坪井 九八郎(つぼい くはちろう、1876年(明治9年)8月… 坪井 九八郎(つぼい くはちろう、1876年(明治9年)8月27日)- 1928年(昭和3年)10月7日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 海軍士官・坪井航三の長男として生まれる。父の死去に伴い、1898年(明治31年)2月15日、男爵を襲爵した。 1919年(大正8年)7月、京都帝国大学法科大学を卒業。その後、月島機械取締役、台東製糖取締役、愛国貯金銀行取締役、天津取引所監査役、天津信託監査役などを務めた。 1911年(明治44年)3月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、死去するまで4期在任した。その他、第2次大隈内閣・農商務副参政官、米価調節調査会委員などを務めた。
岡 八(おか わかつ、1876年(明治9年)8月4日 - 1… 岡 八(おか わかつ、1876年(明治9年)8月4日 - 1970年(昭和45年)12月2日)は、日本の政治家、弁護士、弁理士。衆議院議員(1期)。 三重県安濃郡神戸村(現津市)に奥田八郎の長男として生まれ、岡義之助の養子となった。1903年(明治36年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となった。1905年(明治38年)、大阪地方裁判所判事となるも、翌年に退官して弁護士を開業した。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たしたが、野中事件で1913年(大正2年)5月9日、議員辞職、失脚。これにより同年8月4日、自らの請求で所属の大阪地方裁判所の弁護士名簿登録取消、同年9月23日に従七位返上を命じられる。
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月… 永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月23日 - 1943年(昭和18年)9月17日)は、兵庫県三原郡長田村(現:南あわじ市倭文長田)出身の日本の官僚、政治家、俳人、随筆家。第18代官選三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学学長、貴族院勅選議員。廣田内閣の拓務大臣、阿部内閣の鉄道大臣を歴任。俳名・筆名は永田 青嵐(ながた せいらん)で、多くの著書や句集を残している。 長男は自由民主党衆議院議員の永田亮一。 初代倭文村村長を務めた永田実太郎の次男として出生。弟に京都市土木局長、横浜市電気局長を務めた永田兵三郎がいる。 三原高等小学校卒業後、進学校の1つだった姫路中学校を受験するが不合格となる。
升田 憲元(ますだ のりもと、1875年(明治8年)8月15… 升田 憲元(ますだ のりもと、1875年(明治8年)8月15日 - 1949年(昭和24年)5月10日)は、日本の政治家、官僚、弁護士、陸軍軍人。衆議院議員(立憲民政党)。最終階級は陸軍大尉。 島根県飯石郡赤名村(現・飯石郡飯南町)に難波常八郎の子として生まれ、伯母升田きしの養子となった。1900年(明治33年)11月21日、陸軍士官学校(12期)を卒業し、1901年(明治34年)6月25日、歩兵少尉に任官。日露戦争への従軍を経て、陸軍大尉に累進した。1912年(明治45年)、京都帝国大学法科大学政治科を卒業し、1913年(大正2年)には法律科を卒業した。高等文官試験に合格し、陸軍省参事官、岐阜県不破郡長、同本巣郡長、国勢院事務官、同書記官、大蔵事務官、国勢院総裁秘書官を歴任し、1922年(大正11年)に退官して弁護士を開業した。
高橋 龍太郎(たかはし りゅうたろう、1875年(明治8年)… 高橋 龍太郎(たかはし りゅうたろう、1875年(明治8年)7月15日 - 1967年(昭和42年)12月22日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、大日本麦酒社長、高橋ユニオンズオーナー、日本サッカー協会会長(第3代)。 ビール製造技術者から経営者となり、「日本のビール王」とも称される。 愛媛県喜多郡内子村(現内子町)生まれ。旧制松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)卒業後、東京高等商業学校(現一橋大学)に進学するも、脚気の治療のための転地を兼ねて新設された第三高等学校(現京都大学)工学部機械工学科に転校、1898年に卒業する。 高等学校卒業後、大阪麦酒(後の大日本麦酒、現・アサヒグループホールディングスおよびサッポロホールディングス)に入り、1898年から6年間ドイツに留学して醸造技術を学び、帰国後は製造責任者としてビール造りに携わる。
中沼 信一郎(なかぬま しんいちろう、1873年(明治6年)… 中沼 信一郎(なかぬま しんいちろう、1873年(明治6年)4月8日 – 1919年(大正8年)7月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 京都府に中沼清蔵の長男として生まれ、祖父で学習院講師を務めた中沼了三の跡を継いだ。1903年(明治36年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補、神戸地方裁判所検事代理となった。翌年、辞して京都に弁護士を開業。1907年(明治40年)、横浜市助役に就任した。翌年に辞した後は横浜で弁護士の業務に従事した。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に祖父の出身地である隠岐選挙区から出馬し、当選を果たした。
紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年12月9日〈明治… 紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年12月9日〈明治2年11月7日〉 - 1961年〈昭和36年〉9月28日)は、日本の政治家、実業家、名望家、資産家、地主・家主、山口県多額納税者。第3・6代山口県宇部市長。族籍は山口県士族。 宇部村長、宇部銀行の頭取、宇部共同義会会長等を務めた紀藤織文は、閑之介の叔父にあたり、織文の孫にあたるのが弁護士の紀藤正樹。 閑之介は1869年(明治2年)11月7日、長州藩主毛利氏の永代家老福原氏の家臣である紀藤宗介(後の宇部共同義会初代会長)の長男として長門国厚狭郡川上村(現山口県宇部市)に生まれた。 第三高等中学校(現:京都大学)を卒業した後、宇部村に戻った閑之介は「村内の情報を村民に伝えることが村人の民度を向上させ、ひいては国の繁栄に通じる」と考え、1912年(明治45年)、宇部時報(現:宇部日報)を発刊した。
瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶… 瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶応3年12月5日)- 1944年(昭和19年)6月30日)は、日本の医師、政治家、衆議院議員(1期)。 日向国諸県郡、のちの宮崎県西諸県郡加久藤町(現えびの市)で生まれた。1890年(明治23年)第三高等中学校医学部(現:京都大学医学部)卒。陸軍一等軍医(大尉相当官)となり、日清、日露の両戦争に従軍する。その後は医業に従事し、日向銀行頭取を務めた。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補したが落選した。8月に塚本常弥の死去により繰り上げ当選となった。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
井上 密(いのうえ ひそか、慶応3年10月2日〈1867年1… 井上 密(いのうえ ひそか、慶応3年10月2日〈1867年10月28日〉 - 大正5年〈1916年〉9月13日)は、日本の憲法学者、政治家。京都帝国大学教授、京都帝国大学法科大学長。第4代京都市長。位階勲等は従四位勲三等。 安房国長狭郡下小原村の富坂家に生まれる。後に大多喜村の旧大多喜藩藩士・井上義行の養子となった。独逸学校(獨逸学協会学校とは別)、第一高等中学校、帝国大学法科大学出身。 京都帝国大学法科大学国法学講座教授、法科大学長(1909年)、京都法政学校教頭、財団法人立命館初代協議員を歴任。第4代京都市長(在任期間は1913年(大正2年)3月31日 - 1916年(大正5年)7月19日)。
城井 崇 は、日本の政治家。
井坂 信彦 は、日本の政治家、行政書士。
細野 豪志 は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(1… 細野 豪志 は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(10期)。
山本 香苗 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 山本 香苗 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(1期)。中道改革連合代表代行。日本福祉大学客員教授。大阪府堺市堺区在住。
岸本 裕一(喜樹朗)(きしもと ゆういち(きじゅうろう)、1… 岸本 裕一(喜樹朗)(きしもと ゆういち(きじゅうろう)、1953年4月 - )は日本のYoutuber、起業家、政治家、経営学者(農学博士)。京都府出身。2009年6月6日祖父喜三郎50年祭を機に、先祖の名跡「喜樹朗」を襲名。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
阮 振鐸(げん しんたく)は、中華民国、満州国の医師・政治家… 阮 振鐸(げん しんたく)は、中華民国、満州国の医師・政治家・外交官。字は叔周。 奉天省立高等工業学校を卒業し、さらに1913年(民国2年)に南満医学堂を卒業した。1919年(民国8年)、日本に留学し、京都帝国大学で医化学を専攻した。帰国後の1923年(民国12年)、奉天公立医学院院長兼東北大学校医となった。その後、奉天派の支配地域で軍医等を歴任している。1929年(民国17年)、長春・吉林・吉敦鉄路医院院長となった。 満州国成立後の1932年(大同元年)4月、奉天省公署秘書長に就任する。また、この頃には、于静遠や満州青年連盟の山口重次・小澤開作とともに、満州協和党(後の満州国協和会)を結成した。
首藤 健治(しゅとう けんじ)は、日本の政治家、元厚労官僚。… 首藤 健治(しゅとう けんじ)は、日本の政治家、元厚労官僚。神奈川県副知事 。 灘高等学校、京都大学医学部医学科卒業後、厚生省入省。内閣官房医療イノベーション推進室企画官、神奈川県保健福祉局参事監兼政策局参事監、神奈川県理事を経て、2017年6月から神奈川県副知事を務める。
野崎 欣一郎(野﨑 欣一郎、のざき きんいちろう、1922年… 野崎 欣一郎(野﨑 欣一郎、のざき きんいちろう、1922年 (大正11年) 1月16日 - 1975年 (昭和50年) 4月1日は、日本の政治家。元滋賀県知事(2期) 。位階は従四位。 滋賀県出身。姫路高等学校を経て、1943年に京都帝国大学法学部を卒業。滋賀県に入庁。総務部長を経て、副知事に就任。 1966年、自民党、社会党、民社党の推薦を得て滋賀県知事に初当選。44歳で全国最年少の知事となった。 1972年、建設相の琵琶湖のダム化計画を撤回させ、総額4,250億円におよぶ開発事業費を投入する「琵琶湖総合開発特別措置法」を成立させた。県民の大多数はこれを野崎の勝利とみなした。 しかし野崎県政の後期には、上田建設が隠然たる勢力を誇り、県の大口入札についてはすべて同社の上田茂男社長が取りしきるようになっていた。
馬 君武(ば くんぶ)は、中華民国の政治家・教育家・工学者。… 馬 君武(ば くんぶ)は、中華民国の政治家・教育家・工学者。中国同盟会に属した革命派人士。北京政府で要職に就き、国民政府時代には、新広西派の一員と目された。旧名は道凝、後に和と改名したが、一般には字の君武で知られる。字は他に厚山。本貫は湖北省武昌府蒲圻県(現在の湖北省咸寧市赤壁市)。 地方官吏の家庭に生まれる。1899年(光緒25年)に広西体用学堂に入学した。1900年(光緒26年)、広州へ向かい、フランスの教会が運営する丕崇学院でフランス語を学んだ。 同年7月、シンガポールへ渡り、康有為と会見する機会を得て、変法運動に加わる。後に帰国して、唐才常の自立軍に加わったが、敗北して上海に逃れる。そこで震旦学院で引き続きフランス語を学び、ジュール・ミシュレの『フランス革命史』を翻訳した。