佐々木 すぐる(ささき すぐる、本名:佐々木 英、1892年… 佐々木 すぐる(ささき すぐる、本名:佐々木 英、1892年〈明治25年〉4月16日 - 1966年〈昭和41年〉1月13日)は、日本の作曲家。兵庫県高砂市出身。童謡をはじめとする2000曲もの楽曲を作曲し、中でも「月の沙漠」「お山の杉の子」が有名。三男の佐々木行綱は元童謡歌手、声楽家(バス)、音楽評論家、元山形大学教授。 兵庫県印南郡阿弥陀村魚橋(現・高砂市阿弥陀町魚橋)出身。元は士族であり、父親が郡役所に勤務する家庭に育つ。幼い頃に近所の住人から笛を貸してもらったことで、音楽に興味を抱く。しかし、家庭が貧しかったことから学費のことを考え、音楽学校ではなく姫路師範学校(現在の神戸大学の前身の一つ)へと進学。
古谷 幸一(ふるたに こういち、1891年5月18日 - 1… 古谷 幸一(ふるたに こういち、1891年5月18日 - 1951年)は、日本の作曲家。宝塚歌劇団理事。 1891年(明治24年)、山口県厚狭郡須恵村(現在の山陽小野田市)に生まれる。旧制山口国学院中学校へ進学したが中退、1907年(明治40年)より2年にわたり地元の尋常小学校訓導を務めた後、1909年(明治42年)に東京音楽学校器楽科へ入学し山田源一郎、パウル・ショルツらの師事を仰いだ。 1917年(大正6年)に東京音楽学校を卒業後、宝塚歌劇団に作曲家として加入を打診されたが辞退し第六高等女学校および浅草区柳北尋常小学校の教員を務める。1922年(大正11年)に5年越しの要請を受諾して宝塚歌劇団へ加入、宝塚音楽学校講師および劇伴の作曲家として昭和前期まで活動し、理事に至った。
柴田 知常(しばた ともつね、1891年(明治24年)3月2… 柴田 知常(しばた ともつね、1891年(明治24年)3月22日 - 1980年(昭和55年)1月20日)は、日本の音楽教育者、作曲家。東京市出身。東洋音楽短期大学初代学長、前東京音楽大学理事長。 1891年(明治24年)東京市生まれ。麹町小学校、東京府立第四中学校を経て、1916年(大正5年)東京音楽学校 (旧制)卒業。1927年(昭和2年)、東京市の視学制度により視学官としてアメリカ合衆国の教育事情を視察するために渡米。1951年(昭和26年)から東洋音楽学校校長を務めた。その後、東洋音楽短期大学発足に伴い、同大学の初代学長に就任。東京音楽大学に改組されてからは理事長を務めた。この間、日本音楽文化協会理事や上野学園大学教授、早稲田大学講師、東京芸術大学同声会会長などを歴任。
松島 彜(まつしま つね、1890年2月14日 - 1985… 松島 彜(まつしま つね、1890年2月14日 - 1985年10月9日)は、日本の作曲家、教育者。女子学習院教授、宝仙学園短期大学教授。 旧水戸藩士で裁判官を務めていた松島茂徳と米子の長女として、父の任地である山形県山形市に生まれる。1902年に福島県立福島高等女学校に入学。学業は優秀で音楽の成績が特に優れていたために、教師の大立目元子に音楽学校への進学を勧められる。1906年に女学校を卒業すると音楽学校受験のために上京し、東京市小石川区高田老松町の伯母(母の姉)の家に寄宿した。1907年に東京音楽学校予科に入学し、1908年に進学した同校本科器楽部ピアノ専攻で戸倉やまにピアノを、ヘルマン・ハイドリヒとルドルフ・ロイテルにピアノと作曲を師事して1911年に卒業。
船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎、1889年(… 船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎、1889年(明治22年)12月15日 - 1932年(昭和7年)12月22日)は、日本の声楽家(バリトン)、作曲家、音楽教育者。東京音楽学校声楽科主任教授。新字体で船橋栄吉と表記されることが多い。舟橋栄吉という表記もみられる。姓の読みを「ふなはし」としているものもある。 兵庫県明石市出身。2歳で父を失う。小学校卒業後、家業の旅館を手伝いながら独学し、小学校教員及び中等学校教員免許を取得。また母が長唄をよくしたことから、自身も音楽に関心を持つようになり、特に瀧廉太郎の『荒城の月』『箱根八里』などの唱歌を好んだ。やがて音楽を志して上京、東京帝国大学事務局で給仕として働く傍ら、外山國彦に師事。
杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月… 杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月5日 - 1952年(昭和27年)8月25日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者。本名は杉山 直樹(すぎやま なおき)。別名として杉山 長谷雄、杉山 はせをという表記も見られる。 愛知県名古屋市出身。1913年(大正2年)東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケル、ハインリヒ・ヴェルクマイスター、アレクサンドル・モギレフスキーらにヴァイオリンや作曲を師事した。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永、高勇吉、芝盂泰、多忠亮らと室内楽運動を展開。暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えた。
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889… 澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日)は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。 和歌山県有田市出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる。 テノール歌手として、日本で最初の四重唱団「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)。
信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月2… 信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月29日 - 1965年〈昭和40年〉8月1日)は、大正・昭和時代の日本の作曲家・音楽学者・チェロ奏者。大阪市出身。 牧師・吉岡弘毅(元津山藩士の外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として大阪市北区中之島に生まれ、幼少より賛美歌に親しんだ。大阪の市岡中学を経て、東京音楽学校器楽部および研究科器楽部でチェロを学んだ後、同科作曲部に移り、アウグスト・ユンケルに指揮法、ハインリヒ・ヴェルクマイスターにチェロと作曲、ルドルフ・ロイテルに対位法と和声学を師事する。東京音楽学校助教授を務めたのち、留学先のドイツでゲオルク・シューマンに師事、帰国後に東京音楽学校教授となる。
竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月… 竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月6日 - 1972年(昭和47年)4月14日)は、日本の作曲家、指揮者、チェロ奏者。帝国劇場附属洋楽部の初代楽長、宝塚少女歌劇作曲家、指揮者。 静岡県出身。1906年(明治39年)、静岡県立静岡中学校卒業。東京音楽学校卒業。チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスターに、音楽理論をアウグスト・ユンケルに学ぶ。1911年(明治44年)に新設された帝国劇場附属洋楽部の初代楽長として迎えられ、チェリスト、専任指揮者としてジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーとともに創成期のオペラ指導に尽力。1923年(大正12年)に起きた関東大震災を機に宝塚少女歌劇に移り、指揮者を務める。
園山 民平(そのやま みんぺい、1887年(明治20年)9月… 園山 民平(そのやま みんぺい、1887年(明治20年)9月4日 - 1955年(昭和30年)1月11日)は、日本の作曲家。島根県鳶巣村(現在の出雲市)出身。 1887年(明治20年)9月4日、島根県(現在の出雲市)に生まれる。東京音楽学校師範科でピアノと作曲を学び、1910年(明治43年)に同校を卒業後、宮崎高等女学校の音楽教師となった。1922年(大正11年)に満州へ渡り、教科書や副読本を発行する南満州教育会教科書編集部の職員となった。園山は当初編集部から大きな期待をかけられているようには感じなかったと述懐しているが、『満州唱歌集』の発行に携わり、自ら収録曲の作曲も行うなど満州唱歌の誕生に深く関与することになる。
中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月… 中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 - 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどがヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。 長野県下高井郡新野村(現・中野市)に生まれる。生家は名主、村長を出した旧家であったが父親の急死により落魄し、養蚕をする母親に女手一つで育てられ、長野師範学校講習科を修了後、1903年(明治36年)に尋常高等小学校の代用教員となる。
中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 … 中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 - 1931年(昭和6年)11月27日)は日本の作曲家、オルガニスト 、教育者。代表曲は「早春賦」であり、「日本の歌百選」に選ばれている。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 東京都出身で高嶺秀夫の奨めによって東京音楽学校に進み、甲種師範科および研究科卒業。東京音楽学校教授として音楽理論、オルガンを教えた。 また、大韓帝国皇太子に唱歌を教授する。1929年、大礼記念章を受章。父は旧会津藩士。妻は奥村土牛の従姉で、作曲家の中田一次は次男、中田喜直は三男。会津会会員。
鳥居 維(とりい つな、1886年4月11日 - 1966年… 鳥居 維(とりい つな、1886年4月11日 - 1966年9月14日)は、日本のヴァイオリニスト、作曲家、音楽教師。 愛知県出身。1906年7月に東京音楽学校本科器楽部を卒業。1909年9月に同校研究科器楽部ヴァイオリン専攻を修了した。安藤幸とアレクサンドル・モギレフスキーに師事。1906年9月から1944年3月まで東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン専攻の音楽教師を務め、1912年4月に教務嘱託、1919年4月に講師、1929年6月に助教授、1934年11月に教授となった。1930年から1941年まで同校管弦楽部員(ヴァイオリン)。大日本作曲家協会員および大日本音楽協会員。 邦楽に通じ、三味線楽譜の著作がある。
山井 基清(やまのい もときよ、1885年8月29日 - 1… 山井 基清(やまのい もときよ、1885年8月29日 - 1970年12月8日)は、日本の雅楽師、ヴァイオリニスト、ヴィオリスト、作曲家、音楽教師。 山井基万(もとかず)の三男として生まれる。1898年より宮内省式部職雅楽部楽生となり、式部職雇音楽教師ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ(1901年に来日)、安藤幸、アウグスト・ユンケルにヴァイオリンを師事する。楽生として左舞、笛、箏、ヴァイオリン、ヴィオラを担当した。1908年に東京音楽学校器楽科を卒業し、同年に式部職楽部楽手、1909年に楽師となる。1922年に長男の山井清雄(すみお)が生まれる。1922年に芝忠重とともにドイツに留学して1924年に帰国。
梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - … 梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - 1959年5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌市出身。
本居 長世(もとおり ながよ、1885年(明治18年)4月4… 本居 長世(もとおり ながよ、1885年(明治18年)4月4日 - 1945年(昭和20年)10月14日)は、日本の作曲家。数々の童謡で知られる。晩年は長豫と称した。 1885年(明治18年)東京府下谷区御徒町(現:東京都台東区)に生まれる。血の繋がりは無いが、国学者として著名な本居宣長の和歌山学党6代目に当たる。 母は並子、父は本居家の婿養子である国学者の雨宮干信(ゆきのぶ)。生後1年で母と死別。並子の死後、婿養子であった父は本居家に馴染めず、やむなく家を出たため、やはり国学者であった祖父、本居豊穎に育てられる。祖父の期待に反して音楽家を志すようになり、1902年(明治35年)東京音楽学校予科に入学。
小田島 樹人(おだしま じゅじん、1885年3月19日 - … 小田島 樹人(おだしま じゅじん、1885年3月19日 - 1959年10月11日)は、日本の作曲家。童謡『おもちゃのマーチ』の作曲者。本名は小田島 次郎(おだしま じろう)。「樹人」は俳号。鹿角市先人顕彰館、秋田県立博物館に展示がある。 1885年、秋田県鹿角郡花輪町(現鹿角市)で、当時の花輪郡長 小田島由義の次男として出生する。1899年、 岩手県立盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)に進学。一年上に石川啄木がいた。1904年、鹿児島県の第七高等学校造士館に進学するも、翌年に中退する。1914年、東京音楽学校器楽科(現東京芸術大学)を卒業。同窓に中山晋平、梁田貞らがいた。同年、東京都芝区の三光小学校に音楽教師として奉職した。
南 能衛(みなみ よしえ、1881年(明治14年) - 19… 南 能衛(みなみ よしえ、1881年(明治14年) - 1952年(昭和27年)5月17日)は、日本の音楽教育者・作曲家。『横浜市歌』などの作曲者として知られる。専門・担当はオルガン、楽理、和声論、音楽教授法、音楽通論。当時でいう唱歌編纂掛、楽語調査掛も務めた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
山本 正夫(やまもと まさお、1880年7月1日 - 194… 山本 正夫(やまもと まさお、1880年7月1日 - 1943年4月5日)は、日本の作曲家、音楽教育者。 1880年、兵庫県出石郡出石松ヶ枝町(現在の豊岡市出石町松枝)生まれ。東京音楽学校本科器楽部でヘルマン・ハイドリヒにピアノを師事し、1903年7月に卒業。卒業期にはラファエル・フォン・ケーベルとノエル・ペリ(英語版)の指導下で歌劇の研究をした。1903年から島根県師範学校に、1909年から東京府豊島師範学校に勤める。師範学校勤務の傍、多くの童謡唱歌や校歌を制作した。退職後の1937年に帝都学園女学校を設立。 1903年7月に日本初のオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』(旧東京音楽学校奏楽堂)に参加。
田中 銀之助(たなか ぎんのすけ、1880年(明治13年)5… 田中 銀之助(たなか ぎんのすけ、1880年(明治13年)5月18日 - 1947年(昭和22年)2月1日)は、大正、昭和と全国の高等女学校で採用される楽曲、現在でも歌い継がれている童謡唱歌、多くの校歌を作曲など、兵庫県を代表する作曲家。 養父郡大蔵村(現:朝来市)の雑貨商「やまとや」の長男として生まれ、大蔵小学校高等科を卒業後、同小学校の教員などをしていたが、後に退職して1902年(明治35年)、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)師範科へ入学した。 音楽学校を卒業した1905年(明治38年)に音楽教員として兵庫県立神戸高等女学校(現:神戸高校)に着任し、その後33年勤務した。当時、神戸高等女学校は開校4年目の学校(現在の兵庫県庁1号館の場所にあった)であり、田中は生徒への指導はもちろん、音楽教育や社会音楽の向上も常々考えていたが、生徒たちにとって発表の場となり、一般市民に音楽に親しんでもらえる場にもなる発表会を企画した。
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月2… 瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月24日 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の音楽家・ピアニスト・作曲家。 明治期における西洋音楽黎明期の代表的な音楽家の一人で、歌唱共通教材として「荒城の月」が知られている。戸籍名では旧字体の「瀧」を用いるが、現代の教科書などでは新字体の「滝」でも表記される。 1879年(明治12年)8月24日に、旧・日出藩士(現:大分県速見郡日出町)の瀧吉弘の長男として東京府芝区南佐久間町2丁目18番地(現:東京都港区西新橋)に生まれた。両親は吉弘と正子で、瀧家は江戸時代に豊後国日出藩の家老職を代々務めたいわゆる上級武士の家柄である。父・吉弘も日出藩の家老で1872年(明治5年)に上京し、大蔵省から内務省に転じて大久保利通・伊藤博文らの下で内務官僚として勤務したのち、地方官として神奈川県・富山県を経て大分県竹田市に移り住んだ。
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年〈明治11年〉2月1… 岡野 貞一(おかの ていいち、1878年〈明治11年〉2月16日 - 1941年〈昭和16年〉12月29日)は 、日本の作曲家 、教育者 、オルガニスト。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 鳥取県邑美郡古市村(現在の鳥取市)に、士族 岡野平也の子として生まれ、幼少期に実父を亡くし、貧困の中で育つ。鳥取高等小学校(現在の鳥取市立久松小学校)へ進学。同校には日本の音楽教育家・作曲家田村虎蔵も学年違いで在校していた。 1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。 東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の第2代校長である同郷の村岡範為馳が1892年に鳥取で行った講演に影響され、1895年には岡山の薇陽学院を中退し、上京して東京音楽学校に入学、1900年に専修部を卒業した。
福井 直秋(ふくい なおあき、1877年10月17日 - 1… 福井 直秋(ふくい なおあき、1877年10月17日 - 1963年12月12日)は、日本の作曲家、教育者。富山県中新川郡上市町出身。帝国音楽学校校長、武蔵野音楽大学創設者であり初代学長。 富山県中新川郡宮川村(現上市町)浄誓寺住職・福井智拓の五男として誕生。1899年に東京音楽学校へ進学し授業補助をしていた瀧廉太郎と出会う。声楽指導法や歌曲集編纂に尽力する。歌曲、器楽曲の創作に意欲を燃やして約1000曲の音楽作品を遺した。1904年長野師範学校教諭、1928年に第一次帝国音楽学校校長に就任。同年辞任し同校生徒らと共に、翌1929年に武蔵野音楽大学の前身である武蔵野音楽学校を創設し移籍する。1949年に新制大学の武蔵野音楽大学の初代学長に就任した。
島崎 赤太郎(しまざき あかたろう、1874年〈明治7年〉7… 島崎 赤太郎(しまざき あかたろう、1874年〈明治7年〉7月9日 - 1933年〈昭和8年〉4月13日)は、日本の作曲家、音楽教育者であり、オルガン奏者である。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 東京の築地(入船)に生まれた。父親の熊次郎は大工棟梁であったが、1886年(明治19年)ごろ、一家をあげてクリスチャンとなった。この父親は1890年(明治23年)の内国勧業博覧会にオルガンを出品していた。赤太郎は東京音楽学校(現・東京藝術大学)入学後、専修部でルドルフ・ディットリヒ、小山作之助らの元で学び、1893年(明治26年)に卒業。そのまま母校の助教となり、1901年(明治34年)には昭憲皇太后御前演奏を行っている。
田村 虎蔵(たむら とらぞう、1873年5月24日 - 19… 田村 虎蔵(たむら とらぞう、1873年5月24日 - 1943年11月7日)は、日本の音楽教育家、作曲家。 鳥取県岩美郡馬場村(現・岩美町馬場)に田村重蔵の6人兄弟の末子として出生。体が非常に強健であったことから虎蔵と命名されたとされる。 蒲生小学校、鳥取高等小学校(現・鳥取市立久松小学校)を経て、1892年鳥取県尋常師範学校を卒業。卒業後は因幡高等小学校(現・鳥取市立久松小学校)に赴任するが、同年9月に東京音楽学校に進学。1895年同校を卒業。兵庫県尋常師範学校を経て、1899年東京高等師範学校兼東京音楽学校助教諭。 言文一致唱歌を提唱し、納所弁次郎らと「幼年唱歌」(1900年)「尋常小学唱歌」などを編集。
北村 季晴(きたむら すえはる、1872年5月22日(明治5… 北村 季晴(きたむら すえはる、1872年5月22日(明治5年4月16日) - 1931年(昭和6年)6月17日)は、明治・大正期日本の作曲家、作詞家、演出家。東京府銀座出身。 明治5年4月16日(西暦1872年5月22日)、東京府銀座(東京市京橋区を経て現在の東京都中央区)に漢学者で14代将軍・徳川家茂の侍講を務めた北村季林・鉞夫妻の一子として生まれた。江戸時代前期の国文学者・北村季吟は7代前の先祖で、季晴は季吟から見て仍孫(じょうそん)に当たる。 父と親交のあったジェームス・カーティス・ヘボンが開設したヘボン塾の後身であるジョン・C・バラの築地大学校で学ぶ。その後、ヘボンが開校した明治学院に入学し、同級生となった島崎藤村と親交を結ぶが季晴に音楽の才能を見出したヘボンの薦めもあり学院を中退。
吉田 恒三 (よしだ つねぞう、1872年3月11日(明治5… 吉田 恒三 (よしだ つねぞう、1872年3月11日(明治5年2月3日) - 1957年(昭和32年)5月16日)は、日本の声明研究者、作曲家。福井県出身。 明治5年(1872年)敦賀県遠敷郡小浜鹿島町(現在の福井県小浜市鹿島)に生まれる。 明治27年(1894年)、福井師範学校(現・福井大学)卒業。 東京高等師範学校附属音楽学校師範科卒業。明治30年(1897年)福井師範学校附属小学校訓導を経て教諭となる(音楽科担当)。 明治34年(1901年)京都師範学校(現・京都教育大学)教諭となり、30年勤続。 浄土宗立仏教専門学校(現・佛教大学)講師。昭和25年(1950年)比叡山延暦寺に音律研究所を設立。
吉田 信太(よしだ しんた、1870年3月27日(明治3年2… 吉田 信太(よしだ しんた、1870年3月27日(明治3年2月26日) - 1954年12月24日)は、日本の音楽教師、作曲家。宮城県仙台市出身。1894年に東京音楽学校本科師範部卒業。横浜在住時にルドルフ・ディットリヒに師事。 東京音楽学校分教場、広島高等師範学校(1902年 - 1913年)、神奈川県立第一中学校、神奈川県立第三中学校、神奈川県立高等女学校、東京女子高等師範学校などで教鞭を執る。後に、神奈川県視学。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
多 梅稚(おおの うめわか、明治2年11月7日(1869年1… 多 梅稚(おおの うめわか、明治2年11月7日(1869年12月9日) - 大正9年(1920年)6月20日)は、日本の音楽教育者、作曲家、チェリスト。 明治2年、宮廷雅楽の家系である多家の次男として京都に生まれる。東京音楽学校へ進み、1892年年に専修部を卒業すると大阪府尋常師範学校(今の大阪教育大学)で教諭として勤務した。その最中の明治33年(1900年)に、作詞家大和田建樹に依頼され『鉄道唱歌』を作曲した。 このとき、大和田建樹は上眞行(「一月一日」などの作者で、この時東京音楽学校講師)にも作曲を依頼しており、上眞行は自分より格が劣るようだった多にも同時依頼したことを不快に思ったといわれるが、結局は勝つ自信があったため引き受けたといわれる。
楠美 恩三郎(くすみ おんざぶろう、1868年4月17日(慶… 楠美 恩三郎(くすみ おんざぶろう、1868年4月17日(慶応4年3月25日) - 1927年(昭和2年)10月8日)は、日本の作曲家、教育者。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。青森県弘前市出身。 弘前藩士、楠美晩翠の三男として生まれる。1889年(明治22年)、東京音楽学校師範部を卒業。1902年(明治35年)、東京音楽学校助教授、1910年(明治43年)〜1917年(大正6年)まで同教授として活躍し、日本の音楽教育に貢献した。 また、島崎赤太郎、岡野貞一、南能衛、上真行、小山作之助らとともに、文部省編『尋常小学唱歌』の作曲委員の一人として参加し、『尋常小学読本唱歌』の編纂にもたずさわった。
納所 弁次郎(のうしょ べんじろう、慶応元年9月24日(18… 納所 弁次郎(のうしょ べんじろう、慶応元年9月24日(1865年11月12日)- 昭和11年(1936年)5月11日)は、日本の作曲家、音楽教育家。「兎と亀」「おつきさま」「さるかに」「ももたろう」などの童謡や唱歌、日露戦争の事績を謳った軍歌などの作曲者として知られる。 幕臣納所重兵衛の四男、六人兄姉の末っ子として江戸の築地に生まれた。1880年(明治13年)頃、築地の東京一致英和学校(現在の明治学院大学)に入学。1883年(明治16年)2月に音楽取調掛に伝習生として入学。ピアノを鳥居忱、瓜生繁子、ギヨーム・ソーヴレーに、唱歌を上真行に学んだ。またこれ以前にヴィオラをフランツ・エッケルトから習っていたこともある。
小山 作之助(こやま さくのすけ、文久3年12月11日(18… 小山 作之助(こやま さくのすけ、文久3年12月11日(1864年1月19日) - 昭和2年(1927年)6月27日)は、日本の教育者・作曲家。日本教育音楽協会初代会長。 文久3年12月11日(1864年1月19日)越後国頸城郡潟町村(現在の上越市大潟区潟町)に生まれる。16歳で小学校を卒業した後、石油事業をしていた父の仕事を手伝うため高田町(のちの高田市、現在の上越市)へ移り住み、夜は漢学塾に通う生活をしていた。 1880年(明治13年)家人に無断で上京、大学予備門を経て築地大学(現在の明治学院大学)へ入学する。英語と数学を学び1883年(明治16年)2月、文部省音楽取調所に入学し、伊沢修二に師事。
吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の… 吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の作曲家、編曲家、作詞家。La Gauno所属。 東京芸術大学音楽学部器楽科バイオリン専攻を卒業。 ZAIN PRODUCTS所属を経て現在はLa Gaunoに所属している。
村澤 丈児(むらさわ じょうじ、5月14日 - )は、日本の… 村澤 丈児(むらさわ じょうじ、5月14日 - )は、日本の和楽器演奏家、作曲家。イタリア出身、福島県郡山市在住。 ニックネームは「和楽器マルチプレーヤー」。 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校邦楽科生田流筝曲専攻卒業。同大学卒業。安宅賞受賞、青山財団奨学生に選抜される。 卒業時、アカンサス音楽賞受賞、皇居内桃華楽堂にて御前演奏を務める。 同大学大学院音楽研究科修士課程修了。 大学院アカンサス音楽賞受賞。同大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。 宅地建物取引士・行政書士試験に続き、社会保険労務士試験も一回で合格 ドイツ各地にて演奏。
牧野 統(まきの おさむ)は、日本の音楽教育家、作曲家。声楽… 牧野 統(まきの おさむ)は、日本の音楽教育家、作曲家。声楽家で合唱指揮者の牧野美紀子は娘。弟子に作曲家で指揮者の荻久保和明がいるほか、門下から多くの音楽家、音楽指導者を輩出した。
大熊 崇子(おおくま たかこ)は、日本の作曲家。 埼玉県出身… 大熊 崇子(おおくま たかこ)は、日本の作曲家。 埼玉県出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。昭和60年度笹川賞合唱曲部門第1位受賞。東京芸術大学オペラ研究部非常勤講師。 ()内の人物は作詩者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
久米 由基(くめ ゆうき)は、日本の作曲家、ピアニスト。音楽… 久米 由基(くめ ゆうき)は、日本の作曲家、ピアニスト。音楽学校アムバックス講師。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。 特定のコンセプトを持ったイージーリスニングCDの楽曲の作曲・演奏といった活動の他、コナミのときめきメモリアル Girl's Sideのイメージアルバムへの楽曲提供といった活動も行っている。音楽ゲームブランド・BEMANIシリーズへの楽曲提供は「Q-Mex」というペンネームを使用している。 ※括弧内はゲームで表記される名義、初収録のゲーム名。表記の無いものは「Q-Mex」名義。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
志野 文音(しの あやね、Ayane Shino)は、日本の… 志野 文音(しの あやね、Ayane Shino)は、日本のギタリスト、作曲家、音楽教育者。博士(学術)。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。クラシック音楽を基盤に、アンビエントやエレクトロニカなどジャンルを横断する演奏・制作活動を行う。国立音楽大学非常勤講師、日本ジュニア・ギター教育協会副会長、日本・スペインギター協会理事。 兵庫県出身。幼少期よりギター・ピアノを学ぶ。東京藝術大学音楽環境創造科に進学し、安宅賞を受賞。卒業時にはアカンサス音楽賞を受賞し、同科を首席で卒業した。その後、同大学大学院博士後期課程を修了し、博士号(学術)を取得。研究テーマは「クラシックギターにおける奏法の違いによる音色印象の変化」で、日本音響学会誌などに論文を発表している。
松尾 早人 は、日本の作曲家、編曲家。千葉県出身。東京芸術大… 松尾 早人 は、日本の作曲家、編曲家。千葉県出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。イマジン所属。
松岡 美弥子(まつおかみやこ)は、作曲家・ピアニスト・キーボ… 松岡 美弥子(まつおかみやこ)は、作曲家・ピアニスト・キーボーディスト・音楽プロデューサー。 大阪府出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学院音楽文化学専攻音楽音響創造領域修了。 作曲家としてゲーム・アニメ・ドラマ・TV・映画・舞台等の音楽を多数手がけ、アーティストへの楽曲提供も行うなど幅広いジャンルで活動する。またピアニスト・キーボーディストとして、様々なアーティストのライブやレコーディングにも参加。「未来古代楽団」「TOYSPARK」メンバー。
松本 望(まつもと のぞみ)は、日本の作曲家、ピアニスト。 … 松本 望(まつもと のぞみ)は、日本の作曲家、ピアニスト。 北海道出身。国立音楽大学ピアノ科、洗足学園音楽大学作曲科の非常勤講師。 北海道札幌北高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修士課程作曲専攻を修了。2006年にフランスに渡り、パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科を審査員の満場一致により首席卒業。この間、作曲を土田英介、尾高惇忠に、ピアノを三角祥子、北島公彦、浜口奈々、エリック・ベルショに、伴奏法をジャン・ケルネルに師事。 2003年、東京文化会館主催合唱作品作曲コンクールで『混声合唱組曲「あなたへ」』が最優秀賞を受賞し、同作品が出版される。これ以降も自作の合唱組曲や編曲作品が出版され、全国の合唱団に歌われている。
山下 祐加(やました ゆか)は、日本の作曲家。主に合唱曲を手… 山下 祐加(やました ゆか)は、日本の作曲家。主に合唱曲を手がけている。 1987年、東京都生まれ。 2006年に千葉県立東葛飾高等学校を卒業。 東京芸術大学音楽学部作曲科を経て、同大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。 作曲を尾高惇忠、日野原秀彦に、音楽理論を森垣桂一、野田暉行、林達也に師事。 2011年6月、大学内にて新作オラトリオ「李陵」を初演。 都留文科大学愛唱歌、取手市立取手西小学校校歌を作曲。
荻野 清子(おぎの きよこ)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニ… 荻野 清子(おぎの きよこ)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。 東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。フェイス音楽出版所属。音楽ユニット「管鍵"樂団!?」(かんげんがくだん)メンバー。 ミュージカルやコンサートにピアニストとしても参加している。 神奈川県藤沢市に生まれ、父の転勤に伴う転居により北九州市、高松市を経て、横浜市にて育つ。 両親の影響で幼いころより映画音楽に親しみ、楽器店の店頭でエレクトーンと出会って4歳よりヤマハ音楽教室の幼児科に通い始める。作曲のレッスンを通じて小学3年生ころには作曲も始め、ジュニアオリジナルコンサート(JOC)にも出演。JOC特別講師の影響もあって作曲の道を志し、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校へ進学後に本格的にピアノを始める。
アベ タカヒロは、日本の作曲家、編曲家。 神奈川県横須賀市出… アベ タカヒロは、日本の作曲家、編曲家。 神奈川県横須賀市出身。16歳でピアノと作曲を本格的に始める。東京芸術大学音楽学部作曲科を卒業。作曲を尾高惇忠、加羽沢美濃に、ピアノを加羽沢竹美、青柳晋に師事。 2007年(平成19年)群馬県富岡市主催の第20回かぶらの里童謡祭作品公募で最優秀賞を受賞。
淡海 悟郎(おうみ ごろう)は、日本の作曲家、編曲家、キーボ… 淡海 悟郎(おうみ ごろう)は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザー奏者、スタジオ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、実業家。本名、松井 拓。 1966年、開成高校卒業。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を石桁真礼生に、ピアノを水谷達夫に師事した。東京芸術大学在学中にミュージカル『白い川』を作曲した。本作の歌唱と演技に対し森田克子が1971(昭和46)年度第26回文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞を受賞した。卒業後、淡海悟郎とミクロコスモス、ミノタウロス、淡海悟郎&ビッグ・マウスなどのリーダーを経て主に作編曲家として活動した。 日本におけるシンセサイザー・プログレッシブ・ロック・ミュージックの草分けであるとともにクラシック音楽にも造詣が深く、ポップスから児童音楽、劇伴に至るまで多方面で活動した。
大田 桜子(おおた さくらこ)は、日本の作曲家、編曲家。 神… 大田 桜子(おおた さくらこ)は、日本の作曲家、編曲家。 神奈川県出身。東京藝術大学音楽学部作曲科、同大学院音楽研究科作曲専攻卒業。 尚美学園大学音楽表現学科非常勤講師を経て、2025年現在は、フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科准教授及び、鎌倉女子大学児童学研究科教授を務める。 混声合唱組曲『炎への讃歌』(作詞 山本瓔子) 混声合唱組曲『みんなを好きに』(作詞 金子みすゞ) 混声合唱組曲『私がいちばん大切にしたいもの』(作詞 星野富弘) 混声合唱組曲『母の手』(作詞 星野富弘) 混声合唱とピアノのための『歌はどこから』(作詞 みなづきみのり) 混声合唱組曲『シルクロードの詩』(作詞 大田倭子) 混声合唱組曲『アジアの五つのスケッチ』(作詞 大田倭子) 少年少女のための合唱組曲『のびる』(作詞 大田倭子) まど・みちおの詩による女声と子どものための合唱組曲『うたを うたうとき』(作詞 まど・みちお) 少年少女のための合唱組曲『地球のかぞく』 無伴奏女声合唱のための『初恋』(作詞 島崎藤村) 女声合唱とピアノのための『花束をあなたに』(作詞 金沢智恵子) 女声合唱とピアノのための『花の詩』(作詞 金沢智恵子) 女声合唱組曲『ねこに こばん』(作詞 まど・みちお) 女声合唱とピアノのための『この世でいちばんやさしい歌』(作詞 新川和江)
小森 俊明(こもり としあき)は、日本の作曲家、編曲家、ピア… 小森 俊明(こもり としあき)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。 神奈川県横浜市出身。幼少時よりスズキメソードにてピアノを学ぶ。10歳の時にオーケストラと共演。 東京藝術大学作曲科を経て同大学院作曲専攻修了。 2010年に個展(トーキョーワンダーサイト主催)を開催。 2011年に「ヒバリ 震災義援音楽配信プロジェクト」にて世界100人の作曲家の一人として現代音楽ユニットmmm...(Fl.間部令子、Vn.三瀬俊吾、Pf.大須賀かおり)に楽曲を提供し、ネット配信される。 2013年3月まで桐朋学園大学非常勤講師を務める。 2015年に永井清治、河合孝治とフリー・インプロヴィゼーション・ユニット「空観無為」を結成。
志田 笙子(しだ しょうこ)は、日本の作曲家。ジャンルは現代… 志田 笙子(しだ しょうこ)は、日本の作曲家。ジャンルは現代音楽、舞台音楽、ダンスミュージック。ドイツを拠点にフリーランスの作曲家として活動。作品は、ヨーロッパを中心に、アメリカ、日本、台湾など世界各地の音楽祭で演奏されている。 静岡県出身。静岡県立静岡高等学校卒業。東京藝術大学作曲科卒業。愛知県立芸術大学音楽科、及びフェリス女学院音楽学部において講師、その後、台北市の中国文化大学音楽学科などで教授を務めた。1980年よりケルンに移住しフリーランス。これまでに、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習、ヴィッテン現代音楽祭、ボスヴィール音楽祭、ケルンタンツフォールム、ACL香港、ローマ、ザールブリュッケン現代音楽祭、MDRサマーフェステイバル、アースエレクトロニカ、またアメリカ、台湾、日本で演奏され、特にヨッヘン・ウルリッヒ振付によるオルフェウス(ジャン・コクトーの生涯)はヨーロッパ各地のダンスフェステイバルなどで40回以上にわたって上演されている。
高田 龍一(たかだ りゅういち、本名同じ)は、日本の作曲家、… 高田 龍一(たかだ りゅういち、本名同じ)は、日本の作曲家、編曲家。MONACA所属。東京都出身。 高橋裕に指導を受けた後、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学。尾高惇忠、三善晃、松尾祐孝に師事した。卒業後に株式会社ナムコ(現:株式会社バンダイナムコゲームス)にサウンドクリエイターとして所属し、『ソウルキャリバー』シリーズ、『鉄拳』シリーズ、『リッジレーサー7』などの楽曲制作に関わった。 2009年にナムコを退社し、MONACAに所属する。以降、ゲームミュージックに加えアニメーションの劇中音楽や主題歌の作編曲を数多く手がけている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
田川 文彦(たがわ ふみひこ、Fumihiko Tagawa… 田川 文彦(たがわ ふみひこ、Fumihiko Tagawa)は、日本の作曲家、編曲家。長崎県出身。原博に作曲を師事。東京芸術大学卒業。 現代音楽、ポップス等、ジャンルにとらわれないスタイルである。日本のほとんどの商業音楽を好んでいない。母親は元音楽教諭であった。 2012年、Beerersという芸大卒業生の音楽ユニットを加藤俊彦と組み、作曲、ピアノ、キーボード、を担当している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。