越智 文雄(おち ふみお、1910年2月25日 - 2003… 越智 文雄(おち ふみお、1910年2月25日 - 2003年1月26日)は、日本の英文学者。元同志社女子大学学長。17世紀イングランドの詩人ジョン・ミルトンを専門とし、日本ミルトン・センター(後に日本ミルトン協会)の設立者、初代代表者。愛媛県出身、広島生まれ。同志社大学英文科卒業(1934年)。1960年、文学博士。 平井正穂は、越智の1953年の著作『ミルトン研究』を日本におけるミルトン研究史の「一つ重要な指標」と評価した。 孫の越智敏裕は弁護士・上智大学教授・小説家。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山崎 安雄(やまざき やすお、1910年1月12日 - 19… 山崎 安雄(やまざき やすお、1910年1月12日 - 1964年7月3日)は、日本の出版者、評論家。 埼玉県熊谷生まれ。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、同志社大学予科中退、文化学院文学部卒業。1938年毎日新聞社入社。出版局図書編集部勤務、出版局参事。出版をめぐる著作を多く書いた。
滝山季乃(瀧山季乃、たきやま すえの、女性、1910年1月4… 滝山季乃(瀧山季乃、たきやま すえの、女性、1910年1月4日-1993年4月9日)は、英文学者。文学博士(同志社女子大学・1983年)。 1910年(明治34年)大阪府生まれ。1934年(昭和9年)同志社大学英文科卒。主婦をしたのち、第二次世界大戦後同志社女子大学助教授、同大学家政学部教授。1983年(昭和58年)「ハーデイの小説研究」で同志社女子大学より文学博士の学位を取得。80年定年、名誉教授。詩人のトマス・ハーディの著作の翻訳、研究が専門分野。
嶋田 啓一郎(しまだ けいいちろう、1909年12月5日 -… 嶋田 啓一郎(しまだ けいいちろう、1909年12月5日 - 2003年9月24日)は、日本の社会福祉学者。石川県出身。 岡村重夫、孝橋正一らとともに日本を代表する社会福祉学者と言われている。[要出典]同志社大学教授。社会福祉の価値論(哲学)を軸に人権を重視した社会福祉力動論をとなえる。賀川豊彦の後継者として灘生活協同組合理事として理論と実践の両面から協同組合の運営にたずさわる。竹内愛二とともに日本キリスト教社会福祉学会の創設に尽力した。 主著(編集)に『社会福祉体系論』『社会福祉の思想と人間観』など多数。 キリスト者として社会福祉学の研究に尽力したことで1994年にキリスト教功労者を受賞。
高 凰京(コ・ファンギョン、朝鮮語: 고황경、1909年3月… 高 凰京(コ・ファンギョン、朝鮮語: 고황경、1909年3月6日 - 2000年11月2日)は、大韓民国の社会学者、大学教授、女性運動家。ソウル女子大学校初代総長。 本貫は済州高氏、号はパロム(바롬)。 1909年3月6日、ソウルにて1男3女中の次女として生まれた。黄海道恩津義塾を経て、1924年に京城女子高等普通学校(現・京畿女子高等学校)、1928年に同志社女子専門学校(現・同志社女子大学)英文学科、1931年に同志社大学法学部、1933年にミシガン州立大学大学院卒(経済学修士)。1935年にミシガン州立大学で社会学の博士課程を修了して帰国し、1944年までに梨花女子専門学校(現・梨花女子大学校)の教授を務め、法学、経済学、社会学、英語などを教えた。
吉田 法晴(よしだ ほうせい、本名:法晴(みちはる)、190… 吉田 法晴(よしだ ほうせい、本名:法晴(みちはる)、1908年〈明治41年〉3月13日 - 1981年〈昭和56年〉1月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。初代北九州市長(1期)。 福岡県宗像郡河東村(現宗像市)出身。旧制福岡高校を経て1936年同志社大学法学部卒業後、日本炭鉱に入社。 1947年日本社会党から福岡県議会議員に初当選。 1950年の第1回参議院議員通常選挙福岡県地方区補選で日本社会党公認で立候補して当選。以来、参議院議員を3期務め、その間に参議院労働委員長となる。 参議院議員任期途中の1963年、北九州市の発足に伴い選出される市長選挙に立候補(告示日の同年2月28日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))。
鷲尾三郎(わしお さぶろう、1908年1月25日 - 198… 鷲尾三郎(わしお さぶろう、1908年1月25日 - 1989年12月2日)は、日本の推理作家。本名は岡本道夫。 本格ものや幻想もの、ユーモア探偵小説に加え、ハードボイルドふうの作品も書いた。 大阪市生まれ。大阪府立生野中学校(現・大阪府立生野高等学校)卒。同志社大学中退後、永く商業に携わっていた。 1949年、江戸川乱歩の推薦で『探偵実話』4月号に「魚臭」が掲載される。同年、同じく江戸川乱歩の推薦で『宝石』臨時増刊「文芸探偵小説号」に「疑問の指輪」が掲載され、関西探偵作家クラブに所属した。 1951年、上京して専業作家となる。1954年、『宝石』12月号に掲載された「雪崩」が第7回探偵作家クラブ賞の新人奨励賞を受賞。
西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1… 西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1978年1月9日)は、日本の作曲家、指揮者。 北海道名寄市出身。同志社大学法学部卒業。在学中はマンドリンクラブに所属し、指揮をしていた菅原明朗から和声、対位法、管弦楽法、指揮法を学んだ。また池内友次郎からも対位法とフーガを学んだ。1941年にNHK札幌放送管弦楽団が創設されると、指揮者として招かれた。また札幌大谷短期大学(現在の札幌大谷大学短期大学部)や札幌商科大学(現在の札幌学院大学)などで指導にあたった。 1957年には北海道文化賞を受賞した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 19… 安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 1971年3月20日)は、日本の実業家。三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県松阪市出身。赤福餅で有名な赤福代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣。 1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業。 1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した。1957年に近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年に東海ラジオ放送社長にも就任した。1957年に東海テレビ放送副社長にも就任し、1967年には社長に昇格した。
土居 真俊(どい まさとし、1907年10月24日 - 19… 土居 真俊(どい まさとし、1907年10月24日 - 1988年12月7日)は、日本の神学者、宗教学者。同志社大学名誉教授。 愛媛県西宇和郡双岩村(現・八幡浜市)生まれ。同志社大学文学部神学科卒、シカゴ神学校(英語版)、ハートフォード神学校(英語版)でPh.D.。1956年同志社大神学部教授。1973年紫綬褒章受章。1978年定年退任、名誉教授。1979年勲三等瑞宝章受章。
奥村 悦造(おくむら えつぞう、1907年(明治40年)10… 奥村 悦造(おくむら えつぞう、1907年(明治40年)10月9日 - 1980年(昭和55年)1月31日)は、日本の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、滋賀県副知事。 滋賀県出身。1930年(昭和5年) 同志社高等商業学校を卒業した。 奥村鉱業社長、滋賀新聞取締役社長、琵琶湖ホテル取締役社長などを務めた。 政界では、大津市議会議員、滋賀県議会議員、同議長、滋賀県副知事、自由民主党滋賀県支部連会長などを務めた。1961年(昭和34年)3月、滋賀県立琵琶湖文化館建設資材として砕石を寄付により1964年(昭和37年)2月27日に紺綬褒章受章。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に滋賀地方区から自由民主党所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。
西 貞一(にし ていいち、1907年8月31日 - 2001… 西 貞一(にし ていいち、1907年8月31日 - 2001年2月3日)は、日本の陸上競技選手(短距離走)、実業家。同志社大学在学中の1932年、ロサンゼルスオリンピックに200m走と4×400mリレーで出場。日本陸上競技選手権大会の400m走で優勝3回。第二次世界大戦後に、陸上競技用具等のメーカーであるニシ・スポーツを創業した。 京都市生まれ。京都市立第二商業学校卒業後、同志社大学に進学。 同志社大学在学中、1929年(昭和4年)に日本陸上競技選手権大会の400m走で優勝(51秒4)。1931年(昭和6年)には日本陸上競技選手権大会400m走で2度目の優勝(50秒2)。 1932年ロサンゼルスオリンピックの日本代表に選ばれ、男子200メートル走と男子4×400mリレーに出場した。
鳴坂 健二(なるさか けんじ、1907年7月30日 - 19… 鳴坂 健二(なるさか けんじ、1907年7月30日 - 1993年6月13日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長を務めた。 岡山県出身。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1933年に同志社大学法学部を卒業し、同年に神明自動車に入社。1943年に山陽電気鉄道に転じ、1957年11月に取締役に就任し、1959年9月に常務、1966年6月に専務、1969年11月に副社長を経て、1973年5月に社長に就任。1977年6月に取締役相談役を経て、1981年6月に相談役に就任。 1970年11月に藍綬褒章を受章し、1977年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 1993年6月13日、心不全のために死去。
権 泰羲(クォン・テヒ、朝鮮語: 권태희/權泰羲、1907年… 権 泰羲(クォン・テヒ、朝鮮語: 권태희/權泰羲、1907年4月2日 - 1983年5月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の牧師、教員、中学校校長、政治家。制憲国会議員、文教社会分科委員長。本貫は安東権氏(朝鮮語版)。 作曲家・声楽家の権泰浩(朝鮮語版)は兄。 慶尚北道金泉または慶尚南道密陽生まれ。大邱啓聖中学校、平壌崇実専門学校文科卒業。平壌神学校で牧師の按手を受け、同志社大学神学科修了(聴講生)。その後帰国し、安東と密陽の教会の牧師、キリスト教安東連合会会長を歴任した。解放後は京城神学校講師、密陽公立農林学校教師・校長を経て、1947年に金泉公立中学校校長を務めた。1948年の初代総選挙で金泉郡から無所属で出馬し当選した後、国会で文教社会分科委員長などを務め、農地改革、国軍の組織にも参加したが、朝鮮戦争の際に北朝鮮に拉致された。
八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年〈明治39年〉11月… 八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年〈明治39年〉11月30日 - 1963年)は、日本の商人(米穀商)、実業家。西宮酒精社長。 兵庫県西宮市出身。八馬永蔵の五男。三代八馬兼介、八馬安二良の弟。八馬眞治の兄。 1928年、同志社専門高商部卒業。1929年、分家した。米穀商を営んだ。兵庫県武庫郡良元村小林字ハクサリ(現宝塚市)で果樹園を経営した。宝梅園土地建物代表社員、多聞土地代表社員を務めた。 1949年、新朝日自動車取締役、西宮酒精社長に就任した。1950年、宝梅園農場社長を兼任した。八馬汽船取締役、同監査役を務めた。 趣味は、乗馬・読書・謡曲・運動。宗教は真宗。住所は兵庫県宝塚市小林字ハクサリ。
橋本 福夫(はしもと ふくお、1906年3月4日 - 198… 橋本 福夫(はしもと ふくお、1906年3月4日 - 1987年1月13日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 兵庫県宍粟郡(現・宍粟市)出身。実家は田路家だが、直ぐに叔母の橋本家へ養子に出る。1930年、同志社大学英文科卒。パン屋、英語教師等の職を転々とし、戦後長野県追分にコミューンを建てる。1951年東邦大学講師、1953年聖書学園短期大学助教授、1954年専修大学商経学部専任講師、1956年助教授、1960年青山学院大学文学部第二部専任講師、1963年助教授、1966年教授。1976年定年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
内田 智雄(うちだ ともお、1905年10月21日 - 19… 内田 智雄(うちだ ともお、1905年10月21日 - 1989年10月3日)は、日本の中国思想史学者。 1905年、愛知県岡崎市生まれ。同志社大学文学部を卒業。卒業後は同志社大学講師となった。1957年に学位論文『中国農村の分家制度』を同志社大学に提出して法学博士号を取得。その後、助教授、教授に昇進。1976年に同志社大学を定年退任し、名誉教授となった。 専門は中国の制度史・法制史。
今西 正雄(いまにし まさお、1905年5月4日 - 199… 今西 正雄(いまにし まさお、1905年5月4日 - 1990年6月13日)は、日本の歴史学者。同志社大学名誉教授。 1905年5月4日、京都市の西陣に織問屋を営む今西家の長男に生まれる。1928年、同志社大学法学部経済学科卒業。アメリカ合衆国やドイツに留学。1949年より同志社大学経済学部教授。専攻はドイツ経済史。1965年ころから「低開発」問題に関心をもち、ブラジル経済史、特にポピュリスト的指導者ヴァルガスの計画経済の研究にとりくむ。1976年の退職後は、同志社大学や他大学で後進の指導にあたった。1990年6月13日、ブラジルで逝去。享年85。
岡本 清一(おかもと せいいち、1905年4月26日 - 2… 岡本 清一(おかもと せいいち、1905年4月26日 - 2001年1月10日)は、日本の政治学者。 京都府北桑田郡京北町(現・京都市)出身。1930年同志社大学法学部卒。 1947年同志社大学教授、法学部長を務めた。1966年定年、1967年京都精華短期大学設立準備委員長となり、1968年同短大発足とともに学長に就任、1972年まで務めた。のち人文学部教授などを務め、1990年名誉教授となる。 憲法問題研究会、平和問題談話会に参加。 1966年京都市長選に日本社会党の推薦で立候補したが落選した。
朴 済煥(パク・チェファン、朝鮮語: 박제환/朴濟煥、190… 朴 済煥(パク・チェファン、朝鮮語: 박제환/朴濟煥、1905年2月10日または2月11日 - 1995年3月23日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の公務員、政治家。第2・5代韓国国会議員、第17代農林部長官を歴任した。 本貫は竹山朴氏(朝鮮語版)。号は芝峰/芝峯。カトリック教徒。実業家の朴範植は息子、第12・14代国会議員の朴珪植(朝鮮語版)は甥。 京畿道富川市駅谷洞出身。1917年に水下公立普通学校に2学年編入したが、1919年の三・一運動の時にデモを主導したという理由で退学させられ、同年徽文高等普通学校に編入。1923年、徽文高4年修了し、同志社大学予科に入学した。日本留学中に新幹会京都支部長を務め、1929年同志社大学法学部経済学科を卒業した。
岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 19… 岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 1978年10月18日)は、日本の言語学者。同志社大学名誉教授。東京府出身。 公爵岩倉具張の次男として東京市麹町区裏霞ヶ関に生まれる。母方の祖父は西郷従道。1917年に学習院初等科を卒業して学習院中等科に進んだが、母から陸軍大将になることを望まれたため2年次の途中で退学し、1918年、陸軍中央幼年学校に入学。1921年、陸軍士官学校に入ったが肺炎カタルのため療養を命じられ、1922年に健康上の理由で陸軍士官学校を退学し、獨逸学協会学校中等部4年次に編入学。1924年に獨逸学協会学校中等部を卒業し、静岡高等学校理科乙類に入学。1925年、持病の脚気により静岡高校を退学し、1926年、成城高等学校入学。
入谷 唯一郎(いりたに ただいちろう、1905年 - 198… 入谷 唯一郎(いりたに ただいちろう、1905年 - 1989年3月14日)は、日本の水泳競技黎明期の競泳選手。日本でクロール泳法を習得した初期の泳者の一人。 現在の大阪府高槻市出身。子供のころから地元の芥川で泳いでいたという。1919年(大正8年)、旧制茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に入学。同級には高石勝男がいた。茨木中学校は体育教諭杉本伝のもとで水泳の盛んな学校であり、入谷が入学した1919年(大正8年)には中田留吉が招かれて水泳の指導に当たった。 当時、クロールは50m競泳にのみ用いられる泳法であると理解されており、長距離には片抜手や抜手が用いられていた。1919年(大正8年)の帝国水友会主催全国大会(鳴尾)の中等学校の部100mに出場した際、杉本と中田が相談の上、入谷にクロールのみで100mを泳いでしまえと指示、入谷は泳ぎ抜いた。
山川 幸世(やまかわ ゆきよ、1904年3月23日 - 19… 山川 幸世(やまかわ ゆきよ、1904年3月23日 - 1974年12月23日)は、日本の演出家。 京都生まれ。ドイツ文学者・山川幸雄の長男。妹に山川彌千枝。2歳の時、父の転勤のため、東京に転居。同志社大学英文科卒。舞台演出家として知られるばかりでなく、俳優の養成にも携わり、実演者の立場から音声学にもアプローチした。モンゴル音楽祭などに取り組んできた山川泉は実子。
田辺 繁子(たなべ しげこ、1903年6月30日 - 198… 田辺 繁子(たなべ しげこ、1903年6月30日 - 1986年6月8日)は、日本の法学者、専修大学名誉教授。京都府出身。1925年、同志社女学校専門学部英文科卒業、1928年、同志社大学法学部法律学科卒業。旧姓・星野。田辺平学の妻。穂積重遠に師事して家族法を研究、専修大学助教授、1956年教授。74年定年退任。古代インドのマヌ法典を翻訳、ハンムラビ法典における女性の地位を研究、家族制度の復活に反対した。
猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36… 猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36年)2月4日 - 1983年(昭和58年)1月4日)は、日本の実業家・政治家。芦屋市長(1948年 - 1952年)、兵庫県議会議員。初名は吉雄。 スポーツ黎明期に万能選手として知られた人物である。相撲では学生横綱となり、柔道でも活躍、陸上競技では砲丸投とハンマー投で日本記録を残した。 現在の兵庫県芦屋市出身。芦屋の猿丸家は猿丸大夫の末裔を称する旧家で、そのうち当主が「吉左衛門」の名を世襲する家系の出身である。 同じ名を名乗った父の猿丸吉左衛門(1853年 - 1932年)は、1928年から1930年にかけて精道村(芦屋市の前身)の村長を務めた。
高橋 虔(たかはし まさし、1903年(明治36年) - 1… 高橋 虔(たかはし まさし、1903年(明治36年) - 1992年(平成4年)7月30日)は、日本の神学者、聖書学者。
林 基奉(イム・ギボン、朝鮮語: 임기봉、1903年 - 1… 林 基奉(イム・ギボン、朝鮮語: 임기봉、1903年 - 1982年9月26日または9月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の牧師、労働運動家、政治家。第2代韓国国会議員。 全南木浦出身。平壌神学校、同志社大学本科卒。キリスト教の牧師として15年ほど活動し、大韓労働総連盟木浦海上連盟委員長・初代中央本部副委員長、初代鉄道労組委員長を務めた。国会議員在任中は主に勤労基準法および船員法案などの分野で活躍した。 1982年9月26日、ソウル市恩平区亀山洞の自宅で持病または老衰のため死去。享年77。
岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日… 岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1983年〈昭和58年〉8月12日)は、日本基督教団牧師、教育者。 群馬県北甘楽郡高瀬村(現・富岡市高瀬)に生まれる。1918年(大正7年)16歳で、日本組合甘楽(基督)教会にて岡部太郎牧師より受洗。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)を経て、同志社大学法学部を卒業。三井銀行に入行したが2年で退職。大学の恩師で法学部教授・中島重に共鳴、日本労働者ミッション派遣員として京都府綴喜郡下草内村で伝道、のち、賀川豊彦の支援により岐阜県加茂郡富田村で農民福音運動やセツルメント活動に従事、兼松沢一らを指導した。 1934年(昭和9年)-1937年(昭和12年)、同志社大学文学部神学科に学んだ後、日本組合渋谷基督教会、日本組合永福町基督教会牧師を歴任。
酒詰 仲男(さかづめ なかお、1902年〈明治35年〉5月2… 酒詰 仲男(さかづめ なかお、1902年〈明治35年〉5月29日 - 1965年〈昭和40年〉5月31日)は、日本の考古学者、文学博士。 東京出身。東京開成中学校に入学し、3年時に両親の不仲から母の地縁で京都へ移り、京都府立京都第一中学校に転入。同志社大学文学部英文科卒。筆名は土岐仲雄。東京開成中学校教諭、大山史前学研究所所員、東京帝国大学助手、1954年同志社大学教授。 開成中学の英語教員時代、同僚石田外茂一と親交を結び、佐野学『日本歴史』をテキストとして日本史の共同研究を進める。社会主義シンパとなった酒詰は、1933年「6.15研究グループ」参加を理由に特別高等警察から検挙される。この時の拷問で酒詰は前歯が数本欠けている。
鄭芝溶(チョン・ジヨン、1902年陰暦5月15日 - 195… 鄭芝溶(チョン・ジヨン、1902年陰暦5月15日 - 1950年)は朝鮮の詩人。1930年代を代表する詩人であり、同世代と後輩達に大きな影響を与えた。鄭の詩は異国情緒、伝統的郷土情緒、そしてカトリックに依拠する宗教性の3つの傾向を持つ。 1902年陰暦5月15日、忠清北道沃川郡沃川面下桂里40番地に生まれる。父は延日鄭氏の鄭泰国、母は河東鄭氏の鄭美河の間の1人息子である。家は、父の鄭泰国が薬局を経営していて裕福であったが、ある年に洪水に見舞われ、生活が傾いていく。幼い頃は池龍と呼ばれた。1913年、恩津宋氏の宋在淑と結婚する。 1918年、徽文高等普通学校に入学する。この頃から詩の創作活動を始め、この年の12月、『曙光』創刊号に小説「三人」を発表した。
田畑 忍(たばた しのぶ、1902年1月22日 - 1994… 田畑 忍(たばた しのぶ、1902年1月22日 - 1994年3月14日)は、日本の法学者。専門は憲法。同志社大学名誉教授。
山室 武甫(やまむろ ぶほ、1902年 - 1982年)は救… 山室 武甫(やまむろ ぶほ、1902年 - 1982年)は救世軍士官。救世軍士官学校教官を務め、賛美歌作家としても活躍した。救世軍日本軍国での日本人初の司令官山室軍平の長男。 山室軍平と山室機恵子の長男として、東京築地の救世軍婦人救済所で生まれる。東京府立一中(日比谷高校)、同志社大学、早稲田大学に学び、東京神学社を経て、ロンドンの救世軍万国士官学校を卒業した。帰国後、救世軍日本本営編集部および青年部に務め、救世軍士官学校教官になった。後に、作家の阿部光子と結婚する。『山室軍平全集』『ジョージ・フォックス伝』の編纂に携わり、著書、訳書、編書など40数種がある。1943年に歌人の窪田空穂の門弟になり、「樫の木々」同人になった。
楢崎 勤(ならさき つとむ、1901年11月7日 - 197… 楢崎 勤(ならさき つとむ、1901年11月7日 - 1978年12月1日)は、昭和期の日本の編集者、小説家。 山口県萩市生まれ。同志社大学中退。1925年新潮社に入社、『新潮』の名編集者として鳴らし、太平洋戦争末期の1944-45年には、言論活動や出版が困難な時期に編集長として舵を取った。その一方で新興芸術派の小説家としても活動、戦後まもなくは、太宰治の担当だったことで知られる。のち読売新聞記者に移籍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
足利 惇氏(あしかが あつうじ、1901年〈明治34年〉5月… 足利 惇氏(あしかが あつうじ、1901年〈明治34年〉5月9日 - 1983年〈昭和58年〉11月2日)は、日本のインド・ペルシア学者。第5代東海大学学長。京都大学・東海大学名誉教授。文学博士(京都大学、1949年)。日本オリエント学会会長。 東京市本郷区駒込千駄木林町(現:東京都文京区千駄木)生まれ。インド学において業績を残すとともに日本に本格的なイラン学を導入した。東海大学付属図書館には『足利惇氏文庫』と冠して資料が所蔵されている。 関東公方系足利氏で旧喜連川藩家の足利子爵家当主。先代当主足利於菟丸と後妻ヒロの長男。前名・惇麿。妻は有馬頼寧の次女・澄。父の隠居に伴い、1935年(昭和10年)12月2日に子爵を襲爵した。
楳垣 実(うめがき みのる、1901年〈明治34年〉2月18… 楳垣 実(うめがき みのる、1901年〈明治34年〉2月18日 - 1976年〈昭和51年〉2月29日)は、日本の言語学者。専門は、比較語学・方言・隠語。外来語辞典や隠語辞典を編纂したことで知られるが、語源についての随筆もある。 京都府生まれ。1923年同志社大学文学部英文学科卒業。1924年長野県木曽中学校(現長野県木曽高等学校)嘱託。同志社大学教授、太平洋戦争では南支に従軍。和歌山大学教授、1952年帝塚山学院短期大学教授、1966年定年、関西外国語大学教授。1972年紫綬褒章受勲。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
野村 重臣(のむら しげおみ、1901年 - 1954年)は… 野村 重臣(のむら しげおみ、1901年 - 1954年)は、民法学者・政治評論家。大日本言論報国会理事。 石川県出身。同志社大学法学部政治科を卒業し同大助教授となるが、右翼的・国粋主義的な言論について学内で反発を呼び、1936年『同志社論叢』に寄稿した論文「日本国民社会科学の建設と国体の真実」が不掲載となったことをきっかけとして林要・田畑忍・松山斌を左翼偏向と糾弾し、同僚の古谷美貞と計らって林らの解雇を要求。これに対し湯浅八郎総長は林を馘首するものの、その一方で古谷ともども野村も大学を解雇される。 その後も野村は学外で右翼団体や配属将校を巻き込みながら湯浅や同志社内のリベラル・左派系の教員への攻撃を続け、翌1937年には瀬川次郎・村井藤十郎両教授らが野村に同調する形で湯浅総長に上申書を提出。
上野 直蔵(うえの なおぞう、1900年12月7日 - 19… 上野 直蔵(うえの なおぞう、1900年12月7日 - 1984年10月2日)は、日本の英文学者・英語学者。同志社大学名誉教授。専門は中世英文学・米文学。 京都府京都市生まれ。1927年、同志社大学文学部英文学科卒。1934年から1936年まで、シカゴ大学に留学。1936年、同志社大学文学部講師、のち1938年に助教授、1941年に教授。1949年から1950年まで文学部長。1952年、チョーサーに関する論文で同志社大学より文学博士の学位を取得。1954年から1956年まで再び文学部長。1960年から1965年まで学長。1968年から1970年までアメリカ学会会長。1970年、定年退職、名誉教授となる。
堀 清隆(ほり きよたか、1900年(明治33年)9月10日… 堀 清隆(ほり きよたか、1900年(明治33年)9月10日 - 1986年(昭和61年)3月6日)は、日本の作曲家、指揮者。 1900年に京都に生まれ、1913年(大正2年)頃よりヴァイオリンを習う。1918年(大正7年)に京都フィルハーモニー協会創立と同時に入会し、ヴァイオリン・コントラバス奏者を務める。 1920年(大正9年)に同志社大学経済学部[要検証 – ノート]に入学するとともに、同志社大学マンドリンクラブ(以下、「SMD」という。)に入部し、クラシックギター奏者を務める。この頃から上記協会を介して指揮者の瀬戸口藤吉から作曲と和声学を習い始め、1921年(大正10年)にはSMDの講師として招かれた菅原明朗に師事する。
家倉 悌二郎(いえくら ていじろう、1900年〈明治33年〉… 家倉 悌二郎(いえくら ていじろう、1900年〈明治33年〉2月21日 - 1956年〈昭和31年〉9月6日)は、昭和時代の台湾総督府官僚。 福井県に生まれる。1927年(昭和2年)3月、同志社大学法学部経済学科を卒業し、台湾総督府財務局に奉職する。1940年(昭和15年)10月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任し、1942年(昭和17年)4月、新竹州桃園郡守に転じた。 戦後は敦賀市収入役を務めた。
松好 貞夫(まつよし さだお、1899年12月1日 - 19… 松好 貞夫(まつよし さだお、1899年12月1日 - 1982年10月19日)は、日本の経済史学者。専門は日本経済史。経済学博士(同志社大学)。東京都立大学名誉教授、流通経済大学名誉教授。 滋賀県生まれ。1925年同志社大学法学部経済学科卒。本庄栄治郎の下で日本経済史研究に従事。大阪市職員として#明治経済市史の編纂にあたり、次いで大蔵省に於いて#明治財政史の編纂員を務める。1947年同志社大学教授。1949年「新田の研究」で同志社大学経済学博士。1952年東京都立大学教授、1957年初代法経学部長、1963年定年退官、名誉教授。1965年開学の流通経済大学に招かれ経済史を教授、のち名誉教授。大学歌のひとつである「登竜の門」の作詞を手掛けた。
大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月… 大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月 - 1954年(昭和29年)4月4日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧名・理三。 京都府京都市で西陣織物業・大橋理八の二男として生まれる。同志社大学経済科で学んだ。1925年(大正14年)家督を相続し理祐に改名した。 1923年(大正12年)陸軍歩兵少尉に任官し同中尉に昇進。退役後、家業の西陣織物業を営む。1930年(昭和5年)洋服部蝶屋商会を創業。その他、京都商工会議所副会頭、西陣織物工業組合理事長、全日本絹織物工業組合連合会理事、綾部製作所社長、(株) 三星取締役、京和商事取締役などを務めた。 日中戦争に出征し、留守第16師団副官、同司令部附、参謀本部調査事務嘱託などを務めた。
今尾 登(いまお のぼる、1899年(明治32年)8月7日 … 今尾 登(いまお のぼる、1899年(明治32年)8月7日 - 1970年(昭和45年)12月18日)は、日本のジャーナリスト、教育者、政治家。衆議院議員、法学博士。旧姓・小林。 兵庫県加東郡河合村(現小野市)で、小林兵太郎の6男として生まれ、京都府の画家・今尾政之助の養子となる。1924年(大正13年)同志社大学法学部政治学科を卒業した。 大阪毎日新聞社に入社。その後、渡米しコロンビア大学で学んだ。帰国後、大阪毎日新聞本社、京城支局、大連支局、京都支局で勤務。東京日日新聞社に転じ、政治部副部長、事業課長、講演課長、横浜支局長、編輯局参事などを歴任。従軍記者として済南事件、満州事変、日中戦争(支那事変)を取材し戦傷も受けた。
高橋 信司(たかはし のぶし、1899年6月6日 - 197… 高橋 信司(たかはし のぶし、1899年6月6日 - 1971年11月15日)は、日本の社会科学者。同志社大学法学部卒業、高知短期大学名誉教授。専門は政治史・政治思想史・比較憲法。 岐阜県大垣市出身。同志社大学法学部で、高木庄太郎に政治史を学ぶ。1924年(大正13年)、法学部を卒業。同志社大学法学部で政治史の講師を務める。 1928年(昭和3年)から1929年(昭和4年)にかけ、同志社で法学部教授会と理事会(津下紋太郎、西村金三郎ら)との対立が生じた際に、高橋貞三講師とともに学生新聞で理事会を激しい言葉で批判した。理事会から「自発的辞表」提出を要求され、能勢克雄教授とともに解任させられた。これに対して法学部教授会は連名で理事会を批判した。
有賀 鉄太郎(ありが てつたろう、1899年4月1日 - 1… 有賀 鉄太郎(ありが てつたろう、1899年4月1日 - 1977年5月25日)は、日本のプロテスタント神学者、教会史・教理史学者。 1899年、大阪府で生まれ、東京で育った。東京府立一中で学び、在学中の1917年に日本基督同胞教会原宿教会で受洗。一中を卒業後は同志社大学神学部に入学。卒業論文はシュライアマハーの宗教本質論に関するものであった。卒業後、1922年から1925年までニューヨークのユニオン神学校に留学し、修士号を取得。修士論文のテーマはトレルチの宗教本質論であった。 1925年に帰国し、翌1926年に同志社大学文学部神学科の講師に就任。1930年、文学部神学科教授に昇格。1931年より中国燕京大学客員教授。
海野 源蔵(うみの げんぞう、1898年〈明治31年〉6月3… 海野 源蔵(うみの げんぞう、1898年〈明治31年〉6月3日 - 没年不明)は、日本の金融業者、大阪府多額納税者、地主・家主。 大阪府西成郡中津村・海野源太郎の長男。今宮中学校を経て1921年、同志社大学法学部経済科を卒業する。大阪府庁に入り議事課に勤務し、1924年にこれを辞す。金融業、土地家屋賃貸業を営む。 地家主である。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。1940年、紺綬褒章を下賜される。趣味は囲碁、撞球、浄瑠璃。宗教は真宗。住所は大阪府西成郡中津町下三番、大阪市東淀川区中津浜通4丁目。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宗藤 圭三(むねとう けいぞう、1898年2月16日 - 1… 宗藤 圭三(むねとう けいぞう、1898年2月16日 - 1989年9月29日)は、日本の統計学者。 広島県賀茂郡寺西町(現東広島市)出身。1921年同志社大学法学部経済科卒、同助手、1922年講師、1927年教授、1933年法学部長、1937年「統計学原理」で京都帝国大学経済学博士。1949年同志社大学経済学部長、教授、1968年定年、名誉教授となる。
神田 清雄(かんだ きよお、1898年または1899年 - … 神田 清雄(かんだ きよお、1898年または1899年 - 1970年5月9日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。
大中 寅二(おおなか とらじ、1896年(明治29年)6月2… 大中 寅二(おおなか とらじ、1896年(明治29年)6月29日 - 1982年(昭和57年)4月19日)は、日本の作曲家、オルガニスト。 東京市芝区三田(現在の東京都港区)に生まれる。大阪府立北野中学校時代に大阪教会で宮川経輝から受洗。1920年(大正9年)同志社大学法学部経済学科を卒業し、霊南坂教会(東京市赤坂区霊南坂町)オルガニストとなる(1979年(昭和54年)まで)。東京で山田耕筰に作曲を師事する。1925年(大正14年)にはドイツに留学し、ベルリンでレオポルト・カール・ヴォルフに作曲を師事する。帰国後、東洋英和女学院短期大学で教えた。 また副科で打楽器を習得し、1942年の満洲国建国10周年奉祝交響楽団(山田耕筰、大塚淳、ヘルムート・フェルマー指揮で新京での演奏)には打楽器奏者として加わっている。
野淵 昶(のぶち あきら、1896年〈明治29年〉6月22日… 野淵 昶(のぶち あきら、1896年〈明治29年〉6月22日 - 1968年〈昭和43年〉2月1日)は日本の舞台演出家、映画監督。 1896年6月22日、奈良県奈良市油留木町に生まれる。同市の花芝町に暮らす祖父母のもとで育てられる。祖父である野淵龍潜が1909年に亡くなった後、現在の大阪府堺市に移住。1914年、堺中学校(現在の三国丘高校)卒業後、同志社大学神学部、京都帝国大学文学部英文科で学ぶ。 京都帝国大学在学中の1918年、エラン・ヴィタール小劇場を結成して日本の戯曲家では武者小路実篤、秋田雨雀、久米正雄、谷崎潤一郎らの劇、海外の戯曲家ではアントン・チェーホフ、アルトゥル・シュニッツラー、ロード・ダンセイニ、グレゴリー夫人、ジョン・ミリントン・シング、ショーン・オケイシーらの劇を上演。
東 忠続(あずま ただつぐ、1896年(明治29年)6月9日… 東 忠続(あずま ただつぐ、1896年(明治29年)6月9日 - 1950年(昭和25年)3月24日)は、大正から昭和前期の日本の労働運動家。 奈良県吉野郡十津川村に生まれる。同志社大学に入学し、在学中から友愛会の普選運動に参加し、労働運動に関する青年組織の団長をつとめる。東が団長をつとめた青年組織は「ボルガ団」といい、20歳前後の若者30余名で組織された友愛会京都支部の育成組織であった。1920年(大正9年)同志社大学を卒業すると、翌年の1921年(大正10年)関西労働同盟会の書記となり、藤永田造船所の争議を指導した廉で検挙される。出獄すると、翌年の1922年(大正11年)尼崎合同労働組合組合長となる。