唐澤 一路(からさわ かずみち、1982年5月10日 - )… 唐澤 一路(からさわ かずみち、1982年5月10日 - )は、日本の男優、映画プロデューサー、株式会社カッシー代表取締役社長。長野県出身。 川越東高等学校、東京電機大学理工学部卒業。理工学研究科修士課程修了。 2008年、映画『20世紀少年』のエキストラに参加したことがきっかけで撮影現場に足を運びだす。 2015年、関西テレビ『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』にて「ネガティブ男の唐澤くん」として特集、シリーズ化された。 2019年、株式会社カッシーを設立。 2025年、TBS『マツコの知らない世界』 「40代からの婚活の世界」婚活男性として出演した動画がSNSで拡散される。
鯉沼 久史(こいぬま ひさし、1971年10月2日 - )は… 鯉沼 久史(こいぬま ひさし、1971年10月2日 - )は、日本のゲームクリエイター、実業家。千葉県出身。コーエーテクモホールディングス代表取締役社長執行役員CEO、コーエーテクモゲームス代表取締役社長兼COO。 國學院大學栃木高等学校を経て、東京電機大学理工学部情報科学科を卒業。1994年に光栄(当時)に入社し、プログラマーを経て、『戦国無双シリーズ』や『ガンダム無双シリーズ』などのコラボレーション作品などのプロデューサーを担当する。就職活動でコーエーを志望したのは、「ゲーム業界の中でも財務が安定していて、将来性のある会社に行きたい」「コーエーは、一部上場の会社に比べて規模では見劣りするかもしれないが、財務指標もよくて、余剰金もしっかりある」との独自の分析による。
尾崎 憲一(おざき けんいち、1967年2月1日 - )は日… 尾崎 憲一(おざき けんいち、1967年2月1日 - )は日本の実業家。 日本国内初の個人向けインターネットプロバイダ「ベッコアメ・インターネット」を設立 当時は高額な専用線を引ける企業や大学でしかインターネットを利用することができなかったものを個人向けの商品として開発したことは、日本のインターネットの歴史においても非常に重大な出来事となった。 現在のプロバイダーサービスの基本となった数々のサービスを開発・提供し続け、独立系プロバイダとしては国内最大手にまで拡大させた業界のオピニオンリーダー的存在。 1998年以前 ランボルギーニの自動車を2台買ったが2台とも動かず、新しく買ったイタリア車も壊れたと語っている。
荒川 亨(あらかわ とおる、1959年(昭和34年)2月1日… 荒川 亨(あらかわ とおる、1959年(昭和34年)2月1日 - 2009年(平成21年)10月23日)は、日本の実業家、システムエンジニア、株式会社ACCESS創業者。 1959年(昭和34年)2月1日、千葉県に生まれる。1977年東京電機大学工学部電気通信工学科入学、逝去後東京電機大学卒業認定。小学校時代から電子工作が好きで、中学生の時にはラジオだ、アンプだ、といろいろなものを作りその後はアマチュア無線を始めた。高校時代から大学を通じてアマチュア無線部所属。大学では無線部とともに体育会系舞踏研究部に所属、頭角を現した。この頃、TI社の論理回路ICが普及し始めた。100円も出せばICが買えて、論理回路が作れた。
平野 聡(ひらの さとし、1957年(昭和32年)12月12… 平野 聡(ひらの さとし、1957年(昭和32年)12月12日 - )は、日本の実業家、経営者、JVCケンウッド社外取締役。トプコン代表取締役を務めた。 1957年(昭和32年)12月12日、福岡県に生まれる。北九州市立清水小学校 、北九州市立篠崎中学校、大分県立中津北高等学校を経て、1982年(昭和57年)3月東京電機大学理工学部卒業。同年4月東京光学機械(現・トプコン)入社。 1996年(平成8年)4月にTopcon Laser Systems,Inc.副社長に就任。2001年(平成13年)7月にはTopcon Positioning Systems,Inc.上席副社長に就任するなど、主に海外営業畑を歩いた。
鈴木 義伯(すずき よしのり、1949年(昭和24年)1月1… 鈴木 義伯(すずき よしのり、1949年(昭和24年)1月19日 - )は、日本の実業家、日本郵便元専務執行役員、東京証券取引所元常務取締役最高情報責任者。 1949年(昭和24年)1月19日、福島県相馬郡新地町に生まれる。1972年(昭和47年)東京電機大学工学部電子工学科卒業後、日本電信電話公社(現・NTT)に入社。 1988年(昭和63年)NTTデータに移り、金融システム担当部長に就任。リージョナルバンキングシステム事業本部長などを経て、 2005年(平成17年)NTTデータフォース株式会社代表取締役社長に就任。 2006年(平成18年)東京証券取引所執行役員に就任し、同社常務取締役 最高情報責任者(CIO)に就任。
沼野 恵一(ぬまの けいいち、1947年7月5日 - )は、… 沼野 恵一(ぬまの けいいち、1947年7月5日 - )は、日本の経営者。相模鉄道社長を務めた。神奈川県出身。 1970年に東京電機大学工学部を卒業し、同年に相模鉄道に入社。1998年6月に取締役に就任し、2001年に常務を経て、2009年9月に社長に就任。2011年6月に社長を退任。
加藤 修一(かとう しゅういち、1946年4月7日 - )は… 加藤 修一(かとう しゅういち、1946年4月7日 - )は、日本の実業家。元ケーズホールディングス代表取締役会長兼CEO。現在はケーズホールディングス名誉会長および相談役 茨城県水戸市で、加藤馨の長男として生まれる。1969年東京電機大学工学部電気通信工学科卒業後、加藤電機商会入社。 1973年代表取締役専務。1982年から父の後を受けカトーデンキ販売代表取締役社長に就任。 1997年11月に株式会社ケーズデンキに商号変更。2011年に社長を辞して会長兼CEOに就任するまで64期連続となる増収を達成した。 従業員を第一に考え、無理な成長を目指さない「がんばらない経営」を標榜し、M&Aなどを進めてケーズホールディングスを家電量販店大手に拡大させた。
神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5… 神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5日 - )は、日本の実業家、経営者、マクニカ創業者、マクニカホールディングス名誉会長、神山財団理事長。 秋田県湯沢市生まれ。1969年(昭和44年)3月に東京電機大学工学部第二部電子工学科を卒業。1964年4月日本レミントン・ユニバック株式会社(現・BIPROGY株式会社)、1967年4月株式会社三ツ波、1972年4月インターニックス株式会社を経て、1972年(昭和47年)にジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1972年(昭和47年)10月 ジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1975年(昭和50年)02月 株式会社マクニカ 代表取締役社長就任。
高橋 誠一(たかはし せいいち、1945年5月28日 - )… 高橋 誠一(たかはし せいいち、1945年5月28日 - )は、日本の実業家。三光ソフランホールディングスや、メディカル・ケア・サービスの創業者。元日本賃貸住宅管理協会副会長。 埼玉県大宮市(現・さいたま市)に生まれる。1969年(昭和44年)東京電機大学工学部電気工学科卒業。埼玉県で家業の米穀業に従事したのち、1972年高橋建設を創業。 1975年(昭和50年)三光不動産(現・三光ソフランホールディングス)を設立し、同社代表取締役社長に就任。1999年(平成11年)メディカル・ケア・サービス設立、同社取締役就任。 2002年(平成14年)メディカル・ケア・サービス代表取締役会長。2005年メディカル・ケア・サービス取締役会長。
鈴木 孝夫(すずき たかお、1943年(昭和18年) - )… 鈴木 孝夫(すずき たかお、1943年(昭和18年) - )は、日本の実業家、経営者、SECエレベーター創業者で、同社代表取締役会長。 岩手県平泉町に生まれる。東京電機大学電機学校卒業後、菱電サービス(現・三菱電機ビルテクノサービス)に入社、エレベーター関連の技術者として3年間勤務する。1967年(昭和42年)同社の下請け事業主として東京都杉並区を拠点に独立・創業する。 1970年(昭和45年)有限会社鈴木エレベーター工業として会社設立、本社を渋谷区神南に置く。1978年(昭和53年)社名をエス・イー・シーエレベーター株式会社に変更、代表取締役社長に就任。 独立後は下請けとして保守管理をメインとし、工事関係も請け負った。
野澤 宏(のざわ ひろし、1942年5月17日 - )は、日… 野澤 宏(のざわ ひろし、1942年5月17日 - )は、日本の実業家。富士ソフト株式会社創業者で、同社代表取締役を務めた。 東京都世田谷区で電気屋の子として生まれる。神奈川県立平塚江南高等学校を経て、1966年東京電機大学工学部電子工学科卒業、大明電話工業(現ミライト)入社。 しかし、会社務めが「肌に合わず」、1967年に日本電子工学院(現日本工学院専門学校)電子計算部講師となる。 1970年横浜市左近山団地の自宅で富士ソフトウエア研究所(現富士ソフト)を設立、同社取締役に就任。1973年から代表取締役社長。 1998年には東京証券取引所1部に上場を果たした。2001年代表取締役会長。2004年代表取締役会長兼社長。
古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月… 古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月26日 - 2018年(平成30年)7月6日)は、日本の実業家、ソディック創業者。自ら創業したソディックを一代で放電加工機の世界大手企業に育てあげた。 岡山県倉敷市の出身。東京電機大学電機学校卒業後。1976年(昭和51年)8月株式会社ソディック創業と同時に代表取締役社長に就任。1990年(平成2年)6月株式会社ソディック代表取締役会長に就任。2003年(平成15年)2月株式会社ソディックハイテック取締役会長に就任。2013年(平成25年)3月、母校の東京電機大学から名誉博士の称号を授与される。 2015年(平成27年)4月旭日小綬章を受章。
石川 明(いしかわ あきら、1937年(昭和12年)8月12… 石川 明(いしかわ あきら、1937年(昭和12年)8月12日 - 2004年(平成16年)3月30日)は日本の実業家。 1937年(昭和12年)8月12日千葉県野田市に生まれる。1960年3月に東京電機大学工学部電気通信工学科(現・情報通信工学科)を卒業後、同年4月チッソに入社、半導体向けシリコン材料の生産・検査などを4年ほど担当する。 しかし集積回路の考案者であるジャック・キルビーがいたテキサス・インスツルメンツにあこがれ、日本テキサス・インスツルメンツに転職し、生産技術の革新、工場の立ち上げ、組合運動への対応等の実績を残す。 その後本社副社長兼日本テキサス・インスツルメンツの社長として国際提携を担当、売上高にして年間1000億から1500億円の事業を毎年一つずつ立ち上げた。
山保 太郎(やまほ たろう、1937年5月21日- )は、… 山保 太郎(やまほ たろう、1937年5月21日- )は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。東京都出身。 1960年に東京電機大学工学部を卒業。電源開発での勤務を経て、2004年3月に三井鉱山社長に就任。2007年4月に取締役相談役に就任。
渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14… 渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14日 - 2009年(平成21年)5月9日)は、日本の実業家、経営者、中央化学創業者。 1928年(昭和3年)7月14日、山梨県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、1957年(昭和32年)東京都板橋区蓮沼町において、プラスチック製ジュース壜(びん)の製造を開始。 その後、1959年(昭和34年)に有限会社三和樹脂工業所を設立し、ポリエチレン樹脂製の醤油・ソース壜(タレビン)を開発、製造。 1960年(昭和35年)東京都板橋区清水町において、有限会社南部化成を設立し、本格的にタレビンの製造を開始。1961年(昭和36年)埼玉県鴻巣市において、中央化学株式会社を設立。
手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 … 手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 - 2013年(平成25年)6月14日)は、日本の技術者、実業家、経営者、名誉博士、元スタンレー電気代表取締役社長。 1925年(大正14年)愛知県に生まれる。東京電機大学工学部第二部電気工学科卒業後、アイヒッツ研究所代表取締役社長、神奈川科学技術アカデミー研究顧問、公文教育研究会取締役、スタンレー電気技術研究所所長、スタンレー電気代表取締役社長を歴任。 液相式高輝度赤色LEDの開発・実用化やG.H型フルカラーLCD技術の開発・実用化の功績で知られる。 その他、大河内記念技術賞を2回受賞
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日… 福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。 千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。 戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。
大嶽 俊郎(おおたけ としろう、1914年 <大正3年> 1… 大嶽 俊郎(おおたけ としろう、1914年 <大正3年> 11月23日 - 1998年 <平成10年> 2月1日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。静岡県出身。位階は正五位。 1932年に東京電機学校を卒業し、同年に小糸製作所に入社。 1961年に取締役に就任し、1968年に常務、1972年に専務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。1985年6月から1992年7月までに会長を務めた。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲三等瑞宝章を受章。。 1998年2月1日糖尿病性昏睡のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29… 内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29日 - 1996年(平成8年)2月18日)は、日本の技術者、実業家、経営者、株式会社コロナ創業者。内田力は長男。 1904年(明治37年)新潟県三条市に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、20歳の時には逓信省電気事業主任技術者の資格を取得。その技術と知識を生かすべく富山電気(現・北陸電力)へ入社。 入社後4年程で、父に呼び戻され家業であるガソリンコンロの販売を手伝うようになる。家業は順調に進み、販売や修理を通して、燃焼効率や操作性などコンロの様々な改良点を発見した鐡衛は、徐々に自分のアイデアを活かしたコンロを自らの手で作り上げたいという思いを強めていく。
円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年〈明治34年〉7月7… 円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年〈明治34年〉7月7日 - 1970年〈昭和45年〉1月25日)は、日本の特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、株式会社円谷特技プロダクション(現在の円谷プロダクション)の初代社長。福島県岩瀬郡須賀川町(現在の須賀川市)出身。本名は圓谷 英一(つむらや えいいち)。 昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから、特撮の神様とも呼ばれる。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史と重なっている。 一家は全員カトリック教徒で、英二の洗礼名はペトロ。
谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 196… 谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 1968年4月20日)は、日本の実業家、政治家、教育者、発明家。 株式会社新興製作所の創業者、谷村学院専門学校および谷村学院高等学校(現・花巻東高等学校)創立者。参議院議員2期、自由民主党岩手県連会長、岩手県政顧問、岩手県経営者協議会長、岩手県体育協会会長などを歴任。テレプリンターの開発により技術立国の礎を築き「みちのくの電信王」などと呼ばれ、地元の産業振興・発展に貢献した。 岩手県稗貫郡新堀村(後の石鳥谷町、現・花巻市)出身。1916年に神田の電機学校(現・東京電機大学)を卒業後、逓信省へ入省。約10年間勤務した後、民間会社へ転職。 自立自営の志を叶えるべく、1937年6月東京市蒲田区(現・東京都大田区蒲田)に旧陸海軍指定管理工場である新興製作所を設立。
戸上 信文(とがみ のぶふみ、1895年(明治28年)5月1… 戸上 信文(とがみ のぶふみ、1895年(明治28年)5月13日 - 1967年(昭和42年)8月9日)は、日本の技術者、実業家、経営者、戸上電機製作所創業者、日本タングステン創業者。 1895年(明治28年)熊本県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、佐賀市の日本電機鉄工(製麺機の発明で知られる真崎照郷が設立した真崎鉄工場から製麺機以外の電気機械や高圧タービンポンプ部門を引き継いだ企業。社長は藤山雷太。真崎照郷も相談役に就任していた。)の技師時代に自動開閉器配電装置を開発したことで1919年(大正8年)に自動開閉器部を社内に設える事となり、これが戸上電機の源流となった。 1923年(大正12年)に交流電磁石実用化を契機に、1本の回線から昼間線と夜間線を自動的に切り替える「戸上式自動配線装置」と呼ばれる配電装置を考案した。
横河 一郎(よこがわ いちろう、1885年(明治18年) -… 横河 一郎(よこがわ いちろう、1885年(明治18年) - 1938年(昭和13年)6月2日)は、日本の通信事業経営者、株式会社横河電機製作所(現・横河電機)初代取締役社長。 日本を代表する建築家である横河グループ創業者・横河民輔の甥。父の横河震八郎は横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)の取締役を務めた。 1885年(明治18年)生まれ。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、逓信省電気試験所に入所。当時、建築の設計監督を行っていた叔父である横河民輔から電気が民間にも行渡る時代が到来することを予見した話を聞き、将来日本では電気計測器が必要であると考えた。 1912年(明治45年)民輔の勧めによりドイツに留学。