佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2… 佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2017年11月9日)は、日本の歴史家。専門は、日本中世史・中世法制史・古文書学。学位は、文学博士(1961年)(学位論文(学位論文「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」)。中央大学名誉教授。東京大学教授・名古屋大学教授を歴任。 新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)生まれ。旧制新潟県立三条中学校4年修了後、1936年3月に旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部入学。1939年3月に東京帝国大学文学部卒業。卒業論文は「鎌倉幕府訴訟制度の分化」であった。 同年4月に東京帝国大学史料編纂所第十編部に採用される。
岩尾 裕純(いわお やすずみ、1915年12月27日 - 1… 岩尾 裕純(いわお やすずみ、1915年12月27日 - 1991年2月11日)は、日本の経営学者。中央大学・名古屋経済大学名誉教授。 岡山県出身。1940年中央大学商学部卒、1962年「中小企業の近代化」で商学博士。満州農産公社調査役、運輸調査局調査役を経て、1948年中央大学商学部講師、1950年助教授、1956年教授、商学部長、同大学企業研究所所長。1986年定年、名誉教授。名古屋経済大学教授、名誉教授。日本学術会議委員。
塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月2… 塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月24日 - 1992年〈平成4年〉4月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者(英米法・労働法)。中央大学名誉教授。元最高裁判所判事。藍綬褒章、勲一等瑞宝章受章。岐阜県出身。 1936年中央大学法学部卒業。1937年高等試験司法科試験合格。8年間裁判官生活を送っていたが、1947年に弁護士に転身。昭和電工事件や造船疑獄などを担当。 1949年母校である中央大学法学部専任講師。1951年中央大学法学部教授に就任。1954年中央大学選任評議員。1958年法学博士の学位を取得。1979年3月中央大学依願退職。 1979年4月に最高裁判事となる。
高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20… 高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20日 - 2005年1月17日)は満州国の官僚、大韓民国の政治家、弁護士、法学者、陸軍軍人。第15代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第7・8・9・10代大韓民国国会議員を歴任した。 本貫は長興高氏(朝鮮語版)で高敬命(朝鮮語版)の子孫である。号は河南(ハナム、하남)。1920〜30年代に水原学生独立運動事件(水原高等農林学校事件)を主導した1人で独立有功者の高在千は兄。 日本統治時代の全羅南道潭陽郡生まれ。1933年光州高等普通学校卒。1936年中央大学予科修了、1939年同大法学部卒。1937年に満州高等文官試験に合格し、満洲国国務院総務庁高等官試補に任命され、同年12月大同学院第1部卒業(第11期生)。
水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 20… 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、京都府舞鶴市出身の実業家、民法学者。日本興業銀行勤務を経て、そごうの会長、社長を務めた。東洋大学名誉教授、法学博士。担保法の権威としても知られた。
向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 19… 向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 1980年3月25日)は、元検察官、弁護士、刑事法学者である。自他共に認める司法試験の神様としてまた死刑廃止論者として著名。 1910年石川県羽咋市に生まれる。粟ノ保村立尋常小学校卒業後、大阪の薬局でぼんさん生活(いわゆる丁稚生活)を送る。薬局を辞め、パイプ工場に勤務しながら私立成器商業学校夜間部で学ぶ。その後、上宮中学校(旧制)に転学し4年で修了する。上京し専修大学予科に入学するも中央大学に転学。1934年有志で中央大学真法会を創設。1935年の高等文官試験司法科試験を2番で合格する。1936年3月・中央大学法学部卒業。司法官試補を経て検察官となり、思想検事系列に名を連ねる。
佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 199… 佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 1992年9月26日)は、日本のスペイン語学者、東西交渉史学者。 東京出身。1938年中央大学法学部卒。1945年横浜市立経済専門学校講師、1949年横浜市立大学助教授、教授、1960年亜細亜大学教授、1962年清泉女子大学教授。80年定年。
秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 198… 秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 1980年11月23日)は、日本のフランス文学者であり、中央大学名誉教授である。 長野県北佐久郡岩村田町(現在の長野県佐久市)に生まれた。旧制野沢中学校(現在の長野県野沢北高等学校)を経て、1933年に東京帝国大学仏文科を卒業した。卒業後は司法省調査課に勤務した。1941年には軍の命令により広州湾フランス租借地に出張した。1943年には一兵卒として北支に出兵した。戦後の1949年に中央大学教授に就任し、1980年に定年退任、名誉教授となった。 ボードレール、ランボーをはじめとするフランス文学の翻訳を多数手がけた。
井上 達雄(いのうえ たつお、1907年11月22日-199… 井上 達雄(いのうえ たつお、1907年11月22日-1995年4月24日)は、日本の会計学者・商学者。公認会計士。専門は簿記・会計学。学位は、商学博士(中央大学・1961年)(学位論文「原価会計論」) 。恩師は、黒澤清・太田哲三。元中央大学学長。大分県津久見市出身。 1932年中央大学商学部卒業。1934年中央大学大学院商学研究科(旧制)修了。中央大学商学部専任講師。1944年海軍省経理局主計官。1945年復員。中央大学商学部教授。1949年公認会計士試験合格。1958年中央大学評議員。1959年中央大学商学部長(~1968年)。1961年中央大学大学院商学研究科長(~1965年)。1963年中央大学経理研究所所長(~1977年)。
池見 猛(いけみ たけし、1907年11月7日 - 2016… 池見 猛(いけみ たけし、1907年11月7日 - 2016年1月3日[要出典])は、日本の精神医学者、池見学園理事長・校長、文筆家。 妻は嵯峨実勝の次女池見啓子(あきこ)。大分県北海部郡丹生村(現大分市)出身。 大分県立三重農学校(現・大分県立三重農業高等学校)卒、東京医学専門学校(現・東京医科大学)卒、中央大学法学部卒、名古屋帝国大学附属医学専門部卒。 1939年「精神的傾向の遺伝学的研究」で名古屋帝国大学医学博士。1959年「精神障碍性犯罪の刑事学的研究」で中央大学法学博士。 民族科学研究所を主宰、『民族科学』を刊行。1952年東京品川簿記学校を開校、1956年池見経理学校、1968年学校法人池見学園を設立し、校長、理事長を務める。
李 瑞漢(り ずいかん、1906年7月20日 - 1947年… 李 瑞漢(り ずいかん、1906年7月20日 - 1947年3月?)は、日本統治時代の台湾および中華民国の法律家。台湾苗栗県竹南鎮出身。二・二八事件で失踪している。 1926年、李瑞漢は台中一中卒業後、日本内地の中央大学法学部に留学し、在学中に弁理士試験に合格している。1929年に中央大学卒業後も大学に留まり研究を続け、翌年高等試験司法科に合格している。その後台湾に戻った李瑞漢は台北市永楽町で弁護士事務所を開業している。 1945年の日本の降伏により、台湾は国民党率いる中華民国に接収された。李瑞漢は台北市律師公会会長に選出された。1947年に二・二八事件が勃発すると、李瑞漢は3月初に台北市律師公会課会議を招集し、台湾行政長官であった陳儀に対し改革を具申し、同時に強烈な政府批判を行った。
矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2… 矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2001年2月22日)は、日本の社会政策学者。中央大学名誉教授。中央大学経済学部長や、社会政策学会代表幹事を務めた。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。井藤半彌ゼミ出身。1958年から1960年まで第5期社会政策学会代表幹事。1963年から1967年まで中央大学経済学部長。1970年から1972年まで第11期社会政策学会代表幹事。中央大学バドミントン部部長なども務めた。中央大学定年後、1986年まで亜細亜大学教授。2001年2月22日、急性肺炎のため死去。
矢田 一男(やだ かずお、1904年12月19日 - 196… 矢田 一男(やだ かずお、1904年12月19日 - 1966年4月23日)は、日本の法制史学者。新潟県佐渡郡金井町出身。 1921年高輪中学校卒。1924年中央大学法学部予科卒。1927年同法学部卒。中央大学附属図書館職員をしながら、東京帝国大学法科大学助手となり春木一郎にローマ法の薫陶を受けた。1934年中央大学専門部法学科専任講師。1941年同法学部専任講師。1946年同法学部教授。同通信教育部長を経て、1962年「ローマ刑事法の研究」にて中央大学で法学博士受く。1966年中央大学在職中に肝臓がんで逝去。同名誉教授。 門下生に眞田芳憲らがいる。中央大学で急逝した矢田担当する西洋法制史の後任も奇しくも同郷の眞田芳憲が担当した。
桜井 義之(さくらい よしゆき、1904年4月6日 - 19… 桜井 義之(さくらい よしゆき、1904年4月6日 - 1989年9月12日)は、昭和期の書誌学者である。 福島県久慈川近くで生まれる。中央大学経済学科に通学する傍ら、東京帝大法学研究室でアルバイトとして吉野作造の私設秘書となる。1926年に中央大卒業後、1928年9月に吉野の口利きで京城帝国大学法文学部経済研究室助手として、資料室の配属となった。1933年には、京城帝大朝鮮経済研究所研究員として、四方博の下で書誌の整理を行っている。1941年、京城帝大を離れ、朝鮮総督府文書課に転じ、調査係主査として朝鮮総督府機関誌『朝鮮』の編集にあたった。 戦後は、元京城帝大法文学部長の上野直昭の紹介で東京芸術大学に勤務した後、1950年東京都立大学 (1949-2011)図書館事務長となり、1956年同大学の図書館学・書誌学の専任講師となっている。
金 正実(キム・ジョンシル、朝鮮語: 김정실/金正實、190… 金 正実(キム・ジョンシル、朝鮮語: 김정실/金正實、1904年 - 1969年10月27日または11月26日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、放送関係者、法学者、教授、政治家。第2代檀国大学(現・檀国大学校)学長、第2代韓国国会議員。 慶南固城郡固城邑生まれ、ソウル出身。普成専門学校(現・高麗大学校)、中央大学法学部卒。東亜日報記者、中央放送局職員として長年勤務した後、解放後に大韓民国臨時政府傘下政治工作隊総務、金九が設立した建国実践員養成所の講師、木材会社重役、金剛山工芸会社専務、朝鮮政治学館(現・建国大学校)教授・教務局長・教務主任、放送協会会員、世宗大学教授、檀国大学副学長・第2代学長、建国大学校畜産大学学長・憲法学教授、高等考試委員、国会法制司法委員長、自由党議員代表幹事、刑事訴訟法草案公聴会委員長を務めた。
金子 文六(かねこ ぶんろく、1902年9月6日 - 199… 金子 文六(かねこ ぶんろく、1902年9月6日 - 1991年5月25日)は、日本の法学者・元裁判官・元外交官。専門は、民事手続法(民事訴訟法・民事執行法・民事保全法)。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 山梨県甲府市出身。山梨県立日川中学校(現・山梨県立日川高等学校)卒業。1926年高等文官試験司法科合格。1927年中央大学法学部卒業。司法官試補。1928年東京地方裁判所判事に就任。その後、福島地方裁判所判事、仙台地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事を経て、1936年中華民国南京日本総領事館領事に就任。1942年中華民国天津日本総領事館領事。1946年東京控訴院判事。1948年中央大学法学部教授。
金 鏞化(キム・ヨンファ、朝鮮語: 김용화、1902年1月2… 金 鏞化(キム・ヨンファ、朝鮮語: 김용화、1902年1月23日 - 1970年)は、中華民国、満洲国および大韓民国の教授、政治家。制憲・第2代韓国国会議員。 本貫は全州金氏。字は星光、号は竹山。父は旧韓末の正3品議官を務めた金精気。 咸鏡南道興南市生まれ、忠清南道天安郡出身。中央大学法学部、日本大学政治学部卒。北京大学政治科修了。北京基青付専・新京外国語専門学校教授を務めた。帰国後は1939年より天安で果樹園農場を経営し、そのまま解放を迎えた。その後は文化大学副理事長、大韓雄弁会中央委員、大韓国民党天安郡党委員長を歴任した。1948年の初代総選挙では天安郡選挙区に金を含めて10人が立候補したため、激戦で落選した。
洪 性夏(ホン・ソンハ、朝鮮語: 홍성하、1898年1月15… 洪 性夏(ホン・ソンハ、朝鮮語: 홍성하、1898年1月15日 - 1978年)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教授、政治家、サッカー組織幹部。制憲韓国国会議員。政界では金融通として知られる。 慶尚南道東萊(現・釜山広域市)または全羅南道光山出身。中央大学政治科もしくは経済科卒。日本統治時代は普成専門学校(現・高麗大学校)教授・評議員、京城第一プリント社経営者を務め、解放後は韓国民主党中央執行委員・中央常務委員・労農部長・青年部長、中央労働調整委員、非常国民会議代議員、大韓国民代表民主議院特別経済専門委員、民族統一総本部宣伝部長、過度政府立法議院議員などを務めた。李承晩が大統領に就任し、ソウル東大門甲選挙区の制憲国会議員に欠員が出た後に実施した1948年の補欠選挙で、韓国民主党の候補として国会議員に当選し、国会財経委員長・金融通貨委員長・財政金融委員長・税制分科委員長を務めた。
片山 金章(かたやま きんしょう、1897年2月15日 - … 片山 金章(かたやま きんしょう、1897年2月15日 - 1983年12月29日)は、日本の法学者(商法・民法・英米法)。学位は、法学博士(中央大学)。中央大学学長を務めた。 学部時代は兼任講師として教えに来てたローマ法の春木一郎の薫陶を受け、助手時代に学外指導教授として松本烝治及び田中耕太郎に民法、商法の薫陶を受けた。
四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - … 四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - 1980年11月28日)は、日本の法学者・弁護士・裁判官・実業家。商法学者。法学博士(中央大学)。元中央大学理事長・総長・学長。兵庫県養父郡八鹿町出身
四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - … 四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - 1980年11月28日)は、日本の法学者・弁護士・裁判官・実業家。商法学者。法学博士(中央大学)。中央大学理事長・総長・学長。兵庫県養父郡八鹿町(現:養父市)出身。升本喜兵衛3代目の娘婿。 1915年旧制海城中学校卒業。1919年中央大学法学部卒業。司法官試補。東京地方裁判所判事。1924年東京地方裁判所退官。弁護士登録。商法研究のためにドイツ、イギリスに留学( - 1927年)。1928年中央大学法学部教授に就く。1941年中央大学評議員。1947年中央大学理事( - 1951年)。1951年中央大学法学部長( - 1957年)。1960年中央大学理事( - 1974年)。
陳望道(ちん ぼうどう、1891年1月18日 - 1977年… 陳望道(ちん ぼうどう、1891年1月18日 - 1977年10月29日)は、中国の言語学者、修辞学者、教育者。早い時期からの中国共産党員であり、「共産党宣言」を中国語に翻訳した人として知られる。 陳望道は浙江省義烏に生まれ、16歳まで私塾で伝統的な教育を受けた後、近代的な小学校にはいり直し、キリスト教系の之江大学に学んだ。 1915年に日本に留学し、早稲田大学、東洋大学、中央大学で学んだ。中央大学の法学士の学位を得た。早稲田大学では五十嵐力に修辞学を学んだ。 1919年5月に帰国し、杭州の浙江第一師範学校で国文を教えた。この時代には句読点の改良を主張し、新式標点の採用を訴えた。 翌1920年5月には陳独秀の求めに応じて上海に移り、中国共産党の前身であるマルクス主義研究会と共産主義青年団の創立にかかわった。
樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年〈明治23年〉4月3… 樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年〈明治23年〉4月3日 - 1953年〈昭和28年〉1月1日)は、日本の政治家、法学者。法学博士。位階は正三位。 保険院長官、衆議院議員、第37代衆議院議長、第3次吉田内閣国務大臣・賠償庁長官を歴任した。 山梨県東山梨郡勝沼町(現・甲州市)出身。日川中学、中央大学夜間法科在学中に文官高等試験に合格し、1918年に京都帝国大学法科大学を卒業。卒業後は法制官僚となり、法制局に勤務の傍ら中央大学講師を務め、内閣恩給局長・保険院長官などを歴任。1943年、『海の慣習法』で京都帝国大学法学博士。 1946年の戦後最初に行われた第22回衆議院議員総選挙では、郷里の山梨から日本自由党(鳩山自由党)の公認候補として擁立されて立候補し、当選する。
姉歯 松平(あねは しょうへい、1885年(明治18年)5月… 姉歯 松平(あねは しょうへい、1885年(明治18年)5月17日 - 1941年(昭和16年)10月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者。日本統治下の台湾で活動した。 1885年(明治18年)、宮城県栗原郡長岡村大野(現在の大崎市古川、旧・古川市)に、姉歯五郎左衛門の五男として生まれた。 中学生のとき、学費が払えず中学校を中退し、のちに上京し、弁護士飯田宏作の事務所で写字生として活動した。 1906年(明治39年)6月、中央大学専門科卒業後、1907年、1908年、1909年、1910年の4回にわたって判事検事登用試験を受験したものの 、いずれも失敗し、1911年(明治44年)にようやく合格を果たした。
吉田 久(よしだ ひさし、1884年(明治17年)8月21日… 吉田 久(よしだ ひさし、1884年(明治17年)8月21日 - 1971年(昭和46年)9月20日)は、日本の裁判官、貴族院議員、大学教授である。福井県出身。位階および勲等は従三位・勲三等。 1884年8月21日、福井市佐佳枝上町の八百屋の長男として出生し、幼い頃から神童と呼ばれていたため、店をたたみ上京。一家は人力車業を営んだが、次第に振るわなくなり、日清戦争開戦の年、番町高等小学校尋常科を中退し、福井に戻ることとなった。後再び上京し、裁判所の給仕をして生計を立てた。弁護士の書生をしながら東京法学院(のちの中央大学)にて学ぶ。1905年(明治38年)に東京法学院を卒業し判事検事登用試験に次席合格する。
大内 地山(おおうち ちざん、1880年(明治13年)2月2… 大内 地山(おおうち ちざん、1880年(明治13年)2月2日 - 1948年(昭和23年)2月7日)は、大正から昭和時代前期にかけて活動した水戸学者、郷土史家、『常総新聞』記者。幼名は勘五郎で、1889年(明治22年)に本名を逸朗(いちら)に改めた。 茨城県那珂郡前浜村前浜(現・ひたちなか市阿字ケ浦町)に、父・平三郎と母・ふくの第5子として生まれる。1894年(明治27年)に那珂郡立第二高等小学校(現・ひたちなか市立那珂湊第一小学校)の第1回卒業生となり、栗田寛の私塾・輔仁学舎(家塾輔仁学舎(かじゅくほじんがくしゃ)とも言う)に入門した。その後、1898年(明治31年)9月に上京し東京法学院に入学、1901年(明治34年)7月に卒業した。
林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年〈明治11年〉9… 林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年〈明治11年〉9月6日 - 1958年〈昭和33年〉5月7日)は、日本の刑法学者。検事総長・大審院院長・司法大臣を歴任した。旧姓・三輪。現在の埼玉県行田市出身。 三輪礼三の四男として生まれた。父は忍藩の御典医だったが、製粉業に失敗し、貧しい生活を強いられた。忍高等小学校在学中、父が病気となり、途中、北埼玉郡役所給仕となる。家計を助ける傍ら、出勤前早朝に恩師の自宅で英語を学ぶ努力家であり、16歳のときにその人物を見込まれ、政治家で北埼玉郡長林有章の養子となる。同年、林郡長の友人である高橋捨六弁護士の書生をしながら、東京法学院(中央大学の前身)に進学した。
大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年… 大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年11月17日) - 1920年(大正9年)12月30日)は、日本の刑法学者、弁護士、政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。 明治から大正の日本の刑法学は、富井政章、穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。
平 裕介(たいら ゆうすけ、7月16日[要出典] - )は、… 平 裕介(たいら ゆうすけ、7月16日[要出典] - )は、日本の弁護士、行政法学者。東京弁護士会に所属している。 東京都青梅市出身[要出典]。2004年に[要出典]中央大学法学部を卒業し、2006年に[要出典]日本大学法科大学院を修了した。2008年に弁護士登録。行政法を専門としており、『宮本から君へ』の助成金不交付問題を担当した。性風俗産業のコロナ補助金不支給問題では、弁護団長として取り組んでいる。 2026年4月から帝京大学法学部で准教授を務める。 2022年、立憲民主党の議員である塩村文夏がAV新法にからみ、アダルトビデオの「許可制」に言及した際、違憲の可能性を指摘した。 大阪駅の萌え絵ポスターで商業広告が論争になった際、囚われの聴衆事件の判例を引用し、「見たくないものを見ない自由」よりも「表現の自由」の方が優越すると述べている。
漆畑 貴久(うるしばた たかひさ)は、日本の法学者。大阪経済… 漆畑 貴久(うるしばた たかひさ)は、日本の法学者。大阪経済法科大学准教授。日本比較法研究所嘱託研究所員。中央大学通信教育部インストラクター。専門は犯罪学・刑事政策・被害者学・比較法学。 中央大学大学院で、日本で初めて犯罪学の博士号を取得した藤本哲也に師事する。藤本の下では主に犯罪学の研究を行うが、犯罪学という学問がアメリカで発展したものであり、日本での定着が薄かったことから、日本とアメリカを専門に比較法学の研究も行う。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
出口 雅久(でぐち まさひさ)は、日本の民事訴訟法学者。立命… 出口 雅久(でぐち まさひさ)は、日本の民事訴訟法学者。立命館大学教授。博士(法学)(ドイツ・フライブルク大学)。
山下 昌也(やました まさや、生年不詳)は、日本の作家、歴史… 山下 昌也(やました まさや、生年不詳)は、日本の作家、歴史家。高知県生まれ。中央大学商学部卒。歴史小説、歴史読み物などを書いている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山田 八千子(やまだ やちこ)は、日本の法学者・弁護士。専門… 山田 八千子(やまだ やちこ)は、日本の法学者・弁護士。専門は、法哲学・民法。中央大学法科大学院教授。第25期日本学術会議会員。 1978年神戸海星女子学院高等学校、1983年中央大学法学部法律学科、1990年同大学大学院法学研究科卒業。東京弁護士会に所属する弁護士のかたわら、1990年からは東洋大学法学部講師を務め、その後、1995年に同大学法学部助教授に昇任。2006年からは中央大学に移って、同大学法科大学院教授を兼任している。2020年第25期日本学術会議会員。2023年第26期日本学術会議会員。
安井 哲章(やすい てっしょう)は、日本の法学者。中央大学教… 安井 哲章(やすい てっしょう)は、日本の法学者。中央大学教授。専門は刑事訴訟法。警察政策学会、日本被害者学会、日本刑法学会所属。 2000年3月 中央大学法学部卒業。 2005年3月 中央大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。 桃山学院大学専任講師を経て、 2007年4月-2014年3月 中央大学法学部准教授 2014年4月- 同大法学部教授。
飯田 稔(いいだ みのる)は、日本の法学者。専門は憲法学。亜… 飯田 稔(いいだ みのる)は、日本の法学者。専門は憲法学。亜細亜大学法学部教授。 中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。明海大学不動産学部助教授、亜細亜大学法学部助教授を経て、2010年現在、法学部教授。研究以外では亜細亜大学女子陸上競技部の部長を務める。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
大橋 正和(おおはし まさかず)は、日本の情報工学者。中央大… 大橋 正和(おおはし まさかず)は、日本の情報工学者。中央大学名誉教授。電気通信普及財団テレコム社会科学賞、情報通信月間総務大臣表彰受賞。 中央大学大学院理工学研究科土木工学専攻博士課程修了。工学博士。1983年中央大学理工学部専任講師。1993年中央大学総合政策学部教授、中央大学大学院総合政策研究科教授。1996年可視化情報学会評議員。2003年中央大学総合政策学部長。2004年電気通信普及財団テレコム社会科学賞受賞、情報通信月間総務大臣表彰。2005年中央大学学術奨励賞受賞。2019年中央大学名誉教授。iDCイニシアティブ会長、郵政省高度ASP実験推進協議会会長なども歴任した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
大山 政雄 (おおやま まさお)は、日本の会計学者。横浜国立… 大山 政雄 (おおやま まさお)は、日本の会計学者。横浜国立大学名誉教授。中央大学商学部教授、横浜国立大学経営学部長、東京経営短期大学学長、新潟経営大学副学長などを歴任した。 東京出身。1943年中央大学経済学部卒業。1948年中央大学商学部講師。中央大学商学部助教授、中央大学商学部教授、横浜国立大学経営学部教授を経て、1977年横浜国立大学経営学部長。1983年に定年退官後、横浜国立大学名誉教授、横浜商科大学教授、東京経営短期大学学長、新潟経営大学副学長などを歴任。1996年勲三等瑞宝章受章。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
川地 宏行(かわち ひろゆき)は、日本の法学者。明治大学法学… 川地 宏行(かわち ひろゆき)は、日本の法学者。明治大学法学部専任教授。専門は、民法(財産法)。 1988年中央大学法学部卒業、1991年明治大学大学院法学研究科民事法学修士課程修了、法学修士の学位を取得、1994年名古屋大学大学院法学研究科民刑事法学博士課程単位取得満期退学。 1997年から2000年まで三重大学人文学部助教授、2001年専修大学法学部助教授、2005年専修大学法学部教授、2017年に明治大学法学部専任教授に就任。 2012/01 東京都消費者被害救済委員会委員
佐野 健太郎(さの けんたろう、 - )は高知大学人文社会科… 佐野 健太郎(さの けんたろう、 - )は高知大学人文社会科学部の准教授。専門: 中国経済論、地域経済論 1983年 中央大学商学部卒業 1986年 中央大学大学院商学研究科修士課程修了 1990年 高知大学人文学部着任。
洲見 光男(しゅうみ みつお)は、日本の法学者。同志社大学法… 洲見 光男(しゅうみ みつお)は、日本の法学者。同志社大学法学部教授。専門は刑事訴訟法。京都出身。 アメリカ(シカゴ)、ドイツ(アウクスブルク)で在外研究。フルブライト研究員(2000―2001年度、UCDavis)。旧司法試験第二次試験考査委員(2006年度)。明治大学法科大学院教授を経て、2007年4月より同志社大学に赴任。新司法試験考査委員。 学部は、渥美東洋ゼミに所属し、大学院は西原春夫に師事。
福田 健(ふくだ たけし)は日本の起業家、作家、コンサルタン… 福田 健(ふくだ たけし)は日本の起業家、作家、コンサルタント。株式会社話し方研究所会長。 1967年に言論科学振興協会の話し方運動に参加、1983年以後、CNS話し方研究所を主宰、話し方・聞き方を軸に、講演、執筆活動に従事している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
前川 千春(まえかわ ちはる)は、日本の会計学者。現在は慶應… 前川 千春(まえかわ ちはる)は、日本の会計学者。現在は慶應義塾大学商学部で准教授を務めている。 1987年、中央大学商学部会計学科卒。1989年、慶應義塾大学修士課程商学研究科修了。1992年、同科博士課程単位取得退学。1990年4月から2000年3月にかけて同大学商学部助手、1991年10月から93年9月まで同大学通信教育部学習指導副主任、2000年4月から同大学商学部准教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。