佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 199… 佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 1991年4月17日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)・衆議院議員(6期)。新潟県中蒲原郡亀田町(現新潟市)出身。東京農業大学卒業。従三位勲一等瑞宝章。父は衆議院議員・参議院議員と務めた佐藤芳男、子は新潟県議会議員の佐藤純。 1949年東京農業大学農学部農業経済学科卒業後、農林中央金庫に入り、後に農林漁業金融公庫に移る。退社後は父・芳男の秘書を経て、1967年の衆議院議員総選挙に旧新潟2区から無所属で出馬したが落選。しかし同年8月に父が災害で急死し、それを受けて行われた参議院議員補欠選挙に新潟選挙区から自民党公認で出馬し初当選。
鹿熊 安正(かくま やすまさ、1927年(昭和2年)1月9日… 鹿熊 安正(かくま やすまさ、1927年(昭和2年)1月9日 - 2019年(令和元年)6月2日)は、日本の政治家。元・富山県議会議員、同議長。元・自由民主党・参議院議員(2期)。安倍派。元・県スキー連盟会長。元・小川温泉社長。 富山県下新川郡山崎村(現・朝日町)出身。鹿熊久安の息子。東京農業大学卒業。 1959年(昭和34年)、県庁職員を経て富山県議会議員当選。以後8期務める(下新川郡選挙区)。自民党県連幹事長、県議会議長を歴任。 1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙富山県選挙区初当選。 1992年(平成4年)、宮澤改造内閣で通商産業政務次官に就任。 1994年(平成6年)、村山内閣で郵政政務次官に就任。
吉沢 正五(よしざわ しょうご、1922年 <大正11年> … 吉沢 正五(よしざわ しょうご、1922年 <大正11年> 6月24日 - 1994年 <平成6年> 11月18日)は日本の政治家。白根市(現・新潟市)長(6期)。土地家屋調査士。位階は従五位。 新潟県出身。1942年東京農業大学農業土木技術員養成所卒。翌年兵役に就いた。戦後は新潟県中蒲原郡庄瀬村(のち白根市、現・新潟市)農地委員会、長岡市農林課、新潟県農業会議などに勤務する。1961年白根市長に当選。市長在職中は上下水道や都市ガスの整備、保育や教育施設の充実、農村総合整備モデル事業や大圃馬整備事業を推進した。市長を1985年までの6期24年務めた。1994年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
國分 保男(こくぶん やすお、1918年(大正7年)9月22… 國分 保男(こくぶん やすお、1918年(大正7年)9月22日 - 2010年(平成22年)4月8日)は、日本の政治家。岩手県二戸市長(5期)。 岩手県二戸郡福岡町(現・二戸市)出身。1941年、東京農業大学農学部卒。農林省に入り、その後、岩手県庁に転じ、1953年、岩手県厚生部二戸福祉事務所所長となる。1960年、岩手県福岡町長に当選。3期務め、1972年、福岡町は金田一村と合併、二戸市となり、これに伴う市長選挙に立候補し、当選した。二戸市長を5期務め、1992年の市長選挙にも立候補したが、元環境庁職員の小原豊明に敗れた。2010年4月8日午後5時、肺炎のため二戸市内の病院で死去、91歳。死没日をもって従七位から従四位に叙される。
岸 伊一郎(きし いいちろう、1918年〈大正7年〉3月11… 岸 伊一郎(きし いいちろう、1918年〈大正7年〉3月11日 - 1984年〈昭和59年〉11月14日)は、日本の政治家、地主。山形県議会議員(自民党)。山形県最上郡金山町長。山形県土地改良事業団体連合会長。泉田川土地改良区理事長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 山形県最上郡金山町出身。1939年、東京農業大学卒業。金山町長を経て1963年、山形県議会議員に当選。1973年3月23日に山形県議会議長(第9代)に就任し、1975年4月29日に退任する。1984年11月死去。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。 趣味は読書、釣り。住所は山形県最上郡金山町大字金山。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
金丸 信(かねまる しん、1914年〈大正3年〉9月17日 … 金丸 信(かねまる しん、1914年〈大正3年〉9月17日 - 1996年〈平成8年〉3月28日)は、日本の政治家。 衆議院議員(12期)、副総理、民間活力導入担当大臣、防衛庁長官(第35代)、建設大臣(第34代)、自由民主党副総裁、自由民主党幹事長(第26代)、自由民主党総務会長(第27代)、自由民主党国会対策委員長(第16、24代)を歴任した。 1914年(大正3年)9月17日、山梨県中巨摩郡今諏訪村(後の白根町、現在の南アルプス市)の造り酒屋を営む地主の家に長男として生まれる。父は金丸康三、母はとくで信は長男。祖父は山梨交通電車線のルーツ甲府電車軌道の中心的人物であった金丸宗之助。叔父には県会議長などを務めた小宮山清三がいる。
中島 茂喜(なかしま しげき、1909年(明治42年)2月1… 中島 茂喜(なかしま しげき、1909年(明治42年)2月11日 - 1973年(昭和48年)11月26日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党所属の元衆議院議員(10期)。 福岡県生まれ。1933年(昭和8年)東京農業大学農学部卒業。福岡県会議員、朝倉郡金川村(後の甘木市、現在の朝倉市)長などを経て、1946年(昭和21年)衆議院議員に初当選。以来当選10回。国会内では裁判官訴追委員会委員長、衆議院国土計画委員長、同内閣委員長などを歴任し、第1次岸改造内閣で自治政務次官に就任した。自由民主党内では地方行政部会長、財務委員長、代議士会長などを務めた。1972年(昭和47年)の総選挙で落選。
李 炳瑾または李 炳瓘(イ・ビョングァン、朝鮮語: 이병관、… 李 炳瑾または李 炳瓘(イ・ビョングァン、朝鮮語: 이병관、1908年2月20日 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。元金泉市長、初代(制憲)韓国国会議員。 李 炳瑾では、読みはイ・ビョングン(이병근)となる。また、李 秉瓘、李 柄瑾、李 丙瓘という表記も見られる。 現在の慶尚北道金泉市出身。1933年に東京農業大学専門部農科卒業後、師範学校、中学校、専門女学校農業科の教員免許を取得。1939年に朝鮮総督府に入り、穀物検査の助手、技手などを務めたほか、穀物検査所釜山密陽出張所にも勤務した。 光復直後は鳳山面長を務めた。1948年の制憲国会議員選挙で金泉乙区に無所属で出馬し、無投票当選となったが、1950年の第2代総選挙では落選した。
杉浦 彦衛(すぎうら ひこえ、1904年(明治37年)5月2… 杉浦 彦衛(すぎうら ひこえ、1904年(明治37年)5月28日 - 1980年(昭和55年)9月13日)は、日本の政治家。愛知県安城市長(3期)、愛知県議会議員(2期)、安城町議会議員(安城市議会議員)(1期)などを歴任した。位階は従五位。 愛知県出身。福釜信用組合の前身である報恩社の設立者、杉浦彦次(ひこじ)の長男として生まれた。愛知県立安城農林高等学校卒業。1929年(昭和4年)3月、東京農業大学農学部卒業。 アメリカ合衆国農務省昆虫局嘱託、全国販売農業協同組合連合会(全販連。全国農業協同組合連合会の前身)の農畜特産課長などを務め、戦時中は海軍省兵備局からバンコクに派遣され、農作物の現地指導にあたった。
秋山 利恭(あきやま としちか、1901年〈明治34年〉6月… 秋山 利恭(あきやま としちか、1901年〈明治34年〉6月12日 - 1981年〈昭和56年〉3月30日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)。 奈良県出身。1926年(大正15年)東京農業大学を卒業した。 東洋製糖取締役、東和醸造監査役、全国農業共済協会顧問、奈良県花卉園芸組合連合会長、奈良県至誠会顧問、奈良県農地解放者同盟会長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から立候補して当選した。その後、26回、28回、第29回総選挙でも当選し、衆議院議員に通算4期在任した。自由民主党に所属して、自民党奈良連合会顧問、第1次池田内閣大蔵政務次官などを務めた。
中川 以良(なかがわ もちなが、1900年(明治33年)1月… 中川 以良(なかがわ もちなが、1900年(明治33年)1月29日 – 1997年(平成9年)10月24日)は、日本の実業家、政治家。四国電力社長、参議院議員、香川県名誉県民。
紀藤 常亮(きとう つねすけ、1899年8月7日 - 197… 紀藤 常亮(きとう つねすけ、1899年8月7日 - 1971年11月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。宇部市長を務めた紀藤閑之介の長男。妻は渡辺好延の次女・キク子。 山口県出身。1924年東京農業大学卒。宇部農業実践学校校長兼教諭となり、宇部市農会長、同信用購買販売利用組合長、同畜産組合長、山口県議、山口県農会長、同畜産組合連合会評議員、大政翼賛会山口県支部常務委員、また朝鮮セメント、宇部銀行、山口銀行、宇部重工業、宇部興産、宇部物産各(株)監査役となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では山口1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。
稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月… 稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月18日 - 1982年(昭和57年)3月12日)は、大正から昭和期の農林技官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧志摩鳥羽藩主家当主・稲垣長昌の長男として生まれる。父の死去に伴い、1940年(昭和15年)12月28日、子爵を襲爵した。 1924年(大正13年)東京農業大学本科を卒業。同年、農林省畜産試験場助手に就任。以後、山形県農林技手、農林省嘱託、帝国畜産会理事などを務めた。 1943年(昭和18年)1月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選。研究会に所属し調査部第五部理事を務め、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 その他、養鶏組合中央会技師に就任し、以後、同会の奨励部長、出版部長、検査部長、事業部長、同会理事などを務めた。
青木 正(あおき まさし、1898年12月5日 - 1966… 青木 正(あおき まさし、1898年12月5日 - 1966年4月12日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。自治庁長官(第10・12代)、国家公安委員会委員長(第9代)、衆議院議員(7期)。 環境庁長官の青木正久は息子。 埼玉県北埼玉郡共和村(後の川里村、現鴻巣市)の旧家の生まれ。旧制不動岡中学校、東京農業大学卒業。 大卒後に実家へ戻り、農村の若者の育成指導にあたっていたが、各地で発生する小作争議の遠因に政治があると考え、農民のための政治家を目指してまずは政治記者になるため中外商業新報に入社、整理部長や論説委員となる。父が亡くなったことで1937年に16年勤めた中外商業新報を退社、家業を継ぐために帰郷。
佐竹 義履(さたけ よしふみ、1896年(明治29年)1月2… 佐竹 義履(さたけ よしふみ、1896年(明治29年)1月25日 - 1958年(昭和33年)3月2日)は、昭和期の技官、政治家、華族。貴族院男爵議員、佐竹氏一門の佐竹西家20代当主。旧名・竹田良治。 秋田県士族・竹田富之助の二男として生まれる。佐竹西家の当主で兄・佐竹義度(富之助長男)の死跡を相続し、1914年(大正3年)4月23日、男爵を襲爵。その後、義履と改名した。 1924年(大正13年)東京農業大学大学部を卒業。1929年(昭和4年)帝室林野局技手に就任。その後、1944年(昭和19年)3月10日に同技師に就任した。 同月30日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
金子 小一郎(かねこ こいちろう、1895年〈明治28年〉2… 金子 小一郎(かねこ こいちろう、1895年〈明治28年〉2月19日 - 1983年〈昭和58年〉10月17日)は、日本の政治家。神奈川県会議員。藤沢市長(通算6期)。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 神奈川県高座郡明治村大庭出身。金子角之助の長男。1916年、東京農業大学専門部卒業、農業を営んだ。父・角之助が亡くなると藤沢町農会長となり、1942年に市議会における旧村町間の対立を収める格好で藤沢市長となる。同時に大政翼賛会の推薦候補として神奈川県会議員に当選するが、戦後このことが問題となり1946年に藤沢市長を辞職。続いて公職追放処分となる。 追放解除後の1952年に藤沢市長選挙に出馬。市政運営につまづき赤字財政に転落させた現職の伊沢十郎に対し、財政再建を訴え市長に返り咲く。
岩村 一木(いわむら ひとき、1894年(明治27年)10月… 岩村 一木(いわむら ひとき、1894年(明治27年)10月19日 - 1968年(昭和43年)12月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京市小石川区、現在の東京都文京区千石2丁目35番地で、貴族院勅選議員・岩村通俊の八男として生まれる。1915年(大正4年)長兄岩村八作の養子となり、その死去に伴い1924年(大正13年)9月1日、男爵を襲爵した。 京北中学校を経て、1917年(大正6年)東京農業大学高等科を卒業。以後、臨時産業合理局過燐酸肥料改善委員会幹事、人造肥料連合会理事、燐酸肥料工業組合常務理事、日本藁工品配給監査役、肥料配給公団総裁、農林水産奨励会副会長などを務めた。
千葉 三郎(ちば さぶろう、1894年(明治27年)1月25… 千葉 三郎(ちば さぶろう、1894年(明治27年)1月25日 - 1979年(昭和54年)11月29日)は、大正-昭和期の政治家。位階は正三位。 宮城県知事、労働大臣のほか、東京農業大学学長も務めた。 1894年(明治27年)、千葉県茂原市に生まれた。錦城中学、一高を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学仏法科を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社するも、ほどなくして退職し、米国プリンストン大学に留学、石油業を学んだ。同大大学院を修了し、1922年(大正11年)に帰国。 帰国後は当時の鐘紡社長・武藤山治の片腕となり、大日本実業組合連合会理事に就任した。1925年(大正14年)、旧千葉2区における衆議院補欠選挙に、武藤が会長を務める実業同志会から立候補、初当選した。
田中 善内(たなか ぜんない、1892年(明治25年)3月1… 田中 善内(たなか ぜんない、1892年(明治25年)3月14日 - 1972年(昭和47年)5月17日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、佐賀県小城郡芦刈村長。 佐賀県小城郡芦刈村大字下古賀(芦刈町を経て現小城市芦刈町下古賀)で、田中慶蔵の孫として生まれる。1912年(明治45年)東京農業大学高等科を卒業。19120年(大正元年)家督を相続し農業を営む。 政界では、芦刈村収入役、同村長、同村会議員、佐賀県会議員、同副議長を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で佐賀県全県区から日本自由党所属で出馬し当選し、衆議院議員に1期在任した。 その他、芦刈村農会長、小城郡水産会長、佐賀県水産業会長、芦刈村漁業協同組合長、佐賀県信用漁業協同組合連合会長、同県有明海漁業協同組合連合会長などを務め、水産業の振興に尽力した。
森部 隆輔(もりべ りゅうすけ、1891年(明治24年)1月… 森部 隆輔(もりべ りゅうすけ、1891年(明治24年)1月28日 - 1978年(昭和53年)8月6日)は、日本の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員、参議院議員。 福岡県上座郡福成村大字長淵(のち朝倉郡大福村大字長淵、現朝倉市長渕)で、篤農家・森部隆造、ウメノ夫妻の三男として生まれた。1911年、東京高等農学校を卒業した。 1916年、長淵信用購買販売組合を設立して組合長に就任。福岡県農会常任幹事、福岡県会議員(5期)、同副議長、上座銀行頭取、産業組合中央会福岡県支会副会長、福岡県農会長、福岡県青果統制会社社長、帝国耕地協会理事、福岡県農業協会理事長、福岡県養蚕組合連合会長などを歴任。1942年4月、第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け福岡県第一区から出馬して当選。
磯崎 貞序(磯﨑貞序、いそざき ていじょ、1890年(明治2… 磯崎 貞序(磯﨑貞序、いそざき ていじょ、1890年(明治23年)10月11日 - 1984年(昭和59年)9月10日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員(2期)、茅ヶ崎市名誉市民。 神奈川県高座郡鶴嶺村中島(茅ヶ崎町を経て現茅ヶ崎市中島)で、磯崎半十郎の長男として生まれる。神奈川県中郡立農業学校を経て、1912年(明治45年)東京農業大学を卒業した。 神奈川県農会に勤め、江陽銀行取締役、寒川農園取締役などに在任。1921年(大正10年)高座郡会議員(1期)となり、1927年(昭和2年)茅ヶ崎町会議員に当選して2期在任。1928年(昭和3年)4月、町会議員の互選で町長に当選したが辞退した。
野村 嘉久馬(のむら かくま、1890年(明治23年)5月1… 野村 嘉久馬(のむら かくま、1890年(明治23年)5月15日 - 1959年(昭和34年)3月4日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、宮崎県会議長、宮崎県西諸県郡高原町長。 宮崎県西諸県郡高原村大字西麓(現高原町西麓)で、野村嘉太郎の二男として生まれる。1912年(明治45年)東京農業大学高等科を卒業した。帰郷して農業を営む。1928年(昭和3年)家督を相続した。 高原村会議員、高原町長、宮崎県会議員、同参事会員、宮崎県養蚕組合連合会長などを務め、1939年(昭和14年)県会議長に就任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選。
足立 豊(足立 豐、あだち ゆたか、1888年〈明治21年〉… 足立 豊(足立 豐、あだち ゆたか、1888年〈明治21年〉9月19日 - 1945年〈昭和20年〉1月5日)は、大正から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・田口。 茨城県で田口贇郎の五男として生まれ、1906年(明治39年)12月、足立正声の養子となる。養父の死去に伴い、1907年(明治40年)5月13日、男爵を襲爵した。 1916年(大正5年)東京農業大学を卒業。1920年(大正9年)宮内属に就任。その後、東京農業大学助手、同講師などを務めた。 1925年(大正14年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され、公正会に属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任した。
藤野 繁雄(ふじの しげお、1885年(明治18年)4月7日… 藤野 繁雄(ふじの しげお、1885年(明治18年)4月7日 - 1974年(昭和49年)3月17日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(3期)。 長崎県南高来郡神代村(国見町を経て現雲仙市)で藤野小三の二男として生まれる。1907年(明治40年)東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業した。 長崎県農林主事、同県産業組合連合会長、同県生活物資配給統制組合連合会長、同県農業会長、同県指導農業協同組合連合会長、全国農業会監事、家の光協会理事、全国指導農業協同組合連合会理事・監事、全国土地改良協会理事・監事、全国農業協同組合監事協議会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から無所属で出馬して当選。
東郷 彪(とうごう ひょう、1885年〈明治18年〉2月28… 東郷 彪(とうごう ひょう、1885年〈明治18年〉2月28日 - 1969年〈昭和44年〉6月5日)は、日本の農商務官僚、宮内官僚、政治家。爵位は侯爵。東郷平八郎の子。宮内省内匠寮御用掛、貴族院議員などを歴任した。 温厚な人柄、恬淡とした性格で我が道を進み、新宿御苑で菊栽培などを手がけ、菊づくりの拡充強化に大きく貢献した。 東郷平八郎の長男として、1885年(明治18年)鹿児島県に生まれた。学習院に入るがその後中学済々黌を経て、1911年(明治44年)、東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業した。卒業後は、農商務省の農事試験場興津園芸試験場(現在の農研機構果樹研究所·カンキツ研究興津拠点)に勤務した。
勧修寺 経雄(かじゅうじ つねお、1882年(明治15年)4… 勧修寺 経雄(かじゅうじ つねお、1882年(明治15年)4月13日 - 1936年(昭和11年)11月1日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家、華族。貴族院伯爵議員。 東京府出身。伯爵・勧修寺顕允の長男として生まれる。父・顕允の死去に伴い、1900年(明治33年)10月4日、家督を相続し伯爵を襲爵(しゅうしゃく)した。 1908年(明治41年)東京高等農学校を卒業。1910年(明治43年)以降、殿掌、掌典、陵墓監、同志社女子専門学校講師、京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)講師などを務めた。 1919年(大正8年)6月14日、補欠選挙で貴族院伯爵議員に選出され、研究会に属して1925年(大正14年)7月9日まで在任した。
森 延彦(もり のぶひこ)は、日本の都市計画行政官、政治家。… 森 延彦(もり のぶひこ)は、日本の都市計画行政官、政治家。主に都市計画行政に従事。技術士(建設部門・都市及び地方計画)。2010年から2018年まで 静岡県田方郡函南町町長、美しい伊豆創造センター会長を務めた。 1969年、東京農業大学旧農学部造園学科(現・地域環境科学部造園科学科)を卒業する。同年静岡県庁に入り県技術吏員となる。1996年より静岡県ゆめ未来局国際園芸博準備室長を務めた。 以降は静岡県都市住宅部都市整備総室長を経て、財団法人静岡県総合管理公社に勤めた。 著書に『いま・まちを着る』(共著、地域科学研究会)、『アーバンデザイン行政の実践』(北土社)、『ダウンタウンの挑戦』(編著、静岡商工会議所)『都市計画と地方分権』(学芸出版会)など。