望月 芳郎(もちづき よしろう、1925年12月6日 - 2… 望月 芳郎(もちづき よしろう、1925年12月6日 - 2003年4月5日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 東京府生まれ。松本高等学校文科甲類を経て、1950年9月東京大学仏文科卒。1956年ころから中央大学に勤務し、教授を1996年まで務めた。ル・クレジオの研究・翻訳で知られるが、ジャプリゾなどの推理小説も訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大木 健(おおき たけし、1925年〈大正14年〉12月2日… 大木 健(おおき たけし、1925年〈大正14年〉12月2日 - 1990年〈平成2年〉7月13日)は、日本のフランス文学者。 東京生まれ。東京高等学校(旧制)卒、新潟医科大学中退。1950年東京大学文学部仏文科卒、東北大学助手、1952年教養部講師、1962年助教授、1969年教授、1969年「シモーヌ・ヴェイユにおける不幸の意味に関する研究」で東北大学文学博士。1989年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授。
小池 銈(こいけ けい、1925年11月17日 - 2004… 小池 銈(こいけ けい、1925年11月17日 - 2004年)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学教養学部教授を経て、同名誉教授。 東京出身。本名・銈次。1952年東京大学文学部英文科卒、1951年東京大学教養学部助手、助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授。1981年から1984年にかけて日本英文学会会長を務めた。アイザイア・バーリンなど思想史的な翻訳を行ったほか、深井 淳(ふかい じゅん)の筆名でミステリーの翻訳がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2… 伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2009年12月21日)は、日本の中国文学者。東京大学名誉教授、二松學舍大学名誉教授。 1925年、愛知県碧海郡に生まれた。刈谷中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学支那哲文学科を卒業、大学院に進学した。1949年に大学院博士課程を退学。同1949年に北海道大学助手として着任した。 1955年、島根大学講師に就任。1960年より大阪市立大学助教授。1970年より北海道大学中国文学科教授。1977年より東京大学中国文学科教授となった。1986年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は二松學舍大学教授として教鞭をとった。また、1989年から1993年にかけて第6代二松學舍大学学長を務め、国際政治経済学部の設置に尽力した。
海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - … 海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - 2023年11月7日)は、日本の天文学者(理論天体物理学)。理学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学教名誉教授。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。 旧制松本高等学校時代より、東京帝国大学を目指す。松本高等学校では物理の向井正幸教授の影響を受け、物理学者を志したが、戦時中入試のできない年にぶつかり、入学の比較的容易な天文学科に志望を変更した。ここで、師となる萩原雄祐と出会い、理論天文学分野での活躍を始める。特に、萩原に薦められて、旧来の天文学に量子力学視点を取り入れた研究及び講義は難解という評価がなされている。 1955年、東京大学理学博士。
辻 邦生(つじ くにお、1925年(大正14年)9月24日 … 辻 邦生(つじ くにお、1925年(大正14年)9月24日 - 1999年(平成11年)7月29日)は、日本の小説家・フランス文学者。学習院大学教授も務めた。位階は正五位。 東京市・駒込に生まれた。信州・長野の信州旧制松本高校で敗戦の前後を過ごしたことが、精神上大きな糧となる。 東京大学仏文科卒業後、渡仏。その時の日記『パリの手記』(1973年 - 1974年)は、辻文学の素材と風土を語る貴重な資料である。滞仏中にギリシア旅行をし、パルテノンの神殿に永遠の人間のあり方を見、『見知らぬ町にて』(1967年)を執筆した。1961年、帰国の途中で書きはじめた『廻廊にて』(1963年)で近代文学賞を受賞。
高橋 正治(たかはし しょうじ、1925年9月6日 - 19… 高橋 正治(たかはし しょうじ、1925年9月6日 - 1995年12月26日)は、日本の国文学者。元清泉女子大学文学部教授。また、駿台予備校の古文講師も担当。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中村 義雄(なかむら よしお、1925年〈大正14年〉7月1… 中村 義雄(なかむら よしお、1925年〈大正14年〉7月15日 - 1993年〈平成5年〉3月21日)は、日本の国文学者。中古文学を専攻し、『源氏物語絵巻』などの「絵詞文学」を専門とする。学位は、文学博士(筑波大学)(学位論文『絵巻物詞書の研究』)。 1925年(大正14年)、群馬県太田市に生まれる。父が群馬県庁職員として勤めていたため、前橋市石川町の官舎に住み、桃井尋常小学校に通った。旧制前橋中学校を経て、東京高等師範学校に学ぶ。山岸徳平に師事。 1952年(昭和27年)東京大学文学部卒業。池田亀鑑に師事。1955年(昭和30年)に東京大学大学院国文学科修了。池田亀鑑「源氏物語大成」「図録篇」作成に従事。
高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010… 高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010年4月9日)は、日本の中国文学者・中国思想学者。学習院大学名誉教授。 1925年、朝鮮京城に生まれる。父は大分県出身で中国思想学者の高田眞治、母方の祖父は英文学者の皆川正禧。1945年、第一高等学校休学中に入営、満州で敗戦を迎え、1947年、帰国。1952年、東京大学中国文学科を卒業し、同大大学院へ進学するも中退。1953年、大倉山学院給費生。 1955年、学習院高等科国語講師。1957年、学習院高等科国語教諭。1964年より東京女子大学専任講師、助教授。1972年より東京大学文学部中国文学科助教授、1974年、東京大学文学部中国文学科を退職し学習院大学文学部史学科教授となり、1996年に定年退職。
小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014… 小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014年9月28日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士(1956年)。東京大学名誉教授。 東京府(現・東京都)出身。萩原雄祐の弟子だが、同じく萩原門下で小尾の兄弟子にあたる畑中武夫にも師事した。 本郷区立誠之小学校、成城高等学校 (旧制)卒業。東京帝国大学理学部天文学科卒業後、技官として東京天文台(現・国立天文台)で活動していた事からも分かるように戦後の東京天文台における観測装置復旧の最初期の技術者でもあった。そのことから萩原雄祐から習った天体物理学のみならず畑中武夫の観測装置開発手法を学んだ。どちらかと云えば研究者としてより教育者として知られ、そのため多くの啓蒙書を翻訳または著述し多くの天文家に親しまれている研究者でもある。
加藤 二郎(かとう じろう、1925年2月26日 - 201… 加藤 二郎(かとう じろう、1925年2月26日 - 2015年3月3日)は、ドイツ文学者、一橋大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1951年東京帝国大学文学部独文科卒業。53年同大学院中退、54年明治学院大学講師、1961年電気通信大学助教授、1967年一橋大学社会学部助教授、70年教授、1988年定年退官、名誉教授、神奈川大学教授。95年退職。ロベルト・ムージルが専門で『特性のない男』を全訳した。叙従四位。
今村 与志雄(いまむら よしお、1925年1月15日 - 2… 今村 与志雄(いまむら よしお、1925年1月15日 - 2007年1月22日)は、日本の中国文学者。 1925年、東京生まれ。1943年、東京府立第六中学校(現・都立新宿高等学校)を卒業し、東京大学文学部中国文学科で学んだ。 旧・東京都立大学助教授を務めたが、学園紛争に際し辞職。学界では、中国社会文化学会会員であった。 古典から近現代まで中国文学全般に通じ、魯迅研究を専門にした。古典作品(伝奇小説)も訳している。
中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日… 中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の小説家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。 東大独文科卒。近代化と自己を冷静に分析したエッセイ『ブリューゲルへの旅』(1976年)、自伝小説『麦熟るる日に』(1978年)、愛犬の思い出を綴った『ハラスのいた日々』(1987年)で認められ幅広く活躍する。ほかに『清貧の思想』(1992年)など。 千葉県市川市の大工の子として生まれ、独学で旧制高校に進み、第二次大戦出兵を経て、東京大学独文科を卒業。1952年から28年間、国学院大学で教鞭を執る傍ら、フランツ・カフカ、ギュンター・グラスなど現代ドイツ文学の翻訳紹介に努めた。
関口直甫(せきぐち なおすけ、 1925年-2020年)は、… 関口直甫(せきぐち なおすけ、 1925年-2020年)は、日本の天文学者。 1925年東京生まれ。1948年東京大学理学部天文学科卒業、東京天文台(現在の国立天文台)に入台。学位論文「地球の外套部と核との間の強い結合について」で理学博士(東京大学)。その後、東京大学教授に昇任し、1986年定年退官。 専門は地球自転の運動理論で、極運動に関する多数の論文を書いた。また、月のクレータや、月食の暗さと色に関する研究も行った。天文学に関する一般向けの著書と教科書も多い。多数の銅鐸について、それら上部にうがたれた4つの小孔の向きを調べ、銅鐸は春分の日を知るための天文観測装置であるとする説を唱えた。2020年死去
加藤 道理(かとう みちただ、1925年 - 2014年11… 加藤 道理(かとう みちただ、1925年 - 2014年11月21日)は、漢文学者、桜美林大学名誉教授。 東京生まれ。1950年東京大学文学部中国哲学科卒業。東京都立高校の国語科教諭、都立高校校長を三校歴任、全国高等学校長協会会長。東京都立小石川高等学校校長を1987年定年後、桜美林大学中国語中国文学科助教授、教授。96年名誉教授。(財)湯島聖堂斯文会・漢字文化振興会常務理事。
奥井 潔(おくい きよし、1924年11月10日 - 200… 奥井 潔(おくい きよし、1924年11月10日 - 2000年12月16日)は、日本の英文学者・英語教師。東洋大学名誉教授。駿台予備学校英語科講師。 1924年台湾生まれ。1943年学徒出陣。チモール島へ出征。海軍に所属し、回天要員の生き残りと自ら語っていた。復員後、東京大学文学部英文科にて中野好夫の指導を受け、1952年卒業。1954年から半世紀近くにわたって駿台で教鞭をとり続けた。文学的な文章の読解を得意としており、その講義はしばしば受験用の英文解釈の域を超えて、人生論・道徳論などに及び、多感な年齢の受験生への啓蒙的役割を果たした。駿台で授業を受けた四方田犬彦によれば、「旧制高校の教授はかくや」という独特の雰囲気を持ち、効率一点主義の講師陣の中にあって異彩を放っていたという。
黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2… 黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2014年2月24日)は、日本文学・中国文学者。 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科卒(1953年)。藤家礼之助と同人雑誌に加わり作家を目指す。 1963年(昭和38年)「蜘蛛と毛糸」並びに「落下」にて群像新人賞候補。 結婚の際には宇沢弘文が仲人を務めた。千葉県立千葉中学校・高等学校国語科教諭のかたわら、現代語訳に疑問を持っていた「夕顔の巻」の研究を進める。 大東文化大学教授。1995年定年退任。『源氏物語私論』で文学博士。
平野 敬一(ひらの けいいち、1924年10月9日 - 20… 平野 敬一(ひらの けいいち、1924年10月9日 - 2007年11月7日)は、英文学者、東京大学名誉教授。 米国サクラメント生まれ。東京大学文学部英文科卒業、1953年より同・教養学部講師、助教授を経て、教授、1983年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務めた。 マザー・グースやチャイルド・バラッドのほか、北米(カナダ)文学の研究を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1… 生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。 1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。 その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授。 1991年3月31日、死去。墓所は多磨霊園(11-1-10) 詩人として「歴程」同人。
杉山 康彦(すぎやま やすひこ、1924年5月7日 ‐ 20… 杉山 康彦(すぎやま やすひこ、1924年5月7日 ‐ 2005年9月30日)は、日本の日本文学者。 専門は日本文学、文学・言語表現論。 和光大学名誉教授。元和光大学学長。 広島県広島市生まれ(父母の原籍は岐阜県)。愛知県第一中学校に1年通学後、東京陸軍幼年学校(42期)に進学。陸軍予科士官学校を経て、1944年4月に陸軍士官学校(57期)を卒業、少尉に任官し近衛歩兵第三聯隊へ配属される。その後、スマトラ島(インドネシア)に中隊長として赴任。中尉に任官後、陸軍士官学校区隊長(教官)を命ぜられ、日本への帰還途中にサイゴン(現ホーチミン市)にて終戦を迎える。サイゴンの日本軍司令部にて、敗戦処理に当たったのち、1946年8月に帰還。
長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2… 長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2020年7月8日)は、日本のフランス文学者。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。読売新聞記者をへて日本大学教授。フランス・リヨン大学客員教授。フランス政府より芸術文化勲章一等章。1973年セネガルのサンゴール賞を受賞。1985年芸術文化勲章コマンドゥール受賞。Académie des siences d’outre「フランス海外学士院」会員。 ジョルジュ・サンドのほか、ナポレオン評伝などを執筆、翻訳も多い。 2020年7月8日、死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 19… 新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 1986年8月17日)は、漢文学者。 東京生まれ。1948年東京帝国大学文学部中国哲学科卒業。実践女子大学文学部助教授、教授。
高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - … 高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - 2015年1月9日)は、日本の天文学者(銀河天文学)。 学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 兵庫県西脇市出身。萩原雄祐、鏑木政岐、広瀬秀雄に師事。東京大学東京天文台附属木曽観測所の初代所長を務めたことで知られる。 のちに天文学者となった東京大学での学問的な弟子としては磯部琇三、岡村定矩、濱部勝などがいる。また、逗子市長・島根大学法文学部を経て龍谷大学法学部教授となった富野暉一郎(政治家・政治学者)も、高瀬の門下生である。 高瀬の業績を記念してその名前は小惑星に名付けられた。高瀬の名がつけられた小惑星については(2838) Takaseを参照。
石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日… 石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日 - 1992年〈平成4年〉7月27日)は、日本の天文学者・文筆家。理学博士(東京大学・論文博士・1978年)。元東京大学教授。 萩原雄祐に師事。自称・二世天文屋。但し、石田にとって初代の天文屋とは野尻抱影のことであり、決して学問上の恩師である萩原のことではない。 東京天文台(三鷹市)に1年、かつて麻布狸穴町にあった東京大学理学部天文学教室に9年、東京大学東京天文台(現:国立天文台)岡山天体物理観測所に24年勤務した。 天文学者である一方で、歌舞伎や能などの日本伝統芸能・文学・美術・音楽などの広い分野に造詣が深く、『天文台日記』をはじめとする一般向け書籍を多く上梓した文筆家としても知られる。
室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 200… 室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 2005年10月1日)は、日本のフランス文学者。中央大学名誉教授。スタンダールが専門。 茨城県生まれ。1948年東京帝国大学文学部仏文科卒。1950年同大学院修士課程中退。1951年法政大学専任講師、助教授、中央大学文学部助教授、1965年教授、1994年定年、名誉教授。
尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )… 尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )は、日本の国語学者・国文学者。専攻は国語学史・国学・古代文学。愛知県立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。尾崎忠征、尾崎良知の子孫。1949年東京大学文学部国文学科卒業。1949年名古屋大学文学部文部教官三級、1955年愛知県立女子短期大学助教授、1957年愛知県立女子大学助教授、1961年同大学教授、1966年愛知県立大学教授。1988年、定年退職、愛知県立大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1999年、定年退職。
秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015… 秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015年11月18日)は、日本の文学者。専門は、国文学・中古文学。東京大学名誉教授。紫綬褒章受章。日本学士院会員、文化功労者。勲二等瑞宝章受章。 国士舘短期大学助教授、東洋大学助教授、東京大学文学部教授、東京女子大学教授、駒沢女子大学教授、紫式部学会会長などを歴任した。 岡山県出身の国文学者であり、主として中古文学を専攻した。『源氏物語』の成立論をはじめ、構造論、人物論、さらには作者である紫式部に関する作家論など、多彩な方法論を展開した。その結果、『源氏物語』研究の指導的存在となり、学界に大きな影響を与えた。また、平安時代の和歌をはじめ、物語、説話文学、さらには漢文学に至るまで、作品成立時の社会的環境の下での作者の心理、意識、表現などを解明した。
井沢 義雄(いざわ よしお、1923年12月20日 - 19… 井沢 義雄(いざわ よしお、1923年12月20日 - 1996年12月14日)は、フランス文学者、神戸大学名誉教授。 兵庫県生まれ。東京帝国大学仏文科卒。文芸評論を書いたのち、1954年神戸大助教授、教授。1987年定年退官、名誉教授。ヴァレリーと石川淳を論じた。1996年12月14日、肺癌のため死去。
浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、19… 浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、1923年12月18日 - 2006年9月25日 )は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 東京府(現東京都)で、実業家・浜川友十郎(三菱倉庫社長)の長男として生まれた。旧制府立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、佐世保施設部付となり、同年6月、海軍主計少尉に任官して第325設営隊付に転じ終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年9月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。南海電鉄勤務ののち、1952年東京大学文学部独文科卒業。ドイツ学術交流会の奨学金を受けて、西ドイツ・ミュンヘン大学へ留学ののち、1955年中央大学文学部助教授、1967年東京大学文学部助教授、1973年教授。
武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年… 武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年2月17日)は、日本の国文学者。 神戸市出身。1943年学徒出陣、中国戦線を転戦。1949年東京帝国大学文学部国文学科卒。51年同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て1973年群馬大学教育学部助教授。1975年大妻女子大学助教授、76年教授、84-88年文学部長、大妻学院理事、96年定年退任、名誉教授。1999年勲四等旭日小綬章受勲。解釈学会会長を務めた。
石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年〈大正12年〉2月2… 石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)は、日本の文学者。石浜 恒夫とも表記。 大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。 大阪高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。
辻 瑆(つじ ひかる、1923年1月23日 - 2024年5… 辻 瑆(つじ ひかる、1923年1月23日 - 2024年5月14日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 日本藝術院会員の画家・辻永の次男として東京に生まれる。成城高等学校(旧制)を卒業し、東京帝国大学独文科へ入学する。1947年、同大学を卒業。 1954年、東京大学教養学部助教授、のち教授となる。1984年に定年退官し、その後は放送大学教授を務めた。ミュンヘン大学名誉評議員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
進士 晃(しんじ あきら、1922年12月28日 - 199… 進士 晃(しんじ あきら、1922年12月28日 - 1995年?)(旧姓 守永晃)は、日本の天文学者(天文暦)。理学博士(東京大学)。 旧制第七高等学校、東京帝国大学理学部天文学科卒業。海上保安庁水路部編暦課長、参事官。後、ハイデルベルク大学天文計算研究所客員教授(1978-1980)、マレーシア工科大学客員教授、その後、放送大学講師、東洋大学講師等を兼任。 日本天文学会、宇宙開発事業団、日本学術会議等メンバー。国際天文学会では天文暦委員長(1979-1982)を務めた。交流を続けていた天文学者に、ヴァルター・フリッケ(英語版)、ハンス=ハインリヒ・フォークト(英語版)がいる。 戦時中の疎開について東京大学天文学教室のOBらと『されど天界は変わらず・諏訪の温泉宿で迎えた終戦』(東京大学理学部天文学教室編 1993年)を出版した。
板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 200… 板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 2004年7月26日)は、日本の日本文学者。文芸評論・文化評論家。 文学研究者としては、近世文学を専攻。 1922年(大正11年)、中華民国・南京市生まれ。父は開業医で南京居留民団長だった板坂瑠一。板坂家は17代続いた医師の家系で、江戸時代は大村家に藩医として代々仕えた。 帰朝し、子供時代を長崎で過ごす。1943年(昭和18年)9月、旧制佐賀高校文科乙類(ドイツ語)を繰り上げ卒業。10月、東京帝国大学文学部国文科に入学。12月、学徒出陣で小倉市の野戦重砲連隊に入営。のち第6航空情報連隊に配属。武漢など大陸を転戦し、1946年(昭和21年)復員。
犬養 廉(いぬかい きよし、1922年10月31日 - 20… 犬養 廉(いぬかい きよし、1922年10月31日 - 2005年5月7日)は、日本の日本文学者。お茶の水女子大学名誉教授。万葉集研究の第一人者である犬養孝は実兄。 東京生まれ。1952年東京大学国文科卒。北海道大学助教授、中央大学教授、お茶の水女子大教授、1988年定年、立正大学教授。1993年退職。墓所は谷中霊園。
景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は… 景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は、国文学者。専攻は歌舞伎音楽・義太夫節を中心とする歌舞伎・人形浄瑠璃・邦楽。博士(文学)。元東洋大学文学部教授、(社)義太夫協会名誉会長、(財)日本舞踊振興財団評議員、(社)全日本郷土芸能協会顧問、国立劇場養成課講師(歌舞伎・長唄・鳴物・竹本研修生)。平成5年(1993年)11月、勲四等旭日小綬章を受章した。
中山 時子(なかやま ときこ、1922年(大正11年)7月1… 中山 時子(なかやま ときこ、1922年(大正11年)7月13日 - 2016年1月22日)は、日本の中国文学者・中国語学者。中国近代文学のほか、中華料理も研究対象にした。お茶の水女子大学名誉教授。 北京に育ち、1942年北京大学文学院中国文学系入学、1949年東京帝国大学文学部中国文学科卒、1949年東京女子高等師範学校、お茶の水女子大学助教授。1974年同教授。1988年定年退官、名誉教授。外務省研修所講師、明海大学教授、東亜学院講師、中山時子中国語研修所所長、日中文学文化研究学会会長。1998年、勲三等瑞宝章受章。従四位。
小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966… 小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966年10月27日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学国文科入学。学徒出陣で伊豆大島で陸軍少尉。1948年、東京大学国文科卒。養徳社勤務を経て、1952年、学習院教授。1956年に東京大学国語国文学会賞受賞(久松賞)を受賞。1956年、共立女子大学短期大学部助教授。1960年、学習院大学助教授。1964年、教授。貞門俳諧を専門とした。44歳で死去。
西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日… 西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京大学教養学部名誉教授。 日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。 ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典] 1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。
佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
川村 克己(かわむら かつみ、1922年3月13日- 200… 川村 克己(かわむら かつみ、1922年3月13日- 2007年6月14日)は、日本のフランス文学者。立教大学名誉教授。 東京生まれ。1934年(昭和9年)、津久戸小学校を卒業。 1945年(昭和20年)東京帝国大学文学部仏文科卒業後、助手を経て、立教大学文学部助教授、教授、1988年(昭和63年)定年、名誉教授。 立教大学退職後は、新潟産業大学副学長を務めた。 1989-93年日本フランス語フランス文学会会長を務めた。 子に国文学者の川村裕子。
前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2… 前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2003年2月6日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 1921年、大阪府で生まれた。東京帝国大学文学部で学び、1944年に卒業。卒業後は兵役に就いた。 戦後は、関西大学予科講師となった。後に助教授昇格。1950年、京都大学教養部助教授に転じた。1967年に同教授昇格。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は摂南大学教授として教鞭をとった。晩年は『フロイデ独和辞典』監修 (白水社 2003)ほか辞書編纂に関わった。 2003年2月6日、肺癌のため死去。 専門はドイツ文学で、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンなどの多くの翻訳を行った。
小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 20… 小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 2002年10月18日)は、日本の英文学者。 和歌山県新宮市出身。1944年東京帝国大学文学部英文科卒。1951年東京外国語大学講師、助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、和光大学教授、鶴見大学教授。1992年退職。ジョージ・オーウェルが専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉 冨士雄(すぎ ふじお、1921年7月5日 - 1991年… 杉 冨士雄(すぎ ふじお、1921年7月5日 - 1991年4月25日)は、日本のフランス文学者、プロヴァンス文学者、岡山大学名誉教授。 東京出身。1948年東京大学仏文科卒。1960年よりモンペリエ大学とトゥールーズ大学に留学。1962年岡山大学法文学部教授、1980年文学部教授に就任、1987年に退官後、中国短期大学学長となった。 1964年「「聖女フォワの歌」の文学的一考察」で東京大学文学博士。フランス文学の中でも言語の異なる南仏プロヴァンス語でノーベル文学賞をとったフレデリック・ミストラルを研究・翻訳した。 1984年「青春の思い出」の翻訳と研究で日本翻訳文化賞を受賞した。 1991年4月25日、心筋梗塞のため死去。
吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 197… 吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 1977年12月2日)は、ドイツ文学者。 北海道岩内郡共和町出身。浦和高等学校(旧制)卒、1948年東京帝国大学独文科卒。東京大学教養学部助教授、教授。1972年定年退官。 1977年12月2日、S字結腸癌のため死去。 フロイトなどを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
高橋 正雄(たかはし まさお、1921年4月18日 - 20… 高橋 正雄(たかはし まさお、1921年4月18日 - 2008年)は、日本のアメリカ文学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学文学部英文科卒、中央大学法学部助教授、教授、1992年定年退任、名誉教授。
平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 19… 平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 1992年12月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 1921年、京都府で生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学フランス文学科に入学。在学中の1943年に学徒出陣で応召。戦後復員し、1948年に東京大学を卒業した。 卒業後は、東京大学教養学部仏文科助手に採用された。1952年、新制東京大学教養学部専任講師となり、1954年に助教授、のち教授昇格。しかし、1969年に大学紛争が起こると辞職。その後は、立教大学教授、桃山学院大学教授を務めた。 戦争と天皇制を批判し続け、左翼的な姿勢を鮮明にした学者であった。わだつみ会発足当時からの会員で、のち常任理事をつとめた。
矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年(大正10年)3… 矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年(大正10年)3月26日 - 1967年(昭和42年)2月23日)は、日本の言語学者、北欧文学者、翻訳家。善隣外事専門学校教授、大阪外事専門学校教授、東京教育大学助教授。 1921年、山梨県生まれ。静岡県、東京府と各地を移りながら幼少期を過ごし、成城高等学校に入学。高等学校卒業後は東京帝国大学言語学科でビルマ語を専攻した。1943年に東京帝国大学を卒業し、副手となった。1944年、善隣外事専門学校教授に着任。1945年からは大阪外事専門学校教授。 戦後の1950年、東京教育大学助教授となった。1966年、胃がんの手術を受ける。翌1967年2月16日に教授に昇進したが、その7日後に45歳で死去した。
後藤重郎(ごとう しげお、1921年2月23日 - 2006… 後藤重郎(ごとう しげお、1921年2月23日 - 2006年11月22日)は、日本の国文学者。文学博士(東京大学・論文博士・1967年)(学位論文「新古今和歌集成立史の基礎的研究」)。名古屋大学名誉教授。 愛知県出身。1943年東京帝国大学文学部国文学科卒業(半年繰上)。海軍第三期予備学生として応召。45年9月召集解除。50年東京大学大学院(旧制)国文学専攻課程入学。55年3月満期修了。1967年「新古今和歌集成立史の基礎的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1956年7月名古屋大学文学部専任講師、助教授をへて教授。84年定年退官、名誉教授、中京大学文学部教授を務め、91年定年退職。中世和歌、特に『新古今和歌集』が専門。