松原 操(まつばら みさお、1911年3月28日 - 198… 松原 操(まつばら みさお、1911年3月28日 - 1984年6月19日)は主に戦前期に活躍した女性流行歌歌手。戦前まではミス・コロムビアという名でも活躍した。1939年に歌手・霧島昇(本名:坂本栄吾)と結婚。 1911年(明治44年)3月28日、北海道小樽区(現・小樽市)生まれ。東京音楽学校(現:東京芸術大学)在学中、1933年(昭和8年)、コロムビアから「ミス・コロムビア」という覆面歌手として『浮草の唄』でデビューする。当時、ビクターの小林千代子がデビュー当時に「金色仮面」として売り出したところ話題を呼び、後にヒット歌手となったことから、コロムビアも松原操を売り出すために宣伝の写真にも目隠しをして彼女をデビューさせた。
関 種子(せき たねこ、1907年(明治40年)9月18日 … 関 種子(せき たねこ、1907年(明治40年)9月18日 - 1990年(平成2年)6月6日)は、昭和期のソプラノ歌手。本名は秋山種子。 岡山県出身。小学生の頃から琴に親しみ、上京後、東京府立第二高等女学校から東京音楽学校に進学。ドイツリートをマルゲレーテ・ネトケ=レーヴェに師事。在学中に結婚し、本科を首席で卒業後、坪内逍遥原作・山田耕筰作曲の歌劇「堕ちたる天女」で楽壇デビュー。クラシックのソプラノ歌手として活躍を始めた。 「堕ちたる天女」の抜粋をコロムビアレコードに吹き込んだのが縁となり、1931年(昭和6年)同社からデビュー。「窓に凭(もた)れて」、「嘆きの夜曲」、「あけみの唄」、「日本橋から」など、主に初期の古賀メロディーをヒットさせている。
平原 寿恵子(ひらはら すえこ、1907年(明治40年)1月… 平原 寿恵子(ひらはら すえこ、1907年(明治40年)1月24日 - 1993年(平成5年)2月20日)は日本の声楽家(ソプラノ。ただしアルト、メゾソプラノを歌った記録がある)。音楽教育者。名前は壽惠子、壽恵子と表記されることがある。 東京府(現:東京都)出身。童謡歌手として1924年(大正13年)『叱られて』を東京レコードに吹き込む。1931年(昭和6年)東京音楽学校卒。1933年(昭和8年)東京音楽学校研究科修了。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。1934年(昭和9年)東京音楽学校教授( - 1974年(昭和49年)東京芸術大学教授)。1935年(昭和10年)2月 日比谷公会堂におけるクラウス・プリングスハイム指揮、東京音楽学校オーケストラ第74回定期演奏会のマーラー交響曲第3番全曲日本初演のアルト独唱を務める。
嘉納 愛子(かのう あいこ、1907年〈明治40年〉1月1日… 嘉納 愛子(かのう あいこ、1907年〈明治40年〉1月1日 - 2016年〈平成28年〉3月29日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・音楽教育者。相愛大学名誉教授(2011年時点)。 大阪府大阪市出身。官吏の家に生まれた三人姉妹の末っ子。親和高等女学校卒。東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部声楽科)に入学。高木東六や四家文子と同級。卒業後、山田耕筰の数少ない弟子の一人となり、山田らが確立した「日本歌曲」の真髄を叩き込まれる。修業を終えて帰阪後も声楽家として活動し、大阪BK(NHK大阪放送局)のラジオ放送や公演に出演するが、1934年(昭和9年)に旧家として名高い(嘉納家は嘉納財閥として知られる)灘の酒造家の嘉納鉄夫と結婚して引退。
四家 文子(よつや ふみこ、1906年(明治39年)1月20… 四家 文子(よつや ふみこ、1906年(明治39年)1月20日 - 1981年(昭和56年)7月16日)は、昭和期の歌手、声楽家。息子は元日本テレビプロデューサーの横田岳夫。 東京府出身。東京府立第三高等女学校の1学年上には女優の高島愛子がいた。東京音楽学校でネトケ=レーヴェに師事。首席で卒業後、「不壊の白珠」で歌手デビューする。とはいえ、四家が契約したビクターは当時、「波浮の港」「東京行進曲」「愛して頂戴」「紅屋の娘」などのヒット曲を連発していた佐藤千夜子がトップ歌手だったので、四家のデビューは小さいものだった。それに四家自身は「音楽学校卒業者があまり低俗にはしるのもよくない」として藤野豊子という変名で吹き込みも行っていた。
薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月… 薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月5日 - 1986年〈昭和61年〉8月3日)は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家、音楽学者、合唱指揮者。お茶の水女子大学名誉教授。 千葉県出身。1930年(昭和5年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 卒業後、戦前からリサイタル、コンサートで活動し、特にドイツ歌曲を得意とした。 戦後まもなく演奏活動に復帰。門下生の柴田睦陸が結成し、二期会の母体となった東京藝術大学歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の主役ファウストを務めている。
伊藤 武雄(いとう たけお、1905年(明治38年)8月2日… 伊藤 武雄(いとう たけお、1905年(明治38年)8月2日 - 1987年(昭和62年)12月2日)は、日本の声楽家(バリトン)、教育者。広島県広島市出身。 1930年東京音楽学校(東京芸術大学)卒業。研究科に残りヘルマン・ヴーハーペニッヒ、ネトケ=レーヴェに師事。1935年デビューリサイタル。戦前から歌曲とオペラに活躍。1937年日中戦争に召集され従軍、上海の戦闘で右手を失うが、帰国後は母校の助教授として後進の育成に尽力した。またコロムビア・レコード専属となり、ドイツ歌曲の吹き込みを行う。1940年山田耕筰に請われオペラ『夜明け』で初舞台。しかし助教授がオペラに出るのは学校も文部省も当時許さず、学校は退職した。
浅野 千鶴子(あさの ちづこ、旧字体: 淺野 千鶴子 、19… 浅野 千鶴子(あさの ちづこ、旧字体: 淺野 千鶴子 、1904年(明治37年)3月22日 - 1991年(平成3年)3月3日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。民謡歌手で秋田県出身の浅野千鶴子は同姓同名の別人。 高知県高知市出身。1927年(昭和2年)東京音楽学校研究科修了。永井郁子に師事し、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、長坂好子の指導も受けた。1920年代から文化学院の教壇に立つ。1929年(昭和4年)4月 京城で「山田耕筰作品発表会」に出演(ピアノ:山田耕筰、ヴァイオリン:黒柳守綱、ソプラノ:浅野千鶴子)。1930年(昭和5年)東京でリサイタル・デビュー。1935年(昭和10年)東京音楽学校第75回定期演奏会(於:日比谷公会堂)でバッハ『聖母讃歌』ソリスト(指揮:クラウス・プリングスハイム、ソプラノ:浅野千鶴子、メゾソプラノ:田中伸枝、アルト:齋藤英子、テノール:木下保、バス:伊藤武雄)。
徳山 璉(とくやま たまき、1903年〈明治36年〉7月27… 徳山 璉(とくやま たまき、1903年〈明治36年〉7月27日 - 1942年〈昭和17年〉1月28日)は、戦前から戦中に活躍した日本の声楽家(バリトン)・流行歌手・俳優。愛称は「徳さん」。 1903年(明治36年)7月27日、神奈川県高座郡藤沢町(現在の同県藤沢市)の開業医の家に生まれた。 開校したばかりの逗子開成中学校(現在の逗子開成高等学校)を経て、1928年(昭和3年)、東京音楽学校声楽科(現在の東京芸術大学音楽学部声楽科)を卒業。武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)の教師になったが、流行歌手として日本で初めて大スターになった佐藤千夜子のピアノ伴奏をした縁で、1930年(昭和5年)、ビクターから『叩け太鼓』で流行歌手としてデビュー。
ベルトラメリ 能子(ベルトラメリ よしこ、1903年4月1日… ベルトラメリ 能子(ベルトラメリ よしこ、1903年4月1日 - 1973年8月2日)は、日本の声楽家・ソプラノ歌手。旧姓は鐵(てつ)。 1903年(明治36年)4月1日に鉄信夫、こん夫妻の長女として生まれた。生家の鉄家は茨城県多賀郡大津町(現・北茨城市)で遠洋漁業と缶詰製造業を営む旧家であり、能子の祖父鉄伝七は茨城県議(2期)、第19代茨城県会議長を務めた。日露戦争後に鉄家は家業の水産業を東京の水産会社に譲渡し、一家で東京に移った。 8歳頃から東京で育つ。1917年(大正6年)4月に東京音楽学校(現東京芸術大学)乙種師範科に入学し、1918年(大正7年)3月に卒業。引き続き東京女子音楽園で学んだのち、高輪尋常小学校で教師をしながら矢野寿美子、山田耕筰、米国人女性バーカーに師事し、アドルフォ・サルコリにベルカント唱法を学んだ。
平井 美奈子(ひらい みなこ、1902年(明治35年)3月3… 平井 美奈子(ひらい みなこ、1902年(明治35年)3月31日 - 2004年(平成16年)3月3日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、歌手、童謡歌手、音楽教育者。 旧姓:早川(はやかわ) 実業家、早川鉄冶の子として東京に生まれる。6歳から山田流箏曲を山木派の須藤春賀に学ぶ。1919年(大正8年)青山女学院卒業。東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)でハンカ・シェルデルップ・ペツォルトとマルガレーテ・ネトケ=レーヴェに師事し、1923年(大正12年)同校本科声楽部卒業。1925年(大正14年)同校研究科声楽部修了。1925年8月函館市で本居長世・みどり・貴美子、吉田晴風、早川美奈子による演奏。
金 文輔(キム・ムンボ、日本語読み: きん ぶんすけ、朝鮮語… 金 文輔(キム・ムンボ、日本語読み: きん ぶんすけ、朝鮮語: 김문보、1900年〈光武3年〉 - 没年不明)は大韓帝国出身のバリトン歌手、作曲家。 大韓帝国大邱郡出身。1918年、京城の徽文義塾(朝鮮語版)卒業後に日本に渡航。1919年、東京音楽学校予科に特別入学。1924年3月、同校本科声楽部を修了。東京音楽学校在学中に船橋榮吉とハンカ・ペツォルトに、修了後にマルガレーテ・ネトケ=レーヴェに師事。関東学院の音楽教員となった。作曲家としての作品に『朝鮮樵夫の哀調歌』がある。 ソプラノ歌手であった先妻の吉澤なを(金直子)と結婚。移住の直前に文輔の弟子であった長野県出身の宇田豊子(朝鮮名:金朝美、キム・チョミ)と再婚。
村井 満寿(むらい ます、1899年〈明治32年〉10月13… 村井 満寿(むらい ます、1899年〈明治32年〉10月13日 - 1988年〈昭和63年〉9月7日)は、日本のアルト歌手。北海道札幌市の札幌市時計台を題材とした楽曲「時計台の鐘」の歌い手として知られる。同曲の作曲者である高階哲夫は1人目の夫。2人目の夫はバリトン歌手にして日本初の腹話術師でもある澄川久(本名:村井武雄)であり、後夫との子にクラリネット奏者の村井祐児がいる。納豆の研究で知られる農学者の半澤洵は母方の叔父にあたる。 北海道札幌区(後の札幌市)で誕生した。旧姓は相沢。幼少時に、教会の宣教師の賛美歌に感銘を受けて、音楽の道を志した。また自宅の窓からは時計台が針まではっきりと見え、時計台に馴染んで少女期を送った。
関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 -… 関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は、日本の声楽家、音楽教育者、音楽評論家。プロレタリア音楽同盟の委員長に選ばれ、「アカイ歌手」と騒がれた。 第二次世界大戦後、日本共産党員として同党の文化政策に基づく実践活動を行い、国内外において、日本のうたごえ運動の創始者と見なされるようになった。 父 関厳(美術評論家。雅号 "関如来")、母 トヨの長女として、東京都本郷区龍岡町(当時)に生まれる。弟に関忠亮。関家は代々郡山藩の江戸詰め御典医の家系で、読売新聞の美術担当だった父親は美術評論の草分けであり、鑑子が生まれた時はパリ万国博覧会 (1900年)へ出品する美術品の鑑定官をしていたことから、娘の名に「鑑」の字をつけ、秋生まれであったことから「アキ」と読ませた。
佐藤 千夜子(さとう ちやこ、1897年(明治30年)3月1… 佐藤 千夜子(さとう ちやこ、1897年(明治30年)3月13日 - 1968年(昭和43年)12月13日)は、日本初のレコード歌手。本名は佐藤千代。山形県東村山郡天童村(現:天童市)出身。中山晋平の歌謡曲を世に広め、古賀政男の才能を発見したことで、それ以後の日本大衆音楽史の発展に大きな功績がある。華々しくかつ浮き沈み激しい人生は、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」のモデルとなった。
松平 里子(まつだいら さとこ、1896年(明治29年)7月… 松平 里子(まつだいら さとこ、1896年(明治29年)7月31日 - 1931年(昭和6年)9月22日)は大正~昭和期のソプラノ歌手。本名は松平 佐登子(旧姓:岩田)。夫は海軍技師の松平博(大給松平家当主松平乗承の三男)。 1896年、東京市浅草区浅草花川戸町(現在の東京都台東区花川戸)生まれ。東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校・附属中学校)を経て東京音楽学校に入学。東京音楽学校ではハンカ・シェルデルップ・ペツォルトに師事し、1919年(大正8年)3月に同校本科声楽部を卒業。引き続き同校聴講科で独唱を1年学んだ。1921年(大正10年)に帝国劇場のオペラチックコンサートに出演。
水野 康孝(みずの やすたか、1896年 <明治29年> 3… 水野 康孝(みずの やすたか、1896年 <明治29年> 3月3日 - 1987年 <昭和62年> 3月11日)は、日本の大正から昭和時代に活動した作曲家、声楽家、音楽教育者。元岡山大学教育学部長。位階は正四位。 現在の岡山市北区出身。医事評論家の水野肇は長男。 1896年(明治29年)、岡山市(現在の北区)中山下に生まれる。1916年(大正5年)に東京音楽学校本科声楽部を卒業し、同校の研究科に所属したが中退ののち大阪市立中大江東尋常小学校(大阪市立中大江小学校の前身校)に音楽専科教員として採用される。同年内に大阪音楽学校講師となり、1922年(大正11年)に楽劇「百合姫」へ出演。1923年(大正12年)に日東蓄音機(ニットーレコード)へ入社し、東京へ拠点を移すが関東大震災で被災し大阪へ戻る。
永井 郁子(ながい いくこ、1893年(明治26年)8月30… 永井 郁子(ながい いくこ、1893年(明治26年)8月30日 - 1983年(昭和58年)1月28日)は日本のソプラノ歌手。大正から昭和にかけて活躍した。 1910年(明治43年)に東京音楽学校声楽科を卒業。柳兼子と同級。兼子と同じくハンカ・ペッツォルトに師事。同研究科修了。美しい容姿、清楚な趣のあるソプラノの高音が美しいといわれていたリリック・ソプラノで、柳兼子とともに若くして人気が高く、ことにビゼー『カルメン』のミカエラや、プッチーニ『ラ・ボエーム』のミミのアリアを得意とした。1915年(大正4年)「永井郁子独唱会」を開催しリヒャルト・シュトラウスを歌う。 岩崎小弥太の紹介により同年秋に山田耕筰と結婚したが、山田の女性問題などのため翌年に離婚した。
長坂 好子(ながさか よしこ、1891年(明治24年)5月2… 長坂 好子(ながさか よしこ、1891年(明治24年)5月29日 - 1970年(昭和45年)9月30日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・音楽教育者。日本の洋楽の黎明期に優れた門下生を数多く育てた。 愛知県名古屋市出身。1914年(大正3年)東京音楽学校(現:東京藝術大学)卒業。三浦環に師事。 1915年(大正4年)下半期だけでも5回の演奏記録があり、同年10月29日に神田青年会館にて「二十世紀社主催 音楽会」に出演。1916年(大正5年)11月16日には「皇后行啓演奏会」にて御前演奏をする。1920年(大正9年)12月3、4日 東京音楽学校第39回定期演奏会、11日 南葵樂堂「ベートーヴェン[生誕]百五十年紀念 音樂會」に出演(指揮:グスタフ・クローン ソプラノ:長坂好子 ピアノ:小倉末子)。
立松 ふさ(たてまつ ふさ、1891年(明治24年)3月23… 立松 ふさ(たてまつ ふさ、1891年(明治24年)3月23日 - 1992年(平成4年)11月16日)は、日本の声楽家。声種はソプラノ。音楽教育者。作曲家。武蔵野音楽大学名誉教授。旧姓は薗部。名は房子と表記されることが多い。フサと表記されることもある。 東京府亀戸出身。警察官、薗部久五郎の長女として生まれる。東京府立第一高等女学校卒。東京音楽学校にてハンカ・シェルデルップ・ペツォルト、宮廷歌手ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。1913年(大正2年)に同校本科声楽部を卒業。1915年(大正4年)から同校声楽講師。1925年(大正14年)私立東京女子体操音楽学校(現:東京女子体育大学)講師。1927年(昭和2年)函館で演奏会を開催。
船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎、1889年(… 船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎、1889年(明治22年)12月15日 - 1932年(昭和7年)12月22日)は、日本の声楽家(バリトン)、作曲家、音楽教育者。東京音楽学校声楽科主任教授。新字体で船橋栄吉と表記されることが多い。舟橋栄吉という表記もみられる。姓の読みを「ふなはし」としているものもある。 兵庫県明石市出身。2歳で父を失う。小学校卒業後、家業の旅館を手伝いながら独学し、小学校教員及び中等学校教員免許を取得。また母が長唄をよくしたことから、自身も音楽に関心を持つようになり、特に瀧廉太郎の『荒城の月』『箱根八里』などの唱歌を好んだ。やがて音楽を志して上京、東京帝国大学事務局で給仕として働く傍ら、外山國彦に師事。
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889… 澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日)は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。 和歌山県有田市出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる。 テノール歌手として、日本で最初の四重唱団「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)。
清水 金太郎(しみず きんたろう、1889年〈明治22年〉2… 清水 金太郎(しみず きんたろう、1889年〈明治22年〉2月1日 - 1932年〈昭和7年〉4月30日)は、明治時代末期から昭和時代初期の声楽家、バリトン歌手。 日本オペラの黎明期から第一線で活躍した、日本オペラ界の開祖の一人とも言える存在で、大正期の浅草オペラを代表するスターとして、田谷力三と双璧と謳われた。 東京府出身。1910年(明治43年)、東京音楽学校声楽科卒業。1912年(明治45年)2月、帝国劇場における創作歌劇「熊野」(ゆや)にてデビュー。1911年に創設された帝国劇場の歌劇部に教師格として迎えられ、柴田環(後の三浦環)と部員の指導にもあたった。妻である静子は、歌劇部の第2期生で以後多くの舞台に共に立つ。
MALLIKA(まりか、12月13日 - )は、日本のヴァイ… MALLIKA(まりか、12月13日 - )は、日本のヴァイオリニスト、シンガーソングライター。 東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から東京芸術大学に進み、演奏・歌唱・作詞・作曲・編曲などを全て手がけるマルチアーティスト。YouTubeでは歌い、踊りながらヴァイオリンを演奏するパフォーマーとして注目を集める。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
赤池 優(あかいけ ゆう、10月18日生)は、日本の声楽家。… 赤池 優(あかいけ ゆう、10月18日生)は、日本の声楽家。ソプラノ歌手。熊本県熊本市出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。日本声楽アカデミー会員。日本声楽家協会 声楽講師。2018年から平成音楽大学講師。2025年4月から平成音楽大学教授。
翠 千賀(みどり ちか、3月11日 ‐ )は、日本の歌手、オ… 翠 千賀(みどり ちか、3月11日 ‐ )は、日本の歌手、オペラ女優、声楽家、ソプラノ。オフィスコットン所属、二期会会員。 川村小学校、川村中学校・高等学校、東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。イタリア・ミラノ音楽院プロフェッショナルコース留学。帰国後、新国立劇場、レオンカヴァッロ作曲「ザザ」(日本初演)の主役ザザ役でデビュー。その後、瀬戸内寂聴書き下ろしオペラ、三木稔作曲「愛怨-AIEN-」(世界初演)の主役の双子の姉妹、桜子と柳玲の一人二役、子供のためのオペラ「ジークフリートの冒険」ワルキューレ、ラインの乙女、「スペース・トゥーランドット」の氷の女王トゥーランドットを演じた。二期会オペラではプッチーニ作曲「蝶々夫人」のケート役でデビュー。
佐藤 直幸(さとう なおゆき)は、日本のテノール歌手。
小山 由美(こやま ゆみ、Yumi Koyama)は、日本の… 小山 由美(こやま ゆみ、Yumi Koyama)は、日本のオペラ歌手(メゾソプラノ)。二期会会員。 兵庫県神戸市出身。フェリス女学院中学校・高等学校、東京藝術大学卒業。同大学院修了。渡独後、シュトゥットガルト音楽大学にて学ぶ。畑中良輔、長野羊奈子、岳藤豪希、L.フィッシャー、J.コックス、A .レイノルス、J.ロイブル、G.ヴィシネフスカヤに師事。現在、ドイツに在住。 低音から高音までの全ての音域において伸びやかで深みのある声、知的で洞察力に満ちた解釈と表現力が高く評価され、日本を代表する国際的なメゾソプラノ歌手としての地位を築いてきた。近年日本のオペラ公演にも多く参加しており、つねに強い存在感を示している。
佐々木 正利(ささき まさとし)は、日本のテノール歌手である… 佐々木 正利(ささき まさとし)は、日本のテノール歌手である。
秋葉 京子 は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、音楽教育者。
土屋 広次郎(つちや こうじろう)は、日本のバリトン歌手。フ… 土屋 広次郎(つちや こうじろう)は、日本のバリトン歌手。フェリス女学院大学音楽学部演奏学科教授。東京都出身。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院修士課程独唱科修了。大学院在籍中に二期会オペラスタジオ研究生としてオペラ演奏法の研鑚を積み、マスタークラス修了。在籍中、優秀者賞受賞。 ロータリー財団奨学生としてイタリア・ミラノへ留学。元スカラ座コレペティのベレンゴに演奏法、発声法を元ソプラノ歌手アルダ・モルガンに学び、アーゾラ音楽祭に出演したほか、ミラノ、マントヴァ、ヴェローナ、レヴィコ各地でオペラやコンサートに出演。 オペラデビューは大学在学中に出演したメノッティ作曲「電話」。当たり役である「フィガロの結婚」のフィガロ役では数多く主演。
松尾 香(まつお かおり)は日本の女性歌手。東京芸術大学音楽… 松尾 香(まつお かおり)は日本の女性歌手。東京芸術大学音楽部声楽科卒業。同大学院ソロ科修了。劇団青年座卒業。 主に80年代にかけてアニメソング、童謡を中心に歌った。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
ひなた おさむ(8月26日 - )は、日本の歌手、ミュージカ… ひなた おさむ(8月26日 - )は、日本の歌手、ミュージカル俳優、声優。東京都出身。血液型A型。『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさんを務めた。東京藝術大学声楽科卒業。 1979年に竹宮惠子と増山法恵が企画・監修した『過ぎ行くときと友だち』というアルバムで4曲担当している。 1986年に企画アイドルグループ「美少年倶楽部」のメンバーとしてレコードデビュー。 大学時代には抜群の歌唱力だったために劇団四季から直々にスカウトされ、『オペラ座の怪人』や『ジョン万次郎の夢』などに出演していた。その後もミュージカル、オペラ、クラシックなどの世界で活躍した。 2001年に『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさんのオーディションを受けて採用され、同番組に番組開始の2002年4月から番組終了の2010年3月まで8年間にわたり出演した。
加賀 ひとみ(かが ひとみ)は、日本の声楽家、メゾソプラノ歌… 加賀 ひとみ(かが ひとみ)は、日本の声楽家、メゾソプラノ歌手。青森県十和田市出身。二期会および日本声楽家協会会員。聖徳大学音楽学部兼任講師。共立女子大学非常勤講師。 青森県十和田市出身。八戸聖ウルスラ学院高等学校音楽科では、1987年(昭和62年)にNHK全国学生音楽コンクール声楽部門で第3位に入賞した。 同校卒業後はいったん就職するが、音楽の道を諦めきれずに東京藝術大学音楽学部に進学、同大学院修士課程オペラ専攻修了した。 オペラではズボン役からカルメンまで器用にこなす。歌手としては、童謡のアレンジを中心としたリサイタルを各地で開くなど幅広く活躍している。 2016年(平成28年)3月に「トム・ジョンソン《4音オペラ》」(2015年3月公演)にて、第15回佐治敬三賞(主催・サントリー芸術財団)を受賞。
成田 英文(なりた ひでふみ、1964年(昭和39年)は、日… 成田 英文(なりた ひでふみ、1964年(昭和39年)は、日本の声楽家(テノール)、テノール歌手、音楽教育者、演奏会プロデューサー、舞台演出家。 1964年(昭和39年)宮城県美里町出身。美里町立小牛田中学校、宮城県古川高等学校卒業。1987年東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。ロドルフォ・リッチ、ブルーノ・ペラガッティ、マンフレーディ・アルジェント、ロゼッタ・エリー、ピエール・ミランダ・フェッラーロ、須賀靖和。また、フランス・オペラをパリ・オペラ座のジャニーヌ・ライスに師事。 1986年(昭和61年)大学4年時にヘンデルの「メサイア」のテノール・ソロを歌いデビュー。翌年、スメタナの歌劇「売られた花嫁」で主役のイェニーク役を歌いオペラ・デビューをした。
星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育… 星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。父は作曲家で音楽教諭の星和男。 福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校卒業。高校では合唱部に所属し、3年時に全日本合唱コンクールで全国優勝。その際に演奏された湯山昭作曲『ゆうやけの歌』は名演奏として名高いが、そのテノールソロを務めている。 1984年(昭和59年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1986年(昭和61年)東京藝術大学大学院オペラ科修了。渡邊高之助、高丈二、高橋啓三、疋田生次郎に師事。1991年(平成3年)1月より1年間、アルド・プロッティのもとで、ヴェルディ(『リゴレット』『椿姫』など)の歌唱法と、ベルカント・オペラの発声法を学んだ。
高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指… 高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指揮者、音楽教育者。 東京都立上野高等学校卒業。東京藝術大学卒業・同大学院修了。ドイツ・イタリア留学。 オペラのデビューは、1966年(昭和41年)二期会・都民劇場ワーグナー『タンホイザー』(原語初演)ラインマル。二期会、東京室内歌劇場、日生劇場等で活躍し、歌手としての出演は1996年(平成8年)日生劇場オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』ドミニクまで約100作品にのぼる。一方、1980年代以降はスタッフ側につくことが多くなり、歌唱指導、制作、公演監督などを務め、そして1990年代からはオペラ指揮者として活動を開始し、2000年代以降は専らオペラ指揮者として活躍している。
大村 博美(おおむら ひろみ、は、東京都生まれの日本の声楽家… 大村 博美(おおむら ひろみ、は、東京都生まれの日本の声楽家、オペラ歌手(ソプラノ)。 東京藝術大学大学院修了後、イタリア・ミラノに渡り研鑽を積む。その後、フランス・パリ近郊に在住し、世界各国で公演。二期会会員。 1970年生まれ。田園調布雙葉中学校・高等学校で三浦智津子に師事。東京藝術大学音楽学部声楽科を経て、同大学院独唱専攻を修了。1996年にイタリアへ留学。マルセイユ歌劇場国際オペラコンクール第1位など、数々の国際コンクールに入賞。 フランスパリ近郊在住。日本国内より海外での活動が多く、イタリア、スペイン、オーストリア、イギリス、ドイツ、スペイン、スイス、ポーランド、フィンランド、ラトビア、エストニアなどのヨーロッパを中心に、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イスラエル、マレーシアなどで活動。
森本 典子(もりもと のりこ)は日本の声楽家、ソプラノ歌手。… 森本 典子(もりもと のりこ)は日本の声楽家、ソプラノ歌手。愛知県出身。 母親がクラシック音楽を学んでいたため、子供の頃からレッスンを受ける。愛知県立明和高等学校音楽科卒業後、東京芸術大学音楽学部声楽科へ進んだ。大学卒業後は実家に戻るが、誘われて1995年にオペラ『魔笛』のパミーナ役でデビュー。1996年、イタリアの国際オペラ講習会に参加し、ディプロマを取得した。 帰国後はオペラやクラシックコンサートのソプラノ歌手として、主に名古屋市を中心に活動。2005年5月13日、名古屋市の電気文化会館ザ・コンサートホールで初めてソロのソプラノリサイタルを開いた。以後、名古屋市を中心としてソロソプラノコンサートや共演によるクラシックコンサート、セントラル愛知交響楽団の公演におけるソプラノ歌手としての出演などの活動を行う。
平良 交一(たいら こういち)は日本で活動するミュージカル俳… 平良 交一(たいら こういち)は日本で活動するミュージカル俳優および元オペラ歌手である。沖縄県出身。劇団四季所属。 沖縄県立首里高等学校卒業後、琉球大学を経て東京芸術大学を卒業した。1996年に新国立劇場でのオペラ公演でオペラ歌手として初出演し、以降バリトンオペラ歌手として活動していた。2007年7月に劇団四季のオーディションに合格し、演目契約で出演したオペラ座の怪人のブケー役で四季での初舞台出演を果たし、その後も演目契約で複数作品への出演を経て正式に劇団四季へ入団した。2016年に日本初演を迎えたノートルダムの鐘東京公演ではアンサンブル役のオリジナルキャストとして出演した。また2024年に初演を迎えたゴースト&レディ東京公演でも同様にアンサンブル役のオリジナルキャストとして出演している。
青山 恵子(あおやま けいこ)は日本の声楽家、メゾ・ソプラノ… 青山 恵子(あおやま けいこ)は日本の声楽家、メゾ・ソプラノ歌手。 島根県出雲市出身。声楽を森山俊雄、須賀靖和、畑中更予から、邦楽を西垣勇三、平井澄子、民謡を本條秀太郎、早坂光枝から指導を受ける。東京藝術大学声楽科卒業。1987年、声楽では日本初の博士号を、テーマ「日本歌曲の歌唱法の実践的研究 - 伝統音楽との接点 -」で取得。東京藝術大学大学院博士課程修了。博士号取得記念リサイタル「安達ケ原の鬼女」(サントリーホール)を開催。 博士号取得後も洋楽と伝統音楽の歌唱法の融合を研究し、リサイタルや講演会等で成果を発表している。日本歌曲はもとより邦楽器伴奏の作品や語り物、モノオペラなど様々なジャンルに取り組む。
雨谷 麻世(あまがい まよ)は、日本の声楽家。東京芸術大学卒… 雨谷 麻世(あまがい まよ)は、日本の声楽家。東京芸術大学卒業。第2期川崎市名誉文化大使。川崎市出身。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
江原 陽子(えばら ようこ、別名:風琳)は、日本の歌手・シン… 江原 陽子(えばら ようこ、別名:風琳)は、日本の歌手・シンガーソングライター・女優・声優。洗足学園音楽大学の講師を務めている。東京藝術大学在学中にNHK『うたって・ゴー』の歌のおねえさんのオーディションに合格し、4年間『うたって・ゴー』の歌のおねえさんのレギュラー出演を務めた。 東京都出身。4歳よりソルフェージスクールにてピアノを始め、音楽の基礎を学ぶ。東京藝術大学在学中にNHKうたって・ゴーの歌のおねえさんのオーディションに合格し、4年間うたって・ゴーの歌のおねえさんのレギュラー出演を務めた。1991年より日本フィル夏休みコンサートに歌と司会で出演するほか、東京交響楽団の音楽鑑賞教室で司会を務めるなど、クラシックコンサートのナビゲーターとしても活躍している。
大久保 昭男(おおくぼ あきお、生年月日非公表)は、日本の声… 大久保 昭男(おおくぼ あきお、生年月日非公表)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。 1953年(昭和28年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。矢田部勁吉に師事。 1953年(昭和28年)5月NHKオーディションに合格。1954年(昭和29年)2月二期会オペラ近衛秀麿指揮、青山杉作演出による『カルメン』のモラレス役でデビュー。同年5月日本楽劇協会・二期会オペラ山田耕筰:本人指揮『黒船』(初演)、長門美保歌劇団ドヴォルザークのオペラ石井歓指揮、青山圭男演出による『ルサルカ』(初演)等にも出演した。1959年(昭和34年)にドイツ・リート、日本歌曲による第一回リサイタルを開催した。 1960年(昭和35年)、畑中良輔の求めに応じて慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団のヴォイストレーナーに就任。
大貫 裕子(おおぬき ひろこ)は、クラシック音楽の声楽家(ソ… 大貫 裕子(おおぬき ひろこ)は、クラシック音楽の声楽家(ソプラノ)。藤原歌劇団団員、日本オペラ振興会会員、東京室内歌劇場会員。 栃木県鹿沼市出身。宇都宮短期大学附属高等学校音楽科卒業。東京芸術大学卒業。アルド・ブロッティ(バリトン)の誘いでウイーン市立音楽院に3年間留学。留学中に、ベルギーBRT放送局の招聘を受け、アントワープ歌劇場でオペラデビューを果たす。有明教育芸術短期大学芸術教養学科教授(学科長)、世界芸術文化振興協会監事。とちぎ未来大使、かぬまふるさと大使。
加納 悦子(かのう えつこ)は、日本のメゾソプラノ歌手。国立… 加納 悦子(かのう えつこ)は、日本のメゾソプラノ歌手。国立音楽大学教授。主要オーケストラとの共演やオペラ出演、また日本におけるリートの第一人者。特にロベルト・シューマン後期の歌曲集では、作曲者晩年の森厳な楽想を、深い理解と堅実な解釈で汲み取って比類のないポエジーの世界を歌い上げている。 東京芸術大学大学院を終了後、ドイツ国立ケルン音楽大学で声楽を学ぶ。在学中にケルン市立歌劇場のオペラスタジオ研修生として、さらに1994年からは専属歌手として契約する。1995年には、ザルツブルク国際モーツァルトコンクール声楽部門2位入賞。当時は、ジェームズ・コンロンらの指揮のもとでモーツァルトの『フィガロの結婚』、プッチーニの『蝶々夫人』、 エンゲルベルト・フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』を初めとする多くのオペラで活躍。
かりん:中川かりん・中川果林(なかがわ かりん、Karin … かりん:中川かりん・中川果林(なかがわ かりん、Karin Nakagawa)は、日本の25絃箏奏者、シンガーソングライター。1979年生まれ。 通称、かりん。東京芸術大学邦楽科生田流箏曲専攻卒業。茨城県生まれ。父はフルート奏者の中川昌三、母はピアニストの中川いづみ。二十五絃箏を野坂惠子(現・二代目野坂操壽)に、箏と地歌三絃を深海さとみに師事。14歳の時に野坂惠子主催「二十五絃の会」にて自作自演でステージデビュー。人形使い、ベリーダンス、舞、書、洋楽器とのコラボレーションなど、古典箏曲だけでなく、新作、自作自演、即興、弾き語り等、箏を通して新しい表現を積極的に開拓している。
木村 優一(きむら ゆういち)は、日本のソプラニスタ(男性ソ… 木村 優一(きむら ゆういち)は、日本のソプラニスタ(男性ソプラノ)。 熊本県大津町出身。奇跡の声を持つ歌手として注目され、現在は舞台・コンサート中心に幅広く活動中。2013年からは歌を通じたボランティア活動・チャリティーコンサートを続けている。 音楽家の母の影響で4歳ころからピアノを習い始め、音楽に親しみ、ソプラノで歌う母の歌声が好きで一緒に歌っていた。そして物心つく頃にはボーイソプラノで歌い、地元大津町の少年少女合唱団にも所属し歌っていた。後年2019年9月29日に大津町文化ホールで、新曲「Is This Love?」スペシャルコンサートで大津町少年少女合唱団と共演。 3才のころ、母から薦められた映画『サウンド・オブ・ミュージック』に大変な影響を受け、「エーデルワイス」は愛唱歌となった。
小泉 惠子(こいずみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、… 小泉 惠子(こいずみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。恵子という表記も見られる。 1977年(昭和52年)東京芸術大学卒業。畑中良輔、三浦智津子に師事。1976年(昭和51年)芸大在学中に芸大『メサイア』にてソプラノソロ。卒業時には、NHK新人演奏会やFMリサイタルに出演。1977年 - 1978年(昭和53年)米国サンフランシスコ音楽院に留学。レノアール・ホザックに英・独歌曲とオペラ等、レオポルド・シモノーに仏歌曲、特にベラ=ローザ(キリ=テ=カナワの師)から高く評価され、特別指導を受けた。東京芸術大学大学院修士修了。第一回奏楽堂日本歌曲コンクール第一位。 山田耕筰賞・木下記念金メダル受賞。
木場 澄江(こば すみえ)は、ソプラノ声楽家。 東京藝術大学… 木場 澄江(こば すみえ)は、ソプラノ声楽家。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒。二期会を経て、ウィーン国立音楽大学に留学。修学後は、演奏活動、多数CD録音の他、ミュンヘンでの「手工芸メッセ」では開幕に際し、ミュンヘン市長、クリスティアン・ウーデを始め、バイエルン州政治家他に日本歌曲を歌唱、また「札幌-ミュンヘンの姉妹都市交流」の日本代表を務める。 フランスのファッション雑誌「Marie claire」(マリ・クレール)2002年3月号(ドイツ、スイス、オーストリア版)に「ドイツで活躍する女性音楽家」として取り上げられ、2006年には、ドイツ開催のサッカーワールドカップ写真展「参加国の人々」„Faces - Peaceful Colours of Cultures“で日本人代表に選ばれ、2週間に渡りポツダム広場に大写真が掲げられた。