森本 芳夫(もりもと よしお、1915年(大正4年)8月21… 森本 芳夫(もりもと よしお、1915年(大正4年)8月21日 - 2014年(平成26年)4月28日)は日本の実業家、元北陸電力社長・会長。元北陸経済連合会会長。富山県出身。
京都大学:667人
森本 芳夫(もりもと よしお、1915年(大正4年)8月21… 森本 芳夫(もりもと よしお、1915年(大正4年)8月21日 - 2014年(平成26年)4月28日)は日本の実業家、元北陸電力社長・会長。元北陸経済連合会会長。富山県出身。
加藤 禮次(かとう れいじ、1915年7月15日 - 198… 加藤 禮次(かとう れいじ、1915年7月15日 - 1986年8月24日)は、日本の経営者。大阪府出身。レンゴー社長を務めた。旧姓は小林。 大阪市西区北堀江にて小林董治郎・候の次男として生まれる。小林家はあみだ池大黒を経営する一族である。甲南高等学校を経て1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社。同年末に歩兵第8連隊に入営。ジャムスに駐屯。ノモンハン事件最中の1939年8月に主計幹部候補生に合格して内地に帰還が決まった際、古参一等兵たちから腹いせに鼓膜が破れ気絶するほどのリンチを受けたという。陸軍経理学校(甲幹3期、第1中隊)を経て1940年より赤羽の陸軍被服廠に勤務し、二代目会計監督官班長。
藤末 尚(ふじすえ しょう、1915年5月13日 - 200… 藤末 尚(ふじすえ しょう、1915年5月13日 - 2006年10月28日)は、日本の経営者。住友セメント社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1940年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友石炭鉱業に入社。杵島炭鉱を経て、1968年に取締役に就任し、1971年に専務を経て、1973年に社長に就任。1974年から1982年までに住友セメント社長を務めた。 2006年10月28日、心不全で死去。91歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大島 健司(おおしま けんじ、1915年3月8日 - 199… 大島 健司(おおしま けんじ、1915年3月8日 - 1993年10月10日)は、日本の経営者。小野田セメント社長、会長を務めた。佐賀県出身。 1937年に京都帝国大学法学部を卒業し、1940年に太平洋セメントに入社。 1966年に取締役に就任し、1970年7月に常務、1973年11月に専務を経て、1976年6月には社長に就任。1985年6月に会長に就任。 1987年4月に勲二等瑞宝章を受章。。 1993年10月10日心不全のために死去。78歳没。
杉澤 英男(すぎさわ ひでお、1914年11月29日 - 1… 杉澤 英男(すぎさわ ひでお、1914年11月29日 - 1983年5月11日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長を務めた。 奈良県奈良市出身。1938年に京都帝国大学工学部を卒業し、神戸製鋼所に入社した。取締役、常務、専務、副社長を経て、急死した鈴木博章の後任として1976年9月から社長に就任した。しかし、病気でわずか1年で退任し、社長の座を高橋孝吉に譲った。 1983年5月11日心不全のために死去。68歳没。
金田 秀夫(かねだ ひでお、1914年〈大正3年〉11月7日… 金田 秀夫(かねだ ひでお、1914年〈大正3年〉11月7日 - 1992年〈平成4年〉)は、日本の政治家、実業家。鳥取県議会議員。日ノ丸自動車常務。日本海測量社長。 鳥取県東伯郡倉吉町大字西仲町(現・倉吉市西仲町)出身。雑貨商・金田秀平の長男。1936年、松江高等学校文科甲類卒業。1939年、京都帝国大学法学部卒業。神戸製鋼所に勤務、終戦により帰県し家業に従事する。傍ら県立倉吉中学校教官として勤務する。 1947年、鳥取県会議員に当選。革新連盟に所属。1951年、鳥取県会議員に当選。新政会、中正会に所属。 日ノ丸自動車取締役倉吉支店長、日ノ丸自動車常務、倉吉石油取締役、山陰日日新聞社取締役、倉吉商工会議所会頭、鳥取県公安委員をつとめる。
森田 千賀三(もりた ちかぞう、1914年10月28日 - … 森田 千賀三(もりた ちかぞう、1914年10月28日 - 1999年8月12日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。大阪府出身。 1940年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1965年11月に取締役に就任し、1968年11月に常務、1971年11月に専務を経て、1974年11月に社長に就任。1983年6月に会長に就任し、1991年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1999年8月12日、死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2… 上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2009年8月25日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。
延命 直松(えんめい なおまつ、1914年8月14日 - 1… 延命 直松(えんめい なおまつ、1914年8月14日 - 1997年7月10日)は、日本の経営者。アサヒビール社長を務めた。石川県鹿島郡鹿島町(現在の中能登町)出身。 旧制四高を経て1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行し、取締役、常務を歴任した。1971年に朝日麦酒専務に就任し、副社長を経て、1976年2月に社長に昇格した。1982年3月に取締役相談役を経て、1983年3月から相談役を務めた。 1984年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1997年7月10日心筋梗塞のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
ジュリアーナ・ストラミジョーリ(Giuliana Stram… ジュリアーナ・ストラミジョーリ(Giuliana Stramigioli、1914年8月8日 ローマ - 1988年7月25日 ローマ) はイタリアの日本学者、実業家。ローマ・ラ・サピエンツァ大学教授。『将門記』の研究者。勲三等宝冠章受章。 1914年8月8日、ローマ生。 1936年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて学位取得。指導教官はジュゼッペ・トゥッチ。同年、第一回日伊交換留学生として京都帝国大学に留学し、日本語と仏教美術を研究する。2年後イタリアに帰国し、ナポリ大学にて教鞭を執るが、その1年後に国際文化振興会(国際交流基金の前身)の奨学金を得て再び日本に留学する。 1936年から1940年の間、ジャーナリズムの分野で盛んに活動。
岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 200… 岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 2005年10月24日)は、日本の実業家。元三菱自動車工業顧問。 近藤宏太郎の四男として新潟県に生まれた(出生地は東京府…現:東京都)。1937年京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、三菱重工業に入社。岩崎俊弥(旭硝子創業者)の三女・温子と結婚し、俊弥未亡人(すなわち妻・温子の母)八穂の婿養子となった。 名古屋航空機製作所、名古屋発動機製作所、静岡発動機製作所、川崎機器製作所勤務を経て東京自動車製作所に転じる。1958年10月同所川崎製造部長に、1965年3月川崎自動車製作所副所長に就任。1967年5月同所長となったが、同年妻・温子に先立たれた。
等々力 英男(とどりき ひでお、1914年 <大正3年> 1… 等々力 英男(とどりき ひでお、1914年 <大正3年> 1月25日 - 1992年 <平成4年> 5月6日)は、日本の経営者。位階は正五位。 新潟県新潟市出身。1936年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に新潟トヨタ自動車に入社。1951年に社長に就任し、1987年には会長に就任。1980年10月から1988年6月までにテレビ新潟放送網社長を務め、第四銀行顧問、新潟商工会議所会頭なども歴任。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲二等瑞宝章を受章した。また馬主ともなり、1971年から1979年にかけて新潟馬主協会会長を務めた。 1992年5月6日肺気腫のために死去。78歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 -… 竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 - 1997年12月19日)は、日本の小説家、筑摩書房社長。 静岡県生まれ。旧姓・桑原。1932年第三高等学校に入学、野間宏、富士正晴と、竹内勝太郎に師事して雑誌『三人』を刊行する。大学では吉川幸次郎に師事、1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、河出書房に入社する。のち筑摩書房に移り、戦時中は海軍に応召した。1950年「ロッダム号の船長」で芥川賞候補となる。1966年から1972年まで古田晁の後を受けて筑摩書房2代目社長を務めた。
松尾 三郎(まつお さぶろう、1913年(大正2年)11月1… 松尾 三郎(まつお さぶろう、1913年(大正2年)11月19日 - 1998年(平成10年)9月1日)は、日本の工学者・実業家・学校経営者。工学博士(京都大学)。電子開発学園初代理事長。兵庫県出身。 郵政省電波技術審議会委員やソフトウェア産業振興協会副会長も務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
加藤 吉郎(かとう よしろう、1913年10月30日 - 1… 加藤 吉郎(かとう よしろう、1913年10月30日 - 1985年3月23日)は、日本の実業家。南海電気鉄道の社長を務めた。岐阜県出身。 1944年、京都帝国大学法学部を卒業し、南海電気鉄道の前身である南海鉄道に入社。1964年に熊野交通に出向し、専務を務め、瀞八丁の観光船にジェット船を採用した。1966年に南海電鉄に戻り、自動車計画部長、取締役、常務、専務を歴任し、1975年12月から副社長を務め、社長の川勝傳を支えた。1983年6月に川勝傳の後任として社長に就任する。しかし体調不良で1985年1月に社長を辞任し、同年3月23日、すい臓がんのために大阪府堺市の自宅で死去。71歳没。なお社長は川勝傳が会長と兼任する形で一時的に社長を務め、1985年6月に吉村茂夫が社長に就任した。
梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 200… 梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 2004年8月24日)は、日本の実業家。川崎重工業社長、会長を務めた。 和歌山県那賀郡岩出町出身。旧制高知高等学校を経て1939年に京都帝国大学法学部を卒業し、川崎造船所に入社した。1964年12月に取締役、1969年11月に常務、1975年5月に専務を経て、1976年11月から副社長に就任し、1977年6月に社長に就任した。在任中は、日本で初めて、LNG運搬船の受注を獲得したり、韓国の現代グループへの技術支援や中国で大口受注を獲得するなど海外展開にも積極的に取り組んでいった。1981年6月に会長、12月に取締役相談役を経て、1987年6月から2002年6月までに相談役を務めた。
古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 199… 古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 1991年10月23日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取、会長。佐賀県佐賀市出身。 1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に野村銀行(のちの大和銀行。統合により現在はりそな銀行となる。)に入行した。 1961年11月に取締役に就任し、1963年4月に常務、1966年11月に専務、1968年11月に副頭取を経て、1973年4月からは大和銀行頭取を務め、1977年4月からは会長、1987年6月からは相談役を歴任した。 その一方で、1981年12月から1985年12月までに大阪商工会議所会頭を務め、海外交流に力を入れた。日本商工会議所副会頭、大阪銀行協会会長、全国銀行協会連合会副会長、関西経済同友会代表幹事なども歴任した。
石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1… 石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1999年11月1日)は、日本の経営者。日本触媒化学工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。位階は正五位。 1936年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、後に日本触媒化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1979年2月に副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1986年2月に会長を経て、1990年2月から相談役を務めた。 1960年に大河内記念賞を受賞し、1969年11月に紫綬褒章を受章し、1977年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1999年11月1日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
長谷川 正男(はせがわ まさお、1913年 <大正2年> 3… 長谷川 正男(はせがわ まさお、1913年 <大正2年> 3月27日 - 1990年 <平成2年> 2月16日)は、日本の経営者。日本精工社長、会長を務めた。位階は正四位。 愛知県出身。1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に安田銀行に入行。1961年に日本精工取締役に就任し、1973年12月には社長に就任。1984年7月に会長に就任。 1981年に藍綬褒章を受章し、1986年に勲三等旭日中綬章を受章。 1990年2月16日脳梗塞のために死去。76歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
原田 恒雄(はらだ つねお、1913年3月7日 - 2004… 原田 恒雄(はらだ つねお、1913年3月7日 - 2004年1月30日)は、日本の農学博士、経営者。和歌山県出身。 1938年に京都帝国大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に大日本麦酒に入社し、1949年にアサヒビールに移る。1956年にはビール醸造研究のためにドイツに留学。1960年に西宮工場長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1974年に副社長に就任し、1976年に相談役を経て、1980年から顧問を務めた。 1987年から1992年までに全国清涼飲料工業会会長を務めた。 1968年に農芸化学技術賞を受賞し、1977年に紫綬褒章を受章した。 2004年1月30日肺炎のために死去。90歳没。
平野 史(ひらの ふひと、1913年3月1日 - 1994年… 平野 史(ひらの ふひと、1913年3月1日 - 1994年12月2日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長、会長を務めた。愛知県出身。 1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1941年にトヨタ自動車工業に入社。1949年12月に日本電装に転じ、1956年2月に取締役に就任し、1967年1月に常務、1971年2月に専務を経て、1977年3月には社長に就任。1982年3月から会長を務めた。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年12月2日急性肺炎のために死去。81歳没。
鈴木 正二(すずき しょうじ、1913年1月20日 - 20… 鈴木 正二(すずき しょうじ、1913年1月20日 - 2010年9月21日)は、日本の経営者。第四銀行頭取、会長を務めた。新潟県出身。 1935年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に第四銀行に入行した。1959年11月に取締役に就任し、1962年11月に常務、1970年3月に専務を経て、1972年11月に頭取に就任した。1983年3月に会長に就任し、1988年6月から取締役相談役を務めた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 2010年9月21日肺炎のために死去。97歳没。
鳥居 正一郎(とりい しょういちろう、1913年1月4日 -… 鳥居 正一郎(とりい しょういちろう、1913年1月4日 - 1992年2月21日)は、日本の経営者。阪急百貨店社長、会長を務めた。東京都出身。 東京都生まれだが、姉の天津乙女が宝塚歌劇団に入団した関係で一家で兵庫県宝塚市へ移住した。旧制浪速高等学校を経て、1936年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄に入社し、1年間は車掌や運転士を務めた。現業部門から離れてからは同社百貨店部で勤務していた。 1947年に分社化に伴い、阪急百貨店に転じた。1962年5月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1973年5月に専務、1979年6月に副社長を経て、1981年6月に社長に就任した。前任の野田孝から健康と人柄とを見込まれてのものであった。
山本 定蔵(やまもと さだぞう、1912年11月29日 - … 山本 定蔵(やまもと さだぞう、1912年11月29日 - 1991年1月17日)は、日本の経営者。トヨタ自動車販売社長を務めた。静岡県湖西市出身。 旧制姫路高等学校を経て、1937年に京都帝国大学法学部を卒業し、1940年にトヨタ自動車工業に入社。 1950年にトヨタ自動車販売に転じ、1953年に取締役に就任し、1960年に常務、1967年に専務、1971年に副社長を歴任し、1979年6月に社長に就任し、1981年6月までに務めた。千代田火災海上保険会長も務めた。 1976年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1991年1月17日肺炎のために死去。78歳没。
栗林 四郎(くりばやし しろう、1912年10月19日 - … 栗林 四郎(くりばやし しろう、1912年10月19日 - 1992年5月24日)は、日本の経営者、銀行家。京都銀行頭取を務めた。大分県出身。 1935年に京都帝国大学を卒業し、朝鮮銀行での勤務を経て、1946年に大蔵省に入省。1951年に京都銀行に転じ、1953年に常務に就任し、1972年に頭取に就任。1979年には会長に就任。 1992年5月24日肺炎のために死去。79歳没。
山本 正明(やまもと まさあき、1912年10月12日 - … 山本 正明(やまもと まさあき、1912年10月12日 - 1997年7月17日)は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。滋賀県大津市出身。 1936年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に安田銀行(のちの富士銀行)に入行。1959年に沖電気工業常務に就任し、1966年に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年11月に社長に就任。1978年6月に会長に就任し、1979年6月から相談役を務めた。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1997年7月17日心不全のために死去。84歳没。
渋沢 言忠(しぶさわ あきただ、1912年10月6日 - 1… 渋沢 言忠(しぶさわ あきただ、1912年10月6日 - 1987年)は、日本の実業家。古河合名会社、新立川航空機常務(1954年 - ?)を務めた。 男爵・津軽行雅(1881年 - 1923年、細川行真の子で津軽承昭の娘婿)の三男で、実母は津軽理喜子(承昭の庶出子)である。養父は渋沢武之助、養母は渋沢(旧姓:福原)美枝(1894年 - 1976年)で、妻の渋沢昭子(1915年 - ?)は養父母の実子である。親戚に渋沢敬三(妻昭子の従兄)と渋沢雅英(敬三の長男)がいる。 妻の昭子が東京女学館出身であることから、東京女学館の理事を務めた。言忠没後は昭子の意向により、宗家当主の渋沢雅英がその職を引き継いだ。
永田 正全(ながた まさはる、1912年9月6日 - 201… 永田 正全(ながた まさはる、1912年9月6日 - 2010年2月17日)は、日本の経営者。熊本県出身。 1938年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)に入社。1968年5月に取締役に就任し、1979年10月に副社長に就任。1986年6月に阪急不動産会長に就任。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2010年2月17日に死去。72歳没。
小林 大祐(こばやし たいゆう、1912年6月13日 - 1… 小林 大祐(こばやし たいゆう、1912年6月13日 - 1994年8月21日)は、日本の経営者。富士通社長、会長を務めた。 兵庫県多可郡加美町(現多可町)出身。1935年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に富士電機製造に入社。同年に富士通信機製造に転じ、1964年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年3月に社長に就任。1981年6月に会長に就任し、1986年5月に取締役相談役を経て、1987年6月から相談役を務めた。 1965年に毎日工業技術賞を受賞し、1971年に紫綬褒章を受章し、1978年に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲一等瑞宝章を受章。 1994年8月21日、気管支肺炎のために死去。
中村 久次(なかむら ひさつぐ、1912年(明治45年)5月… 中村 久次(なかむら ひさつぐ、1912年(明治45年)5月23日 - 2002年(平成14年)10月21日)は、日本の実業家、音響技術者。 子爵加納久朗の次男として生まれる。男爵中村貫之の娘・妙子の婿になり中村姓を名乗った。1938年(昭和13年)に京都帝国大学理学部物理科を卒業して、日本ビクターに入社し、戦後は不二音響工業、サンウエーブ工業等の社長を歴任する。 戦前、陸軍兵技少佐として陸軍技術研究所に勤務したことがあった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高木 正(たかぎ ただす、1912年3月26日 - 2000… 高木 正(たかぎ ただす、1912年3月26日 - 2000年4月1日)は、日本の経営者。日立化成工業社長、会長を務めた。 滋賀県出身。1935年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、1936年に日立製作所に入社。1967年11月に取締役に就任し、1969年11月に常務、1973年11月に日立化成工業副社長を経て、1974年11月には社長に就任。1981年6月に会長、1985年6月に相談役を経て、1995年6月には名誉相談役に就任。 1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2000年4月1日、死去。88歳没。
住友 元夫(すみとも もとお、1912年1月1日 - 200… 住友 元夫(すみとも もとお、1912年1月1日 - 2005年7月28日)は、日本の実業家。学位は、工学博士(東京大学)。第16代当主住友吉左衛門友成男爵の弟。父は住友友純。長男芳夫は住友家第17代当主。住友金属工業専務、住友精密工業会長などを歴任した。 1912年1月1日生まれ。1936年に京都帝国大学理学部物理学科を卒業し、1946年に住友金属工業に入社する。1962年11月取締役中央技術研究所所長となり、常務を経て、1970年11月専務に就任、1972年11月に相談役、住友精密工業会長となる。後に両社の監査役を務めた。この間、1953年(昭和28年)3月27日には「復元現象の研究」により東京大学から工学博士の学位を受け、さらに「ガスタービン並びにジェットエンジン用翼材の生産技術の確立」によって大河内記念賞を受賞している。
深瀨 信千代(ふかせ のぶちよ、1911年12月7日 - 1… 深瀨 信千代(ふかせ のぶちよ、1911年12月7日 - 1985年9月25日)は、日本の実業家、元官僚、元俳優である。終戦後の一時期、牧 壮吉(まき そうきち)を名乗り、東宝の専属俳優として活動していた。 1911年(明治44年)12月7日、北海道函館市に生まれる。 函館市立弥生小学校、旧制奈良県立奈良中学校(現在の奈良県立奈良高等学校)、旧制第四高等学校文科(乙類)をそれぞれ卒業後、京都帝国大学法学部(現在の京都大学)に進学する。旧制高校時代は時習寮委員長を務め、また、大学時代まで陸上競技部の投擲選手としてもならした。 1934年(昭和9年)、京都帝国大学卒業と同時に満洲国へ渡り、南満州鉄道株式会社に入社。
西川 英夫(にしかわ ひでお、1911年11月22日- 20… 西川 英夫(にしかわ ひでお、1911年11月22日- 2000年11月12日 )は、日本の経営者、不動産鑑定士。東京建物社長、会長を務めた。 大阪府出身。1934年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に東京建物に入社した。1957年8月に取締役に就任し、1961年1月に常務、1972年8月に専務を経て、1975年6月に社長に就任。1979年3月に会長に就任し、1989年3月には取締役相談役に就任。 1980年11月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2000年11月12日、脳梗塞のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小西 秀次(こにし しゅうじ、1911年10月1日 - 19… 小西 秀次(こにし しゅうじ、1911年10月1日 - 1990年7月17日)は、日本の実業家。キリンビール社長、会長を務めた。三重県出身。 1937年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年にキリンビールに入社。 1966年に横浜支店長に就任し、営業部長、取締役、常務、専務を経て、1978年4月から1984年4月までに社長を務め、1984年4月から1988年までに会長を務めた。1988年から顧問を務めた。 専務在任時から1976年にはビール販売シェア63.8%と史上最高を達成し、シェア60%台を維持するなどキリンの黄金時代を築き上げた。 1990年7月17日、急性心筋梗塞のために死去。78歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
加藤 琢治(かとう たくじ、1911年9月30日 - 199… 加藤 琢治(かとう たくじ、1911年9月30日 - 1999年7月2日)は、日本の経営者。ニチロ社長を務めた。新潟県出身。 1939年に京都帝国大学法学部を卒業し、1943年にニチロに入社。1966年1月に取締役に就任し。1970年1月に常務、1973年1月に専務、1974年1月に副社長を経て、1975年1月に社長に就任。1981年2月に取締役相談役を経て、1982年2月に相談役に就任。 1996年に勲三等旭日中綬章を受章。 1999年7月2日肺炎のために死去。87歳没。
高田 弘(たかだ ひろし、1911年9月22日 - 1997… 高田 弘(たかだ ひろし、1911年9月22日 - 1997年7月31日)は、日本の経営者。協和醗酵工業(現在の協和キリン)社長を務めた。 愛知県出身。1935年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、東洋紡績、東亜化学、協和産業での勤務を経て、1949年に協和醗酵工業に入社。1958年に取締役に就任し、1962年に常務、1964年8月に専務を経て、1971年7月に副社長に就任し、1972年7月には社長に昇格。1978年3月に取締役相談役に就任し、1980年3月に相談役を経て、1990年4月には特別顧問に就任。 1997年7月31日肺癌のために死去。85歳没。
稲井 好広(いない よしひろ、1911年8月8日 - 199… 稲井 好広(いない よしひろ、1911年8月8日 - 1990年4月7日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1938年に京都帝国大学工学部電気科を卒業し、同年に三菱鉱業に入社。1963年5月に取締役に就任し、1965年8月に常務、1971年に専務を経て、1972年6月に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格。1982年6月には会長に就任。 1974年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲一等瑞宝章を受章。 1990年4月7日心不全のために死去。78歳没。
武田 喜三(たけだ きぞう、1911年7月30日 - 198… 武田 喜三(たけだ きぞう、1911年7月30日 - 1987年1月5日)は、日本の経営者、工学博士。大同特殊鋼社長、会長を務めた。 京都府出身。1935年に京都帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に日本製鐵八幡製鉄所に入社。1961年に取締役に就任し、1963年に常務、1968年3月に専務、1970年3月に新日本製鐵専務を経て、1973年に大同製鋼社長に就任し、1976年9月には大同特殊鋼社長に就任。1982年9月に取締役相談役を経て、1984年9月に相談役に就任。 1965年4月に事業功労賞を受賞し、1975年4月に製鉄功労賞を受賞した。1977年4月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章した。
佐々木 定道(ささき さだみち、1911年7月10日 - 2… 佐々木 定道(ささき さだみち、1911年7月10日 - 2006年3月26日)は、日本の経営者。富士重工業社長を務めた。鳥取県出身。 1937年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日産自動車に入社。 1960年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1973年11月に副社長に就任。1978年10月に富士重工業社長に就任し、1985年6月に会長を経て、1987年6月から相談役を務めた。 1975年11月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2006年3月26日肺炎のために死去。94歳没。
吉武 廣次(よしたけ ひろし、1911年 <明治44年> 5… 吉武 廣次(よしたけ ひろし、1911年 <明治44年> 5月15日 - 1997年 <平成9年> 1月29日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長を務めた。位階は従四位。 福岡県出身。1935年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1936年に橫濱護謨製造 (のちの横浜ゴム) に入社。1965年8月に取締役に就任し、1967年8月に常務、1969年8月に専務、1971年8月に副社長を経て、1973年2月に社長に就任した。1977年12月に会長に就任し、1981年3月に取締役相談役を経て、1983年3月に相談役に就任。 1982年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1997年1月29日、肺炎のために死去。
松本 栄蔵(まつもと えいぞう、1911年5月11日 - 1… 松本 栄蔵(まつもと えいぞう、1911年5月11日 - 1988年12月8日)は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。福岡県出身。 1935年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1939年に日鉄鉱業に入社。1961年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1970年11月に副社長に就任し、1971年11月には社長に昇格。1979年6月には相談役に就任。 1988年12月8日肝不全のために死去。77歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松村 正直(まつむら まさなお、1911年2月20日 - 2… 松村 正直(まつむら まさなお、1911年2月20日 - 2009年7月18日)は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。富山県西礪波郡福光町(現・南砺市)出身。政治家の松村謙三の長男。 1934年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。1962年に取締役に就任し、1966年に常務を経て、1968年から1977年までに社長を務めた。 2009年7月18日、心不全のために死去。98歳没。
奥平 泉一(おくひら せんいち、1910年 <明治43年> … 奥平 泉一(おくひら せんいち、1910年 <明治43年> 12月20日 - 1978年 <昭和53年> 3月26日)は、日本の経営者。住友信託銀行社長を務めた。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 大分県出身。1934年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1957年5月に取締役に就任し、1962年11月に常務、1963年7月に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年5月から1976年9月までに社長を務めた。 1978年3月26日に腎不全のために死去。67歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲二等瑞宝章を追贈された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
相原 正一郎(あいはら しょういちろう、1910年 <明治4… 相原 正一郎(あいはら しょういちろう、1910年 <明治43年> 10月25日 - 1994年 <平成6年> 6月7日)は、日本の経営者。日本勧業角丸証券社長、平和不動産社長を務めた。京都府出身。位階は正五位。 1933年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1962年11月に日本勧業証券副社長に就任し、1964年11月には社長に昇格し、1967年10月に発足した日本勧業角丸証券でも社長を務めた。1970年11月から1975年11月までに東京証券取引所副理事長を務め、1977年6月から1987年6月までに平和不動産社長を務めた。 1976年9月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲三等瑞宝章を受章。
平木 信二(ひらき しんじ、1910年10月5日 - 197… 平木 信二(ひらき しんじ、1910年10月5日 - 1971年12月30日)は、日本の実業家。元リッカーミシン社長。 現在の京都府長岡京市出身。 高等小学校卒業後、故郷を離れて日本紡績(後のユニチカ)に就職し、関西大学商学部夜間部を卒業。 1929年、8ヶ月間で祖父母、母を続けざまに喪った。あまりに短期間過ぎて平木家は墓地に埋葬する場所が無くて困ったと伝わる。 1934年に京都帝国大学経済学部を卒業後、計理士事務所を開設した。当時日中戦争の軍需景気でインフレが発生し、税法も新しくなったため税金の取り立てが厳しく、計理士の需要は非常に高かった。おかげで29歳の頃に平木はすでに結婚していたが、一家が一生生活に困らないほどの財産を築き上げた。
鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11… 鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11日 - 1993年(平成5年)5月23日)は、日本の実業家。元鈴与会長。旧名 鈴木一郎。 静岡県出身。鈴与商店社長で貴族院議員、6代目鈴木與平の長男として生まれる。清水市立清水尋常高等小学校卒業。静岡県立静岡中学校から、旧制静岡高等学校へ進んだが、2年次から旧制成城高等学校に転学し、卒業した。1935年(昭和10年)、京都大学経済学部卒業。山下汽船入社。1937年(昭和12年)4月、鈴与商店に転じ、1940年(昭和15年)5月、鈴与商店並びに鈴与倉庫、清水食品各社長に就任。同年8月、静岡鉄道監査役に選ばれ、次いで取締役となる。1944年(昭和19年)、鈴与社長。
富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月1… 富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月14日 - 1991年(平成3年)2月5日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から9代目)。 奈良県大和郡山市出身。広島高等学校を経て1934年4月京都帝国大学法学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1965年(昭和40年)5月25日に取締役となる。以後、1968年(昭和43年)11月25日常務取締役、1971年(昭和46年)5月25日専務取締役を経て、1973年(昭和48年)5月に取締役副社長に就任。1977年(昭和52年)6月22日、今里英三の後任として社長に就任する。
入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月… 入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月26日 - 1973年 <昭和48年> 9月28日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 広島県広島市出身。1935年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。 1963年5月に取締役、1964年4月に大阪商船三井船舶常務、1965年5月に大阪建物常務を経て、1972年9月に社長に就任。 1973年9月28日、肝癌のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 19… 小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 1992年5月9日)は、日本の経営者。石川県出身。 1933年に京都帝国大学法学部を卒業し、旭ベンベルグ絹糸での勤務を経て、1947年3月に旭化成工業取締役に就任し、その後は常務、専務を歴任した。 1965年12月に積水化学工業顧問に就任し、1966年2月に社長に就任し、1971年5月に会長に就任した。 1972年5月にユニチカ社長に就任し、1974年3月から1977年3月までに会長を務めた。 1970年から1990年までに積水ハウス会長を務め、讀賣テレビ放送監査役も務めた。 1992年5月9日心不全のために死去。82歳没。