田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日… 田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日 - 2017年(平成29年)2月16日)は、昭和から平成時代の実業家。ユニチカ社長、同会長。 京都府宇治市出身。田口寛・露子の長男。1948年(昭和23年)京都大学工学部繊維化学科を卒業後、日本レイヨンに入社。1973年(昭和48年)5月、ユニチカ取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年(平成元年)6月、社長に就任した。 この間、ユニチカテキスタイル常務、ユニチカレーヨン社長、同会長を歴任した。1991年(平成3年)4月、藍綬褒章を受章した。2017年(平成29年)2月16日、老衰により死去した。90歳没。
森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月… 森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月31日 - 2019年 <平成31年> 3月2日)は、日本の実業家。関西電力元社長、会長。京都府京都市出身。第2代社長を務めた芦原義重の娘婿でもある。位階は従三位。 1949年に京都大学工学部を卒業し、関西配電(のちの関西電力)に入社した。 1977年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1982年6月に専務、1983年6月に副社長を経て、1985年11月からは社長を務め、大飯原発3、4号機の建設を推進した。1987年の関電二・二六事件の際には、動議の議決を棄権した。1991年2月に美浜原発2号機における蒸気発生器細管破断事故を受けて、事故原因をほぼ解明してから、同年11月に社長を辞任した。
長村 義郎(ながむら よしろう、1926年3月3日 - 20… 長村 義郎(ながむら よしろう、1926年3月3日 - 2013年5月9日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。 富山県出身。1947年に京都大学経済学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1972年に小糸製作所常務に就任し、1979年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1992年7月には社長に就任。1997年6月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年5月9日肺炎のために死去。87歳没。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1… 樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は、日本の実業家。アサヒビール中興の祖。位階は従三位。 京都市出身。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)、彦根経済専門学校(現:滋賀大学経済学部)を経て野村證券に就職。京都支店から祇園支店に転勤後、上司の紹介で野村銀行(後の大和銀行、現:りそな銀行)に転職。同行では大阪本店(現・りそな銀行大阪営業部)に配属されたが数日で退社し、1946年(昭和21年)に京都大学経済学部に再入学。同大学卒業後、1949年(昭和24年)4月に住友銀行(現:三井住友銀行)に入行。代表取締役副頭取まで昇進したが、当時の磯田一郎頭取と対立し、大阪建物社長職や新大阪ホテル(現・ロイヤルホテル)社長職への出向を打診されるも断り、辞職を決意する。
稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 20… 稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 2021年4月19日)は、日本の経営者。稲畑産業社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に京都大学法学部を卒業。住友商事での勤務を経て、1955年に稲畑産業に転じ、1958年4月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年4月に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年12月には社長に就任。1998年6月から2009年6月までに会長を務めた。1984年10月から1986年2月までに住友製薬会長も務めた。 1973年からポルトガル大阪駐在名誉領事を務めた。 2021年4月19日、誤嚥性肺炎のために死去。95歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 20… 中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 2012年6月4日 )は、日本の経営者、工学博士。三菱自動車社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社した。1970年に三菱自動車工業に転じ、1983年6月に取締役に就任し、常務を経て、1988年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1995年6月から会長を務め、1997年に総会屋への利益給与事件における責任を取る形で辞任し、同年6月からは相談役に転じた。社長在任時には、2代目「パジェロ」、初代「パジェロミニ」などをヒットさせ、国内市場において、多目的レジャー車ブームの立役者となった。
澤村 治夫(さわむら はるお、1926年 <大正15年> 1… 澤村 治夫(さわむら はるお、1926年 <大正15年> 1月7日 - 2011年 <平成23年> 9月3日)は、日本の経営者。三井東圧化学(現在の三井化学)社長を務めた。位階は正四位。 熊本県出身。1950年に京都大学農学部農芸学科を卒業し、同年に東洋高圧工業(のちの三井東圧化学)に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年11月には三井化学相談役に就任。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2011年9月3日に膵臓癌のために死去。85歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
井上 素夫(いのうえ もとお、1926年 - )は、日本の実… 井上 素夫(いのうえ もとお、1926年 - )は、日本の実業家。東京近鉄百貨店社長、近鉄松下百貨店社長、京都近鉄百貨店社長などを歴任した。 長野県出身、京都帝国大学卒業。 近畿日本鉄道入社後、分社化した近鉄百貨店へ転籍。関連会社の東京近鉄百貨店社長や同社と近鉄百貨店合併後の総務本部長(東京店担任)を務めた。 1985年5月、近鉄松下百貨店社長となり、山口県徳山市(当時)へ赴任。当時県内最大級の売場面積があり、周南地域では唯一の百貨店だったが、その地位に安住しないよう、社員には「東京、大阪へ出張して最新の情報を収集せよ」とハッパをかけていた。下関大丸、ちまきや(現在の山口井筒屋)で導入する女性社員の再雇用制度の導入も検討した。
清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1… 清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1987年2月22日)は、日本の経営者、工学博士。富士電機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1976年1月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1986年6月に社長に昇格。 1983年4月に藍綬褒章を受章。 1987年2月22日急性心不全のために死去。61歳没。
舘 糾(たち ただす、1925年10月2日 - 2007年3… 舘 糾(たち ただす、1925年10月2日 - 2007年3月29日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務め、日本化学会会長、化学工学会会長、化学教育協議会議長を歴任した。 京都府京都市出身。1950年に京都大学農学部農林学科を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1971年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1989年6月に社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 2007年3月29日、肺炎のために死去。81歳没。かつて舘が特別顧問を務めていた国際教育学会では、舘の功績を称え、2007年度より学会賞として「国際教育学会・舘糾賞」を設立し、2014年度の第6回まで授賞が行われた。
小川 進(おがわ すすむ、1925年9月15日 - 2009… 小川 進(おがわ すすむ、1925年9月15日 - 2009年5月14日)は、日本の経営者。愛知県出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に東邦ガスに入社。1975年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1984年6月に社長に就任し、1994年6月には会長に就任。2000年6月から相談役を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1990年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2009年5月14日肺炎のために死去。83歳没。
平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日… 平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1948年に京都帝国大学法学部法学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1970年11月に取締役を就任し、常務、専務を歴任。 1977年9月にユニチカ副社長に就任し、1982年4月には社長に昇格。社長在任時には、経営の再建に尽力した。1989年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1989年4月から1年間日本紡績協会会長を務めた。
森田 桂(もりた かつら、1925年5月6日- 2013年1… 森田 桂(もりた かつら、1925年5月6日- 2013年11月14日 )は、日本の経営者。学位は、理学博士。武田薬品工業社長、会長を務めた。大阪府出身。 1948年に京都大学理学部化学科を卒業し、同年に武田薬品工業に入社。1961年から1年間アメリカ国立衛生研究所に留学。1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格した。1993年6月から会長を務め、1997年6月から相談役を務めた。 1997年11月には勲二等瑞宝章を受章した。 2013年11月14日、急性心不全のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
石田 一雄(いしだ かずお、1925年4月1日 - 1985… 石田 一雄(いしだ かずお、1925年4月1日 - 1985年8月12日)は、日本の経営者。京都府出身。 1947年に京都大学工学部応用化学科を卒業し、同年に阪神電気鉄道に入社。 主に車両部門で務め、1979年6月に取締役に就任し、1982年6月には常務に就任した。 1985年8月12日、運輸省(現・国土交通省)本庁舎で開催された日本民営鉄道協会の会議に私用で出席出来なくなった電鉄本社代表取締役社長:久万俊二郎(阪神タイガース球団オーナー)の代理として出席した電鉄本社専務取締役(球団社長)の中埜肇に同行し、大阪へ戻る為に搭乗した日本航空123便の墜落事故で中埜と共に犠牲となった。60歳没。
森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5… 森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5月10日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月から1993年3月までに社長を務め、1993年3月から会長を務めた。 1990年5月から1994年5月までに日本化学工業協会会長を務め、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1999年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年5月10日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1… 伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1月18日 - 2006年 <平成18年> 2月18日)は、日本の経営者、工学博士。兵庫県神戸市出身。位階は正四位。 1948年に京都大学農学部農林化学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 1970年11月に田代茂樹会長の抜擢により、取締役に就任し、1973年11月に常務、1978年6月に副社長を経て、1981年1月に社長に就任した。1987年4月に会長に就任し、1995年6月から相談役に就任した。 日本化学会会長なども歴任。 2006年2月18日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月1… 吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月10日 - )は、日本の実業家、政治家。元民社党衆議院議員。 徳島県出身。名古屋陸軍幼年学校を経て、1945年(昭和20年)6月、陸軍士官学校(58期)を卒業し、陸軍少尉に任官。1949年(昭和24年)京都帝国大学工学部を卒業した。 大進工業設立社長、太陽商事設立社長、太洋エンタープライズ設立社長、三宝倉庫取締役、阿倍野観光設立社長を務めた。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙大阪6区に民主社会党から出馬して当選し、第32年総選挙でも再選され、連続2期在任した。この間、民社党本部中小企業対策副委員長、万国博覧会特別委員会事務局長、情報産業政策特別委員会事務局長、大阪府地域対策部会長を務めた。
大西 正文(おおにし まさふみ、1924年12月11日 - … 大西 正文(おおにし まさふみ、1924年12月11日 - 2014年10月15日)は、実業家。大阪ガス特別顧問・元社長・会長。 大阪府出身。父は元高松高等裁判所長官の大西道太郎。東京府立十中、高知高校を経て、1947年京都帝国大学法学部卒業。同大学院修了後の1948年に大阪ガスに入社し、代表取締役社長(1981年 - )、会長(1991年 - )、相談役(1998年 - )を歴任。 その他には大阪商工会議所会頭(1992年11月~1999年3月)、日本商工会議所副会頭、アジア商工会議所連合会会長、日本ガス協会会長、近畿日本鉄道、朝日放送、リーガロイヤルホテルなどの取締役、大丸監査役をそれぞれ務めた。
大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2… 大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2008年11月4日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1937年に京都帝国大学工学部応用物理科を卒業し、同年にダイハツ工業に入社。 1971年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に副社長を就任。1988年6月に社長に昇格し、1992年6月には会長に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年11月4日心不全のために死去。83歳没。
堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1… 堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉7月14日)は、日本の実業家。株式会社堀場製作所創業者および同社最高顧問。 京都帝国大学理学部教授の堀場信吉の長男として京都市に生まれる。京都教育大学附属京都小学校・京都教育大学附属京都中学校(現:京都教育大学附属京都小中学校)、旧制甲南高等学校(現:甲南大学)を経て、1946年(昭和21年)京都帝国大学理学部物理学専攻卒業。物理学者を志したが、在学中の1945年(昭和20年)に太平洋戦争が日本の敗戦に終わると、堀場の指導教授であった荒勝文策が日本の原子力爆弾開発の中心人物であったために、京大の原子力核実験施設はGHQによってすべて粉々に解体され、研究の道に進むことを断念する。
細川 益男(ほそかわ ますお、1924年〈大正13年〉11月… 細川 益男(ほそかわ ますお、1924年〈大正13年〉11月29日 - 2010年〈平成22年〉3月31日)は、日本の実業家、馬主。 1924年11月29日、大阪府に生まれる。 1943年、旧制浪速高等学校を卒業後、京都帝国大学工学部化学機械科へ入学。卒業後、武田薬品工業で研究員として勤めたのち、1951年、父の細川永一から細川鉄工所(現:ホソカワミクロン)を継承し、1961年に同社の代表取締役社長となる。1995年、同社代表取締役会長に就任。 2006年、東北大学の非常勤理事に就任。 2010年3月31日、肺炎のため死去。85歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日… 谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日 - 1999年〈平成11年〉3月6日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。富山県魚津市出身。位階は従三位。 1946年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1947年に北陸配電(のちの北陸電力)に入社した。1974年に取締役に就任し、1979年に常務、1981年に副社長を経て、1987年に社長に就任。1993年に会長に就任。 北陸経済連合会会長、ケーブルテレビ富山社長も歴任。 1986年に藍綬褒章を受章し、1998年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年3月6日急性肺炎のために死去。74歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
谷村 隆(たにむら たかし、1924年9月11日 - 200… 谷村 隆(たにむら たかし、1924年9月11日 - 2008年3月5日)は、日本の経営者。JCB社長を務めた。石川県出身。 1947年に京都大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に副頭取に就任。1981年2月にJCB社長に就任し、1990年2月には会長に就任し、1998年6月から相談役を務めた。社長在任時には、日本発祥のJCBを世界有数の国際ブランドに育て上げ、「中興の祖」と呼ばれた。 2008年3月5日呼吸不全のために死去。83歳没。
北村 恒夫(きたむら つねお、1924年8月23日 - 没年… 北村 恒夫(きたむら つねお、1924年8月23日 - 没年不明)は、日本の経営者。トーメン社長を務めた。静岡県出身。 1949年に京都大学法学部を卒業し、同年に東洋綿花(のちのトーメン)に入社。 1973年11月に取締役に就任し、1976年4月に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1993年6月から1995年6月までに会長を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲二等瑞宝章を受章。
米澤 義信(よねざわ よしのぶ、1924年8月6日 - 20… 米澤 義信(よねざわ よしのぶ、1924年8月6日 - 2017年10月9日)は、日本の経営者。本州製紙社長、会長を務めた。奈良県出身。 1947年に京都大学工学部繊維学科を卒業し、同年に王子製紙に入社。1949年6月に本州製紙に転じ、1979年11月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1985年6月には副社長に就任し、1988年6月に社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1996年6月から相談役を務めた。 1999年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2017年10月9日老衰のために死去。93歳没。
天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019… 天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019年3月23日)は、日本の経営者。静岡県出身。 1947年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1977年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に顧問に就任した。その一方で、1985年3月に愛知製鋼社長に就任し、1993年3月に会長を経て、1996年6月から相談役を務めた。愛知県バスケットボール協会会長なども歴任。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2019年3月23日老衰のために死去。94歳没。
川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 20… 川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 2019年1月16日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1942年、福岡県中学修猷館を経て、1948年、京都大学法学部を卒業し日本発送電に入社。 1951年、電気事業再編により九州電力に引き継がれ、1975年5月経理部長、1979年6月取締役東京支社長、1983年6月取締役常務を経て、1987年6月代表取締役副社長に就任。1991年から1995年にかけて九電産業・九電運輸の各社長、1993年から1996年にかけて福岡タワー社長を務める。 1998年福岡証券取引所理事長に就任。2004年5月に退任する。
上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正… 上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正13年〉4月22日 - 1997年〈平成9年〉9月4日)は、日本の実業家。元大日本除虫菊会長。元大日本除虫菊会長十六代上山勘太郎(前名英夫)の養子。大日本除虫菊社長上山直英の実父。妻は元大日本除虫菊会長上山英介の姉。 高知県人で、澁澤倉庫専務・島崎直幹の三男。祖父の島崎直敬は高知県安芸郡田野村の初代村長をつとめた。和歌山県有田郡保田村山田原(現・有田市)出身、上山勘太郎の養子となる。 1948年、京都大学経済学部卒業。大日本除虫菊に入社する。常務にあげられ、尼崎企業社長を兼ねた。1996年、大日本除虫菊会長に就任した。住所は大阪府豊中市岡町北3丁目。
橋本 喜典(はしもと よしのり、1924年4月1日 - 19… 橋本 喜典(はしもと よしのり、1924年4月1日 - 1986年1月23日)は、日本の経営者。近鉄百貨店社長を務めた。和歌山県出身。 1947年に京都大学経済学部を卒業し、1948年に近畿日本鉄道に入社。1972年6月に近鉄百貨店に転じ、1973年4月に取締役に就任し、1977年5月に常務、1980年5月に専務、1983年5月に副社長を経て、1985年5月に社長に就任。 1986年1月23日急性心不全のために在任時に死去。61歳没。
河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は… 河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は、日本の実業家。阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長・代表取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1947年に京都大学法学部卒業し、同年に阪神電気鉄道入社。1983年阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長。1989年阪神電気鉄道非常勤取締役を兼務。1995年阪神百貨店代表取締役会長。名誉顧問。大阪商工会議所名誉議員を務めた。
塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005… 塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005年10月16日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 埼玉県出身。1949年に京都大学法学部法学科を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に山陽特殊製鋼社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2005年10月16日肺炎のために死去。81歳没。
宮下 稔(みやした みのる、1924年1月12日 - 200… 宮下 稔(みやした みのる、1924年1月12日 - 2007年8月11日)は、日本の鉄道技術者、実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 鳥取県岩美郡岩美町出身。1945年、京都帝国大学工学部機械工学科卒業後、当時の京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)に入社。車両部門(守口車両部)に配属される。元は軍艦の建造を志望していたが、太平洋戦争の敗戦により鉄道に方向を変更した。 1949年に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離して再発足すると京阪に移り、1967年に車両部長となる。この時代に通勤電車の混雑対策として、日本で初となる5扉通勤電車の京阪5000系電車(1970年製造)を開発した。
中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2… 中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2008年6月25日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。京都府京都市出身。 第三高等学校を経て、1948年に京都大学経済学部を卒業し、1950年に同大学院を修了し、同年にクラレに入社した。 1972年11月に取締役に就任し、1976年6月には常務に就任し、1981年6月には副社長に就任した。 1985年6月には社長に昇格し、1993年6月には会長に就任した。2000年6月から相談役に就任した。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2008年6月25日急性冠症候群のために兵庫県宝塚市の病院で死去。
江木 信敬(えき のぶたか、1923年11月26日 - 20… 江木 信敬(えき のぶたか、1923年11月26日 - 2012年11月27日)は、日本の経営者。三菱倉庫会長を務めた。東京都出身。 1948年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。 1976年6月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1987年6月には会長に就任。1992年6月に相談役に就任。 1996年4月に藍綬褒章を受章。。 2012年11月27日肺炎のために死去。89歳没。
小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 20… 小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 2011年6月4日)は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。1982年に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年4月には新キャタピラー三菱社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 2011年6月4日肺炎のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
桂田 鎮男(かつらだ しずお、1923年11月12日 - 2… 桂田 鎮男(かつらだ しずお、1923年11月12日 - 2014年10月21日)は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。滋賀県出身。 1949年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友電気工業に入社。1976年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月に顧問に就任。1982年3月に住友ゴム工業副社長に就任し、1984年3月には社長に昇格。1990年3月に副会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2014年10月21日心不全のために死去。90歳没。
日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> … 日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> 10月31日 - 2021年 <令和3年> 3月11日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県豊岡市出身。1946年に京都帝国大学工学部電気化学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社した。1972年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2021年3月11日、心不全のために死去。
田淵 節也(たぶち せつや、1923年10月25日 - 20… 田淵 節也(たぶち せつや、1923年10月25日 - 2008年6月26日)は、野村證券(現・野村ホールディングス)の社長、会長を歴任した日本の実業家。 後任の社長に就任した田淵義久(縁戚関係はない)と区別するため俗称は大田淵(大タブチ)。 京都大学法学部卒業後、1947年野村證券に入社。主に営業畑を歩んだ後、1978年社長に就任。精彩を欠いていた国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。 1985年に社長の座を同姓で出身都道府県も同一である田淵義久に譲り、会長に就任した後も、実力会長として君臨した。 1990年12月には証券業界では初の経団連副会長に就任したが、1991年損失補てん問題や暴力団との取引が発覚。
巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日… 巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日 - 2021年(令和3年)1月31日)は、日本の実業家。住友銀行頭取を歴任したほか、マツダ再建に尽力したことでも知られる。福井県出身。旧姓は中野。 旧制京都府立桃山中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年京都大学法学部を卒業後、住友銀行入行。 1963年平野支店長、本店営業部次長、一宮支店長、1968年審査第二部長、1971年審査第一部長、融資部長を経て、1972年取締役。1975年常務取締役。1979年代表取締役専務。1982年副頭取。 1975年に東洋工業(現:マツダ)の再建を担当。同社とフォード・モーターの資本提携交渉では橋渡しを務め、米国の独占禁止法の審査では英語で証言に臨むなど奔走した。
桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7… 桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7月14日 - 2018年 <平成30年> 1月18日)は、日本の経営者、銀行家。伊予銀行頭取を務めた。位階は正五位。 愛媛県出身。1948年に京都大学経済学部を卒業し、同年4月に伊予銀行に入行。1971年10月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1979年12月に専務を経て、1983年6月には頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年1月18日急性心臓死のために死去。94歳没。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。
森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日… 森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日 - 1992年(平成4年)1月11日)は、日本の実業家。オリエンタルランド第3代代表取締役社長。徳島県徳島市幸町出身。 1946年に京都帝国大学経済学部卒業と同時に三井物産に入社するも三井財閥解体のため、1年で退社。その後、1947年9月に知人の勧めで日本興業銀行に入行。1973年に仙台支店長就任。 1975年に関連会社の常和興産常務取締役に就任。1979年に同社の専務取締役を経て、1980年にオリエンタルランドの専務取締役に転身し東京ディズニーランド建設に参加。 1988年4月に高橋政知代表取締役社長の妻・弘子が心臓病の悪化した事をきっかけに、同年6月25日付で同社の3代目代表取締役社長に就任。
永井 弥太郎(ながい やたろう、1923年3月5日 - 20… 永井 弥太郎(ながい やたろう、1923年3月5日 - 2007年3月21日)は、日本の経営者。三菱レイヨン社長を務めた。 兵庫県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1946年11月に三菱化成工業に入社。1965年5月に三菱レイヨンに移り、1973年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1987年6月に副社長に就任し、1988年6月に社長に昇格。1993年6月に会長に就任し、1998年4月に相談役を退く。 2007年3月21日に心不全のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
若林 誠郎(わかばやし まさお、1923年1月1日 - )は… 若林 誠郎(わかばやし まさお、1923年1月1日 - )は、日本の実業家。京都市の百貨店「丸物」入社後、近鉄グループ入り・社名変更後の京都近鉄百貨店で社長を務めた。 東京府(現・東京都)出身で、旧制・東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)を卒業後、京都帝国大学へ進んだ。 学徒動員から復員後の京都帝大は混乱の中ではあるが、学問に対する熱気があふれているように感じたという。1947年(昭和22年)3月に大学を卒業した後、同年9月に京都市の百貨店「丸物」へ入社した。 設立以来、同社は創業者の中林仁一郎がずっと社長を務めていたが、1960年3月末に死去。長男の中林仁良が社長となって以降、1962年にはいったん伊藤忠商事の傘下を経て、1966年春には近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)の子会社となり、資本構成などが大きく変化したものの、若林は昇進を続けた。
中山 富太郎(なかやま とみたろう、1922年 <大正11年… 中山 富太郎(なかやま とみたろう、1922年 <大正11年> 12月12日 - 2017年 <平成29年> 10月23日)は、日本の経営者、銀行家。八十二銀行頭取を務めた。位階は正五位。 長野県出身。1946年に京都帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に八十二銀行に入行。1977年12月に取締役に就任し、1981年に常務、1984年に副頭取を経て、1989年6月に頭取に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月には取締役相談役に就任。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2017年10月23日老衰のために死去。94歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
西八條 實(にしはちじょう みのる、1922年11月15日-… 西八條 實(にしはちじょう みのる、1922年11月15日- 2015年2月1日 )は、日本の経営者、工学博士。島津製作所社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1945年に京都帝国大学工学部を卒業し、京大大学院に進学したが、1947年7月に中退し、島津製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1992年6月から会長を務め、1998年6月から相談役を務めた。 1986年11月には藍綬褒章を受章し、1993年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 1996年1月から1999年5月まで関西経済連合会の副会長。 2015年2月1日、老衰のために死去。
鈴木 正(すずき ただし、1922年 <大正11年> 7月8… 鈴木 正(すずき ただし、1922年 <大正11年> 7月8日 - 2008年 <平成20年> 2月28日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。位階は正五位。 兵庫県神戸市出身。1947年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社した。1963年11月に取締役に就任し、1971年6月に常務、1978年6月に専務、1981年7月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。2008年死去。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中埜 肇(なかの はじむ、1922年3月31日 - 1985… 中埜 肇(なかの はじむ、1922年3月31日 - 1985年8月12日)は、日本の実業家、プロ野球球団経営者。 阪神電気鉄道株式会社(以下、阪神電鉄)専務取締役鉄道事業本部長、阪神タイガース(以下、阪神)取締役社長を歴任した。球団社長在職中の1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故により死去した。 京都帝国大学工学専攻卒業後、1947年に阪神電鉄へ入社し、子会社の阪神土木工業専務・社長を経て、阪神電鉄専務取締役に就任。土木・技術畑出身で、阪神電鉄グループ関連の建築物以外にも、国内の大型建造物やレジャー施設の建設にも関与していた。 1984年10月、子会社であるプロ野球球団・阪神タイガースに出向し、球団社長へ就任した。
小池 澄(こいけ きよし、1922年 <大正11年> 3月4… 小池 澄(こいけ きよし、1922年 <大正11年> 3月4日 - 2006年 <平成18年> 2月22日)は、日本の経営者。名古屋鉄道副社長、名鉄百貨店社長を務めた。位階は正五位。 愛知県出身。1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に名古屋鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、常務、専務、代表取締役を経て、1978年6月に副社長に就任。1980年6月から1993年6月までに取締役相談役を務めた。 一方で、1979年5月に名鉄百貨店副社長に就任し、同年11月には社長に昇格。1995年5月に会長に就任し、1999年5月に取締役相談役を経て、2001年5月には相談役に就任。 1978年6月に運輸大臣表彰を受け、1982年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。
橋本 南海男(はしもと なみお、1922年〈大正11年〉1月… 橋本 南海男(はしもと なみお、1922年〈大正11年〉1月8日 - 1997年〈平成9年〉12月11日)は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。群馬県出身。 1922年、群馬県富岡市出身の父・市郎の子として台湾に生まれる。台南市旧制第一中学校、旧制台北高等学校理科甲類卒。1944年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、1946年に沖電気工業に入社した。1970年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年6月に専務を経て、1982年5月に社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1992年10月に相談役を経て、1993年6月に特別顧問に就任。通信機械工業会会長も務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。