金子 京介(かねこ きょうすけ、2004年1月18日 -… 金子 京介(かねこ きょうすけ、2004年1月18日 - )は、東京都多摩市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学2年生の時から軟式野球を始め、和田中時代は町田ボーイズに所属。盛岡大附属高では2年生の秋からベンチ入り。3年夏に甲子園に出場した。神奈川大学に進学後、1年生の春からベンチ入り。全国大会には4年時春の大学選手権、及び同年秋の明治神宮大会に出場。 通算58発、振り切るスイングから強い打球を放つ右の強打者。パワーある打撃で主軸を務める。遠投90m、50m6秒2。リーグ通算11発(左6、中3、右2)。 グッズやライブに総額100万円ほど費やすほどの大の乃木坂46ファンであり、高校時代は帽子に「齋藤飛鳥」とマジックで記すほどの大ファンであり、現在の推しメンは筒井あやめである。
庄子 雄大(しょうじ ゆうだい、2002年10月2日 - )… 庄子 雄大(しょうじ ゆうだい、2002年10月2日 - )は、神奈川県横浜市旭区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 横浜高等学校では2年春の第91回選抜高等学校野球大会に出場。明豊との初戦で先発出場するも無安打に終わり、チームも敗れた。同学年に津田啓史、度会隆輝、松本隆之介、木下幹也、1学年上に及川雅貴がいた。 高校卒業後は神奈川大学へ進学。1年秋から遊撃手に挑戦し、その後レギュラーに定着した。リーグ戦通算で116安打を記録した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから2位指名を受けた。また、大学で二遊間を組んだ佐藤太陽も同ドラフトで埼玉西武ライオンズから育成2位指名を受けた。
出井 敏博(いでい としひろ、1997年4月29日 - )は… 出井 敏博(いでい としひろ、1997年4月29日 - )は、栃木県小山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手だった。 小学校3年生より野球を始め、5年生から投手を務めるようになる。小中学校時代はエースとして活躍し、進学した埼玉栄高校でも、1年生秋からエースナンバーを背負った。高校卒業後は神奈川大学に進学。しかし、硬式野球部では周りの選手のレベルの高さに圧倒され、野球を辞めようと何度も考えるようになった。それでも踏みとどまり、主にリリーフでの起用で大学時代を過ごした。 2019年10月17日に行われたドラフト会議において埼玉西武ライオンズから育成ドラフト1位で指名され、11月21日に支度金350万円、年俸400万円にて入団合意した。
足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は… 足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務める。 小山田小3年生から「町田ライオンズ」で投手として野球を始めた。小山田中軟式野球部時代から捕手に転向した。 中学時代は小山田中軟式野球部の他、軟式野球チーム「北斗クラブ」でも正捕手を務め、3年秋には町田市少年野球連盟秋季大会中学生の部決勝にて決勝適時打をレフトに放ち優勝に貢献した。 桜美林高では2年生から「4番・捕手」として活躍し、キャプテンも務めた。2年秋には都大会で準優勝したものの甲子園への出場経験はない。 神奈川大では2年次からレギュラーとなり、4年次ではキャプテンを務めた。
高塩 将樹(たかしお まさき、1989年3月24日 - )は… 高塩 将樹(たかしお まさき、1989年3月24日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身のプロ野球選手(投手)。中華職業棒球大聯盟(CPBL)の統一ライオンズ所属。 横浜市立西谷中学校在学中は中本牧シニアに所属し、藤沢翔陵高等学校を経て神奈川大学に進学するも、野球部には所属せず4年次からクラブチームの横浜金港クラブに入り、2011年に開催された第36回全日本クラブ野球選手権大会準々決勝の関西メディカルスポーツ学院戦でノーヒットノーランを達成。 2011年のベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)のドラフトで富山サンダーバーズから1巡目指名を受け、入団。2012年から2014年まで3シーズン在籍し、24勝18敗を記録した。
中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は… 中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。NPBでは育成選手であった。 宇部鴻城高校を経て、神奈川大学に進学。高校時代には、3年時に主将を務めたが、春夏とも全国大会に出場できなかった。大学時代にも、ケガの影響で神奈川大学リーグ公式戦への登板が1試合にとどまった。 大学4年生の秋には、リーグ戦へのベンチ登録を果たせなかった。しかし、野球を諦められなかったことから、独立リーグであるBCリーグのトライアウトを受験。その結果、トライアウト後の2012年ドラフト会議で、富山サンダーバーズからの指名を受けて入団に至った。 2013年には、リーグ戦12試合に登板。
北野 洸貴(きたの こうき、1988年4月27日 - )は、… 北野 洸貴(きたの こうき、1988年4月27日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 野球を始めた時から遊撃手としてプレーしており、横浜創学館高時代も遊撃手として活躍。同期に秋山翔吾がいた。 神奈川大学に進学すると、当時のキャプテンが遊撃手を務めていたため、コーチの打診により外野手に転向した。俊足と強肩を活かし活躍し、3年時には日本代表に選出され、その頃からプロ入りを意識するようになった。4年秋にはベストナインを受賞し、リーグ戦2位から明治神宮大会へ出場するとベスト4。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから育成1位指名を受けた。
荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は… 荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。右投右打。現役時代は千葉ロッテマリーンズに所属し、リリーフとして活躍。退団後は社会人野球の日立製作所硬式野球部に所属していた。 現役時代のニックネームは、自身の背番号と、リリーフとして無失点に抑える投球から「ミスターゼロ」。 東京都町田市出身。四人兄弟の次男。小学2年生の時に野球を始める。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、2年上に加藤大輔がいた。3年秋には明治神宮大会で初戦から先発し、準決勝では青学大の高市俊と投げ合って完投、決勝でも救援登板したが降板後にサヨナラ負けで準優勝。4年時の2004年には大学選手権に出場して初戦完投勝利し、2回戦で完投も那須野巧(日大)の前に敗戦。
加藤 大輔(かとう だいすけ、1980年7月27日 - )は… 加藤 大輔(かとう だいすけ、1980年7月27日 - )は、福岡県豊前市出身の元プロ野球選手(投手)。ニックネームは大加藤(大カトーに由来)。
柳沼 強(やぎぬま つよし、1974年5月15日 - )は、… 柳沼 強(やぎぬま つよし、1974年5月15日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 2019年より千葉ロッテマリーンズのスカウトを務めている。 作新学院では3年春の県大会優勝で関東大会へ進むが準々決勝で部坂俊之らを擁する横浜高に敗退。夏は県大会ベスト4。神奈川大学へ進み、3学年上に高校の先輩である渡辺秀一がいた。4年秋には神奈川大学野球リーグのベストナインを獲得している。 1996年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから6位で指名され入団。 しかし、1軍出場がないまま3年で現役を引退した。 引退後は、19年間に渡り千葉ロッテのブルペン捕手を務めていたが、2019年よりフロント入りしスカウトに就任した。
岸川 雄二(きしかわ ゆうじ、1973年7月17日 - )は… 岸川 雄二(きしかわ ゆうじ、1973年7月17日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。
川俣 浩明(かわまた ひろあき、1972年8月12日 - )… 川俣 浩明(かわまた ひろあき、1972年8月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。2002年のみ登録名を川俣ヒロアキとした。
渡辺 秀一(わたなべ ひでかず、1971年7月13日 - )… 渡辺 秀一(わたなべ ひでかず、1971年7月13日 - )は、茨城県下館市(現在:筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)。 1996年から1999年の登録名はヒデカズ。 福岡のローカルアイドル・れいしゅしゅに所属していた渡辺帆乃夏は娘。 作新学院高校入学時は内野手。当時の大塚監督に投手転向を勧められた。高校3年の夏は初戦で県立の進学校である足利高校に敗れる。 神奈川大学に進学し同大学野球部所属。1991年の2年時、春季リーグ戦で優勝しベストナインを獲得した。続く大学選手権で慶応大を2-1、東海大を15-2(7回コールド)で下したものの、準決勝で関西大に3-5で敗退。第20回日米大学野球選手権大会において、後にダイエーでチームメイトとなる浜名千広や鳥越裕介とチームメイトとなる。
古川 祐一(ふるかわ ゆういち、1968年10月15日 - … 古川 祐一(ふるかわ ゆういち、1968年10月15日 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手、内野手)、野球指導者。 足立西高校では2年秋の東京都大会では準々決勝の早稲田実戦で先発登板して途中降板したが延長12回サヨナラ勝ち、準決勝は奈良原浩、芝草宇宙を擁した帝京高に惜敗。3年春の都大会は準決勝で帝京高に雪辱して決勝戦は敗れたが準優勝して関東大会出場。夏は東東京大会ベスト8。卒業後に神奈川大学に進学して硬式野球部に所属し、大学1年生までは投手を務めたが、それ以降は内野手に転向した。同期に浮島徹士(短大卒)がいた。 大学卒業後は、社会人野球のTDKのチームに入団し、都市対抗野球にも出場。
浮島 徹士(うきしま てつし、1968年8月11日 - )は… 浮島 徹士(うきしま てつし、1968年8月11日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 静岡学園高から神奈川大学短期大学部に進学し、神奈川大学野球連盟に加盟している神奈川大学硬式野球部でプレー。2年次の1988年の秋季リーグでは、打率.420をマークし首位打者、ベストナイン三塁手を獲得した。 短大卒業後、ロッテオリオンズに球団職員扱いとして籍を置き、1989年オフにドラフト外で入団した。 一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退した。 1994年に出版された小林至の著書「ボクの落第野球人生」 によると、1993年5月まではイースタンリーグのベストテン入りするほどの打撃だったが、夏場に入って右肘を故障したという。
岡島 厚(おかじま あつし、1961年5月27日 - )は、… 岡島 厚(おかじま あつし、1961年5月27日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(捕手)。 太田工業高から、神奈川大学に進学し1983年春はベストナインとなり大学選手権に出場した。 1983年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから4位指名を受け入団。 プロ3年目の1986年に一軍で1試合に出場するもあとは出場がなく1988年オフに自由契約となり、阪神タイガースにテスト入団する。1992年からはブルペン捕手を兼任し、1993年オフに現役を引退。 引退後は、1999年まで阪神のブルペン捕手を勤めた。現在は第一情報システムズ専務取締役である。
平川 洋幸(ひらかわ ひろゆき、1957年9月3日 - )は… 平川 洋幸(ひらかわ ひろゆき、1957年9月3日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 作新学院高では江川卓の2年後輩、3年夏の県大会は決勝で藤倉一雅がエースの足利学園に敗れた。神奈川大学へ進学、首位打者1回、ベストナイン2回を受賞するが中退し、社会人野球のスリーボンドへ入団。社会人時代は28本塁打を記録。 1982年オフに、ドラフト外で横浜大洋ホエールズへ入団。 1985年に一軍デビューを果たすも、同年限りで現役を引退した。 2005年、社会人野球・クラブチームの国際総合伊勢原クラブにコーチ兼任内野手として入団した。
石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日… 石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。島根県出雲市出身。
井野修(いの おさむ、1954年4月24日 - )は、群馬県… 井野修(いの おさむ、1954年4月24日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のプロ野球審判員。いせさき教育アンバサダー。 セ・パの審判部が完全統合された2011年(平成23年)より、審判長を務め、2014年(平成26年)1月から日本野球機構(NPB)参与・審判技術委員長兼野球規則委員となる。現役時代の審判員袖番号は1。 伊勢崎市立宮郷小学校、宮郷中学校、群馬県立前橋高等学校から神奈川大学在籍中の1976年(昭和51年)にセントラル・リーグ審判部へ入局し、大学在籍中の1年間は学生と審判員の“二刀流”であった。1978年(昭和53年)4月2日神宮球場でのヤクルトスワローズ‐広島東洋カープ戦、レフト側外審で1軍初出場。
大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )… 大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 海南高校では尾崎健夫とバッテリーを組み、2年次の1971年に春季徳島大会で優勝するが、代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れて四国大会には進めなかった。同年夏も県予選準々決勝で池田高に敗れ、甲子園には出場できなかった。他の高校同期に北川裕司、後にセ・リーグ審判となる谷博、同志社大学から日本生命に進んだ花野巧がいた。高校卒業後の1973年、当初志望していた関西大学が学生運動の影響で野球部員としての募集を行っておらず、日本生命からのオファーもあったものの大学進学を希望したため先輩のつてを頼って北川と共に神奈川大学へ進学。
北川 裕司(きたがわ ゆうじ、1953年〈昭和28年〉6月1… 北川 裕司(きたがわ ゆうじ、1953年〈昭和28年〉6月14日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 海南高校では尾崎健夫、大石友好のバッテリーを擁し、甲子園には出場できなかったが強豪校として知られた。1971年(昭和46年)春季徳島大会で優勝するが、代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れ、四国大会には進めなかった。他の高校同期にセントラル・リーグ審判の谷博がいた。卒業後は大石とともに神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは在学中5度優勝。最優秀選手、ベストナイン1回。 1975年プロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名され入団。1年目の1976年から一軍に上がり、6月には遊撃手として2試合に先発出場を果たす。
大島 郁将(おおしま いくまさ、1950年6月24日 - )… 大島 郁将(おおしま いくまさ、1950年6月24日 - )は、長野県伊那市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 名商大附属高校では捕手。神奈川大学へ進学し内野手に転向。神奈川五大学野球リーグでは在学中6回優勝。ベストナイン1回。1972年の全日本大学野球選手権大会では2回戦で中京大に敗退。 1972年ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。1974年から一軍に上がり、シーズン終盤の4試合に三塁手、遊撃手として先発出場。1975年には張本勲が中心になって計画されていたプロ野球選抜チームの韓国遠征メンバーに選出され、その後は伸び悩むが、1977年7月には4試合に二塁手として先発。
山口 富夫(やまぐち とみお、1948年7月30日 - )は… 山口 富夫(やまぐち とみお、1948年7月30日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手/右投げ右打ち)である。プロ入り前の名前は山口 富雄(読みは、上記と同じ)だった。 横浜高校、神奈川大学を経て三協精機に入社、1971年の都市対抗ではチームの準決勝進出に貢献。1972年のドラフト会議で、太平洋クラブライオンズの2位指名を受けてプロ入り。新人の年にオープン戦で開幕投手を務めたが公式戦での登板機会に恵まれないまま、1975年オフに金銭トレードで読売ジャイアンツに移った。ジャイアンツでは打撃投手を兼務しつつ一軍入りを目指したが、活躍できず引退後もジャイアンツに残り、1992年まで打撃投手としてチームを陰から支えた。
陽田 浅吉(ようだ あさきち、1948年7月29日 - )は… 陽田 浅吉(ようだ あさきち、1948年7月29日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神… 片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区釜利谷町出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜商業高校では、エースとして1964年の夏の甲子園神奈川県予選の準決勝に進出するが、鎌倉学園の林千代作中堅手に本塁打を喫し敗退。 高校卒業後は、神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは3度の優勝に貢献。1966年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、延長11回、日大に敗れた。大学同期に村越稔捕手がいる。1968年には秋季にリーグ最優秀選手となり、明治維新百年記念明治神宮野球大会に神奈川五大学選抜チームの一員として出場。1回戦で久玉清人をリリーフし、村越とバッテリーを組んで登板するが、関西六大学選抜に敗退した。
村越 稔(むらこし みのる、1946年7月22日 - )は、… 村越 稔(むらこし みのる、1946年7月22日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、一塁手。
椎 正年(しい まさとし、1946年2月21日 - )は、神… 椎 正年(しい まさとし、1946年2月21日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 日大高から神奈川大学へ進学するも中退して、1968年にドラフト外で東映フライヤーズへテスト入団。下手投げから、シュート、カーブを武器とした。 1970年に一軍登板を果たすが、1971年に現役を引退した。
五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - … 五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 武相高校では1963年の夏の甲子園神奈川県予選の準々決勝に進出するが、法政二高に敗れる。卒業後は神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは4度の優勝に貢献。1学年下の片岡建との二本柱で活躍した。1年秋に防衛大学校戦で完全試合を達成。1966年の全日本大学野球選手権大会では、1回戦で立大を4安打1点に抑えて勝利。準決勝に進出するが日大に延長11回1-2で敗退。最優秀選手4回、ベストナイン3回。大学同期に雨宮捷年外野手がいる。 1967年ドラフト会議で近鉄バファローズから7位指名を受け入団。
雨宮 捷年(あまみや かつとし、1945年6月17日 - )… 雨宮 捷年(あまみや かつとし、1945年6月17日 - )は、山梨県塩山市上於曽(現:甲州市)出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
佐藤 一誠(さとう いっせい、1945年1月5日 - )は、… 佐藤 一誠(さとう いっせい、1945年1月5日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 八王子学園八王子高等学校から、神奈川大学へ入学。神奈川五大学野球リーグでは、1年生ながら左翼手、四番打者として1963年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場し、準決勝まで勝ち進むが慶大に敗退。同大会は8打数4安打、打率.500を記録し、巨人、大洋、中日など各球団から勧誘をうけていた。百メートル12秒の俊足でもあった。 同年に神奈川大学を中退し、国鉄スワローズに入団。1964年には左翼手として2試合に先発出場。しかしその後は出場機会が減少、自由契約となり、テストを受け1967年に大洋ホエールズに移籍した。
政山 恵一(まさやま けいいち、1943年9月30日 - )… 政山 恵一(まさやま けいいち、1943年9月30日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。 藤沢商業高から神奈川大学に進学するも中退。社会人野球のリッカーミシンに入団し、その後林建設へ移籍。 1967年オフ、サンケイアトムズの入団テストを受け合格しドラフト外で入団する。しかし、わずか1年間で退団した。
森川 卓郎(もりかわ たくろう、1941年8月28日- )は… 森川 卓郎(もりかわ たくろう、1941年8月28日- )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
池沢 義行(いけざわ よしゆき、1939年(昭和14年)5月… 池沢 義行(いけざわ よしゆき、1939年(昭和14年)5月14日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 大田原高校では、1956年(昭和31年)秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、宇都宮工に大敗。卒業後は神奈川大学に進学。神奈川五大学野球リーグでは、2年下のエース森川卓郎らを擁し、1960年(昭和35年)春季、1961年(昭和36年)春秋季リーグと3回の優勝を経験。全日本大学野球選手権大会にも2回出場するが、いずれも中京大に2回戦で敗れた。4年春季リーグでは最優秀選手に選出され、首位打者を獲得。 1962年に読売ジャイアンツへ入団し、契約金は1,600万円であった。1年目から一軍に上がり、シーズン後半には坂崎一彦らと右翼手の定位置を争う。
高橋 幸一(たかはし こういち、1935年6月14日 - )… 高橋 幸一(たかはし こういち、1935年6月14日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。 原町高校から神奈川大学へ進学するも中退し、1955年に毎日オリオンズへ入団。同年退団。
田切 勝之(たぎり かつゆき、1935年2月27日 - )は… 田切 勝之(たぎり かつゆき、1935年2月27日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。 作新学院高校から神奈川大学を経て1957年に毎日オリオンズへ入団。1958年に退団。
鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日… 鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1956年と1957年の登録名は鈴木 正。 矢板高校から神奈川大学へ進学、エースとして活躍する。横浜四大学野球リーグでは在学中5回優勝。1955年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進むが明大に敗退。リーグ最優秀選手3回。 1956年に毎日オリオンズへ入団、外野手に転向する。同年は開幕から中堅手、五番打者として起用され、71試合に先発出場。しかし打撃面で結果を残せず、翌1957年からは衆樹資宏の入団もあって定位置を失う。その後は一時低迷するが、1960年は準レギュラーとして起用され同年のリーグ優勝に貢献。
山本 理(やまもと おさむ、1933年3月13日 ‐ 201… 山本 理(やまもと おさむ、1933年3月13日 ‐ 2016年11月19日)は、日本の高校野球指導者。栃木県出身。史上初の甲子園大会春夏連覇を達成した監督。 栃木県に生まれ、1945年に下野中学校(のちの作新学院高等学校)に入学。神奈川大学を経て、1955年に母校・作新学院の監督に就任した。1958年の第40回全国高等学校野球選手権大会で甲子園初出場し、ベスト4まで進出する。そして1962年の第34回選抜高等学校野球大会と第44回全国高等学校野球選手権大会を制し、史上初の春夏連覇を達成した。1973年には江川卓を擁して春夏連続出場したことでも知られる。のち部長に転じた。2016年11月19日、83歳で死去。
瀬井 清(せい きよし、本名:薛 永順、1916年3月10日… 瀬井 清(せい きよし、本名:薛 永順、1916年3月10日 - 1973年2月26日)は、中華民国・福建省福州市出身のプロ野球選手(内野手)。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
幡野 正秋(はたの まさあき)は、神奈川県出身の元社会人野球… 幡野 正秋(はたの まさあき)は、神奈川県出身の元社会人野球選手。ポジションは内野手(遊撃手、二塁手)。 武相高校では、1963年春季関東大会準決勝に進むが、宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園神奈川県予選では準々決勝に進出するが、法政二高に敗れる。 神奈川大学に進学。神奈川五大学野球リーグでは在学中4回優勝。1966年の大学野球選手権は準決勝に進むが、日大に延長11回敗退。リーグ戦でベストナイン二塁手にも選出されている。 卒業後は三協精機に入社する。1968年ドラフト会議で阪神タイガースから7位で指名されるが入団を拒否し、会社に残留した。 都市対抗野球大会の常連として活躍。1974年の社会人野球日本選手権では、大塚喜代美の好投もあって、決勝で日本鋼管福山に完封勝利、優勝を飾る。