布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7… 布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7日 - 2009年〈平成21年〉7月31日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座 初代教授、新潟大学医学部解剖学第二教室 第3代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。日本基督教団のクリスチャン。 新潟県刈羽郡鵜川村(現 柏崎市)の代々医者の家系に出生。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)に新潟大学医学部解剖学第二教室(担任:小池上春芳教授)研究生に就任、助手を経て1953年(昭和28年)4月に講師に就任、6月に新潟大学から医学博士号を取得、1956年(昭和31年)3月に助教授に就任、1966年(昭和41年)8月に新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座初代教授に就任、1972年(昭和47年)6月に新潟大学医学部解剖学第二教室第3代教授に就任、1980年(昭和55年)12月から新潟大学附属図書館旭町分館館長を兼任、1984年(昭和59年)11月から新潟大学附属図書館館長を兼任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、5月に新潟大学名誉教授の称号を受称、1995年(平成7年)に新潟リハビリテーション専門学校学校長に就任。
渋谷 武(しぶや たけし、1925年(大正14年)5月27日… 渋谷 武(しぶや たけし、1925年(大正14年)5月27日 - 2016年(平成28年)11月26日)は、日本の政治学者。新潟大学名誉教授、新潟薬科大学名誉教授、中華人民共和国黒龍江省社会科学院名誉教授、北東アジア学会初代会長・名誉会員。 長野県長野市に出生、新潟県上越市に転居、新潟市(現 新潟市中央区)に転居。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、4月に新潟高等学校に入学、1944年(昭和19年)8月に三重海軍航空隊に入隊、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に東京大学法学部政治学科を卒業。 1948年(昭和23年)4月に新潟第一師範学校講師に就任、1951年(昭和26年)3月に新潟大学人文学部助手に就任、1952年(昭和27年)1月に新潟大学人文学部講師に就任、1959年(昭和34年)5月に新潟大学人文学部助教授に就任、1964年(昭和39年)4月に新潟大学教養部助教授に就任、1965年(昭和40年)4月に新潟大学教養部教授に就任、1969年(昭和44年)7月に新潟大学教養部長事務取扱に就任、8月に新潟大学教養部長に就任、1975年(昭和50年)4月から新潟大学大学院法学研究科を担当、1982年(昭和57年)4月に新潟大学法学部教授に就任、1984年(昭和59年)4月に新潟大学法学部長・大学院法学研究科長に就任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、4月に新潟薬科大学教授に就任、1994年(平成6年)3月に新潟薬科大学を退職、新潟薬科大学名誉教授の称号を受称。
竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月2… 竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月26日 - 2002年〈平成14年〉11月2日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。日本赤十字秋田短期大学初代学長。秋田赤十字病院名誉院長。元日本病院会副会長・顧問。 北海道稚内市で生まれ、新潟県新潟市で育つ。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)6月から新潟県長岡市旭町1丁目の坂井医院に勤務、新潟市流作場2439番地(現 新潟市中央区万代2丁目1番1号)の新潟トヨタ診療所に勤務。 1952年(昭和27年)10月に新潟大学医学部第一内科に入局、1958年(昭和33年)3月に新潟大学から医学博士の学位を取得、7月に医局長に就任、講師を経て、1965年(昭和40年)10月に助教授に就任。
中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925… 中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925年〈大正14年〉5月16日 - 2012年〈平成24年〉5月24日)は、日本の生理学者、医史学者、医師、浄土真宗本願寺派僧侶。医学博士。岡山大学名誉教授。名塩御坊教行寺第15世住職。 新潟県新潟市西堀通10番町(現 新潟市中央区西堀通10番町)の浄土真宗本願寺派・蒲原浄光寺の第25世住職・蒲原霊英の次男として出生。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1949年(昭和24年)3月に米子医科大学生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1951年(昭和26年)4月に鳥取大学医学部生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1953年(昭和28年)6月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第一講座(担任:福原武教授)講師に就任、1954年(昭和29年)7月に医学博士号を取得、11月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:西田勇教授)助教授に就任、1957年(昭和32年)1月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:福原武教授)助教授に就任、1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)5月まで文部省在外研究員として西ドイツのゲッティンゲン大学生理学教室に留学、1970年(昭和45年)4月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座第2代教授に就任、1986年(昭和61年)4月に中国吉林省延辺医学院名誉教授(第1号)の称号を受称、1991年(平成3年)3月に岡山大学を定年退官、4月に岡山大学名誉教授の称号を受称。
屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015… 屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015年11月24日)は、日本の医学者、医師。新潟大学名誉教授。専門は、検査診断学。
和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月2… 和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月21日 - 2020年(令和2年)11月30日)は、日本の医学者である。 宮城県石巻町(現在の石巻市)の生まれ。一浪を経て、旧制の宮城県仙台第二第二高等学校に入学する。1945年(昭和20年)に卒業後、新潟医科大学(現在の新潟大学医学部)に入学し医学の研究に携わる。1949年(昭和24年)に卒業後は上京し個人病院での研修を経て、翌1950年(昭和25年)には石川島播磨重工業(現在のIHI)に勤務していた友人の紹介により、順天堂大学内における外科学者として入局した。 入局後は主に脳内におけるX線検査の研究に携わり、その応用として東北大学電気研究所に勤務していた菊池喜充らと共に、心疾患や悪性腫瘍、胎児等の早期発見や診断を目的に超音波療法の実験に携わった。
茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日… 小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日 - 1995年〈平成7年〉9月22日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。福島県立医科大学名誉教授、日本血液学会名誉会員。 新潟県新潟市出生、新潟県佐渡郡金沢村大字泉(現 佐渡市泉)出身。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校文科乙類を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟医科大学を半年繰り上げ卒業。 1945年(昭和20年)1月に横浜市戸塚区原宿町の海軍軍医学校戸塚分校を卒業、海軍軍医中尉に任官、山口県光市光井の第一特別基地隊附、3月に山口県平生町佐賀の平生突撃隊附、8月に終戦、1946年(昭和21年)1月に復員。
中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日… 中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日 - 2004年〈平成16年〉4月26日)は、日本の体育学者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)の新潟鐵工所新潟工場技師・中山礼吉の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京高等師範学校体育科を卒業。 1942年(昭和17年)に埼玉県立熊谷中学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に応召、南方各地を転戦し、1946年(昭和21年)6月に帰還、同年に新潟高等学校教授に就任、1949年(昭和24年)に新潟大学教育学部助教授に就任、1971年(昭和46年)に新潟大学教育学部教授に就任、1986年(昭和61年)に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、関東学園大学教授に就任、1994年(平成6年)に退職。
宮村 定男(みやむら さだお、1915年〈大正4年〉2月19… 宮村 定男(みやむら さだお、1915年〈大正4年〉2月19日 - 2011年〈平成23年〉11月25日)は、日本の細菌学者、医師。医学博士。新潟大学名誉教授。趣味はバイオリンと水泳。 新潟県北蒲原郡川東村大字下羽津(現 新発田市下羽津)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学細菌学教室(担任:宮路重嗣教授)副手に就任、12月に助手に就任、1943年(昭和18年)1月に医学博士の学位を取得、10月に新潟医科大学細菌学教室(担任:伊藤泰一教授)講師に就任。
植木 幸明(うえき こうめい、1914年11月3日 - 19… 植木 幸明(うえき こうめい、1914年11月3日 - 1986年11月24日)は、日本の医学者、新潟大学名誉教授。新潟県における第二水俣病を確認したことなどで知られる。 新潟県北蒲原郡堀越村大字里に生まれ、新潟医科大学を卒業した。 1951年(昭和26年)に東京帝国大学助手となり、1956年(昭和31年)に新潟大学医学部助教授として外科学講座に着任した。当時は、中田瑞穂教授らとともに大脳の半分を摘出する手術をおこなった。 1958年(昭和33年)にはジョンズ・ホプキンズ大学へ留学し、1962年(昭和37年)には新潟大学医学部教授に昇任した。この間、1959年(昭和34年)から1967年(昭和42年)まで医学部附属脳外科研究施設長を務め、1967年(昭和42年)からは新潟大学脳研究所脳神経外科学部門教授となり、その後1972年(昭和47年)から1976年(昭和51年)、また1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)にかけて脳研究所所長を務め、1980年(昭和55年)に定年退官した。
猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 -… 猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 - 1999年〈平成11年〉9月11日)は、日本の耳鼻咽喉科学者、耳鼻咽喉科医。医学博士。第8代新潟大学学長。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡上条村大字両郷(現 阿賀町両郷)出身。 新潟師範学校附属小学校を経て、1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1939年(昭和14年)7月に海軍軍医中尉に任官、海軍軍医学校の教官として全国各地出身の軍医の養成に努め、海軍省に勤務していた時に太平洋戦争が終戦、最終階級は海軍軍医少佐、戦後、復員省に勤務。
澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月… 澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月28日 - 2007年〈平成19年〉7月20日)は、日本の解剖学者、医師、トンボ研究家。医学博士。広島大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員、日本蜻蛉学会名誉会員、広島虫の会名誉会長。 新潟県新潟市関屋松波町(現 新潟市中央区関屋松波町)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学を卒業。 1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学副手に就任、1942年(昭和17年)に新潟医科大学助手に就任、1944年(昭和19年)に新潟医科大学臨時附属医学専門部助教授に就任、新潟医科大学講師を兼任。
山添 三郎(やまぞえ さぶろう、1908年〈明治41年〉10… 山添 三郎(やまぞえ さぶろう、1908年〈明治41年〉10月20日 - 2007年〈平成19年〉1月15日)は、日本の生化学者、エスペラント学者、医師。医学博士。群馬大学名誉教授、世界エスペラント協会名誉会員。元日本エスペラント学会参与。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に新潟医科大学を卒業。 1932年(昭和7年)4月に新潟医科大学医化学教室助手に就任、1937年(昭和12年)1月に日本労働科学研究所に入所、4月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得、1939年(昭和14年)9月に満州の満鉄開拓科学研究所に入所、1942年(昭和17年)2月に北京大学衛生学教授に就任、1945年(昭和20年)に太平洋戦争に陸軍軍医として応召、青島で終戦、最終階級は陸軍軍医少尉、1947年(昭和22年)11月に北海道の三菱美唄労働科学研究所に主任として入所。
小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉… 小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉2月11日 - 1997年〈平成9年〉10月26日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟医科大学解剖学第二教室第2代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)の富商・小池上春五郎の四男として出生。 1923年(大正12年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1926年(大正15年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年(昭和5年)3月に新潟医科大学を卒業。 1930年(昭和5年)4月に新潟医科大学解剖学教室(担任:平澤興教授)助手に就任、1934年(昭和9年)3月に新潟医科大学解剖学教室助教授に就任、1935年(昭和10年)1月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得。
福原 武(ふくはら たけし、1904年〈明治37年〉4月3日… 福原 武(ふくはら たけし、1904年〈明治37年〉4月3日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、日本の生理学者、医師。医学博士。岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授。岡山大学名誉教授、日本生理学会特別会員。 新潟県新潟市寄居町(現 新潟市中央区寄居町)出身。1921年(大正10年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1924年(大正13年)3月に新潟高等学校を卒業、1928年(昭和3年)3月に新潟医科大学を卒業。 1928年(昭和3年)4月に新潟医科大学生理学教室(担任:横田武三教授)助手に就任、1930年(昭和5年)4月に講師に就任、1932年(昭和7年)2月に新潟医科大学から医学博士号を取得、1933年(昭和8年)4月に新潟医科大学生理学教室助教授に就任、1938年(昭和13年)11月に永井潜の推薦で北京大学医学院生理学教室初代教授に就任、太平洋戦争後、1945年(昭和20年)12月に日本に帰国、1946年(昭和21年)6月に新潟医科大学薬理学教室(担任:木原玉汝教授)助教授に就任、1948年(昭和23年)7月に米子医科大学生理学教室初代教授に就任、1949年(昭和24年)5月に鳥取大学医学部生理学教室初代教授に就任、1954年(昭和29年)7月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授に就任、1956年(昭和31年)5月に岡山で第33回日本生理学会総会を主催、1966年(昭和41年)7月に岡山で第8回日本平滑筋学会総会を主催、1970年(昭和45年)3月に岡山大学を定年退官、6月に川崎医科大学生理学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)3月に同大学を退任、同大学客員教授に就任。
彦坂 忠義(ひこさか ただよし、1902年12月25日 - … 彦坂 忠義(ひこさか ただよし、1902年12月25日 - 1989年3月27日)は、日本の原子核物理学者。新潟大学名誉教授。愛知県渥美郡老津村(現・豊橋市)出身。理学博士(東北大学、1950年)。 長男は社会評論家、翻訳家、社会運動家の彦坂諦。四男は物理学者の彦坂正道。岳父(妻の父)は西洋史学者の阿刀田令造。 愛知県出身。旧制愛知県立第四中学校を経て、旧制第二高等学校を卒業後、1923年に東北帝国大学理学部物理学科に入学した。1926年に同大学を卒業し、当時の同大学教授高橋胖のもとで助手を務めた。1934年に原子核の内部構造を提唱し、当時広く考えられていたニールス・ボーアの液滴模型とは異なった今日殻模型と呼ばれるものに近い模型を発表したが、広く受け入れられることはなかった。
齋藤 兼吉(さいとう・かねきち、1895年〈明治28年〉1月… 齋藤 兼吉(さいとう・かねきち、1895年〈明治28年〉1月2日 - 1960年〈昭和35年〉10月26日)は、日本の体育学者であり、かつ、陸上競技、水泳、野球で超人的活躍をした運動選手である。 新潟県佐渡郡高千村(現在の新潟県佐渡市)にて生まれる。佐渡の相川町立相川尋常高等小学校(現 佐渡市立相川小学校) から旧制佐渡中学校(現 新潟県立佐渡高等学校)へ進み、佐渡中学校時代から1m75cmの長身でありスポーツ万能の異名を取った。佐渡中学校時代には相撲、柔道、剣道、陸上競技、水泳、野球、端艇とほとんどの競技に選手として参加して活躍したという。 英語を得意としていたことから外交官になりたかったが、実家が貧しかったために教師になることを考え、新潟県高田市の新潟縣高田師範学校(昭和戦後に新潟大学教育学部高田分校となり現在は廃校)に進学し、更に東京高等師範学校に入学する。
石黒 芳雄(いしぐろ よしお、1893年〈明治26年〉8月2… 石黒 芳雄(いしぐろ よしお、1893年〈明治26年〉8月26日 - 1969年〈昭和44年〉8月5日)は、日本の生理学者、内科学者、内科医。医学博士。海軍軍医。最終階級は海軍軍医中将。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)出身。1912年(明治45年)3月新潟中学校卒業、同年(大正元年)9月新潟医学専門学校入学、1913年(大正2年)12月海軍軍医学生受命、1916年(大正5年)5月新潟医学専門学校卒業。 1916年(大正5年)7月海軍少軍医、1917年(大正6年)12月海軍中軍医、1919年(大正8年)9月海軍軍医中尉、1920年(大正9年)12月海軍軍医大尉、給油艦「知床」軍医長、1923年(大正12年)2月装甲巡洋艦「出雲」軍医長心得・分隊長心得、同年4月霞ヶ浦海軍航空隊分隊長、1925年(大正14年)12月海軍軍医少佐、1928年(昭和3年)4月新潟医科大学研究科学生(内科学・生理学)、1929年(昭和4年)11月海軍軍医中佐、1930年(昭和5年)12月横須賀海軍航空隊軍医長・分隊長、1931年(昭和6年)4月医学博士(新潟医科大学)、1933年(昭和8年)10月海軍航空廠医務部長、1934年(昭和9年)11月海軍軍医大佐、1938年(昭和13年)11月海軍軍医学校教官、1939年(昭和14年)4月海軍航空技術廠医務部長、1940年(昭和15年)11月海軍軍医少将、1943年(昭和18年)4月海軍航空技術廠航空医学部長、1944年(昭和19年)5月海軍軍医中将、同年11月佐世保鎮守府軍医長・佐世保海軍病院長、1945年(昭和20年)10月予備役。
中院 孝圓(なかのいん たかまる、1892年〈明治25年〉1… 中院 孝圓(なかのいん たかまる、1892年〈明治25年〉1月7日 - 1977年〈昭和52年〉1月21日)は、日本の病理学者、内科学者、内科医。医学博士。神戸医科大学第一内科学教室初代教授。 新潟県三島郡与板町大字与板(現 長岡市与板町与板)の浄土真宗本願寺派・明元寺の中院正信の次男として出生。 1910年(明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1914年(大正3年)11月に新潟医学専門学校を卒業、新潟医学専門学校病理学教室助手に就任、1916年(大正5年)11月に京都帝国大学医科大学病理学教室助手に就任。 1921年(大正10年)4月に神戸病院病理科副医長に就任、10月に京都帝国大学から医学博士の学位を取得、1922年(大正11年)に神戸病院病理科医長・医化学科医長に就任、1924年(大正13年)に神戸病院病理科医長・胃腸科副医長に就任、1928年(昭和3年)5月にドイツに留学、イギリスとフランスの医学を視察、1929年(昭和4年)6月に帰国、12月に神戸病院内科呼吸器科部長・病理科部長に就任。
真保 一輔(しんぼ いっぽ、1887年〈明治20年〉12月2… 真保 一輔(しんぼ いっぽ、1887年〈明治20年〉12月25日 - 1964年〈昭和39年〉7月17日)は、日本の植物学者。新潟大学名誉教授。 新潟県中蒲原郡庄瀬村大字牛崎(現 新潟市南区牛崎)出身。1906年(明治39年)3月に新潟中学校を卒業、1909年(明治42年)7月に第一高等学校を卒業、1912年(明治45年)7月に東京帝国大学理科大学植物学科を卒業。 東京帝国大学理科大学大学院で3年間、植物生理学を研究、東京帝国大学理科大学植物学教室副手に就任、1919年(大正8年)6月に新潟高等学校教授に就任、植物学と動物学と生物学を担当。 1928年(昭和3年)3月に文部省在外研究員として植物学の研究のため、ドイツ、オーストリア、イタリア、アメリカへの留学に出発、1930年(昭和5年)4月に帰国。
須貝 章弘(すがい あきひろ, Akihiro Sugai)… 須貝 章弘(すがい あきひろ, Akihiro Sugai)は、日本の医師(総合内科専門医・神経内科専門医)・医学者。筋萎縮性側索硬化症(ALS)研究の第一人者。新潟大学医歯学総合病院脳神経内科講師。
西澤 昭夫(にしざわ あきお)は日本の経営学者。東北大学名誉… 西澤 昭夫(にしざわ あきお)は日本の経営学者。東北大学名誉教授。元日本ベンチャー学会会長。産学技術移転などに貢献し、アメリカ人以外としては初めてBayh-Dole Awardを受賞した。 新潟県上越市出身。神奈川県立湘南高等学校を経て、1973年新潟大学人文学部経済学科卒業。1975年東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了。1980年筑波大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程満期退学、マネジメントインテリジェンス非常勤研究員。 1982年日本合同ファイナンス入社。1989年日本合同ファイナンス企画部長。1991年Nomura/JAFCO Investment (Asia) Ltd.,取締役。
辻 孝 は、日本の発生生物学者、再生医学研究者。専門は器官再… 辻 孝 は、日本の発生生物学者、再生医学研究者。専門は器官再生工学、発生工学。博士(理学)(新潟大学)。株式会社オーガンテック取締役会長・創業者、理化学研究所生命機能科学研究センター客員主管研究員、東京歯科大学客員教授。2014年から2024年3月まで理化学研究所生命機能科学研究センター(BDR)器官誘導研究チームのチームリーダーを務めた。器官原基法 を基盤技術として、歯、毛包(毛髪)、唾液腺、涙腺など幅広い外胚葉性器官の再生を世界に先駆けて実現した。
石原 智彦(いしはら ともひこ、Tomohiko Ishih… 石原 智彦(いしはら ともひこ、Tomohiko Ishihara)は、日本の医師(神経内科専門医)・医学者。筋萎縮性側索硬化症(ALS)等の神経変性疾患の研究に携わる。2023年4月現在、新潟大学脳研究所 寄付研究部門 脳神経疾患先端治療研究部門 特任准教授、および脳神経内科の総括医長を務める。
小林 亨(こばやし とおる)は、日本の生物学者・環境学者(生… 小林 亨(こばやし とおる)は、日本の生物学者・環境学者(生殖生物学)。学位は理学博士(新潟大学・1989年)。静岡県立大学食品栄養科学部教授・大学院食品栄養環境科学研究院教授。 日本学術振興会特別研究員、基礎生物学研究所発生生物学研究系助手、養殖研究所主任研究官、愛媛大学南予水産研究センター准教授、静岡県立大学環境科学研究所教授などを歴任した。 生殖生物学を専攻する生物学者、環境学者である。性決定や性分化の分子機構の研究で知られている。メダカの胚をレボノルゲストレルに曝露させると濃度に依存して雄への性転換だけでなく雌への性転換をも引き起こすことを発見した。日本学術振興会の特別研究員を経て、基礎生物学研究所や養殖研究所で研究に従事し、愛媛大学や静岡県立大学で教鞭を執った。
山田 一尋(やまだ かずひろ)は、日本の歯科医師、歯学者。松… 山田 一尋(やまだ かずひろ)は、日本の歯科医師、歯学者。松本歯科大学歯学部歯科矯正学講座教授。 1981年に新潟大学卒業、1985年に同大学院修了。同年 歯学博士 論文の題は「成長に伴うラット下顎骨咬筋深層付着部の移動様式に関する組織学的研究] 。 以後新潟大学助手、講師を務め2007年より松本歯科大学教授に就任。
李 勇(り ゆう、Li, Yong)は、中国の工学者。清華大… 李 勇(り ゆう、Li, Yong)は、中国の工学者。清華大学機械工程系教授。 1978年、ハルビン工業大学に入学、1982年に卒業し、以後は同大学や大連外国語大学、日本の新潟大学で日本語を学習した。 1985年から新潟大学大学院で精密工学を学び、1991年に「エンドミル加工における加工精度及び生産性の改善に関する研究」で、新潟大学から学術博士を取得した。 微細な電流でダイヤモンドを動かして精密な加工を行なう、MEMS技術の研究に取り組んでいる。 専門分野に限らず、日本との学術交流の機会に清華大学を代表して参加することがある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。