補して初当選し、1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で全国区から自由党公認で立候補して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
渋谷 健一(しぶや けんいち、1905年 <明治38年> 2… 渋谷 健一(しぶや けんいち、1905年 <明治38年> 2月6日 - 1997年 <平成9年> 1月10日)は、日本の経営者。十條製紙社長、会長を務めた。位階は正四位。三重県出身。 1925年に中央大学専門部経済学科を卒業し、同年に富士製紙に入社。 王子製紙を経て、1949年に十條製紙に転じ、1952年11月に取締役に就任し、1958年11月に常務、1964年5月に専務を経て、1968年3月に副社長に就任し、1969年5月には社長に昇格。1976年6月に会長に就任し、1982年6月に取締役相談役を経て、1984年6月に相談役に就任。 1971年11月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲二等旭日重光章を受章。
金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月1… 金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月19日または1907年 - 1983年5月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、公務員、政治家。制憲・第2代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)、朝鮮時代の文臣の金漢卿の子孫である。字は致勲、号は松崗。 慶尚北道青松郡出身。和睦公立普通学校(現・和睦初等学校(朝鮮語版))、大邱啓聖中学校(朝鮮語版)、平壌崇実専門学校(現・崇実大学校)農科、中央大学法学科卒。 啓聖中学校教員を経て、光復後は金泉中学校(朝鮮語版)校長、金泉女子中学校(朝鮮語版)校長、慶北女子中学校(現・慶尚中学校(朝鮮語版)に統合)校長、釜山東新中学校(朝鮮語版)校長、嶺南商業高等学校(現・釜山情報高等学校(朝鮮語版))校長、慶尚北道学務課長を歴任した。
松岡 松平(まつおか まつへい、1904年(明治37年)12… 松岡 松平(まつおか まつへい、1904年(明治37年)12月25日 - 1975年(昭和50年)3月1日)は、日本の弁護士。政治家。衆議院議員(3期)。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 富山県出身。1924年中央大学法律科を卒業し、弁護士となる。戦後、公職追放となり、追放中の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で富山1区から立候補して当選し、翌1953年の総選挙で落選した。1955年の総選挙で再選したが、1958年の総選挙で落選してから、5回連続落選した。1972年の総選挙で14年ぶりに国政に復帰。国会内では商工委員長を務めた。
矢田 一男(やだ かずお、1904年12月19日 - 196… 矢田 一男(やだ かずお、1904年12月19日 - 1966年4月23日)は、日本の法制史学者。新潟県佐渡郡金井町出身。 1921年高輪中学校卒。1924年中央大学法学部予科卒。1927年同法学部卒。中央大学附属図書館職員をしながら、東京帝国大学法科大学助手となり春木一郎にローマ法の薫陶を受けた。1934年中央大学専門部法学科専任講師。1941年同法学部専任講師。1946年同法学部教授。同通信教育部長を経て、1962年「ローマ刑事法の研究」にて中央大学で法学博士受く。1966年中央大学在職中に肝臓がんで逝去。同名誉教授。 門下生に眞田芳憲らがいる。中央大学で急逝した矢田担当する西洋法制史の後任も奇しくも同郷の眞田芳憲が担当した。
金 鍾信(キム・ジョンシン、朝鮮語: 김종신、1904年10… 金 鍾信(キム・ジョンシン、朝鮮語: 김종신、1904年10月5日 - 1977年11月12日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の実業家、政治家。馬山市議会議員、馬山市長、第3代韓国国会議員を歴任した。仏教徒。 慶尚南道馬山府(現・昌原市)出身。中央大学政経学部2年修了。日本統治時代は新幹会の幹部を務めたが、青年運動と治安維持法違反により西大門刑務所で3年間服役した。その後は馬山昌信中学教諭を経て、醸造業を営んだ。解放後は馬山東洋酒精(または東洋酒造)社長、東洋酒類社長、馬山商工会議所会頭、大東工業社長、造船商事社長、馬山野協会長、馬山警察後援会長、司法保護協会会長、馬山府会議員・馬山市議会議員、第8代馬山市長(1952年5月5日 - 1953年5月15日)、国民会馬山支部会長、第3代国会予算決算委員長(1957年9月6日~1958年5月30日)、自由党馬山市党委員長・院内副総務、馬山日報創業者、第一生命保険社長、馬山大学学長、馬山慶南每日新聞社長、馬山文化放送代表理事、民主共和党慶尚南道第1地区党委員長・中央常任委員を務めた。
坂本 泰良(さかもと たいら、1904年(明治37年)8月6… 坂本 泰良(さかもと たいら、1904年(明治37年)8月6日 - 1982年(昭和57年)9月6日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)。中央大学名誉教授。衆議院功労議員表彰。日本社会党熊本県支部連合会会長。 1970年4月の春の叙勲で、勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 1982年9月6日、死去。78歳没。同月10日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正四位に叙された。
桜井 義之(さくらい よしゆき、1904年4月6日 - 19… 桜井 義之(さくらい よしゆき、1904年4月6日 - 1989年9月12日)は、昭和期の書誌学者である。 福島県久慈川近くで生まれる。中央大学経済学科に通学する傍ら、東京帝大法学研究室でアルバイトとして吉野作造の私設秘書となる。1926年に中央大卒業後、1928年9月に吉野の口利きで京城帝国大学法文学部経済研究室助手として、資料室の配属となった。1933年には、京城帝大朝鮮経済研究所研究員として、四方博の下で書誌の整理を行っている。1941年、京城帝大を離れ、朝鮮総督府文書課に転じ、調査係主査として朝鮮総督府機関誌『朝鮮』の編集にあたった。 戦後は、元京城帝大法文学部長の上野直昭の紹介で東京芸術大学に勤務した後、1950年東京都立大学 (1949-2011)図書館事務長となり、1956年同大学の図書館学・書誌学の専任講師となっている。
朴 鐘煥(パク・チョンファン、朝鮮語: 박종환、1904年1… 朴 鐘煥(パク・チョンファン、朝鮮語: 박종환、1904年1月17日または1909年1月27日 - 没年不詳) は、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。本貫は竹山朴氏(朝鮮語版)。 慶尚北道清道郡出身。京城中央高等学校、中央大学法学部卒。清道ファンサム精米合資会代表、朝鮮食糧営団参事兼清道工場長、京城大同建物株式会社取締役、京城大韓工業土建株式会社社長、米軍政庁人事行政処考試課長を歴任。 1950年7月20日ごろ敦岩洞の友人宅にいたところ拉致され、以後北朝鮮で在北平和統一促進協議会中央委員などを務めた。1959年3月ごろに咸鏡北道富寧郡(当時古茂山)に移住したとされる。以後消息、没年不明。
金 正実(キム・ジョンシル、朝鮮語: 김정실/金正實、190… 金 正実(キム・ジョンシル、朝鮮語: 김정실/金正實、1904年 - 1969年10月27日または11月26日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、放送関係者、法学者、教授、政治家。第2代檀国大学(現・檀国大学校)学長、第2代韓国国会議員。 慶南固城郡固城邑生まれ、ソウル出身。普成専門学校(現・高麗大学校)、中央大学法学部卒。東亜日報記者、中央放送局職員として長年勤務した後、解放後に大韓民国臨時政府傘下政治工作隊総務、金九が設立した建国実践員養成所の講師、木材会社重役、金剛山工芸会社専務、朝鮮政治学館(現・建国大学校)教授・教務局長・教務主任、放送協会会員、世宗大学教授、檀国大学副学長・第2代学長、建国大学校畜産大学学長・憲法学教授、高等考試委員、国会法制司法委員長、自由党議員代表幹事、刑事訴訟法草案公聴会委員長を務めた。
岩本 晋一郎(いわもと しんいちろう、1903年11月2日 … 岩本 晋一郎(いわもと しんいちろう、1903年11月2日 - 1981年2月10日)は、日本の商工官僚。岐阜県高山市長(2期)。岩本漆器店代表取締役。 岐阜県出身。中央大学卒業後、1933年高等文官試験に合格し、商工省に入る。山梨、山形各県の商工課長を経て、岩手県社会、商工、経済統制課長を歴任し、福岡県学務、農務各課長を務める。その後、高知県経済部長から岐阜県民生部長、同教育長を務める。1950年の岐阜県知事選挙に立候補するが落選。以降合計3回続けて立候補したが落選した。1959年の高山市長選挙に立候補して初当選した。1期目は市民生活の向上と産業振興などに施策を進め、環境衛生センターの完成、簡易水道の整備、市民会館の開館などがあり、1963年に2回目の当選をした。