雀部 幸隆(ささべ ゆきたか、1936年2月6日 - 201… 雀部 幸隆(ささべ ゆきたか、1936年2月6日 - 2013年12月25日)は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。大阪市出身。位階は従四位。瑞宝小綬章受章。 1960年名古屋大学法学部卒業。1965年同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。大学では守本順一郎に師事した。1978年法学博士の学位を名古屋大学から取得。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森 正夫(もり まさお、1935年12月11日 - )は、日… 森 正夫(もり まさお、1935年12月11日 - )は、日本の中国史学者、名古屋大学名誉教授。 京都府出身。京都府立洛北高等学校卒、1958年京都大学文学部東洋史学科卒、1963年同大学院博士課程単位取得退学。1989年「明代江南土地制度の研究」で文学博士。1963年名古屋大学文学部助手、1967年高知大学教育学部専任講師、1968年助教授、1970年名大文学部助教授を経て、1980年教授、1989-1991年文学部長を務め、1998年定年退官、名誉教授となる。1998-2001年愛知県立大学学長。明清史が専門。 2013年11月瑞宝中綬章受章。
柏 淳郎(かしわ じゅんろう、1935年8月11日 - )は… 柏 淳郎(かしわ じゅんろう、1935年8月11日 - )は、日本の実業家。第7代オークマ代表取締役社長。日本機械工業連合会永年役員。 名古屋大学経済学部卒業。1960年大隈鐵工所入社。営業畑を歩み、1980年大隈鐵工所大阪支店長。1987年大隈鐵工所取締役大阪支店長。1992年オークマ常務取締役。1994年オークマ取締役社長。1995年旭精機工業監査役。1998年旭精機工業取締役。2005年オークマホールディングス取締役社長。2006年オークマ取締役会長。2007年旭日中綬章受章。日本機械工業連合会永年役員。
岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は… 岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は、日本の実業家。初代J.フロント リテイリング代表取締役会長、第6代松坂屋代表取締役社長、第25代名古屋商工会議所会頭。 三重県出身。1954年三重県立四日市高校卒業、1958年名古屋大学経済学部卒業、松坂屋入社。1991年取締役本社開発事業部長に昇格。1997年常務取締役本社総合企画室長兼広報室長兼関連事業部長。1999年代表取締役社長。2001年キタン会会長。 2006年から松坂屋ホールディングス代表取締役会長兼松坂屋代表取締役会長を務め、大丸との経営統合にあたり、2007年に新設されたJ.フロント リテイリングの初代代表取締役会長に就任した。
会田 健二(あいだ けんじ、1935年3月25日 - )は、… 会田 健二(あいだ けんじ、1935年3月25日 - )は、日本の経営者。日本触媒社長、会長を務めた。 愛知県出身。1957年に名古屋大学工学部化学工学科を卒業し、同年に日本触媒に入社した。1985年に取締役に就任し、1989年2月に常務、同年5月に専務を経て、1995年2月に副社長に就任し、1996年1月には社長に昇格した。2000年6月に会長を経て、2002年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日… 西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日 - 2020年 (令和2年) 6月24日)は、日本の銀行家。元東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)… 安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)2月21日 - )は、日本の市民運動家、社会思想史研究者。専門は近代日本社会(教育)思想史。名古屋大学名誉教授、不戦兵士・市民の会副代表理事、日本戦没学生記念会元事務局長、イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所)。韓日平和100年市民ネット共同代表。<声明>「韓国は「敵」なのか」賛同者。 2001年(平成13年)4月21日の朝日新聞に掲載された安川の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」に、静岡県立大学国際関係学部の平山洋が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」(5月12日付同紙)を掲載したことで、「安川・平山論争」が始まった。 同年5月21日に安川は慶應義塾大学で講演を行い、講演資料で「福沢論争 批判は事実に基づいて」という再反論を掲載した。
早川 敏生(はやかわ としたか、1935年1月 - )は、元… 早川 敏生(はやかわ としたか、1935年1月 - )は、元東邦ガス代表取締役社長。愛知県名古屋市出身。 1958年、名古屋大学経済学部卒業。同年、東邦ガス入社。営業部門、企画部門、専務取締役等を経て、2000年代表取締役社長。社長を退き2004年、代表取締役会長。後任の社長は水野耕太郎専務。2008年佐伯卓常務が新社長に就任するのにともない、会長を退任し、相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大塚 錥子(おおつか いくこ、1935年〈昭和10年〉 - … 大塚 錥子(おおつか いくこ、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の弁護士。愛知県初の女性弁護士とされる。 名古屋大学法学部出身。朝日大学法学部・大学院法学研究科名誉教授。夫は刑法学者の大塚仁(名古屋大学名誉教授)であり、息子は民法学者の大塚直(早稲田大学大学院教授)。 1935年(昭和10年)、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)に生まれた。父親は裁判官である。刈谷市立刈谷南中学校卒業後に愛知県立刈谷高等学校に進学し、高校時代には陸上部に所属していた。名古屋大学では山岳部に所属していた。 大学在学中の1956年(昭和31年)、21歳で司法試験に合格した。1957年(昭和32年)に名古屋大学法学部法律学科を卒業。
岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法… 岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法学者・仲裁人。専門は国際私法。名古屋大学名誉教授。立命館大学教授、名古屋大学教授、ニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員、モナシュ大学客員教授等を歴任。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業、三井金属鉱業株式会社入社。 京セラ株式会社、ネッスル日本株式会社を経て、1979年愛媛大学法文学部助教授。1981年から1982年までニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員。1985年から1986年までモナシュ大学法科大学院客員教授。1985年愛媛大学法文学部教授。1988年立命館大学国際関係学部教授。
中尾 祐治(なかお ゆうじ、1935年 - )は、日本の英語… 中尾 祐治(なかお ゆうじ、1935年 - )は、日本の英語学者。名古屋大学名誉教授。博士(学術)(名古屋大学、2006年)。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。ブラウン大学大学院言語学科へフルブライト留学。岐阜大学助手、教養部講師、助教授、名古屋大学教養部助教授、言語文化部教授、1998年定年退官、名誉教授、東海女子大学教授、中部大学教授。2006年、論文「トマス・マロリーのアーサー王伝説 言語研究とテキスト研究」で博士号取得。 2014年11月瑞宝中綬章受章。
奥田 治之(おくだ はるゆき、1935年 - )は、日本の天… 奥田 治之(おくだ はるゆき、1935年 - )は、日本の天文学者。宇宙科学研究所名誉教授。 愛知県出身。1954年滝実業高等学校卒業。1963年名古屋大学大学院博士課程修了。大学院では早川幸男に師事した。同年名古屋大学理学部助手、1967年京都大学理学部物理学科宇宙線研究室助教授となり、同教室内に赤外線天文学グループを開いた。1981年宇宙科学研究所教授に就任し、同研究所において宇宙空間からの赤外線による天体観測を推し進めた。1999年宇宙科学研究所名誉教授、その後2006年まで群馬県立ぐんま天文台副台長。2020年、瑞宝中綬章受章。 奥田の弟子には佐藤修二、舞原俊憲、中川貴雄らがいる。田村元秀は奥田の孫弟子にあたる。
北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )… 北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )は、日本の弁護士、元裁判官。最高裁判所判事を務めた。愛知県出身。2006年4月旭日大綬章受章。 関西水俣病訴訟において、「国と熊本県はチッソを原因企業と認識できたのに排水規制せず、被害を拡大させたことは著しく不合理であり、違法である」とし、実質原告勝訴の判決を下したことで知られている。足利事件の冤罪判決を下した最高裁判事5名のうちの1人。 名古屋大学法学部卒業後は1957年(昭和32年)4月に第11期司法修習生、1959年(昭和34年)4月8日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。 2000年(平成12年)2月4日、千葉・高知連続強盗殺人事件で第一審・控訴審で死刑判決を受けた被告人Kの上告を棄却する決定を出したため、被告人Kに対する死刑判決が確定した。
藪野 豊(やぶの ゆたか、1934年12月24日 - )は、… 藪野 豊(やぶの ゆたか、1934年12月24日 - )は、日本の教員、随筆家。 名古屋大学教育学部卒業、三重県の(5つの)県立高等学校の教諭を歴任。 退職後、中国(延辺大学農学院)で日本語教師2年、帰国後、短大講師を1年8ヶ月務める。 WSC会員。趣味は器楽、菜園他。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
椙山 正弘(すぎやま まさひろ、1934年7月27日 - 2… 椙山 正弘(すぎやま まさひろ、1934年7月27日 - 2019年1月1日)は、学校法人椙山女学園学園長。教育学博士。藍綬褒章。椙山女学園創設者の椙山正弌は祖父。 愛知県名古屋市生まれ。妻は椙山美恵子、息子は椙山泰生。 名古屋大学教育学部卒業後、椙山女学園高等学校教諭。ハーバード大学客員研究員を経て、1973年-1994年椙山女学園大学短期大学部教授、学校法人椙山女学園理事長・学園長。 1994年1月11日、椙山女学園大学生活科学部学科新設にまつわる審査に便宜をはかってもらうため、文部省高等教育局大学課の係長に現金や50万相当の家族旅行をプレゼントした贈賄容疑で逮捕される。文部省、椙山女学園大学、椙山正弘宅に家宅捜索が入った。
山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は… 山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は、日本の伝記作家。近代の日本を生きた女性の伝記を著した。 愛知県名古屋市生まれ。1957年に名古屋大学文学部社会学専攻を卒業後、1964年まで東海テレビ放送に勤務。当時は婦人向けの教養番組を作っており、仕事はおもしろかったと述べている。以降はフリーランスのテレビディレクターおよびライターとして活動。夫と娘の3人家族であり、夫は大学のゼミの先輩で、東海テレビでは同じ1期生であった。のちに名古屋市千種区山門町から静岡県伊東市へ移住。 1960年代末に『明治文学全集』に収録されていた『したゆく水』を読み、のちに伝記を著すことになる古在紫琴を知る。
日比 英一(ひび えいいち、1934年3月21日 - 201… 日比 英一(ひび えいいち、1934年3月21日 - 2016年10月23日)は、日本の実業家、中部日本放送元常務取締役、元同社アナウンサー。 愛知県名古屋市熱田区出身。愛知県立瑞陵高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1957年、中部日本放送にアナウンサーとして入社。入社当初から10数年間はラジオ音楽番組『0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです』など主に芸能番組や社会情報番組の司会・レポーター業を中心に活動する。 その後、1974年10月に中京広域圏の放送局としては初のワイドローカルニュース番組として「CBCニュースワイド」が立ち上げられると同時に同番組の初代キャスターに抜擢。以後、1989年9月までは平日版のメインキャスター、1997年3月までは週末版のメインキャスター、1998年3月までは土曜版のコメンテーターとして23年半に渡って同番組に関わり続けたほか、同局の衆議院 ・参議院議員総選挙時の開票特別番組の東海地区パートの総合司会や、新春恒例の東海地区の財界人を招いての対談番組『新春中部財界人サロン』の司会なども長期に渡り担当、CBCの報道の顔として活躍した。
森本 英夫(もりもと ひでお、1934年1月26日 - 20… 森本 英夫(もりもと ひでお、1934年1月26日 - 2022年3月27日)は、日本のフランス語学者、翻訳家。大阪市立大学・甲南女子大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1957年名古屋大学文学部卒、1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1976年「フランス語動詞時称の統辞的分析と記述の方法に関する試論」で文学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、2003年退職、名誉教授、2005年京都外国語大学教授、2009年退任。 中世フランス語が専門。中世ロマンス、幕末フランス人が見た日本、料理書などを翻訳した。 2022年3月27日、心不全のため死去。
和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022… 和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022年3月13日)は、日本の実業家。元トヨタ自動車副社長。元アイシン精機代表取締役会長。第76期日本機械学会会長。藍綬褒章受章。愛知県名古屋市出身。 1956年、名古屋大学工学部卒業。同年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。主にボディー設計のエンジニアとしてコロナ、セリカなどの車種開発に従事。1986年トヨタ自動車取締役、1994年同社副社長に就任。トヨタ自動車副社長の時には、プロジェクトの最高責任者として、プリウスの開発を指揮した。その後、1999年アイシン精機代表取締役会長に就任。2005年からは相談役に就任している。
熊澤 峰夫(くまざわ みねお、1934年 - )は、日本の地… 熊澤 峰夫(くまざわ みねお、1934年 - )は、日本の地球科学者。 1961年名古屋大学大学院(地球科学専攻)修了。同年名古屋大学 理学博士。「岩石の物性に関する研究 I 地震波の伝幡と岩石の圧電気性による電磁場の変化 II 岩石鉱物の非靜水圧場における熱力学的考察とその安定方位」。名古屋大学理学部助手、助教授を経て、東京大学理学部地球物理学科教授。その後、名古屋大学理学部地球惑星科学科教授を経て、名古屋大学名誉教授。東京工業大学地球生命研究所リサーチアドバイザー。父は植物学者の熊沢正夫。 全地球史解読プロジェクト代表。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
早川 太郎(はやかわ たろう、1934年 - )は、日本の医… 早川 太郎(はやかわ たろう、1934年 - )は、日本の医学者、医師。愛知学院大学名誉教授。元愛知学院大学歯学部生化学講座教授。 愛知県名古屋市出身。1959年名古屋大学医学部卒業、1963年同大学院修了。以後長崎大学助手、講師、助教授、カリフォルニア大学デービス校客員研究員、ロシュ分子生物学研究所客員研究員、愛知学院大学助教授を経て1977年より愛知学院大学教授に就任。2005年に退職し名誉教授。
黒川 孝雄(くろかわ たかお、1934年(昭和9年) - )… 黒川 孝雄(くろかわ たかお、1934年(昭和9年) - )は、日本の実業家。 愛知県出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業して、その年名古屋大学経済学部に入学し1956年3月(昭和31年)に卒業した。 無類の読書家で蔵書は一万冊を超える。 高校・大学時代は山男で北アルプスを闊歩した。
松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1… 松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1996年11月3日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年名古屋大学経済学部卒、1961年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1965年「対外流動準備の機能に関する研究 適正対外流動準備の理論」で経済学博士。名大助手、1964年名古屋市立大学講師、1965年助教授、1971年教授、経済学部長。1994年名誉教授、1991年早稲田大学商学部教授。1996年定年退任、中部大学教授。
金川 重信(かながわ しげのぶ、1933年11月6日 - 2… 金川 重信(かながわ しげのぶ、1933年11月6日 - 2010年7月2日)は、日本の実業家。日本特殊陶業取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 岐阜県出身。1957年名古屋大学法学部卒業、日本特殊陶業入社。1979年日本特殊陶業経理部長。1983年日本特殊陶業取締役総務部長兼経理部長。1993年昭和法人会会長。1998年日本特殊陶業取締役社長。2005年秋の叙勲で旭日中綬章受章。2010年急性硬膜下血腫により名古屋市昭和区の病院で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )… 水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )は、日本の経済学者。経済評論家。経済学博士(名古屋大学)、中京大学名誉教授。「日本経済の分析と展望」などを研究テーマとしてテレビ、ラジオへの出演多数。愛知県名古屋市出身。兄は名古屋大学名誉教授の水谷伸治郎。
江口 吾朗(えぐち ごろう、1933年10月3日 - 201… 江口 吾朗(えぐち ごろう、1933年10月3日 - 2019年4月3日) は、日本の生物学者。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学理学部教授などを経て、 基礎生物学研究所名誉教授。元熊本大学学長。元学校法人尚絅学園理事長。従三位瑞宝重光章。 愛知県名古屋市生まれ。実家は工場で、名古屋大学医学進学コースに入学したが、周囲は医者の子供ばかりで違和感を感じ、生物学者になろうと考え、1956年名古屋大学理学部生物学科卒業。1957年名古屋大学大学院修士課程中退、名古屋大学理学部生物学科教務員。 1959年名古屋大学理学部生物学科助手。1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。1968年竹市雅俊ともに、京都大学に移籍し、京都大学理学部生物物理学科助教授着任。
服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )… 服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )は、日本の工学者、元電力中央研究所名誉特別顧問。放射線ホルミシスの研究者。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年、名古屋大学電気工学科卒業後、中部電力に入社。入社翌年、東京工業大学大学院原子核工学修士課程に進学。修了後の1960年、アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所原子炉災害評価研修課程へ留学。1972年、動力炉・核燃料開発事業団に在籍、ふげん建設電気機械課長として設計、許認可研究活動に携わる。 1980年、電力中央研究所・研究開発部の初代原子力部長に就任。1984年、アメリカ合衆国の生化学者トーマス・ラッキーの唱えた放射線ホルミシス論を知り、のちに同理論は正しいと考えるに至る。
岡崎 恒子(おかざき つねこ、1933年〈昭和8年〉6月7日… 岡崎 恒子(おかざき つねこ、1933年〈昭和8年〉6月7日 - )は、日本の生物学者(分子生物学)。理学博士(名古屋大学・1963年)。名古屋大学名誉教授。名古屋大学理学部教授などを歴任。藤田医科大学特別栄誉教授。紫綬褒章受章者、瑞宝中綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。 愛知県出身の分子生物学者である。夫である岡崎令治と共同で遺伝子複製の仕組みを予測させたDNA断片「岡崎フラグメント」の研究で知られる。 愛知県名古屋市で外科医の原多喜万の二女として生まれる。愛知県立旭丘高等学校を経て、1952年に名古屋大学理学部生物学科入学。卒業研究のために通った名古屋大学臨海研究所で岡崎令治と知り合い、1956年に大学院進学と同時に結婚、共同研究者となる。
前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日 - 202… 前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日 - 2022年10月11日)は、日本の西南アジア文化研究者。アフガニスタン文化研究所所長・和光大学名誉教授。 1933年、三重県亀山市生まれ。名古屋大学文学部哲学科で学び、美学・美術史学を専攻。1957年、名古屋大学文学部を卒業。1964年、名古屋大学アフガニスタン学術調査団の一員としてバーミヤンを訪れる。以降、アジアやオリエント諸地域においてフィールドワークを行った。 1975年、和光大学教授となる。2003年3月に和光大学を退職し、名誉教授となった。アフガニスタン文化研究所を設立し、主催した。 2022年10月11日、右腎臓がんにより死去。蔵書は「シルクロード文庫」(東京都中野区)として管理されている。
水谷 修(みずたに おさむ、1932年12月11日 - 20… 水谷 修(みずたに おさむ、1932年12月11日 - 2014年12月20日)は、日本の言語学者。日本語学者。元国立国語研究所長。名古屋外国語大学学長。 愛知県名古屋市出身。日本語学、日本語教育の分野で、日本語教育学会会長、日本言語政策学会会長等の要職を務めた。また、国際交流基金日本語教育懇談会委員等の役職を通じて、日本語能力試験の創設等、日本語教育の国際的普及と適正化に努め、2001年外務大臣表彰受賞。2004年4月瑞宝中綬章受章。妻は日本語教育の水谷信子。 2014年12月20日、老衰により死去。82歳没。
岩本 行正(いわもと ゆきまさ、1932年12月7日 - 2… 岩本 行正(いわもと ゆきまさ、1932年12月7日 - 2018年7月7日)は、日本の実業家、銀行家。中京テレビ放送社長、会長を務めた。 愛知県出身。1955年に名古屋大学法学部を卒業し、同年に東海銀行に入行。東京総務部長、取締役、営業企業部長、人事部長、本店営業部長、常務、資金営業部長を経て、1989年6月に専務に就任。 1991年6月に中京テレビ放送副社長に就任し、1992年6月から2003年6月までに社長を務め、2003年6月から会長に就任した。 2018年7月7日、胃がんのために死去。85歳没。
杉田虔一郎(すぎた けんいちろう、1932年10月14日 -… 杉田虔一郎(すぎた けんいちろう、1932年10月14日 - 1994年9月5日)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。学位は、医学博士。信州大学医学部脳神経外科学教室教授(初代1978年-1988年)、名古屋大学医学部脳神経外科教授(1988年-1994年の死亡時まで)を歴任。 定位脳手術、手術機器の開発などを手がけ、脳動脈瘤治療のためのクリップ(Sugitaクリップ)を開発する。さらに、顕微鏡手術のための手術機器および支援機器を精力的に開発し脳神経外科手術の治療成績と安全性の向上、国内外の若手医師の指導など幅広く寄与する。門下に小林茂昭世界脳神経外科学会連盟名誉会長らがいる。 在任中に、看護師と共同で開催する信州セミナー(1978年創設)、手術映像を用いた症例検討会の嚆矢である白馬脳神経外科セミナー(1979年)を創設
飯田 経夫(いいだ つねお、1932年9月27日 - 200… 飯田 経夫(いいだ つねお、1932年9月27日 - 2003年8月4日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。大平内閣ではブレーンを務め、政府税制調査会委員、人事院参与などを歴任した。 大阪府出身。愛知県立津島高等学校を経て、名古屋大学経済学部卒業。塩野谷九十九ゼミナールに所属し、塩野谷ゼミの同級生には十六銀行頭取、代表取締役会長を務めた清水義之、後輩には水谷研治がいる。 1963年から2年間、イギリスへ留学。同年9月、名古屋大学より経済学博士を取得。論文は「経済成長と二重構造」。 名古屋大学経済学部長、国際日本文化研究センター教授、中部大学教授を歴任。専攻は理論経済学。独自の視点から見た日本経済論や経済思想史の著作が数多く、論壇で活躍した。
中川 昌美(なかがわ まさみ、1932年9月7日 - 200… 中川 昌美(なかがわ まさみ、1932年9月7日 - 2001年3月9日)は、日本の物理学者。専門は素粒子論。学位は、理学博士(名古屋大学)。 元名城大学理工学部教授。三重県出身。 坂田学派と呼ばれる坂田昌一の弟子の一人。1962年、坂田昌一、牧二郎とともに、ニュートリノ振動を提唱した(ポンテコルボ・牧・中川・坂田行列(PMNS行列) )ことで知られる。
服部 幸雄(はっとり ゆきお、1932年7月28日 - 20… 服部 幸雄(はっとり ゆきお、1932年7月28日 - 2007年12月28日)は、歌舞伎研究家、芸能研究家、日本文化史家。千葉大学名誉教授。 愛知県海部郡弥富町(現・弥富市)に生まれる。1955年に名古屋大学大学文学部卒業。 高校教師を経て、1967年より国立劇場芸能調査室主任専門員。1969年芸術選奨新人賞受賞。1984年より千葉大学教授、1999年退職して千葉大学名誉教授となるとともに、日本女子大学教授となり、2001年まで務めた。視野の広い歌舞伎研究と日本文化史の研究で知られる。 国立劇場における復活狂言を監修し、『歌舞伎俳優名跡便覧』を編纂して歌舞伎の史料的保存に努めた。研究者としても、『歌舞伎成立の研究』において、阿国かぶきを歌舞伎の始まりとする俗説を排した。
清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 201… 清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 2014年5月4日)は、日本の実業家。株式会社十六銀行前代表取締役会長・顧問、前岐阜商工会議所(岐商)会頭、元中部経済連合会(中経連)副会長。 父は、後に助役を経て第9代大垣市長(在任1974年~1975年)となる清水正之。前任頭取の高橋順吉は父親の従兄弟。 ちなみに、後に大垣共立銀行頭取となる外村次郎は旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)での先輩、同じく後に日銀を経て岐阜銀行頭取となる花田実は、名古屋大学経済学部・塩野谷九十九ゼミの一年先輩にあたる。塩野谷ゼミでは経済学者・飯田経夫と同級生で、飯田は晩年、十六銀行社外監査役に就任する。
藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 20… 藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 2023年3月24日)は、日本の音楽学者。文化・音楽評論家。位階は従四位。 国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専攻は民族音楽学・音楽人類学・比較芸術学。 京都府京都市生まれ。名古屋育ち。名古屋大学文学部哲学科卒業。 名城大学助教授を経て、国立民族学博物館助教授、教授、副館長。1996年3月退官、名誉教授。 また、1988年に国立の総合研究大学院大学文化科学研究科が設置されると、教授・比較文化学専攻長、文化科学研究科長を併任し、1996年3月退官、名誉教授。 その後は中部大学中部高等学術研究所副所長、教授を務めた。特任客員教授。
山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日… 山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日本の裁判官、弁護士。家庭裁判所調査官研修所長や、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長、浦和家庭裁判所長を歴任した。 神奈川県生まれ。1955年名古屋大学法学部卒業。1963年裁判官任官、大阪地方裁判所判事補。家庭裁判所調査官研修所教官、最高裁判所事務総局家庭局付、最高裁判所事務総局家庭局第三課長、最高裁判所事務総局家庭局第一課長、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、家庭裁判所調査官研修所長、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長等を経て、浦和家庭裁判所長を最後に依願退官し、1997年日本大学教授に就任。のち、弁護士、家庭問題情報センター理事長を歴任。
吉岡 郁夫(よしおか いくお、1932年5月19日 - )は… 吉岡 郁夫(よしおか いくお、1932年5月19日 - )は日本の解剖学者で民俗学者・人類学者。日本民俗学会会員、名古屋民俗研究会会員。自然科学と民俗学・文化人類学をテーマに多彩な調査・執筆活動をおこなっている。 広島県福山市出身。1958年に広島大学医学部を卒業後、名古屋大学医学部解剖学研究室大学院に進んで修了し、1966年に医学博士の学位を取得した。 愛知医科大学教授、愛知学院大学教養部教授を務め、1998年に退職した。この間の1978年に、明石原人を世界各地より出土した猿人、原人、旧人、新人の化石骨と比較して、旧人または現世人類の骨だと鑑定した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1… 水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉11月10日)は、日本の地球科学者。専門は堆積地質学・構造地質学。三重県四日市市生まれ。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学名誉教授。弟に経済評論家・中京大学名誉教授の水谷研治。 1954年(昭和29年)名古屋大学理学部を卒業し、同地球科学科大学院修士課程へ進学。当時の木村敏雄助教授の影響を受け、堆積地質学を専攻。1956年同博士課程へ進学。松澤勲教授のもとで、構造地質学を専攻。 1958年3月同課程中退。同年4月名古屋大学理学部地球科学科の助手となる。 1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。
三分一 政男(さんぶいち まさお、1932年 - )は、日本… 三分一 政男(さんぶいち まさお、1932年 - )は、日本の工学研究者。教育者。山口大学第8代目学長。同大学名誉教授。工学博士(1967年、名古屋大学にて取得)。 1932年生まれ。1967年名古屋大学工学部化学工学科にて、「定圧濾過の理論的ならびに実験的解析」で工学博士となる。1990年から1993年まで山口大学第8代目学長を務めた。同大名誉教授。1995年より宇部工業高等専門学校の第7代目校長に就任(2001年まで)。広島大学工学部元教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松沢 あさか(まつざわ あさか、1932年- )は、日本のド… 松沢 あさか(まつざわ あさか、1932年- )は、日本のドイツ語翻訳家。本名・松沢朝香、旧姓・渡辺。 愛知県出身。父親、母親共に小学校教師。1942年、台南州新営東尋常小学校に赴任した父親と共に一家で台湾に移住。終戦後台湾から引揚げの後、新制愛知県立新城高等学校に入学。 名古屋大学文学部独文科卒業。中学校や高校の英語教師ののち、30代半ばで仕事を辞め専業主婦に。60歳で翻訳を始める。現在は富山県高岡市在住。ドイツ語の児童文学を翻訳する。2000年『絵で見るある町の歴史』の翻訳で産経児童出版文化賞受賞。
吉村 正(よしむら ただし、1932年 - 2017年)は、… 吉村 正(よしむら ただし、1932年 - 2017年)は、1932年生まれの産婦人科医。1956年、名古屋大学医学部卒。医学博士。 1961年 29歳で岡崎市内に吉村医院を開院。開院当初は最先端の医療機器を備え、分娩の管理を目指していたが、産科医として出産に立ち会うなかで、自然なお産を目指すようになり、1975年産院の裏に江戸時代の古民家を移築して分娩前の妊婦たちに薪割りなどの労働を行い安産を待つスタイルを確立していった。1999年には、さらに発展させ「お産の家」を新築し、自然分娩について全国で講演会を展開していった。2010年河瀬直美監督によって、吉村医院を舞台としてドキュメンタリー映画『玄牝-げんぴん-』が製作された。
永井義雄(ながい よしお、1931年11月25日 - )は、… 永井義雄(ながい よしお、1931年11月25日 - )は、日本の経済学史学者、名古屋大学名誉教授。経済学史・社会思想史専攻。 名古屋大学経済学部教授を経て、一橋大学社会科学古典資料センター教授を務めた。ロバート・オウエン、ベンサムを中心として英国社会思想を研究する。 愛知県生まれ。1954年3月名古屋大学経済学部卒業、1959年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満了。同年名古屋大学経済学部助手任官。水田洋に師事。1961年名古屋市立女子短期大学講師、1963年名古屋市立女子短期大学講師、同年「イギリス急進主義の研究」で名大経済学博士。1965年金沢大学教養部助教授、1975年同教授、1981年名古屋大学経済学部教授、1983年金沢大学教授併任(名古屋大学経済学部併任)、1984年名古屋大学経済学部教授。
小笠原 暁(おがさわら さとる、1931年9月26日 - 2… 小笠原 暁(おがさわら さとる、1931年9月26日 - 2020年9月28日)は、日本の経済学者、地方公務員、実業家。兵庫県副知事や、芦屋大学学長、日本オペレーションズ・リサーチ学会会長等を歴任した。また、実弟の久野暲ハーバード大学教授とともにロゴヴィスタを興し、同社代表取締役社長も務めた。父は英語学者の久野朔郎。兄は哲学者の久野昭。 1953年名古屋大学理学部数学科卒業。1955年名古屋大学経済学部経済学科卒業。1958年名古屋大学大学院経済学研究科中退。1960年神戸商科大学講師に着任し、1962年同助教授に昇格。1963年には経営管理学科を創設した。1968年同教授。その後日本の学生運動を嫌気し、1972年に兵庫県企画部長に転じ、総合計画の策定などにあたった。
桜井 好朗(さくらい よしろう、1931年9月17日 - 2… 桜井 好朗(さくらい よしろう、1931年9月17日 - 2014年5月8日)は、日本の国文学者、文学博士。花井純一郎の筆名で詩人。椙山女学園大学名誉教授。元佛教大学教授。1960年代から、中世日本紀研究において先陣を切り、中世神話の研究地平を切り拓いた先駆者。1982年、芸術選奨文部大臣賞(『中世日本文化の形成-神話と歴史叙述』東京大学出版会)。 1931年9月17日、愛知県瀬戸市に生まれる。1954年3月、名古屋大学文学部史学科卒業。 1954年4月に名古屋市立志賀中学校教諭となる。1957年4月から名古屋市立中央高等学校教諭を経て、1961年4月から名古屋市立桜台高等学校教諭。 1967年4月からの豊田工業高等専門学校講師を経て、1969年4月に豊田工業高等専門学校助教授就任。
木村 克美(きむら かつみ、1931年8月31日 - )は、… 木村 克美(きむら かつみ、1931年8月31日 - )は、日本の化学者。分子科学の分野で著名。分子科学研究所名誉教授。レーザー光を利用して分子の電子状態やイオン化ポテンシャル等の精密測定を行った。実兄の木村資生(きむら もとお)も研究者で、世界的な集団遺伝学者である。理学博士(名古屋大学)。 ヘリウム共鳴線 (HeI) を光源とするHeI光電子分光法や、ナノ秒パルスレーザー光電子分光法などを用いて数々の業績を上げた。多数の基本的有機分子の光電子スペクトルを測定し、理論計算に基づくイオン化ポテンシャルの帰属を行った。レーザーを光源とした、新たな高分解能光電子分光法の開発を精力的に行い、パルスレーザーによる多光子励起光電子の飛行時間分析を組み合わせた「電子励起状態からの光電子分光法」を確立した。
藤井 保憲(ふじい やすのり、1931年8月13日 - 20… 藤井 保憲(ふじい やすのり、1931年8月13日 - 2019年7月20日)は、日本の物理学者。主な専門は、重力理論。理学博士(名古屋大学)。東京大学名誉教授。2019年、叙従四位、瑞宝小綬章追贈。兵庫県神戸市出身。神奈川県横浜市青葉区在住であった。 この当時、藤井保憲は中性ベクトル場を用い、場の理論の観点から基本粒子(坂田模型)間の強い相互作用を媒介する場を創っていた。さらに、この場をゲージ場と見なしていた。 しかし、力の有限到達距離をだすためには媒介粒子の固有質量に帰着させざるを得ず、対称性の自発的破れが知られていない当時は無理であった。そして、その頃の雰囲気もあって埋もれてしまったのであった。