三輪 福松(みわ ふくまつ、1911年7月6日 - 1998… 三輪 福松(みわ ふくまつ、1911年7月6日 - 1998年10月10日)は、日本の西洋美術史学者。 静岡県生まれ。旧制静岡県立榛原中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。同大学附属図書館、同大学医学部図書室を経て、1949年東京大学助教授となる。1953年からイタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学文学部に学ぶ。1959年多摩美術大学教授、1963年慶應義塾大学講師、1972年東京学芸大学教授、1975年弘前大学教授、1980年群馬県立女子大学教授。1985年から1989年まで清春白樺美術館館長を務めた。
森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月… 森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月19日)は、日本の英文学・比較文学者、詩人、翻訳家。 大阪府生まれ。東京帝国大学英文科卒。旧制松江高等学校教授、お茶の水女子大学教授。 「新体詩抄」や「海潮音」など明治期の訳詩集の研究のほか、小泉八雲の研究でも知られ、『小泉八雲作品集』を翻訳。また『ラフカディオ・ハーン作品集』の編集と解説を担当。 1992年に訳詩集『晩国仙果』で第43回読売文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古田 紹欽(ふるた しょうきん、1911年5月22日 - 2… 古田 紹欽(ふるた しょうきん、1911年5月22日 - 2001年1月31日)は、日本の仏教学者。仏教・禅を思想面から研究した。学位は、文学博士。 岐阜県山県郡下伊自良村大森(現在の山県市大森)に生まれる。父の死後に東光寺、後に慈恩寺で生活。旧制松江高等学校を経て、東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科に進学する。卒業後は鈴木大拙に師事した。 禅の思想的研究を進め、特に禅僧の問答集である語録の研究に専念した。北海道大学教授、日本大学教授を歴任し、師・大拙の没後は財団法人松ヶ岡文庫の文庫長を継ぎ、『鈴木大拙全集』ほか関連著書の刊行を行った。 他に出光美術館、日本宗教学会、日本印度学仏教学会の理事を歴任した。
松田 智雄(まつだ ともお、1911年5月22日 - 199… 松田 智雄(まつだ ともお、1911年5月22日 - 1995年11月9日)は、日本の経済史学者、東京大学名誉教授。近代ドイツ経済史を研究。 朝鮮仁川生まれ。旧制成城高校を経て、1934年に東京帝国大学文学部西洋史学科を卒業し、経済学部経済学科に入学。1937年に卒業。1948年に立教大学教授、1955年6月1日から1972年3月31日まで東京大学経済学部教授。その後、ケルン日本文化会館長、図書館情報大学長。 松田は長野県軽井沢の別荘地発展に大きく貢献した人物である。市村今朝蔵夫妻が1932年に開拓した、軽井沢南原にある学者村別荘地「友達の村」に我妻栄、蝋山政道、松本重治、吾妻光俊、井上秀、黒川武雄、野村胡堂、前田多門らとともに初期から別荘を構えた。
曽田 範宗(そだ のりむね、1911年4月28日 - 199… 曽田 範宗(そだ のりむね、1911年4月28日 - 1995年6月30日)は、日本の機械工学者、文化功労者。 新潟県柏崎市出身。1935年東京帝国大学工学部機械学科卒。1941年東京帝大助教授、1949年「摩擦の研究」で工学博士、東大理工学研究所教授、1968年東大宇宙航空研究所長。1972年定年退官、名誉教授、1976年理化学研究所理事、80年同研究顧問、相談役。1981年豊田工業大学客員教授。 1971年『摩擦の話』で毎日出版文化賞受賞、1975年紫綬褒章受勲、1981年勲二等瑞宝章受勲、1989年文化功労者。1968-1971年日本潤滑学会長、1971年日本航空宇宙学会長、1975年日本機械学会長。
斎藤 信(さいとう まこと、1911年4月25日 - 200… 斎藤 信(さいとう まこと、1911年4月25日 - 2008年4月5日)は、日本のドイツ語・日蘭関係史学者。名古屋市立大学名誉教授。 東京市神田区(現千代田区)生まれ。1937年東京帝国大学文学部独文科卒。陸軍教授、戦後は米子医療専門学校教授、鳥取大学学芸学部助教授、金沢大学法文学部助教授、1957年名古屋市立大学教養部教授、1975年定年退官、名誉教授、藤田学園保健衛生大学医学部教授、1984年同客員教授。ドイツ語教員のかたわら、シーボルト親子の著書を翻訳した。
氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 19… 氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 1986年9月16日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。ドイツ文学、比較文学、比較文化専攻。妻は南原繁の長女で歌人であった待子。
阿部 宗明(あべ ときはる、1911年4月3日 - 1996… 阿部 宗明(あべ ときはる、1911年4月3日 - 1996年8月9日)は、日本の魚類学者。とりわけ東アジアのフグの分類に関する業績を残している。1949年にフグ科の属としてトラフグ属を提案している。この他、数々の新種を発見し、また、献名も多く受けている。『日本産魚類図説』の編纂に第49巻より携わる。 1911年(明治44年)4月3日、東京の田端に生まれる。1919年(大正8年)、家族で台湾に移住する。1932年(昭和7年)に台北高等学校を卒業後、魚類学の道に進むため上京して東京帝国大学理学部動物学科に入学する。田中茂穂に師事する。1935年(昭和10年)、同学科を卒業し、東京帝国大学理学部大学院に進学する。
松谷 義範(まつたに よしのり、1911年4月3日 - 19… 松谷 義範(まつたに よしのり、1911年4月3日 - 1996年7月6日)は、日本の実業家、神学者。 山口県出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒。教師、薬品メーカー勤務をへて、1948年東邦薬品を創設、社長となる。のち会長。神学の著作・翻訳も多く、演劇にも一家言を持つ。墓所は多磨霊園
碓井 益雄(うすい ますお、1911年3月26日 - 199… 碓井 益雄(うすい ますお、1911年3月26日 - 1997年6月25日)は、日本の動物学者。 朝鮮・京城(現・ソウル特別市)生まれ。東京帝国大学理学部生物学科卒、1952年「有尾両棲類における重複肢に関する研究、特に肢の場の構造との関係について」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京文理科大学教授、東京教育大学理学部教授。1974年定年退官、名誉教授。動物実験発生学専攻。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮本 忍(みやもと しのぶ、1911年3月21日 - 198… 宮本 忍(みやもと しのぶ、1911年3月21日 - 1987年8月18日)は、日本の外科医学者、日本大学名誉教授。 静岡県出身。東京帝国大学卒。国立東京療養所勤務、外科医長、1956年日本大学医学部教授。1981年定年退任、名誉教授。 肺結核の外科的治療を専門としたが、ほか社会評論など著作を多く書いた。
山﨑 一雄(やまさき かずお、1911年3月15日 - 20… 山﨑 一雄(やまさき かずお、1911年3月15日 - 2010年4月10日)は、日本の化学者。専攻は無機化学。日本学士院会員。 名古屋市出身。東京帝国大学理学部卒業。大学卒業後は東京帝国大学の恩師である柴田雄次の研究室助手として無機化学の研究を行う。 柴田研究室在籍時代に法隆寺(奈良県)の昭和の大改修に伴う壁画保存調査会の調査員に入ったことをきっかけとして、古文化財の科学的調査研究の分野に進むようになる。 1941年に名古屋帝国大学教官となる。それとほぼ同時に柴田雄次が名古屋帝国大学理学部長として赴任して来たため、柴田と共に名古屋帝国大学(のち名古屋大学)理学部の礎を築く。 化学者としての山崎は、無機化学、錯体化学の分野から古文化財についての調査研究を進め、紫外線や赤外線、或いはX線を用いた解析法、ベータ線後方散乱法など化学的手法で正倉院宝物、醍醐寺の五重塔壁画、高松塚古墳壁画といった古来の遺跡、文化財についての研究に参画している。
最上 武雄(もがみ たけお、1911年(明治44年)3月13… 最上 武雄(もがみ たけお、1911年(明治44年)3月13日 - 1987年(昭和62年)12月15日)は、昭和時代の土木工学者。 1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、同大講師、助教授を経て、1947年(昭和22年)教授となり、1968年(昭和43年)工学部長に就任した。1971年(昭和46年)定年退官とともに名誉教授となり、同年日本大学理工学部教授に転じ、1981年(昭和56年)同大顧問となった。この間、攻玉社短期大学客員教授を務めた。日本学術会議会員。 ほか、土質工学会会長(名誉会員)、国際土質基礎工学会議副会長、日本建設機械化協会会長(名誉会員)、土木学会会長などの要職を歴任した。
三宅 静雄(靜雄、みやけ しずお、1911年(明治44年)2… 三宅 静雄(靜雄、みやけ しずお、1911年(明治44年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月31日)は、日本の物理学者。専門は結晶物理学。東京大学物性研究所第3代所長。東京大学名誉教授。岡山県岡山市生まれ。位階は正四位。 静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1933年(昭和8年)、東京帝国大学理学部物理学科卒業。同年3月、理学部助手、1934年(昭和9年)、理化学研究所研究生、1940年(昭和15年)、小林理学研究所研究員、1942年(昭和17年)、理学博士(東京帝国大学)。1949年(昭和24年)東京工業大学教授、1957年(昭和32年)東京大学物性研究所教授、1965年(昭和40年)、同所長、1971年(昭和46年)定年退職、東京大学名誉教授。
鳥井 博郎(とりい ひろお/はくろう、1911年2月25日 … 鳥井 博郎(とりい ひろお/はくろう、1911年2月25日 - 1953年11月20日)は、日本の思想史家。 兵庫県神戸市出身。1934年東京帝国大学文学部哲学科卒。1933年唯物論研究会に参加。1934年三枝博音の「日本哲学全書」「日本科学古典全書」編集に協力。治安維持法違反で検挙され、拘留中の39年応召、病気で除隊となる。戦後は鎌倉アカデミア教授を務め、唯物論の立場から日本宗教史、明治思想史などを研究したが41歳で死去した。
久保 昌二(くぼ まさじ、1911年〈明治44年〉2月21日… 久保 昌二(くぼ まさじ、1911年〈明治44年〉2月21日 - 1994年〈平成6年〉12月4日)は、日本の化学者。京城帝国大学、第一高等学校、名古屋大学教授。専門は物理化学。 1932年(昭和7年)、東京帝国大学卒業。1938年、理学博士。 台北帝国大学講師、東京帝国大学講師、京城帝国大学教授、第一高等学校教授を歴任。 1948年(昭和23年)、名古屋大学教授。
野瀬 正儀(のせ まさのり、1911年(明治44年)2月16… 野瀬 正儀(のせ まさのり、1911年(明治44年)2月16日 - 2002年(平成14年)7月17日)は、昭和から平成時代の土木工学者。実業家。電源開発副総裁。 兵庫県出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、富士電力、日本発送電を経て、関西電力に入社する。 水力計画課長、建設部次長を経て、1954年(昭和29年)電源開発土木部次長に出向し、佐久間、御母衣ダムなどの建設にあたる。 1959年(昭和34年)関西電力へ移り黒四建設事務所長として黒四ダムを完成させる。のち同社支配人、常務、1971年(昭和46年)専務取締役を経て、1975年(昭和50年)電源開発副総裁、1983年(昭和58年)退任。
米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月… 米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月1日 - 1999年 <平成11年> 5月2日)は、日本の逓信官僚、工学者。日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任。位階は正三位。 米沢与三七の子として生誕。富山県下新川郡入善町出身。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める。 超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。
宮木 高明(みやき たかあき、1911年1月30日-1974… 宮木 高明(みやき たかあき、1911年1月30日-1974年1月9日)は、日本の薬学者。 東京浅草の商家に生まれる。京華中学校、第一高等学校、1935年東京帝国大学医学部薬学科卒、副手、38年助手、42年「Napthyridin誘導体の合成研究」で薬学博士、千葉医科大学附属薬学専門部教授。1947年千葉医科大学教授。49年千葉大学薬学部長、教授。 1974年1月9日、脳出血のため東邦大学医学部大森病院にて死去。62歳。
大島 良雄(おおしま よしお、1911年1月29日 - 20… 大島 良雄(おおしま よしお、1911年1月29日 - 2005年1月11日)は、日本の医学者。日本アレルギー学会名誉会員、東京大学名誉教授、埼玉医科大学名誉病院長。 1911年(明治44年)、北海道札幌市に生まれる。父は農学者の大島金太郎であった。1926年(昭和2年)官立東京高等学校理科2類に入学し、1930年(昭和5年)東京帝国大学医学部医学科に入学した。1934年(昭和9年)、大学付属病院物療内科に入局した。1940年(昭和15年)、論文「酸性泉の人体に及ぼす影響について」により、医学博士の学位を授与される。1944年(昭和19年)に岡山大学教授となり、終戦直前の1945年(昭和20年)陸軍軍医少尉となる。
築島 謙三(つきしま けんぞう、1911年1月24日 - 1… 築島 謙三(つきしま けんぞう、1911年1月24日 - 1992年4月7日)は、日本の社会心理学者、元東京大学東洋文化研究所教授。 鹿児島県生まれ。1934年旧制第七高等学校造士館文科卒業。1941年東京帝国大学文学部心理学科卒、同年東京府立第三商業学校教諭、1943年東京帝国大学東洋文化研究所助手、1951年専任講師、1962年「文学心理学基礎論」で東洋大学文学博士、1968年東京大学東洋文化研究所教授、1971年定年退官、成城大学文芸学部教授、1980年退職。日本社会心理学会理事長を務めた(1960年 - 1964年、1966年 - 1968年)。 次第に日本文化論に関心を移した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
摩寿意 善郎(ますい よしろう、1911年1月23日 - 1… 摩寿意 善郎(ますい よしろう、1911年1月23日 - 1977年4月25日)は、日本の美術史家、東京芸術大学名誉教授。 1911年1月23日、父・善太郎、母・ツヤの長男として東京府麻布区に生まれる。1924年3月、区立南山小学校を卒業。麻布中学校に進み、1928年に卒業した。1929年、第一高等学校文科甲類に入学。一高時代に三谷隆正教授のブルクハルト「イタリア・ルネッサンスの文化」の講義をうけたのが、ルネッサンス美術史研究の端緒となった。1932年京都帝国大学文学部に入学したが、翌年東京帝国大学に転じ、1936年3月、同大学文学部美学美術史学科を卒業。論文は「美術史の哲学的基礎」。大学卒業と同時に都新聞(現:東京新聞)に入社し、文化部美術担当記者となる。
中村 通夫(なかむら みちお、1911年1月15日 - 20… 中村 通夫(なかむら みちお、1911年1月15日 - 2005年2月1日)は、日本の国語学者、中央大学名誉教授。 東京出身。1935年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省勤務。戦後、中央大学助教授、教授。1981年、定年、名誉教授。 1953年、「『来れる』『見れる』『食べれる』などという言い方についての覚え書」(『金田一博士古稀記念言語·民俗論叢』三省堂)で、早い時期にら抜き言葉を指摘した人である。
原 寛(はら ひろし、1911年1月5日 - 1986年9月… 原 寛(はら ひろし、1911年1月5日 - 1986年9月24日)は、日本の植物学者。東京府東京市神田区出身。日本植物学会元会長。昭和天皇の植物研究の相談役も務めた。父は元枢密院議長の原嘉道。 東京帝国大学(現:東京大学)卒業。東京大学助教授時代の1950年(昭和25年)には、科学委員による合同進講の機会に昭和天皇に日本ツツジの分類・分布について進講した。また、同年10月2日には、本田正次とともに皇居に招かれ、昭和天皇と吹上御苑内を散策しながら植物調査を行った。1952年(昭和27年)以降も、しばしば皇居や那須御用邸で行われる合同進講や植物採集などにも参加。 1957年(昭和32年)に東京大学教授となる。
水越 達雄(みずこし たつお、1911年(明治44年)1月1… 水越 達雄(みずこし たつお、1911年(明治44年)1月1日 - 1994年(平成6年)6月12日)は、昭和時代の土木工学者、実業家。 東京市に生まれる。1936年(昭和11年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、大日本電力に入社。秋田県鳥海山麓の子吉川の水力開発でアーチ型コンクリート水路橋の設計施工に携わる。1939年(昭和14年)日本発送電に入社し、只見川水系宮下発電所などの調査設計および南方派遣団員としてセレベス島方面の電源調査に従事する。 ついで大日本帝国海軍嘱託の特殊建設部隊「刀水隊長」、日本発送電関東支店土木部水路課長を経て終戦を迎え、1951年(昭和26年) 電力再編成により成立した東京電力に入社。
宇津木 保(うつき たもつ、1911年(明治44年) - 1… 宇津木 保(うつき たもつ、1911年(明治44年) - 1999年(平成11年))は、日本の心理学者。東京生まれ。1935年東京帝国大学文学部心理学科卒。横浜市立大学助教授、教授、1975年定年退官、名誉教授、学習院大学文学部教授。1982年退職。弟は宇津木正、子は宇津木成介(1948 - 神戸大学教授、心理学)。
佐藤 重平(さとう じゅうへい、1911年(明治44年) -… 佐藤 重平(さとう じゅうへい、1911年(明治44年) - 1996年(平成8年)5月5日)は、日本の植物学・遺伝学者。 岩手県出身。第二高等学校卒、1934年東京帝国大学理学部植物学科卒、同大学院満期退学。理学博士。第四高等学校教授、東京高等学校教授、東京大学教養学部助教授、教授、1971年定年退官、名誉教授、順天堂大学教授、自治医科大学教授。没後正四位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
赤松 秀雄(あかまつ ひでお、1910年12月27日 - 1… 赤松 秀雄(あかまつ ひでお、1910年12月27日 - 1988年1月8日 )は、日本の物理学者・化学者。学位は、理学博士(東京大学・1942年)(学位論文「固液界面における吸着現象の実験的研究」)。東京大学教授・横浜国立大学工学部長・岡崎国立共同研究機構分子科学研究所初代所長を歴任。有機半導体の発見者として知られる。1981年勲二等旭日重光章受章。 1954年、井口洋夫らとともにペリレンと臭素の錯体が高い導電性を示すことを発見し、有機半導体の概念を提唱した。これは後に白川英樹らによる導電性高分子の発見にもつながった。 門下に井口洋夫、中川鶴太郎ら。日本の炭素研究の先駆者である他、水素エネルギーの研究にも先駆的な役割を果たした。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
望月 衛(もちづき まもる、1910年12月4日 - 199… 望月 衛(もちづき まもる、1910年12月4日 - 1993年12月28日)は、日本の心理学者、千葉大学名誉教授。本名は「衞」だが、著書等では「衛」も使用した。 東京出身。1933年東京帝国大学文学部心理学科卒。陸軍航空本部に勤務。戦後は東宝に入社。思想の科学研究会に参加。東洋大学教授、1954年千葉大学教授。1976年定年退官、名誉教授、国際商科大学(現・東京国際大学)教授。1955年の『欲望』がベストセラーとなり、一般向け雑誌で盛んに発言した。1983年4月勲三等旭日中綬章を受章。 同性愛に関し、戦後初期の日本におけるパイオニア的オピニオンリーダーであり、三島由紀夫とも交流があり、論文「性的成熟と社会的成熟―三島由紀夫「仮面の告白」を検討しつゝ」(「思索」1949年11月)においては、自著『性と生活』で詳論した「仮性同性性愛(男性ジェンダーをもった男によるホモセクシュアリティ)」の生き生きとした例として『仮面の告白』の分析を行なっている。
木内 信蔵(きうち しんぞう、1910年11月19日 - 1… 木内 信蔵(きうち しんぞう、1910年11月19日 - 1993年4月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。東京大学名誉教授。 東京出身。浦和高等学校卒、東京帝国大学理学部地理学科卒。大学院、理学部助手、講師を経て、1949年に東京大学教養学部助教授。1950年「都市の地理学的研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。1954年、教養学部に人文地理学教室を創設。1956年に教授。1971年、定年退官、名誉教授、成城大学教授。1975年、ジョージ・デビッドソン賞受賞。1981年、定年退任。1959年、ベルリン地理学協会から日本人初のカール・リッター賞を受けた。
桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1… 桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1983年2月12日)は、日本の金属学者、科学・社会評論家。 東京工業大学名誉教授。専攻は金属結晶学。 桶谷清吉の長男として東京・浅草に生まれ、花柳界の中心地で育った。 暁星中学校で吉田健一と同級生。東京高校理科乙類で級長。このとき、同学年の理科甲類の級長が糸川英夫だったが、糸川の首席は「余力のあるトップ」で桶谷より遥かに優秀だったという。 東京帝国大学工学部冶金学科卒業後、フランス政府招聘留学生として1935年にブザンソン大学物理研究所に留学し、2年の滞在後、東大工学部副手を経て、1942年に東京工業大学助教授となる。 1949年にパリのフランス国立中央科学研究所研究員として再度留学。
大後 美保(だいご よしやす、1910年(明治43年)11月… 大後 美保(だいご よしやす、1910年(明治43年)11月8日 - 2000年(平成12年)7月25日)は、日本の農学者、気象学者である。東京府(現在の東京都)出身。 牛込中里(新宿区)にて生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)に入学する。大学時代は農学部に在籍し、1935年(昭和10年)に卒業した。卒業後は中央気象台(現在の気象庁)に入庁し、産業気象の要員や後に技手として活動した。大学で学んだ農学と気象について学び、主に気候による農作物への影響を研究する。その後は気象台に所属する技術官の養成所や気象技師、古巣の東京大学農学部の講師を務めた。1946年(昭和21年)に同課長に就任し、同時に農学博士の称号を得た。
石原 道博(いしはら みちひろ、1910年10月27日 - … 石原 道博(いしはら みちひろ、1910年10月27日 - 2010年5月30日)は、日本の東洋史学者、茨城大学名誉教授。 1910年、生まれ。東京帝国大学で学び、卒業。 戦後、茨城大学助教授となり、後に教授昇格。1958年、学位論文『日明交渉史の新研究』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1976年に茨城大学を定年退職した。 2010年5月30日、老衰のため死去。従六位から正四位に進階。 専門は中国近世史。日本と大陸の交流史に主眼を置いた著作が多い。『魏志倭人伝』など中国で書かれた日本に関する歴史書の翻訳・注釈で知られている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
甲斐 弦(かい ゆずる、1910年 <明治43年> 10月1… 甲斐 弦(かい ゆずる、1910年 <明治43年> 10月18日 - 2000年 <平成12年> 8月21日)は、英文学者、作家、熊本学園大学名誉教授。位階は従五位。 東京帝国大学文学部卒。占領期にGHQで、検閲官を務める。熊本短期大学助教授、熊本商科大学(1994年に熊本学園大学に改称)教授、1981年定年退任。1983年勲四等瑞宝章受章。2000年8月21日、心不全のため死去。死没日付をもって従五位に叙された。 森川譲の筆名でも小説作品がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木野 二郎(きの じろう、1910年10月17日 - 197… 木野 二郎(きの じろう、1910年10月17日 - 1976年12月19日)は、日本の経営者、工学博士。藤倉電線(現在のフジクラ)社長を務めた。 福島県会津若松市出身。1933年に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線に入社。 1957年11月に取締役に就任し、1962年に常務、1965年11月に副社長を経て、1973年11月に社長に就任。 1976年12月19日、くも膜下出血のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月… 本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月10日 - 2009年(平成21年)5月11日)は、日本の教育学者、政治家。元名古屋市長(3期)。名古屋大学名誉教授。 東京都出身。東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、府立高等学校(東京都立大学 (1949-2011)の前身)卒業。東京帝国大学文学部に入学。読書や勉学ではヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチやジャン=ジャック・ルソーに親しんだが、教育学を学ぼうという意思は特別なかったという。友人のすすめで教育学科を専攻することとなり、教育学者の阿部重孝から直接指導を受けた。1935年に大学を卒業し、大学院に進んだ。 1937年に召集。
立石 芳枝(たていし よしえ 1910年(明治43年)10月… 立石 芳枝(たていし よしえ 1910年(明治43年)10月3日 – 1983年(昭和58年)12月21日)は、日本の法学者。専門は、親族法・相続法。女性として日本で最初に法学博士の学位を取得した。学位論文は、「イギリスの無遺言者遺産の管理」。 1910年 東京都にて出生。父は京都地方裁判所所長。 1932年 明治大学専門部女子部法科を卒業し、明治大学法学部(旧制)に進学、1935年に卒業。 1935年 女性ではじめて 東京帝国大学大学院(法学)に進学する。 1944年 明大女子部教授となり、民法を担当。後に明治大学短期大学長に就任。 1962年 「イギリスの無遺言者遺産の管理」で 女性初の法学博士 となる。
相良 惟一(さがら いいち、1910年9月27日 - 198… 相良 惟一(さがら いいち、1910年9月27日 - 1987年5月15日)は、日本の教育学者。専門は教育行政学。 東京帝国大学卒業。文部省総務課長、ユネスコ本部学校教育振興部長を経て、1955年京都大学教育学部教授、退官後国際大学都市日本館長、聖心女子大学学長などを歴任した。 1910年(明治43年)9月27日、東京に生まれる(本籍地は福岡県)。 1934年(昭和9年)3月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。大学では美濃部達吉・田中耕太郎の指導を受ける。同年7月、文部省専門学務局雇員となり、翌1936年(昭和11年)4月、文部省嘱託、外務省文化事業部第二課勤務。 1937年(昭和12年)9月から1938年(昭和13年)12月まで応召、中支派遣部隊に従軍。
頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月… 頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月4日 - 1992年6月)は、日本の国文学者、広島大学名誉教授。竹原頼家の子孫である。 広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)に生まれる。竹原町の富豪で製塩業・頼俊直の三男。第三高等学校を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。 1939年から1945年まで日本放送協会勤務。1946年、三原高女、県師範女子部、1949年、広島大学教育学部分校の教師。1953年から1963年まで三原分校付属校長。その後広島大学教授となり、1974年、退官、名誉教授、安田女子大学教授。 頼山陽の叔父頼春風の玄孫である。近世浄瑠璃を専門とした。趣味は柔道。住所は広島市南区比治山町、広島市牛田本町6丁目。
佐々木 一義(ささき かずよし、1910年8月19日 - 1… 佐々木 一義(ささき かずよし、1910年8月19日 - 1978年7月11日)は、日本の哲学者。 福岡県田川市生まれ。1934年東京帝国大学文学部倫理学科卒、文部省に入省。1961年「ハイデッガーの実存論的空間性論について」で九州大学文学博士。1940年小樽高等商業学校教授、1944年久留米工業専門学校教授、1949年九州大学第三分校助教授、51年第二分校助教授、53年教授、63年教養部教授、70-71年教養部長、75年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授。 1978年7月11日、すい臓がんのため神奈川県相模原市の北里大学病院にて死去。67歳。
金沢 良雄(かなざわ よしお、1910年8月4日 - 198… 金沢 良雄(かなざわ よしお、1910年8月4日 - 1987年1月6日)は、日本の法学者。専門は、経済法・公害・環境法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「水法論」)。成蹊大学名誉教授。東京大学法学部教授を歴任。1977年紫綬褒章受章。弁護士。大阪出身。「金澤良雄」とも表記される。 1928年(昭和3年)旧制大阪府立今宮中学校卒業、1931年(昭和6年)旧制浪速高等学校卒業。1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部卒。国際文化振興会、中央物価統制協力会議、内閣総合計画局、内閣調査局、東京大学嘱託を経て、1948年(昭和23年)東京大学法学部助教授。 1953年(昭和28年)北海道大学法経学部教授。
井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年)7月29… 井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年)7月29日 - 1993年(平成5年)12月2日)は、日本の水産学者・政治家。旧彦根藩主井伊家の第16代当主。農学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「極東海域におけるアミ科の分布に関する研究」)。滋賀大学経済学部講師、彦根市長。彦根市名誉市民。滋賀県出身。 幕末の大老井伊直弼の曾孫にあたる。 伯爵井伊直忠の庶子。生母は東京の斎藤ふく。 海軍軍人志望だったが体格に自信がなく、また当時の軍を支配していた藩閥を嫌って学問の道に進み、東京帝国大学農学部水産学科から同大学院に学ぶ。専門はアミ類で、約50種の新種を発見した。東大農学部嘱託、文部省資源科学研究所や滋賀県水産試験場、滋賀大学経済学部講師などを歴任した。
清原 道壽(清原 道寿、きよはら みちひさ、1910年7月1… 清原 道壽(清原 道寿、きよはら みちひさ、1910年7月18日 - 2002年6月18日)は、日本の技術科教員、教育学者。東京工業大学名誉教授。 福岡県生まれ。1935年東京帝国大学文学部教育学科卒、滝野川区(現北区)立滝野川東高等小学校教師となり工業技術を教える。1943年治安維持法違反で逮捕投獄され、敗戦後45年釈放。目黒区立第六中学校で職業(技術科)を教える。1949年職業教育研究会(のちの産業教育研究連盟)を設立、代表。國學院大學教授、東京工業大学教授。71年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授。83-84年学長。
佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16… 佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の植物学者。理学博士(東京帝国大学・1942年)。茨城大学名誉教授。山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身。地衣類研究の権威として知られている。
山本 達郎(やまもと たつろう、1910年〈明治43年〉6月… 山本 達郎(やまもと たつろう、1910年〈明治43年〉6月16日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の東洋史学者。東京大学名誉教授を務め、文化勲章も受賞。元号『平成』の名付け親である。妻は原邦造の次女・澄子(壽美子)。 東京生まれ。父は貴族院議員を務めた松村真一郎。第5代日本銀行総裁をはじめ、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣などを歴任した祖父・山本達雄男爵の養子となり家を継いだ。幼少期は新しい幼児教育を謳ったベラ・アーウィンの玉成(ぎょくせい)幼稚園に通い、第2回卒園児となる。 1933年(昭和8年)に東京帝大文学部東洋文学科を卒業後、東方文化学院研究員を務め、1934年(昭和9年)発表の論文「鄭和の西征」で注目される。
市川 文三(いちかわ ぶんぞう、1910年6月9日 - ?)… 市川 文三(いちかわ ぶんぞう、1910年6月9日 - ?)は、日本の経営学者。 東京生まれ。1935年東京帝国大学経済学部商業学科卒、1980年「体系会計学 利潤計算の論理・機構・実践の体系的研究」で法政大学経済学博士。1938年企画院調査官となり、敗戦後退官。1957年鹿児島商科短期大学教授、1959年松商学園短期大学教授、1965年東京学芸大学教授、1969年法政大学経営学部教授。1981年定年、名古屋経済大学教授を務めた。初期に文朗の筆名を用い、後年は政治に関する評論も上梓した。
田代 不二男(たしろ ふじお、1910年6月2日 - 199… 田代 不二男(たしろ ふじお、1910年6月2日 - 1992年8月29日)は、日本の社会学・社会福祉学者。 鹿児島県出身。1933年旧制第七高等学校造士館文科卒業。東京帝国大学卒。厚生省児童局企画課で、1949年アメリカに学び、1951年の児童憲章制定に関わる。1961年「公的扶助の現状と問題点」で東北大学文学博士。1960年東北大学文学部助教授、1964年教授、1974年定年退官、名誉教授、東北福祉大学教授、1975年立正大学教授を務め、81年退職。
永宮 健夫(ながみや たけお、1910年6月1日 - 200… 永宮 健夫(ながみや たけお、1910年6月1日 - 2006年6月3日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。専門は固体物理学で、特に反強磁性体の理論の仕事は名高い。
渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 199… 渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 1993年10月15日)は、日本の物理学者(理論物理学)・情報科学者。 1910年、東京府生まれ。学習院中等科、東京高等学校を経て、1933年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業する。在学中に理化学研究所で寺田寅彦の指導を受ける。1933年、フランス政府留学生として渡仏、パリでド・ブロイに師事し、熱力学の第二法則と波動力学の研究を始める。1937年、ライプツィヒに移り、ハイゼンベルクに原子核理論を師事する。同年、後にドイツ文学者でハワイ大学教授となるドロテア・ダウアーと結婚する。 1939年、第二次世界大戦の勃発とともにドイツを離れ、コペンハーゲンのボーアの許にしばらく滞在した後、同年12月に家族とともに帰国する。