吉川 有美(よしかわ ゆうみ、1973年〈昭和48年〉9月4… 吉川 有美(よしかわ ゆうみ、1973年〈昭和48年〉9月4日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、自由民主党副幹事長兼参議院副幹事長、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官、外務大臣政務官などを歴任した。 三重県桑名市生まれ。桑名市立深谷小学校、桑名市立成徳中学校、私立メリノール女子学院高等学校(現メリノール学院)を卒業後、1993年、東京農業大学農学部国際農業開発学科に入学。 1998年、国立大学法人東京農工大学大学院修士課程農学研究科農業経営・生産組織学研究室にて、地域経済発展のための農業担い手問題に取り組む。2000年4月、株式会社農業食品監査システム入社。2003年11月、テュフ・ラインランド・ジャパン株式会社入社。
林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日… 林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。 熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年11月に死去しており、次々点の宮島大典は一旦当選人として告示を受けたが、既に1998年2月の衆議院長崎4区補欠選挙で当選しており、規定期間内に同職を辞職せず当選権利が喪失となったことから、さらなる次順位の林田が当選人の告示を受け、同年7月6日付で繰上当選となった。
西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月… 西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月26日 - )は、日本の政治家。 栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党幹事長特別参与、内閣官房参与を歴任した。 栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。東京農工大学大学院修士課程修了。1967年、栃木県庁に入庁。 1979年、栃木県議会議員選挙に出馬し、初当選した。 1993年から1994年まで県議会議長を務めた。
ギナンジャール・カルタサスミタ(Ginandjar Kart… ギナンジャール・カルタサスミタ(Ginandjar Kartasasmita、1941年 - )はインドネシアの政治家。 東京農工大学、拓殖大学、ガジャ・マダ大学(インドネシアの国立大学)、ノースイースタン州立大学(米国・オクラホマ州)などから名誉博士号を授与。インドネシアのブラビジャワ大学(英語版)(公共政策)、早稲田大学(開発行政学)、バンドン工科大学(インドネシアの国立大学)等で教壇に立つ。 インドネシアに少林寺拳法を広げた1人でもある。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
モルシェド・カーン(ベンガル語: মোরশেদ খান、ラテ… モルシェド・カーン(ベンガル語: মোরশেদ খান、ラテン文字:M.Morshed Khan、1940年8月8日 -)はバングラデシュの政治家。2001年から2006年までバングラデシュの外務大臣を務めた。 イギリス領インド帝国チッタゴン生まれ。1962年から東京農工大学に留学し、同大学卒業。1986年国会議員に選出。2001年から2006年まで外務大臣を務めた。2007年に汚職防止委員会に告訴され、2008年に特別判事法廷で懲役13年の判決が下された。2019年にバングラデシュ民族主義党副総裁を退任し政界引退を表明した。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
竹下 悦男(たけした えつお、1935年(昭和10年)4月8… 竹下 悦男(たけした えつお、1935年(昭和10年)4月8日 - 2023年12月3日)は、日本の政治家。元長野県上田市長。 上田市出身。東京農工大学農学部卒業。1959年(昭和34年)長野県庁に入庁。1983年(昭和58年)商工部振興課長、1985年(昭和60年)商工参事、1986年(昭和61年)商工部長、1988年(昭和63年)総務部長、公営企業管理者を歴任した。1994年(平成6年)上田市長選挙に当選し、1期務めた。2005年(平成17年)旭日小綬章受章。 2023年12月3日、慢性腎不全などのため上田市内の診療所で死去。88歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日… 木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日 - )は、日本の政治家。元埼玉県入間市長(5期)。 1951年3月埼玉県立豊岡実業高等学校(現埼玉県立豊岡高等学校)卒業。小林駿介東京農工大学名誉教授は同級生。同4月、豊岡町役場に就職。1956年、豊岡町の武蔵町への移行に伴い、武蔵町役場職員。1966年、武蔵町の市制移行により入間市職員。入間市企画部長や助役を務める。 1992年、水村仁平入間市長の引退に伴い、水村から後継指名を受け、自民・社会・公明・民社の与野党及び連合埼玉の推薦で入間市長選挙に出馬し、初当選を果たした。1996年の市長選でも自民・新進・社民・連合埼玉の推薦を受け、与野党の枠を超えた事実上のオール与党体制の下、再選。
小渕 光平(おぶち みつへい、1930年〈昭和5年〉6月8日… 小渕 光平(おぶち みつへい、1930年〈昭和5年〉6月8日 - 2008年〈平成20年〉5月26日)は、日本の実業家・政治家。光山社社長、群馬県中之条町長。旧名は小渕 庚午(おぶち こうご)。 父は衆議院議員を務めた初代・小渕光平。第84代内閣総理大臣の小渕恵三は実弟。デザイナーの小渕暁子と衆議院議員の小渕優子は姪。全国社会保険協会連合会副会長。 群馬県吾妻郡中之条町出身。1954年(昭和29年)明治大学商学部卒業。1958年(昭和33年)東京農工大学繊維学科修了。 同年小渕光平を襲名し光山社小渕製糸所代表に就任する。1959年(昭和34年)光山木材代表に就任。1960年(昭和35年)光山商事を設立し社長に就任。
井上 孝俊(いのうえ たかとし、1927年(昭和2年)4月2… 井上 孝俊(いのうえ たかとし、1927年(昭和2年)4月23日 - 1996年(平成8年)12月16日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県大和市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 大和市出身。1949年(昭和24年)東京農林専門学校卒業。 1963年(昭和38年)大和市農協理事。1975年(昭和50年)より大和市議会議員を3期務めたのち、1987年(昭和62年)大和市長に当選。2期務め、1995年(平成7年)引退した。 1989年(平成元年)「大和」と表記する全国の自治体11市町村に参加を呼びかけ、第1回まほろばサミットを開催。ほか、全国基地協議会理事、大和市基地対策協議会会長を歴任した。 1996年死去。
登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日… 登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日 - )は、日本の政治家。渋川市長を務めた。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1943年に東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科を卒業。同年農林省に入省。兵役を終えて復員後は一時群馬県農業会に勤務。農林省に復職し1971年には農林経済局課長補佐となる。統計情報部企画情報課在職中に渋川市長・石北正司の招きにより1973年に渋川市収入役に就任。 1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。
森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2… 森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2014年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
西尾 邑次(にしお ゆうじ、1921年2月19日 - 201… 西尾 邑次(にしお ゆうじ、1921年2月19日 - 2013年7月23日)は、日本の政治家。鳥取県知事。東京高等農林学校(現東京農工大学)卒業。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年〈明治36年〉5… 丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年〈明治36年〉5月25日 - 1988年〈昭和63年〉)は、昭和期の実業家、政治家。長野県茅野市長。 長野県諏訪郡玉川村(現・茅野市)で、丸茂米作、きち の四男として生まれた。生家は製糸業で、旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)卒業。1927年(昭和2年)丸茂製糸場に入社。1932年(昭和7年)同郡永明村(現・茅野市)に丸茂製糸工場を設立した。 1941年(昭和16年)永明村翼賛壮年団長に就任。1942年(昭和17年)永明村会議員となった。以後、ちの町消防団長、茅野町消防団長、茅野町議会議員などを歴任。
木村 寅太郎(きむら とらたろう、1902年(明治35年)9… 木村 寅太郎(きむら とらたろう、1902年(明治35年)9月13日 - 1972年(昭和47年)4月13日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員。 木村吉三郎の長男として、群馬県新田郡笠懸村(笠懸町を経て現みどり市)に生まれる。旧制群馬県立太田中学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学農学部実科卒業。 県農会技師、大日本青年団組織課長、群馬県会議員、大政翼賛会群馬県支部常務委員、同臨時中央協力会議員、県翼賛少年団副団長、大政翼賛会県支部錬成本部長、県翼賛壮年団副団長、文部省委員などを歴任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では群馬県第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選。
八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 199… 八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 1990年2月25日)は、日本の農林技官、政治家。参議院議員(4期)、衆議院議員(5期)。 愛知県渥美郡高師村藤並(現豊橋市藤並町)に八木用作の長男として生まれる 1923年(大正12年)3月東京高等蚕糸学校卒業。農林技官として東京府、愛知県、農林省、興亜院、大東亜省に勤め、1946年(昭和21年)退官。 1947年の第23回衆議院議員総選挙愛知5区に民主党から出馬し、初当選、5期務める。内閣委員長、1957年の第1次岸内閣農林政務次官を歴任。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選。 1963年の参議院に鞍替え出馬して、杉浦武雄死去に伴う第6回参議院議員通常選挙愛知県選挙区補欠選挙で初当選。
竹山 祐太郎(たけやま ゆうたろう、1901年4月25日 -… 竹山 祐太郎(たけやま ゆうたろう、1901年4月25日 - 1982年7月7日)は、昭和期の政治家。位階は正三位。元建設大臣・静岡県知事。長男は元参議院議員の竹山裕。 静岡県磐田郡見付町(現・磐田市)に、農業・竹山宗一郎の長男として生まれる。中泉農業学校(現・静岡県立磐田農業高等学校)を経て、1922年東京帝国大学農学部実科(1935年東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)を卒業。農商務省に入省する。農林技官として、1930年代の農山漁村経済更生運動(いわゆる“自力更生運動”)に取り組み、全国各地を回った。1941年からは東京高等農林学校教授を兼任した。 1945年農林省を退官し、全国農業会指導部長となる。
松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7… 松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7日 - 1944年〈昭和19年〉9月4日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、星河村長、忍町長。 埼玉県北埼玉郡星河村(現行田市)で、醤油醸造業・松岡三五郎の長男として生まれる。1915年、埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)。1920年、東京帝国大学農学部農学実科を卒業した。1923年から1931年まで忍高等女学校で理科・実業科嘱託教師を務めた。 また、星河村農会長、蚕業組合長、忍貯蓄銀行取締役頭取、忍商業銀行(現・りそな銀行・埼玉りそな銀行)取締役頭取、星河村会議員、同村長、忍町会議員、同議長、同町長、埼玉県会議員、帝国在郷軍人会北埼玉郡連合分会長などを歴任。
萩原 寿雄(壽雄、はぎわら / はぎはら としお、1896年… 萩原 寿雄(壽雄、はぎわら / はぎはら としお、1896年(明治29年)4月8日 - 1981年(昭和56年)9月5日)は、日本の農業関係者、実業家、政治家。衆議院議員。 神奈川県出身。1919年(大正8年)東京帝国大学農科大学実科(現・東京農工大学農学部)を卒業した。 産業組合中央会主事補、全国購買農業協同組合連合会(現・全国農業協同組合連合会)主事、同肥料部長、同常任理事、農林省一般農林水産物価格形成専門委員会専門委員、神奈川県農業会長、同県蚕糸業会長、同県販売農業協同組合連合会長などを務めた。全国購買農業協同組合連合会の創立に加わった。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に神奈川県第3区から国民協同党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
高田 茂(たかだ しげる、1893年(明治31年)6月23日… 高田 茂(たかだ しげる、1893年(明治31年)6月23日 - 1958年(昭和33年))は、昭和期の政治家。長野県飯田市長。旧名は上原 悌三郎。 長野県北安曇郡池田町村(現池田町)で、上原義一郎の四男として生まれた。旧制大町中学(現長野県大町岳陽高等学校)を経て、旧制東京高等蚕糸学校卒業。1929年(昭和4年)下伊那郡上飯田町(現飯田市)の旧庄屋で長野県会議長を務めた高田茂の養子となり、同名を襲名した。 1933年(昭和8年)上飯田町会議員、1937年(昭和12年)飯田市会議員を経て、1947年(昭和22年)に施行された初の公選による飯田市長選挙で当選し、1955年(昭和30年)3月まで2期務めた。
下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8… 下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8月26日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 下元興行、桃の三男として、高知県高岡郡東又村(窪川町を経て、現在の四万十町)に生まれる。20歳まで家業手伝いののち高知県立農林学校を経て、東京蚕糸学校で養蚕技術を学ぶ。卒業後は母校の県立農林学校で教諭を3年間務めたのち県庁に出仕し、高知県技師として蚕業の発展に尽力する。のち大分県技師、1914年(大正3年)東又村長、翌年高知県会議員(3期当選、副議長などを歴任)を経て、1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第4区から出馬し当選。
加藤 知正(かとう ちせい、1873年〈明治6年〉11月19… 加藤 知正(かとう ちせい、1873年〈明治6年〉11月19日 - 1947年〈昭和22年〉4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 新潟県古志郡下塩谷村で、加藤周浄の二男として生まれる。1900年(明治33年)、東京高等蚕糸学校(のち東京繊維専門学校を経て、現在の東京農工大学)を卒業。北越蚕業講習所教頭、大日本蚕糸会技師、同理事、東京高等蚕糸学校講師、南光社社長などを歴任した。1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に無所属で立候補したが落選した。1924年(大正13年)の第15回総選挙において立憲政友会公認で立候補して当選。以来第19回総選挙を除いて通算6期務める。1942年(昭和17年)の第21回総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選。