小日向 久治(おびなた ひさはる、1949年9月25日 - … 小日向 久治(おびなた ひさはる、1949年9月25日 - )は、日本の技術者、実業家。アルバック代表取締役社長や、同社取締役会長を経て、日本真空工業会会長。 新潟県出身。1972年新潟大学理学部卒業、日本真空技術入社。第3事業部長を経て、1990年取締役半導体装置事業部長に昇格。2006年アルバックテクノ代表取締役社長。2012年からアルバック代表取締役社長を務め、2017年に取締役会長に退いた。2018年取締役相談役、日本真空工業会会長。
羽柴 修(はしば おさむ、1949年3月14日 - )は、日… 羽柴 修(はしば おさむ、1949年3月14日 - )は、日本の弁護士。 岐阜県瑞浪市出身、岐阜県立多治見北高等学校卒業、新潟大学人文学部法律学科卒業。1975年4月神戸弁護士会弁護士登録。兵庫県弁護士九条の会事務局長で安倍内閣の目指していたオスプレイ配備、集団的自衛権、特定秘密の保護に関する法律などに反対の立場であった。九条の心ネットワーク代表でもあり、2016年5月には神戸で大規模な憲法集会を開催。これはこれまで別々に活動をしてきた全国労働組合総連合加盟の兵庫労連と日本教職員組合加盟の兵教組が初めて一緒に集会の実行委員会を結成して共同で活動するというものであった。 神戸連続児童殺傷事件の加害者の家族を支え続けている人物でもあった。
齋藤 一雄(さいとう かずお、1949年〈昭和24年〉1月1… 齋藤 一雄(さいとう かずお、1949年〈昭和24年〉1月12日 - )は、日本の経営者。群馬銀行頭取を務めた。 群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)出身。群馬県立太田高等学校を経て、1972年に新潟大学人文学部を卒業し、同年に群馬銀行に入行した。2005年6月に取締役に就任し、2006年6月に常務、2009年6月に専務を経て、2011年6月には頭取に就任。2019年6月から2022年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
望月 虚舟(もちづき きょしゅう、1949年 - )は兵庫県… 望月 虚舟(もちづき きょしゅう、1949年 - )は兵庫県姫路市出身の書道家。 1972年に新潟大学書道科を卒業後、女子美術大学にて特別講師を2年間務めて鶴見大学文学部の講師として働く。その間に書の個展や書籍出版等も行い、日本書道専門学校の助教授として勤め、現在は定年退職後に大好きな書を書き続けている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 茂昭(いとう しげあき、1948年11月4日 - )は… 伊藤 茂昭(いとう しげあき、1948年11月4日 - )は、日本の弁護士。シティユーワ法律事務所パートナー。東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長等を務めた。兄は厚生労働省医政局長や全国社会保険協会連合会理事長などを務めた厚生労働技官・医師の伊藤雅治。 新潟県西頚城郡木浦村(現・糸魚川市)生まれ。厚生労働省医政局長などを務めた伊藤雅治は兄。1967年新潟県立高田高等学校卒業、新潟大学医学部入学。6年間の在学を経て中退。大学闘争で公務執行妨害罪により起訴された経験から弁護士を志し、1973年中央大学法学部入学。1976年旧司法試験合格。1977年中央大学法学部卒業。
金津 猛(かなつ たけし、1948年9月30日 - )は、日… 金津 猛(かなつ たけし、1948年9月30日 - )は、日本の経営者。亀田製菓社長を務めた。新潟県出身。 1973年に新潟大学人文学部を卒業し、同年に亀田製菓に入社。1999年に取締役に就任し、2000年4月には社長に就任。2006年6月に相談役に退いた。
小森 茂(こもり しげる、1948年5月7日 - 2025年… 小森 茂(こもり しげる、1948年5月7日 - 2025年8月10日)は、日本の国語教育学者、国文学者。青山学院大学名誉教授。 栃木県生まれ。新潟大学教育学部卒業、広島大学大学院教育学研究科国語科教育学専攻博士課程中退。高知大学教育学部助手、助教授、鳴門教育大学助教授、1987年文部省初等中等教育局小学校課教科調査官(国語)、国立教育政策研究所教育課程研究センター教育課程調査官、青山学院大学教育人間科学部教授。 2025年8月10日15時45分、老衰のためさいたま市北区の自宅で死去。77歳没。
芳井 研一(よしい けんいち、1948年2月 - )は、日本… 芳井 研一(よしい けんいち、1948年2月 - )は、日本の歴史学者。新潟大学名誉教授。博士(社会学)(一橋大学、2000年)。石川県金沢市出身。 専門は日本近現代史。藤原彰に師事。元新潟史学会会長。 妻の芳井幸子も藤原彰門下の歴史学者。日本近現代史を専攻している。
阿部 恒久(あべ つねひさ、1948年 - )は、日本の日本… 阿部 恒久(あべ つねひさ、1948年 - )は、日本の日本史学者。共立女子大学名誉教授。近現代史を専門とし、おもに明治期以降の地方史、ジェンダー史(女性史、男性史)などを研究している。 新潟県生まれ。新潟大学人文学部を卒業し、早稲田大学大学院に学ぶ。1995年、「近代日本成立期の地域と政党 -「裏日本」化する新潟県の場合」により、博士(文学)(早稲田大学)の学位を取得した。 鹿児島県立短期大学助教授を経て、共立女子大学国際学部教授となり、国際学部長も務めた。
池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日… 池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。成蹊大学名誉教授、淑徳大学客員教授。角川源義賞受賞。専門は戦国時代および近世移行期の社会経済史。 1947年(昭和22年)新潟県佐渡郡(現佐渡市)赤玉出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部経済学科卒業後、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1977年(昭和52年)同博士後期課程単位取得退学(経済史専攻で永原慶二門下)。 相模女子大学講師を経て、1991年(平成3年)成蹊大学助教授、1995年(平成7年)成蹊大学文学部教授。国際文学科主任。2001年(平成13年)日本国際文化学会発起人。同年中央大学で博士(史学)の学位を取得。
伊藤 哲夫(いとう てつお、1947年9月23日 - )は、… 伊藤 哲夫(いとう てつお、1947年9月23日 - )は、日本の政治活動家。日本政策研究センター代表、日本会議常任理事(政策委員)、神道政治連盟政策委員、日本李登輝友の会常務理事、元生長の家中央教育宣伝部長。 新潟県上越市生まれ。新潟大学人文学部卒業。生長の家の「飛田給派」(現・生長の家本流運動)の一員だったが、教団が政治活動から手を引いたため自身も教団を抜け、1984年、「日本政策研究センター」を設立。日本会議常任理事を務める。1996年には、選択的夫婦別姓制度導入に反対する「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」の呼びかけ人を務めている。 「日本政策研究センター」は、生長の家学生会全国総連合(生学連)OBを中心に、伊藤が設立した「生長の家」の関連団体であり、「日本会議」のシンクタンクである。
工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日… 工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日 - )は、日本の外科医。専門は消化器外科、大腸内視鏡。 1947年(昭和22年)秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)生まれ。1966年(昭和41年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)新潟大学医学部卒業。同外科に入局し助手を務める。1985年(昭和60年)秋田赤十字病院外科部長。1992年(平成4年)同病院胃腸センター長。2000年(平成12年)昭和大学教授、昭和大学横浜市北部病院消化器センター長。2001年(平成13年)同病院副院長兼務。 1980年代後半、それまでの「大腸癌はポリープから発生する」という定説を覆し、既に日本で数例発見されていたが特殊な事例であるとされていた陥凹型大腸癌を臨床で次々と見出だし、またその治療法としての内視鏡による粘膜切除術の手技と有用性を報告し、大腸癌の初期病変として陥凹型早期大腸癌が重要であることを日本国内の医学界に周知せしめた。
栗原 博久(くりはら ひろひさ、1947年3月23日 - )… 栗原 博久(くりはら ひろひさ、1947年3月23日 - )は、日本の政治家。聖籠町議会議員(1期)。衆議院議員(3期)、環境政務次官(小渕内閣・小渕改造内閣)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣)などを歴任した。 新潟県新津市(現新潟市秋葉区)生まれ。農家の次男であり、新潟県立新津高等学校を経て新潟大学農学部卒業後、新潟県職員となる。その後、自民党衆議院議員であった旗野進一の秘書を務めた。1979年、第35回衆議院議員総選挙の旧新潟2区に無所属で立候補したが落選。以降5回連続で落選したが、1993年の第40回衆議院議員総選挙において初当選した。当選後は自民党に入党。 小選挙区比例代表並立制導入後は新潟4区で2回再選。
加藤 信(かとう しん、1947年2月17日 - )は日本の… 加藤 信(かとう しん、1947年2月17日 - )は日本の精神科医、医学博士 福島県北会津郡東山村生まれ、父親は神奈川県出身の海軍軍医中佐で、臨時の海軍病院を福島県内の飯坂温泉や東山温泉に開設する任務で来たことがきっかけで会津に住んだ人1)。父親の転勤により同河沼郡河東村にて育つ。1965年3月福島県立会津高等学校卒、1971年3月新潟大学医学部卒。1971年4月上京し(財)神経研究所研究生、1972年1月(財)神経研究所付属晴和病院医員、1979年4 月川崎市の(財)実中研前臨床医学研究所研究員2) 、 1987年4月、松本市に転居、城西病院や南信病院に勤務、1990 年12月「かとうメンタルクリニック」を松本市に開設、この間、東京教育大学教育学部(実験心理)、信州大学医学部(薬理)で非常勤講師、学会役員として日本神経精神薬理学会理事、監事、編集委員長、日本嗜癖行動学会理事、日本アルコール・アディクション医学会評議員等を務め、団体役員として長野県精神神経科診療所協会会長等を務める。
武田 鏡村(たけだ きょうそん、1947年2月15日 - )… 武田 鏡村(たけだ きょうそん、1947年2月15日 - )は、日本の歴史家、仏教評論家。 新潟県生まれ。1969年新潟大学教育学部卒業。日本歴史宗教研究所所長。
味岡 申宰(あじおか しんさい、1947年2月8日 - )… 味岡 申宰(あじおか しんさい、1947年2月8日 - )は、日本の弁護士。奈良県出身。新潟中央法律事務所所属。新潟大学出身の生え抜き法曹の一人 1971年新潟大学人文学部法学科卒業。1974年司法試験合格。1977年新潟県内で弁護士登録。1987年新潟県弁護士会副会長。1999年新潟公務員法律専門学校兼任講師。2001年新潟大学法学部兼任講師(民法など担当)。2004年新潟大学法科大学院開設に伴い同大学院実務法学研究科教授(現代司法論など担当)。2008年新潟大学法科大学院附属地域法実務センター(現・新潟大学教育研究院人文社会科学系附属地域法務連携支援センター)長。2013年新潟大学停年退官。
森 正勝(もり まさかつ、1947年1月22日 - )は、日… 森 正勝(もり まさかつ、1947年1月22日 - )は、日本の実業家、公認会計士。アクセンチュア代表取締役社長や、同社代表取締役会長、国際大学学長などを歴任した。 山形県の農家の7人兄弟の末っ子として生まれる。山形県立楯岡高等学校を経て、 1969年新潟大学人文学部経済科卒業、アーサーアンダーセンアンドカンパニー入社。1972年公認会計士第3試験合格、公認会計士資格取得。 1981年アンダーセンコンサルティングパートナー。1981年アンダーセンコンサルティングアジア・太平洋地区製造業統括パートナー。1989年アンダーセンコンサルティング本部役員会メンバー。1989年アンダーセンコンサルティング日本代表。
中村 周而(なかむら しゅうじ、1947年〈昭和22年〉1月… 中村 周而(なかむら しゅうじ、1947年〈昭和22年〉1月2日 - )は、日本の弁護士。新潟県弁護士会所属。1995年度新潟県弁護士会会長、2005年度日本弁護士連合会副会長を務めた。
行田 稔彦(こうだ としひこ、1947年 - )は、日本の教… 行田 稔彦(こうだ としひこ、1947年 - )は、日本の教育者、評論家。新潟県生まれ。新潟大学教育学部卒業。和光小学校・和光鶴川小学校元校長。日本生活教育連盟委員長。
畠山 勝義(はたけやま かつよし、1947年 - )は日本の… 畠山 勝義(はたけやま かつよし、1947年 - )は日本の医師(医学博士)で元新潟大学医歯学総合病院長、元新潟大学副学長、現新潟大学名誉教授である。
黒井 健(くろい けん、1947年 - )は、日本の絵本作家… 黒井 健(くろい けん、1947年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター。新潟県新潟市生まれ。神奈川県川崎市在住。新潟大学教育学部中等美術科卒業。日本児童出版美術家連盟会員。 学習研究社幼児絵本編集部を経て、フリーに。2003年5月、「黒井健絵本ハウス」開館。2010年9月、新潟市立中央図書館こどもとしょかん名誉館長に就任。
鈴木 雅之(すずき まさし、1946年11月 - )は、英文… 鈴木 雅之(すずき まさし、1946年11月 - )は、英文学者、京都大学名誉教授。 新潟大学人文学部英文科で学び、1969年に卒業。東北大学大学院に進み、文学修士号を取得。1975年に博士課程を中退。 その後、山口大学助教授に就いた。1990年に京都大学教養部助教授に転じ、1992年より京都大学大学院人間・環境学研究科教授。1996年、学位論文『幻想の詩学(ウィリアム・ブレイク研究)』を京都大学に提出して文学博士号を取得。2009年に京都大学を退任し、同10月に名誉教授となった。その後は宮城学院女子大学学芸学部英文学科教授として教鞭を執った。2014年3月、同大学を退官。 1971年東北大学文学部英文科卒、73年同大学院英文学修士課程修了、2002年「ジャン=ジャック・ルソーとロマン主義時代の英国小説」で文学博士。
鈴木 厚人(すずき あつと、1946年10月3日 - )は、… 鈴木 厚人(すずき あつと、1946年10月3日 - )は、日本の物理学者(素粒子物理学・ニュートリノ天文学)。学位は理学博士(東北大学・1974年)。岩手県立大学学長、東北大学名誉教授、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 日本学術振興会奨励研究員、高エネルギー物理学研究所助手、東京大学理学部助手、高エネルギー物理学研究所助教授、東北大学理学部教授、東北大学大学院理学研究科研究科長、東北大学副学長、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構機構長などを歴任した。 素粒子物理学やニュートリノ天文学を専攻する物理学者である。新潟県新潟市出身。カミオカンデ・スーパーカミオカンデを経て、世界最大(1000トン)の液体シンチレータを用いたニュートリノ検出装置カムランドを発案・建設し、2002年(平成14年)に、遠方の原子炉から飛来するニュートリノの振動現象を、世界で初めて観測した。
鍋島 陽一 (なべしま よういち、1946年4月24日 - … 鍋島 陽一 (なべしま よういち、1946年4月24日 - )は、日本の分子生物学者、医師。主な業績は動物個体の発生、形成、機能維持の分子機構の研究。新潟県上越市出身。医学博士(新潟大学、1976年)。 1972年新潟大学医学部卒業。1976年新潟大学大学院医学研究科博士課程修了。母校講師、癌研究会癌研究所研究員などを経て、1987年国立精神・神経センター神経研究所遺伝子工学研究部長。1997年大阪大学教授細胞生体工学センター教授、1998年京都大学大学院医学研究科教授。2010年退官、先端医療振興財団先端医療センター長。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
内田 力(うちだ つとむ、1945年5月2日 - )は、日本… 内田 力(うちだ つとむ、1945年5月2日 - )は、日本の経営者。コロナ社長を務めた。新潟県出身。 1968年に新潟大学工学部を卒業し、同年に内田製作所(のちのコロナ)に入社した。取締役、常務、専務、副社長を経て、1985年6月には社長に就任。2016年4月から2021年6月までに会長を務めた。
佐藤 矩行(さとう のりゆき、1945年1月 - )は、日本… 佐藤 矩行(さとう のりゆき、1945年1月 - )は、日本の生物学者、沖縄科学技術大学院大学教授、京都大学名誉教授。 新潟県生まれ。北海道大学の文学部と医学部の入学試験に不合格となり、1年間の浪人を経て、1969年弘前大学理学部生物学科卒業。北海道大学大学院への進学を希望するが、1971年新潟大学大学院理学研究科生物学修士課程修了。1973年東京大学大学院理学系研究科博士課程中退(江上信雄研究室)。 1973年京都大学理学部動物学教室助手、1974年「メダカの性分化に関する発生細胞学的研究」で東大理学博士。研究室の教授と助教授が急逝し、助手一人となる。1980年助教授昇格、1994年教授昇格、1995年理学研究科教授、2009年定年退任。
三輪 正明(みわ まさあき、1944年9月10日 - )は、… 三輪 正明(みわ まさあき、1944年9月10日 - )は、日本の経営者。北越製紙社長を務めた。新潟県出身。 1968年に新潟大学工学部を卒業し、同年に北越製紙に入社。1995年に取締役に就任し、1999年6月に常務、2002年6月に専務を経て、2003年6月には社長に就任。2008年4月に社長を退任。
宮村 達男(みやむら たつお、1944年6月27日 - )は… 宮村 達男(みやむら たつお、1944年6月27日 - )は、日本の医学者。学位は、医学博士(新潟大学・1976年)。元国立感染症研究所所長。瑞宝重光章受章。父は細菌学者の宮村定男。 新潟県生まれ。新潟大学医学部卒業。1976年新潟大学より医学博士の学位を取得。国立感染症研究所ウイルス第二部部長等を経て、2006年から国立感染症研究所所長を務めた。2010年退官。2013年厚生労働省厚生科学審議会会長代理。平成26年秋の叙勲で瑞宝重光章受章。専門はウイルス学。2000年野口英世記念医学賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岩崎 恵美子(いわさき えみこ、1944年3月8日 - )は… 岩崎 恵美子(いわさき えみこ、1944年3月8日 - )は、日本の医師。元・厚生省仙台検疫所所長 (初の女性検疫所長)、元・仙台市副市長。 新潟県新潟市出身、新潟大学医学部医学科卒業。耳鼻科医として勤務の後、公衆衛生分野に移り、検疫所、国際協力機構(JICA)、世界保健機構(WHO)での活動などを通して、日本国内外における感染症対策の経験を積んだ。 2007年、当時の仙台市長・梅原克彦の要請で奥山恵美子、笠原周二とともに同市副市長に就任。「仙台方式」と呼ばれる先進的な新型インフルエンザ対策(地域の診療所が軽症者の診療を担う等)を行うなどした。 2009年7月、梅原の引退に伴う仙台市長選挙に立候補したものの、民主党、社民党などが支援し、同じく副市長だった奥山に敗れて落選した。
増田 宏一(ますだ こういち、1944年1月23日 - )は… 増田 宏一(ますだ こういち、1944年1月23日 - )は、日本の公認会計士。元日本公認会計士協会会長。元あずさ監査法人代表社員。新潟県出身。新潟大学人文学部経済学科卒業。 東京都世田谷区生まれ。3歳の時に父の実家のあった新潟県佐渡郡羽茂町に疎開し、新潟県立羽茂高等学校で成績優良であったため、新潟大学人文学部と早稲田大学商学部なら合格すると高校教諭から薦められ、新潟大学人文学部経済学科に進学し、在学中に公認会計士を志し、後に合格。大学卒業後、田中芳治公認会計士事務所に入所。1993年、朝日監査法人代表社員に就任。2001年、日本公認会計士協会副会長に就任。2007年、日本公認会計士協会会長に選出された。
仙石 正和(せんごく まさかず、1944年 - )は、日本の… 仙石 正和(せんごく まさかず、1944年 - )は、日本の工学者。新潟大学名誉教授。専門は情報通信工学、情報ネットワーク、ネットワーク工学。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、昭和42年新潟大学工学部電気工学科卒業。昭和47年北海道大学大学院博士課程修了、工学博士。北海道大学工学部助手、新潟大学工学部助教授を経て教授。2008年、電子情報通信学会功績賞を受賞。新潟大学副学長、理事を務めた。2014年事業創造大学院大学学長・教授。2024年、瑞宝中綬章受章。
木村 一義(きむら かずよし、1943年11月12日 - )… 木村 一義(きむら かずよし、1943年11月12日 - )は、三重県出身の実業家。日興コーディアルグループ会長、コジマ会長兼社長を経て、ビックカメラ社長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
伊藤 雅治(いとう まさはる、1942年9月20日 - 20… 伊藤 雅治(いとう まさはる、1942年9月20日 - 2019年9月1日)は、日本の厚生労働技官・医師。厚生労働省医政局長・全国社会保険協会連合会理事長等を務めた。 新潟県西頚城郡木浦村(現糸魚川市)生まれ。伊藤茂昭元日本弁護士連合会副会長は弟。新潟県立高田高等学校を経て、1968年新潟大学医学部卒業、新潟県入庁、新津保健所兼衛生部公衆衛生課配属。1971年に厚生省へ入省し、公衆衛生局結核予防課に配属され、沖縄返還に備え結核対策にあたった。1975年外務省在サンパウロ日本国総領事館領事。1978年国際協力事業団医療協力部医療第二課長。1982年青森県環境保健部長兼青森県立青森高等看護学院長。 1985年厚生省保健医療局健康増進栄養課長。
寺尾 正大(てらお まさひろ、1942年2月 - )は、日本… 寺尾 正大(てらお まさひろ、1942年2月 - )は、日本の警察官(ノンキャリア)。警視庁刑事部捜査第一課長、警視庁生活安全部長を歴任。新潟県新潟市出身。
市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月1… 市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月10日 - )は、日本の政治家。元山形市長(第17代、3期)。旭日小綬章。 宮城県仙台市生まれ。山形市立第四小学校、山形市立第一中学校、山形市立商業高等学校を卒業後、一旦就職するも新潟大学人文学部に入学。大学卒業後、山形市役所に就職した。金澤忠雄山形市長の下では東北芸術工科大学の設置を推進し、同大の開学に尽力した。その後、山形市土地開発公社理事長や山形市総務部長、水道事業管理者を歴任。吉村和夫市長の下で山形市助役に就任。 2003年、吉村和夫市長が在職のまま多臓器不全により病死。吉村の死去に伴って実施された山形市長選に、吉村が推進してきた「環境先進都市の建設」の継承を掲げて立候補した。
磯部 春昭(いそべ はるあき、1941年または1942年 -… 磯部 春昭(いそべ はるあき、1941年または1942年 - )は、日本の地方公務員。新潟県総務部長、同副知事、佐渡汽船社長兼会長を歴任。瑞宝中綬章受章。 1965年 新潟大学法学部卒業。新潟県庁入庁、1997年 (平成9年) 4月 長野謙之進の後任として総務部長、1999年4月 同職を川上忠義と交代し小川和雄の後任として副知事。株式会社新潟国際貿易ターミナル代表取締役社長、新潟臨海鉄道株式会社代表取締役社長を兼務。2003年3月 川上を後任に副知事退任。 退任後 佐渡汽船社長兼会長を経て会長、新潟県観光協会会長、道の駅新潟ふるさと村駅長。
名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は… 名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は、日本の振付家。日本ジャズダンス芸術協会専務理事、日本振付家協会理事、名倉ジャズダンススタジオ主宰。新潟県新潟市出身。 四人姉妹の次女として新潟県新潟市で生まれる。 新潟大学教育学部附属新潟小学校在学中に銀行員だった父親の転勤で福井県福井市に転居。 12歳で竹部玲子バレエ団に入り、ダンスを始める。1959年、福井県立藤島高等学校卒業後に姉妹3人で上京。竹部玲子バレエ団に在籍しながらショー番組やステージに出演する。1960年、当時、日本テレビのディレクターだった井原髙忠が結成したスタジオNo.1ダンサーズ初代メンバーの一員となり、『シャボン玉ホリデー』などテレビや舞台に出演する。
高橋 実(たかはし みのる、1940年7月4日 - 2023… 高橋 実(たかはし みのる、1940年7月4日 - 2023年9月26日)は、日本の郷土史家、小説家。『北方文学』同人。 新潟県刈羽郡上小国村楢沢生まれ。長岡高等学校卒、1963年新潟大学教育学部卒。「北越雪譜」の著者・鈴木牧之を在学中から研究し、1964年牧之を題材とした「雪残る村」(『文学北都』)で第52回芥川賞候補。新潟県内の中学校教諭、新潟県立小千谷西高等学校、新潟県立小千谷高等学校教諭を長年務め、2001年定年退職。新潟県の地方文化人として、新潟県民俗学会常任理事、『十日町市史』調査員や県立新潟女子短期大学非常勤講師を歴任する。
下川 友也(しもかわ ともや、1939年 - )は、日本の牧… 下川 友也(しもかわ ともや、1939年 - )は、日本の牧師、元神学校教師。大阪府生まれ。元東京基督神学校校長。新潟福音教会牧師下川羊和は子息。 2024年 日本同盟基督教団、山の下福音教会牧師に就任。 趣味は聖書通読。時間のほとんどを聖書通読に当てている。日本語の他に英語訳、ドイツ語訳、韓国語訳の聖書を読破した。生涯に千回聖書を読むことを目標にしている(2005年『聖書通読にチャレンジしよう! みことば 蜜よりも甘く』出版の時点で522回)。その後、聖書通読、千回を達成したらしい。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、… 猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、日本の技術者、実業家。日立メディコ代表取締役社長や、同社取締役会長、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 新潟県長岡市出身。1961年新潟大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、那珂工場配属。1980年日立製作所那珂工場医用機器設計部長。1991年日立製作所那珂工場長。1995年日立製作所計測器事業部長。1997年日立製作所取締役計測器事業部長。1999年日立製作所上席常務取締役計測器グループ長&CEO。2001年日立メディコ代表取締役社長。2005年日立メディコ取締役会長。2006年日本画像医療システム工業会会長、日本医療機器産業連合会副会長。
近藤 定男(こんどう さだお、1938年1月18日 - )は… 近藤 定男(こんどう さだお、1938年1月18日 - )は、日本の経営者。三洋電機社長を務めた。新潟県出身。 1960年に新潟大学工学部を卒業し、同年に東京三洋電機(のちの三洋電機)に入社。1993年2月に取締役に就任し、1995年2月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月には社長に就任。2000年11月には取締役に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
森 俊三(もり しゅんぞう、1937年6月27日 - )は、… 森 俊三(もり しゅんぞう、1937年6月27日 - )は、日本の実業家。信越化学工業代表取締役社長、塩ビ工業・環境協会会長を務めた。 新潟県出身。1956年新潟県立長岡高校卒業、1963年新潟大学工学部機械工学科卒業、信越化学工業入社。1985年信越エンジニアリング取締役。1988年同社常務取締役。1992年武生工場長。1992年取締役。1996年常務取締役電子材料事業本部長。1998年専務取締役電子材料事業本部長。2001年兼総務関係担当。2002年兼人事関係担当。2007年代表取締役専務。2009年代表取締役副社長。2010年に20年ぶりの社長交代で代表取締役社長に昇格したが、2016年健康上の理由で取締役相談役に退いた。
中山 輝也(なかやま てるや、1937年6月9日 - )は、… 中山 輝也(なかやま てるや、1937年6月9日 - )は、日本の実業家、地質学の専門家。 新潟県新発田市出身。1952年に新潟市立関屋中学校、1956年に新潟県立新潟高等学校、1960年に新潟大学理学部を卒業した。技術士(応用理学部門)の資格を持つ。 1960年の応用地質株式会社、1961年からの新潟県企業局の土木部を経て、1973年(昭和48年)に北日本技術コンサルタント株式会社(現、株式会社キタック)を設立。 1979年、大湿地帯で食物生産がまともにできなかった中華人民共和国の三江平原を農業地帯として開発するプロジェクトに参加、当時42歳で最年少だったが、専門知識があっただけでなく過去に訪中経験があったことからプロジェクトチームの亀田郷土地改良区の理事長であった佐野藤三郎に声をかけられ、対中国初の政府開発援助である竜頭橋ダム建設事業に貢献した。
長谷川 彰(はせがわ あきら、1937年5月 - )は、日本… 長谷川 彰(はせがわ あきら、1937年5月 - )は、日本の物理学者。前国立大学法人新潟大学学長。現新潟工科大学学長。専門は重い電子系のバンド計算。
村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月… 村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月13日 - )は、日本の検察官。弁護士(青陵法律事務所)。元東京高等検察庁検事長。
湯田 幸永(ゆだ こうえい、1937年〈昭和12年〉1月1日… 湯田 幸永(ゆだ こうえい、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の政治家。元新潟県新津市(現・新潟市)長(3期)。旭日双光章。 新潟県中蒲原郡新津町(のち新津市を経て、新潟市)出身。新潟大学農学部卒。卒業後は新津市役所に入り、企画調整課長、収入役などを務める。2000年の新津市長選挙に立候補し、初当選。2004年2月に再選。同年10月の市長選では無投票で三選を果たした。翌年新津市は新潟市と合併したため、最後の新津市長となった。2016年秋の叙勲で旭日双光章を受章。
若尾俊平(わかお しゅんぺい、1937年 - 1989年)は… 若尾俊平(わかお しゅんぺい、1937年 - 1989年)は、日本史学者。東京生まれ。1961年新潟大学人文学部史学科卒。静岡市史編集専門委員、広島女学院教諭。
佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 … 佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 - 1991年〈平成3年〉3月23日)は、日本の洋画家。千葉大学工学部工業意匠学科教授。 新潟県新潟市東大畑通(現 新潟市中央区東大畑通)出身。1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1960年(昭和35年)3月に新潟大学教育学部芸能科絵画科を卒業、4月から千葉大学工業短期大学部工業意匠科で教務員として勤務。 1976年(昭和51年)10月に文化庁芸術家在外研修員としてアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校とマサチューセッツ工科大学で客員研究員として研修。 1985年(昭和60年)10月に文部省在外研究員として再びアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校芸術学部デザイン科で客員教授として勤務。
内藤 正行(ないとう まさゆき、1936年〈昭和11年〉3月… 内藤 正行(ないとう まさゆき、1936年〈昭和11年〉3月10日 - 2025年7月8日)は、日本の政治家、元岐阜県本巣市長(1期)。 新潟大学農学部卒。岐阜県庁に入り、農政部長、県農業公社理事長を歴任する。岐阜県庁を退職後、1996年に本巣郡糸貫町の町長選挙に立候補し、当選する。糸貫町長を2期務め、糸貫町は2004年近隣の本巣町、真正町、根尾村と合併し、本巣市となる。合併後の市長選挙に立候補し、当選した。本巣市長を1期務めた。2008年に退任した。現在、社会福祉法人の評議員を務める。2011年、旭日小綬章受章。 2025年7月8日、老衰性肺炎のため、死去した。89歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
荒川 正昭(あらかわ まさあき、1936年3月2日 - 20… 荒川 正昭(あらかわ まさあき、1936年3月2日 - 2022年10月30日)は、日本の内科医。新潟大学名誉教授、大学入試センター名誉教授・顧問。新潟大学学長や、大学入試センター理事長を務めた。魚沼市名誉市民。 旧満州(中国東北部)生まれ。新潟県北魚沼郡(現・魚沼市)出身。新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年新潟大学医学部卒業。 1972年川崎医科大学内科学腎臓アレルギー部門助教授。1976年川崎医科大学内科学(腎)教授。1980年新潟大学医学部内科学第二講座教授。1994年新潟大学医学部長。1998年新潟大学長。2002年新潟県福祉保健部参与。2003年広神村名誉村民。2004年大学入試センター理事長。