松本 大輝(まつもと だいき、1991年5月29日 - )は… 松本 大輝(まつもと だいき、1991年5月29日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。ポジションは、フォワード。 大津高校の3年時、それまでFWとしてプレーしていたがボランチにコンバート。全国高校総体では4強入りを果たし、大会優秀選手に選出された。法政大学進学後は再びFWに戻り、50メートル5秒6の快足アタッカーとして活躍。3年時にはリーグ戦(2部)で15得点を挙げ得点王となった。 2011年から全日本大学選抜に選出され、2013年7月にロシア・カザンで行われた第27回夏季ユニバーシアードでは、ユニバーシアード日本代表として出場し、銅メダルを獲得した。 2014年にヴァンフォーレ甲府へ入団。 2016年からはV・ファーレン長崎へ期限付き移籍をしたが、同年9月30日付で、日本サッカー協会選手契約書内第9条1(5)にある「クラブの秩序風紀を乱す行為」があったことを理由にV・ファーレン長崎への期限付き移籍が終了されると同時に、ヴァンフォーレ甲府との契約を解除された。
友澤 剛気(ともざわ ごうき、1991年2月14日 - )は… 友澤 剛気(ともざわ ごうき、1991年2月14日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手。ポジションは、フォワード、ディフェンダー。 弟はサッカー選手の友澤貴気。 桐光学園高校の3年時、全国高等学校サッカー選手権大会に出場。力強いオーバーラップが持ち味の右サイドバックとして活躍した。 法政大学を経て、2013年より横浜スポーツ&カルチャークラブへ入団。 2015年で横浜スポーツ&カルチャークラブを退団。 2016年から2020年まで品川CC横浜でプレー。 2021年よりYokohama Hardysに加入。 2023年よりスペリオーレFCに加入することを表明。
真野 亮二(まの りょうじ、1990年10月12日 - )は… 真野 亮二(まの りょうじ、1990年10月12日 - )は、東京都昭島市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー、フォワード。 東京ヴェルディの下部組織出身。法政大学を経て、2013年よりFC町田ゼルビアへ入団。 2014年、アスルクラロ沼津に期限付き移籍。 2015年、藤枝MYFCへ移籍。シーズン終了後、契約満了により退団した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
平 智広(たいら ともひろ、1990年5月10日 - )は、… 平 智広(たいら ともひろ、1990年5月10日 - )は、東京都東久留米市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 横河武蔵野FCジュニアユース、東京ヴェルディユースを経て、法政大学へ進学。 2013年より、大学で同期の真野亮二と共にFC町田ゼルビアへ入団。 2016年、東京ヴェルディに完全移籍。 2024年7月、ツエーゲン金沢に完全移籍することが発表された。 2026年2月4日、現役引退を発表。同年2月21日に味の素スタジアムで行われた東京ヴェルディvs町田戦で引退セレモニーが行われた。 2016年11月に一般女性と結婚。2018年3月に第一子の長男が、2020年9月に第二子の次男が誕生。
鈴木 孝司(すずき こうじ、1989年7月25日 - )は、… 鈴木 孝司(すずき こうじ、1989年7月25日 - )は、神奈川県三浦市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 初代J3得点王(2014年)。 兄はサッカー選手の鈴木将也(関東サッカーリーグ・東邦チタニウム所属)。 横浜F・マリノスのアカデミー出身。ジュニアユースでプレーしたが、ユースには昇格できずに桐光学園高校に進学。卒業後法政大学に進学。 2012年よりFC町田ゼルビアに新加入。同年のJ2初出場も無得点でシーズンを終える。 2013年、チームはJFLに降格したが自身はレギュラーの座を掴み15得点を記録する。 2014年は新規再編されたJ3で19得点で初代J3得点王を獲得。
浅田 大樹(あさだ だいき、1989年4月5日 - )は、東… 浅田 大樹(あさだ だいき、1989年4月5日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 2012年に法政大学からHonda FCに加入。同期入部には齋藤達也と河野大星がいる。 2014年よりJ3に加盟するFC琉球に完全移籍。 2015年を以て、FC琉球との契約が満了。2016年、藤枝MYFCに移籍。 2020年公式ホームページを開設。https://wift.jp/teams/daiki-asada/home/ 2020年をもって藤枝MYFCとの契約が満了。 2021年よりFC刈谷に移籍。しかしわずか1年で退団。そしてこの年限りで現役引退となった。
阿部 拓馬(あべ たくま、1987年12月5日 - )は、東… 阿部 拓馬(あべ たくま、1987年12月5日 - )は、東京都小平市出身の元サッカー選手。ポジションは主にフォワード(FW)。 Kリーグ時代の登録名は拓馬(ハングル: 타쿠마)。 2人の兄の影響でサッカーを始め、久留米西高 在学時には横河武蔵野FCユースでプレー。2005年には2種登録選手としてトップチームに帯同しJFLにも出場した。 2006年、法政大学へ進学。川勝良一の指導を受けて3年生時に得点力が開花した。 川勝を慕い、2010年より東京ヴェルディに入団。同年4月、J2第6節愛媛戦でJリーグ初出場、6月のJ2第17節富山戦で初得点を挙げた。同年は主に攻撃的MFとして途中投入される機会が多かった。
若田 和樹(わかた かずき、1987年10月25日 - )は… 若田 和樹(わかた かずき、1987年10月25日 - )は、神奈川県横浜市出身のサッカー選手、サッカー指導者、YouTuber。ポジションはゴールキーパー。 神奈川県立弥栄西高校時代はU-18日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに選出され、また平成17年度全国高等学校総合体育大会に同校初出場を果たしている。 高校卒業後は法政大学に進学、同校サッカー部に入部する。(同級生には富井英司、阿部拓馬、渡邉三城) 2年時にはユニバーシアードサッカー日本代表に選出され、バンコクで開催された第24回ユニバーシアード競技大会に出場した。 同校卒業後は神奈川県1部リーグ(当時)の横浜GSFCコブラに入団、2015年には関東サッカーリーグ2部(当時)の横浜猛蹴フットボールクラブに移籍した。
渡邉 三城(わたなべ みつき、1987年9月6日 - )は、… 渡邉 三城(わたなべ みつき、1987年9月6日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 父は元ラグビー選手で、サッカー選手の渡邉大剛および渡邉千真は実兄である。 法政大学を卒業後、横浜スポーツ&カルチャークラブに入団した。高校時代はセンターバックを務めていたが、大学進学以降はサイドバックを主戦場としている。 2014年から横浜スポーツ&カルチャークラブがJ3リーグに参入することになり、開幕戦でスタメン出場を果たす。そのため三兄弟全員がJリーグでプレーしたことになった。 2016年限りで現役引退を発表した。
永露 大輔(えいろ だいすけ、1987年8月30日 - )は… 永露 大輔(えいろ だいすけ、1987年8月30日 - )は、東京都出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
辻 正男(つじ まさお、1987年3月29日 - )は、神奈… 辻 正男(つじ まさお、1987年3月29日 - )は、神奈川県藤沢市出身のサッカー選手。ポジションはFW。 法政大学卒業後の2009年、Y.S.C.C.に入団。当初はアルバイトをしながらプレーを続けていたが、2011年からは都内の証券会社に勤務しながらプレーを続けていた。同年の全国地域サッカーリーグ決勝大会では大会得点王となる6得点を挙げ、チームの優勝とJFL昇格に貢献。2012年にはJFLで20得点を挙げ、FC琉球の高橋駿太とともにJFL得点王を獲得した。 2013年にガイナーレ鳥取に完全移籍。 2014年、ツエーゲン金沢へ完全移籍。同年のJ3リーグ第4節・Y.S.C.C.横浜戦で3得点を挙げ、J3リーグ初のハットトリック達成者となった。
豊原 慎二(とよはら しんじ、1986年11月27日 - )… 豊原 慎二(とよはら しんじ、1986年11月27日 - )は、福岡放送(FBS)の社員、元アナウンサー、元プロサッカー選手。 筑陽学園高校在学中に第82回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した経歴を持つ。高校卒業後の2005年、この年日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に昇格したザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)に入団。現役時代のポジションはMF(左SH)。 1年目はセカンドチームであるザスパ草津チャレンジャーズに所属し、Jサテライトリーグ9試合に出場し2得点を挙げている。2年目にはトップチームに昇格するが右膝蓋骨の故障もあって出場機会は得られず、トライアウトでも声がかからず現役を引退する。 引退に際してはJリーグキャリアサポートセンターの支援を受け、Jリーグ推薦制度で法政大学キャリアデザイン学部へ進学。
豊田 奈夕葉(とよだ なゆは、1986年9月15日 - )は… 豊田 奈夕葉(とよだ なゆは、1986年9月15日 - )は、日本の元女子サッカー選手、サッカー指導者。神奈川県鎌倉市出身。法政大学卒業。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。現在はラオス女子代表の監督を務める。 日本女子代表(なでしこジャパン)では2004年12月18日に行われた国際親善試合「キリンチャレンジカップ」チャイニーズタイペイ戦(東京・国立西が丘サッカー場)で初出場した。 その後もU-20(20歳以下)日本女子代表と双方に招集されていた。 小学生でサッカーを始める。中学生のころ日テレ・メニーナでプレー。2001年に日テレ・ベレーザに昇格。開幕戦ジェフユナイテッド市原レディース戦で先発し、最終戦さいたまレイナス戦で初ゴールをあげた。
福田 俊介(ふくだ しゅんすけ、1986年4月17日 - )… 福田 俊介(ふくだ しゅんすけ、1986年4月17日 - )は、埼玉県三郷市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 2005年に第83回全国高等学校サッカー選手権大会の大会優秀選手、2008年には全日本大学選抜に選ばれるなど活躍してきた。 2009年に大宮アルディージャに入団。2011年6月30日、カターレ富山へ期限付き移籍し、シーズン途中の加入ながらリーグ戦19試合で2ゴール(他に天皇杯2試合1ゴール)、2012年も期限付き移籍を延長、リーグ戦35試合に出場し4ゴールを挙げ、主力として富山のJ2残留に貢献した。 2013年1月、期限付き移籍期間満了 に伴い、大宮アルディージャに復帰したものの、復帰した2013年は僅か1試合、2014、2015年はリーグ戦、カップ戦通算各13試合の出場となり、大宮がJ1に復帰した2016年ファーストステージでは僅か2試合、カップ戦でも1試合のみの出場にとどまっていた。
山本 孝平(やまもと こうへい、1986年4月15日 - )… 山本 孝平(やまもと こうへい、1986年4月15日 - )は、神奈川県綾瀬市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
土岐田 洸平(ときた こうへい、1986年3月16日 - )… 土岐田 洸平(ときた こうへい、1986年3月16日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー(MF)。 大学時代は主にFWとしてプレー。同期に市川雅彦・本田拓也・菊岡拓朗がいる。大宮にはサイドハーフの戦力として加入し、Jリーグ2008ディビジョン1第1節新潟戦でJリーグデビューした。2009年には大宮で張外龍監督の下、右サイドバックにコンバートされ、出場機会を増やした。 2010年7月15日、大分トリニータへ期限付き移籍することが発表された。同年度は主に4バック時の右サイドバックや3バック時の右ウイングバックで起用された。 2013年シーズンからは大分へ完全移籍。
菊岡 拓朗(きくおか たくろう、1985年6月30日 - )… 菊岡 拓朗(きくおか たくろう、1985年6月30日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 静岡県立清水東高等学校時代からファンタジスタとして知られており、強豪校がひしめく地域にあって全国大会とは無縁だったものの、3年生時には第82回全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選大会で準優勝を果たしている。高校在学中からJクラブの練習にも参加していたが、自身は大学進学を決めており、卒業後は法政大学に進学した。 法政大学サッカー部に入部後は早くからレギュラーを獲得し、3年生時には天皇杯に主力として出場し3回戦に進出。4年生時には関東大学1部リーグでアシスト数第2位を記録し、インカレでは準優勝の原動力となった。
向 慎一(むかい しんいち、1985年6月15日 - )は、… 向 慎一(むかい しんいち、1985年6月15日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。フォワードもこなすユーティリティープレイヤー。 法政大学4年次の2007年には、全日本大学サッカー選手権で決勝戦進出を経験した。2008年、栃木SCに入団。同じ年入団したフォワードの稲葉久人とは法政大学のチームメートであった。チームでは落合正幸とダブルボランチを組み、プレースキッカーをベテラン佐藤悠介と共に担当した。序盤はレギュラーだったが、後にポジションを同期入団の鴨志田誉と争った。 2009年、松田浩が栃木SCの監督に就任。ボランチは鴨志田と新入団のベテラン本橋卓巳が主に務め、向は左右のサイドハーフ、試合の流れの中でフォワード、トップ下など攻撃的ポジションを任されたが、途中出場や途中交代が増え、シーズン終了後、契約非更新となり退団した。
稲葉 久人(いなば ひさひと、1985年5月26日 - )は… 稲葉 久人(いなば ひさひと、1985年5月26日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手。ポジションは、FW。 法政大学4年生時には同学年の本田拓也・菊岡拓朗・向慎一らと共にインカレ決勝進出に貢献。 2008年、柱谷幸一監督率いるJFLの栃木SCに入団。栃木県小山市出身であったことから、試合の選手紹介時などで「小山生まれのスナイパー」と呼ばれた。上野優作、横山聡、松田正俊、石舘靖樹ら経験豊富なFW達に阻まれ、シーズン序盤は出番が回ってこなかったが、ディフェンスライン裏への飛び出しを武器に、徐々に頭角を現しスタメン出場の機会を増やしていく。また、得意のFWではなく右サイドハーフで先発したことがあった。
本田 拓也(ほんだ たくや、1985年4月17日 - )は、… 本田 拓也(ほんだ たくや、1985年4月17日 - )は、神奈川県津久井郡津久井町(現・相模原市緑区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは守備的MF(ボランチ)/アンカー。元日本代表。 3歳の頃、幼稚園のサッカースクールに加入しサッカーを始める。小学生、中学生時は地元のクラブチーム・FCコラソンでプレー。その後、サッカーの名門桐光学園高へ進学。卒業時にはJ2クラブからのオファーもあったが、高校2年時に足を骨折しプレーに自信がなくなっていたことなどから大学へ進学して実力をつける道を選ぶ。法政大学では、恩師の川勝良一や水沼貴史の下で、フィジカルの強化と、以前から得意としていたロングボールに加え短いパスも身に付けるなどサッカーセンスを磨く。
雑賀 友洋(さいか ともひろ、1984年5月18日-)は、神… 雑賀 友洋(さいか ともひろ、1984年5月18日-)は、神奈川県相模原市出身のサッカー選手。ポジションは、DF。弥栄西高校 (現 弥栄高校)では、養父雄仁と同期。法政大学では先輩に秋本倫孝、谷田悠介、田森大己らが、同期に井上平、後輩に本田拓也、向慎一、菊岡拓朗、市川雅彦、福田俊介、土岐田洸平、吉田正樹、稲葉久人らがいる。 弥栄西高校では高校サッカー選手権・神奈川県予選に2年生で準決勝、3年生で決勝まで進むが夢破れた。しかし関東スーパーリーグ(現高円宮杯U-18サッカーリーグ・プリンスリーグ関東)で、流通経済大学付属柏高等学校を破って優勝し、初代王者となった。 法政大学では1年生から開幕よりレギュラーとなるも、後期からは怪我に泣いた。
吉田 正樹(よしだ まさき、1984年4月10日 - )は、… 吉田 正樹(よしだ まさき、1984年4月10日 - )は、新潟県新潟市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 法政大学を経て2008年に横浜FC入団。シーズン当初こそ出番に恵まれなかったが、徐々に出場数を増やしシーズン後半は右SBのレギュラーとして活躍。2009年も主力として42試合に出場した。2010年からは大学時代の恩師である川勝良一が指揮を執る東京ヴェルディへ移籍。しかし、東京Vでは出場機会には恵まれなかった。 2012年からはJリーグに昇格した松本山雅FCに移籍したが出場機会に恵まれず、同年7月にFC琉球へ期限付き移籍。7月29日のJFL第23節、対SAGAWA SHIGA FC戦でJFL初出場。
森川 宏雄(もりかわ ひろお、1983年11月30日-)は、… 森川 宏雄(もりかわ ひろお、1983年11月30日-)は、富山県滑川市出身の元サッカー選手。
谷田 悠介(やだ ゆうすけ、1983年9月22日 - )は、… 谷田 悠介(やだ ゆうすけ、1983年9月22日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはDF、MF。
田森 大己(たもり だいき、1983年8月5日 - )は、広… 田森 大己(たもり だいき、1983年8月5日 - )は、広島県庄原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 1990年に庄原フットボールクラブ所属、後1996年にサンフレッチェ広島ジュニアユース、1999年に広島ユースへ昇格。主に中村重和から指導を受けた。同級生に宮本卓也。ユース時代はボランチとして活躍。2000年には全広島サッカー選手権大会初優勝に貢献し、天皇杯に出場している。 その後法政大学に進学し、ボランチとCBを務め、関東大学サッカーリーグ戦の準優勝に貢献する。 2005年にヴァンフォーレ甲府の練習生としてトレーニングに参加。2006年シーズンから甲府のメンバーとなる。豊富な運動量を武器にすばやいプレスをかける。
井上平(いのうえ たいら、1983年4月11日 - )は、東… 井上平(いのうえ たいら、1983年4月11日 - )は、東京都八王子市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、フォワード。 動き出しで裏を狙う、また前線からのプレスなど、豊富な運動量で攻守ともにチームに貢献する。苦境に直面しても最後まで闘い抜く強い精神力も魅力。 小学校2年でサッカーを始める。中学卒業後、1年間ブラジルに留学。ホームステイ先の家族のなかには元コリンチャンスの選手もいた。帰国後は清水商業高校を経て法政大学に進学。サッカー部ではキャプテンを務め、2005年に関東大学サッカーリーグ戦の得点王とベストイレブンのタイトルを獲得。2006年、関東大学選抜Aに選出された。 2007年、東京ヴェルディ1969に入団。
長山 一也(ながやま かずや、1982年4月1日 - )は、… 長山 一也(ながやま かずや、1982年4月1日 - )は、鹿児島県南さつま市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。JFA公認S級コーチライセンスを保有する。 鹿児島市立桜島中学校出身で元サッカー日本代表の遠藤保仁は2学年上に当たる。帝京第三高等学校を経て、法政大学に進学。サッカー部では水沼貴史らから指導を受け、パサーとして所属リーグでアシスト王となるなど中核プレーヤーとして活躍。 大学卒業後、静岡FCを経てJFL所属のアローズ北陸に入団。2008年、所属チームとYKK APが合併し誕生したカターレ富山に加入。シーズン終盤にレギュラーを獲得すると、Jリーグに加盟した2009年は開幕からスタメンで起用され、チーム最多となる48試合に出場した。
中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大… 中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW、MF。 指導者ライセンスはJFA Aジェネラルを所持。 近畿大学附属高校から法政大学進学し、入学早々に主力選手となり2年時の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント準優勝や3年時の東京都サッカートーナメント優勝に貢献。 2003年にJFLの佐川急便大阪SCに加入。主にMFとして途中出場を中心に経験を積み、2005年以降は前線で起用されるようになるとツートップの一角として、小柄ながらテクニックを生かしてチームの上位進出に貢献した。 2007年、佐川大阪が佐川急便東京SCと合併して新たに発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入。
中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大… 中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大阪府出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。
伊藤 哲也(いとう てつや、1970年10月1日 - )は、… 伊藤 哲也(いとう てつや、1970年10月1日 - )は、千葉県千葉市出身(北海道札幌市生まれ)のサッカー指導者、元サッカー選手 。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 小学校4年生の時にサッカーを始め八千代松陰中学校・高等学校から法政大学を経て、1993年にNKKサッカー部に加入。しかし、この年限りで廃部となったため、1994年より横浜マリノスに移籍。井原正巳、小村徳男らDFにタレントを揃える横浜Mでは出場機会に恵まれなかった。 1997年、サンフレッチェ広島に期限付き移籍(翌年完全移籍)。上村健一、トニー・ポポヴィッチらと堅守を築き、冷静な判断力を武器とする頭脳派DFとして活躍した。
稲垣 博行(いながき ひろゆき、1970年4月24日 - )… 稲垣 博行(いながき ひろゆき、1970年4月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 藤枝東高校、法政大学を経てヤンマー/セレッソ大阪に入団、1998年までプレーした。その後、新しくできた横浜FCに移籍。2シーズンプレーし、チームがJFLからJ2リーグへの昇格と同時に退団、そのシーズンを最後に引退した。
佐藤 敦(さとう つとむ、1968年11月5日 - )は、日… 佐藤 敦(さとう つとむ、1968年11月5日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 埼玉県立大宮東高等学校では2年時と3年時に高校選手権に出場。1学年上に田北雄気がいる。 法政大学を経て1991年2月、日本サッカーリーグ1部の三菱自動車工業サッカー部に加入。同年4月14日に行われたJSL1部第19節、ヤンマーディーゼル戦でデビューをした。翌シーズンはリーグ戦出場の機会はなく、JSL1部の通算成績はこの1試合のみとなった。 1992年、浦和レッドダイヤモンズへ移行後もチームに在籍したがトップチームでの出場機会はなく、サテライトリーグで7試合に出場した。1993年1月、ジャパンフットボールリーグの西濃運輸へ移籍。
加藤 慎一郎(かとう しんいちろう、1968年4月17日 -… 加藤 慎一郎(かとう しんいちろう、1968年4月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に塩川哲也や長澤徹がいる。 法政大学を経て1991年に日本サッカーリーグのNKKサッカー部に加入。1991年3月17日に行われたJSL1部第15節の三菱自動車戦でデビューすると、1990-91シーズンにはリーグ戦8試合に出場し1アシストを記録した。 1993年、日本プロサッカーリーグの清水エスパルスへ移籍。2シーズンに渡り在籍したが、トップチームでの出場機会はなく、1994年限りで退団した。 引退後はサッカー指導者となり、清水の育成組織のコーチや監督を歴任している。
大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日 - )… 大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日 - )は、富山県富山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカーモンゴル代表監督を務める。 9歳からサッカーを始め、富山第一高校、法政大学と進み、古河電工に入社した。チームメイトに岡田武史や奥寺康彦がいた。2年プレーして引退。 1989年に渡英し、当時古河電工サッカー部と提携関係にあったウェストハム・ユナイテッドFCで1年間に亘り指導者について学び、イングランドのインターナショナルライセンス(18歳以下のチームの指揮が可能)を取得した。 1990年に帰国し、アローズ北陸のコーチに就任。在任中の1995年、第50回ふくしま国体において富山県選抜チームの監督兼選手として出場し、初優勝を果たした。
楠瀬 直木(くすのせ なおき、1964年4月17日 - )は… 楠瀬 直木(くすのせ なおき、1964年4月17日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ディフェンダー。シンガーソングライターの楠瀬誠志郎は実兄。日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。 帝京高校では、1982年に鹿児島県で行われた高校総体で全国優勝。法政大学を経て、1987年に読売サッカークラブに入団し、1995年に本田技研工業サッカー部で現役生活を終える。 現役引退後は兵庫FC監督を経て、少年サッカースクールを栃木県小山市で開講。2003年からは長くVERDY S.S小山ジュニアユースで監督を務めた。2009年にJFA公認S級コーチライセンスを取得。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。 静岡県立清水東高等学校時代は望月達也、反町康治らと共に高校総体2連覇(1980、1981年度)、高校選手権準優勝(1980年度)に貢献。法政大学を経て、1986年に日本サッカーリーグ2部のトヨタ自動車へ入部。打点の高いヘディングを武器に センターフォワードとして活躍し、Jリーグの発足により名古屋グランパスエイトとなってからも活躍、初代主将を務めた。1995年に現役引退。 引退後は名古屋のスタッフを経て、中京大学の監督を務め後進の指導に努めたほか、中日スポーツ評論家、東海テレビの『グランパスExpress』解説等を務めた。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。
中野 雄二(なかの ゆうじ、1962年10月17日 - )は… 中野 雄二(なかの ゆうじ、1962年10月17日 - )は、東京都目黒区出身の元サッカー選手、サッカー指導者、大学教授。現役時代のポジションはディフェンダー。日本サッカー協会指導者ライセンスのB級を保有している。 国立東京第二病院(現:国立病院機構東京医療センター、東京都目黒区)で生まれ、その後は東京都世田谷区の三軒茶屋で暮らしていたが、6歳の時に父の転勤により茨城県古河市へ転居した 。小学生(古河市立古河第三小学校)の時は野球が好きであった が、小学4年で地元の少年サッカーチームに入った時よりサッカーを始め 、古河市立古河第二中学校でもサッカー部に所属した。 1978年、茨城県立古河第一高校に入学してサッカー部に所属。
水沼 貴史(みずぬま たかし、1960年5月28日 - )は… 水沼 貴史(みずぬま たかし、1960年5月28日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 Jリーグ発足前に、人気が低迷していた日本サッカー界を支えた人物の一人。 長男の水沼宏太もプロサッカー選手(Aリーグ・ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツ所属)。 本太少年団でプレーし、浦和市立本太中学校(現:さいたま市立本太中学校)では3年生の時に全国制覇。その後進学した浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)では、名将・松本暁司監督の指導の下で1年次からレギュラーに定着。
加藤 正明(かとう まさあき、1958年12月22日 - )… 加藤 正明(かとう まさあき、1958年12月22日 - )は愛知県名古屋市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 法政大学時代は川勝良一、柳楽雅幸と共に1980年度の総理大臣杯優勝、大学選手権3年連続準優勝(1977年、1978年、1979年)に貢献し黄金時代を築いた。卒業後の1981年に日本サッカーリーグ2部の東芝サッカー部へ川勝、柳楽と共に入部。同年のJSLカップ決勝の三菱重工戦で2得点を上げ優勝に貢献した。 また、同年に日本代表に選出され、国際Aマッチ3試合1得点を記録した。 その後、東芝でのJSL1部昇格は成らず、怪我の影響もあり1983年を最後に東芝を退部。1年間のブランクを経て1985年にJSL1部の全日空横浜サッカークラブに入団したが、目立った成績を残せないまま1988年に引退した。
菅又 哲男(すがまた てつお、1957年11月29日 - )… 菅又 哲男(すがまた てつお、1957年11月29日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手。日立製作所などに所属し、日本代表としても23試合に出場した。 柏レイソルでは2002年に総務部長、2003年から2005年まではチーム統括部長を務めた。 栃木県で生まれ、小学校六年時に当時サッカー王国であった埼玉県の与野市に引っ越したことがきっかけでサッカーを始める。与野市立与野東中学校からは全国屈指の強豪であった浦和市立浦和南高等学校に進み高校選手権に優勝。 その後法政大学に進学し一年時に大学選手権を制し、三年時には日本代表に選出される。卒業後は日立製作所に所属した。 ・JSL東西対抗戦 3回出場:1980年、1982年、1984年
保坂 不二夫(ほさか ふじお、1957年5月1日 - )は、… 保坂 不二夫(ほさか ふじお、1957年5月1日 - )は、山梨県韮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級ライセンスを有する。 山梨県立韮崎高等学校や法政大学時代には数多くのタイトル獲得に貢献。1980年からは日本サッカーリーグ2部の東芝サッカー部でプレーを続けた。現役引退後は同サッカー部のコーチを務め、Jリーグ所属のコンサドーレ札幌のトップチームやユースのコーチを務めた。2009年より地元であるJリーグ所属のヴァンフォーレ甲府のユース監督に就任。2011年より同トップチームのコーチに就任した。 2014年2月、山梨県ユースダイレクターおよびJFAインストラクターに就任した(甲府のアカデミーダイレクターを兼任)。
勝俣 進(かつまた すすむ、1956年2月17日 - )は、… 勝俣 進(かつまた すすむ、1956年2月17日 - )は、山梨県富士吉田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、元地方公務員、政治家。元山梨県富士吉田市議会議員(4期)。現役時代のポジションはFW。 小学校よりサッカーを始め、山梨県立甲府工業高校を経て、法政大学に入学。在学中はサッカー部に所属した。1978年に大学を卒業して富士吉田市役所に勤務。また、甲府サッカークラブ(現在のヴァンフォーレ甲府)に加入した。1984年に現役を引退した。 1993年に富士吉田市役所を退職し、ドイツのサッカークラブ、ヴェルダー・ブレーメンにアシスタントコーチとして就任後、1994年に甲府クラブの監督に就任したが、同年で退任した。
坪田 和美(つぼた かずみ、1956年1月23日 - )は、… 坪田 和美(つぼた かずみ、1956年1月23日 - )は、長崎県出身のサッカー選手、サッカー指導者。 法政大学から1979年にヤンマーディーゼルサッカー部(現・セレッソ大阪)へ入る。入部前から「大学ナンバーワンGK」との呼び声も高く、前年に入団していたユース代表・鈴木康仁とポジション争いを演じ、1980年から翌年にかけては二人そろって日本代表に選出されていた。1980年、前年に退部した垣内輝久から背番号1を受け継ぐと、1981年からは鈴木を退け6年連続で全試合出場し、不動のヤンマーの守護神となった。 1992年に引退後はC大阪コーチ、サガン鳥栖ヘッドコーチを経て、2003年からアイン食品サッカー部監督、2007年度からグランセナ新潟FCの監督に歴任。
清水 秀彦(しみず ひでひこ、1954年11月4日 - )は… 清水 秀彦(しみず ひでひこ、1954年11月4日 - )は、東京都出身の元サッカー選手(FW、MF)・サッカー指導者、サッカー解説者。 浦和市立高3年次の1972年に高校サッカー選手権優勝を経験し、法政大学経営学部卒業後の1977年に日産自動車サッカー部に入部。1983年にはセンターFWのポジションを柱谷幸一に譲り、豊富な運動量、中盤のディフェンシブなMFとしてプレー。冷静な判断力と高い戦術眼を生かし、攻守のバランスを整える存在となり、好守に活躍してチームの躍進に貢献。1985年からはコーチ兼任となり、1988年限りで現役を引退。 引退後は日産→横浜マリノスでヘッドコーチ(1989年 - 1990年)、監督(1991年 - 1994年)を務めた。
永尾 昇(ながお のぼる、1954年8月20日 - )は、日… 永尾 昇(ながお のぼる、1954年8月20日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。埼玉県児玉郡児玉町(現、本庄市)出身。 埼玉県立児玉高等学校時代に関東大会優勝、国体選抜に選出された経験を持つ。法政大学を経て1977年に日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部に入部。1978年シーズンに7アシスト(2位)を記録し新人王に選出された。翌年にも7アシストで2年連続でアシストランクの次点に入る活躍を魅せた。 また1980年度の天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝の田辺製薬戦では、かつての古豪の復活という話題性や田辺製薬が全社を上げて応援団を送り込んだ事もあって、35,000人の観衆の多くが田辺製薬を応援するアウェーの様な雰囲気の中、前半27分に決勝ゴールを決め同タイトルの獲得に貢献した。
前田 秀樹(まえだ ひでき、1954年5月13日 - )は、… 前田 秀樹(まえだ ひでき、1954年5月13日 - )は、京都市右京区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)、DF(リベロ)。 小学校 (京都市立太秦小) 時代にサッカーをはじめ、京都商業高校(現在の京都学園高校)で国体京都府代表に選出された。法政大学では関東大学リーグおよび大学選手権の優勝を経験した。大学卒業後は古河電気工業に所属し、1981年および1982年に日本サッカーリーグのベストイレブンを受賞した。 また、法大在学中より日本代表に選出。1980年代前半の日本代表で主将を務めた。 日本サッカーリーグの1988-89シーズンにて、元号が「昭和」から「平成」に替わった後の1989年2月26日、対住友金属工業戦で後藤義一からのコーナーキックを頭で合わせてゴールを決めた。
斉藤 和夫(さいとう かずお、1951年7月27日 - )は… 斉藤 和夫(さいとう かずお、1951年7月27日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のサッカー選手、コーチ・監督。現役時代のポジションはディフェンダー。 法政大学から日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工(現-浦和レッドダイヤモンズ)に入団、JSLでは通算248試合出場3得点を記録、ベストイレブンにも3度輝いた。日本代表では国際Aマッチ32試合出場の記録を残した。 1989年、三菱がJSL2部に降格すると監督に就任、圧倒的な強さを見せて優勝、1年で1部復帰を果たした。1992年に監督を退任すると三菱から名前の変わった浦和レッドダイヤモンズのコーチ、ジェフ市原のコーチを歴任した。 1997年にはJFL所属の川崎フロンターレの監督に就任した 川崎ではJリーグ昇格を期待されたが、後半戦の山場である第20節から3連敗し、昇格圏外の3位へ後退すると更迭された。
清雲 栄純(きよくも えいじゅん、1950年9月11日 - … 清雲 栄純(きよくも えいじゅん、1950年9月11日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ラグビー選手、法政大学スポーツ健康学部教授。サッカー選手時代のポジションはDF。 中学時代までは野球をしていた。山梨県立日川高校入学後、クラス対抗ラグビー大会の活躍によりまずラグビー部からスカウトされ、その後サッカー部にも入り、両部を掛け持ちするようになる。サッカーでは県大会3位止まりだったが、主にフルバックやウイングとしてプレーしたラグビーでは3年生の時に全国高校ラグビー大会で準々決勝まで進出し、大会ベストフィフティーンにも選ばれた。高校時代の同級生には有賀健、風間深志、ジャンボ鶴田がいる。
岡村 新太郎(おかむら・しんたろう、1948年4月21日 -… 岡村 新太郎(おかむら・しんたろう、1948年4月21日 - 2013年4月26日)は、日本の元サッカー選手、指導者。 静岡県藤枝市出身。現役時代は静岡県立藤枝東高等学校、法政大学、日本鋼管でプレイした。 静岡県立藤枝東高等学校時代には同級生に松永章(後に日立製作所)と桑原隆(後に古河電気工業を経てジュビロ磐田監督)がおり、彼らと共に高校3年次には1966年(昭和41年度)の全国高等学校サッカー選手権大会、全国高等学校総合体育大会、第21回国民体育大会(大分県)少年の部を全て制覇し、史上初の高校三冠の栄冠に輝いた。 高校卒業後に法政大学へ進学、大学4年次では主将に任命され、1970年の第19回全国大学サッカー選手権大会で優勝を果たした。