菊地 和博(きくち かずひろ、1949年 - )は、日本の民… 菊地 和博(きくち かずひろ、1949年 - )は、日本の民俗学者、東北文教大学名誉教授。専攻は民俗学・民俗芸能論。 山形県東根市に生まれる。法政大学文学部哲学科を卒業する。1973年から2000年まで山形県立高等学校教諭を務めた後、2000年に東北芸術工科大学東北文化研究センター助教授となる。2010年に東北文教大学短期大学部総合文化学科教授に就任し、2015年からは特任教授を務め、2021年4月からは東北文教大学の特任教授となる。 この間、2008年に「シシ踊り鎮魂供養の研究」で博士(文学)の学位を東北大学から取得した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平林 実(ひらばやし みのる、1949年-)は日本の実業家。… 平林 実(ひらばやし みのる、1949年-)は日本の実業家。三光マーケティングフーズ創業者・元社長。 1949年、東京都に生まれる。1972年に法政大学経済学部卒業後、飲食店に勤務する。1975年、神田のガード下に定食屋「三光亭」を創業し、1977年に『三光フーズ』を設立する。 1984年、渋谷に 居酒屋「だいこんの花」を開店、1998年に個室居酒屋「東方見聞録」を開店する。2002年10月 に社名を現社名『三光マーケティングフーズ』に変更する。 2003年、ジャスダックに上場し、2004年に東証2部に上場する。2009年から270円居酒屋「金の蔵Jr.」を、2011年に焼牛丼店「東京チカラめし」を開店する。
柿崎 繁(かきざき しげる、1949年 - )は、日本の経済… 柿崎 繁(かきざき しげる、1949年 - )は、日本の経済学者。明治大学名誉教授。元明治大学商学部教授。理論経済学・現代資本主義論を課題とする。北海道出身。戦前講座派の巨頭である山田盛太郎の理論の継承者である南克己に師事した。
森谷 英俊(もりや えいしゅん、1949年- )は日本の法相… 森谷 英俊(もりや えいしゅん、1949年- )は日本の法相宗の僧侶。現在、法相宗大本山興福寺貫首(代表役員)、同寺大聖院住職、山田寺住職。 1949年、神奈川県にて生まれる。1973年に法政大学法学部を卒業する。鎌倉市役所勤務などを経て、31歳で仏門に入る。1988年に興福寺責任役員・執事に就任。1991年に慈恩会堅義加業を成満、塔頭子院の大聖院住職に就任。その後は同寺執事長、副貫首を経て、2019年9月1日、興福寺貫首に就任する。また、2004年から山田寺住職を兼務している。興福寺元貫首の多川俊映と共に長年伽藍の復興・境内整備などに取り組み、講座・講演などでは『維摩経』の講読を長く続けている。
清藤 哲夫(せいとう てつお、1949年 - 2020年12… 清藤 哲夫(せいとう てつお、1949年 - 2020年12月26日)は、青森県弘前市で事業を展開し、地元経済界の主導的役割を担って地域振興に尽した、日本の経営者。弘前公益社やアップルウェーブ、アップルコミュニケーションズで代表取締役を務め、弘前観光コンベンション協会会長、弘前商工会議所会頭などを歴任した。 弘前市生まれ。生家は冠婚葬祭に関わる造花を扱う「清藤造花店」を営んでいた。 青森県立弘前高等学校から、法政大学に進んだが、中途退学して帰郷した。 家業に従い、1981年に事業を株式会社組織化して、弘前公益社代表取締役となり、以降、総合的な葬祭業への展開を進めた。 地元の経済界における役職としては、弘前商工会議所では1998年から副会頭を18年、2016年からは会頭となったほか、2006年から弘前観光コンベンション協会会長を10年間務めた(以降は、顧問)。
風見 雅章(かざみ まさあき、1948年12月11日 - )… 風見 雅章(かざみ まさあき、1948年12月11日 - )は、NHK放送研修センター・日本語センター専属アナウンサー。 1971年入局。初任地は山口。富山、高知、東京アナウンス室と勤務。1994年高知放送局の放送部長、1997年放送総局編成局編成担当部長、2000年ラジオセンター統括担当部長、2002年アナウンス室統括担当部長と歴任し2004年日本語センターエグゼクティブアナウンサー(局次長級)、のち専門委員。 日本語センター専属になって以降は、企業・自治体研修やアナウンス指導はもちろん、教育関係でも「先生のための言葉セミナー」など、多くの研修講師の実績がある。現在は同センターで「上達!話す力」主任講師。
菅 義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日… 菅 義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣(第99代)、内閣官房長官(第81代・第82代・第83代)、拉致問題担当大臣(第4次安倍第1次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、沖縄基地負担軽減担当大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、国家安全保障強化担当大臣(第2次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)(第1次安倍内閣)、総務大臣(第7代 )、郵政民営化担当大臣(第1次安倍内閣)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、経済産業大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、国土交通大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院議員(10期)、横浜市議会議員(2期)、自由民主党総裁(第26代)、自由民主党副総裁(第18代)、自由民主党幹事長代行(第2代)を歴任した。
沢田 猛(さわだ たけし、1948年12月 - )は日本のジ… 沢田 猛(さわだ たけし、1948年12月 - )は日本のジャーナリスト、 ノンフィクション作家。元毎日新聞記者。 炭坑労働者のじん肺患者や東京大空襲、中国・重慶爆撃の空襲被害者らの追跡ルポルタージュを書いている。 東京都大田区生まれ。1972年(昭和47年)3月、法政大学社会学部卒業。1975年(昭和50年)5月、毎日新聞社入社、静岡支局に配属され、整理本部、西部本社整理部、東京本社学芸部、生活家庭部、社会部を経て、2008年12月、社会部編集委員で退職。 この間、中央大学法学部、法政大学社会学部で兼任講師として「メディア表現論」「卒業演習」を担当。
白井 静雄(しらい しずお、1948年11月2日 - 、東京… 白井 静雄(しらい しずお、1948年11月2日 - 、東京都出身)は、日本のフリーアナウンサー。元文化放送アナウンサーで、元 編成局報道制作部デスク。法政大学文学部国文学科卒業。 1971年4月1日に、アナウンサーとして文化放送に入社。同期アナウンサーは中田秀作(2001年退社)。1981年に報道部へ異動してからは、お昼のニュースや『ニュース・パレード』のキャスターを務める一方で、記者の立場で取材リポートを随時担当していた。 2001年からアナウンス部長を務めた後に、2007年7月から報道制作部へ再び異動。2008年9月25日までデスクを担当した後に、同年11月30日で文化放送の定年(60歳)を迎えたことを機に退職した。
峯村 保雄(みねむら やすお、1948年11月 - )は、日… 峯村 保雄(みねむら やすお、1948年11月 - )は、日本の外交官。在カルガリー総領事を経てエルサルバドル駐箚特命全権大使。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。新潟県立高田高等学校を経て、1972年(昭和47年)法政大学法学部を卒業し、外務省に入省した。1973年6月から英国アバディーン大学にて在外研修。外務本省では中南米局、国際連合局、北米局及び大臣官房に勤務、在外ではナイジェリア、米国(ニューヨーク、カンザスシティ)、サウディアラビア、オーストリア、パキスタン、シリア、インド、カナダ及びエルサルバドルに在勤。
たかお 鷹(たかお たか、1948年7月17日 - )は、日… たかお 鷹(たかお たか、1948年7月17日 - )は、日本の男性俳優、声優。福岡県出身。文学座所属。 法政大学卒業。1974年に文学座研究所入所、1979年に文学座の座員となる。 2000年の舞台「缶詰」で第55回文化庁芸術祭演劇部門で優秀賞を受賞し、2006年には第41回紀伊國屋演劇賞で個人賞を受賞。その翌年の舞台「殿様と私」において第62回文化庁芸術祭演劇部門で大賞と第15回読売演劇大賞優秀男優賞の2つの賞を得ている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
竹中 宣雄(たけなか のぶお、1948年(昭和23年)7月1… 竹中 宣雄(たけなか のぶお、1948年(昭和23年)7月16日 - )は、日本の実業家。ミサワホーム代表取締役社長を経て、同社取締役会長、プレハブ建築協会副会長。 和歌山県和歌山市生まれ。1972年に法政大学社会学部を卒業し、(旧)ミサワホームに入社した。松本での新人時代には、3年半で100棟売った逸話を持つ。ミサワホーム青森(現:東北ミサワホーム)赴任時には、39歳で代表取締役青森支店店長に就任。猛烈な営業で業績を向上させた。 1992年には、三澤千代治からの抜擢によって本社の営業企画部長に就任。1995年取締役に選出される。その後、千葉ミサワホーム(現:ミサワホーム東関東)、ミサワホーム東京の地域販社社長を歴任した。
田村 信一(たむら しんいち、1948年(昭和23年)6月2… 田村 信一(たむら しんいち、1948年(昭和23年)6月20日 - )は、日本の社会思想史学者、北星学園大学元学長。経済学博士(立教大学)。 東京都生。1971年(昭和46年)法政大学経済学部卒業。1979年立教大学大学院経済学研究科博士課程修了。同年、同経済学部助手。1981年北星学園大学経済学部専任講師。1984年北星学園大学経済学部助教授。1991年北星学園大学経済学部教授。2001年北星学園大学院経済学研究科教授。2005年北星学園大学副学長。2006年同副学長。2012年同大学学長に就任。2018年同定年退職。同名誉教授。 専門は、社会思想史・経済思想史・経済政策論など幅広く研究。 従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆が非常勤講師を務める北星学園大に脅迫状が届いた問題では、我々も小さな大学であり学生確保も安泰ではない、来期は非常勤講師の雇用契約を更新しない、来期の更新がなくても外圧に屈したことにはならないとの考えを学内の会議で示したことを2014年10月31日の記者会見で述べた。
片岡 利明(かたおか としあき、1948年6月1日- )は元… 片岡 利明(かたおか としあき、1948年6月1日- )は元東アジア反日武装戦線「狼」メンバー。東京都出身。確定死刑囚。現在の姓は「益永」。
佐々木 利和(ささき としかず、1948年(昭和23年)5月… 佐々木 利和(ささき としかず、1948年(昭和23年)5月29日 - )は、日本の文化人類学者、北海道大学特任教授、東京国立博物館名誉館員。 北海道足寄郡陸別町生まれ。1967年北海道稚内高等学校卒業、札幌管区気象台稚内地方気象台技術課勤務。68年退職。1976年國學院大學文学部文学科日本文学専攻二部卒業。1979年法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了。2000年「アイヌ絵誌の研究」で早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。1982年東京国立博物館資料部資料第三研究室長、学芸部考古課主任研究官、資料部資料第二研究室長、学芸部資料課民族資料室長、2004年文化庁文化財部美術学芸課主任文化財調査官(歴史資料部門)、2006年国立民族学博物館先端人類科学研究部教授、2010年北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授。
岡村 新太郎(おかむら・しんたろう、1948年4月21日 -… 岡村 新太郎(おかむら・しんたろう、1948年4月21日 - 2013年4月26日)は、日本の元サッカー選手、指導者。 静岡県藤枝市出身。現役時代は静岡県立藤枝東高等学校、法政大学、日本鋼管でプレイした。 静岡県立藤枝東高等学校時代には同級生に松永章(後に日立製作所)と桑原隆(後に古河電気工業を経てジュビロ磐田監督)がおり、彼らと共に高校3年次には1966年(昭和41年度)の全国高等学校サッカー選手権大会、全国高等学校総合体育大会、第21回国民体育大会(大分県)少年の部を全て制覇し、史上初の高校三冠の栄冠に輝いた。 高校卒業後に法政大学へ進学、大学4年次では主将に任命され、1970年の第19回全国大学サッカー選手権大会で優勝を果たした。
堀井 和人(ほりい かずと、1948年3月15日 - )は、… 堀井 和人(ほりい かずと、1948年3月15日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。父親は南海ホークスで活躍した堀井数男。
井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は… 井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は、東京都出身で日本競輪選手会埼玉支部に所属していた元競輪選手であり、1968年メキシコシティーオリンピックの自転車競技・日本代表選手。東京工業高等学校、法政大学出身。 大学時代は短距離種目を中心にインターカレッジ大会等で活躍。また日本短距離界の第一人者でもあった。1968年にウルグアイ・モンテビデオで開催された世界自転車選手権のアマチュア・タンデムスプリントにおいて、当時ライバルだった日本大学の班目隆雄とコンビを組んで3位入賞。班目とともに日本人選手として同大会初のメダリストとなった。また同年のメキシコオリンピックでは日本人選手としてただ一人自転車競技の代表に選ばれ、個人スプリント(二次予選敗退)と1kmタイムトライアル(19位)に出場した。
太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 … 太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 - )は、日本の政治家。元千葉県いすみ市長(5期)、元岬町長(2期)。元・岬町長の太田儀男は父。 千葉県立大多喜高等学校、法政大学経済学部卒業。1972年(昭和47年)4月、千葉県庁に入庁。千葉県衛生部医療施設課長を務め、1999年(平成11年)に退職。同年10月、岬町長に就任。 2005年(平成17年)12月5日、大原町、夷隅町、岬町が合併しいすみ市が発足。同年12月25日に行われたいすみ市長選挙で前・大原町長の近藤万芳を破り初当選した。 2017年(平成29年)、無投票により4選。 2021年(令和3年)12月、元・いすみ市議会議員の田井秀明を破り5選。
菊田 均(きくた ひとし、1948年2月21日 - )は、日… 菊田 均(きくた ひとし、1948年2月21日 - )は、日本の文芸評論家。 東京都生まれ。本姓・小橋。法政大学文学部卒業、法政大学大学院中退。江藤淳を初めて一冊の本で論じた。
木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は… 木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は、21世紀社会動態研究所主宰、元多摩大学経営情報学部客員教授(-2019年3月)東北学院大学教養学部非常勤講師(-2018年3月)。元NHKアナウンサー。
川喜多 喬(かわきた たかし、1948年1月25日- )は、… 川喜多 喬(かわきた たかし、1948年1月25日- )は、日本の社会学者。法政大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪府立天王寺高等学校卒業、1971年東京大学文学部社会学科卒、76年同大学院社会学研究科博士課程満期退学、茨城大学講師、81年助教授、1983年東京外国語大学助教授、アメリカ遊学ののち1990年法政大学経営学部教授。98年イギリス遊学ののち2003年法政大学キャリアデザイン学部教授。2014年退任、名誉教授、順天堂大学国際教養学部特任教授。2016年日本キャリアデザイン学会名誉顧問。
小溝 泰義(こみぞ やすよし、1948年(昭和23年)1月2… 小溝 泰義(こみぞ やすよし、1948年(昭和23年)1月25日 - )は、日本の外交官。広島平和文化センター理事長、元駐クウェート国特命全権大使。 1948年(昭和23年)、千葉県松戸市に生まれる。法政大学法学部を卒業後、1970年(昭和45年)に外務省に入省する。 国際原子力機関(IAEA)事務局事務局長特別補佐官、条約局法規課専門官、条約局法規課法規調整官、 総合外交政策局軍縮不拡散・科学部不拡散・科学原子力課国際原子力協力室長、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、 駐クウェート国特命全権大使を経て、2012年(平成24年)11月に退職する。 2013年(平成25年)4月、広島平和文化センター理事長に就任する。
磯部 史雄(いそべ ふみお、1948年 - )は、東京都出身… 磯部 史雄(いそべ ふみお、1948年 - )は、東京都出身のアマチュア野球選手(外野手)。 日大三高では2年生時の1965年に、1年上の佐藤道郎、石塚雅二のバッテリーを擁し、左翼手として夏の甲子園都予選決勝に進むが、日大二高の神山修投手に完封され0-2で惜敗。翌1966年も、1年下のエース古賀正明を擁し、右翼手、三番打者として活躍。春季東京大会準決勝に進むが、日大一高の保谷俊夫、桜井憲の継投に抑えられ敗退。同年夏の甲子園東京都予選では決勝進出を果たし、修徳高と対戦するが、辻正孝に本塁打を喫するなど乱戦の末に7-9で惜敗。他のチームメイトに投手の柴田民男、三塁手の畑野実がいた。 法政大学へ進学。
瀬戸 英雄(せと ひでお、1948年 - )は日本の弁護士。… 瀬戸 英雄(せと ひでお、1948年 - )は日本の弁護士。第一東京弁護士会所属。元株式会社企業再生支援機構委員長。 企業法務、事業再生・倒産法に精通し、多くの大型企業の破綻処理を手掛けている。企業再生支援機構の委員長として,京セラの稲盛和夫と共に日本航空の再生を主導した。「修羅場の王」大西康之(ダイヤモンド社 2025年10月刊)の主人公。 神奈川県立小田原高校、法政大学法学部卒業、法政大学大学院社会科学研究科修了。1996年から法制審議会倒産法部会幹事として、民事再生法の制定、会社更生法・破産法の改正に関与。会社更生が適用された第一ホテル(2000年)、マイカル(2001年)、大和生命保険(2008年)の管財人。
遠藤 盛章(えんどうもりあき、1948年 - 2011年)は… 遠藤 盛章(えんどうもりあき、1948年 - 2011年)はビデオジャーナリスト、映像ディレクター集団「DNA」チーフディレクター。法政大学社会学部卒業後、新聞や雑誌の編集者などを経て、TVのディレクター職につく。 自らカメラを持って単独潜入・取材を行うことによりビデオジャーナリストの活動を開始する。香港マフィア・フィリピンのイスラムゲリラ・麻薬組織の実態解明・ミャンマーのカレン軍・南アフリカの凶悪都市の潜入取材は一見に値する。また、パレスチナのゴラン高原取材・1998年のテポドン発射前の北朝鮮への潜入など活動的に取材を行っている。2000年以降はタリバン政権下のアフガニスタンへの取材。その後のアフガン戦争の取材・アフガン密貿易の取材、さらに2002年から翌年にかけてのイラク戦争の取材を行った。
田邉 光雄(たなべ みつお、1948年 - )は日本の実業家… 田邉 光雄(たなべ みつお、1948年 - )は日本の実業家。信金中央金庫理事長。 1948年、栃木県に生まれる。栃木県立栃木高等学校を経て法政大学経済学部を卒業後、全国信用金庫連合会(現・信金中央金庫)に入社。1998年に財務企画部長、2000年に理事・財務企画部長、2001年に理事・大阪支店長、2003年に常務理事、2005年に専務理事、2007年に副理事長、2009年に第3代理事長に就任。2018年旭日小綬章受章。 信金中央金庫の初の生え抜き理事長である。
千野 共美(ちの ともみ、1948年 - )は、長野県長野市… 千野 共美(ちの ともみ、1948年 - )は、長野県長野市出身の前衛いけばな作家、華道家。中川幸夫の妻である半田唄子に師事。半田唄子の死後、中川幸夫のアシスタントを務めた。花の教室を主宰、花を教える他、いけこみ等の仕事に携わる。現在、東京都国立市在住。
玉井 哲雄(たまい てつお、1948年 - )は、日本のソフ… 玉井 哲雄(たまい てつお、1948年 - )は、日本のソフトウェア工学者。工学博士。法政大学理工学部創生科学科教授、東京大学大学院総合文化研究科(広域科学専攻)教授を経て、同大名誉教授。専門はソフトウェア工学、モデル化技法および形式手法など。 1948年1月に生まれ、1970年東京大学工学部計数工学科卒、1972年東京大学大学院工学系研究科計数工学専攻修士課程修了。同年、株式会社三菱総合研究所入社。人工知能開発室室長などを経て、1989年筑波大学大学院経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻) 助教授。1993年東京大学工学博士。論文は、「計算の流れの構造に関する研究 -グラフ上の不動点問題の統一的定式化と解法」。
岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9… 岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9日)は日本の探検家、作家、編集者。NPO法人南アジア遺跡探検調査会理事長、第23回植村直己冒険賞受賞。 1948年、宮崎県小林市に生まれる。宮崎県立小林高校を経て、1972年に法政大学文学部日本文学科を卒業する。在学中は探検部で活動し、1969年、独立直後で鎖国状態のインド洋モルディブへ特例で入国、日本人初の長期滞在者となり、半年間の民俗調査ののちスリランカの密林遺跡探検に転じる。大学卒業後は著述業や東海教育研究所の月刊誌『望星』編集長などの本業の傍ら、法政大学探検部などを母体に探査隊を組織して、これまでに同国で約250カ所、モルディブで11カ所の遺跡を発見、調査する。
高瀬 幸途(たかせ よしみち、本名:中里 幸途、1948年 … 高瀬 幸途(たかせ よしみち、本名:中里 幸途、1948年 - 2019年4月24日)は、日本の編集者。太田出版社長を務めた(1995年 - 2006年)。2013年に退社[要出典]後は、フリーとなった。 東京都出身。法政大学時代、非合法革命党派に所属。糸井重里とは対立するセクトにいた。 荒井晴彦に『神聖喜劇』(大西巨人・原作)のシナリオ版を書かせた。 ビートたけしとの交友もある。太田出版は、たけしの著作をよく出版していて、そのつながりからである。「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「北野ファンクラブ」でも高瀬がネタになったことがよくあったという。 見城徹とは友人で、見城の『編集者という病』の編集を高瀬が手がけた。
黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )… 黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )は、兵庫県印南郡大塩町(現・姫路市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、野球解説者・評論家。 生家は黒田官兵衛の子孫と伝わる。黒田が生まれた頃、生家は薬局を経営しており、薬剤師をしていた母から整腸剤を毎日飲むように言われていたことが強い体の基礎となったと回想している。 中学生の時に本格的に野球を始め、姫路南高校では1年次の1963年からベンチ入り。その時の3年生主砲が切通猛で、凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていた。黒田は一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通からは「何でもええから走っとけ」と言われ、野球人生で最初に影響を受けた人になった。
宮城 まり子(みやぎ まりこ、1947年12月19日 - )… 宮城 まり子(みやぎ まりこ、1947年12月19日 - )は、日本の心理学者、臨床心理士。法政大学キャリアデザイン学部教授。専門は臨床心理学、キャリアカウンセリング、産業・組織心理学、生涯発達心理学。 神奈川県出身。1966年フェリス女学院高等学校卒業。1970年慶應義塾大学文学部心理学科卒業。1973年早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻修士課程修了。 大学院修了後、臨床心理士として東邦大学医学部付属大森病院、聖母病院などで臨床活動に従事。1997年にカリフォルニア州立大学大学院教育学研究科カウンセラー教育修士課程キャリアカウンセリングコース研究留学(Visiting Scholar)。産能大学(現・産業能率大学)専任講師・助教授を経て、2002年立正大学心理学部臨床心理学科助教授。
岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - … 岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - 2019年1月31日)は、日本のジャーナリスト、元『噂の眞相』編集長・発行人。 鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)生まれ。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校(県をまたいで越境入学した)では野球部に所属。法政大学社会学部入学後、学生運動の闘士となり、大学3年のとき構造改革左派のプロレタリア学生同盟に参加。1970年に卒業後、70年安保を境に学生運動から脱落。同法学部に学士入学し、在学中は高田馬場で土方のアルバイトを経験。1972年卒業。 赤石憲彦率いる東京アドエージに入社し、以後2年半、業界紙の編集に携わる。1975年に退社し、新島史と共同で『マスコミ評論』を創刊、編集長となる。
馬場 憲一(ばば けんいち、1947年11月1日 - )は、… 馬場 憲一(ばば けんいち、1947年11月1日 - )は、日本の歴史学者で歴史的文化環境の研究者。 法政大学名誉教授。博士(文学)。専門は、歴史学(地域史学)、文化遺産学、文化環境政策学などで、研究領域は、地域社会における文化遺産の保存と活用、地域博物館・エコミュージアムのあり方、歴史的環境の形成と文化遺産保護の歴史、近世社会の地域支配システムなど。 東京都生まれ。1974年、法政大学大学院人文科学研究科修士課程日本史学専攻を修了し、1977年、同博士課程日本史学専攻単位修得(満期退学)。 1996年、法政大学より博士(文学)の学位を授与。 1976年から24年間、東京都教育庁に学芸員(学芸研究職)として在職し、文化財の調査・研究をはじめ文化財保護行政、博物館建設構想などに従事。
神和住 純(かみわずみ じゅん, 1947年10月1日 - … 神和住 純(かみわずみ じゅん, 1947年10月1日 - )は、日本のプロテニス選手・指導者である。法政大学スポーツ健康科学部教授。 日本人戦後初のトーナメントプロ選手。1980年から国内7年連続賞金王。1997年から2004年までデビスカップ代表監督。1973年全米オープンで3回戦に進出。これは錦織圭が2008年に進出するまで日本人男子最後の全米3回戦進出であった。 石川県鹿島郡中能登町(旧鹿島町)出身、東京育ち。全日本チャンピオンであった母と二位であった父の影響から、中学1年でソフトテニス(軟式庭球)を始める。法政大学第二高校進学後硬式に転向し、1965年全国高等学校総合体育大会テニス競技大会完全優勝と全日本ジュニアテニス選手権単複優勝を飾る。
田中 星児(たなか せいじ、1947年〈昭和22年〉8月27… 田中 星児(たなか せいじ、1947年〈昭和22年〉8月27日 - )は、日本の歌手。奈良県御所市出身。名前は、星の綺麗な夜に生まれた事にちなむ。歌手のグッチ裕三は従弟である。法政大学卒業。 作曲家としてのペンネームに「中山 竜」がある。 音楽教師をしていた両親の赴任地である奈良県御所市で出生、小学校3年生の時大阪府大阪市へ転居。幼少から音楽的環境に恵まれていた。 大阪府立阪南高等学校[要出典]在学中からオーディション番組やのど自慢などに参加し、法政大学在学中の1966年にはTBS『ナショナル10人抜きのど自慢』優勝、1968年にはNHK『NHKのど自慢全国大会』(ポピュラーの部)優勝、シャンソンコンクールで入賞、といった実力を発揮する。
川口 博(かわぐち ひろし、1947年8月4日 - )は、日… 川口 博(かわぐち ひろし、1947年8月4日 - )は、日本の政治家。 秋田県鹿角郡小坂町長(5期)、衆議院議員(1期)を歴任した。 1947年、秋田県小坂町に酪農農家の次男として生まれ、地元の高校を卒業後に上京。法政大学工学部での学業の傍ら、学資を稼ぐために世田谷区でラーメン屋の屋台引きなど様々なアルバイトを経験。1984年4月に、秋田県小坂町議会議員に当選し、6年在職。 その後、1990年4月に小坂町長に初当選。2009年3月12日まで5期を務める。在任中、財団法人秋田県資源技術開発機構理事、全国鉱山所在市町村協議会会長、秋田県鉱山所在市町村協議会会長、地域経済対策自治体協議会副会長、秋田県市町村職員共済組合理事長、秋田県河川治水協会会長を務める。
上田 忠彦(うえだ ただひこ、1947年8月3日 - 201… 上田 忠彦(うえだ ただひこ、1947年8月3日 - 2015年4月15日)は、日本の元サッカー選手。ポジションはFW。京都府出身。 元日本代表サッカー選手釜本 邦茂氏と同じ、京都市立太秦小学校でサッカーを始める。市立蜂ヶ岡中学校、京都商業高等学校(現、京都学園高等学校)から法政大学へと進み、新日本製鐵に加入。日本代表としても12試合に出場し7得点を記録した。現役時代はヘディングの強さが特徴のFWで、1970年のアジア大会では釜本邦茂と2トップを組んだ経験もある。 現役引退後は京都市の京都J-マルカフットボールクラブの代表者で、サッカーの指導者。また、京都クラブユースサッカー連盟(U-15)の監事も務めていた。
江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は… 江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)生まれ、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手)、元参議院議員。東京都在住。
古谷 義幸(ふるや よしゆき、1947年〈昭和22年〉7月8… 古谷 義幸(ふるや よしゆき、1947年〈昭和22年〉7月8日 - )は、日本の政治家。神奈川県秦野市長(3期)、神奈川県議会議員(2期)、秦野市議会議員(4期)などを務めた。 神奈川県秦野市生まれ。秦野市立本町中学校、神奈川県立秦野高等学校卒業。法政大学経済学部通信教育課程卒業後、23歳の時に総理府青年海外派遣団に参加し、インド、ネパールを視察。1975年、秦野市議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。以後、4期16年にわたり秦野市議を務める。1988年、秦野市議会議長に就任。 1995年、神奈川県議会議員選挙に出馬し、当選。県議を2期務め、新秦野赤十字病院の建設や小田急電鉄秦野駅へのロマンスカー停車等に尽力した。
坂本 光司(さかもと こうじ、1947年6月4日 - )は、… 坂本 光司(さかもと こうじ、1947年6月4日 - )は、日本の経営学者(地域経済論・地域企業論)。元法政大学大学院政策創造研究科教授、特定非営利活動法人SOHO・アット・しずおか理事長、人を大切にする経営学会会長、アチーブメント株式会社顧問。 特定非営利活動法人オールしずおかベストコミュニティ理事長、特定非営利活動法人ストリートデザイン研究機構理事長、社会起業大学顧問などを歴任した。 1947年、静岡県志太郡(のちの大井川町。現在の焼津市)にて生まれた。 静岡県立榛原高等学校を経て、法政大学経営学部を卒業した。 法政大学経営学部講師、静岡県立大学経営情報学部講師、浜松大学経営情報学部教授・大学院経営学研究科教授、福井県立大学地域経済研究所教授、静岡文化芸術大学文化政策学部教授・大学院文化政策研究科教授、法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授、静岡県立大学経営情報学部客員教授、法政大学大学院政策創造研究科教授などを歴任した。
寺尾 聰(てらお あきら、1947年〈昭和22年〉5月18日… 寺尾 聰(てらお あきら、1947年〈昭和22年〉5月18日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン、ナレーター。 神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。ホリプロダクション、石原プロモーションを経て、寺尾事務所(自らの個人事務所)所属。 目黒区立第十中学校、和光学園、法政大学第二高等学校、文化学院卒業。父は俳優の宇野重吉。既婚。3児の父。 劇団民藝の創設者である宇野の長男として生まれたが、この境遇に反発し音楽に傾倒。1965年に奥島吉雄、林廉吉らが結成したカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」に加入し、ベースを担当した。1966年に「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー、この曲と2枚目の「この手のひらに愛を」が大ヒットするが、すぐにグループを脱退した。
安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈… 安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈昭和22年〉5月10日 - 2017年〈平成29年〉2月12日)は、日本の政治家。位階は正五位。 館林市長(3期)。群馬県議会議員(3期)。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。群馬県立館林高等学校卒。1971年、法政大学経済学部経済学科卒業。坂村吉正衆議院議員、谷津義男衆議院議員らの秘書、有限会社安楽岡代表取締役を経て、1995年に館林選挙区から群馬県議会議員選挙に出馬し初当選。これ以降連続3期当選。この間、自由民主党群馬県議団長、自由民主党群馬県支部連合会総務会長などを歴任。 2007年、館林市長だった中島勝敬が病気のため市長を辞職したことに伴い、県議会議員を辞職して市長選に出馬。
渡部 亮(わたべ りょう、1947年5月7日 - )は、日本… 渡部 亮(わたべ りょう、1947年5月7日 - )は、日本のエコノミスト。野村総合研究所ヨーロッパ社長、いちよし経済研究所社長、法政大学経済学部教授、ケンブリッジ大学客員フェロー等を務めた。 東京都国立市出身。桐朋高等学校を経て、1970年一橋大学経済学部卒業、野村総合研究所入社。1972年から2年間ロンドン大学ロンドン・ビジネス・スクール修士課程に留学。1974年野村総合研究所証券調査本部研究員。1983年野村総合研究所ニューヨーク駐在エコノミスト。1986年ワシントン支店長。1989年経済調査室長。1991年投資調査部長。1993年からノムラ・リサーチ・インスティテュート・ヨーロッパ社長を務め、1999年野村総合研究所研究理事(役員待遇)。
小島 信夫(こじま のぶお、1947年(昭和22年)5月1日… 小島 信夫(こじま のぶお、1947年(昭和22年)5月1日-)は日本の銀行家、実業家。京葉銀行の代表取締役頭取や第二地方銀行協会会長などを務めた。 東京都出身で法政大学経済学部卒。1971年、千葉相互銀行(現京葉銀行)に入行し、馬込沢支店長や人事部課長、融資第一部長などを歴任し、2000年に同行の取締役に就任する。その後常務取締役、専務取締役と進み、2008年に代表取締役頭取に就任する。2009年から2011年まで横内龍三の後任として第二地方銀行協会会長を兼務した。 頭取在任中に勘定系システム刷新や本部棟の移転など、次世代に向けた投資を進める。 2016年に頭取を熊谷俊行に譲って京葉銀行代表取締役会長となり、2018年に取締役会長を退任する。
山中 正竹(やまなか まさたけ、1947年4月24日 - )… 山中 正竹(やまなか まさたけ、1947年4月24日 - )は、元社会人野球の選手(投手)・監督。
佐藤 春雄(さとう はるお、1947年2月10日 - )は秋… 佐藤 春雄(さとう はるお、1947年2月10日 - )は秋田放送(ABS)の元アナウンサー。秋田県仙北郡美郷町(旧六郷町)出身。 法政大学社会学部卒業。 特技は剣道で、有段者。過去には映画出演の経験もある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
石井 正敏(いしい まさとし、1947年2月8日 -2015… 石井 正敏(いしい まさとし、1947年2月8日 -2015年7月6日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史、対外関係史。中央大学名誉教授。日本古文書学会理事。 神奈川県横浜市出身。1969年法政大学文学部史学科卒、1971年中央大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了、1975年、中央大学大学院文学研究科国史学専攻博士課程単位修了。法政大学では丸山忠綱、中央大学大学院では森克己に学び、大学院の研究会では飯田瑞穂に学ぶ。2002年國學院大學博士 (歴史学)。 中央大学文学部兼任講師を経て、1976年、東京大学史料編纂所助手として着任。1987年、東京大学史料編纂所助教授、1988年に中央大学文学部助教授に転任し、1990年から教授。
尾木 直樹(おぎ なおき、1947年1月3日 - )は、日本… 尾木 直樹(おぎ なおき、1947年1月3日 - )は、日本の教育評論家、法政大学名誉教授、臨床教育研究所「虹」主宰、一般社団法人包括的性教育研究協議会代表。愛称は「尾木ママ」。 姉と弟を持つ3人姉弟の真ん中として誕生する。滋賀県坂田郡伊吹町(現:米原市)生まれ。高松第一高等学校を経て早稲田大学教育学部卒業後、高校・中学校教諭、東京大学教育学部非常勤講師などを歴任。教員生活22年間を経て1994年に教員を退職。同年、臨床教育研究所「虹」を設立。東日本大震災後の被災地に何度か足を運び、教育や子育て支援活動にも取り組んだ。2011年7月2日、故郷の滋賀県米原市の「まいばらふるさと大使」に任命され、講演先の大津市で委嘱式が行われた。