常森 寿子(つねもり としこ、1942年(昭和17年)1月2… 常森 寿子(つねもり としこ、1942年(昭和17年)1月2日 - )は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。旧姓は江幡。 旧満洲国(中国東北地方)に生まれる。医師の父は応召して戦死し、1945年(昭和20年)母と二人で広島県安芸津町(現在の東広島市)に引き揚げ、さらに呉市に移った。5歳からピアノを習いピアニストを目指したが、中学生のとき阿部幸次の助言で声楽に転向し、1964年(昭和39年)に東京芸術大学声楽科を卒業。阿部幸次、浅野千鶴子、ジョルジュ・ファパレット、ロート・マーリングに師事。1965年(昭和40年)にバリトン歌手の常森闘志と結婚した。 1966年(昭和41年)1月7,8,10日に藤原歌劇団のビゼー『カルメン』ミカエラ役でデビューした。
不破 由晴(ふわ よしはる、1942年 - 2014年)は、… 不破 由晴(ふわ よしはる、1942年 - 2014年)は、日本の金属造形家。クックベッセル株式会社元会長。東京市小石川区(現・東京都文京区)出身。 金属工芸家として活動し、金属を金槌で打って加工する鍛金(タンキン)技法によって、多彩な作品を制作した。日本橋銀座四丁目の金属標識板は、彼の作品として、通行する人々の目に触れている。 沸騰すると笛が鳴る画期的な仕組みを発明し、これを組み込んだアルミニウムのケトル(湯沸かし)をデザインし、その機能と芸術性は評価され、グッドデザイン賞として選定された。 日本から諸外国に輸出されたが、現在では各国で生産されるようになり世界的な普及を齎した。 笛吹きケトルの発明とデザインは、揺るぎないものとなった。
中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) -… 中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) - )は、日本の僧。平和運動家、反原発活動家。熊取六人衆支援者。 福井県小浜市生まれ。東京芸術大学中退。高野山大学仏教学科卒業。 高野山大学在学中、友人に半ば強引に平和講習に連れて行かれ、1963年に広島原爆の男性被爆者と出会ったのを機に、小浜で被爆者を訪ね歩いて、広島から呼んだ専門医の診察を受けてもらうなど、被爆者支援の活動を始める。また、日本宗教者平和協議会にかかわった。 1968年に帰郷。1994年の被爆者援護法制定まで26年間、被爆者支援を目的に毎月6日と9日に明通寺周辺3集落(約80戸)で托鉢を続けた 。 1968年に小浜市に原発4基の建設・誘致の計画が持ち上がり、1969年に地元漁協による「内外海原発設置反対推進協議会」の活動が始まる中で、1971年暮れに同協議会の後継組織「原発設置反対小浜市民の会」を結成、事務局長を務める。
秋山 東一(あきやま とういち、1942年 - 2025年8… 秋山 東一(あきやま とういち、1942年 - 2025年8月)は、日本の建築家。
黒田 能勝(くろだ よしかつ 1942年 - )は、日本の彫… 黒田 能勝(くろだ よしかつ 1942年 - )は、日本の彫刻家、教育学者。元群馬大学教授。栃木県出身。 群馬県立高崎女子高等学校、前橋市、高崎市、伊勢崎市、大田原市などの記念碑を制作している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本… 田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本の作曲家。横浜国立大学名誉教授。 長野県松本市出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修了。作曲を石桁眞禮生に師事。 横浜国立大学教育学部教授を務めた。 作曲家の会《環》各会員。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
中川 素子(なかがわ もとこ、1942年 - )は、日本の絵… 中川 素子(なかがわ もとこ、1942年 - )は、日本の絵本研究者。専門は美術史。文教大学名誉教授。 1942年、東京生まれ。旧姓小川。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、東京藝術大学美術学部芸術学科卒業(1965年に安宅賞(奨学金)受賞)。1969年、同大学院美術研究科保存修復技術専攻(修士課程)修了。修了制作では「興福寺五部浄像脱乾漆復元想定像」を制作、東京芸術大学芸術資料館の買い上げとなった。同年、立正女子大学教育学部初等教育課程美術専修助手、1971年、同専任講師、1978年7月、文教大学(校名変更)教育学部初等教育課程美術専修助教授、1993年、同教授。2009年から2012年まで絵本学会会長を務めた。
増田 洋美(ますだ ひろみ、1942年 - )は、日本のガラ… 増田 洋美(ますだ ひろみ、1942年 - )は、日本のガラス工芸作家。1981年より制作を開始した。ガラスを素材にした展覧会は全て「PLAY THE GLASS」のタイトルで出品・展示する。日本、ヨーロッパ、東南アジア、北米、南米など広く国際的に活動する。 横浜市生まれ。1961年に静岡県立静岡高等学校を、1966年に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業した。1969年、同大学院鋳金科を修了した。1970年、1971年に多摩美術大学で講師を務めた。1971年、アート活動を停止し(在インドネシア、 - 1976年)、1981年からガラス製作始める。1990年、文教大学講師に就任した( - 1992年)。
川崎 毅(かわさき つよし、1942年 - 2023年3月1… 川崎 毅(かわさき つよし、1942年 - 2023年3月13日)は、日本の陶芸家。 宮崎県出身。1968年、東京芸術大学大学院美術研究科陶芸専攻修了。1969年、多摩市に築窯、以後グループ展、個展等多数。 国内美術館における主な展覧会として、「福島サト子氏寄贈 川崎毅展」(2010年、大阪市立東洋陶磁美術館)、「陶の空間・草木の空間 川崎毅と関島寿子展」(2014年、菊池寛実記念 智美術館)、「川崎毅と矢野静明」(2018年、宮崎県立美術館)がある。 妻は東京芸術大学同期の小池頌子、義母は文化服装学院名誉学院長の小池千枝。 街のある風景を陶のオブジェで表現した『街』シリーズで知られる。 匣に鳥や樹木を組み合わせた小品も制作した。
浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 -… 浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 - 2022年12月25日)は、日本の作曲家。東京都出身。 1964年東京芸術大学音楽学部器楽科(トロンボーン専攻)卒業。1969年同大作曲科卒業、1973年同大大学院修士課程修了。1975年より東京芸術大学音楽学部作曲科にて指導にあたり、2009年3月定年により退官。1969年、日本吹奏楽指導者協会作曲賞受賞。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )… 磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )は、日本の美術史家。福島大学名誉教授。近世日本の蘭画を専門とした。 神奈川県生まれ。横浜国立大学教育学部美術科卒、東京芸術大学大学院修士課程修了。オランダ政府給費生としてアムステルダム自由大学に学び、福島大学教授となる。ハイデルベルク大学客員教授、ベルリン大学客員研究員を歴任。福島大学教授退任後は同大学名誉教授となる。 2007年、「江戸時代の蘭画と蘭書 近世日蘭比較美術史」で東京芸術大学より博士(美術)。
増村 紀一郎(ますむら きいちろう、1941年12月1日 -… 増村 紀一郎(ますむら きいちろう、1941年12月1日 - )は、日本の漆芸家。かすかべ親善大使。人間国宝(重要無形文化財「髹漆」の保持者)。 1941年(昭和16年)12月1日漆芸家・増村益城(重要無形文化財保持者)の長男として東京都豊島区に生まれる。東京都立豊島高等学校を卒業後、1967年(昭和42年)東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、1969年に大学院美術研究科漆芸専攻を修了した。1982年に東京藝術大学美術学部助手に就任。1990年(平成2年)に助教授へ昇格し、1997年に美術学部教授に就任した。2009年3月に退任し、現在東京藝術大学名誉教授。
福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2… 福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃。 東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動。 大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。
大場 俊一(おおば しゅんいち、1941年(昭和16年)11… 大場 俊一(おおば しゅんいち、1941年(昭和16年)11月26日 - )は日本のピアニスト。 東京都出身。東京都立杉並高等学校卒。1965年(昭和40年)東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、在学中安宅賞受賞。1968年(昭和43年)西ドイツ・デトモルト音楽大学留学。1969年(昭和44年)西ドイツ新進演奏家オーディションに合格し、ギーセン音楽祭に出演。1970年(昭和45年)ザルツブルク夏期講座において、師ヴァイセンボルンの助手を務める。1972年(昭和47年)帰国後、独奏者として、また歌曲の伴奏者、室内楽奏者として活発な演奏活動を開始し、楽壇の注目を集める。1983年(昭和58年)20世紀最高のソプラノ歌手の一人といわれるエリザベート・シュヴァルツコップフのマスタークラスで、伴奏と通訳を勤める。
宮下 伸(みやした しん、1941年11月5日 - )は、日… 宮下 伸(みやした しん、1941年11月5日 - )は、日本の箏・三十絃演奏家、作曲家。東京生まれ。財団法人日印協会理事、中央教育審議会専門委員、元創造学園大学副学長、元堀越学園理事、宮下伸箏曲研究所主宰などを歴任した。 5歳より、父である山田流箏曲演奏家・作曲家の初世宮下秀冽より箏曲のてほどきを受ける。1964年に東京藝術大学を卒業(在学中、安宅賞受賞)。卒業後、NHK邦楽育成会第9期を首席で修了。NHK「全国今年のホープ」に選ばれる。 1968年、第1回芸術選奨新人賞受賞。1973年、「宮下伸 箏・三十弦リサイタル」の演奏、作曲により文化庁芸術祭大賞を受賞。1975年以降は、各国の招待や外務省派遣の文化特使として、ウィーンをはじめ世界各国で公演した。
木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 20… 木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 2021年6月27日 )は日本の作曲家、ピアニスト。 中国河北省石門市(現、石家荘市)で生まれ、種子島に育つ。東京芸術大学・大学院で学び1970年に修了。作曲は長谷川良夫と小倉朗に師事。1972年、札幌大谷短期大学専任講師に就任。同短期大学の助教授・教授、札幌大谷大学音楽学部教授を歴任。1964年、第33回日本音楽コンクール第3位、1973年に第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏ピアニスト賞、2006年に札幌芸術賞。などの受賞歴がある。国内、中国、ロシア、ヨーロッパ、オーストラリアなどで作品が演奏されており、札幌現代音楽展(歴代の同人に座光寺公明、保木誠、泉史夫、蛯子元、小林隆一、出路茂子、吉田均、兵井秀和、小森俊明らが名を連ねる)を主宰していた。
安田 祥子(やすだ さちこ、戸籍名:澤田 祥子(さわだ さち… 安田 祥子(やすだ さちこ、戸籍名:澤田 祥子(さわだ さちこ)、旧姓:安田、1941年9月9日 - )は、日本の声楽家、童謡歌手、ソプラノ歌手である。血液型はO型。夫は元在日オーストリア通商代表部理事の澤田久雄(澤田廉三・美喜夫妻の次男、2001年死別)。妹は歌手・タレントの由紀さおり。
田渕 俊夫(たぶち としお、1941年8月15日 - )は、… 田渕 俊夫(たぶち としお、1941年8月15日 - )は、日本の画家。日本芸術院会員。 東京市江戸川区出身。1965年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。1967年、同大学大学院日本画専攻修了。師系は平山郁夫。 1968年、再興第53回日本美術院展覧会で初入選し、1982年と1985年に日本美術院賞(大観賞)受賞。その後も数々の受賞歴を重ねた。 1995年より東京藝術大学教授、1996年より日本美術院評議員となり、2005年に東京藝術大学理事・副学長、2006年に日本美術院理事に就任。現在は、日本美術院同人・代表理事(理事長)および東京藝術大学名誉教授を務める。2019年、文化功労者顕彰。2022年、旭日中綬章受章。
六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2… 六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2019年1月12日)は、日本の建築家、東京藝術大学名誉教授。旧名は正廣。東京都出身。日本建築学会賞作品賞など受賞。 祖父は漆芸家の六角紫水、父は漆芸家の六角大壌、娘は建築家の六角美瑠。
船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本… 船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本の音楽学者、現代音楽研究家、批評家。東京芸術大学名誉教授、東京オペラシティ文化財団評議員。戸籍名は舩山隆だが、著作では船山隆という表記を使っている。 福島県郡山市に生まれる。福島県立安積高等学校、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1967年、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。1972年から1974年にかけて、パリ第8大学大学院博士課程に在学。1984年、東京芸術大学教授。2009年に定年退任、名誉教授となる。 1987年、第1回津山国際総合音楽祭の副監督に就任。第2回、第3回、第6回、第10回の音楽監督を歴任。津山文化振興財団理事(1998年~2012年)、津山市音楽顧問(2002年~2012年)も務めた。
朝岡 康二(あさおか こうじ、 (1941-04-09) 1… 朝岡 康二(あさおか こうじ、 (1941-04-09) 1941年4月9日 - )は、日本の文化人類学者、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授。専門は冶金史・鍛冶技術史。 京城生まれ。1964年東京藝術大学美術学部卒業。66年同大学院工芸専攻修士課程修了。育英工業高等専門学校グラフィック工学科講師、助教授、1985年教授、1986年沖縄県立芸術大学教授、1990年国立歴史民俗博物館教授・民俗研究部長、総合研究大学院大学・千葉大学教授併任、1992年「日本鉄器文化の比較民俗学的研究」で筑波大学文学博士。2003-06年沖縄県立芸術大学学長。
坂 真次郎(ばん しんじろう、1941年(昭和16年)1月1… 坂 真次郎(ばん しんじろう、1941年(昭和16年)1月10日 - 2006年(平成18年)7月27日)は、昭和・平成期のシテ方観世流能楽師。重要無形文化財「能楽」の保持者(総合認定)。社団法人能楽協会会員。
沢井 一恵(さわい かずえ、1941年1月1日 - 2026… 沢井 一恵(さわい かずえ、1941年1月1日 - 2026年2月15日)は、日本の箏曲家。十七絃箏演奏者。 京都府出身。1964年東京芸術大学音楽学部卒業。宮城道雄に師事。1979年に夫の沢井忠夫とともに沢井箏曲院を設立した。欧米各地で現代邦楽を公演した。沢井箏曲院現会長の沢井比河流は長男。 2026年2月15日、85歳で死去。
磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )… 磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )は、日本の版画家。愛知県立芸術大学学長を務めた。木版画を主に制作。作品の主題は主に「人物、花、樹木」である。1978年頃から合板ではなく杉板を使いはじめ、板と板との継ぎ目や板目の違いによる刷りムラも独自の技法として取り込み、墨一色の力強くプリミティブな作風を確立している。 東京芸術大学では山口薫に油彩を学ぶ。大学院時代から版画制作をはじめ、非常勤講師だった小野忠重、当時博士課程に在籍していた小山松隆から木版画の手ほどきをうける。4人兄弟の末弟で、兄に上智大学文学部名誉教授の磯見辰典、横浜国立大学教育学部名誉教授・磯見昭太郎、医師の磯見明がいる。
伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、… 伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、日本の墨画師、イラストレーター。主に広告業界で活動し、サントリーリザーブの新聞広告、キリン一番搾りの墨文字・墨画などで人気を博した。 1941年、上海生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、東京芸術大学工芸科卒業。広告代理店に入りアートディレクターをしていたが、「どうしても絵をかきたい」との思いを抑えきれず退社し、1971年〜1972年、ヨーロッパを旅した。当初、版画に取り組んだが、しばらくして「墨で絵をかいたらどうなるか」と考え、習字を習った。間もなく、サントリーから墨絵の広告を依頼され、約7年間描いた。サントリーリザーブの新聞広告を皮切りに、雑誌の表紙絵、デパートのポスター、カレンダー、商品パッケージのイラスト、企業のロゴマークなどを手掛けた。
井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )… 井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の画家。福岡県北九州市出身。日本美術院院友、日府展専務理事、日府賞受賞、外務省買い上げ作品に選出。 1941年、福岡県北九州市に生まれる。1967年、東京芸術大学大学院日本画科を修了する。在学中に日本美術院展に入選し、日本美術院院友となる。1978年、日府展専務理事に就任し、日府賞を受賞する。1998年、「北の朝」が外務省に買い上げられた。2022年、Art Collectors 完売作家に掲載。その後もグループ展の主宰や個展を全国で続ける。 花鳥風月をモチーフに、自然の息遣いをとらえた日本画として紹介されている。古来からの花鳥風月の枠に縛られない桜、椿、薔薇、富士、鯉、猫などを題材にした作品が掲載されており、柔らかな題材を金箔や日本画の技法でまとめた作品が特徴。
片山 和俊(かたやま かずとし、 1941年 - )は、日本… 片山 和俊(かたやま かずとし、 1941年 - )は、日本の建築家、建築研究者・教育者。東京芸術大学名誉教授。 研究者・教育者として集住環境の実測調査および設計に携わる。1989年から2009年まで、東京芸術大学美術学部、大学院美術研究科教授。 東京生まれ。1966年(昭和41年)、東京芸術大学美術学部卒業。1968年(昭和43年)に同大学院修士課程修了。環境設計茂木研究室での建築実務を経て、1989年、東京芸術大学美術学部建築科助教授。2000年(平成12年)に東京芸術大学美術学部建築科教授。2008年(平成20年)に退任。教育・研究の傍らで主に住宅設計を中心に建築設計を多く手がけ、その他各地の町並みや景観計画にも係わる。
蒲生 美津子(がもう みつこ、1941年 - )は、日本の音… 蒲生 美津子(がもう みつこ、1941年 - )は、日本の音楽学者、日本音楽研究者。沖縄県立芸術大学名誉教授。専門は日本音楽史。 1941年生まれ。1981年に東京藝術大学大学院博士課程を修了した。東京藝術大学附属図書館の博士学位論文一覧によれば、学位論文は「早歌の音楽的研究」である。著者紹介によれば、東京藝術大学非常勤講師を経て沖縄県立芸術大学教授を務め、のちに同大学名誉教授となった。 蒲生は、中世歌謡である早歌の研究を行った。単著『早歌の音楽的研究』は1983年に三省堂から刊行されている。この著作は『東洋音楽研究』において永池健二の書評の対象となった。 また、後年の研究文献では、蒲生の同書が室町期譜本の調査に基づく研究として言及されている。
永田 昌民(ながた まさひと、1941年 - 2013年12… 永田 昌民(ながた まさひと、1941年 - 2013年12月)は、日本の建築家。 大阪府に生まれる。1967年東京芸術大学美術学部建築科を卒業(1962年入学)、1969年同大学院修士課程を修了(吉村順三研究室)。1971年~1973年同大学非常勤講師。アルプ設計室(1973〜1976年)を経て、1976年益子義弘とM&N設計室を設立、1984年N設計室に改称。
山岸 宜公(やまぎし よしゆき、1940年12月5日 - 2… 山岸 宜公(やまぎし よしゆき、1940年12月5日 - 2018年2月25日)は、日本のチェロ奏者、指揮者。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)… 佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)10月15日 - )は、日本の声楽家(バス、バスバリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。 宮城県仙台市生まれ。神奈川県立川崎高等学校 卒業。1967年(昭和42年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1970年(昭和45年)同大学院修士課程修了。大学院在学中に第132回芸大オーケストラ定期公演(指揮:山田一雄)ベートーヴェン『第九』バス独唱で音楽界にデビュー。1969年(昭和44年)二期会(指揮:若杉弘)ワーグナー『ラインの黄金』ファフナーでオペラデビュー。その後、読売日本交響楽団第58回定期演奏会(指揮:若杉弘)ベルリオーズ『ファウストの劫罰』ブランデルや、同年帰国した小澤征爾指揮による日本フィルハーモニー交響楽団第180回東京定期演奏会 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(演奏会形式)に出演 したほか、二期会を中心に1971年(昭和46年)2月までの約2年間に計14本 ものプロダクションに出演している。
古川隆久(ふるかわ たかひさ、1940年(昭和15年)10月… 古川隆久(ふるかわ たかひさ、1940年(昭和15年)10月11日 - )は、栃木県芳賀郡益子町の陶芸家であった。 後に妻・俊子と共に、茨城県八郷町に、そして長野県軽井沢町へと移住し、油彩画を手掛けるようになった。 1940年(昭和15年)10月11日、東京都板橋区に生まれる。生家は喫茶店を営業していたという。 隆久が東京芸術大学3年生で視覚デザイン専攻生となっていた時に、加藤土師萌が東京芸大に陶芸講座を開いた。陶芸講座で開設された授業で、隆久は初めて陶芸を体験し、その面白さを知った。そして1963年(昭和38年)、隆久が4年生になった時から陶芸講座に入り、加藤土師萌に招聘された藤本能道の直弟子となった。
山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月… 山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月3日 - )は、日本の洋画家。東京学芸大学名誉教授、立軌会同人。東京都江戸川区出身。 日本橋芳町より京都市右京区御室へ移転。東京都中野区東中野へ移転。 東京都立武蔵丘高等学校、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒(林武教室)。東京藝術大学大学院修了(牛島憲之教室)。 中学校の美術部で初めて油彩画を描き、高校の美術部に所属し石膏デッサンに夢中になる。東京藝術大学の大学院修了後、同大学に勤務し、その間に牛島憲之に風景画の指導を受ける。 1969年にフランス政府給付留学生として渡仏。マルセーユ芸術建築学校(ビュッス教室)に学ぶ。グループ十騎会(髙島屋東京日本橋店、~2015年)に参加。
沖村 正康(おきむら まさやす、1940年7月13日 - 2… 沖村 正康(おきむら まさやす、1940年7月13日 - 2012年9月4日)は、日本の彫刻家、鋳造家。東京芸術大学大学院において高田博厚の講義を受けたことがきっかけで、卒業と同時にアトリエを引き継ぎ、以来師事する。ロストワックス法による鋳造を独学でマスターし、埼玉県三郷市で有限会社三郷工房を創立。 東京都生まれ、東京芸術大学大学院で高田博厚の「彫刻論」を受講。大学院修了と同時に高田が借りていた新宿区西落合のアトリエを引き継ぎ、鎌倉市稲村ガ崎に転居した高田の第一作「ガンジー立像」の制作を手伝い、以来、高田を師と仰ぐ。群馬県前橋市の書店、煥乎堂において高田を中心に「一元会」を結成し、中心メンバーとして「一元会展」を25年以上にわたり参加する。
野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 202… 野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 2022年9月18日)は、日本の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 三重県津市に生まれる。高校時代、放送委員としてさまざまなクラシック音楽のレコードに触れたことがきっかけとなって作曲家になることを決意し、独学でピアノ練習や交響曲などの作曲を試みる傍ら、1959年、池内友次郎の許を訪ねて本格的に作曲理論の勉強を開始する。1964年、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、1967年、東京藝術大学大学院修了。池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事。在学中の1963年、日本音楽コンクール第1位。 類いまれな和声感や構造性、真髄を捉えた旋律は国内外からも非常に高く評価され頻繁に演奏されている。
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月3… 柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 静岡県浜松市にて誕生。浜松市立高等学校を経て、1965年、東京藝術大学大学院を修了。その後、アメリカ合衆国ニューヨーク州に渡り、デザイン、版画といった美術への造詣を深める。帰国後は静岡県掛川市に居を構えアーティストとして活躍し、精力的に作品を発表する。 東京芸術大学では林武に油彩を学び、当時「最も影響を受けたのはゴーギャン」「版画の様々な制約の中自分が日常感じている矛盾、情念的なものをどれだけ表現出来るか」に意欲がわき、版画を志す。(「出会い」 静岡新聞 1982年1月12日) 東京芸術大学四年から大学院時代に、駒井哲郎に銅版画のてほどきをうける。
松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 20… 松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 2022年2月23日)は、日本の彫刻家、美術教師、絵画教育の研究者であり、1975年に誰でもたのしく絵が描ける指導方法として「キミ子方式」を発表した。キミ子方式は仮説実験授業研究会に紹介されると広く実践され、その指導法の有効性が確立した。また「美術の授業研究会」と「キミコ・プラン・ドゥ」を設立しアートスクールで多くの人々に絵の描き方を教えた。 1975年に松本は三原色と白だけを使って、モデルごとに描き始めを決めて、色作りをしながら隣へ隣へと描き進めていく絵画指導法を開発した。松本はそれをキミ子方式と名付けて、臨時教員として小中学校で実践していった。
松永 真(まつなが しん、1940年4月13日 - )は、日… 松永 真(まつなが しん、1940年4月13日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)理事。東京藝術大学客員教授。日本デザインコミッティー理事。 東京市芝区高輪生まれ。父は書家。第二次世界大戦中の5歳から福岡県筑豊地域、15歳からを京都で過ごす。 1964年、東京藝術大学美術学部デザイン科卒。資生堂の宣伝部に7年在籍した後、1971年松永真デザイン事務所設立。 1997年『松永真のデザイン展』(セゾン美術館)開催。 各企業のCI計画やポスターなど、携わった作品多数。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本… 和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。
益子義弘(ますこ よしひろ 1940年4月3日-)は日本の建… 益子義弘(ますこ よしひろ 1940年4月3日-)は日本の建築家。元東京藝術大学教授、現在東京藝術大学名誉教授。
下田 義寛(しもだ よしひろ 1940年3月30日 - )は… 下田 義寛(しもだ よしひろ 1940年3月30日 - )は富山県出身の日本画家。倉敷芸術科学大学名誉教授。 ※以下の出典は知足美術館ウェブサイトおよび倉敷芸術科学大学ウェブサイト。 富山県滑川市に生まれる。1963年に東京芸術大学を卒業して同大学大学院に進み、1965年に修了する。日本美術院院友に推挙される。1967年、安田靫彦の助手として法隆寺壁画再現模写に従事した。第52回院展で奨励賞・白寿賞受賞。 1978年、日本美術院同人に推挙される。1979年の第64回院展で文部大臣賞を受賞した。1981年、日本美術院評議員に推挙される。1983年の第68回院展で総理大臣賞を受賞した。 東京芸術大学助教授を経て、1995年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授に就任する。
村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 202… 村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 2025年4月7日)は、日本のクラリネット奏者。東京芸術大学名誉教授。日本音楽コンクール運営委員。 東京都出身。北海道札幌西高等学校から東京都立駒場高等学校を経て、1963年に東京芸術大学器楽科を卒業。三島勝輔、北爪利世に師事。 その後、東京交響楽団に入団。在団中に日独交換学生として、ドイツのデトモルト北西ドイツ音楽アカデミー(現デトモルト音楽大学)に留学。クラリネットをヨースト・ミハエルス、室内楽をヘルムート・ヴィンシャーマンに師事。1972年、同校にてソリスト試験を修める。日本ではヒンデミットのクラリネット協奏曲を東響定期にて日本初演している。
野田 哲也(のだ てつや、1940年(昭和15年) 3月5日… 野田 哲也(のだ てつや、1940年(昭和15年) 3月5日 - )は、日本の版画家。日本版画界を代表する版画家の1人。東京藝術大学名誉教授。熊本県出身。写真を使ったシルクスクリーンと木版を組み合わせて自身の日常の断片を描いた日記シリーズによる作品で知られる。洋画家の野田英夫は、伯父にあたる。 東京国立近代美術館 / 京都国立近代美術館 / 国立国際美術館 / 東京都現代美術館 / 和歌山県立近代美術館 / 三重県立美術館 / ニューヨーク近代美術館 / シカゴ美術館 / ボストン美術館 / サンフランシスコ美術館(英語版) / ロサンゼルス・カウンティ美術館 / 大英博物館 日々の生活の記録である日記をテーマとして、1968年から今日まで40年以上にわたり作品を制作。
手塚 幸紀(てづか ゆきのり、1940年1月18日 - 20… 手塚 幸紀(てづか ゆきのり、1940年1月18日 - 2020年10月27日)は、日本の指揮者。 東京都生まれ。東京芸術大学でフルートと指揮を専攻。1967年、民音コンクールで第1位に入賞。 1970年、日本フィルハーモニー交響楽団指揮者。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、京都市交響楽団正指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団指揮者を務めた。 1987年から1992年まで群馬交響楽団常任指揮者、1996年から2000年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を歴任した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長… 大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長岡市出身の日本画家。富貴蘭、芙蓉、花菖蒲、牡丹など花をモチーフとした作品を発表している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の… 村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の建築家、都市計画家、一級建築士、再開発コーディネーター、再開発プランナー。まちづくり専門家。(株)計画工房主宰。専門分野は建築設計、地域、地区計画。住宅を中心とした建築設計から、住環境整備として地域計画に携わる。 公共事業の実績には国土交通省関連の障害者施策推進協議会、中央建設業審議会委員、東京都関連の住宅バリアフリー協議会副会長、墨田区景観アドバイザー、住宅政策審議会委員など多数歴任。杉並区でまちづくり関連審議会委員等を務める。 1940年広島県生まれ。1965年東京芸術大学建築科卒業。1967年同大学大学院修士課程修了。1969年計画工房設立、主宰、現在に至る。
吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の… 吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高等学校卒業。東京芸術大学卒業、同大学院修了。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事。ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。ボリス・ブラッハー、ジェルジ・リゲティに学ぶ。在学中の69、70、72年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。ヴィオッティ国際音楽コンクール、ベルリン国際作曲コンクールなどの国際コンクールで入賞を果たす。同大卒業後、ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。79年、スタンフォード大学コンピュータ音楽セミナーに参加。 鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任。
川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザ… 川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザイナー、川上デザインルーム代表。東京芸術大学、金沢美術工芸大学、神戸芸術工科大学などの客員教授を歴任。現在、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科客員教授。GENOVA家具展金賞(イタリア)、アメリカ建築家協会主催インターナショナル・チェア・デザインコンペティション1席(USA)、iFデザイン賞(ドイツ)など国内外の賞を多数受賞。 1940年(昭和15年)、兵庫県に生まれる。兵庫県立芦屋高等学校、東京芸術大学美術学部工芸科(ID専攻)卒業。東京芸術大学院美術研究科(デザイン)修士課程終了。その間、作品集『アンジェロ・マンジャロッティ1955-64』(青銅社)に出会い、強く感銘する。
八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8… 八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8月1日 - 2022年〈令和4年〉5月18日)は、日本の長唄三味線方家元。 本名は、鈴木 吉康(すずき よしやす)。別号として鈴木 勘容(すずき かんよう)。 小学4年生より三味線を習い始め、中学3年生より初代彌一郎(のちの七代目彌吉)に師事し、彌二郎を名乗った。東京芸術大学音楽部邦楽科では、山田抄太郎、菊岡裕晃に師事する。在学中の1978年から稀音家六多郎について、稀曲の習得に励んだ。1984年に東京芸術大学音楽学部邦楽科・邦楽専攻課程を修了した。 1986年に長唄唄方の稀音家義丸と長唄の古典稀曲の研究発表のための長唄双樹会を結成した。