堀田 進(ほった すすむ、1918年9月26日 - 2011… 堀田 進(ほった すすむ、1918年9月26日 - 2011年11月17日)は、長く神戸大学医学部教授を務め、特にデング熱や日本脳炎のウイルスについて研究した、日本の微生物学者。 大阪府三島郡茨木町(後の茨木市)生まれ。 1942年、京都帝国大学医学部を卒業して医師免許を取得、木村廉が主宰していた微生物学講座に副手を経て助手として入局し、1943年には世界で初めてデングウイルスの分離に成功した。 第二次世界大戦後は、1948年9月に京都帝国大学医学部講師となり、1949年6月に京都大学医学部講師に移行した。また、同年8月には「デング熱の研究」により京都大学から医学博士号を取得した。同年、日本ウイルス学会の前身となった「ヴィールス談話会」発足に参加し、機関誌の発行に貢献した。
向井正也(むかい まさや、1918年9月15日 - 2014… 向井正也(むかい まさや、1918年9月15日 - 2014年5月13日)は、大阪府交野市生まれの西洋建築史家、神戸大学名誉教授。位階は従四位。
熊谷 清(くまがい きよし、1918年 <大正7年> 8月5… 熊谷 清(くまがい きよし、1918年 <大正7年> 8月5日 - 2010年 <平成22年> 2月20日)は、日本の経営者。川崎汽船社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県出身。1941年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1942年に川崎汽船に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1979年6月に専務を経て、1979年12月に副社長に就任し、1980年6月には社長に昇格。1985年6月に会長に就任し、1988年6月に相談役に就任。 1980年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2010年2月20日に死去。91歳没。叙正四位。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 20… 福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 2001年12月20日)は、日本の中国学者・中国思想史研究者。京都大学名誉教授。老荘思想・道教研究の第一人者として知られる。 1918年、大分県下毛郡鶴居村大字高瀬(現:中津市)の農家に生まれた。大分県立中津中学校(現:大分県立中津南高等学校)を卒業し、広島高等師範学校(現:広島大学)文科第一部で学んだ。1940年、京都帝国大学文学部哲学科に入学し、支那哲学史を専攻した。1942年9月に卒業し、同大学大学院に入学。しかし、同年10月には大学院を休学し、現役兵として野砲兵第6連隊補充隊(熊本)に入隊。1944年に陸軍砲兵少尉、1945年に陸軍砲兵中尉。
苧阪 良二(おさか りょうじ、1918年〈大正7年〉6月28… 苧阪 良二(おさか りょうじ、1918年〈大正7年〉6月28日 - 2018年〈平成30年〉8月12日)は、日本の心理学者。京都大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。視空間構造の成立に係わる心理学的研究、眼球運動計測に関する研究などで知られる。長男は苧阪直行、長男の妻は苧阪満里子。 京都市左京区吉田に生まれる。旧制京都府立京都第一中学校、旧制第三高等学校理科甲類を経て、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学文学部心理学科を卒業(卒業論文は「視空間の異方向性 - 月の錯視について」)後、海軍予備学生として応召され海軍兵学校舞鶴分校教官として電測術および心理学を担当する。終戦後、復員し1945年(昭和20年)11月より京都帝国大学大学院文学研究科部哲学専攻にて学ぶ。
桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 200… 桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 2001年1月28日)は、日本の小説家。父は東京帝国大学教授(金属工学)の桂弁三。姉は洋画家・桂ゆき。 東京市本郷区生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒。在学中から太宰治に師事。卒業後NHKに入社、戦後放浪生活に入り八年ほど療養生活をしたのち、同人誌に創作を発表。1971年『早稲田文学』に「寂光」を連載、72年同作で直木賞候補となる。
金子 正且(かねこ まさかつ、1918年6月7日 - 200… 金子 正且(かねこ まさかつ、1918年6月7日 - 2007年11月21日)は、日本の映画プロデューサー。群馬県出身。 1946年に京都帝国大学卒業と同時に東宝撮影所へ入社。戦争中は一度退社し、宇部興産(現・UBE)に勤務する。戦後再び東宝に入社するが、東宝争議で藤本真澄とともに再び退社し、藤本プロを経て1957年に東宝へ契約者として三たび入社し、並木透の名前で原作や脚本を手掛けた。しかし藤本の死で独立し、銀座の名画座「並木座」の代表取締役、ヨコハマ映画祭の審査委員長を務めた。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
閔 寛植(ミン・グァンシク、朝鮮語: 민관식、1918年5月… 閔 寛植(ミン・グァンシク、朝鮮語: 민관식、1918年5月3日 - 2006年1月16日)は、大韓民国の薬剤師、官僚、社会活動家、政治家。第3・4・5・6・10代韓国国会議員。第20代文教部長官。第10代国会副議長。 本貫は驪興閔氏。号は小崗(ソガン、소강)。京都大学法学博士。 日本統治時代の京畿道開城に生まれた。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、水原農林専門学校(現・ソウル大学校農科大学に併合)を卒業後、内地の京都帝国大学(現・京都大学)農学部農芸化学科を卒業。その後に薬剤師試験に合格し、薬剤師を免許取得した。 朝鮮戦争後は高麗時報社の社長を務め、1954年の第3代総選挙に無所属でソウル東大門選挙区から立候補して初当選した。
矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1… 矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1989年8月16日)は、日本の哲学者、評論家。
山口 恵照(やまぐち えしょう、1918年4月4日 - )は… 山口 恵照(やまぐち えしょう、1918年4月4日 - )は、日本の哲学者。大阪大学名誉教授。インド哲学専攻。愛知県出身。 愛知県葉栗郡木曽川町(現:一宮市)に生まれる。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒業。立命館大学助教授、1955年大阪大学文学部インド哲学科助教授、教授、82年定年退官、名誉教授。62年「古典サーンキヤ哲学の研究」で京都大学文学博士。1991年勲三等旭日中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1… 田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1月19日)は、日本の国文学者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世文学論的研究」)。大阪大学名誉教授。中世文学が専門。 福岡県甘木市(現朝倉市)出身。第三高等学校を経て1942年1月京都帝国大学文学部を繰上げ卒業。のち京都一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)教諭、甲南高等学校(旧制)教授、1950年大阪大学文学部助教授、1962年「中世文学論的研究」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1964年教授。1981年定年退官、名誉教授、南山大学教授、梅花女子大学教授。1989年退職。
飯沼 二郎(いいぬま じろう、1918年3月20日 - 20… 飯沼 二郎(いいぬま じろう、1918年3月20日 - 2005年9月24日)は、日本の農学者・市民運動家。京都大学名誉教授。元京都ベ平連代表。専門は、農業経済学、農業史(農業・農法の歴史的研究)。農学博士(京都大学・論文博士・1961年)。 東京都生まれ。1941年、京都帝国大学農学部農林経済学科卒業。1948年に国立国会図書館主事を経て、1951年に農林省農業技術研究所技官。1954年2月に京都大学人文科学研究所助教授、1974年6月に京都大学人文科学研究所教授。1981年に定年退官。1981年4月に京都大学名誉教授。 1961年5月に「農学成立史の研究」により、京都大学から農学博士の学位を授与される。
馬渕 和夫(まぶち かずお、1918年3月19日 - 201… 馬渕 和夫(まぶち かずお、1918年3月19日 - 2011年11月24日)は、日本の国語学者。筑波大学名誉教授、東京成徳短期大学名誉教授。勲三等瑞宝章受章。長く「馬淵和夫」の表記を用いた。 愛知県名古屋市生まれ。東京文理科大学卒、1961年「日本韻学史の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。東京教育大学、筑波大学教授、1981年定年退官、名誉教授、東京成徳短期大学教授、2003年退職。1995年春、勲三等瑞宝章受勲。 馬渕の研究対象は広範囲にわたり、そのような意味においては総合性が大きな特色の一つであるといえるが、新たに開拓された分野として真っ先に挙がるのは、悉曇学や日本語の音韻史である。
長島 敦(ながしま あつし、1918年3月17日 - 200… 長島 敦(ながしま あつし、1918年3月17日 - 2004年10月15日)は、日本の検察官。最高裁判所判事。栃木県出身。伯父の長島毅は大審院長。 1941年(昭和16年)京都帝国大学法科を卒業。1942年(昭和17年)に司法官試補。検事になったのは起訴猶予になった容疑者が立ち直った例をみたのがきっかけ。その後海軍法務科士官となり、大尉で終戦。 第一線で被疑者の取調べなど検察の実務経験は短く、約3年間しかない。それ以外は法務省で秘書課長や青少年課長など事務、政策立案作業に携わった。1956年(昭和31年)から日米法律学者の交換計画でアメリカのスタンフォード大学に2年間留学した。1970年(昭和45年)4月にアジア極東犯罪防止研究所の所長に就任し、日本人として初の所長となる。
渡部 徹(わたなべ とおる、1918年3月5日 - 1995… 渡部 徹(わたなべ とおる、1918年3月5日 - 1995年3月16日)は、日本の社会運動史学者、京都大学名誉教授。専門分野は戦前の労働・社会運動史。 大阪府出身。京都帝国大学を卒業。大阪経済大学助教授から京都大学人文科学研究所に移り、1969年に教授に昇格する。1982年に定年退官となり、愛知女子短期大学教授に転じた。
望月 邦夫(もちづき くにお、1918年(大正7年)2月27… 望月 邦夫(もちづき くにお、1918年(大正7年)2月27日 - 1990年(平成2年)3月5日)は、昭和期の建設技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、水資源開発公団(現水資源機構)総裁、工学博士。 滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市)で生まれる。1942年(昭和17年)京都帝国大学工学部土木工学科を卒業した。 戦後、建設省に入省し、河川局開発課長、同河川計画課長、国土総合開発審議会専門委員、建設省大臣官房技術参事官などを歴任し、1968年(昭和43年)近畿地方建設局長(現近畿地方整備局)に就任。退官後、水資源開発公団理事を務めた。 1974年(昭和49年)7月の第10回参議院議員通常選挙に滋賀県地方区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。
国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉… 国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉2月23日 - 1986年〈昭和61年〉11月14日)は、日本の宗教哲学者、明治大学教授。 群馬県邑楽郡千江田村(現・明和町)生まれ。千江田村の小学校で学んだ後、同郡館林町(現・館林市)へ引っ越す。1935年(昭和10年)旧制館林中学校を卒業。明治大学予科を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1947年(昭和22年)同大学院修了。 1947年(昭和22年)明治大学予科講師となり、翌年同教授。1949年(昭和24年)に新制明治大学が誕生すると文学部助教授となり、1958年(昭和33年)教授。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけてドイツ・イギリスへ留学。
千代 賢治(ちしろ けんぢ、1918年2月16日 - 201… 千代 賢治(ちしろ けんぢ、1918年2月16日 - 2017年3月14日)は、日本の経営者。住友生命保険社長、会長を務めた。 鳥取県西伯郡西伯町(現南部町)出身。旧制鳥取県立米子中学校、旧制松江高等学校文科乙類を経て、1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年住友生命保険に入社。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業し摩耶に配属された。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進み、海軍艦政本部付で終戦を迎えた。 1946年1月に終戦により復職。1963年1月に経理部長に就任し、人事部長、取締役、常務、専務を経て、1978年7月に副社長に就任し、翌年7月に社長に昇格した。
足利末男(あしかが すえお、1918年 <大正7年> 1月2… 足利末男(あしかが すえお、1918年 <大正7年> 1月25日 - 2012年 <平成24年> 2月18日)は、日本の社会統計学者。京都大学名誉教授、福山大学名誉教授。勲三等旭日中綬章。 京都府出身。京都大学経済学部卒、同大学院修了、1968年「社会統計学史 ドイツ社会統計学形成過程の研究」で経済学博士の学位を取得。京都大学教養部助教授、教授を務め、1981年定年退官、名誉教授、福山大学教授となり、1988年名誉教授。1994年春の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。
前田 義信(まえだ よしのぶ、1918年(大正7年)1月15… 前田 義信(まえだ よしのぶ、1918年(大正7年)1月15日 - 2004年(平成16年)2月4日)は、日本の交通経済学者。 長崎県南高来郡島原町(現・島原市)に生まれる。1920年11月宇治山田市(現・伊勢市)に移住、1931年3月福岡市に移住し、1935年3月福岡県中学修猷館、1938年3月旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1938年4月京都帝国大学経済学部に入学、1941年3月同大学の学士試験に合格する。 1941年4月辰馬汽船(後に合併により山下新日本汽船、ナビックスラインを経て現・商船三井)に入社するが、1948年3月に退社し、1950年10月京都大学経済学部大学院に入学、1956年3月に退学。
安達 生恒(あだち いくつね、1918年 <大正7年> 1月… 安達 生恒(あだち いくつね、1918年 <大正7年> 1月14日 - 2000年 <平成12年> 10月10日)は、日本の農業経済学者、島根大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 新潟県出身。1941年京都帝国大学農学部卒。愛媛大学助教授、教授、1957年島根大教授。82年定年退官、社会農学研究所を開設、所長。農業の近代化が農村の荒廃を生んだと述べ農村研究を行う。1991年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。2000年死去。死没日付で正四位に叙された。
横瀬 恭平(よこせ きょうへい、1918年 <大正7年> 1… 横瀬 恭平(よこせ きょうへい、1918年 <大正7年> 1月6日 - 2017年 <平成29年> 11月7日)は、日本の経営者。住友ゴム工業4代目社長を務めた。位階は従四位。 兵庫県出身。1941年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、1942年に住友電気工業に入社。1969年5月に取締役に就任し、1972年5月には常務に就任。1974年5月に住友ゴム工業専務に就任し、1977年9月に副社長を経て、1980年3月には社長に就任。1984年3月に副会長に就任し、1985年10月に会長、1991年3月に取締役相談役を経て、1992年3月から相談役を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1989年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008… 木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008年6月24日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門はソ連などの社会主義経済。 1918年、京都府京都市に生まれた。京都市立第一商業学校でロシア語を選択し、立命館大学経済学科に進んだ。同大学を1941年に卒業。1942年、満州国総務庁高等官試補、満洲建国大学高等官試補となった。1943年から1945年にかけて民族研究所に勤務。1945年、京都帝国大学講師となった。 1946年、京都帝国大学助手に昇進。1950年、京都大学経済学部助教授に昇進。1967年、経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学教授に昇進。1970~1971年、1973~1974年には、経済学部長を務めた。
佐野 利勝(さの としかつ、1918年 - 2006年)は、… 佐野 利勝(さの としかつ、1918年 - 2006年)は、ドイツ文学者。京都大学・滋賀医科大学名誉教授。 1918年、大阪府に生れる。1941年、京都帝国大学経済学部を卒業。同大学文学部独文科に進んで1946年に卒業。卒業後は、母校の京都大学教養部教授。1982年に定年退官し、名誉教授となる。その後は滋賀医科大学教授として教鞭をとった。
芝 烝(しば すすむ、1918年 - )は、日本の哲学者。京… 芝 烝(しば すすむ、1918年 - )は、日本の哲学者。京都女子大学名誉教授。 マドラス大学タミル学会終身会員、日本語の系統研究会代表幹事、日本道州制研究会代表。 愛媛県南予生まれ。広島高等師範学校卒業。1947年京都帝国大学文学部哲学科(倫理学)へ入学、旧制大学院(ヘーゲル法哲学)、京大人文科学研究所へと進む。ドイツのハイデルベルク大学に留学(哲学・人類学)。 国立民族学博物館研究協力者、京都女子大学助教授、教授、文学部長、学長代行をへて、名誉教授。その後花園大学教授を務めた。
草場 敏郎(くさば としろう、1917年10月11日 - 2… 草場 敏郎(くさば としろう、1917年10月11日 - 2002年10月23日)は、日本の経営者。三井銀行社長、会長を務めた。東京都出身。 1941年に京都帝国大学法学部を卒業し、翌年に三井銀行に入行した。1971年5月に取締役に就任し、1975年3月に常務、1977年12月に専務、1980年4月に副社長を経て、1982年2月に社長に就任した。1984年6月に会長に就任し、1988年6月に取締役相談役を経て、1993年4月からさくら銀行相談役を務めた。 全国銀行協会連合会会長、日本銀行政策委員なども歴任した。 1987年11月に勲二等旭日重光章を受章した。 2002年10月23日脳出血のために死去。
中西 陽一(なかにし よういち、1917年(大正6年)9月2… 中西 陽一(なかにし よういち、1917年(大正6年)9月23日 - 1994年(平成6年)2月2日)は日本の政治家、官僚。石川県知事(8期、第47-54代)。石川県の公選知事としては3人目にあたる。京都府出身。
田中 利治(たなか としはる、1917年9月14日 - 20… 田中 利治(たなか としはる、1917年9月14日 - 2005年3月23日)は、日本の実業家。元三菱自動車工業会長。元三菱重工業副社長。 長兄は、元阪神電気鉄道社長の田中隆造 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、京都帝国大学工学部機械工学科卒業。 1940年(昭和15年)京都帝国大学卒業後、三菱重工業に入社し、長崎兵器製作所に配属。1941年(昭和16年)陸軍に入隊。前橋予備士官学校を経て満州に配備。1944年(昭和19年)陸軍除隊後、三菱重工業長崎に復帰。 1946年(昭和21年)三菱重工業長崎造船所に異動。1969年(昭和44年)同社横浜造船所に異動。
篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日… 篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日 - 1999年(平成11年)3月14日)は日本の歴史学者。京都大学卒業。愛媛大学教授、愛媛大学学生部長、近代史文庫代表者、愛媛県歴史教育者協議会委員長、愛媛民主教育研究所所長等歴任。専攻は日本史。 愛媛県伊予郡北伊予村大字横田(現在の伊予郡松前町)で、篠崎昌宜・幸枝の長男として生まれた。父は松山に移り質屋業を営むことになるが、高浜虚子の弟子・富安風生に俳句を習い、自宅で俳句会を開いていた。勝は父に頼まれて俳句を選び、句評もしていた。 1930年愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、1934年松山高等学校(文科乙類)へ進学した。
趙 洸熙(チョ・グァンヒ、朝鮮語: 조광희、1917年9月1… 趙 洸熙(チョ・グァンヒ、朝鮮語: 조광희、1917年9月12日 - 2017年4月5日)は、大韓民国の土木学者、実業家、政治家。第4代韓国国会議員。 本貫は豊壌趙氏。字は学汝(ハギョ、학여)、号は貫洲(クァンジュ、관주)。カトリック教徒。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡出身。ソウル大学校師範大学付属初等学校、京畿中学校、京畿高等学校、ソウル大学校農科大学を経て、1943年に京都帝国大学(現・京都大学)農学部農業土木学科を卒業。東洋拓殖株式会社勤務を経て、ソウル大学校農科大学農業土木学科教授、同大工科大学土木学科教授、農林部農地管理局技佐、農業土木技術院養成所所長、農地保存技術院養成所所長、尚州郡洛東・青里水利組合創立委員長、文教部国定教科書編纂委員・審査委員、自由党所属の第4代国会議員、高麗生命保険株式会社社長、農業振興公社社長、豊壌趙氏大宗会会長(1994年10月29日 - 1998年2月22日)を務めた。
小西 友七(こにし ともしち、1917年〈大正6年〉9月10… 小西 友七(こにし ともしち、1917年〈大正6年〉9月10日 - 2006年〈平成18年〉9月10日)は、日本の英語学者。英和・和英辞典編纂者。神戸市外国語大学名誉教授。英語語法文法学会初代会長。京都府出身。 大の阪神ファンであったため、編集主幹を務めた「ジーニアス和英辞典」に阪神びいきの例文が多いことで知られた。
持田 信夫(もちだ のぶお、1917年(大正6年)8月30日… 持田 信夫(もちだ のぶお、1917年(大正6年)8月30日 - 1986年(昭和61年)6月19日)は日本の実業家、元持田製薬社長・会長。東京都出身。同社創業者でもある持田良吉は父、3代目社長を務めた持田英は弟。写真通としても知られ、数々の作品を残した。
斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2… 斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2007年6月12日)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、著作家。 東京高等商船学校助教授・茨城キリスト教大学教授・同学長・立正大学教授を歴任。 東京都生まれ。静岡県浜松市育ち。1943年京都帝国大学言語学科卒。東京高等商船学校助教授。 敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民間情報教育局顧問。その後外務省勤務。日本の小説を英訳するなど文化の国際交流に尽くす。 1969年茨城キリスト教大学教授、1975年から1978年学長。1980年立正大学教授、1988年定年退任。ダートマス大学客員教授。
一条 実文(いちじょう さねふみ、1917年(大正6年)8月… 一条 実文(いちじょう さねふみ、1917年(大正6年)8月10日 - 1985年(昭和60年)8月25日)は一条実孝の長男。妻は子爵松平頼庸の長女の好子。祖父、父に続き海軍に入り、主計大尉になった。子は長男の一条実昭(第28代当主)、次男の一条頼実(松平頼庸養子)。孫は一条実綱。 1938年(昭和13年)3月、学習院高等科を卒業。1941年(昭和16年)京都帝国大学法学部を卒業し三井鉱山に入社。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、同年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業し第3軍需部(のちの102軍需部)に配属されタバオに着任。セレベス、メナド、マカッサル、ジャワ、スラバヤ、バリ、ロンボックなどで勤務。
織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日… 織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者で、アマチュアの古代史研究家。フィギュアスケート選手・織田信成の祖父。 兵庫県神戸市生まれ。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。 1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習のための献体組織「さつき会」の初代会長となる。1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析のために、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う。
山川 鴻三(やまかわ こうぞう、1917年6月26日 - 2… 山川 鴻三(やまかわ こうぞう、1917年6月26日 - 2009年4月25日)は、日本の英文学者。大阪大学名誉教授。 三重県生まれ。京都帝国大学文学部英文科卒。京都工芸繊維大学助教授、1960年大阪大学文学部助教授、68年「近代英文学における批評の伝統」で大阪大学文学博士。74年教授、81年定年退官、名誉教授、佛教大学教授。
田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
小泉 英信(こいずみ ひでのぶ、1917年5月25日 - 1… 小泉 英信(こいずみ ひでのぶ、1917年5月25日 - 1985年11月3日)は、日本の経営者。東京都出身。 1941年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に東京ガスに入社。 1973年9月に関東タール製品社長に就任し、1976年6月には北海道ガス社長に就任。 1985年11月3日心筋梗塞のために死去。68歳没。
小森 健吉(こもり けんきち、1917年5月25日 - 19… 小森 健吉(こもり けんきち、1917年5月25日 - 1991年12月14日)は、日本の教育学者。 京都府出身。京都帝国大学法学部卒、同大学院修士課程修了。滋賀県立短期大学助教授、佛教大学教授。88年定年退職、名誉教授。教育社会学。
阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1… 阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1994年10月22日)は、日本の国文学者・国語学者。文学博士(京都大学・論文博士・1962年)。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は漢学者の阪倉篤太郎。 1941年京都帝国大学文学部国文科卒業。1943年入隊、長沙市にて終戦を迎える。1946年6月に復員、11月に中村憲吉の三女始子と結婚。 1949年京都大学教養部助教授、1962年「語構成の研究」で京大より文学博士の学位を取得。1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1991年秋、勲三等旭日中綬章受章。 1994年脳動脈瘤破裂、心機能低下により京都市西京区の病院で死去。
反町 誠一(そりまち せいいち、1917年5月3日 - 19… 反町 誠一(そりまち せいいち、1917年5月3日 - 1990年12月4日)は、日本の経営者。東京都出身。 1947年に京都大学経済学部を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社。1962年6月に取締役に就任し、1964年6月に常務、1966年4月に専務を経て、1970年6月に副社長に就任し、1976年7月には社長に昇格。1982年11月に会長に就任。 1979年11月に藍綬褒章を受章。 1990年12月4日急性心不全のために死去。73歳没。
今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003… 今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003年6月18日)は、日本の歴史学者である。日本におけるアメリカ合衆国史研究の開拓者。 静岡県浜名郡吉津村(鷲津町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。1938年第三高等学校卒業、1941年12月京都帝国大学文学部史学科卒業、1948年9月京都帝国大学大学院退学。1962年「アメリカ革命史序説」で文学博士(京都大学)の学位取得。1942-43年文学部部副手嘱託。1946年9月関西大学予科講師、1947年4月大谷大学学部及予科教授、1948年同志社大学専任講師、48年助教授、1950年9月大阪大学教養部助教授、1953年文学部助教授、1959年京都大学文学部助教授。
平場 安治(ひらば やすはる、1917年3月30日 - 20… 平場 安治(ひらば やすはる、1917年3月30日 - 2002年6月27日)は、大阪府出身の法学者、弁護士。1993年日本学士院会員。京都大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。 新派刑法理論に立つ宮本英脩の弟子。戦後まもなくハンス・ヴェルツェルの目的的行為論・人的不法論を日本に紹介し、平野龍一、福田平と共に「三平」と呼ばれた(平野は後に目的的行為論批判に転じた。)。弟子に中森喜彦、鈴木茂嗣らがいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
川本 信彦(かわもと のぶひこ、1917年3月29日 - 2… 川本 信彦(かわもと のぶひこ、1917年3月29日 - 2011年8月21日)は、日本の経営者。小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行。 1968年5月に小西六写真工業取締役に就任し、1970年5月に常務、1973年11月に専務を経て、1978年12月に副社長に就任し、1979年12月には社長に昇格。1983年12月から1989年3月までに会長を務めた。 2011年8月21日老衰のために死去。94歳没。
柴田 敏夫(しばた としお、1917年3月27日 - 198… 柴田 敏夫(しばた としお、1917年3月27日 - 1984年6月29日)は、日本のジャーナリスト、経営者。九州朝日放送社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1941年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。1977年6月に九州朝日放送専務に就任し、1981年6月には社長に就任。 1984年6月29日に心不全のために死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大島 康正(おおしま やすまさ、1917年3月2日 - 19… 大島 康正(おおしま やすまさ、1917年3月2日 - 1989年12月20日)は、日本の倫理学者・評論家。筑波大学名誉教授。 1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、助手となり京都学派の一員となる。戦後東京教育大学助教授、教授を経て筑波大学名誉教授、京都産業大学世界問題研究所長を務めた。日本ユネスコ国内委員会調査委員や中央教育審議会委員などを歴任。日本倫理学会常任評議員。 三島由紀夫は大島康正について、「きき捨てならぬのは、この大島氏が、高校社会科の指導要領の改定にあづかつて、教育基本法第九条の『公立学校では特定の宗教のための宗教教育をしてはならない』といふ条文から、文部省のしやくし定規に味方して、日本の親鸞も道元も、すつかり追ひ出してしまつて、何ら反省の色も見えぬことである。
三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年(大正6年)2月1日… 三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年(大正6年)2月1日 - 1994年(平成6年)5月13日)は、日本の労働官僚、政治家。労働事務次官。参議院議員(民社党)。 横浜銀行取締役会長小川是は女婿。 愛知県西尾市出身。信太郎の五男。1939年(昭和14年)高等試験行政科合格。1940年(昭和15年)京都帝国大学農学部農林経済学科卒、内務省に入省。茨城県警部。 戦後労働省に移り、職業安定局長、労政局長、事務次官を歴任して退官。1972年(昭和47年)衆院選に立候補するが落選、1974年(昭和49年)の参院選で当選を果たす。(平成元年)党副委員長に就任。1992年(平成4年)引退。 趣味はゴルフ、テニス、読書。
御輿 員三(おごし かずぞう、1917年1月25日 - 20… 御輿 員三(おごし かずぞう、1917年1月25日 - 2002年1月30日)は、日本の英文学者。京都大学名誉教授。ジェフリー・チョーサーからジョン・ミルトンまでを研究した。 息子の御輿哲也(1951年 - )も英文学者、神戸市外国語大学教授。 広島県生まれ。1939年京都帝国大学文学部英文学科卒業。文学部副手、広島高等師範学校講師、広島高等学校教授、広島大学助教授、1951年京都大学文学部助教授、1962年教授。評議員、文学部長を務め、1980年定年退官、名誉教授、大谷女子大学教授。
森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世… 森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1941年京都帝国大学国文科卒。大阪市立大学助教授、教授。1981年定年退官、光華女子大学教授。近松門左衛門を専門とした。
植村 雅彦(うえむら まさひこ、1917年 - 2006年2… 植村 雅彦(うえむら まさひこ、1917年 - 2006年2月25日)は、西洋史学者。大阪大学名誉教授。専門は英国史。 京都府生まれ。1942年京都帝国大学文学部史学科卒。1950年岡山大学助教授、教授、大阪大学教養部教授、79年大阪大学文学部教授、81年定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。